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予定が詰まっている日というのはあまり気持ちが落ち着かないものだ。小学生の頃には運動会の前の日に緊張して眠れないような子供だったのだが…あの頃から変わりたい変わりたいと思っていた私自身に唯一残っている名残なのかもしれない。今でも次の日が大学なり仕事なりであるとゆっくり眠れるということはない。私の中でゆっくり眠れる日というのは次の日が完全にオフの日だけであって…今日はその意味ではゆっくり寝られなかった。どうしてもこのことになってしまうと余計な(あくまで後付け)心配をしてしまうのかもしれない。これもある意味では幼少期から残っている癖の一つかもしれない。不安なことや心配なことはその事象に漸近しないと緩和していくことはない。それは何に置いてもそうであって…今回の私もそうだった。前々から約束していたのだがやはりその日が迫ると緊張するものだ。私の場合は目的地と目的を達成する為にかかる時間が多い為に…余慶にその傾向が強くなってしまう。膨大な経由駅の最初の1つに行く為の電車内で緊張していたらきっと目的地に着くまでもたないという懸念があるが…私はいつもそうなのでこの癖は治りそうにない。これは…後半年の我慢と言ったところだろう。それまではこのある意味心地よい緊張感を纏って移動するというのも悪くはない。長い時間かかるからこその邂逅が感動だと言うものだ、変ではないはずだ。前置きが長くなってしまったが、今回も例によって会いに行くこととなった。前回に会いに行った時からそれほど時間も経っていないのだが、それでも私としては毎日でも会いたい気持ちなのだ、一ヶ月我慢しただけでも相当頑張った気になっているのかもしれない。慢心でなければいいが…。今回は経由する駅で友人が待っているということでその方の家に泊めてもらう予定になっていた。しかしそのことに置いても諸手をあげて喜ぶことはできない。これは泊めていただいた友人及びその関係者に多大な迷惑をかけたからだ、その諸原因に関しては具体的な説明をすることはできないが…少なくとも全員が私を歓迎していたかどうかというと…そうではないと言わざるを得ない。これは今後の進退を考えることにも繋がりかねない。少し配慮に欠いた行動だったかもしれないので反省を込めていくとしよう。しかしここまで説明して抽象的にことを終わらせるつもりはないので例え話で説明するとしよう。要するに…状況が不自然なのだ。カナリヤの集団の中に1匹だけ鴉がいるようなものだ。それくらいの説明しかできないので割愛…m(_ _"m)兎に角歓迎されていたか否かは別問題としても…今日はその方の家で過ごした。どうも私といた時間から長い長い時間が経って状況が変わってしまったようだ。時間の流れというものはそれなりに現実的で…時として残酷なものなのだろう。やはり人は日々変化を余儀なくされるということだ。私は…1人だけ何も変わっていないのかもしれない。焦るとまではいかないが…どうにも寂しい思いになる。まぁ悪い方向への変化ではない、むしろ喜ぶべき変化を遂げていたのでそっとしておくこととしよう。私も素直に喜べるというものだ。次の日が仕事なのにも関わらずに色んなところに付き合ってくれたT氏及びその友人方に感謝の意を表しよう。帰りにもお世話になることを考えるとそうそう迷惑もかけられないのだが…私が来ることを歓迎してくれたT氏の為にも…そして私自身がT氏を親友だと思っている以上は寄らないわけにはいかないだろう。そんなこんなで準備期間の夜は更けていきましたとさ(笑)
Aug 31, 2006
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最近はどうも夢ばかり見ていて不安や心配をしながら起きることが多い。1日の睡眠のうちに1度だけ夢を見ることは多くの人が体験しているが…その夢がいい夢なり悪い夢なりで目が覚めた後にもう一度寝て、更に違う夢を見るということはそうそうないような気がする。前日の私がまさにそうであって、なんと1日に3回も夢を見てしまった。しかも全く関係ないような夢を3つ見るわけではなく…1つのキーワードに沿った夢を3つ見てしまった。これは何か暗示的なものがあるのかもしれない、以前にチャットの方からいただいた「夢診断」なるサイトを使って診断してみた。それによると…個人の願望が強まっているらしい。どうにもそんな気はしないのだが…無意識レベルの干渉なので否定することはできないだろう。やはり離れているということが関係しているのかもしれな、それにしても最近は少しそれ系統の夢を見すぎているような気がする。しかし自分の見た夢以外にも少し調べてみたのだが…これがなかなか面白い。少しはまってしまった。夢診断によると…いい夢を見たからといってそれが必ずしもいい意味ではないようだ、いい夢の大半はその夢を見ている人が満たされないことによる願望の意味が強いらしい。逆にいい意味ではない夢の方がまわりまわっていい意味だったりすることも多いようだ。膨大な量をざっと見ていたのだが…どうやら宗教的な意味を込めた夢であればあるほど不味いというか…夢主への警告を示しているものが多いようだ。例を示して解説されていたのだが…私はそんな夢を見たことはなかった。それは私が身体的や精神的にも警告を要することがないことを示している。夢の中で法師が玄関に立っていて念仏を唱えているその状況が一番マズいらしい。まぁそんな意味深な夢は見たことがないし、それに越したこともないということだろう。そういう夢を見た方がいらっしゃれば…何事もないことを祈りたいものだ。晩御飯を作るのが面倒になって近くのコンビニにおかずを買いに行った帰り…道路を蛇行している原付を見つけた。しかも携帯電話を話しながらというマナーの欠片もない運転だったので少しいらいらした。彼の目の前に信号があったのだが…そこでもう一台おじさんが乗った原付とぶつかりそうになってしまったのだが、その時携帯電話で話しながら運転していた彼がなんと 「危ねぇな、おっさん!!!!」と明らかに電話で話している彼に非があるにも関わらず文句を言っているのを見かけた。このような出来事があってから…少しマナーについて考えるようになった。マナーと言えばいつもやりだまにあがるのがタバコなのであるが…私は歩きタバコだけはしないようにしていた。それはやはりタバコを吸わない人にとっては邪魔以外の何者でもないし、そういう人を見ていて気持ちいいものではないということを私自身が一番よくわかっていたからだ。なのでそれは絶対にしないようにしていたのだが…どうにもまだそういうものは一般的には多いようだ。ルールを作るのは人である以上はそれを遵守するのもまた人なのだ。これは文化を持った人間にだけ可能な社会の形成システムの一つであり…ルールを守ることを放棄してしまってはそれ自体の意味が破綻してしまう。ルールを決めた以上はそれを守るのは自明だ。
Aug 30, 2006
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何故か深夜に4回も目が覚めた。今は学生期間で言うところの夏休み、しかも諸事情の重なりで仕事を休みにしている期間ということで寝るのは必然的(あくまで私の中で)に深夜ということになる。昨日もその例外に漏れることなく寝たのは深夜の3時半だった。このような生活ができるのも後半年くらいなのだから…今のうちに満喫しておかないといけないのかもしれない。そんなことを考えながらもいつもの時間に寝ようかと思っていたのだが…最近の寝つきの悪さも嘘のようにすぐに眠れた。しかしそれから一時間おきに目が覚めるようになってしまい、結果的にはあまり寝た気になれずに朝を迎えることとなった。暇というものはありすぎると忙しさを求めてしまう、逆に忙しすぎると暇を求めてしまうもので…どのような状況ならば人間は満足するのかと疑問に思ってしまうこともよくある。今、まさに今の瞬間の私がそうであり…暇すぎて仕事を求めてしまうような状況だった。それなら仕事をすればいいのだが…それが出来ない状況なので文句を言っているのかもしれない。派遣の仕事というのは給料制度等をとってみてもアナログな部分が非常に多い。今時手渡しなことや、振込み制度が充実していないこともあってそう思うのかもしれないが…明らかに時代の先を行くシステムではないことを表している。今回週末から来週の頭にかけてちょっと旅行するのだが…そのシステムの穴をついた(本人的には自覚なし)日程となってしまい、仕事が出来なくなってしまった。派遣の仕事というのは大体が月〆である。しかも給料を貰いに行ける期間というのもある程度決められてくるものだ。私が所属する派遣会社というのも水曜日と土日は取りに行くことが出来ないようになっている。しかも働いた日の次の日にはその日の分の給料を取りにいけないという不具合まである始末だ。そのようなシステムと私の日程が相成って…今週は働けないこととなってしまった。出発は木曜日だ、それを考えるとどう考えても今週働くのは合理的ではないようだ。給料を貰う日がないのだから仕方ない。会社も登録している個人の日程と給料状況に配慮して仕事を斡旋してくれるようで…仕事自体をくれないという状況になっているようだ。長々と説明してしまったが…そのような偶然の産物によって仕事が出来ない週となった。しかし何もしないというのは何かを一生懸命にしているよりも苦痛なもので…やはり家に閉じこもっていることを良しとは出来ずに出かけることにした。出かける先はいつも服を調達している大手量販店、ブランドとは縁の遠い私にしてみればそこがお似合いというものだろう(笑)最近は仕事や試験に一生懸命になっていて服を買う暇もお金もなかったのだが…前に給料を貰いに行った時のお金で少々服を買うことにした。私はファッションセンスというものを持ち合わせていないので必然的に選ぶ服はダサいものになってしまうのだが…それでもあくまで私なりに気に入った服を選ぶことにした。金額にしても大したものではなかったのでいい買い物だったかもしれない。世は秋のファッションに移行しつつある中で夏の服を選ぶというのはそれなりに時代遅れというものなのだが…安いので文句も言えない。そういう時期に集っていくあたりはお金に汚い証拠なのかもしれない。私は他人に言われて一番腹が立つことの一つに「ケチだと思われること」がある。人といる時にはお金に糸目をつけずに楽しむのだが…一人になった時はその分を自分の生活に還元して極貧生活を行うという損な性格の持ち主なのかもしれない、しかし一緒にいる人が楽しんでくれればそれでいいという自虐的な性格なのでいいのかもしれない。そんなわけで買い物をしていたのだが…偶然寄ったCDショップに私の大好きな歌手のCDが売っていたのでびっくりした。いつもHPでチェックしていたのでCDが出る予定は全ておさえていたのだが…そこを出し抜かれた(あくまで主観)結果となった。しかも4ヶ月連続リリースだったらしい、流石にそれを全部買うほどの余裕はなかったのだが…後で必ず買うと誓って別れを告げた。久々に何もしない日だったのだが、それはそれで充実していた日だったような気がする。こんな日もたまにはいいかもしれないと思った休日だった。
Aug 29, 2006
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先週の分の仕事の給料を取りに行く、それだけが今日すべきことだった。一日における仕事量が一日が始まる段階からわかっているということは…しかもそれが時間的に制限されていることでないということはなぁなぁを生んでしまう。私の場合はそれが特に顕著であって…本来ならば15時に出発する予定がすることを粗探ししてしまっていた。それというのも給料を取りに行くのが自転車(それしか交通手段がない故)で30分くらいの距離であることが原因のような気がする。それでも唯一他の手段としてバスがあるが…前の日記にも書いたように給料を取りに行くのにお金を払うということがバカバカしすぎてやる気にもならない。しかし私の仕事柄を考えると…その部分だけお金を節約するというのは矛盾しているような気がしてならない。給料を取りに行くのと仕事に行くのでは移動距離から考えても不可能な面が出てくるということだろう、自分に言い聞かせることが多くなるのは矛盾が多い証拠だ。仕事を変えようかと真剣に考え出す今日この頃だった。今時手払いというのはおかしいような気がする。ATMに落としに行くのも同じ手間だと考えれば同じか…笑そんなわけで洗濯だの洗い物だのしながら時間を過ごして給料を取りに行くことにした。時間にして1時間くらい延ばしたのだが…結局は取りに行かなければならないことには変わりない。なのであまり気は進まないが行くことにした。先週の分の給料がなくなることを考えればいかないわけにはいかないだろう。住んでいるところ…特に特色豊かな都道府県なら余計にそうだが「知った気になっている」ということがよくある。その地域なり地方で行われるお祭りだの行事だのを知っているだけでその県の特色を完全に理解したつもりになってしまうことはよくあることのようだ。実際に私がそうであって…古き良き京都を完全に知った気になっていた。それはいいお店を知っているという意味で…だ。らしさを出したお店・らしさを出した食べ物屋…それを完全に熟知した気でいた。しかし今日給料を取りに行った帰りにいつもは通らない道を通ってそれが間違いであることに気づいた。繁華街のど真ん中、パチンコ屋やカラオケ屋が乱立する中にそのお店はあった。見かけは貧相(と言ってはそのお店に失礼だが、そう表現するしかない)なのだが、少し気になって中を見てみてびっくりした。京都らしい長屋のお店で中は思ったよりも広く…和紙やちりめんを使ったお土産を売っているお店だった。置いてあるものが素敵なものばかりで欲しくなってしまったのだが…和紙製というものは総じて専門技術が必要になってくる故に価格もその手間に比例して高くなってしまう。陶磁器のような置物でも云万円するので驚きだ。しかし私の趣味としてインテリアを見て回ることがあるので…しばらくそのお店から動けなかった。軽く1時間ほどは見ていたかもしれない、はっきり言ってお店の方からしてみれば迷惑極まりない客だっただろう。しかしやはり素敵なものを見ている時間というのはいいものだ、気に入ったものを軽くお土産にして帰ることにした。どうやら私は自分の気に入ったものに関しては惜しみなく時間を割いてしまうようだ、悪い癖かもしれない…汗
Aug 28, 2006
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今日は朝からすっきり目覚めた。それというのも昨日から兄さんが来ていたからだ。仕事の合間をぬって遊びに来てくれるあたりは非常にありがたいことだと言える。色々と積もる話や相談したいこともあったのだが、前回実家に帰った時に話せなかったこともあって今回話をすることにした。状況としても経験の深さとしても社会を知っているレベルとしても、何をとっても私よりも数段大人な兄さんには日頃から世話になることが多い。だからこそ余計に言えないこともあるのだが…。しかしそれを抜きにしても私のことを一番理解してくれるのも兄さんであるし、一番私が話をしている家族も兄さんだった。完璧すぎて少し近寄りがたいところは否めないが…汗そんなわけで一泊二日の兄さんの訪問も終わりを告げた。思ってみれば誰かと面と向かって話したのは久しぶりだったような気がする。どうしても友人頼みになると…遠慮してしまって私用で呼び出すのは気が引けてしまう私の性格が影響するところが大きい感も否めない。就職活動が円滑に行われておりもう内定が決まっている友人を呼び出すのもいいのだが…生憎と就職を祝ってどこかに旅行に行っていたり、伴侶との時間を大切にしている為に…私に割いてくれる時間が一時間とないような状況が多い。そのような理由なのかどうかはわからないが…近くに住んでいる友人とはここ数ヶ月会っていない。まぁ彼もそれなりに彼女さんとよろしくやっているようであるし…彼にとっては私よりも彼女さんと遊ぶ方が重要なのであろう、その気持ちはわかるので責めないでおくとしよう。しかし数ヶ月のうちに何時間かも割けないというのは…やはり私に対してそれほどの価値がないことを意味しているのだろう、まぁ…仕方ない。最近は夜が涼しい。そのおかげで冷房の使用量が減って嬉しい限りだ。この調子で昼間まで涼しくなってくれればいいのだが…それを期待するにはまだ時期尚早というものだろう。この暑さはどうやら9月の終わりくらいまでは続くものらしい。それを考えればある意味では夜が涼しいだけでもよしとしないといけないのかもしれない。そんなわけで最近の楽しみの一つとして散歩がある。曇りがちな日が多いのであまり実行はできてはいないが…汗最近は少し仕事を真面目にこなしていたので…それなりに出かける機会も多かった。本来ならば登録している駅周辺で仕事を斡旋してもらえるはずなのだが…どうも私のポジションの関係上それは難しいようだ。私のポジションというのは…人気のなかった仕事の埋め合わせ(厳密には人数に達しなかった仕事の埋め合わせ)なので、言ってしまえば尻拭いのようなものだ。それは不必要なポジションに見えるのだが…実は営業・アポインター部門を助けるという意図を担っている。私だって意図してそのような位置に落ち着いたわけではないのだが…これは実績と信頼の成せるものらしい。私は在籍して半年にも満たないのだが…どうしてそのようなポジションになったのかは未だにわからない。まぁ信頼があることに関しては異論はない、今のままでもいいとしよう。それでよく遠方に行かなければいけなくなるのだが…それによって移動手段は地下鉄ということになる。行きは仕事の内容に関してわからないので緊張しながら行く、それ故に余裕はないのだが…帰りしなに偶然に一番後ろの車両に乗っていた。位置的には自分の位置から前の車両まで見通せる位置なのだ。それで帰りの地下鉄の路線上を眺めていたのだが…新しい発見をしたことがあった。本来地下鉄というものは地下に作っているので地下鉄という。それは当たり前なのだが、地下だから地上に比べてゆったりとした路線展開をしていると思っていた。地上よりも地下の方が雑多なものが少なくて便利だろうからということだと思っていた。しかし現状はまっすぐばかりに作っているわけではなく…カーブが何度も形成されていた。しかしそれは慣性の法則によって体感出来る為に知っていた。今回発見したのは…横だけではなく縦にも動いているのだということに気づいたことだ。ものの関係上横に線路を配置する必要があることはわかってはいたのだが、上下方向に線路が配置されていたのがすごく意外だった。では何故そのようなことをする意味があったのだろうか?地下鉄の基礎構造を完全に熟知しているわけではないが…地下鉄が地脈に沿って形成されているわけではないことくらいはわかる。なので余計に上下方向の意味がわからない。どなたかご存知の方はいらっしゃらないだろうか?
