全17件 (17件中 1-17件目)
1
「谷から来た女」桜木紫乃【出版社の紹介】アイヌ紋様デザイナー・赤城ミワ。彼女といると、人は自分の「無意識」に気づいてしまう。自分の気持ちに、傷ついてしまう――。そして、彼女は去ってゆく。忘れられない言葉を残して。桜木紫乃の真骨頂、静かに刺してくる大人の物語。(収録作)「谷から来た女」…2021年。大学教授の滝沢は、テレビ局の番組審議会でミワと出会う。大人の恋愛を楽しむ二人だったが…。「ひとり、そしてひとり」…2004年。アクセサリーショップとセクシーパブで働く千紗は、夜のすすきのでデザイン学校の同期・ミワと再会する。「誘う花」…1999年。教育通信の記者・譲司は、取材で出会ったミワの弟・トクシがいじめられていることに気づく。「無事に、行きなさい」…2015年。レストランシェフの倫彦は、ミワとの将来を信じながらも、どこか遠さを感じている。「谷へゆく女」…1982年。母を亡くした中川時江は、高校卒業と同時に、文通相手の赤城礼良を頼って北海道へ向かう。「谷で生まれた女」…2023年。北海道テレビプロデューサーの久志木は、ミワのドキュメンタリーを撮影するが…。多分、この記事を読んで読みたいと思いネットで購入。(市内に書店がなくなった😢)桜木さんは、アイヌ文様デザイナーの貝澤珠美さんと話していて、彼女が周囲から〈あなたはアイヌに見えないからだいじょうぶよ〉と言われたと聞き、この作品を書くことになったそうだ。私も桜木さんと同様に、北海道に生まれた時から暮らし、学校では同級生ではないけれどアイヌ民族がルーツと思われる友達がいても、あからさまな差別的な言葉を耳にしたことはない。私が単に鈍感だったからなのかもしれないが、間違いなく「アイヌだ」という言葉は禁句というかタブーのような感じはあったと思う。成人してから仕事を通してアイヌ民族の歴史を知り、隠れた差別意識が根強くあることに気が付いたと思う。ということでこの小説だが、主人公の赤城ミワをとりまく人たちの短編連作というようなお話。本の紹介にも書かれているように、「大人の小説」である。現代の問題もちりばめられていて、桜木さんやっぱりうまいなーという感じだ。その通底にある「民族の無意識」「他民族への無意識」が、赤城ミワに関わる人の描写から立ち上る。昔は、知人が(ひょっとしたらアイヌの人かもしれない)と思っても、そのことで直接聞くことはできなかった。本当は知りたいことが一杯あったのにである。今の私なら、聞きたいと思ったら素直に聞けるような気もする。それは、その人をもっと理解したいと思うからだ。昔の私は、人に必要以上に立ち入りたくないと思っていたが、今では気になる人ならもっと深く知って色々語り合いたいと思うようになった。主人公の赤城ミワは、まっすぐで正直で力強くいさぎよい。とてもカッコいいと思うのだが、人によってはどう感じるのだろう。私はこのような人に憧れてしまうのだが。
2024年08月29日
コメント(4)
昨日は久しぶりにニュース雑感を書いていた。中途半端な状態で別用が出来たので、あわてて下書き保存したつもりだったが、保存していなかったようだ。何だか気力が失せて、もう一度書こうと思えなくなった。ということで、メモとしてどんなことを書いたかだけ書いておく。●斎藤兵庫県知事のパワハラ&おねだり疑惑その内容はあまりにも驚くことばかりで、ホントだろうかと不思議に思うくらい。これほど叩かれ、かつ県政を混乱させていても、自分は悪くないと言い張っているような態度にさらに驚いている●自民党総裁選現在立候補予定者は何人になっているのだろうか。最終的にはそれなりに絞られるのだろうが、どうも発端となった裏金問題や維持改革につながるような気がしない。結局は、ずるずると昔のようなやりかたに戻ってしまう布石にも感じるのだが…。●アメリカ大統領選挙とにかく、トランプだけはやめてほしい。まあ、そんなことをもう少し詳しく書いていたのだが、書いてみたらこれで十分だね。
2024年08月28日
コメント(2)
