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今日は、ヴィエンチャンに着いて5日目にして、やっと観光をしました。まずは、いつものように自転車を借りて、ラオスの凱旋門こと、パトゥーサイを見に行きました。そこへ行く途中の宿の近くに、こんな建物がありました。 マーケットから、さらに北の方へ進むと、パトゥーサイが見えてきます。 そして、これがラオスの凱旋門です。 ちょっとお金を払うと、凱旋門に登ることが出来ます。中には、土産物屋が結構ありました。4階か5階位の高さに来ると、ヴィエンチャン市内が一望出来ました。 一国の首都ですが、高層ビルも無ければ、渋滞も起こりません。 さて、次はタートルアンというヴィエンチャンで一番有名な寺院に向かいました。中に入ろうとしましたが、ちょうど12時から13時まで昼休みで、中に入ることが出来ませんでした。 周りには、制服を着た学生が結構いました。暑い中、1時間も待つのはキツいと思い、寺の周りを歩いてみました。すると、3人乗りをした子供たちがカメラに気づきました。 寺裏は、ローカルなエリアになっていて、現地人のお昼時を垣間見ることが出来ました。無邪気な子供たちが、楽しそうにしているのを見たりして、満足しました。タートルアンには入りませんでした。これから先、ミャンマーでたくさんのお寺やパゴダを見ることになるでしょうから、ここでは特にこだわりませんでした。その後は、町に戻り昨日行った中華料理屋で、餃子とご飯を食べました。地球の歩き方にも載っているこの店は、イラクで人質となってしまった、日本人女性のTさんにソックリなオーナーと、愛想のいい女性スタッフが数人います。お客さんは、やはり中国人がメインで店内は中国語が飛び交っています。私も話せる限りの中国語を使ってみました。やはり、第2の故郷のような気がする中国です。中国のテレビ番組も見ました。熱いお茶も出してくれました。これだから、中国の食文化は最高です。 これは、昨日食べた麻婆豆腐とご飯です。夜の19時にヤスくんと待ち合わせをしていたのですが、彼は来ませんでした。恐らく、最高級ホテルに泊まっている彼は、そこにあるディスコに行って、女の子を持ち帰りに行ったと思われます。ハノイから来た休暇の最終日で、しかも昨夜は失敗に終わっていたので、彼の行動は推測出来ました。さて私は、ヴィエンチャンに来て初めて日本食屋に行きました。キッチン東京という店で、その中でも安かった親子丼を頼みました。(27,000キップ)ここでは、最新の読売新聞が読め、日本のポップスが流れています。懐かしい曲を聴いたときは、思わず日本が恋しくなり、一時的ですが感傷的になりました。浜崎あゆみの『Who... 』を聴いた時がMAXでした。。。店内には、30代くらいの旅行者っぽくないカップルがいたり、疲れきったようなおじさん1人ずついました。その後は、昨夜行った所で2時間ほど飲みました。ちょうどいい感じで、ヴィエンチャンもそろそろ、といった気分です。明日は、ミャンマービザを受け取り、そのままタイのノンカーイへ戻る予定です。
2006.01.31

前日、1月29日はこちら今朝は早起きをして、8時過ぎに宿の近くで自転車を借りて(12,000キップ。$1=約10,400キップ)ミャンマー大使館を目指しました。このヴィエンチャンへ来た大きな目的として、ミャンマービザの取得があります。バンコクでも取れますが、朝7時くらいに行って、そこから6時間くらいも並んで、やっと申請出来るらしく、運が悪いとその日のうちに申請すら出来ないようです。しかし、このヴィエンチャンでは、そんな面倒なことは無さそうで、しかも$20とバンコクで取るよりもお買い得です。さて、地図を見ながらミャンマー大使館を目指しましたが、なかなか場所が分かりません。現地人に聞くと、あっちだよとか、そこだよと言った所に行ってみると、見事にカンボジア大使館でした。何とか、それらしき建物を見つけて、敷地内に入ってみました。 建物は立派でしたが、朝早いせいでしょうか人気がありません。芝生の手入れをしていた使用人に聞くと、隣の建物だよ、と言って連絡口を通されました。 おっ、今度こそミャンマー大使館に間違いありません。どうやら最初に入った、表の門が固く閉ざされていた方の建物は、ミャンマー大使か誰かの邸宅だったようです。。。寝ぼけていたせいでしょうか、人様のお宅に土足で勝手に上がってしまったようです。。さて、ミャンマー大使館に入ると、ロビーに通され、まあ、お座り下さい。と促されてソファーに腰掛けました。そして、申請用紙を渡されて3枚とも同じ内容のものを書きました。不明な箇所は、大使館員のおじさんが丁寧に教えてくれました。他にも2人ほど職員がいましたが、みんなしてアメリカのプロレスを見ながら笑っていました。写真を4枚渡すと、大使館員のおじさんはのり付けしてくれましたが、プロレスに夢中で、のりを持ったままなかなか写真を貼りませんでした。こうして、何ともノンビリとした雰囲気の中、ミャンマービザの申請が終わりました。ミスター、水曜日の16時に来てください。明後日の16時に、$20を持っていき、受け取ることになりました。 こちらが本物のミャンマー大使館です(町の中心部から自転車で20分強)その後は、自転車で町中へ戻りました。 タラート・サオという大きなマーケット横にあるバスターミナル夜の18時にヤスくんと待ち合わせをして、またメコン川沿いの屋台レストランへ行きました。そこでは、スキヤキ鍋屋があったので、迷わずそれを頼みました。これまた美味く、もう1人前(10,000キップ)頼みました。その後は、2人で飲みに行きました。それくらいしかやることがないし、ヴィエンチャンでは女の子と一緒でも安く飲めるので、ちょうどいい都合です。1軒目は、店内が真っ暗でした。選べと言われても、見えません。。適当に選ぶと、その子は17才のようでした。どおりでビールが進まないわけです。2軒目に行きました。こちらは、大盛況で西洋人ツーリストもたくさんいました。女の子もたくさんいました。1時間ほど適当に楽しみました。ヤスくんは女の子を持ち帰りたかったようですが、店側の言い値に対して、女の子が値段のつり上げを要求したらしく、交渉は不調に終わったようでした。ヴィエンチャンでは、女の子付きで、1時間$4前後で飲むことが出来ます。