Aug 27, 2006
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俺がいて僕がいて私がいる俺は冷淡で物事を一歩引いたところから見ている僕は甘えんぼで淋しがり屋でちょっと泣き虫私はそれらの全ての事象を客観的に見ているいつもこの3人とやってきた、どんなことでもこの3人のどれかが顔を出しているしかし若さ故にそれを出したい人格で出すことはできない俺を知っている人はほとんどいないだろう僕を知っている人もあまりいない、それは一番押えつけられている人物だからだいつもは私だ。何事においても深入りしすぎないように規制しているしかしそれがいいことだとは言わない何故なら私は物事に深入りしない故に自分が傷つかないようにしているから客観的に見すぎている為に感情が死んでいるからそんな3人に嫌気が差しているまま生きてきた。どの人物も相容れないところがあるだから3人もいるのかもしれないでも…本当の…昔の私から変わっていない本質としては僕なのだ。いつだって誰かに甘えたい誰かに支えて欲しい淋しくて仕方ないそれは勿論僕を頼ってくれることも嬉しい僕の存在が…ある意味では僕がいていい存在になるからだ必要とされるということ、それが僕の夢だ持ちつ持たれつというのもいい俺はそんな僕からの逃避だ甘えられることにはいいのだが甘えることができないそんな性格が俺だ真面目な僕からの逃避なのかもしれない孤独で冷淡、それが俺だ一人でいることには慣れているしそれを淋しいと思うこともない今までずっとそうだった俺が好きな人に出逢い内面がすこしづつ暴露されていくとつまり僕が出てくると決まってその人は引いていっただから俺には恋愛は向いてないと思ったのかもしれないしかし心のどこかでは僕を許容してくれる人を探していたのかもしれない今はその人に出逢えた僕も俺も受け入れてくれる人にこの人だけは離したくない僕の今までの人生で最高の出逢いだとはっきり言えるしかしこれを書いているのは誰だろうか?ある意味では俺であり僕であり…そして私でもある
Aug 26, 2006
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今日は昨日の電話での粘りが功を奏して仕事を得ることができた。しかも運送関係ではない、所謂イベント関係の仕事だった。最近の仕事はどうも少人数で動くことが多い種類だったのであまりない仕事にありつけるというなかなか珍しいパターンだったと言える。それはそれで大いに歓迎できるのだが…よく考えてみると登録当初は当たり前のような状況だったのだ。喜ぶ段階が少しだけずれてきたような気がしないでもないのだが…まぁそれでもいい仕事にありつけたのはいいことなので素直に喜ぶこととした。どうも会社側の術中にはまっているような気もするが…。そんなわけで今日の仕事は某R大学内の新しい教室の工事に伴う机および椅子の搬入の仕事だった。現場が大学であることもあって勿論集合は大学内になった。同じ京都にある大学なのだがR大学に関しては行く機会がなかった。それもそのはずで…そのR大学は山の手にあるのだ。そもそも昨今の大学というものは一つのキャンパスに全ての学部を揃えるというような非建設的な真似はしない。そうなると大学の周りの機関が潤わないことや、それによる隙間産業の発展が見込めないからだ。そのような例外に漏れず(私の在籍している大学は漏れているのだが)R大学ももうひとつの校舎が別の県にある。しかしそこもやはり山の手で…京都の大学のクオリティはそこに尽きるのではないかということを疑ってしまう。そうではない大学ばかりなのだが…田舎に建っているということは同じくくりができるかもしれない。8月の終わりとは思えない猛暑…そろそろ涼しくなってきてもいいような気がするが今日のような突き刺すような日差しを感じれば夏の終わりはまだまだ先になってしまうだろう。そんなことを考えながら集合地点に集まった。私の長い経験から鑑みると…今日の仕事はそれほど苦しいものではないという見解だった。会社側の方針としては…最近の仕事は新人育成を念頭に置いているらしい。能率的なベテランさんを配置して作業の効率性を図ろうというのが仕事の基本にあるはずだが、やはり新人育成をないがしろにしてしまう会社には将来性がない。会社の規模の拡大が最優先にしている以上は多少の能率性の低下は未来への設備投資だとして諦めることも必要なのだろう。そのような背景が丸見えの会社側の意図で12人のうち半分近くが新人という人員配備となっていた。本来ならそこに不安を感じるはずなのだが…今日の仕事は私よりもベテランさんの意見で楽だということが判明していることからそれはなくなった。話の話題は仕事の内容に関することからどれだけ仕事を早く終わらせるかということに終始していた。サボってしまって定時に終わるのもそれはそれでアリだが…私としてはやはり仕事ということで手を抜くことなど考えられない。真剣に取り組んだ結果早く終わればそれに越したことはないだろう。拘束時間がない会社には往々にしてそのような暗黙があるものだ。そこに関して疑問を持つことはないだろう。先方さんとの約束までには時間があるので少し大学内を見て回ることにした。流石に京都でも有数の大学だけあって施設をはじめ広さも素晴らしいものであった。まさに「キャンパスライフ」というものを絵に描いたようなところだった。こんなところで大学生活が送れたら幸せだろうなと感じながらもやはり自分の行っている大学と比べてしまっていたのは悪い癖だったかもしれない。仕事はスムーズに進み…定時の3時間前に終わることができた。他にすることを探そうかと思ったが…終わった途端に先方さんが帰ってしまったのでそれも出来なかった。内容はイベント関係としては普通、忙しさとしてはあまりだった。それでも久しぶりのイベント関係の仕事としては…充分過ぎる内容だったような気がした。
Aug 25, 2006
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今日の仕事は予約していたにも関わらず仕事が消えるという災難に見舞われた日だった。前日の仕事で重いものを運びすぎて骨盤の突出した骨を痛めて歩くことさえ困難になってしまったので次の日、つまり今日の仕事に差し支えてしまうのではないかという懸念があったのでそれに関して言えば良かったのだが…それにしても肩透かしを喰らったような結果になってしまった。まぁ今日一日くらいはゆっくりして明日の仕事に備えようと思った。折角今週一週間は仕事漬けで頑張ろうと決意したところなのだが…肉体労働をベースにしていることを考えると万全の状態で仕事ができないのは私にとっても不本意だし、取引先にとってもそれは迷惑以外の何者でもない。なので今日はゆっくり静養することとした。ここまで頑張ったのだから明日はちゃんと仕事をして綺麗に締めたいものだ。そんなわけでしばらく惰眠を貪っていたのだが…ふと気になってブログの更新を始めることにした。こういう機会でもないと週末までアップできない可能性も出てくるのでそういうことに時間を割くのも悪くはないと感じたからだ。静養するということは体を休めることだ、なので今日は家でゆっくりしていたのだが…特に何かしたわけでもなかった。なので久しぶりに考えを吐いてみようと思う。今日のテーマはもしかしたらわからない方がいらっしゃるかもしれないので一応その都度説明をしようと思うが…知っている方がそれなりにいらっしゃると思うのでそこに期待したいものだ。ある意味ではこれは運送関係・肉体労働関係だからこそ感じることなのかもしれないので。そんなわけで今回のテーマは…ずばりフォークリフトについてだ。フォークリフトとは重い荷物を効率的に運ぶ為に運送関係の仕事場には必ずと言っていいほどあるものだ。フォークリフトは車の一部に認識されており、その運転には当然ながら免許が必要になってくる。私もぱっとしか見ていないのではっきりは言えないのだが、ハンドルやギア、ブレーキに至るまで普通の乗用車とは異なって見える。だからこそ普通免許では乗れないのだろうということは理解できる。しかしそれ以上に乗用車と最も異なっている点は…駆動するのが後輪だということだ。今普及している乗用車の駆動は言わずもがなだが前輪である。しかし後輪駆動の車は一般的に普及していない、一般的に乗用車と呼ばれるものは全てが全て前輪駆動になっている。狭い棚やコーナーを華麗に行き来し、高い棚から荷物を下ろす…その行動が可能なのは車の大きさもさることながら後輪駆動という面が重要なウェートを占めているだろう。このようなことから考えて…小回りの効くことや機動性を考えても後輪駆動は便利なことがわかっている。では何故…一般乗用車に後輪駆動が採用されないのであろうか?そこが今回のテーマだ。車というものはその基礎が確立してからというもの…当たり前のように前輪駆動だった。しかし車を一般的に使用するという意図を考えないで車の構造を考えたのだとしたら…駆動を前輪にしたことの逆も考えるはずである。しかしそれは一般化されずに…作業用のものに成り下がってしまっている(と言えば語弊があるが…)この答えはT運輸の社員さんが教えてくださった。単刀直入に言えば…日本の道路に適応しきれないからであろう。日本の道路というものは地形や領土から考えても、ほとんどがまっすぐにできていないものが多い。後輪駆動というのは急ハンドルを切るとその機動性や小回りが効くことを考えるとスピンしてしまうだろう。それ以外にも理由はあるかもしれないが…私に思いつく理由はそれしかない。スピードが出ないこと、それによる渋滞の発生などを鑑みても…それは検討しただけで破棄されたのかもしれない。どちらにしても一般的に使用できるものではないことが現状からも推察できる。フォークリフトというものは非常に面白いものだ、私も機会と時間とお金があれば免許をとって乗り回したものだ(笑)
Aug 24, 2006
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今日も同じ現場での仕事となった。お昼からの仕事ということは朝ゆっくりできるのだが、その分終わるのも遅い時間になることを意味している。もう日付が変わるか変わらないかの時間にやっと家に帰ってくることになる。この現場に毎日毎日通うことは私を成長させるということもあるのだが…やはりそれはその会社から近くに住んでいる場合に限る。それが私を苦しめているという感も否めない。そんなわけで色々な職種に挑戦したいという気持ちが強くなった出来事だった。しかし今日も仕事は仕事だ。そこははっきりさせないといけない。今日の仕事は比較的楽な部類に入った。班長さんの話では…運送関係で一番楽な日に偶然私が入ったようだった。荷物の数は前日に比べて少なく、余裕で仕事をすることができた。それはどこのレーンでも同じだったらしく、作業場全体の雰囲気が和やかになっていた。そのおかげで前半戦の仕事はすぐに終わって社員さんの方々から色々ありがたい話が聞けた。その中でも班長さんのお話が面白く…それは事業展開から結婚の話まで多岐にわたった。班長さん曰く結婚というものは同棲を経てするのが一番効率的らしい。それは色々な理由があるのだが…一番に理由としては、男性は女性を美化しすぎているということだった。何においても女性よりも男性の方がわかりやすい性格らしく、男性と女性の「見られ方」の違いというものが関係しているらしい。つまり女性から見た男性というのは往々にして見られる側の男性が自分自身で感じている「実像」に漸近しているものであることが多いということだ。それは男性の方が女性よりも素を出しやすいとかそのような理由ではないらしい。やはりどこまでいっても男性の方が女性に比べて単純でわかりやすいということだろう。そこに関しては私自身が一番感じているので納得できた。そこで班長さんが放った一言が私の中で一番強烈に残っている。それは 「見られている」ということを意識していない女性は怖いぞぉ~…(☆Д☆)キラリーンというものだった。見られるということはそれを意識するということになる。好き同士で同棲したりしていると…最初こそ初々しいものであるが、慣れてくるとお互いにとって素が出てくるということになるらしい。女性側から見ると男性が素を出すことは同棲をする前からある程度はわかってくるものであるが(個人によってそのレベルは変わってくるが)統計として男性に比べて女性のp方が計算高いということから鑑みても…女性が同棲に踏み切るまでに素を出す可能性は男性に比べて低いと言わざるをえない。それに加えて女性に対して美化しすぎているということも影響して…同棲しないで結婚してしまった場合…男性の方が幻滅してしまうということを言いたかったようだった。班長さんはもっと論理的な手法で語っていたが、私にはこれくらいに要約するのが精一杯だ。それでも妙に信憑性のある意見だったので私は激しく納得してしまった。就職に関しても班長さんは私の意見を理解してくれた。普通は大学を出たのにそのまま就職しないことを諌めるようなことを言うのだと思ったのだが、班長さんは理解してくれた。それには私の他に派遣社員として来ていた(今日の仕事は私とその二人の契約になっていた)方の意見が強かったような気がした。その方の経歴を少しだけ…。年齢は38歳、その歳でこんなことをしているのだからフリーターなのかと思いきや…実は会社を二つも経営している手腕の持ち主だった。だったら何故このようなアルバイトじみたことをしているのかと聞いてみたところ…返ってきた答えは実にカッコいいものだった。それは… 「あぁ、体を動かしてお金を稼ぐということを忘れない為だよ(爽やかな笑顔で)」だった。そういうことはやはりある程度は社会構造というものを理解しているからこそできることだと感心してしまった。私がその方を尊敬するに至ったのはそのようなこともあるが…その方がし今の地位を築くに至った経緯が同感できるものだったからだった。なんと今のような成功者の地位を築いたのは26歳で初めて職についたにも関わらず…ということだった。しかも初めて入った会社がかなり大きな会社で…無知な私でも知っているような会社だった。私はこの道を選んだ段階で商社への就職は本当に難しいと考えていた。しかしその方は笑ってこう答えてくれた。 「大学のバリューだけが全てじゃないよ、大切なのは…就職するまでに何をしたかだから♪」私はこの言葉でかなり救われた。一生懸命にやっていれば報われることもあるのだと思った。何も後ろ盾がなく見聞を広げること…それは一般的に非難の対象とされてしまう。しかし…それさえも自分の可能性を広げることだと肩をたたいてくれたその方を私は忘れないだろう。私のターニングポイントとなった方だと胸を張って言える方だった。その後の仕事も吹っ切れたように頑張れた。今日の出来事は…私にとって宝だった。
Aug 23, 2006
