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8月7日3度目の列車を利用して、ハマから首都ダマスカスへ戻ってきた。アルラビホテルに向かうと、ハマで出会った旅仲間と次々に再会することとなった。私がアルラビホテルを勧めておいたので、特に約束はしていなかったのだが、お互いに再会することが出来たのだ。 再会した旅仲間と晩ご飯2度目のダマスカス。今回は旧市街を散策した。やっぱりダマスカスといえば旧市街。 現在は使われていないヒジャーズ駅でアサド大統領と 旧市街へと続くナセル通り。看板にはヨルダンの名前も ダマスカス最大のスーク。両サイドにギッシリと店が並んでいた スークで見かけたシャーイ(紅茶)売りのおじさん エンターテイナーな装飾品を身につけ観光客に人気である 土産屋ではもちろんアサド大統領のポスターを購入! アサド大統領グッズがズラリと並んでいた やっぱりシリア人女性は綺麗でセクシーだアーケード付のこの大きなスークには大勢の買い物客や観光客で大賑わいだった。雑貨やアクセサリーに衣料品、土産物など何でも揃い、色々な人を見ることも出来てとても見所の多いスークであった。続いて、ウマイヤドモスクに入った。 大混雑していたモスクの入口 かなり立派で大きなモスク モスク内にて モスクの中もかなり立派な造りであった ビデオ撮影をする若くて綺麗な女性モスクで見かけた人々の服装から、色々なイスラム諸国からの観光客が多いように思えた。モスクにいる時が、イスラム教の国にいるということを最も実感が出来て、同じイスラム教徒でも国籍や服装、顔つきまで異なりとても興味深く人々を観察することが出来て非常に有意義な空間であった。日本人が神社やお寺の中にいると落ち着いた気持ちになるのと同じように、モスクの中ではリラックスも出来て、とても落ち着ける場所だった。シリアには10日間滞在した。旅人の前評判通り、シリアの人々は親切で雰囲気の良い国であった。わずか半日余りの時間でシリアを南北に通過出来てしまうほどの小さな国シリア。そのためか、2、3日で南北の隣国であるヨルダンやトルコへ抜けてしまう長期旅行者も多いようである。しかし、とても小さい国ではあるが、見所も多くて物価も安く人々も優しい。食事に困ることもない。私にとって長旅に疲れた心身を癒してくれた、そんな優しい国、シリアであった。もちろん、ハマやダマスカスで一緒に過ごした欧米人の旅仲間との出会いも、より一層にシリアでの滞在を楽しくさせてくれた。8月9日朝早く、2度ほど世話になったアルラビホテルをチェックアウトして、ハマで出会いダマスカスで再会したイスラエル系オーストラリア国籍のジョディと一緒にヨルダン行きのバスがあるバスターミナルへと向かった。そして、バスではなく乗り合いタクシーでヨルダンへ向かうためにタクシードライバーを探した。すると、すぐにドライバーが見つかった。あとは、相乗りする客を待つこととなった。それほど待たずにオーストラリア人のカップルが見つかり、私ジョディと計4人でシリアのダマスカスからヨルダンの首都アンマンまで1台のタクシーで向かうこととなった。値段は、相場通り1人500SP(約$10)。おじさんが運転する黄色のタクシーは、ダマスカスの中心部付近の路上で突然止まった。そして、タクシーを降り、すぐそこに止まっていた白のスポーツカーのような車に乗り換えるように言われた。どうやら、この白い車でヨルダンまで向かうようだ。黄色いタクシーのおじさんは、我々を降ろし、ガタイのいい強面の男に一言二言告げるとどこかへ行ってしまった。そして、顔に傷跡が残る強面の男の車に乗り、ヨルダンまで向かうことになった。白い車の白タクである。さっきのおじさんは彼の白タクの客引きだったようだ。少々不安をかかえながら、ダマスカスを後にして我々3人はヨルダンを目指すこととなった。まあ1人ではないし、タクシー料金もまだ払っていない。何とかなるだろうと思い、殺風景な荒野が広がる景色を車窓から眺めていた。 さらばダマスカス!無口で強面の男の白タクは快調に飛ばし、シリアとヨルダンの国境に到着した。彼は手続きにも慣れているようで、車のチェックが終わると、我々をシリアの出国手続きとヨルダンの入国手続きへと導いてくれた。 ヨルダンの入国審査エリアにて。3人の仲間とガラの悪い車体の白タク日本人の私は無料でヨルダンのビザスタンプがもらえた。無事に4人とも入国審査を通過し、再び白タクで首都アンマンへと向かった。果たして無事にアンマンへ着いたのか!?~次回、ヨルダン編へと続く~