2006.01.30

RDゲストハウスのベランダよりメコン川を眺める RDゲストハウスの16人ドミ部屋の私のベッドから見た感じ上段の4ベッドは仕切りが無いので油断すると下に落ちます今泊まっている宿は、韓国人がメインで、日本人と西洋人がたまに泊まりに来ます。16人ドミは蚊が多くて、良く寝れないこともしばしばです。最近は、西洋人でヒッピー風のおじさんが何人か泊まっています。イタリア人のおじさんは、後ろ髪だけ長くて15年も切っていないそうです。彼はいつも笑顔で挨拶してくれます。他の、あるヒッピーおじさんは、ガリガリに痩せていて、挙動不審なところがあります。何かあったのでしょうか?1泊$2と最安値クラスのドミですが、居心地は悪くありません。日本語の情報ノートもあります。ただ、たまに水道の水が出なかったり、蚊が大量発生したりと多少問題もありますが。。さて、今日は中国の旧正月でした。 ヴィエンチャンの町中では、そんな光景が見られました。また、日曜日ということもあってでしょうか。メコン川沿いの道路脇では、地元民がのんびりと芝生に座ってくつろいでいる姿が目立ちました。 夜になって、夕食を食べようかと町を歩いていると、日本人の若者に出会いました。彼も夕食を食べに行くところでした。例によって、メコン川沿いの屋台レストランへ行きました。彼は、ハノイで日本の企業で働いているそうです。何でも、ここ1年半位はハノイへ中期間出張して、日本へ戻りすぐハノイへ、という繰り返しらしいようです。ちょうどベトナムでも旧正月で、4日間の休暇を利用してヴィエンチャンへ来たようです。しかも、1泊$60もするホテルに泊まっているとのことでした。食事を終えた後、ディスコへ行ってみることになりました。噂では、ヴィエンチャン一大きな建物である新しい5つ星ホテルにあるとのことでした。とりあえず、メコン川沿いを東へ歩いて、少し距離のあるそのホテルへ向かいました。20分位して、そのホテルに着きました。そして、彼は明日の夜からここのホテルに移動したいらしく、部屋を見せてもらい、ディスカウントもしてもらっていました。ちなみに、メコン川ビューの13階の2ベッドルームで、シングル$75ほどです。かなり立派な部屋でした。2階にディスコがありました。しかし、誰も客はいませんでしたが、派手な格好をしたラオス人女性が何人かいました。店のシステムを聞いてみると、カラオケ部屋を貸しきって1時間$30とドリンクとチャージ別。フロアで飲んだ場合、女性1人1時間$3で、ビールが$1とのことでした。我々は、後者を選び1時間だけ飲みました。私が選んだ女の子は19才で、なかなか愛嬌があって可愛い子でした。ヤスくんが選んだ子は、派手な外見で綺麗なのですが、全くやる気がありませんでした。つまんなそうに、ソッポを向いてばかりでした。英語が2人とも話せず、我々もラオ語が話せないので、何とも微妙な1時間でした。ママとヤスくんが、今後のこと、を話したようですが、我々は1時間で撤収しました。個人的には、そこそこ楽しめました。
2006.01.29

今朝は、ジェイミーと元花火師の加藤さんを見送って、宿の人とサラート・タオという、マーケットに行きました。このマーケットは、ヴィエンチャン最大で、昨日会った東京から買い付けに来ていた彼女が訪れた場所でもあります。私は、朝食にフー、というベトナムで言えばフォーにあたるヌードルを食べました。 これまた大当たりで、フォーよりもボリュームがあって美味かったです。一通りマーケットを冷やかした後は、ネット屋に行ったり昼寝をしました。ヴィエンチャンでは、1時間ネットをしても70円位と格安です。15時頃に、チョコクロワッサンを買い、一人でメコン川沿いの屋台レストランでレモンティーを飲んでいました。すると、隣のテーブルに女性4人と男性1人のラオス人グループがやって来た。彼らは、昼間からビールを飲んで楽しんでいました。少しして、英語の出来る女性が話しかけてきました。そして、一緒にビールを飲まないか、と誘ってくれたので彼らの輪に加わりました。英語を話す彼女は、10代の頃に、これまたシアトルに住んでいたらしく、後にアメリカで知り合った男性と国際結婚をしたそうです。しかし、とても残念なことに彼はイラクのバグダッドでテロの巻き添えを喰らってしまい、昨年に亡くなってしまったそうです。そして28才の彼女の友人とその旦那さん、友人姉妹2人とも話しをしました。途中で、夫婦は退席して近くにいたオランダ人男性も合流しました。そして後に、スイス人のおじさんも加わりました。彼女達はビールを沢山飲んでいました。とても楽しそうでした。たまに、物乞いがやって来て、お金や食料を強請ってきました。 彼らは、他のテーブルから貰った残飯をほお張っていました。ラオス人の彼らは、体が不自由な物乞いが来ると、幾らかのお金を寄付していました。私たち外国人もその時は寄付をしました。こんな感じで、メコン川を眺めながら皆でビールを飲みながら楽しんでいました。21時頃になり、未亡人の彼女は一旦帰宅し、その他の5人はビアレストランに移動しました。そこでも23時半頃まで一緒に飲みながら楽しみました。未亡人の彼女は、年配の西洋人のボーイフレンドと一緒に現われ、別席で楽しんでいました。スイス人の彼は、明日の早朝にパクセに移動するらしく、先に帰りました。彼は、いろんな国を旅したらしく、70年代に長崎・福岡を始め九州を訪れたことがあるらしく、英語ばかりか多少の日本語を上手なアクセントで話す愉快なおじさんでした。私が、もしかしたらスイスに行くかもしれないと言うと、スイスのアドレスを書いてくれました。0時前に店を出て、酔っ払った、あまり英語が確かではない美人姉妹は、ギブミーゲストハウス。。と、ちょっと良く分からないことを言ってきました。一緒に泊まりたいのか、宿代をくれと言っているのか、単に酔っ払っているのか。。。オランダ人の彼も理解に苦しんでいました。私は、彼女達がヴィエンチャンに住んでいて、バイクで帰れることを知っていたので、2人で帰ってもらいました。ここで、中途半端に色を出してしまうと、トラブルの基です。良く分からないときは、断った方が無難です。というか、最初からその気は無かったのですが。ちょっと、ケバめな美人姉妹でしたが、単なる金持ちの姉妹で、何もねだらず、金払いも良かったので水商売系ではないと思いますが、かなり楽しませてもらいました。思わぬ形で地元のラオス人と交流出来て、とても楽しい夜でした。
