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億劫で、外を歩くという事に興味すら抱かなくなっていた父だった。それが、昨日は遂に外食した。しかも1人前を完食するという大技を伴って。今朝起きて、母の口からは又しても嬉しい報告が。今朝は早起きをして、畑(裏庭の家庭菜園)を回って来たのだと。手入れもしていなかったので、取れる野菜や果物は大した事ないのだが、幾らか収穫して来たようだ。拾いもぎって言ってたかな?一週間も前には、母から畑にすら興味を示さないと落胆の報告を受けていた。行くどころか、窓から覗く事すらしていなかったのだ。興味も示さなくなっていたのに、これまたトンでもない進化になった。午後、親戚が兄の見舞いがてら来てくれた。今度は一緒に食事に行こうと、自分から言い出す。店も自分で指定(一度、その親戚と行った事がある)して、誰の手も借りずにクルマに乗り降りしていた。そこで頼んだ料理(肉汁定職)がまた・・・・ご飯は丼で出てきた。肉汁(ほぼ豚汁)は、鍋に入って出てきた。これは、健常者であっても食の細い人なら途中でギブアップの量。父は先ず、丼のご飯を半分、自分のに移し変えた。残りの半分と言っても、茶碗一杯分は楽に残っている。で・・・これまた完食。話してる内容も、まだまだお惚けが多いが、それを本人も楽しんでいる様子。食事も出来るし、クルマの乗り降りも短い距離の徒歩も心配無い。父の未来は明るいようだ。
Sep 19, 2005
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父の調子が良い。思い切って、昼食に出掛けてみた。父と母と姉と甥と自分の5人。何と向かった先は「びっくりドンキー」。もっと他に、落ち着いた座敷なんて選択も有っただろうに。食べれないと言っていた父は、150グラムとはいえ1人前を注文した。残した分は母に食べろと言いながら・・・食べ初めてみたら、なんのなんの、普通に笑いながら食べている。ちっとも無理する事なく、1人前を完食してしまった。周りで見ている家族が驚いている。いや、クルマに乗り込む時、駐車場からの足取りですら皆喜んでいたのに。日に日に回復している。しかも、目に見える程の目覚しさで。
Sep 18, 2005
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久しぶりに実家に帰ると、父は2階で荷物を掻き回していた。現役時代の最後に使った手帳を探しているのだと言う。引退時に伝えなければならなかった事を、伝え切れたのかどうか不安なのだそうだ。でも、引退はもう8年も前。伝え切れていなくても、例えそれで不具合が起きていても、既に解決済みの筈。ところが父には時間の長さの感覚が無い。8年前も昨日も変わりなく感じているようだ。部屋の隅に積み上げられたアルバムの間に挟まっていないか見たいのだと言う。だが、座ったままでは手が届かず、困っていたようだ。実家に着いて最初の仕事が、父の目の前でアルバムを動かしてやる事になった。一通り見終わって、色々と話をする事が出来た。理屈が、入り組んでさえいなければ受け入れられるようになっていた。入院時の「反応をしている」というレベルとは雲泥の差だった。つい、以前の父のままであるかのような錯覚を起こす位。未だ、一度座った布団の上から、起き上がるのに躊躇が入る。力にもバランスにも不安が有ると共に、億劫だというのが大きいようだ。無理も無いだろう。健康な時には80キロ近い体重だったものが、今は僅かに47キロ。階段の上り下りには、分単位の時間がかかる。父が寝てから母から退院後の話を聞いていた。と・・・突然父が起きて来た。以前の父であれば、早く寝ろと言って声を荒げるところ。だが、この日の父は、そのまま話に加わった。温厚になったのは良い事なのだが、これは父から時間の感覚が失われている証拠でも有る。
Sep 17, 2005