2008.02.23

前回のシリア旅行記はこちら。8月2日アレッポ城で知り合ったイラク人と別れ、列車に乗って夕方にはハマという町に着いた。 ハマでは珍しいアサド大統領の写真この町では、至る所で見かけたアレッポと違いアサド大統領の肖像写真をほとんど見かけなかった。そのことは過去に起こった問題が絡んでいるらしい。ハマはシリア中部にある小さな都市で、町の中心部にある水車が有名だ。 観光客に人気の大きな水車 このように、かなり大きい木製の水車がギシギシと渋くて重みのある音を出しながら、回っていてなかなか味のある光景だった。夜になると、水車がライトアップされ、とても幻想的でロマンチックでもあった。 レストランから、綺麗にライトアップされた水車を眺める8月3日この日は、ハマの安宿で知り合ったオランダ人とオーストラリア人と3人で世界遺産でもある『クラック・デ・シュバリエ』に行った。シリアでは、パルミラ遺跡の方がもっと有名で人気がある。しかし、後ほどヨルダンのペトラ遺跡に行く予定で、旅行者の情報ではパルミラよりペトラ遺跡の方が良かったという意見が多かったので、パルミラには行かずに、ハマでのんびりしようかと思っていた。この、『クラック・デ・シュバリエ』にはオランダ人のロックに誘われて行くことにしたのだ。ロックは早稲田に留学をしたことがあって、日本語が上手いイケメンだ。オーストラリア人のジョディはユダヤ教徒で、この後友達がいるイスラエルに向かうと言っていた。つまり、家系や宗教はイスラエル人ということである。ただ、オーストラリアに移住したので国籍上はオーストラリア人で、シリアには問題なく入国出来る。険悪なイスラエルとシリアの関係を考えたら、かなり複雑な彼女である。そして、彼女もロックほどではないが日本語が少々話せた。なかなか面白いメンバーでの旅となった。 シリアのミニバスハマからはホムスという町までミニバスで、そこでミニバスを乗り換えて計1時間半ほどで『クラック・デ・シュバリエ』に着いた。『クラック・デ・シュバリエ』の入口付近イスラム教徒の休日でもある金曜日ということで、クラック・デ・シュバリエは観光客で賑わっていた。彼らは欧米人、またシリア国内や周辺国から来たと思われる人が多かった。そこで思ったこと。シリア人女性は、かなり綺麗!簡単に説明すると、アラブ人と白人をミックスさせた感じだ。ダマスカスでも感じたのだが、ここに来た観光客である彼女たちはさらにファッショナブルでモデル並みに綺麗な人をたくさんみかけた。遺跡の方も大きな城といった感じで、外観は綺麗で丘の上に建っていることもあり、遺跡の上からの眺めも最高だった。 天空の城ラピュタのモデルになったという『クラック・デ・シュバリエ』 ロックとジョディと一緒に 8月4日次の日もロックの誘いで、違う遺跡に行くことになった。アパミアというハマから小1時間で行けるかなりマイナーな遺跡で、ロンリープラネットには紹介されていた。私は、それほど遺跡が好きなわけではないが、逆にロックのほうが遺跡好きで関心してしまうほど熱心だった。 ご覧の通りほぼ無人の遺跡 見応えのあったアパミア遺跡マイナーな遺跡ではあるが、かなり良かった。ほとんど観光客はおらず、自然に近い状態でとても素晴らしい雰囲気だった。ハマには5泊もした。なぜなら評判通りに小さな町ではあるが居心地がが良く、人々も優しい雰囲気で、歩いて一通りの用事が済ませられる、いわゆる『沈没地』に相応しい所だったからである。 5泊世話になったカイロホテルの格安シングルルーム何よりも、この部屋が気に入ってしまったのだ。元々はキッチンがあったようで、水がいつでも使えるのは便利だった。トイレとシャワーもすぐ隣にあった。最上階にあるので、すぐそこに屋上のフロアーがあり、そこには景色を眺めたりテーブルで食事をするスペースもあり洗濯物も干せて、ロックとジョディは屋上ドミトリーに泊まっていたのだ。 すぐ近くのジューススタンドの親子 ハマの町 ハマ随一のレストランにて。左の2人はイギリス人宿ではイギリス人2人とも知り合いになり、彼らはこれからエジプトでアラビア語を勉強しに行くと言っていた。よく喋る彼女はミャンマー人とのハーフで、彼はただの友達だと言っていた。やっぱり中東を個人旅行する旅人は面白い人が多くてとても刺激的だ。ここで知り合った彼らのおかげで、さらに素晴らしいハマでの滞在となった。 ハマで見かけたUAEの車~まだまだシリア編続く~
2008.02.03
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