2006.01.28

前夜、ファランポーン駅を40分ほど遅れた列車は、ノンカーイ駅には定刻より少しだけ遅れた、9時過ぎに到着しました。 2等寝台の上段に寝たところ、結構フカフカな寝心地でしたが、すきま風が若干気になりました。でも、カーテンも閉められるし、十分でした。値段も中国の同等列車よりも安いので、満足しました。 さて、列車を降りてから、列車内で再会した同じ宿に泊まっていた、北海道大学の院生の彼と一緒に国境越えをしました。ちなみに、彼は金欠のため、最下級席の3等に乗ったようでした。まずは、駅前からトゥクトゥクに乗り合ってボーダーまで行きました。(10バーツ/人)ちなみに同乗した3人の西洋人は、ノンカーイの町まで1人30バーツだったようです。 そして、タイ側のイミグレーションで出国の手続きをしました。同じ列車から来たような西洋人や、タイ人・中国人の団体も混ざり、結構並びました。そして、また10バーツを払い、友好橋という両国を結ぶ橋を渡りました。その間に国境を越えました。メコン川のちょうど真ん中辺りにそれらしき看板が橋上に立っていました。 さて次はラオス川の入国審査です。 我々はバンコクでラオスビザを取っていたので(この国境でも取れますが、値段もほぼ一緒で、シールビザが欲しかった為)アライバルカードを記入して、すんなり入国となりました。その後は、もう一人の日本人女性と3人でトゥクトゥクをシェアしてヴィエンチャンの町まで向かいました。決められた220バーツをカウンターで払い、リッチそうな彼女が80バーツ出してくれました。他にも地元民が乗ってきました。彼女は、東京からバンコク経由で同じ列車の1等寝台に乗って来たようで、日帰りでバンコクへ戻るとのことでした。彼女は、ヴィエンチャンのマーケットへ、アクセサリーの買い付けに来ていました。ラオス側の人に頼んで送ってもらう方が安いらしいのですが、確実ではないため、自分の店からバイヤーとして3ヶ月に1度くらい買い付けに来るようです。航空券代等を差し引いても、全然儲かるようです。やはり、日本では高額で売れるのでしょうか。いい商売です。逆に変な言い方をすると、その店の客は、相当にボッタクラれていることになります。。でも、それなりの需要があるようなので、日本は豊かなものです。さて、30分位して彼女を降ろし、我々はゲストハウスに連れて行ってもらいました。2軒下見をしましたが、RDゲストハウスという韓国人宿で、16人ドミトリーの部屋に決めました。($2)玄関前で靴を脱がなければならず、ちょっと汚いし、蚊は多いですが、それほど気になりません。情報ノートがあり、ロビーの壁にはヴィエンチャン情報が載った地図があるので便利です。 ここヴィエンチャンへ来た目的は、ミャンマービザを取ることでもあります。フロントでミャンマー大使館の開館時間を聞くと、午前中の11時半で終わりだそうで、その時はつい10分ほど前に11時半を迎えていました。。改めて週明けの月曜日に行くことにしました。腹が減ったので、適当に町中を歩いてみました。すると、美味そうなサンドイッチ屋を見つけました。 迷ったあげく、オムレツのサンドイッチのフルサイズを頼みました。私は、野菜はトマトだけにして、しかも卵と一緒に調理するよう、またチーズもトッピングするように頼みました。炭火の上の網でフランスパンを温め、続いてボールに入れた卵を調理していました。 美味い!ラオスの第一食目は、大当たりでした。しかし、フルサイズはちょっとデカくて、最後は一杯一杯でした。ハーフでも良かったかもしれません。夕食は、宿で知り合った4人で、メコン川沿いにある屋台レストランへ行きました。河川敷にテーブルを並べただけのレストランですが、いい感じです。宿からは3分くらいの距離です。日本人3人とアメリカ人の彼と4人です。彼は、中国の成都に交換留学(四川大学)している、本当はシアトルにあるワシントン大学(ワシントンDCではなく、シアトルのあるワシントン州の名門大学)の学生で20才と最年少です。私も、7月にシアトルに行って、彼女と彼女の家族とマリナーズの試合を見に行って、しかもイチローが2本ホームラン打ったとか、成都なら11月に行って来たよとか、ワシントン大学も行ったことがあるいぞ、今年は日本一のキャッチャーがマリナーズに移籍したぞ!、といった話しをして意気投合しました。彼は、アメリカ人(白人)と中国人のハーフで、なかなかのイケメンです。思わず、もしも、もしもアメリカ人の彼女との子供が出来たとしたら、こんな感じの男子になるのかぁ、と思わずにはいられませんでした。そして、彼は日本人の留学仲間と一緒に旅をしているようで、後に話しをしましたが、彼は37才で元花火師でお台場の東京湾花火大会も手がけていたそうです。なかなか面白い経歴を持った方でした。そして、今後は保定という北京近郊の町へ移る予定とのいことでした。ジェイミーは7月まで成都にいるようで、シアトルにも来てよ!とか言ってくれて連絡先を書いてくれました。 屋台レストランの照明とラオスビール。その向こうは暗闇に包まれたメコン川ヴィエンチャンは噂通りの、こじんまりした、世界有数の田舎な首都ですが、バンコクと違って、のんびりすることが出来るし、なにしろ、歩いて周れる町という私が好きなタイプの所でもあり、いい感じです。
2006.01.27