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父の、外来検査の日だった。母が連れて行けるかどうか心配した為、甥の上の子が仕事を休んで付き合ってくれた。脳外科、泌尿器科、皮膚科、内科、症状の出ていた全ての科を回る。脳外科では、問診の他にCTが撮られた。問診では、かなり立派は受け応えをしていたようだ。ただ、向こうも専門、所々矛盾したポイントが有っても、受け流しながら話を進める。結果は「今の段階にしては良好」である。術後の状態も良いし、入院中に襲われた髄膜炎からの回復状態も好ましいレベル。「大変だったのに、よくここまで回復しましたね」との評価。泌尿器科では、排尿機能の確認が行われた。トイレに行ってきた後、膀胱に残った残尿量を見てもらった。こちらも良好。トイレでは、かなりの時間をかけて意地になって絞り出して来たようだが、自分の意志で出し切れている事には違いない。後は、脳の回復によって、それが自然にこなせるようになるだろう。常に痒がっていたので皮膚科。こちらでは特に問題無し。痩せてしまい、身体の油脂分が抜けてしまったせいなのだろう。念の為の内科も問題無し。ただ、どの科に行っても、歯が痛いんだと訴えていたそうだ。脳外以外では、不思議に思われたかも知れない。全ての結果が良好と判断され、8週間分の薬が処方された。良かったね。だけど、本当に苦しいのはここから。何ヶ月かかるか、何年かかるのは分からない。ゴールは、全ての辻褄を、記憶に留めた事実から組み立てられるようになる日。家に帰って、相撲中継を見終わった後、父が呟いた。「病院の検査は明日だっけ?」
Sep 13, 2005
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ついに兄の胸にポートが付けられた。前回、設置を試みた祭には、チューブを入れた段階で感染症にかかり、ポートまで辿り付けずに断念している。今回は上手く行ったようだ。これで病院のベッドに括り付け、という状態からは開放することが出来るようになった。このまま馴染んでくれれば、本人に食欲が湧いてくれば、体調を崩さずに行ければ、今週中にでも帰宅が許される事になる。その先に、選択の道がある。今のまま、中央病院にカルテを置き、外来として化学療法に踏み切るか。療養所に転院して、穏やかな環境下で時期を待つか。或いは自宅療養に切り替え、自分なりの考えで突き進んでみるか。どの選択をするにせよ、先ずは体力を取り戻す事を考えなければ。
Sep 12, 2005
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実家に姉が帰宅していた。久しぶりに聞く声は、それほど暗いものではなかった。ちょっとは良いのかな・・・これまで苦しんでいた胃潰瘍や十二指腸潰瘍については、余り苦しまなくなったのだそうだ。先月見舞いに行った時の姿は、身体を二つ折りにして唸っている姿だった。今は、一日中愚痴を言いながら、アチコチ痛いとか痒いとか言ってるそうだ。病院食については相変わらず殆ど食べられないという。だが、全くアテにならない時間帯に、お菓子や果物を食べたいと言い出す時が有るのだという。それは、深夜だろうが早朝だろうが、時間を構わずやって来る。本当に調子の良い日には、検査の帰りにラーメンが食べたくなったと、院内の食堂に寄って来たのだそうだ。その時には3分の1も食べる事が出来たと嬉しそうに話していた。それでも良いよね、自分の口から取った栄養、身体だけじゃなく心の栄養にもなるよ。月曜にポート設置の予定なのだそうだ。栄養補給の口を確保した後、その後の相談に入るのだという。そのまま内科に回って化学療法に賭けるのか。放射線科に回って、障害となる部位から潰して行くのか。療養所に回って、穏やかな時間で自己免疫の力に望みを託すのか。或いは自宅で療養しながらチャンスを待つか・・・
Sep 11, 2005
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父の脳は、ドンドン正常に向かっている。とはいえ、まだまだ自分の行動も覚えていれず、あっちへ行っては「なんだっけ」、こっちに来ては「なんだっけ」な状態。以前は全てを把握し、家族に指示を出し続けていた父には、理解出来ない状態のようだ。忘れ去って辻褄が合わなくなった部分を、勝手な想像で補っている。兄を呼べと言う。母が入院中だと告げると、さっき2階に上って行ったのを見たと言う。地下から棒を取って来いと言う。母がどんなのか聞くと、さっき自分が持って下りた奴だと言う。未だ、退院後一度も地下になんか下りれた事も無いくせに。これはみんな、父が想像で補った記憶である。だが、一緒に暮らす母には、それは妄想にしか聞こえない。気を遣って、そんな事実が無かったことを、前後の状況に絡めて説明するのだが・・・絶対に正しい父は、そんな口答えを許さない。騙す、誤魔化す、逆らうと言って、母を責め続けているのだそうだ。母も根気が続かなくなって来ている。
Sep 9, 2005