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先日の仕事が朝早かったこと、そして今日の仕事がお昼からだったこともあってゆっくり寝ることができた。前日の仕事に関しては暑かったことを除いては業務内容は慣れてしまっているので特に疲れはしなかったが…やはり汗を異常にかいたことが大きく関係してきていたようだった。それによって体力が削られていたような懸念がないわけではない。今日の仕事ももう6回目ということで業務内容や人間関係は非常に良好で…遠いこと・交通費を自分で持たないといけないところ以外は非常に好感が持てる職場だった。運送関係であることには変わりないのだが…前日の仕事場に比べて規模も違うし、何よりも働いている方がフレンドリーなことが良かった。仕事というのは業務内容も重要だが、それと同じくらい人間関係も重要な要因である。そのどちらにも満足しているのだからこの職場はいいところだという認識をしている。ただいかんせん…遠い…_| ̄|○仕事自体を離れていてここの職場に帰ってくるのも久しぶりだった。派遣というのは人の流れも激しいこともあって…連続してコンスタントに入っていないと忘れられてしまう恐れがある職種だと言える。それが業務内容と人間関係が良好なら尚更のことで…私は初めてこの現場に来たのが1ヶ月以上は前だったことで課長さん(その職場で一番えらい人)や班長さん(2番目にえらい人)と良好な人間関係を形成していたにも関わらず忘れ去られてしまっているのではないかという不安が少しだけあった。しかし久しぶりに行ってみると班長さんには「おぅ!また来たんか。ここ最近来なくなったからやめたんかと思ったぞ(笑)」と実にフランクに話しかけていただいたのでかなり嬉しかった。特別な業務内容をしていたわけでも特に明るく接していたわけでもないのに…そこまで覚えてくださっていることに素直に感動した。これも仕事の喜びのひとつなのかもしれないと思った出来事だった。そんなわけで今日の仕事は始まったのだが、今日は生憎と荷物が非常に多い日であったらしく、休むまもなく荷物を仕分けしていた。私がその仕事場に行くともう一つのレーンを任されるのだが、もう今日は嫌がらせのように荷物が流れてきた。久しぶりのこの場所での仕事で感覚を忘れていたのだが、そのおかげですぐに仕事内容を思い出すことが出来た。そのおかげで滞りなく仕事に没頭することができた。仕事が軌道に乗り始めた頃…少しだけ事故が起こった。私に任される仕事は4tトラック何台分もの荷物を地方ごとに振り分けて台車に積んで出荷するというものなのだが…一つの台車にたくさんの荷物を乗せ過ぎて不安定になっていたことはその台車を出荷スペースに運ぶまでに気づいていた。しかし社員さんにしてみればその程度の積み込みすぎは当たり前のことのようで…無理やりに引っ張って決められた場所に持って行こうとしていた。荷物がぐらぐらしているので私は少し不安になってその荷物を出荷スペースに無事に持っていけるまでサポートしていた。しかしそれがが逆にダメだったようで…結果的に荷物は崩れてしまった。しかもその中の3つくらいが私の足の上に…。幸いにして荷物の総重量は10キロ程度だったので大事には至らなかったのだが、それでも仕事をしている間は痛みが引かなかった。それでもこれは仕事だ、なので足が痛いからといって手を抜くわけにはいかない。なので痛みに耐えながらも仕事だけはしっかり真っ当した。今日の仕事はそんな感じで終了した。帰る頃には痛みもすっかり楽になっていた。どうやら私の足はそれなりに頑丈にできていたようだった。それはそれとして…最近は仕事日記になっているような懸念がある。今はそういう時期なので仕方ないかもしれないが…私の好きな考え事を書くことができないことは非常に残念だ。またそのうち開始すると思うので…気長にいこうと思った(笑)
Aug 22, 2006
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今日は仕事をまた開始する日だった。ここ最近なんだかんだと重なって落ち着いてブログを更新することができなかったこともあって…そして実家に帰ることと山梨に行くこと以外ではブログの毎日更新を休まないという約半年前に掲げた目標も色んな意味で崩れ去ってしまった。これは言い訳ではない、しかし…私のブログはメンタル的に落ち着いていないと書けない(ような大層な内容ではないのだが)ので、ここ最近の忙しさも相成って連続更新ということとなってしまった。恥ずかしい限りだが仕方ない、疲れて帰ってきているのだから。勿論その意味では私は特別なことをしているわけではない、ただ仕事に行って帰って来ているだけだ。しかしここで少なからず言い訳をさせていただくとしたら…ホワイトカラーの仕事ではない分疲れる量も多くなるということで…そのせいで更新できなかったというわけだ。言い訳のようなことを冒頭につらつらと羅列してしまうあたりは未練がましい証拠なのだろう、勿論反省点だ。仕事を始めるにあたって何もなく急に頑張ろうと思ったわけではない。これは大見栄をきって言うことではないのだが…一言で言えば一念発起だ。それくらいでしか表現できないのだからこれで理解していただきたいものだ。今後の進退について真剣に考えた結果がこれだということも言える。というわけでお金の為という下賎な目標も横目にみつつ…今週は働く週と位置づけた。社会人の方には当然だが、私にしたら怒涛の一週間の幕開けである。そんなわけで怒涛の一週間の始まりを飾る大切な仕事であった今日なのだが…その場所というのが… T運輸しかなかったわけで…_| ̄|○散々T運輸の酷評(過去の日記に累々参照…)をしてきた私だが…まさか大事な一発目の仕事がここだとは思わなかった。人を疑うことを知った私にしてみれば…これは斡旋側からの2週間近く諸事情で仕事を休んでいた私への制裁だと思えて仕方ない。最初からT運輸をぶつけてくるなんて…ある意味では最初の町にラスボスがいるくらい理不尽だ。何故理不尽なのかは過去に何度も書いてきたのだが…T運輸から帰ってきた私が持ちうる結論はそれを更に凌駕していた。今まで私が行ったT運輸などT運輸の真骨頂の半分も見ていなかったのかもしれないと本気で思えるほどだった。ちなみに過去に行ったT運輸と会社自体が違ったからといった下等な理由でないことは予め付記しておくとする。今日起きたのは7時、健康的な目覚めというのは総じて気持ちよさを引き起こすものなのだが…こんな時間に起きることが2ヶ月ぶりくらいならそれもないだろう。現に今日の寝起きの私がそうで、気持ち良さなど微塵もなかった。目はしばしばするし太陽は強烈な光をプレゼントしてくれるというありがた迷惑な目覚めと相成った。しかし仕事だ、いつまでもうじうじ言ってはいられない。そうそうに準備してT運輸へと向かった。着いてみて思うのがいつも「ここは無意味にでかいな」ということだ。それほど有名な会社ではない(あくまで私の独断)はずなのだが…もしかしたら経営規模をしてもかなりのものなのかもしれない、得体の知れないものを扱っている割には…笑扉を開ければ得体の知れない匂いがする…それがわかっていて敢えて開ける勇者がどこにいるだろう?臭い匂いほど癖になって嗅いでしまうということは時折聞く現象だが…それを「仕事」ということで強制されるのはある意味では拷問だととれなくもない。そんな心の葛藤をしながらいつものようにドアを開けたのだが…最初に感じたのは 臭いというよりも… 暑い!!!!だった。もう匂いが感じられなくなるくらい暑かった。そんな中で粛々と仕事は始まった。その日の京都の気温は午前10時段階で約32℃、それは涼しい方ではない。勿論一般的には暑い部類に入る。しかしその外温が涼しく思えてしまうほどに…倉庫内は暑かった。その時私は無性に室温を知りたくなって仕事をしながらも温度計の方へ向かった。そこに示されていた温度は…湿度40%という文字だった。湿度40%というのは案外過ごしやすいなぁと楽観的に思っていたのだが、よく見ると湿度と温度が同じ値をはじき出していた。その時一瞬意味がわからなかったのだが、その時示されていた温度は… 42℃だった。42℃なんて経験したことのない私はそれを見ただけで倒れてしまいそうだった。確かに倉庫内は暑いし立っているだけで眩暈がするほどだった。しかしその温度を頭が認識した瞬間に余計に暑さに拍車がかかったような気がした。こんな温度でピッキングするなんて常人のすることではない、しかし社員さんは当たり前のように涼しい顔で作業にかかっている。匂いの件もそうだが…つくづくここの社員さんはすさまじいのだということを再認識した出来事だった。しかし…たかだか倉庫で何故そこまで室温が上がるのだろうか、少し考えてみた。その倉庫はトタンの打ち放しのような状態だ。扱っているものが食品添加物であるが故に…温度の変化には敏感になる。つまり商品管理の観点から通気性などは考えなくていいのだ。その結果窓はあるがガラスの嵌め殺しになっており、風が入ってくることもない。ガラスの嵌め殺しということは…そこから日光が入ってはくるが倉庫内に溜まった温度が逃げることもないことを意味している。つまり…温度は上がる一方なのだ。そんなことをぼんやり考えても涼しくはならないのだが…考えざるをえなかった。なんとか他のことで気を紛らそうというのは私にしては上出来だっただろう。お昼をまわり…一日で一番暑くなる時間に…その倉庫は最高室温46℃を記録した…
Aug 21, 2006
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今日は最後の休憩の日ということで…することもしてしまった後は珈琲でも飲んでまったりしていた。明日からは少し本気を出して仕事にかからないといけない、先日のブログにも書いたように仕事は一週間のウィークディ分入れたのだが、どうもその仕事が運送関係に偏ってしまったような懸念がある。なんだかんだ文句を言いながらも…運送関係の仕事に興味があるのかもしれない。将来的に運送関係の仕事場に就くことも考えないわけではないが…そうなると大学に行った意味がなくなってしまう。私としては大学に入る時に「就職に有利だから」という理由で大学を選んだつもりも就職にプラスにする為に大学に入ったわけでもない、なのでそこのところの心配はしていないのだがどうしても家族や周りの風当たりというのは強いもので…何故そこを選んだのかどうかということをしつこく聞かれてしまう懸念がないこともない。しかしやりたいことと大学で学んだことが合致しないようなケースが多くあることを考えればそれも仕方ないことだと考えることもおかしいことではないだろう。経済学を学んだからと言って必ずしもそこに繋がる職につけるかどうかを考えればわかりやすい。それが理系の学部になればその流れも顕著になっていくだろう。研究関係の職というのは往々にして門が狭いのだ。そういう意味では私のいる経済学部は色々な面で役立つことが学べるのだが…私の専攻しているものが「公共経済学」である故にその可能性も潰えかけているような懸念もある。日頃の小さなことから政治関係までグローバルに展開しているので小さくおさえて学ぶということができないのだ、目も当てられないとはまさにこのことなのだろう。運送関係というのは力仕事だ、そういうイメージがないかもしれないがそれはトラックに荷物を積んで配送している部門がそうであるだけで…倉庫内で一生懸命に働いている人は確実にその分野にわけられることになる。私は今まで40個以上アルバイトをしてきたが、コンビニのレジと倉庫内作業だけはしたことがなかった。そういう意味でも刺激になったし、仕事に学歴が関係してこないことや小難しい人間関係がないところが結構好きだったりする。今は少しでも色々な職を経験するということで派遣に身を置いているのだが、それも私にとってはいい方向に動きつつある。運送関係を贔屓目で見ていたようなところを完全には否定できなかった私がいることがその証拠だろう、色々な職とは言っても結局は固定化してくる、その中で私が選んだのが運送関係だ。ここに従事することでもう少したくさんその業界について知りたくなってきた。これも…いい傾向だろう。今年の夏はちょっと異常だ。それは暑さであったりもするのだが…都市部での異常な気温の上昇や地球全体での温暖化の流れから考えればそうおかしいことでもない。今年がおかしいと言ったのは梅雨明けの遅さだ。それによって所謂「夏の暑さ」が普段の時期からかなりずれこむことになってしまった。これで冬の到来がそれに伴って遅れてくればある意味では帳尻が合う(マクロで見れば帳尻は合っていないのだが…)のだが、きっと冬は例年通りになるだろう。そうなると気温の変化が急激になってしまうことになり季節のバランスがおかしくなってしまうことになる。気温・降雨量・降雪量…そのバランスが崩れることは地滑りや洪水などの天変地異を引き起こすことになる。それは地上で暮らす私たちにとっては嬉しい出来事ではない。最近はどうも日本独特の季節のバランスが崩れてしまっている懸念がある、そこにおいて今年の夏のズレ…何もなければそれでいいのだが…。
Aug 20, 2006
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今日は仕事の予約と選別で時間を割いた日だった。最近はずっと家にいてだらけてしまっているような懸念があった。実際にそうであるし、このままでは夏バテになってしまいそうなので、今週を機に少しだけ意識改革してみようと思った次第だ。その手始めとして環境から変えていこうと思い…部屋の模様替えをした。最近はその意欲すら沸いてこないような心境だった、それというのも心の面での落ち着きというよりも部屋が模様替えを頻繁にできるほどの広さがないという問題がある。ちょこちょこ変えることはよくするのだが、部屋の雰囲気が変わるほどの変化を与えることは大変難しい。それにもかかわらず今回は無理やり模様替えを敢行してみた。結果的にどこが変わったのか一目ではわからないようなものなのだが、それに相成って掃除も行ったので綺麗にはなった。普通の掃除よりも疲れた結果が普通の掃除と同じような結果を招くというのは案外落ち込んでしまうものだ。もしかしたら私には整理整頓の才能がないのかもしれない、由々しいことだ。どうにか部屋の模様替えが終わった後で仕事の予約と選別を行った。仕事の予約を事前に行えるというシステムがあったらしくそれを仕事の後輩から教えられるという屈辱的な仕打ちを受けたのだがもう半年くらいになるのに機能の全てを引き出せなかった私は単純に機械音痴なのかもしれない。その機能と今いる会社での実績を鑑みて仕事を組んだ。そのおかげで今週のウィークディは見事仕事で埋めることができた。今週は忙しい、頑張って稼ぐとしよう。死というのは言わずもがな誰しもに訪れる運命であり…現代科学では逃れられない宿命だ。ここで注意しておきたいのだが「現代科学」と言ったのは将来的に死の運命から逃れることが不可能だとは言い切れないからだ。人間が独自に文化を形成してからというもの…医療技術と公衆衛生技術の向上によって平均寿命は改善されつつあるからだ。江戸時代の平均寿命は40歳だということをどこかで聞いたことがある、現代は軽く2倍はいっているので…単純計算して200年くらいで平均寿命を2倍にしたことになる。そうなると今後医療技術が滞りなく進み、現代の産業システム・環境システムにおける新種のウイルスが出ないと過程すると不死というのもあながち不可能だとは言い難いことだと思われるからだ。尤も今回のテーマとは別だが…。私の幼い頃は死についてよく考える子供だった、小学校からその傾向は始まっていた。両親の友人でよくしてもらった方の死に多く立ち会うことが多くあったのがその原因だと思われる。死というものを考えていくと…いつも辿りつく結果が 「自分もいつか死ぬ、いなくなる…。それは絶対に変えられない」というものだった。いつもそこまで考えて怖くなって泣いてしまっていた。いなくなるとわかっているのにどうして一生懸命になっているのかと疑問に感じてしまったこともあった。それでも成長するごとに考えがまとまってきて…死についてもそこまで怖いと感じることはなくなった。今の考えと幼少期の考えは当然違うのだが…少しはまともな考察ができるようになっただろう。死というものを説明する上で話が抽象的になってしまうのは仕方ないだろう、死自体を具体的に説明できる現存している人はいないのだから想像の域を出ないのだから…。その上で誰もが感じる死の印象を考えるとするなら…それは「怖い」ということだろう。死ぬことが怖いと考えるのはどうしてだろう?それは「自分がいなくなるから」という理由ではないだろう。私が一番感じるのは「死ぬということ自体」よりも「死ぬ過程」が怖いからだろう。人間はそれなりに丈夫にできている、それはどの動物をとっても同じだ。その丈夫な体を死に至らしめるには…外部的なダメージか内部的なダメージかしかないだろう。外部のダメージは言わずもがなだが往々にして血が出てしまうような状況を指す。皮膚や臓器に致命的なダメージを与えられるということを意味しており…それには必ずと言っていいくらい「痛み」が伴う。普通の擦り傷や切り傷でも痛覚があるのなら痛い、しかし死に至らしめられるような痛みはそのようなものとは比にならないだろう。それがどんなものなのかは…やはり死に至ってみないとわからないものだ。「どれだけ痛いのだろう」とか「苦しいんだろうなぁ」と考えてしまう…そこが死につながると恐怖が生まれるのだろう。内部的なダメージとしては…意識を保つ為の器官が機能不全になってしまう状態を指している。それは苦しくはないだろうが…機能不全になってしまう部分が脳ならば「死」という概念が非常に曖昧になってしまう。それもそうなってしまう原因に怖さを感じることだろう、そのような重度な症状を生んでしまうのは大きな事故でも遭わないとならないだろうから。死というのは仕方ないことだ。その後自我がどうなってしまうのかは…実際に死んでみないとわからない。様々な技術の進歩によって世の中の事象のほとんどは解明されている現代ですら…そのアウトラインすら把握できないのが死であろう。これを解明した時…常に進化することを余儀なくされた人間の最終段階に到達すると考えてもあながち間違ってはいないだろう。尤も…研究というスタンスの基本が変わらない限り…そして一度死んで自分の意識で戻ってきた人でも現われない限りは理論的に解明することは不可能だろうが…。もしもその解明ができたとしても…いつか死ぬことを運命付けられてきたからこそ生きることに意味があると考えてきた人間の根本思想が変わらないという保証はないが。