今日は、実に忙しい一日となりました。まずは、実家に電話をして、海外旅行保険の延長について旅行会社に確認してもらいました。2月28日で保険期間が切れるのですが、延長することを考え、延長料金と可否を確認してもらいました。旅行会社に確認した親父曰く、1万円ちょっとで延長出来る、との回答でした。ただ、親戚の叔母さんの具合が良くないので、出来れば2月中に帰国して欲しい、と親父に言われました。もちろん、私が旅行を続けたいのも理解している、と付け加えて言っていました。前日に、ユナイテッド航空の香港-成田間の、マイレージ特典用の2月と3月分の空席状況をチェックしていました。2月の下旬は23日しか空いていませんでした。親父の言葉を念頭に、しばらく考えました。そして、国際電話(カオサンから日本の固定電話へ、9~10バーツ/分)を使って東京のユナイテッド航空のオフィスに電話をしました。そして、3月14日から2月23日のフライトに変更しました。本心では、3月中も旅を続けたかったのですが、家族のことや自分自身の今後の旅のことも考え、一時帰国することに決めました。さて、次はバンコク-ヤンゴン(ミャンマー)と、バンコク-香港の航空券探しです。まずは、ラオスビザを依頼したAB TRAVEL(航空券の値段、は日系とインド人の店の間くらい)へ行き、ミャンマー国際航空の空席状況を聞きました。すると、希望日のヤンゴン行きが満席でした。夜遅くヤンゴンへ到着するフライトなら毎日飛んでいるようですが、希望の午前便は週3便しかありません。2月23日に香港から日本へ帰国しなければならないので、ミャンマー行きの出発日を遅らせるわけにもいきません。バンコクエアウェイズなら毎日フライトがあり、しかも空席も十分あるようでした。AB TRAVELのスタッフが、バンコクエアウェイズを勧めてきました。すると、この日なら残り2席、その日なら4席しかない。とPCを見せながら言ってきました。しかし、画面を確認すると、ただ2席仮予約しただけで、残り2席だった訳ではないことは、すぐ分かりました。しかも、事前に自分自身で空席確認をしていたので、毎日十分に空席があることは知っていました。そして、彼は400バーツのTAXが追加される。と言いました。先日、総額で確認した金額に400バーツ上乗せするということです。そうなると、日系2社で聞いた値段より高くなります。以上のことから、私は彼を信用するのをやめました。彼は、私が希望するフライトが満席で、困った顔をしていたのに、つけこんだのでしょうか。残念でした。また戻るよ。16時までに戻って来た方がいい、と言われましたが、そう言いながらも、もう行かない、と決めました。次は、MPツアーに行きました。ここは日本人の森氏が経営している、カオサンでは超有名な旅行代理店です。値段だけを比較すると、確実にカオサンの他の代理店よりも高いです。ただし、バンコクエアウェイズのヤンゴン行きについては、インド人経営の店より、ちょい高、程度でした。ついでに、バンコク-香港のエミレーツ航空と中華航空(チャイナエアライン)の値段を聞きました。次に、例のインド人経営の店に行きました。エミレーツ航空と、中華航空ともMPツアーより安かったのですが、中華航空の値段については、総額で聞いたのですが、他の代理店で聞いた航空券のみの値段と一緒で爆安でした。このことと、以前に今は就航していないはずの、バンコク-チャンマイ-ルアンパバーン間のタイ航空のフライトについて尋ねた時に、航空券の値段とフライトスケジュールを返答してことを考慮して、また、数々の良からぬ噂(実例も含む)を聞いていたので、インド人の店は却下しました。そして、MPツアーに戻り、バンコクエアウェイズのヤンゴン往復と、バンコク-香港(片道)のエミレーツ航空のフライトを予約し、その場で入金して30分後に両方のチケットを受け取れました。その間、森氏と色々とお話をさせて頂きました。さて、エミレーツ航空ってどこの航空会社だ?と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、アラブ首長国連邦(UAE)の航空会社で、ゴージャスなフライトが楽しめそうな気がします。以前から一度乗ってみたかったのですが、事前調査で、バンコクー香港間のフライトがあることを知り、値段も安かったので即決しました。今から楽しみです。日本円にして、数百円程度日系の旅行代理店は高いですが、MPツアーに関しては、その場でチケットを受け取れましたし、時間のない私にとっては好都合でした。ちなみに、インド人の店はフライト日の前日夕方渡しが基本のようです。しかし、私がバンコク等で知り合った日本人は、インド人の店を利用するひとが多かったです。リスクは多少あるようですが、問題無いことも多いようなので、数百円でも安い方が良くて、値段重視の方はお勧めかもしれません。さて、航空券を確保した後は、米ドルの現金作りをしました。ラオスとミャンマーに行くので、更に米ドルの現金が必要になりました。色々考えましたが、最終的には日本円のTCをタイバーツに両替して、そのバーツを米ドルの現金に再両替することにしました。なぜならば、日本円のTCが今後一番使いづらくなるので、真っ先に消化したかったからです。また、米ドルのTCは、最悪の場合でもミャンマー国内で超高率な手数料を払えば、現金化出来るからです。ラオスでは、タイバーツを基本に使うことにしました。必要に応じて、小額の米ドル現金からも両替しようと考えました。さて、何軒か当たってレートの良い両替所(銀行を含む)を探し、まず日本円のTCからバーツに両替しました。レートは、先日両替した時よりも、1%ちょっと悪くなっていました。次に、タイバーツから米ドルの現金に両替を試みました。しかし、何軒かあたっても、ウチはやってない、とかある1軒は、今は手持ちが少ないからまた後で、との始末でした。お寺のある通りへ移動しました。すると、可能だ、と返事が返ってきました。そして、約2.98円で買ったタイバーツを、$1/39.23バーツで買ったので、$1=約116.9円で両替することが出来ました。無事に今日の所要をこなした後は、宿で食事をして、ちょうどファランポーン駅へ向かう時間になりました。最初は、53番のバスで行く予定でしたが、旅行期間も短縮になったし、少々疲れていたので、タクシーを利用することにしました。カオサンのちょっと外れた所から、赤と青色のタクシーを拾いました。運ちゃんは、100バーツ、と言ってきましたが、他へ向かって歩き出すと、OK、OKと言い出して、メーターで行くことに合意しました。少々渋滞にはまりましたが、61バーツで駅に着きました。駅構内は列車待ちの人で込み合っていました。電光掲示板を見上げると、どの列車も30分前後到着が遅れているようでした。 自分の席に着くまで、全くの切符のチェックもされずに行けました。結局、40分遅れて列車はノンカーイへと出発しました。
2006.01.26