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久しぶりに父と長い会話が出来た。電話で30分あまり、向こうからの言葉が多かったけれど、これだけの話を音声だけで続ける事が出来たというのは、何とも嬉しい進歩のように感じる。自分の中で、時間軸が狂ってしまっている事を認めていた。諸々の事に積極的になれないと言い訳をしていた。そのせいで、責任を果たせていないというのが脅迫観念になっているとも。本人の口から出たのは、弱気。弱気になっているというのが、今の現状を苦しくしている。それを打破するには、体力を付けなければならない。だが、沢山食べる事に自信が無い。運動する(散歩程度でも)自信が無い。たった今の状況は、悪循環に陥っている。ここから先、もう少し「考える」事が出来るようになってくれば、体調と相談をして色々な事が出来るだろう。食べたい物は、食べたい量は、疲れたという身体の状態は、休憩するという状態は。それらの理解が戻って来たら、きっと計画的に物事が考えられる。「元に戻る」という壮大な目標を持ったリハビリは、そこから始まるのだろう。
Sep 8, 2005
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今週になってから、子供達は一度も病室を訪れていないという。病室で顔を見た瞬間から始まる非難と幻滅の言葉の繰り返し。母も、退院した父から目を離せず、買い物にすら行けない状況。かえって父が入院してた頃の方が、建物が同じなだけに様子を見に行き易かったと嘆く。当の本人は、チームメイトの居ない戦いを続けている。我々が考え込んでいたり、憤っている間も、彼はずっと戦い続けているのだ。サポーターの子供達が寄り付かないと、そこに孤独感との戦いも加わっているのだろう。なんと、哀しい時間の中に居ることだろう・・・月曜に作ったタヒボ茶も、出番も無く3回目の夜を迎えている。電話を代わって貰い、長男に仕事を依頼する事にした。テーブルの上に置きっ放しになっているタヒボを届けること。届けた後は、父親の顔を見ずに引き揚げても良いというルールで。頼んだよ、おにぃちゃん!
Sep 7, 2005
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入院が延びている間に、父はすっかり病人が板に付いてしまったようだ。筋肉が落ちてしまった事も、要因にのだろう。座ると動かない。横になると、首をもたげる事もしなくなってしまう。本人の口から漏れた「ナマケモノみたいになってしまった」と。母は、13日に予約している外来診療にも、連れて行けるかどうかと心配している。タクシーを使うにしても、そこまで自力で歩いて行けるのかどうか。いや、歩いてくれるのかどうか。時間の感覚は、徐々にではあるが戻って来ているようだ。未だ、昼夜の区別は判然としている訳ではない。視界は常に暗いと訴えている。それも、新聞を読んだ後は特に暗くなっているらしい。新聞を読む時も時間の流れが感覚に乏しいらしく、ダラダラと長い時間を掛けて文字を追い掛けている。電話については、10分も話すと1時間も話してしまったという感覚を持つらしい。髄膜炎(早い話、脳膜炎)の後遺症は、激しいものだなと再認識させられてしまう。そんな状況下に有っても、本人の性格はどんどん元に戻って行っている。自分が不自由な状況にあることを、可哀想だと思えと命令する。少しでも気に障る状況と出会うと、すぐに怒り出す。母はこの状態を、困った困ったと言いつつも、少しずつ安心を深めているようだ。元々の父と母の関係に、戻りつつあるのだからと。
Sep 7, 2005
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記憶の断片が、徐々に整列の兆しを見せて来たようだ。小用の為にトイレに行った時は、立っている。立っているものの、結局は漏らしてしまう。その後、自分で首を捻っているという。どうやってするのかを思い出せていないのか、直前になって何しに来たのか忘れてしまうのか。どちらにしても、トイレでは座るもの、という入院中の習慣から、発症前の習慣に戻りつつあるのだろう。休むと役所に連絡しなければと焦っていたのは、ちゃんと整理して退職してくれば良かったと表現されるようになって来た。未だ退職したての気分とはいえ、現役時代から退官後の自分に戻って来たというだけ、順番は整理されて来たように思える。ただ、実際の退官は、もう13年も前の話なのだが・・・これが、親戚の見舞いが来ると、一気に普通の人のように振舞ってしまう。自分のペースで話をしているし、親戚付き合いも頻繁でなかった為に、古い話題であっても違和感が無いという状況も働いている。墓穴を掘るような話題に流れないという解釈も出来るのかな?これから先、何ヶ月も、何年もかけて、不完全なものが繋がって行くのだろう。短気にならずに、ノンビリと治して行って欲しい。