Aug 19, 2006
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最近はどうも家のことしかしていないような気がする。それもこれもサボっていたからなので仕方ないと言われてしまえば仕方ないことなのだが…そこばかりをしているというのはある意味では主婦と同じだと思われる。部屋というのはその乱れが心の乱れだという話を以前に聞いたことがある。それは実家暮らしではなく…一人でその部屋を使う…つまり一人暮らしのワンルームだと余計に如実だと思われる。その部屋が生活スペースの全てであるという状況がそれを表している。そこを綺麗にしていないまま生活することは風水的に見なくてもいいことではないということはわかるだろう。私の部屋はそこまで汚いという意識はないが…やはり各部位的に見れば汚いと言わざるをえないだろう。仕事初めまでにはまだ少しだけ期間がある、それまでに生活スペースに気を配るのもアリだろう。せめて部屋を綺麗にして精神的に落ち着きたいものだ。その為には仕事が始まってしまっては難しいだろうから…それまでに完璧にしておきたいものだ。今日は早く(あくまで最近の私のペースから考えて)起きて甲子園の観戦をしていた。これは神戸まで行って甲子園を見に行ったわけではなく、高校野球を見たという意味だ。わかってはいると思うが一応補足を…笑前にも書いたが私の県の代表がベスト8まですすんだ、有名な高校のH高校やG高校とかではなく…はっきり言ってしまえば無名なところが勝ち進んできたので密かに注目していたのだが、今日の試合で負けてしまった。それでもあくまで私の見方では惜敗だったような気がするので来年に期待したいものだ。いい試合だったので見ごたえはあった。負けるということは大切なことだ。勝ち続ける者には本当の強さは見えない。本当の強さを知っている者は負けることを知っている者だ。ちゃんと(と言うと語弊があるが…)負けることを知り、その辛さから立ち直った者こそ本当の意味で強いのだろう。負ける悔しさも勝つ喜びも知っているということは…勝負に対する真摯な姿勢が見えるというものだ。それが高校野球のように感動を呼ぶものでは余計だろう。そういう意味では負けたことをステップにして欲しいものだ、尤も…いつもいつも強豪校に負けてしまっているという意味では負ける辛さを知っているのだからその心配はないだろうが…。心配なのはそこまで勝ってしまったことに対する慢心である。それによって…勿論それだけではないだろうが、H高校は最近弱くなってしまった。勝利に対するあくなき執念、一度でも甲子園に行ってしまったという自信…それらが相成って慢心につながってしまっているということもあるのだろう。真っ白な気持ちでひたすら勝利に向かう…その姿勢は当たり前のころなのだが…ふいに大金を手に入れてしまった人の金銭感覚が狂ってしまうように…私の県の高校野球全体の意欲が下がってしまうことが一番懸念される。去年はG高校が決勝まで行った。慢心して予選で落ちてしまったとは考えたくはないが…そうでないことを祈るばかりだ。
Aug 18, 2006
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今日は本当に何もなかった。特に何かしたと言えば…エアコンの掃除とお風呂の掃除をしたくらいだ。そもそもこのブログは日記と書いているくらいなので日記を書きたいのだが、何もすることがなければやはり書くこともない。それでも私は書くことがなくても他の考え事をしていて空いた要領を埋めていた。しかし今日はそれさえもできないような何もない日だった。厳密に言えばかなり大きな出来事があったのだが…それはここに書くにはしのびない内容なので書かないことにしておく。何と言うか…私の言葉は偽善なのだろうか、ふと考えてみた。私はいつもいつも…その人の為を想って行動してきたつもりだ。しかし人によって価値観が違うように…私の行動は時として迷惑にうつってしまうこともあるだろう。それが俗に言う「余計なお世話」なのだろう。私はそういう意味ではそれが人よりも強いのだろう、過去にも多くのことを経験してきたのもそれが原因だと言えなくもない。自慢ではないが私は今までに誰にも好きになってもらえなかった。それは私が好きになろうとしなかった結果ではなく…単に私に魅力がなかっただけなのであろう、そこに関してはわからなくもない。しかし…それも今年で終わった、私が好きになった人が私を好きになってくれたのだ。これは私にとって大きな出来事であり…私の中での価値観が大きく変わる出来事だった。このことを話し出すと長くなってしまうので割愛するが…私たちの関係は一般的なものとは少し違うものなのかもしれない。出会い方が少し違うのだから仕方ないだろう。結局何が言いたいのかよくわからなくなってきた。今日の私は…論理的ではないだろう…。
Aug 17, 2006
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山梨に行って帰ってきてすぐに実家に帰省…その為に一人暮らしをしている方の家での洗濯物や掃除や洗い物に関することが全てないがしろになってしまっていた。山梨に出かける前にお皿をちゃんと洗っておいたのだが…帰って来てみるとやはりというか(私にしては想定外なのだがある程度都会なら当然のことなのかもしれないという意)皿から異様な匂いがした。私の家では洗ったお皿はバットのような水切りのものに置いておいて乾かすという手法をとっている。食器乾燥機のような高級品があるわけでもなく…自然乾燥を余儀なくされている状況だと言える。なので長い間放置したことが影響して…お皿には問題なかったのだがそのお皿から落ちた水が腐ってしまっていた。それによって下から異臭が上がりお皿にまでその匂いがうつってしまったということになる。こんなことを懇切丁寧に説明していること自体がバカバカしいのだが…状況説明というのは往々にしてそういうものだと認識している。食事中の方にはあまり愉快な内容ではないとは重々理解しているが…(汗そんな燦燦たる家の状況に嫌気が指してしまった。実家の悠々自適な生活から一転して今まで通りの生活に戻ってしまったこともあって一時期だらけきってしまっていたのだがそろそろ始動しないといけないのかもしれない。そんな風に何か使命感のようなものを感じて…今日はだらけきった私&部屋を一斉清掃した。夏だというのに敷きっぱなしのカーペットをたたんで押入れに仕舞ったり、二度手間と化している洗い物をしたり、台風の猛威に耐えて健気に物干し竿でグロッキーになっている洗濯物をもう一度洗って乾燥機に放り込んだりしているうちに一日が終わってしまった。これは何度も書いていることだが…このような家庭のことを一日で且つ毎日している主婦の方は本当に凄い。専業主婦をなめていたような言動は避けたいものだ、尊敬さえできる。今日8月16日は京都における夏の風物詩である「五山の送り火」がある。これは…どの程度他県に知られているのかわからないので曖昧な説明は避けたいものだが、端的に言ってしまえば… 山に火をつけるというものだ。大文字や裏大文字と言ってどの程度まで理解されるのかはわからないが…そういう説明をするしかないという行事だ。これは京都の三大祭と同じくらい有名で…それでいて夏の風物詩になっているようなものだ。そもそもこの行事は…五山というくらいなので5つの山に火を灯すことを意味している。その意味としては「送り火そのものは、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは室町から江戸時代以後のことであるといわれている。古くは旧暦7月16日の夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習を記した史料がある。これに対して現在の五山の送り火は山において点火されるという精霊送りの形態をとっている」とある。つまりは古来より伝わる宗教的な意味合いが強いものだ。故に粛々と長い間行われており…最早夏の風物詩となったようだ。五山と言っても厳密に言えば5つではない。点火する時系列から言えば…東山如意ケ嶽の「大文字」が一番でその次からは金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」の順で点火され、合計は5つなのだが、厳密に言えば「妙」と「法」が別れている(同じ山なのだが別れている為)。つまり文字としては6つ見えることになる。この他にも文字が施された山はあるのだが…それが五山として認められてはいない為に点火はされない。どのような基準で五山という概念を選んだのかは…やはりその山の宗教的な意味合いから鑑みたといったところだろう。これは灯篭流しと連動して行われるらしい。そのように燃える山を見ながら灯篭の幻想的な光を見る…この時の花小路通りはさぞ美しいだろう。残念ながら見に行ったことはないのだが…絶対に一度は見てみたいものだ、二人で…
Aug 16, 2006
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最近乱れがちだった睡眠時間を調節する、そういう意味で今日はたくさん寝るつもりだった。世間ではお盆で実家でまったりというのが一応の当たり前になっているのだが私は去年と同じ…一人暮らしの家でまったりしていた。ある意味ではまったりというのは同じであるのでいいのだが…生活のリズムという観点から見れば少しだけ違うような気がする。ご飯は待っていても出てこないし洗濯物も自然の摂理で溜まっていく。そのようなものの処理を自分自身でしないといけないということは…ある意味では当たり前なのだがそのことにお盆でも休まらない主婦の方のお気持ちがわかるような気がする。いつものお盆のようにテレビでは高校野球をしている。この高校野球というのは夏の風物詩であって季節を感じることができる。幼い頃はプロとも同等の力で一生懸命に野球をしているお兄さん達の姿に見入っていたものだったが…今は少し複雑な心境で見ることが多い。このように素晴らしいプレーで感動をよんでくれる高校野球であるがじっくり考えてみると…私よりも年下の人がやっているのだ。このことを考えるとかなり自分が歳をとったことを実感してしまう。面白いのは面白い、それは変わらないのだが…心境ひとつでここまで変わってしまうということが少し感慨深い。今年は私の都道府県の高校が奮起している。流石に私の出身高校が出ているということはないが…それでも友人が何人か行った高校であるので思い入れも深い。一回戦で強豪チームをくだしたということで地味な期待を寄せている。これはもしかしたらもしかするかもしれない。動向が気になるところだ。今日8月15日は終戦記念日だ。わざわざ説明するまでもないが戦争が終わった日であり…戦敗国の日本にとっては忘れてはならない日である。被害は甚大であり…その後の復興のすごさを物語る上でも重要な意味を成している。その8月15日にわが国の首相である小泉氏が靖国神社に参拝しようとしているということは結構前から話題になっていたことだった。それがいいことなのか悪いことなのかの議論に関してはやめておくとしよう。靖国神社に合祀されている戦犯と…アジア諸国の過去のいざこざに関して全て熟知しているわけではないので軽はずみな発言は避けたいからだ。韓国が日本の…しかも首相の靖国参拝に関して文句を言うのはわかる、いくら今を生きている私たちがその罪に直接的に無関係だとしても…被害は与えた側よりも与えられた側の方が傷は深いことのほうが多い。その意味から考えても敵国のトップが一番静かに過ごしたい時に来るのだから…気が立ってしまうのも仕方ないことのように思う。なので今回は小泉首相の考えについて考えていこうと思う。そもそもどうして小泉首相は靖国神社に参拝しようとするのであろうか?それはご本人が直接言っていたように…A級戦犯やその時の出来事に哀悼の意を捧げたいという気持ちからであろう、それは概ね理解できる。しかし…相手国からしてみればそれは何年も何年も古傷を抉られる気持ちだろう。参拝することは悪いことではない、参拝して欲しくないのなら門戸を閉じておけばいいだけの話だ。つまり日本人が参拝することに関してはそこまで咎めるつもりはないのだろう。つまり小泉首相が憎くて靖国参拝に対して抗議しているわけではなく…日本のトップという地位の参拝を咎めているのだ。意見として「私的参拝なのだから問題はない」ということをあげているが…それは内閣総理大臣という立場から考えても難しいだろう。本人は参拝して大いに満足なのであろうが…日本のトップが相手の国への配慮を欠いた参拝というのは日本全体の意思だと思われてしまうことも仕方がないだろう。日本人全員が配慮を欠いている人種だと思われることは…不利益は蒙っても利益は蒙らないことだろう。同じアジアということで仲間なのだ、そんなことで友好的な雰囲気を崩すことだけは避けなければならない。今は難しい時期なのだ、それくらいの考えはできないはずはない。自国の利益だけを追求するのはいただけないが…それを省みないで参拝しているということはもっといただけない。もう残された任期は短い、しかし「あの首相はねぇ…」と言われないような正しい観察眼を持った外交をしてもらいたいものだ。
Aug 15, 2006
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今日は前日の同窓会が朝方5時に終わったこともあって…爆睡してしまった。実家に帰ってきた時は今までの生活とは異なり規則正しいものになるのだが…それも流石に朝5時寝だと例外になってしまったようで起きたのは10時だった。朝早くにお墓参りしたかったのだが、それも叶わない結果となってしまった。それもこれも…上りの混雑を避ける為に今日帰るということがあったからだ。きっと15日以降になってしまうと帰省ラッシュの混雑に巻き込まれてしまうことになり…思った時間に帰れなくなる可能性も出てくる。早め早めの行動が肝要だということだ。というわけでお墓参りをしていないという一抹の不安を持ちながらも…帰ってしまうことにした。帰省ラッシュを避けようとして早く帰るということは必然的に誰しもが考えてしまうことだ。よって帰省ラッシュ本番を避ける為に早めに帰るということは帰省ラッシュを気にしない人種と同じくらいいることを意味している。なので行動心理学の観点から見ると…帰省ラッシュを気にするもしないも…そのような行事がある時点でそれに巻き込まれずに帰ることは不可能だと言える。朝早くに帰るとか夜遅くに帰るとかのような強攻策が必要になってくるだろう。そんなことはお構いなしに日中に帰ってしまった。そのことが少しだけ影響して…結局は渋滞に巻き込まれてしまった。誤差の範囲は微々たるもので…特に問題もなく帰れてしまったのでよしとしよう。小さなことは気にし出すとキリがないのだから。実家に帰るというのはなかなか面倒なことなのだが、帰ってしまうとその居心地の良さだけが突出して感じられるものだ。自然に帰りたくなくなってしまう。今回はそれほどでもなかったが…やはりないと言えば嘘になってしまう。食べ物や日用品などを持ちきれないほど持たせてくれるというのは…正直言って嬉しい。しかしそれを素直に表現するのは少し恥ずかしい。結局はいつものように重い重いと不平を言うこととなった。照れ隠しとは言ってもなかなか…(汗私の在籍している大学がこの度大きく改革するらしい。大学というのは法人であるというのは何度もここに書いているが…どの大学も少なからず変化している。それは前向きな理由であることも多いが…残念ながら大半は後ろ向きな理由であることがある。先進的に変化を求めているのならそれはそれでいいことだ、というよりもむしろそれが大多数であり当然になりつつあるのであろう。