「神無島のウラ」あさのあつこ子どもの成長と教師の再生を描く離島小説関東で小学校の教員をしていた槙屋深津は、故郷である鹿児島県の神無島に帰ってきた。週に二便しかないフェリーで鹿児島港から約十二時間、外食する店もない、外周十五キロほどの島だ。十二歳で離れた島に二十年ぶりに戻ったのは、三年に満たない結婚生活にピリオドを打ち、島の小・中学校の臨時教諭になるためだ。島に降り立った深津のあいさつに、伯父の返事はなかった。深津とともに島を出た母が、伯父の家にいることだけを告げた。学校の教師や子どもたち、元同級生たちは深津の帰郷を歓迎するが、小学四年生の宇良という男の子だけ現れなかった。人の善悪を見抜き、どちらかわからないうちは、姿を見せないという。深津は悪寒を覚えた。人は生きて変化している。二十年前、島で起こった事件などいつまでも引きずっているわけもない──。島の学校に通うのは、地元の子どもだけでなく、不登校や親の虐待など家庭の事情で「島留学」をする子どもたち。全校生徒十人ほどの学校で過ごす日々、厳しくも豊かな自然への畏怖、子どもを守ると言い伝えられる島の神・ウラの存在。島での生活の中で、深津が過去と対峙し、再生していく姿を描く感動作。【編集担当からのおすすめ情報】子どもの友情や成長をみずみずしく描き、「バッテリー」や「THE MANZAI」などの大ヒットシリーズを生み出した、あさのあつこさんが新たに放つ感動作。厳しくも豊かな自然を背景に、子どもたちの交流と若手教師の再生を描く、令和の「二十四の瞳」的傑作。友達が図書館から借りていて、「面白かったよ」というのでまた借りして読んだ本。あさのあつこさんの本は安心して読めるのだが、子どもへのネグレクトや虐待が与える影響などを描いていて、このような子ども達がいるのだということを知っているだけに、胸が痛む内容も含む。様々な事情や個性を抱えた子ども達が集まるのが「学校」という場で、その教師たちの個性も背景も様々。子どもの世界にはきっとファンタジーがリアルに存在していて、それによって子どもの心は守られたりつながったりもするのだろう。そんなことを思いながら、あっという間に読み終えた。エピソードはやりきれないことも多いのだけど、救いや光があることがいい。やはり物語は、希望や救いや癒しが必要だと思う。あさのさんの執筆エピソードが書かれているものを見つけた。小説丸「あさのあつこ『神無島のウラ』」
2024年08月26日
コメント(0)
私が心から尊敬している昔からの知り合いがいる。知り合いではあるが友達関係ではなく、それでも彼女の長年続けている地域活動は時々重なり合っているので、ずっとその活動には関心を持ち、ひそかに応援している。名前も、漢字は違うが同じなので、そこにも親近感を抱いている。そんな彼女はFacebookを毎日更新していて、それをチェックするのが最近の習慣だ。今朝のFacebookを見てとても驚いた。私と彼女は共通点もあるけれどかなり違うと思っていたが、想像より共通点は多かったようだ。Facebookの一部を、個人名など伏せて少し転載してみよう。孫の〇〇ちゃんは、人の名前を言えない。ジージとバーバは同じカテゴリに入ってるので、私の事を今だにジージと呼ぶ。本人もどっちかな〜と考えてるので笑って誤魔化す。パパののことも、パパママゾーンのカテゴリに入ってるのでママになる。やはり思出せない時は笑って誤魔化す。いちごとトマトは、赤の食べ物カテゴリに入るので、大好きないちごでさえ、トマトになる。色んな名称がカテゴリの中に入るが、迷って一つに絞る事が出来ない。実は私がそうで、顔と氏名が一致しないし、そもそも思い出せない。何回あった人でも初めましてと言う。〇〇ちゃんを見ていて、あ〜私は幼少期からこんなだったから、今もそうなんだと納得出来る。昔から、母がおまえは笑って誤魔化す。と言ってた。思い出せなものだから、笑って誤魔化す癖がついた。レジの前に立つと途端に緊張して間違える。人の顔が覚えられない。漢字が書けない。整理整頓が苦手。同じカテゴリの中に入れられるがその中から一つを探すのが苦手。地図が読めない。毎日探し物をしている。欠点の多い私なので、人を責めることはしない。先ず自分を疑う癖がついている。なので、敵を作らない。コレは利点にもなっている。この様な私は一日にして出来たのではなく、幼少期から確立されていたと、〇〇ちゃんを見ていてハッキリした。コレから大人になる〇〇ちゃんも苦労するだろうけど、大丈夫。その、欠点を隠す技を既に身につけている。笑って誤魔化す術は身を助けてくれるだろう。彼女は私とは違い、とても社交的でプラス思考で行動的だ。基本的な気質は違うと思うが、転載した部分はそっくりだ。「同じカテゴリの中に入れられるが、その中から一つを探すことが苦手」と明文化してもらって、私が物の名前を言い間違える理由がよくわかった。同世代の彼女の生き方は私には眩しいくらいだ。もう少し接点が多くて一緒に活動が出来たら楽しかっただろうなと思うが、今生ではもうないだろう。でも、彼女と知り合えて良かったと思っている。人は、どんな出会い方であってもかけがえのない存在になれるものだ。
2024年08月24日
コメント(0)