今日は、午前中に宿を変えました。さくらハウスには2泊したのだが、部屋の冷房が強すぎて寒かったです。みんな、毛布や寝袋を巻いて寝ていたほどです。そして、部屋に窓がないので終日暗くて、また、レックさんラーメンという店が同じフロアにあるので、厨房の臭いやトイレの臭いが結構気になったので、トラベラーズロッジに戻りました。今まで、中国やインドにあるような最低レベルの宿に泊まったことも多々ありますが、汚いのは我慢出来ても、臭いと暗さは気になります。こちらはの食堂は1階にあり、とてもくつろげるし、部屋も蚊が多いけれどテラスがあるので開放的で明るいので、私としてはこちらがベターでした。今日は、夕方にラオスビザが出来上がったので、AB TRAVELにパスポートを取りに行きました。そして、その後は友人たちと屋台で食事をして、22時半頃から結構な人数でカオサンにあるディスコに行きました。1軒目は、フロアが狭く照明も暗いのですが、地元のタイ人が大多数で雰囲気が良かったです。メンバーがバラバラになり、私ともう一人の友人で他のディスコに行ってみました。こちらは、若い西洋人やツーリストが多く、照明は明るかったのでこちらもいい感じでした。3軒目にも行ってみました。こちらは、1・2軒目よりも大きくて、結構盛り上がっていました。ただ、ドリンクを強制的に頼まなければならないので、すぐに出ました。結局は、1軒目のディスコに戻り、閉店時間の1時過ぎまで楽しみました。この店は、タイ人の若者グループがメインで、中にはオカマが何人かいました。 その後は、屋台でラーメンを食べ、部屋に戻りました。しかし、大量の蚊に悩まされ、かゆくて痒くて寝苦しい夜となってしまいました。。明日の夜行列車で、ノンカーイに行きそのままラオスの首都・ヴィエンチャンへ向かう予定です。
2006.01.25

今日は、バンコク入りして以来、ようやくカオサン近辺から外出しました。 いつものように、トラベラーズロッジで朝定食(30バーツ)を食べて、お寺からチャオプラヤー川に向かう途中にあるバス停から、53番のバスに乗りファランポーン駅に向かいました。バス停に向け歩いている時に、発車したバスに気づいたので、手を広げてバスを止めて(運転手が停めてくれて)飛び乗りました。ラッキーでした。ファランポーン駅に着くと、インフォメーションで時刻表をもらい、それから前売り券売り場に行きました。 英語で、列車番号と行き先、日にちを告げると、すんなり発券してくれました。 26日のノンカーイ行き夜行列車の2等寝台上段(ファン)はあっけなく確保出来ました。その間、たったの1分ほどでした。同じ部屋の人の情報だと、ノンカーイ行き夜行列車の2等寝台は水曜日まで混んでいるということでしたが、私の希望日は空いていたようです。切符を買った後は、新しい地下鉄に乗ってみました。シーロムまで2駅で16バーツです。窓口でお金を払うと、中国の広州で乗った地下鉄と同じで、プラスチックで黒の円形の切符を渡されました。車内も、広州の地下鉄とそっくりでした。シーロム駅に着くと、ルンビニ公園に出て、公園を歩き抜けて、BTS(高架鉄道)のChitlom駅まで歩きました。そこから、20バーツの切符を買い、Phrom Phone駅まで乗りました。そして、駅前にあるショッピングモールに行き、東京堂書店に入りました。ここは、日本語の本がたくさん売られています。新聞も売っていて、ホリエモン逮捕!!が1面を飾っていました。ちなみに、朝日・読売新聞が各70バーツでした。しばらく立ち読みをした後、スクンビット通りを歩いて、古本屋に向かいました。しかし、品揃えが良くなくて、すぐに店を出ました。そこから、隣のAsok駅まで歩き、タイムズスクエアーというビルに入りました。 目的は、上の写真に載っている、HISとプログラムDという日系格安航空券販売旅行会社を見に行くことでした。まずは4階にあるプログラムDを見に行きました。私はこの会社を使って、オーストラリア行きの航空券を、中国で手配しました。予約から発券まで全て中国国内で完了出来ました。ただし、入金だけ日本の家族に振り込んでもらいました。 さすがに、Webサイトが充実していて、来店客よりメールや電話での問い合わせがメインと思われるほど、店舗は狭かったです。6人前後の従業員がひたすらPCに向かっていました。次は、11階のHISに向かいました。ここには、日本人3組がカウンターに座っていました。私は、置いてあった読売新聞を読ませてもらい、店を出ました。どこにでもあるような、HISという感じでした。従業員も若く、言葉使いもそのような感じでした。ちなみに、私も元HIS新宿本店(高島屋前)の社員でした。その後は、BTSを使ってサートーンの船着場まで行きました。(35バーツ)そこから、カオサン近くの船着場まで船に乗りました。(11バーツ)やはり、外国人も多く乗船していました。 私は、渋滞にはまったり、排気ガスの中バス待ちするのが嫌いなので、地下鉄やBTSと安くはない交通手段を使いましたが、真昼間から車が数珠繋ぎになっている渋滞道路を見下ろしながら、快適にバンコク市内を移動しました。明日の夕方にラオスビザが出来て、明後日の夜行列車でラオスとの国境の町・ノンカーイに行って、ラオスの首都ヴィエンチャンを目指します。
2006.01.24

ここバンコクへ到着して4日目を迎えました。しかし、まだカオサン周辺からは一歩も出ていません。オーストラリア旅行で、資金の節約の為というか、飲食物の物価が高過ぎて、食事制限をせざるを得なくなってしまい、結果的に4kgほど痩せてしまいました。それを取り戻すべく、日本食を中心に食事量を増やして、体力をつけようとしています。また、情報ノートや日本人旅行者の方々と話をして、情報交換に努めています。ついつい、日本人宿で沈没してしましました。そして、バンコク市内の移動が面倒なので、出不精気味になっています。さて、今日はラオスビザを旅行会社に頼みました。自力でラオス大使館に行くのが一番面白いのですが、結構遠いのと、やはり2度行かなければならないので、代行してもらうことにしました。何軒かの旅行会社をチェックしましたが、大体1150バーツ~といった値段でした。今朝まで泊まっていた、カオサントラベラーズロッジとお寺近くのAB TRAVELが1150バーツだったのですが、明後日25日の夕方にピックアップ可能なAB TRAVELに頼みました。ちなみに前者は、申請日を含めて4日目の夕方になるとのことで却下しました。その後は、さくらハウスという姉妹店の日本人宿へ移動しました。こちらは、150バーツでエアコン付き、ホットシャワー、洗濯機無料、マンガ喫茶2時間まで無料とのことです。さくらハウスのフロントで、これまた昆明で一緒だったシンガポールで勤務予定の彼と会いました。彼は、シンガポール人の友人とツインに部屋をとりました。今日は、カオサントラベラーズロッジの一部を紹介します。 入り口です 1階の食堂兼フロントです宿の注意書き1 宿の注意書き2 宿の注意書き3 宿の注意書き4 宿の注意書き5この宿のポイントは、上記写真のように、過剰なまでに注意書きの張り紙が多い点です。もちろん、地図や列車・バスの時刻表など、有難い情報も多いのですが、ちょっと、注意書きの張り紙が多いのには、驚きました。オーナー様にはお会いしていませんが、彼の意向なのか、または非常識な旅行者が多過ぎたのでしょうか。それでも、色々と情報交換出来るし、ガイドブック・雑誌・情報ノートがあるので便利です。あまり利用者はいないようですが、屋上にはテラスがあり、カオサン周辺を望むことが出来ます。