財政的に困窮しているのにも関わらず変化しないと「いけない」というような状況は…決して前向きだとは言えない。ちょこちょこと常に変化している大学…それが私のいる大学であって…大きく変化するとは言っても在学中の学生にしてみればその変化を見て取ることは難しいだろう。本当に常に工事なり新しい学部の設定をしているのだ、目に見える範囲かどうかさえ曖昧模糊としている。大きな改革と一言で言われても今までならわからなかっただろう、しかし今回の変化はそんなにわかりにくいものではない。新しく学部を据えるわけでも新しい校舎を建てるわけでもなく…既存の学部に新しいものを付け加えるだけなのだ。それだけなら大きな変化だとは言えないが…着手する学部にその真髄がある。今回の学部は「経営」なのだ。最近の大学の変化傾向としては…一番有名なのが法学部の変化だろう。ロースクールなり模擬法廷を作って現代の流れに沿わせるのが…最たるところだ。次に多いのが大学付属の院を作ることだろう。そうなると大学にも目が向けられることになるのだから。その次に来るのが付属の小学校・中学校・高校を作ることだ。エスカレーター形式の導入はそのまま人数の獲得を意味しているし…何よりもそのようなものを作れるということは大学法人そのものの「勢い」を如実に表している。上記にあげた3つは私のいる大学では導入済みまたは予定済みだ。なのでもうこれ以上は変化しないと思っていたのだが特に先進的とも言えない「経営学部」をワイドにすることを実行してきた。これは…はっきり言って首を傾げざるを得ない。まず思うのが…必要性だ。これからの時代の変化を見据えたものであるのなら…それは役に立つのかもしれないが…それが「たられば」ならはっきり言って論外だ。私はこの大学の変化を4年間見てきたが…学部を増やすよりもまずはしないといけないことがある。それは「学びやすさの追求」という問題だ。いくらいいものがあるとわかっていても…それが困難なところにあるのなら少しは考えるだろう。喉が渇いているのかいないのかわからない状態で山の上にある自動販売機まで行くか平地の自動販売機まで行くかを考えればそれはわかりやすい。環境というものは内容と同じ若しくはそれ以上に重要なのだ。新しいものを導入するということはそれが必要だとわかってから導入したのでは競合には勝てない。先見の明が少なからず必要なのだ。それを見据えて設置していることはよくわかっている、格別悪いこととは言わない。しかし…あまりにも前を見すぎて足元をおろそかにしているのではないかという懸念があるだけだ。
Aug 14, 2006
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朝6時半…お盆ということ+実家にいることで早くに目が覚めた。温かいご飯と味噌汁ですっきり目覚めるという素敵かつ当たり前のことで一日は始まった。環境の変化というものは案外すぐに順応してしまうのが人間であるのだが…慣れ親しんだことが意外に大切なことというのはその環境から離れている時間が長ければ長いほど顕著になる。それが今回のことで…今更ながらこの「当たり前」がありがたいと思えるような感覚に苛まれた。いいことなのだが…笑今日からは本当にお盆なので…それなりの準備をしないといけなくなる。家の手伝いを率先してする方ではなかったのだが…掃除だろうが食事の準備だろうが何故か自分からすすんでするようになってしまっていた。本質的にそこまで家事系統が嫌いではない、しかしそれはやはり「当たり前」のこととなっているので言い方はおかしいがする「価値」がなかったような気がする。しかし今では家で母が行っていることは私が吸収すべきことであることがほとんどだ。洗濯物を上手く畳むこと、料理を上手く作ること、食べ物を上手く保存すること…その生活の知恵を吸収したいと思えるようになった私は率先して色々と手伝うことにしていた。そんな中で兄さんとその彼女さんも起きてきて…狭い台所でみんなでやんややんや言いながら料理をすることになった。私は一目見た時から彼女さんにいい印象をもっていた。きさくで親しみやすい性格もさることながら…兄さんととても仲のいいところが好印象だった。将来のお姉さんになるようなことを今から考えているのは…希望的観測なのかもしれないが…笑お昼ごろになって親戚一同が集まりだしてきて色々な話になった。私も話に混じり盛り上がっていたのだが…今晩はもともと高校時代の友人たちと同窓会をする予定だった。思ってみれば私たちは1年に2度は同窓会をしている。それが同窓会と呼べるものなのかはわからないがそれでも離れ離れになった友人の近況を知ることができるので嬉しかった。今回は高校の恩師を呼ぶということもあってかなり期待していたのだが…やはり予定が合わなくなってしまってそれも叶わず…結局いつも通りになってしまった。それはそれで楽しいので構わないが…笑結局予定時間に集まったのは13人、本当にいつも通りの人数と面子になってしまったのだが、今までの同窓会には来ることのなかった女の子が二人来たのは新鮮だった。そして同窓会はしめやかに始まった。その女の子二人がもう就職していることはわかってはいたが…高校時代ほとんど話さなかったにも関わらず…お酒をもって自然に話しかけていっていた私がいたのはあれから進歩したところがあるからだろう。話を聞いてみると…仕事も安定していて今は充実しているらしい、同じ年齢でクラスメイトなのにも関わらず…もう立派に独り立ちしている姿がまぶしいとともに…少しだけ焦ってしまった。しかし仕事の充実と引き換えに恋愛関係に関してはなくなってしまったようだった。もともとそこまでモテる方ではない(本人談なのであしからず…)のに仕事で出会いがなくなってしまって余計に淋しいらしい。なるほど一理あると思って聞いていたのだが…それでも仕事の方面では充実しているようなので口では「出会いがない~!!」と言っていたものの、そこまで困っているようには見えなかった。このようなあくまで私にとっては深い話が聞けるので同窓会というものは好きだ。結局2時間ほど盛り上がったところで2次会に行くことになった。2次会はボーリングだったのだが、お酒が入ったメンバーは最早暴挙と化していて…おしゃぶりを咥えながらプレイに興じる者や涎かけをしてやっている者、おめんをつけてやっている者など無法地帯と化していた。私はと言えば…ノリをかなり大事にする関西人なので…しっかり何かしらつけてボーリングをしていた。それが何かと言うと… ねこみみなのだが…笑 萌えない…_| ̄|○まぁ結局ねこみみをつけてでも1位になるあたりは関西人らしい(?)といったところか…。悪くはない気分だった。ボーリングも一段落して3次会に出かけることとした。地元でも自慢(宣伝文句らしいがよくは知らない)の海で花火でもすることにした。時刻は深夜2時…はっきり言って迷惑極まりないのだが、静かな海なので特に問題はなかった。みんなが打ち上げ花火で盛り上がっているところなのだが、私は一人隅の方で線香花火をしていた。私はこの儚さが好きだった。立て続けにいくつもしたのだが…いくつやっても儚く落ちてしまうところは変わらなかった。なんとなく感慨深くなってしまった。こうしてバカやりながら集まることなんて後何回できるのだろうか…ふと寂しさを感じたが…きっとみんな落ち着いたらまた集まれるだろう、その時に期待したいものだ。
Aug 13, 2006
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予定が色々と変わってしまった。一応は実家に帰ることを考えていたのだが、それでも手段の変更というのは大きな問題なのであって…それによって金銭的にも問題が浮上してくるのは言うまでもない。今回の帰省がまさにそれだった。もともとは兄さんの車にあいのりさせてもらって実家まで帰るつもりだったのだが、その予定が急遽変更になってしまった。表面では「車に荷物が多くなりすぎて乗るスペースがない」という意見でまかりとおっているのだが…それだけではないことは私には重々わかっていた。その主たる原因としては「兄さんが彼女さんを実家に連れて帰る」という事象に終始している。そのようないわばアクシデントのような状況によって…行事ごとの帰省(とは言っても最近はほとんど帰っていなかったが)は兄さんの運転する車の助手席を陣取るという私のスタンスが今回で崩れることになってしまった。しかもお金を出して電車で帰るという試練にも見舞われることに(本来の帰省とはそのような意味も孕んでいるのだが上手い手段を考えついて考えが麻痺してしまっていたのだろう)なってしまった。余談だが、この日記のアップが遅れたのも実家にはインターネットの機能が整備されていないからで…。そういう帰り方をするには難しい時間となってしまった。車で帰るのであれば待っているだけで車が来てそれに乗って…端的に言ってしまえば乗って寝ているだけでも目的地には着くことになる。しかし電車の場合は言わずもがなだが起きて自分で乗り換えなりなんなりをしないといけなくなる。なのでここは苦肉の策なのだが…朝一の電車で帰ることとなった。基本的には鈍行でも問題なく帰ることができる人種なのだが、今回はお財布具合との相談ということになった。だが鈍行が好きだというわけではない、勿論早く帰れるならそれに越したことはない。山梨に行く時で鈍行の怖さはわかっているつもりだ。せめて実家に帰る時くらいは余裕をもって帰りたいものだった。そんなわけで朝一の電車で帰えることとなった。特急で帰ったとして3時間半…鈍行なら5割り増しと見積もってみると5時間弱だろう。今回は山梨に行く時のようなモチベーションが全くないのでたかだか5時間程度のものでもはっきり言って苦痛だった。特に前の日(厳密にはその日なのだが)に軽くRと揉めたものだから余計にブルーになっていた。まぁ揉めたことに関しては私が器の小さな人間なので起こったことなので…責めることはできない。本筋とは関係ないので割愛するとする。朝一で出発するということが決まってからは寝られないということが確定したようなものだったので…寝ないで準備していたツケが移動中にまわってきてしまった。途中で何度も意識をなくしてしまうことがあった。私の田舎ははっきり言って想像を絶するほどの田舎だ。故に…電車に関してもそれは当てはまり…一本でも逃してしまうと大変なことになるのだ。1時間に電車が2本しかないのは当たり前だし、1本しかないのも特に珍しいことではない。ない時間だってあるのだ、それを考えれば2本「も」あるという表現で皆が落ち着いているということも納得できる。現に私も3年前まではその一部の人間だったのだから気持ちは痛いほどわかる。当たり前の考え方というのはそこから逸脱してみないとわからないものだ。巨視的な視点が肝要だと言える。すったもんだありながらもなんとか家に着くことができた。やはりここはいつ帰ってきても変わらない。私の実家もそうだが…自然や景観が何一つ変わっていない。大きな高層ビルやコンビニが立ち並ぶということを住んでいる人は望んでいるのかもしれないが…大切なのはそんなことではない、あるがままを…伝統的なものを粛々と守るという姿勢が大切なのだ。そんな流れを知ってか知らずか…見事なくらい何も変わっていない地元に何故か安堵したのだが、やはりなんと言っても自然の大きさというものをはっきり感じることができる。私はある程度物心ついてからというもの…地元のこの蜩が鳴いているような夕方の時間が好きだった。その大好きな光景がまだ残っていた。最近は「コンビニができる」だの「4階建ての超高層ビルが建つ」といったようなシティーライフの影が忍び寄ってきていたのだが…やはり変わらないところは変わらないもので、蜩も蝉も一緒に鳴くような素晴らしい夏の風物詩が展開されていた。広い海、静かな浜辺…コンビニができるだのマンションが建つだのも便利になるという意味では大いに結構なのだが…やはりこのような自然がなくなることが一番辛い。帰ってきて夕焼けの浜辺で黄昏るのが大好物の私としては…嬉しい限りだ。久々の充実した晩御飯、兄さんの彼女さんの話をして盛り上がるといったような…一般的な家庭の食卓が妙に懐かしかった。実家を毛嫌いし、あまり帰らないようにしていたのだがこういうことはやはり精神的な充足が得られる。ここにはいつか帰ってくる、そのことを再認識した出来事だった。夜も1時には寝て1日3食食べるということもあながち悪いことではない。
Aug 12, 2006
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今朝は意外にのんびり寝ることができた。ホテルの冷房が強すぎて寒がりながら寝ていたことを懸念して冷房なしにして寝ていた(私はもともと冷房なしで寝るのだが、余計にその考えに信憑性が増しただけの話なのだが…笑)のだが、京都の暑さを持ってすればそれもちゃらに出来るほどのものらしい。気候的に山梨と京都はそっくりだという話を聞いたが…どうもそんな気はしない。ここ最近だけをとってみれば京都の方が暑いと胸をはって言える。まぁ胸を張って言っても仕方ないことなのだが。起きてすぐにPCを触ってしまうあたりは依存症の表れなのかもしれない。それでも一応自分のブログとお気に入りブログのチェックだけはしてしまうものだ。それで気づいたのだが…皆さんのブログのデザインが変わっていたことだった。以前のデザインも素敵だったが、更に素敵になっていたのでセンスの良さに感嘆してしまったわけで。そういえば私のブログは随分と今のデザインのままのような気がする。見やすいか見にくいかを意識したあまり…単純なデザインになってしまっているような懸念がないわけではない。しかし…ブログのデザイン変更をしたことがある方はわかるかもしれないが、一端デザインを変えようとしてしまうと前のデザインは完全にデリートされてしまうこととなってしまう。なので拘ってデザインを組んでいる人ならば同じデザインに戻すことは非常に難しいような状況が起こってくる。それを思うと…どうも簡単には踏み切れないことのようだ。私もそれは同じで…今のデザインもそれなりに気に入っている。なのでもっといいテンプレを見つけるまでは早まらないようにしようと思う。飽き性ではないので(笑)ここ最近のブログはRのことを書きすぎているような気がする。なのでここで少しだけ以前の状態に戻したいと思う。今日のテーマは…就職難の回復傾向であるということだ。今までの就職形態としては…将来性を兼ね備えたような会社に大学生なり就職を控えた人が集まり会社の人事担当が面接にかけて振るいにかけるというのが当たり前だったような気がする。そのような流れは景気と連動しているものである程度世間の流れと同等のように思われる。これまでは不景気が影響して就職にも多大な影響を及ぼしていた。それによって単純に収入のいい優良企業に人が集まり振るいにかけられるような現象が多く見られていた。しかしよく考えてみると…優良企業だって景気に反発して優良であるということなどはあり得ない。会社という媒体が全ての水準で不景気の影響を受けているので…マックス・ミニの観点から「優良だ」と見ているに過ぎない。しかし今年から来年以降はそうではなくなっているらしい。就職は変わってきているのだ。これまではこだわりをもっていたのではなかなか就職先が見つからずに就職浪人になっていたことだろう。ところが今は「就職を望む側が会社を選ぶ」ということが当たり前になっているらしい。しかしそれだけでは成立しないことは考えてみればわかる。「来たくないなら来なくてもいい」と会社に言われてしまえばそれまでだからだ。では何故そのような選択の自由が効いているのか…それには2007年問題が大きく関係している。企業…特にサラリーマンのようにノウハウが必要なものに関して言えば入社してからいきなり仕事をばりばりこなせるわけではない。研修や先輩方からの指導があってからでないと一人で仕事が出来るような状態にはならないだろう。アルバイトとの違いはこの研修期間であって…長いところでは1年くらいはとることもあるらしい。一方2007年問題とは団塊の世代の一斉退職であって、企業の中枢を成す世代が一気に抜けることを意味している。企業の力も低下することは当たり前であるし、団塊の世代の社員がいない職場などあり得ないだろう。2007年問題だからといって2007年度になってから新規採用の枠を増やしたのでは遅い。先に述べた研修期間の新規採用者ばかりなら合算してもそれほどの戦力にならないからだ。なので先見の明のある会社は2005年度ぐらいから新規採用枠を多くとって備えているらしい。安穏と待ち構えているようでは会社として機能しないようなレベルにまで落ちてしまう可能性もある、その意味で今年…つまり2007年度の新規採用枠を多くとる企業が増えているのだろう。おそらくこれは後の2年以上は続く流れになるだろう、2007年を過ぎてしまえば終わってしまう問題ではないのだから。そのような流れの中だからこそ…選ぶという行為が意味を成してくるように思われる。やりたいこと・興味のあることがあるにも関わらず就職できないということならば…取り敢えずは就職して実績を踏まえた後で希望の就職先へと転職するというやり方がなされるだろう。しかし…今年からはその流れは必要なくなってくるらしい。会社としても必死なのだ、採用される可能性が増えることも大いに考えられる。だからこそ…会社が新卒の学生を「選ぶ」のではなくて、新卒の学生が会社の将来性や有益性を鑑みて「選ぶ」側に立っているようだ。私たちが優位にいると言っても過言ではない。しかしだからといって就職が楽勝のものになるわけではない、そこまでいってしまえば会社側の面接の意味がなくなる。つまり今までのような「就職氷河期」ではなくなったというだけだ、就職面接がなくなるわけではない。どちらにしても…私たちの年からは就職が少しだけ楽になることだろう。これが来年まで続いてくれれば…私も…♪