どちらがいいか悪いかは別として、一度紛争が勃発したらどちらかが勝利したと宣言するまで終わらないものなのかもしれない。いさぎよく「負けました」と頭を下げるのは、将棋の世界だけなのかも。ウクライナの越境攻撃で攻守逆転、ロシアは防衛態勢の強化に奔走 8/19(月)CNN専守防衛では収まらなくなっている。イスラエル攻撃準備のヒズボラ、ハマスを大幅に上回る戦力…無人機性能を誇示する映像公開2024/08/19 読売イスラエルは、パレスチナを消滅させようとしているように私には見える。そんなイスラエルを味方する理由はあるのか。紛争はエスカレートするばかり。他にも色々な場所で紛争は続いている。21世紀も紛争の時代のようだ。
2024年08月20日
コメント(0)
8月12日に開催された北海道文化塾の村木厚子さんの講演会について書いていなかったので、遅ればせながら書くことにする。北海道文化塾を受講することにした一番の理由は、村木厚子さんのお話を聞きたかったからだ。村木厚子さんが中央官僚であった時に、障害者郵便制度悪用事件のえん罪で起訴され、その後無罪となった経緯は、とても関心を持っていた。私も事件がメディアで取り上げられた時には、強い関心を持って見ていた。しかし当初は、残念ながら私も報道を半ば信じていた。 国会対策大事となった背景を思う 2009年06月18日しかし、その後彼女の無実を信じている支援者たちの言葉やネット情報で、やはりえん罪なのかもしれないと思うようになった。 やはり村木厚子さんは冤罪? 2010年01月06日無罪となった後に仕事に復帰し、厚生労働事務次官となり、退官後は様々な役職について現在に至っている。今回の講演のテーマは、「あきらめない生き方の」その先へで、これは与えられたテーマだったようだ。村木さんの本は二冊ほど読んでいるので、裁判で闘っていた時のことはあらまし知っていたし、彼女の考え方や仕事の仕方については強く共感していた。彼女の話し方や態度は、一見バリバリのキャリアウーマンと言う感じではなく、柔らかな雰囲気ではあるがとても知的で誠実な人だという印象。本当に幅広い意味で能力の高い人なのだろうとあらためて思った。事件についてももちろん最初に触れていたが、印象的だったことは当時の事件のきっかけになった部下のことも、検察のことも、まったく非難も批判もしていなかったことだ。経緯についてはサラッとわかりやすく説明し、その時に友人の勧めで弁護士を頼んだことが良かったと言っていた。また、留置所の体験も好奇心を持って受け止めていたようで、このプラス思考や視点の多彩さが一番自らを助けるのだろうと思った。彼女も強く言っていた。困った時には、プロの支援がとても大切だということ。支援には「問題解決型」と「伴走型」の支援があるが、これは福祉の視点である。官僚時代も現在も、福祉や若者支援の世界で働き続けている人の確固たる信念だと思う。そして、仕事を通して培った体験や経験知は、必ずその人のその後の助けになるということ。それは、私自身痛感していることだ。色々と参考になる言葉をメモしてはいるが、今は次のことだけ書いておこう。何事も諦めずに取り組み、その後の人生に生かしてゆくときのポイント。・学び続けること・異なるものと意識的につながること・「誰かのために」はとても強いまだまだ多くの役職を抱えて働き続けている村木さんに、とても励まされる思いがした。なんと、全国社会福祉協議会会長、全国老人クラブ連合会会長、中央共同募金会会長だそうだ。私も老人クラブに入ろうかしら。それよりも興味深いのは、瀬戸内寂聴さんとはじめたという「若草プロジェクト」。そのきっかけは、刑務所で若い女性たちの受刑者に出会ったたことだという。私も好奇心があり、何かのために役立てることがあれば、それを自分の力にして未来を生きたいと思う。
2024年08月18日
コメント(0)
我が家のお盆は、毎年お墓参りなどが終わってから我が家に集まり会食することが恒例だ。結婚した時には、お盆やお正月、お祭りの時などに夫の親族がたくさん集まることに仰天した。夫の両親は、色々な紆余曲折がありながらも、私達が結婚した時には市内の小さな借家に住んでいた。本当に狭い借家だったのだが、そこに夫の兄弟姉妹とその家族が集まるのだ。少しずつ時間をずらして集まってはいるのだが、全員が同じ部屋に入れるわけがない。子ども達は外で遊んだりしているのだが、とにかまその大人数の子どもや孫たちのために、義母は小さな台所で大量の料理を作り続け出し続ける。私達が手伝えるのは、義母が作った料理を大皿に盛り、テーブルに出したり空き皿を片付けたりする程度。手品のように料理が出てくることに、私は本当に驚いたものだ。やがて、年月と共に夫の両親は亡くなり、集まる場所は義姉たちの家と我が家が順繰りに会場になった。その義姉たちも年老いてきて、世代が甥姪のに代わり始めると、ついに我が家だけが会場になる。