2006.01.23
1月22日前半はこちら今朝、カオサンとカオサン裏通りをつなぐ路地にある、日本人が泊まっているゲストハウスが集まるエリアで、たまたまフエで会ったナオキくんに再会しました。彼は、一度バンコクから帰って、失業保険をもらい、またバンコクへ戻って来たのです。次はインドに行くそうで、航空券を探しているようでした。私も、ミャンマーやラオス行きの航空券を探そうと思っていたので、2人で旅行会社に行きました。まずは、安いと評判のインド人経営の旅行会社へ。場所は、カオサンから南側のバス通り方面に向かう細路地を進んで、カオサンと平行している、路地の一角にあります。ターバンのようなものを頭に巻いた、2人組の若いインド人が店番をしていて、店舗自体はとても小さいです。何種類かの航空券の値段を聞いてみると、確かに他の旅行会社よりも、少し安かったです。ただ、ナオキくんが泊まっている宿のオーナー曰く、そのインド人の所で買った日本人の航空券が、空港に行って使えなかったことがあるらしい、とのことでした。彼は、インド人の所で、カルカッタ往復のインディアン航空の航空券を購入しました。彼の馴染みの旅行会社があり、そちらにも行ってみました。お寺の通りにある、A.B TRAVELという所で、彼は日本へ帰る航空券の値段を聞いていました。私も、ミャンマーやラオス行きの航空券について聞いてみました。すると、何れの航空券も、若干インドの店よりも高かったです。ただ、彼は何度もA.B TRAVELを利用しているそうで、信頼は出来ると言っていました。そして、彼はもう一度インド人の店に行って、日本へ帰る航空券の値段を聞きに行きました。私は、ネット屋に行かなければならなかったので、そこで彼とは分かれました。私の航空券については、今後のルートが確定していなくて、陸路でも検討しているので、もう少し考えるつもりです。
2006.01.22
今日は、プライベートなことでドタバタがあり、ネット屋で2時間以上もMSNメッセンジャーで会話をしなければならなかった。結論から言うと、彼女と別れることになったのである。アメリカ人の彼女とは、日本で知り合い、ちょうど1年が経ったところであった。しかも、結婚という話まで出ていた時もあった。詳細には触れないが、これからの旅についてや、旅を終えてからの今後について、考え直さなければならなくなった。リセットボタンを押された、というか、押さざるを得なかった、という感じである。ちょっと突然のことであったので、数時間は少々パニくったが、4ヶ月振りくらいに髪を切って、リフレッシュに努めた。100バーツの店と、150バーツの店があったが、気分転換に150バーツの立派な店の方を選んだ。綺麗なタイ人の若オバさんに散髪してもらった。手際も良く、15分位で相当なショートカットに仕上げてくれた。その後は、カオサンのWELCOME TRAVELという旅行会社で、ビザ申請用の証明写真を撮ってもらった。120バーツで8枚と、5軒位リサーチした中で、最安値であった。写真屋だと、150バーツで8枚が相場であった。そこでは、ごく普通のデジカメで撮影して、3分後には8枚のカラーの証明写真が仕上がった。夜は、旅で知り合った友達たちと、屋台で食事をしたり、食後も違うエリアの屋台で甘いものを食べた。予期していたことであるが、やはり別れというものは、あまり良いことではない。しかも、チャット上でのことだったので、まだ実感がないというか、信じられない気持ちでもある。ただ、カオサンの喧騒や、友達と過ごしていることで、その動揺を紛らすことが出来ている。基本的に、諦めが肝心、と考える方なので、後は自分の気の持ちようである。今後の旅やそれ以降のことについて、出来るだけ良い判断を自分自身に下して行きたいと思う。
2006.01.22

今日は、部屋の中で、たまたまメルボルンの宿が一緒だった彼と会い、彼から、タイの地球の歩き方の古本を300バーツで買ったという話を聞き、私も早速その店に行ってみました。場所は、カオサン近辺のお寺付近に並ぶツーリスト通りの一角です。 私は、350バーツの言い値を250バーツまで値切って、購入しました。日本円で約750円です。カオサン以外で買えたとしたら、もう少し安いのかもしれませんが、それほど気になりません。ちょっと汚れていますが、最新版だしバンコクとチェンマイの地図コピーしか持っていなかったので、助かりました。その後は、日中はガイドブックを読んで、今後の予定を考えていたりして、のんびり過ごしました。夜になって、カオサンロードに行ってみると、土曜の夜ということもあり、物凄い人だかりで賑わっていました。通りを西から東へ歩いてみると、東端にこんなものがありました。 中国語で何か書かれていますが、意味は分かりません。恐らく、中国の旧正月のお祝いで賑わっていると思われます。 このように、どっかのバンドが、カオサンにステージを設けて歌っていました。その他、中国語で書かれた、同じデザインのTシャツを着た若者をたくさん見かけました。 夜は歩行者天国になるので、通りの真ん中まで屋台が出ています タイ人の姿も相当数見かけました 軽トラックでタイ人の若者がオリジナルのポストカードを販売しています旧正月のお祝いと、土曜の夜という条件が重なって、とにかく凄い人出で盛り上がっていました。6年前には、これほどのタイ人の若者たちがカオサンにはいなかったですし、西洋人をはじめツーリストの数もかなり増えた気がします。やはり6年もの時の流れを感じます。そして、カオサン裏通りの屋台街を歩いていたら、昆明・ハノイで一緒だった友達に会って、4人の中に加わりました。その中には、25才の誕生日を迎えた女性もいました。どうやら、4人でケーキを食べていたようでした。そして、ビールを飲んだり、旅の話をして盛り上がりました。