Aug 11, 2006
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なんとなく漫画を読みながらメールしていたのだが…やはり疲れがでてしまっていたのだろう、いつの間にか寝てしまっていた。漫画喫茶というのは静かでそれでいて自由なので寝るには結構快適だったりする。考えることが多すぎて寝られないような気がしていたのだが、やはり5時くらいにもなってしまうと限界がきてしまったようだった。寝ながらも夢で見てしまう辺りは子供っぽい。相思相愛というのは人生初めてのことなので焦るというよりもふわふわしている気分という感じだった。どうあっても…Rのことが大好きなのだろう。静岡の漫画喫茶というのは案外融通が利くもので時間によるものではないということらしい。なのでゆっくり寝ていても問題はなかったようだ。緑の窓口が開く時間までじっくり睡眠を摂ることができた。今日は京都まで帰るだけの予定なので…そこまで一生懸命に帰らなくてもいいということもあって、余裕をもっていくことができた。いつもよりも更に鈍行かつのんびりと帰ったこともあって色々と考え事にふけることができた。一番重要な問題はお金である、こればっかりは一生懸命に働いて作るしかない。次に考えたのは…来年の進退である。山梨に住むことを結構真剣に考え出しているのだ。金銭面や環境面での諸問題に関してはどうにでもできるのであるが…それが果たしてRの為になるのかどうかが疑問が残る。想い合うということはそういうことではないような懸念もある。果たして私からRに与え続けるだけが全てなのだろうか…。そんなことを考えながら帰り道の風景を眺めていた。幸いにして山梨の賃貸物価は異常に安い。3万円出せば甲府周辺でも一軒家が借りられるくらいだ。物件だけ見れば最高のところなのだ、住むにはもってこいだと言える。しかし…やはり上記のことが気になって仕方ない。まだ1年ある、じっくり考えよう…。なんだかんだで夕方には家に着いた。家の中は閑散としていて…それでいて空気も淀んでしまっていた。まずは換気、そして台風が来るとは知らずに干してしまっていた洗濯物の状況を確認してから取り込むことに。一応後から乾燥機にかけてふっくらさせてからというのは忘れないように。それから荷物を片付けてからちょっと休憩をすることにした。誰もいない部屋…静かな部屋…何も音がしない…。なんでだろう、涙が出てきた。逢いたい…
Aug 10, 2006
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5時…辺りが微妙に明るくなってきているのだが、雨の音がやたらうるさい。そういえば台風が来ているということを慣れない山梨放送の天気予報で言っていたのを今頃思い出した。新しい土地での楽しみの一つとしてテレビのローカル局というものがある。47個都道府県があるのと同じように、県毎にローカルテレビがあるようだ。京都なら京都テレビといった具合だ。安いホテルでテレビがついていない懸念があったのだが、無事にテレビがついていたので見てみることにした。どうやら時間も時間だけに天気予報しかやっていなかったのだが、それでもなかなか面白いものだと言える。いつもと違うものは総じて新鮮だ。天気予報ごときでテンションが上がっている私はかなり変に見えたことだろう。今日の予定はRと一緒にファミレスで勉強することだった。これではいささか色気の欠片もないのだが、もともと色気も何もない私には特に問題があるようには思えなかった。数学が不得意なのは私とそっくりなのでその部分で少しだけでも手伝えることがあったら手伝ってあげたかったのだが…どうもRは私に勉強を教わることが嫌らしかった。なので私には教えることが困難な商業系統のものを持ってきて勉強していた。ちょっとだけ残念だったのだが、そこのところで粋がるようなことはしたくないし、それは特に年上だからといって利点だと考えることはしなくなかった。なので勉強しているRの姿を眺めていることにした。そういえばRは私が山梨に来る前に妙なことを言っていたのを勉強しているのを眺めながら思い出していた。私の字が見たいと…。確かに私の字は他の人とは少しだけ違っていた。何と言うか…男の書く字には到底見えないような字しか書けないのだ。私自身それほど自分の字が気に入っているわけではない、むしろそれによって高校時代にいい思いをしなかったので嫌いだと言ってもよかった。丸くて小さな字というのはぱっと見たところでは女の子の書いている字に見える。なのでノートを紛失してもそう簡単には帰ってこなかったし、それを利用されることも多かった。私としては人の役に立ちたいというのがあるので言ってくれればいくらでも貸し出すのだが、そのように使われてしまうのは少々心苦しいというものだ。そんな字が見たいとRが言っていた。前に会いに来た時に一度だけノートを見せたことがあったのだが、その時に随分と興味深そうに見ていたのできっと生で書いているところを見たいのであろう。それくらいならただ書くだけでいいのでお安い御用というものだ。ルーズリーフを一枚もらってちょっとだけ字を書いてみたのだが、それだけでRは喜んでいるように見えた。こんなことで喜んでくれるなんて私自身も嬉しかった。こんな小さなことで幸せを感じる私はある意味では単純なのかもしれない。そこで私にふと考えが思いついた。何もできない私が少しだけでもRのどこかに残っていて欲しかった、なので私はRが気に入っているように見えた私の字で…私の直筆の字でラブレターを書くことにした。目の前でRが一生懸命に勉強しているところ私がこんなことをして申し訳ないような感じもしたが…。何もできない私のささやかなサプライズといったところだろうか(笑)思い立った私はRと同じくらい一生懸命に書き始めた。途中でRが何やらノートに一生懸命に書き込んでいる私に気づいて何を書いているのかを聞いてきたのだが、ここでばれてしまってはサプライズの意味がないので頑なに隠していた。お互いに一生懸命に何かをしていたまま時間は過ぎて…3時になった。私はノート一枚に書ききれるようにラブレターを調節して書き終わって…Rから借りた本(これがRの読書感想文の課題らしい)を読んでいた。読書感想文というのは懐かしいもので…どのような本を読んで感想を書くのかが気になってRに頼んで読ませてもらっていたのだが、内容の抽象性に驚いてしまった。ページ数としてはたいしたことはないのだが…感想を書くのはとても難しいものだった、しかもオムニバス形式をとっていて…話に一貫性もなかったような気がした。私の時代は普通の物語や戦争をテーマにしたものが課題だったのだが、現代は変わってしまったのだろうか、私がもしもこの課題を出されていたら困ってしまっていただろう。そんなことを考えながら読んでいたのだが、Rは勉強がひと段落したようでファミレスから出ようという話になった。出来たラブレターを鞄に仕舞ってファミレスを出ることにした。目的地はいつもの公園、私が山梨を発つのが6時半なのであと3時間くらいの時間が残されていた。残りの時間は誰にも邪魔されないところで二人でいたかったのだ、Rも同じ気持ちだったようで合意のもとに向かった。公園について私たちはゆっくり話できるところを探した。公園とは言ってもお城跡のところに作った公園であるのでかなりの広さがあるのだ。そこで大きなお城の影の芝生のところに決めて座って話をしていた。私たちは普通のカップルのようにいろんなところに出かけることもあまりしない。それは今回のことで少しだけ改善されたものの…やはり基本的には静かなところで話しているのが一番落ち着くということらしい。二人ともインドアなので仕方ないと言えば仕方ないのだが、私はこの時間が結構好きだったりした。いつものことながら別れる数時間前というのは淋しいもので…今回は特にそうだった。3日間という長い(あくまで私たちの中では)期間一緒にいることでもう随分と精神距離も実距離も縮まっていたように感じたからだ。夕焼けの空に蝉が鳴いている…その状況が余計に淋しさを増幅させていたのかもしれない。そこらをちょこちょこ歩いていたり石に落書きをしているRが異様に愛おしく思えて…こちらにとことこと歩いてきたRを後ろから抱き締めた。Rも淋しがっていたようだった、そのまま座り込んでずっと抱き締めていた。Rにキスをした、いつものように受け入れてくれる。頬を撫でながら…唇をなぞりながら…私は出来る限りの方法でRに気持ちを伝えようとした。大好きだと言いながら、大切に想っているといいながら…。淋しくても私はいつもそばにいるということを伝えた、淋しい思いをさせているのはいつだって私だった。不安も矛盾も全て私から出たものだ、そのことに対しての贖罪も含めて抱き締めた。Rからふと零れる涙が印象的だった、大丈夫だって言って涙を拭いてあげることしかできなかったが…それでも上出来だったような気がする。私だって離れたくなくて泣きそうだったが…涙もろいところは何年か前から封印しているし…ここで泣いてしまっては離れたくなくなってしまう可能性があるので敢えてRの心配を和らげてあげることに終始した。私だけは気丈にいこうと決めた。気持ちがゆらゆらして今にも泣きそうだったが…時間になったので駅に向かうことに。駅までの道で横断歩道の信号にひっかかった。その時…私はRに貸す為に持ってきた本の袋に先ほど書いたラブレターをしのばせた。帰ってから気づいて欲しいと思って入れたのだ。その後駅について…いよいよ別れることになった。人通りが多く何もしてあげられないような気がしたが…私は思い切ってRを抱き締めて軽くキスをした。Rはちょっとだけ笑っていたような気がした。そこで私たちは別れた。振り返ったら戻ってしまいそうで…振り返らないで一気に改札を抜けて行った。ちょっとだけ涙が出た。帰りの電車…夕闇で辺りは薄暗くなっていたが…音楽を聴くことも、禁煙しながらも数本持っていたタバコを吸うこともなく放心しながら外を眺めていた。段々風景が変わっていくのが無性に悲しかった。何も考えられずそのまま静岡に着いた。そこからの電車はなくなってしまってそれ以上は帰れなくなってしまったのだが…この3日間にあったことを反芻するには十分な期間であった。ちょっとだけ昔の泣き虫の私が戻ってきてしまったような…そんな気がした。
Aug 9, 2006
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前回の失敗を踏まえるのと今が夏であるということが重なって…今回は素直にホテルに泊まることにした。何故か甲府駅周辺はホテルが異常に多く…その中でも安くていいホテルを探すというのはそれなりに難しいものだ。商品の質の良さがわからないで価格表示しているような財はある意味では珍しいとも言えるのだが、そのようなスタンスでも現在のように地位を獲得していることを考えると…そこまで間違った手法ではないのだろう、ビジネスというのは時として抜本的なやり方が必要になってくるのかもしれない。革新派の肩身の狭さを味わってきたのだろうなぁ…などと考えながら今日泊まるホテルを選んだものだった。まぁ部屋の質だとか云々の良さはわからないので結局は安さだけを重点を置くことになってしまった。まぁお風呂とベッドが必要最低限のレベルで用意されていればそれでいいのだが。思えば山梨には何度も来ているが、ちゃんとしたベッドで睡眠を摂ったのは今回が初めてだった。一般的には当たり前のことなのかもしれないのだが…笑そんなわけで充分な睡眠を摂った後にRに会いに行くことにした。待ち合わせは10時、しかし、まぁ…これは慣れているのだがRは遅れてきた。ごめんごめん言いながら笑っているRの頭を撫でながら私たちは歩き出した。今日の予定は映画を観にいくことだった、それまでには少しだけ時間があったので…私たちの思い出の場所である駅直近の公園に行くことにした。ここはかなり高い位置にある公園で…展望スペースのようなところも多くとられているような場所だった。私たちが…初めて抱き締め合ってキスした場所だ。とても広い公園であるのだが…山梨に行く度にそこに行っているので結構詳しくなってきてしまっている。そこは芝生が生えていたり気持ちのいい風が吹いたりするので私としてもお気に入りの場所なのだ。その公園の少し小高いところのベンチに座って映画が始まるまで話していた。ちなみに今日始めてRの私服を見た。今までは学校の帰りだとか用事と重なってしまうことがあって私服で来ることはなかったのだが…今回は長い時間会えることと夏であることが相成って貴重な(?)私服を拝むことができた。私は今までの人生で女性と二人っきりで映画を観にいったりしたことも…公園のようなところで語り合ったこともない、故に…私服の感想を述べるような立場ではないことはわかっているが、敢えて感想を述べさせていただくなら可愛いとしか言いようがない。どうも私服に自信がないだとか言っていたが…そんなことは全くなくむしろ私がこんなに綺麗な子とデートしてもいいのかどうかという軽い不安に襲われそうになってしまったくらいだった。そんなRが涼しいといいながら涼んでいるようなところを見て私も我慢できなくなってしまって「やめてくれ」と言われていたにもかかわらず後ろから抱き締めてしまった。そのまましばらくして…また話し始めたのだが、どうにも落ち着かなくて仕方なかった。Rの髪の匂いが頭から離れなくてドキドキしていたのだが、そのことは顔には出さないように必死だったような気がする。そのまま話していたのだが、映画が始まる時間になったので映画館へと移動することにした。観る映画は前から決めていた「ゲド戦記」であった。前々から注目していた映画だが…特にジブリとしても注目していた。今回のゲド戦記は宮崎監督の息子の方が製作総指揮をしているらしい。これからのジブリを台頭する世代として今回の映画は処女作ということになる。そういう意味で注目していた。流石に映画に注目しているからといっても一人で観にいくようなものではないので、こういう機会で観れるということは嬉しかった。映画の感想を述べるのだとすれば…少し父親のことを意識しすぎている感が感じられた。ジブリの映画というのは世相を現しているものが多い。今回の映画もそれは表現されていた出来だった、だが…荒削りなのかどうかは定かではないがそれが表に出すぎていた。ぼかすような表現で想像で補わせようとするのが一番なのだが、直接的過ぎて逆に萎えてしまうような感じだったというのが正直なところだ。大筋の物語の命題をはっきりさせるのは良かったが、そこが釈然としないまま終わってしまっていたような感もある。ジブリは音楽が命だ、なのでそういう意味ではよくできていたような気がする。それに上記の部分が多少気になったものの…全体としてはとてもいい出来だった。映画というものは観た後に自分の感想を言い合ったりすることがよくあるようだがそれを嫌う人種がいるのもまた事実だ。なので私は敢えてRと映画の話をすることはなかった。自分の中で消化したい気持ちもあるだろう、わざわざ邪魔をすることもない。映画というのは個人によって感じ方が違うものなのだから仕方ないだろう。その後は公園で話した後ご飯を食べに行って別れることにした。今日で2日目なのだが、Rと会うのも慣れてきたような気がする。緊張感がなくなってくるのはそれはそれで問題だが、会う前の緊張はない方がいいのかもしれない。今夜泊まったのも昨日と同じホテルだったが、考えることが多すぎてなかなか寝られなかった。一番大きいのは後1日で帰らないといけないことだ。会う前はすっぱり帰ることになるのだろうと思っていたが、どうやらそんなに簡単にはいかないような気がしてきた、まだ1日あるのに淋しい気持ちでいっぱいなのがその証拠なのかもしれない。後1日だ、楽しもう