もちろん、私の身内のこともあるので、夫の親族が集まる日と、私の身内が集まる日になる。私は、盆と年末年始はそのための料理を用意することになる。実家の母が元気なころには、私は何品かの料理を持参するだけだったが、母がそれが出来なくなった頃からは、我が家で集まることになった。さらに時がたち、今では夫の親戚には盆参りをするだけになり、今年は息子たちと妹が我が家で会食をするだけ。もちろん、その前には三か所のお墓と、両親の納骨堂にお参りをした後である。もう、前日から大量の料理を作ることもなく、前日にカボチャサラダをつくり、オードブルに使う食材などを買い出しするだけで、当日はスーパーで買ったお刺身やお寿司などを並べ、簡単にできる料理を三品ほど作るだけだった。沢山の親族が二日に分けて集まる頃は、お盆や年末年始は気が重かった。(私はいつまでこんなことを繰り返さなくてはならないのか)とか、(あと何回やったら、この役目が終わるのか)と、何度もため息をついた。しかし今年は、(あと何回、このように集まれて、私が料理を用意できるのだろうか)と思う。みんなの元気な顔を見て、美味しいものを食べて、他愛のない昔話に花を咲かせて、今の生活のあれこれを聞いて…。これは本当に「有難いこと」だとしみじみ思う。そして、このような場を作ってくれるご先祖様にも、心からの感謝の気持ちが湧いてくる。来年もまた同じような光景になることを心から願ってしまうのは、私が年を取ったからなのだろうな。
2024年08月15日
コメント(2)
パリオリンピックも終了し、次はパラリンピック。とりあえず、その覚え書き代わりに下記の記事を転載しておこう。パリ五輪 日本 金メダル・メダル総数ともに海外大会の最多更新2024年8月11日 NHK パリオリンピックで日本選手団が獲得した金メダルが18個となり、2004年のアテネ大会の16個を上回り海外の大会での最多を更新しました。また、メダルの総数でも2016年のリオデジャネイロ大会の41個を上回る43個となり、海外で開かれたオリンピックとして過去最多を更新しました。パリオリンピックは大会16日目の10日、陸上女子やり投げの北口榛花選手がフィールド種目では日本の女子選手で初めてのメダルとなる金メダルを獲得しました。この結果、日本が獲得した金メダルの数は17個となり、競泳の北島康介さんや陸上の室伏広治さん、野口みずきさんなどが活躍したアテネ大会の16個を上回り、海外で行われたオリンピックの最多を更新しました。さらに10日は、レスリング女子62キロ級で元木咲良選手が金メダルを獲得し、今大会の金メダルの数は18個となりました。競技別の金メダルの数は▽レスリングが最も多く6個▽体操と柔道で3個ずつ▽スケートボードと、今大会躍進したフェンシングがそれぞれ2個ずつ▽ブレイキンと陸上が1個ずつとなっています。過去のオリンピックで日本が最も多くの金メダルを獲得した大会は前回、3年前の自国開催となった東京大会の27個です。海外で開催の五輪のメダル総数も過去最多を更新また、パリオリンピックで日本は大会15日目までを終えて37個のメダルを獲得していました。大会16日目の10日は、男子高飛び込みで玉井陸斗選手、卓球女子団体、近代五種で佐藤大宗選手、それにレスリングの男子フリー74キロ級で高谷大地選手がいずれも銀メダルを獲得し、メダルの総数でこれまで海外で開かれた大会で最多だった2016年のリオデジャネイロ大会の41個に並びました。そして、陸上女子やり投げで北口選手が金メダルを獲得し、これで今大会、日本が獲得したメダルの総数が42個となり海外で開かれた大会の最多メダル数を更新しました。さらにレスリング女子の元木選手の金メダル獲得でメダル総数は43個となりました。国内のオリンピックでは前回、東京大会で58個のメダルを獲得しています。毎回、オリンピックの時にしか見ることがないような気がするレスリングは、どうしてこんなに強いのだろう。それと、まったくなじみのないフェンシングの強さにもビックリだった。個人的には、旭川出身のやり投げの北口選手の金メダルがとても嬉しかった。嬉しい時の天真爛漫にピョンピョン跳ねる姿を見ると、私も本当に嬉しくなる。自分でメールして指導をお願いして、単身チェコに渡った行動力や勇気、そして積極的に周囲の人とコミュニケーションを取った結果の言葉の力にも感服する。彼女のインタビューでの応答を見ていると、本当に頭の良い気配りのできる人だとわかる。どの選手もそれぞれすごい力の持ち主だと思うが、北海道では彼女の今までの軌跡なども放送されているせいか、金メダルを期待通り取れたことに心からホッとしたのが正直な気持ちだった。色々なことを言われるオリンピックだけど、選手の皆さんにはメダルを取った人も取れなかった人にも、心から拍手を送りたい。