2006.01.21
1月20日前半はこちらですたまに、タイ入国時にタイを出国する航空券のチェックがあったり、片道航空券だと入国を拒否されるのではないか、といった懸念があるようです。ただし、多くは航空会社の意向のようですが。実際に、私は今回タイを出国する航空券を持っていませんでした。ちなみに、香港-成田の3月14日発の航空券なら持っていました。そして、入国審査の長蛇の列が意外とスムーズに進んでいて、このペースなら航空券のチェックはない、と予想していました。30分位並んで、私の順番になりました。入国審査官は、小柄で可愛らしい、見た目は高校生くらいの女性でした。私が、タイ語で挨拶すると、彼女も 「サワディーカーァ↑」と、笑顔でとろける様な優しい声で返してくれました。6年振りのタイ入国は、とても好印象なものでした。今回の旅は、香港-中国-ベトナム-オーストラリア と、味気ない入国ばかりでしたが、たまたま彼女が、癒し系、だったのかは分かりませんが、とにかく、気分のいい入国審査でした。そして、何のチェックもなくタイ入国となりました。ちなみに、6年前は45日オープンチケットを使用していたので、旅行会社のアドバイスもあり念のため、東京のタイ大使館に行って、60日滞在の観光ビザを取得しました。今となっては、いい記念です。さて、次は両替です。事前の情報では、空港内の両替レートは良く、しかもどこで両替してもレートは同じとのことでした。私は、誰も並んでいなかったバンコク銀行で両替しました。日本円からの場合、トラベラーズチェック(T/C)の方が若干レートが良いようです。ただし、1枚あたり33バーツの手数料がかかります。私は、オーストラリアで使わなかった50,000円のT/Cで両替しました。ちょっと50,000円だと多いように思えますが、ミャンマーとラオスに行く予定なので、航空券代で消化出来ます。結果的に、手数料も両替金額に対して少なく、効率的な両替が出来ました。
2006.01.20

※※気分転換の為、今回から文末を『です、ます調』に変えてみます。シンガポールからバンコクへのフライトは、中国人団体客が大挙押し寄せていました。私の周りには、数十人の中国人が席を占めていて、離陸間際になっても、大の大人たちが、シートベルトもせず、通路に出てまで大写真撮影大会が行われていました。どこに行っても、中国人はどこにでもいるわけで、しかも態度はどこへ行っても大人げないようです。。。シンガポール航空のフライトは、今回が12フライト目ですが、こんな状況は初めてで、世界のシンガポール航空、の名に恥じる中国人団体客でした。恐らく、中国の旧正月の時期が近いこともあって、これから東南アジア諸国でも、中国人が大挙押しかけてくることになるようです。さて、12時半頃バンコクに着きました。タイに入国するのは、およそ6年振りです。先月は、トランジットの為にバンコクの空港で待機しましたが、バンコク市内へは、かなり久しぶりです。さて、バンコク銀行で両替を済ませ(1バーツ=2.9円代位)、エアポートバスのA2番で、カオサンロードを目指そうとしましたが、1時間に1本しかなく、しかも出発してしまったばかりでした。1時間近くも待ちたくなかったので、タクシーを使うことにしました。1人だと、1000円位はかかってしまうので、カオサンに行きそうなバックパッカーを探して、声をかけました。日本人はいなかったのですが、西洋人2組に声をかけたところ、断られました。最後の女性2人組に賭けました。これで駄目なら、1人で乗ろうと。オランダから初めてアジアに来た彼女たちは、私とシェアすることに賛成してくれました。空港(第2ターミナル)の出口を出てすぐの、エアポートバス乗り場横のタクシーカウンターで、行き先を告げ、ドライバーに指示が行きました。料金は、350バーツ+高速代60バーツです。彼女たちと少し話しながら、タクシーは高速道路を飛ばしていました。市内方面への一般道路は、既に渋滞していました。40分位して、6年振りにカオサンロードへ着きました。私がタクシー代を一括して払うと、彼女たちは、2人分で380バーツも私に払ってくれました。本当にいいの??と確認しましたが、2人は快諾していました。という訳で、私は空港から30バーツ!!でカオサンまで来てしまったことになります。私は、彼女たちに、カオサン周辺は騒がしいので、少し離れた、寺の近くでチャオプラヤ川にもほど近いエリアを教えてあげました。私は、カオサントラベラーズロッジという日本人宿にチェックインしました。6年前には無かったはずです。とりあえず、昨夜遅くのブリスベンからの疲れもあり、とりあえずどんな日本人宿か知りたかったので、そこに決めていました。ファン付のドミトリーで120バーツです。ちなみにエアコン付だと150バーツです。他の安宿に比べれば確かに高いですが、色々と情報も欲しかったし、オーストラリアの物価に比べれば、全く格安なので少々の差額は気にしません。 ファンに頭をぶつけないように、注意書きがしてあります落ち着いてから、カオサンを散歩してみました。相変わらず、物凄い数のツーリストがいます。バックパッカーが集まるエリアとしては、恐らく世界一の規模ではないでしょうか。その後、カオサンとカオサン裏通りの間のゲストハウスが集まっている路地を歩いていると、昆明の宿でしばらく一緒だった、ミッキーと昆明とハノイで一緒だったG君と連続して再会となりました。突然だったので、かなりビックリしました。残念ながら、ミッキーは今夜のフライトで日本へ一時帰国するとのことでした。でも、来月にまた戻ってくるので、またの再会を、と言って別れました。G君は女の子を連れていたので、そのまま食事に行ってしまいました。相変わらず、レディがお好きなようで。。部屋に戻り、休憩していると、これまた昆明とハノイで会った、マサさんと再会しました。そして、マサさんと、竹亭という日本食レストランで食事をしに行きました。