Aug 8, 2006
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最初に言っておかなければならないのが…今日からは本格的な報告だけとなってしまう。私のブログを読んだことがない方は読んでいただいても面白いものではないと思われるので…避けていただければ幸いだ。しかしこれはほぼ定期的にくるものであるので…慣れていただきたいと言わざるをえない。そこのところを理解した上で読んでいただきたいものだ。そんなわけで始発に乗って山梨への道へ向かうことになった。道すがら色々考えていたことがあったので距離もあるし時間もまだまだかかりそうなので席をリクライニングにして少し考えてみることにした。今回をもって山梨にRに会いに行くのは3回目ということもあって慣れかけてはいたが…やはり2ヶ月近く会っていないと喜びもひとしおのようだった。それは京都を出た段階から膨らんでいて…静岡を出たあたりからはピークになっていた。ここまで人を好きになったのは私にとっては財産であるし、今後も続いて欲しい関係だ。最初に山梨に行ってRに初めて会った時の感動ははっきり言って素晴らしいものだったのだが…なかなか会えないこともあって何度会いに行っても新鮮な気持ちというものは消えることはない。会いに行って戻って来てからは段々会いたい気持ちが募っていくもののようだ。前置きが長くなってしまった、ここからは本題へ…。朝6時35分区間快速浜松行き…ここから今日の私の移動は始まった。もうこの電車で移動するのは慣れている、行き先がどうとか時間がどうとかで迷うこともなくスムーズに乗って行くことができた。予測では甲府までは12時半ごろに着くことができるのだが…なれた路線なので見事にその時間にビタで着くことができた。待ち合わせの時間は3時なのだが…特に問題があるようなことではなかった、考えることは多すぎるのだから。前回に会った時から今までのことを反芻したり、会ったら何を話そうかを考えるのは楽しい時間なので…そのことを考え続けているとあっという間に約束の時間になった。場所は南甲府駅改札、目印は…浴衣だ。私が山梨に行った日、偶然にも夏祭りがあることを知ったのは随分前のことだった。祭りというのは最近…言ってしまえば一人暮らしを始めた時から行くような機会も場所もなかった。なので久しぶりの祭り…しかも大好きな人と行ける祭りということでらしくなくテンションが上がっていた。しかもRはその祭りに浴衣を着ていくと言っていたのだ。浴衣を着て祭りに行っている女性は見たことあるが、浴衣を着た女性と祭りを楽しむというシチュエーションに出くわしたことがなかったので楽しみだった、しかも私は自慢ではないが女性と二人で祭りに行くようなことも経験がなかった。なのでダブルで楽しみが待っているということになっていた。約束の時間になって南甲府の駅の改札前で手を何度も組み変えながら下を向いてぼんやり待っていると…目の前に目の覚めるような青い浴衣を着た一人の女の子が立った。顔を上げてみると…そこにはちょっとだけはにかんで笑っているRがいた。久しぶりに会うR…正直言って私はそこで抱きしめてしまいそうになったのだが…それを得意のポーカーフェイスで隠して外に出ることにした。外は山梨独特の刺すような日差しなのではっきり言って暑かったが…私はRの青い浴衣が気になって気になって逆に目を逸らしてしまっていた。最初に交わした言葉は今でも覚えている「遅い(笑)」だった。もっと気の利いたことやいいことを言ってあげたかったが…私はそこまで場慣れしてはいないので無理だった。外に出てすぐに浴衣と…それを着ているRを褒めたのだが…上手く言えたかどうかの自信ははっきり言ってなかった。照れてしまってそれどころではなかったからだ。ちょっとだけ髪をあげて大人びた表情を見せていたR…はにかんで笑ってごめんと言っていたR…この一連の流れを見ただけで私はもう幸せだった。この喜びの為に時間をかけてでも山梨まで行っていると言っても過言ではなかった。私の為に浴衣を着てくれた(部分も少々あるだろう、否あってほしい)ということがその原因だったが、それがすごく似合っていたことと…見とれてしまうほどの可憐さにびっくりした。こうして再会は見事達成されたのであったが…祭りが始まる時間まではまだ余裕があったのでそこらを見て回ることにした。しかし南甲府というのは甲府よりも栄えていないようなところだったので…それもすぐに諦めてしまい、少し早いが会場に向かうことにした。ちなみにこの祭りは山梨県ではかなり有名な祭りらしく…会場行きの電車が臨時増発するくらいのものだった。特に最後の花火大会が人気らしかった。狭い車内でぎゅうぎゅうになりながら…それでもRを庇いながら会場へ向かうことになった。山梨が田舎であることと…南甲府が更に田舎であることも相成って、私は祭りのスケールはそれほどのものではないと高をくくっていたのだが…着いてみてスケールの大きさに驚くこととなった。今になって考えてみると…田舎の祭りほどスケールが大きくできるものなのかもしれな、私の地元の祭りも同じようにスケールだけは大きかったような気がする。そんなこんなで会場に着くと、はじめに花火を見るための場所取りから始めることにした。この祭りの花火大会は…川に面した土手で行われるのだが、その土手が非常に広いことと花火大会を見に来る人の多さがかなりのものだったのでいい場所をとっておかないと花火が綺麗に見れない恐れがあったからだ。場所取りも済んでいざ出店を見て回ることにした私たちはその方向へ歩きだした。色々な出店が出ている中…私たちはまずカキ氷を買うことにした。かき氷を出店で買って食べるなんて本当に6年ぶりくらいなので多少テンションがおかしな方向へいっていたかもしれないが…Rもとても喜んでいたのでよしとすることにした。二人で並んで歩きながらカキ氷を食べる…この私以外の方々には当たり前のことが私にとってはかけがえのない宝物になった。これがデートというものなのかと感動すら覚えたものだった。一通り出店をまわって買いたいものを物色したのち…祭りの必殺技であるアルコールを買って私たちは花火の場所取りをしていた場所に戻ることにした。ところがマーキングも何もしていないこともあって…私たちがキープしていたところはあっさり他の人にとられてしまっていた。少し残念だったが…新しい場所を求めて移動することにした。ほどなく新しい場所を見つけ小さな乾杯をして私たちはお酒を片手に花火が始まるまで話をしていた。今思えば他愛のない話だったが…それでも二人の間の距離と時間を埋めるだけの内容ではあったような気がする。お酒に弱い私がちょっと飲んだだけで顔が赤くなることを笑っているR、酔った酔ったといってくるくる表情が変わるR…全部愛しかった。やはり私はRのことが大好きなのだと確認するには十分な出来事だった。しばらく話をしていてほどよく夜の帳がおりはじめた頃花火大会は始まった。私はあまりすごい花火大会を見たことはなかったので前評判で凄いと聞いていた今回の花火大会に期待していた、勿論そこにRがいるからというのもあるのだが…。いよいよ始まった花火大会…はっきり言って想像以上だった。まずは数が凄かった、私が今まで見てきたものは花火大会と呼んでいいのかどうかを疑うほどのものだったと言える。それからスケールが違っていた。やはり花火大会と言うだけあって見る価値が充分にあるものだったと言える。土手の芝生に寝転がって見る花火というのはとてもいいもので…それを好きな人と見るというのは最高の時間だった。下らない話や世間話…花火に対する感想を述べたりしながら…Rと寄り添って花火をずーっと見ていた。臨時電車ですら数が足りなくて帰りに手こずったものの…とても充実した1日目だった。Rと一緒に出店を見て回ったこと・素敵な雰囲気でRと花火を見れたこと…私は幸せものかもしれない。Rも楽しそうだった、その笑顔が見れただけで私は満足だった。3日の日程の今回の旅行…1日目の滑り出しとしてはこれ以上ないものだったかもしれない。
Aug 7, 2006
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今日が山梨への出発の日だった。もう慣れているものだと高をくくっていたのだが、当日になってみるとやはり慣れていないことが判明した。どうもいつものような不純な動機ではない分緊張感が伴ってしまうようで…それが適度でもあると感じる余裕はもう3回目ということで持ち合わせていた。今回は我が鈍行の旅の手助けをしてくれるその名も「学割」があったので意気揚々としていたものだった、その後に待っている不幸など知る由もなく…。今回の旅行も近鉄線とJR線をフルに活用した旅行となることは見えていた。あらかじめ新幹線を駆使していかに安くかつ早く行けるかを計算してみたような時期はあったのだが…どう考えても15000円はかかってしまう結果をなった。片道で15000円はさすがに痛すぎるが、今回のお財布具合を考えるとそれは可能だ。だがそれは今後の為にはならないことを意味している。一度でも高価だとしても便利なものを経験してしまうとそれまで使っていた手段に嫌気が差してくるという現象は何においても観察することができる。今回の場合も例に外れることはなく…一度新幹線の便利さに触れてしまうと、今まで頑張ってきた鈍行の旅ができなくなってしまう恐れがある。私は意志の弱い人間だ、そちらに傾倒してしまい、無益な損失を蒙ってしまう結果になってしまうことも無いとは言い切れない。そんなわけで如何に財布に余裕があろうとも私は鈍行でのんびり行く旅を選ばせてもらうことにしている。例えそれが片道13時間かかるのだとしても…笑そんな今回の旅行が幕を開けたのだが…今日だけで山梨まで行こうとは到底考えていなかった。山梨県の県庁所在地をご存知の方がいらっしゃればわかるとは思うが、甲府駅前というのはあまり栄えているとは言えないような状態にあるのだ。一夜を過ごすのだとしても…漫画喫茶を探すのが定石なのだが、私の調べでは駅前から徒歩で2時間南下してもそれらしいものどころか24時間営業のお店はデニーズしか見つけることができなかった(2回目の山梨旅行の日記参照)。京都から始発で行ったとしても…甲府に着くのは最低でも夜の9時頃ということになる。それから会うというのは迷惑以外のなにものでもない。会いには行きたいが、自分のエゴを突き通すような愚かな真似はしたくない。会えないということになると…泊まる場所を探すのは必然的にホテルということになる。ホテルとは言ってもビジネスホテルに決まっているが…たかだかビジネスホテルとは言ってもそれなりに値段の張るところばかりなのだ。特に甲府駅前周辺はビジネスホテルが乱立しているということもあって…価格競争には余念が無いときている始末だ。そうなると…1日目には名古屋なり静岡で止めておいて漫画喫茶で夜を明かす方が幾分合理的だと言える。そのように学習した私は今日は漫画喫茶で夜を明かすことにした。漫画喫茶ならリーズナブルに済むし、漫画を読むというメリットも介在している。そんなわけで今日は漫画喫茶でドラゴンボールの全巻読破という無意味にもほどがある内容に勤しんでいた。見事達成したのは6時間後だったが…これまた無意味な達成感に酔いしれていた。そんなわけで一睡もしないで始発の時間を迎えて甲府に向かうことに…。ただの報告になってしまっては面白くないし、まだRも出てこないのでいつものやつをやろうと思う。今回は電車での旅行ということで電車に関する疑問だ。ずばりテーマは… 「電車の料金には大人と子供があるが…それをわざわざ区別する意味が見えない」ということだ。料金がかかるシステムというのは得てして搾取のシステムであり…配分するシステムよりも合理的かつ素早く可能だという面を持っている。宝くじを買って高額当選したとしても…宝くじ代を支出するスピードよりも高額当選金がもらえるまでの方が圧倒的に時間がかかることを見てもこのことはよくわかる。それなのに電車を始めとする料金搾取システムに子供料金を取り入れているものは子供の方が圧倒的に安い場合が多い。これは現代では当たり前になっているのだが…私は疑問に思えて仕方ない。「子供だから安い」というのは果たして当たり前なのだろうか?例えば美術館等を例にして考えてみるとする。美術館は世界の著名な画家の絵が飾られており習いのあるものにとっては最高に刺激を受ける場所である。しかし…絵に置ける子供の感性は抜きん出ていることは珍しいことではない。大人が一生懸命に書いたものでさえ…子供の独創的かつ巨視的な視点で描けば素晴らしい出来に仕上がることもまったくないとは言えないのではないだろうか。その場合…美術館というのは子供の才能に関係してくる要因があると考えられる。美術館における大人の閲覧料をA円、子供の料金をA/2円と定義した場合…未知の可能性を秘めた子供に対する対価がA/2円に対して成長することを運命付けられた大人に対する対価がA円だというのは必ずしも合理的だとは言えないのではないだろうか。こと美術館という財において考えれば「大人だから感受性も確立していて絵の本質がわかり子供はただの絵としか見れない」というように決め付けているような子供料金制には疑問が残ると言わざるをえない。しかし…そのように芸術的な面での子供料金に関して言えば「価格を安くすることによってそのものに触れる機会を増やそう」という考えだというのならある程度は納得できるが、しかしこれにも問題はある。それは子供の定義の「不確定さ」である。子供というのはどこからどこまでが子供であって…あるボーダーを越えると子供ではなくなるということが極めて曖昧だ。それを定義するのは時代の背景を寸分狂わず把握することが肝要であるし…それすら時代の流れとともに絶えず流動的なものだと言える。もしもそれをある程度の枠にはめて定義するのだとしたら…現行の子供料金を「子供料金」だけにするのではなく「○○才未満は××円」というように定義してしまえばいいように思う。それも芸術的な観点から言えば決め付けであって…真理ではないことは言うまでもないが…。もしかしたらそういう措置を行っている部分もあるのかもしれない。しかし…現状では圧倒的にしていないと言わざるをえない。このような曖昧な定義をし続けていると…子供に聞かれた時に困るのは自分だ。
Aug 6, 2006
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今日は荷造りで時間を過ごした日だった。何故なら明日からまた山梨へ行くからという…他の方にはどうでもいい且つ私には最重要なことが控えているからだ。前にも2度ほど行ったが、私とRが知り合って会うようになるまでには長い月日があった。その間色々あった、揉めたこともあったし互いの考えがすれ違ってしまって誤解を招くようなことも何度となくあった。しかし順風満帆すぎるよりも…そのようにお互いの考えをぶつけ合える仲というのは貴重なものだと感じている。そのように揉めたこともあったが、そのような手順(というと語弊があるが)を踏んでこそ今の関係があるのだし…やはりそのような関係だからこそ言いたいこと・はっきりさせたいことを明確にしておくことは常々大切だと思ってたからだ。相手もそこのところには異存はないようで…ある意味ではちゃんと自分の考えを言い合うことですっきりしている部分もあるように思う。よくよく考えてみると…前回の2回もここにそのことを書いたような気がする。そうなると…ここは私の独り言をつらつらと呟く場でありながらも…Rとの軌跡だと言えなくもない。恋愛関係だけを突出させるようなブログにしたいという考えは毛頭ないのだが…それでもやはり自分でもどうしようもない時にはここに書いていこうとした結果が今までだったように鑑みてみれば思う次第だ。Rは最早私の日々の日常生活の重要な一部に成っているのだから出てこない方がおかしいというものだ。書かないわけではない、しかし…頻度は下げようと思う。幸せと不幸せはゼロサムだ、全てに許容してもらうという面で言えば…書かない方が顰蹙を買いそうにないからだという言い訳でもしておくとしよう(笑)このブログを5月の初めくらいから読んでくださっている方がいれば…今回で3回目の山梨入りとなる。その際…最早これはおざなりになってしまいそうなのだが…ブログを休ませていただこうと思う。今回はその山梨行きとお盆休みが重なる為に…長期の休暇になってしまいそうだが。ここ最近はお盆だろうが正月だろうが家に帰らないことが多かった。行事だからと言って帰るという慣習は最早薄れてきていると言えなくもないのだが…実家までの距離が遠いということが家から足が遠のいているのが主な理由だ。しかし今回は帰らないわけにはいかない、重要な話をしないといけないからだ。そんなわけで明日から復活未確定でブログ休憩します、読んでくださっている方には大変申し訳ないが…お許しいただきたい。溜まった分は帰ってきて落ち着いてから一気にあげようと思う。一気にあげてしまうと読んでくださる方が少なくなってしまうのは承知の上だが…それも仕方ない。特に…7・8・9日の日記は膨大な量になってしまいそうなので