2024年08月14日
コメント(2)
「偉大なる、しゅららぼん」万城目 学【著】出版社内容情報古くより対立する日出家と棗家。迫る存亡の危機を力を合わせて斥けられるのか!? 万城目ワールド全開のスーパーエンターテイメント。濱田岳&岡田将生主演で映画公開!内容説明高校入学を機に、琵琶湖畔の街・石走にある日出本家にやって来た日出涼介。本家の跡継ぎとしてお城の本丸御殿に住まう淡十郎の“ナチュラルボーン殿様”な言動にふりまわされる日々が始まった。実は、日出家は琵琶湖から特殊な力を授かった一族。日出家のライバルで、同様に特殊な「力」をもつ棗家の長男・棗広海と、涼介、淡十郎が同じクラスになった時、力で力を洗う戦いの幕が上がる…!著者等紹介万城目学[マキメマナブ]1976年生まれ、大阪府出身。京都大学法学部卒業。2006年、第4回ボイルドエッグズ新人賞を受賞した『鴨川ホルモー』でデビュー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。先月読んだ「八月の御所グラウンド」が面白かったので、図書館で借りてきた。前作よりいよいよ不思議ワールドである。でも、大きな湖には不思議な世界が共存しているような気もするので、そんなことあるかいなと思いつつも、何だかすんなりとその世界に入り込んでしまった。うーん、万城目学ってこんな作品を書く人なんだとさらに調べたら、何だか面白そうなものがいっぱい。この作品も映画になっているところをみると、若い人たちにも人気があるようだ。気分転換に読む作家として時々チェックしなくちゃ。
2024年08月12日
コメント(0)
「王さまと九人のきょうだい」訳: 君島 久子/絵: 赤羽 末吉(みどころ)おおむかし、ある村に、いつも「子どもがほしい、子どもがほしい」と思っている、としよりの夫婦がすんでいました。おばあさんが悲しんでいると、白いかみの老人があらわれて、ひとつぶのめば子どもがひとり生まれるという小さな丸薬を九つくれました。おばあさんがその丸薬をのむと、まもなくおなかがふくらんで、ある日とつぜん、九人のあかんぼうが生まれたのです。その名も、「ちからもち」「くいしんぼう」「はらいっぱい」「ぶってくれ」「ながすね」「さむがりや」「あつがりや」「切ってくれ」「みずくぐり」という変わった名前。九人が成長したころ、王さまの宮殿で、いちばん大事なはしらが倒れてしまいました。困った王さまは「はしらをもとどおりにできたものには、のぞみのほうびをとらせる」とおふれを出すのですが・・・。中国の少数民族、イ族のあいだに伝わる、痛快な物語絵本。九人の名前は、九人にそなわった能力をあらわしています。「ちからもち」に宮殿のはしらをなおしてもらったのに、ほうびをとらせるどころか、その能力を怖がって次々無理難題をふっかける王さまに、きょうだいは能力を生かしてたちむかい、ついにはひどい王さまをやっつけてしまうお話です。子どもたちが(そして読んでいる大人、私も)大好きなのが、そのいっぷう変わった名前と、そっくりに見えるのに少しずつ違うきょうだいの絵!!あかんぼうのページですでに赤いあかんぼう(おそらく「あつがりや」)や、指をくわえているあかんぼう(同じく「くいしんぼう」)、足の長めのあかんぼう(「ながすね」)がいたりして、どのあかんぼうがどの名前?と探してみるのも楽しいです。絵は『スーホの白い馬』で著名な赤羽末吉さん。不機嫌な王さまの表情といい、悠々とした中国の風景といい、ユーモラスな構図や絵筆の色合いといいすばらしい。訳は、中国の民話や昔話を多数翻訳している君島久子さん。きょうだいがくりかえし王さまの難題を一蹴するくだりは、名前のおもしろさとともに、何度読んでも飽きません。“「ぶってくれ」は(略)うれしそうにいいました。「ああ、いいきもちだ! もっと、ぶってくれ!」”・・・という具合です。さすがは1969年発売以来、読み継がれているロングセラー。絵本としては文字は多めですが、テンポよく読めます。明るくたくましい民話の世界が見事に再現され、子どもが成長しても、心に残りそうな傑作絵本です。上記にも書いてあるが、とても痛快なおはなし。実は今、コミックの「キングダム」を読んでいるのだが、何だか通じるものがあるような気がした。「兄弟」とは書いてあるが、多分強いものに立ち向かう時には少数民族が力を合わせてどうしようもない支配者をやっつけてきたのだろう。きっと中国には、このようなお話になるような伝説や民話がいくつもあるのだろう。さて、今の中国はどのような状態なのだろうか。
2024年08月11日
コメント(0)