Sep 6, 2005
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癌の特効薬候補のHF10の早期実現を推進するチームが、俄然湧き上がっている。ついに、理解を求めるチラシやポスターの実現案迄辿り付いている。単純ヘルペスウイルスHF10早期実用化要望プロジェクト ★チラシ制作会議室★プロのデザイナーの方や、コピーライターの方が協力を申し入れてくれている。圧巻なのは、長距離トラッカーの方が、トラックに告知幕付けて走ってくれると申し出てくれてるということだ。どんどん推進されて行く。確実に、力が結集されて行っているのを感じる。この流れが、国の決めたルールを変える事が、無理の無い事のように思えて来る。その一方で、患者達は命を落として行っている。選挙で裏切られたとかのけ者にされたとか政治家の人達が騒いでいる間にも、毎日800名もの患者の命が救われずに消えて行く。気付く政治家は居ないのだろうか?弱毒化(不活化)されたウィルス=ワクチンが生まれようとしている事に。伝染病であれば、すぐにでも国の筆頭課題として取り組まれていたのだろう。だけど、その伝染病で、年に30万人も亡くなるまい。このワクチンが完成するだけで、世界の仕組みだって変わるのに!
Sep 5, 2005
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父の記憶が蘇りつつある。トイレで用を足す時に、立ってしようとしたらしい。これまでは、トイレに付くと座っていた。座ったからといって、その先が出来ない・・・次はどうするんだっけ?未だ上手く出来た訳ではないらしいが、それが用足しの姿勢であることを思い出したのだろう。身体が自分の生活を思い出し始めている。電話口で話しても、自分の身体の状態を、どんどん理解して行っている様子が窺える。体重が減ってしまったこと、それを取り戻す為に頑張らなければならないこと。物事を組み立てて考えると混乱してくること、それは病気の後遺症であること。時間軸がずれてしまっていること・・・これは常に意識出来てる訳ではないが。話している間に、どんどん声が疲れて行く。疲れて行きながらも、話を止めようとしないのは「訳が分からない」部分を解決して行きつつある証拠の様に感じられる。入院中は、長い会話が出来なかった。自分で理詰めにする事なく、それが悲観的にならずに済ませることになっていた。今、徐々に自分を理解して行きながら、悲観的な気持ちと戦いを始めている。考えようと思うとパニックになる・・・だが、考えない訳には行かない。落ち着いて、時間をかけて回復して行ければ良い。
Sep 3, 2005
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退院した父の状況が入って来た。結論から書くと、これ以上迷惑を掛けたくないので引き取ったという事だった。父の認知症の症状は、まだまだ強く残っている。この後遺症、くも膜下出血の手術によるものでも水頭症のシャント術によるものでもなさそうだ。多分髄膜炎(以前は脳膜炎と言った)によるものなのだろう。時間の感覚がなく、昼でも夜でも歩き回る。退院した日の夜も、突然散歩に出掛け、近所の呼び鈴を鳴らして挨拶をしようとした。ここ10年位の記憶が混乱している。もう8年も前に隠居の身になっているというのに、欠勤の報告をしなければと電話番号を探し回る。トイレの仕方、お風呂の入り方を思い出せていない。トイレに入れば入ったで、2時間も座りっぱなし。挙句には、ここからどうするんだったっけ、と呟く。お風呂に入っても、呼びに行かないと出て来ない。お風呂でやることを思い出せず、湯船に浸かっている感覚を味わっているだけのようだ。だが、確実に以前の父に近付きつつあるようだ。長い時間をかけて、新聞を読もうとしている。時間の流れが無くなってしまった頭で、時系列を失った記憶の上に、社会に起きている事を理解しようとしているようだ。だが、感じた事を、理論立てて組み上げて行く事が出来ていない為、苦しいだけだろう。その場での反応は、健康だった頃と同じ瞬間が増えて来ている。それで少し長い文脈にして話すと、すぐに混乱して怒り出す。この怒りの反応も、入院中は稀薄だったもの。少しずつ、長い時間を掛けて治って行くのだろう。健康だった頃に75キロ有った体重は、47キロにまで落ちている。
Sep 1, 2005
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