Aug 5, 2006
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いつの間にやら20000ヒットいっていました。しかし敢えて20000を踏んだのは誰なのかは言わないこととします。何故なら…誰なのかわからないから。強いて言うのならば「AUの携帯から入られた誰か」ということしかわからないわけで…。それでもここも2度目の節目である20000を迎えることができました。これもこんなブログでも読んでくださる方がいらっしゃるからだということは忘れないようにしたい。はっきり言って…私なんかのブログにどうして人が集まってくださるのかが不思議でならないのだが…読んでいただいているので不平も言っていられないだろう。兎に角これを読んでくださる全ての方にお礼が言いたいです、本当にありがとうございます。今回もまた例によっていつもバトンをまわしてくださる梨コさんから頂いたバトンをしてみようと思う。もう結構バトンというものをやってきたのだが…どうも何回読み返してみても私の書いている内容は面白いような気はしない。それでもめげずにやろうと思う、その心意気だけはかっていただきたいものだ(笑)☆★☆進化バトン 76世代め☆★☆ □□■□ルール□■□□ **気に入らない質問を 1つ削除して、新しい質問を 1つ加えること** (1番最後の質問のみ 対象外) **【進化バトン♪ ○世代目】の○のトコロを、カウントアップ(+1)すること**《 問1》 幸せになれる食べモノは?肉じゃが・大根なます・パエリア・たこ焼き《 問2》 よく聴く音楽はなんですか?天野月子・BONJOVI等の古い洋楽《 問3》 今 1番欲しいモノは 何デスか?普遍的な信頼と絶対の愛情《 問4》 1番注目している事は?東海・南海地震と首都圏直下地震がいつ起こるのか《 問5》 今、一番の楽しみは??夜のメッセ《 問6》 最近一番幸せだったことは??ちょっとづつでも信頼を得ていること《 問7》 最近一番不幸せだったことは??穴が開いている下着を4枚見つけたこと《 問8》 次にこのバトンを回す5人をお願いしマス・黒*さん・アンバーグリースさん・☆RIKKO☆さん・junjun0306さん・ちるちる9428さん・today3さん・☆橘風花☆さんまわす人に関してはたくさんいる中で5人を選ぶことは私にはできないので7人あげさせていただきました。良かったかどうかはわかりませんが…お願いしたいです。
Aug 4, 2006
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今日もまたいい天気だった。ここのところ夏のような天気が続いていて夏を感じることができる。洗濯物を干してもすぐに乾いてしまって気持ちがいいし、掃除をしても朗らかな気分になることが多い。而して今日は特にすることもなく…なんとなく掃除をしたりなんとなく洗濯をしたりしていた。もともとは綺麗にしておくのが結構好きな方なので、時間さえあれば部屋を綺麗に保つことをしてしまうことが結構多い。それなのに最近はそれをしないのはやはり忙しかったからであろう、いくつものことを一度にできないのは悪い癖なのような気がする。そろそろまた山梨に行く時期が近づいてきた。その度にブログを休んでいるのでとても心苦しいのだが…それも許していただきたいものだ。ある種ではそれが私の楽しみであり…相手にとってもそれが楽しみであることを切に願っているからだ。それに伴って思うところが2つある。今日はそれについて述べてみようと思う。はじめに言っておかなければならないこととして…私は別に社会問題や時事問題について書くネタがなくなったわけではないということだ。書くことは沢山あるのだ、ネタがなくなることはない。しかし…理論をしっかりと提起した上で考えられる論法の帰結を図る為にはすぐに書いてしまっては私の気が済まないからだ。如何なブログと言えども、私は一つ一つを論文だと考えている。なので適当な内容や曖昧な対処をしたものを簡単にアップするわけにはいかないからだ。その点は2ヶ月ほど前から誤解されているような懸念があったのでここで言っておこうと思う。まずは1つ目だが…私のブログは他の方よりも文量が少しだけ多いように思う。勿論私のブログよりも文量が多いブログはよく見かけるし、そのことを自慢しているわけでも毛頭ない。だが…それにしても少しだけは多いような気がする。最近は活字離れという現象がさけばれている。文字よりも絵がある方が子供にもウケがいいということが当たり前になっているようだ。それは逆に言えば文字が避けられているということの証拠になっている。それが子供だけではなく「膨大な文字を読み解く」という行為を避けている大人も多いような気がする。なので…これはあくまで比較論の話になるのだが…私くらいのブログの量でも避けられてしまう可能性が高いことを意味している。前にも言ったが私は「見られる」ということを意識して書いているつもりはないのだが…書いてアップする以上は誰にも見られずに…ということはブログの特性上不可能に近いものがある。故に過度ではないにしても…見られているひいては読まれているということを意識しないで書くことは無理だろう。そこにきて私程度の文量でも回避される可能性を考えれば…やはり内容もさることながら「読みやすさ」を考慮にいれる必要性が出てくる。20000ヒットを目前にして心機一転が必要なのかもしれない。よって…少しの間実験的に少ない文量で書いてみようと思う。統計学的にどちらの方が読みやすいのかを試してみようと思ったわけだ、尤も…それ以外にも方法はあるのだが…読まれているかどうかがアクセス数でしか推し量れないブログならではの手法のような気がする。やっぱり書いている以上は読まれたい欲があるわけで…(汗2つ目は1つ目とは全く関係ないことなのだが…山梨に行くということに関係している。私はこれまでの人生は出不精の権化のような人間だった。18歳になるまで自分の住んでいる都道府県から出たことがなかったくらいだった。勿論親に他県へ連れて行ってもらうことはあったのだが…自分の意志でどこか違うところまで行くことはなかった。それが今回の出来事で色んなところに行くようになった。それは私としても「遠くへ行くことの面白さ」を発見できたので有意義だった。色々なところへ行くということはレベルは違えど全く違う文化に触れる機会を作ることに繋がる。人間的に小さかった私が少しだけ進歩した出来事だと言える。初めて山梨に行くことになった時…当然のようにどうやって行っていいのか見当もつかなかった。なので便利な世の中の産物であるインターネットで路線検索をしてみることにした。選んだろころは全ての分野でトップとなっているyahooの路線検索にしてみることにした。あの検索サイトを使ったことがある方はわかるかもしれない、特にお金がない学生の方だと余計に感じるかもしれないことが今回のテーマだ。それは… 「yahooの路線検索には鈍行の電車での行き方が掲載されていない」ということである。yahooと言えば言わずと知れた検索のトップである。最も支持されているからには利便性を追求していることの裏づけであり、全ての人のニーズに応えていることを意味している。なのに路線検索をしていると特急から上のレベルからしか検索できないようになっている。それは行けるならできるだけ早い手段で行きたいと思うだろうし、その為の手段を提供してくれていることは嬉しい限りなのだが…お金がなくて鈍行で行くという人も新幹線で急いで行きたいという人と同じくらいの比率でいることもまた事実なのだ。なので私ははじめて調べた時には新幹線で新横浜まで行ってスイッチしてこないといけないのだと信じていた。しかし友人に調べてもらった結果…鈍行でも行けることがわかったのだ。鈍行検索できた方が絶対に各方面のニーズに応えられるような気がする。エンジンというのは色々積んでしまうと重くなってしまい効率的な検索が可能ではないことはわかってはいるが…空路検索と路線検索をわけてしまえばその問題も解決できる。今の検索では空路検索も混ざっているのでそれが積めないのだとしたら…勿体無いと言わざるをえない。全てのニーズに応えることはどの分野にも難しいことなのであるが…今あるシステムが完全だと思ってしまうことが一番良くない。下はわかりやすいが上を見出すとキリがない。キリがないからと言って頑張らないのは成長を阻害することを意味している。結果が出なくても常に向上心を持ち続けることが人間の特性だと言えるのだから
Aug 3, 2006
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Dearness 頑なに耐える涙はここに吐き出しなよPureness 真っ直ぐすぎる君へと投げ出すカーブ君が北を向いたなら わたしは南を眺めよう微かに震える君の 吐息が届く位置にきつく繋ぐ糸や約束は要らない磁力はなくならないかどうか君を試したい愛してる言葉にしたなら君は近くなるの何一つ 纏まりきらない ひとつにならないa half and a half壊れた球体のfidgetyaddicted to you君がが顔を伏せるなら わたしは流星を探そう曇った瞳の奥を 彩る花火になろう欠けた心の壁 塞ぐ番もないどれほど間違いを起こせばこの穴は消えるの愛してる言葉に出来たら心軽くなるの捩れてく 君との架け橋 見失うのならa half and a half溢れた感情の feel dizzycorrect my soul気が付いてわたしの事 嘘でいいから都合のいい存在ならば 捨てて欲しいから愛してる言葉にしたなら君は近くなるの何一つ 纏まりきらない 早く繋げて欲しいよ愛してる言葉に出来たら心軽くなるの捩れてく 君との架け橋 見失うのならa half and a half壊れた球体のfidgetyaddicted to you天野月子「1/2 -a half-」より引用何となくこんな気分だった。この人の歌詞とメロディラインは秀逸だ。はっきり言ってJ-POPのレベルは下がる一方だが(もともとそこまでのレベルはなかったが)聞く価値がある一部の中に入っている。まぁ私が「音楽」として認めているのは現段階では男性ではラルク、女性では天野月子だけなのだが…笑
Aug 2, 2006
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今朝は友人からの電話で目が覚めた。朝早いということで見事なまでに常識知らずな電話だったのだが、久々に電話をかけてくれた友人ということで邪険にもできずに話を聞いていた。すると…貸していた漫画を返したいので家に行きたいということらしい。貸しているということを私自身が忘れてしまっていたのでそのままにしていれば良かったものの…律儀な人でわざわざ大阪から原付を飛ばして返しに来てくれたようだった。かと思っていたら大学の図書館に借りていた本の返還期間が差し迫っていたのでそのついでということらしい。まぁそれでも返してくれるということなので素直に受け取っておくことにしよう。私は元来貸すという行為が好きだ。私の持ち物を借りたいと頼ってくれることが嬉しいし、それがその人の為になるのであればしてあげたい気持ちが人一倍強いからだ。しかしそれと同時に貸したものが返ってくるかどうかには興味がない、たとえそれがお金でもそうであることが多い。貸してしまったことに満足してしまって返って来ることを想定していないから…というのもあるが、私は幼少期にものを貸して返ってきたことがほとんどないという事実も大きく関係しているような気がする。だからと言って幼少期にいじめられていたわけではないのであしからず…笑それに加えて久々に友人が来るということで部屋の掃除をした。普段の私の部屋は殺伐をしていて足の踏み場がないほどにものが散乱している。なのである程度ではあるが掃除をして迎え入れることにした。着くなり彼女さんとの仲を聞き出してしまうあたりは私の悪い癖なのだろうが…それをちゃんと理解して話してくれるその友人もなかなかナイスなキャラだと言えるが…幸せそうなのでお互いに嬉しいといったところだろうか。そう思ってくれないと私がイタイキャラになってしまっている懸念があるために。ここ最近はガソリンの値段が高騰する傾向にある。ガソリンは日本国内の景気の動向だけでなく海外の情勢が大きく関係してくる財として非常に興味深い対象として見られる。それは日本ではガソリンのもとになる石油の採掘が行えないということからきているのだが…故に日本の経済状況とは関係なく価格が変動することもある。景気がいいからといって価格が適正になるわけではないというのはある意味では斬新だと思えるのだが…現在の日本は申告な不況からの回復期にさしかかっているにも関わらずこのような価格上昇は正直辛いとしか言いようがない。しかし財の価格に対しての弾力性に敏感なのが日本人の特徴だとは言える。リットルあたりの値段が3円上がるとガソリンを入れる量を考えてしまうというのが日本人だ。そのようにガソリンの価格が上がるということによって新たな産業が出てきているような気がする。それが燃費向上グッズと呼ばれるものらしい。しかしこれにも大きな疑問が残る。現在のガソリン価格は150円台にのるほどの稀に見る高騰を見せている。しかし一般的な価格としては都市部で120円台、農村部で110円台くらいが相場だと言える。その差額はおよそ30円と大きく開く結果となる。一般的に需要が高いとされている乗用車でそのガソリンタンクの内容量は40~50リットルくらいだろう、勿論個体差はあるのでわからないが…だいたいはそれくらいだと聞いたことがある。今仮にガソリンが空っぽの車にガソリンを注いでいくとしよう。一般価格のものの場合は120円×50リットルで6000円程度となる。現行価格で入れた場合は150円×50リットルで7500円。一回でおよそ1500円の差が出ることになる。今ブームになっている燃費向上グッズは燃費が良くなってガソリンの減少量が少なくなるということが効果として見込めるのだが…今までにそこまで必要性がなかったということでその価格は高めに設定されている。安いものでも10000円くらいが相場のようだ。エレメントを変えるとかハイオクを入れてその車自体の燃費を改善するという手法は確たる結果を出しているので信頼できるのだが…車に積むだけで燃費が良くなるというものにそこまで信頼を寄せてもいいものだろうか?1リットルあたりの走行量が1キロ(そんなに少なくはないが便宜上)から1.1キロになったとしてもそれは燃費向上に効果があるということで商品化できてしまうだろう。そのようなものに何万円も出していて採算が取れる日が来るのだろうか?そこが疑問に思えて仕方ない。これは価格が安くて普通のエアコンを買うのと価格が高い省エネエアコンのどっちを買う方がお得か…という議論によく似ている。これからもガソリンの価格が上がり続けるのだとしたら効果も出そうだが…そうなると燃費向上グッズもそれに伴って価格が上昇する可能性がないとは言えない。いたちごっこにならないことを祈るばかりだ。
Aug 1, 2006
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