昨日、読書感想文の宿題をやめてくださいと書いたのだが、今朝「読書感想文」で書いているブログをいくつか拝見して、本当に驚いた。いや、今更驚くことではないのだろうが、自分のことと重ね合わせたら驚くしかなかった。今は、夏休みの宿題は親の宿題でもあるみたいなのだ。昨日のブログは、あくまでも感想文は子ども自身が苦労して書くものという前提だったのだが、今ではその前提が間違っているらしい。そういえば、以前に「宿題代行」とか、「レポート代行」などのビジネスがあることを知り驚愕したものだが、それすら忘れていた古い時代の私だった。 親が一緒に宿題に取り組むメリットが全くないとは思わないが、あくまでも子どもにアドバイスしたりする程度にとどめるのが当然と思っていた。昔の話をしたら皆さんに笑われることを承知で書くけれど、私の子ども時代には(私の育った地方では)親が宿題を手伝ってくれる人は相当に恵まれた人だった。どう恵まれているかと言えば、まず母親が専業主婦であり子どもの教育に熱心であることだろう。私の育った地域は、自衛隊の駐屯地だったので自衛隊官舎の子ども達は、親が教育熱心で母親は専業主婦。地元は農村地帯で私の家も農家だったので、学校のことは子ども自身が何とかしなくてはならないのがあたりまえだった。そもそも農家の子は、休み中は家の農作業の手伝いをすることが当然の時代だったのだ。宿題でわからないことがあったとしても、少なくても私は親に教えてもらおうと思ったことは全くない。官舎の友達が親に宿題を手伝ってもらったことがあると知ったのは、大人になってからである。 そんな育ちをしていたので、自分が子育て中も当然そんなものだと思っていた。息子たちの夏休みや冬休みには「自由研究」のようなものがあったので、「何をしたらいいかわからない」などとボヤくときには、「こんなことはどうかな」なんてアドバイスくらいはしたと思うが、手伝った記憶はない。夏休み終盤になって「まだ宿題ができてない」と泣き言を言っても、「何やってたの。早くやりなさい」と口先だけ注意して、始業式前日に「先生に怒られる( ノД`)シクシク…」とべそをかいても、「やっていなかったのはあんたが悪いんだから、怒られてきなさい。どうしてもわからないなら教えてあげる」と言う程度だったと思う。私も仕事をしていたので、子どもの宿題を心配する時間もなかったし…。ひょっとしたら、その頃は私の子ども時代より専業主婦は多かったはずなので、親に宿題を手伝ってもらっていた友達は多かったのかもしれないが、私がそんな調子だったので息子たちも私に頼ることを諦めていたのかもしれない。 時代は下がって孫たちはどうだったのだろう。離れて暮らしていたので、宿題がどうのこうのという話は記憶にない。割と計画的できちんとした性格のお嫁さんなので、きっと早め早めにさせていたのだろうと思う。 そんなことで、今は「親が手伝う、協力する」というレベルを超えているような気がするブログをいくつか拝見し、うーんとうなってしまった。そのようなことが本当に子どものためになるのかどうか、私は首を傾げるばかりだ。先生たちは、そのような状態をどう考えているのかな。親の宿題になるような宿題なら、ヤメてしまった方が親子でスッキリするんじゃないだろうか。
2024年08月08日
コメント(0)
今も、夏休みの宿題に「読書感想文」があるのでしょうね。おるたネット代表の古山 明男 さんが、Facebookで次のように書いています。夏休みの読書感想文の宿題をやめましょう。子どもにとって、ただの難行苦行です。本を読んでおもしろいことと、感想文を書くことは別なことです。子どもに「ぼくも、○○さんのようになりたいです」などと書かせて、何がいったいおもしろいのか。学校の先生だって、宿題のチェックをして、優秀作品を選び出す手間はたいへんです。入賞させようと、お化粧までほどこしている。それは、子どもの書く力を伸ばすのとは違います。私は小さい頃から本を読むことが好きだったので、たくさん本を読んでいました。ですから、読書感想文だって得意な方だったのです。でもその感想文は、必ずしも私が面白かったことを書いていたわけではありません。先生や大人達が評価してくれそうなことを書いていたまでです。たくさん本を読んでいたせいか、人の気持ちを忖度する力がついていたのかもしれないし、単に評価されることを狙っていたのかもしれません。でも、それで評価されたとしても嬉しかった記憶はありません。自分の気持ちに正直でないという苦い思いもあったのです。 読書が好きだったのは、人の心の裏側の部分を覗き見たり、自由奔放に行動する人への憧れだったり、現実逃避する人に自分を重ね合わせていたりと、自分の心を自由に遊ばせることができたからです。なぜか、それは心の裏側のことで美しいものではないと思っていたので、感想文には上澄みのきれいごとを書かなくてはいけないような気がしていたと思います。自分が抱えている心の暗い部分は、人には見せられないと思っていたのでしょう。ですから読書感想文は、文章を書くことが苦手な子にも得意な子にも苦行になってしまうのです。 「本を読んでおもしろいことと、感想文を書くことは別なこと」 そのことを、先生である人たちや大人達には、しっかりとわかってほしいと思っています。そして、自由に心を遊ばせたり様々なことを想像したりする読書本来の楽しさを、子ども達に伝えてほしいと思います。私は本を読むことが好きになったおかげで、生涯の楽しみを得ることができたのです。
2024年08月07日
コメント(0)
「エイモスさんがバスに乗りおくれると」フィリップ・C・ステッド 文 /エリン・E・ステッド 絵/青山南 訳内容紹介エイモスさんは明日のおでかけが楽しみで眠れません。翌朝、寝坊して、いつものバスに乗り遅れてしまいます。仕事に遅刻し、楽しみにしていた計画も台無し。疲れ果てて寝てしまったエイモスさんを案じた動物たちは……。コルデコット賞を受賞した前作『エイモスさんがかぜをひくと』から1年。エイモスさんと動物たちが繰り広げる、変わらぬユーモラスな世界をお楽しみください。エイモスさんはどんなお友達と遠足に行くのだろう…とおもいつつ、ページを開いてゆく。エイモスさんは初老の男性だから、ひょっとすると可愛い女の子のお友達かな?それとも、昔なじみの初老の女性か…、なんて想像を巡らせたけれど、全部ハズレ!でも、優しいタッチのイラストに誘われてゆくと、想像以上に素敵なお友達たちとの遠足だった。現実世界を一瞬でも忘れ、ファンタジーの世界に心を遊ばせて一息つくのは、とても大切な時間です。
2024年08月06日
コメント(0)
8月6日 広島きょう原爆の日 あの日から79年、被爆地に向く市民の目 8/6(火) 中国新聞 華やかな「平和の祭典」をかき消すかのように、武力による争いが続く。核には核で対抗しようとする抑止論もやまない。広島は6日、原爆の日を迎えた。たった一発の爆弾が街を破壊し、子どもを含む大勢の市民の命を無差別に奪った。過ちを繰り返してはならない。79年前のあの日を世界は忘れてはならない。 「怖い」「怖いよ、お父さん」。ごった返す広島市の原爆資料館で、核の惨禍を伝える「無言の証人」を前に、少女が父親の手を何度も握りしめていた。「こんな時代だからこそ、平和の尊さを感じてほしくて」。父親は、つなぐことも少なくなったという11歳の娘の手の感触を確かめ、この夏に初めて資料館へ連れて来た理由を明かした。 ロシアによるウクライナへの侵攻は長期化し、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの攻撃も悪化している。近年にない厳しい国際情勢が、原爆被害を原点に世界平和を願う被爆地へ国内外の市民の関心を向けさせる。資料館には昨年度、過去最多の198万人が訪れた。本年度はさらに上を行くペースだ。 その心情を世界のリーダーたちは共有できているのだろうか。 昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)は「核兵器なき世界」を目指す姿勢を示したが、機運は高まっていない。米国はことし5月に34回目の臨界前核実験を強行。7月には日米両政府が、米国が核兵器を含む戦力で日本防衛に関与する「拡大抑止」の強化に合意した。核の威力にすがるのはロシアやイスラエルだけではない。 広島市は6日午前8時から平和記念公園で平和記念式典を営む。松井一実市長は平和宣言で、国際情勢の混迷ぶりに危機感を示し、東西冷戦を終結に導いた旧ソ連大統領の故ミハイル・ゴルバチョフ氏の言葉を引用。核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すとともに、市民社会の行動を提起する。 厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人は3月末時点で10万6825人。平均年齢は85・58歳となった。市はこの一年に死亡が確認された広島の被爆者5079人の名前を原爆死没者名簿に書き記し、式典の初めに原爆慰霊碑の石室に納める。名簿は3冊増え128冊計34万4306人になる。 今年に入り、焦燥感から、これまで口を閉ざしてきた被爆者たちが相次いでその体験を伝え始めた。ウクライナやガザの少年少女を79年前の自身と重ね「他の誰にも同じ思いをしてほしくない」と。6日は、亡き人たちを悼み、核兵器も戦争もない世界の実現へ向けて、市民一人一人が自覚を持ち、行動を決意する一日になる。 式典には岸田文雄首相や、核保有国の米英仏印、イスラエルを含む109カ国と欧州連合(EU)の代表が参列を予定。市は今年、安全対策の強化を理由に入場規制エリアを公園全体へ広げ原爆ドーム周辺も含む。規制は午前5時から9時までで、6時半に6カ所の入場口を開設する。平和の祭典であるはずのオリンピックが火災中も、世界の各地での紛争は収まることはない。憎しみの連鎖はますます強まっているような気がする。イラン、報復間近か イスラエル警戒、外交努力続く時事通信【イスタンブール時事】イランで起きたイスラム組織ハマス最高指導者ハニヤ氏の暗殺で、米ネットメディア「アクシオス」は4日、イランが殺害への関与が濃厚なイスラエルへ早ければ5日にも報復攻撃する可能性があると報じた。(後略)ガザ市の学校に空爆 子どもら17人死亡、63人負傷8/4(日)
2024年08月06日
コメント(2)
中学の同級生Hさんの家を訪問。以前から渡すことを約束していたものを届けに行き、ついでに家に上がり込んでしばしおしゃべり。彼女は中卒で働き始めた人で、その後電気店を営む年下のご主人と出会い、結婚。同じ町に住んでいるのだが、会うのはクラス会の時くらい。それに、中学時代も仲が良かったわけでもないので、考えてみたら彼女の個人的なことはほとんど知らなかった。いや、ほんとに人は表面のことしか知らずに付き合っているものだとあらためて思う。彼女が結婚後に色々と大変だったことも初めて知った。数年前に心筋こうそくで倒れたとは知っていたが、それも乗り切って今は一番幸せかもしれないと言う。やはり、苦労や病と言うマイナス要因も、決してそれだけでは終わらないのが人間のたくましさだ。そして、細い縁でもつながっている人とは、こんな風に改めて出会うことがあるのだとも。私の知らなかったクラスメイトのことなどや、中学時代の思い出なども話して、楽しい数時間だった。
2024年08月05日
コメント(0)
現在フランスで行われているパリオリンピックでは、世界から集まってきたアスリートたちが死力を尽くした戦いを続けている。私も、主に日本人の選手やチームには心から応援をしているし、その勝ち負けに一喜一憂している。そして、このような大舞台に立つ人たちは、本当に努力の天才だなと感動している。それなのに、ネット上ではそんな選手たちへの誹謗中傷が溢れているという。もちろん、自国の選手が負けたら悔しいし、審判の判断に納得がいかないこともあるのは私も同じだが、それを公開のネット上で誹謗中傷作業をする人に対しては、嫌な気分になる。そして思う。きっと、誹謗中傷する人は日常生活で不満のマグマを抱えているのだろうと。そして、多分その人の発する言葉は、自分自身が誰かから言われている言葉なのかもしれないと。とにかく、誹謗中傷する人には考えられないような努力の日々を選手たちは積み重ねてきたのだ。それで負けたからと言って、避難できるはずはないだろう。負けて我を忘れて号泣する人を叩く必要はないだろう。たとえ審判の判断が誤審だったとしても、それで勝った人を叩く必要はさらにない。今まで、こんなに誹謗中傷が飛び交ったオリンピックはあっただろうか。あったかもしれないけれど、今はセット世界が過剰に拡大していて、その傾向が強まっているのかもしれない。それと、世界中で理不尽な争いが絶えないどころか拡大していて、人々の心が蝕まれているのではないだろうか。
2024年08月03日
コメント(0)
実家の片付け作業で庭の除草ができないままになっていた上に、数日雨模様の日が続いたので、いわゆる「雑草」と呼ばれる草たちが自由奔放に伸び放題。ということで、昨日は比較的涼しかったので朝から私は草取りで、夫は庭木の剪定作業。今年は実家の荒れ地に草や木を持ち込むことができるけれど、来年からはそれもできなくなる。毎回、「燃やせるゴミ」として出さなくてはならなくなるので、せめて木は少なくしたいと思っている。空いた場所や花壇の一部は、来年からは「家庭菜園」にするつもり。昨年までは実家の畑で妹が野菜をつくっていたのだが、母がいなくなった今年からはまったくしなくなった。私も、実家で野菜をつくるので我が家で家庭菜園をしなくても(いや、しないほうが)いいだろうと、今まではミニトマトや紫蘇やパセリ程度しか作っていなかったのだ。それにしても草は強い!抜いても刈ってもまったくめげずに隙あらば手足を伸ばしていく。いつも「花も草も同じ植物なのに」と思いつつ、根こそぎやっつけようとする私とのイタチごっこ。まあ、私が常に負け続けているのですけどね。今日も草取り頑張ろう!
2024年08月01日
コメント(2)
全17件 (17件中 1-17件目)
1