オーストラリアでは、物価が高くて貧しい食生活を強いられていたので、今回は奮発して、タイの物価的には高価な日本食を選びました。 私はカツ定食を(120バーツ) マサさんは刺身定食を食べました。(150バーツ)ご飯はお替り自由です。味は、日本のと変わらないくらい美味しかったです。マサさんは、34才で仕事を10年した後、ここ5年はほぼ仕事をせずに旅をしている人です。ちょっと、辛口で理屈っぽいところもありますが、数少ない私よりも年上なバックパッカーで色々と知っていて、話を聞くと参考になります。旅の話だけではなく、その国の背景にある、あまり知られていない事実等についても彼は知っていて、ためになりました。6年振りのバンコク・カオサンロード。アカ族という、タイ北部の少数民族衣装を着た物売りがかなりいて、驚きました。また、大きくてオシャレな西洋人受けしそうな新しいレストランやカフェがたくさん目につきました。6年も時間が経つと、やはり色々と変化していくものです。正直、アジアに帰って来てホッとしています。というか、物価の安さにホッしたというか、のんびりとお金を気にせずに旅を続けて行けそうな気がしました!!アジアだ万歳!!
2006.01.20
I am in Singapore airport now.My flight got to there 5:00 and my next flight bound for Bangkok is 11:00.I am sleeping and using free internet!I think Singapore Changi international airport is one of the best airport in the world.Because that airport is very big and modern,beautiful and comfortable,good survice!Bangkok is coming soon!!
2006.01.20
It was raining all day.I checked out my room and then went to library to use internet.We can use free internet for 2 hours each day in Queensland State library,so I used 2 hours then.After that I went to South bank parklands which is by Brisbane river to walking.And I had lunch in some Chinese restrant.And I was back to youth hostel to pick up my backpack and then went to Room street station to get on train to Airport.I got to airport at 18:30 but my flight departure time was 23:50 so I had to wait for 5 hours.But I didnt fell it was long time for me so it was ok.
2006.01.19

1月18日のブログはこちら サイゴン(ホーチミン)-バンコク-シンガポール-パースと旅をした証(隣の黄色いダグは、メルボルン行きの列車で預けた時のもの) 西安で買った洗濯洗剤、昆明のウォルマートで買ったシャンプー。長持ちしてます。 ブリスベンのユースホステル。日本人はゼロに近い。 漢字併記のチャイナタウン ゴミ箱をあさるビッグバ-ド ブリスベンの街では、看板のサインのように、カメラで監視している所が多い 教会と高層ビル
2006.01.18

昨日のブログには、ちょっとしたトラブルが続いた、と書いたのだが、まだ書き忘れがあったので、書いてみよう。ユースホステルにチェックインして、部屋の鍵をもらって部屋に入ると、ベッドに空きはなくて、しかも女ドミであった。フロントで鍵を交換してもらって、違う部屋の男ドミに入った。そして、この部屋はエアコンの効きが悪くて、とても暑かった。。。夕方ころには、5台あるPCのネットが全くつながらなくて使用不可になった。ちなみに、無料なのだが5台とも日本語の読み書きが出来ない。。。おまけに、夜には30分くらい停電して、部屋の電気とエアコンが止まってしまった。まあ、365日もあれば年に1日くらいは、こんな日もあるのかもしれない。。さて、今朝は7時過ぎに起きて、ネットを使ってみた。そういえば!と思って、明日のブリスベン-シンガポール-バンコクの空席状況を調べた。とあるサイトでは、おそらく100%に近い位の、世界中のフライトの時間や空席状況が調べられるのだ。すると、一日数フライトずつある中で、私が乗りたかったブリスベン深夜発で、バンコクに翌昼に着くフライトがあった。そして、何とシンガポール-バンコクのエコノミー席は、残り1席と表示されていた。これは行くしかない!!と即座に思い、早速ブリスベンの街中へ歩いていった。その時、8時過ぎ。ただ、シンガポール航空の場所が分からなかったので、旅行会社あたりで聞いてみようと思ったが、9時までは開かないのだ。そして、ポストオフィスがたまたまあったので、そこで住所を聞いてみることをひらめいた。おじさん曰く、 そこの公衆電話の電話帳に載ってるよ。あった。クイーンストリートの344だ。ラッキー、近い!歩いて5分弱で発見した。 9時前であったが、カウンターは開いていた。早速、女性スタッフに明日のフライトの変更を申し出た。空いている、と彼女は言った。こうして、残りの1席をゲットして、『4度目の変更』4度目の変更が成功した。思えば、2月15日にブリスベンから出発の予定であったが、前倒しが続いて、結局は明日1月19日に発つことにしたのである。 パース入りしたのは12月20日なので、丁度1ヶ月目である。正直、ブリスベンはパッとしない街で、することも特にないし、宿代は高いし、何よりも早くバンコクへ、アジアへ戻りたかったのである。別にオーストラリアが嫌でしょうがないとか、そんなのではなく、お金もあるのだが、いまいち今回の旅では、大金を使ってまで楽しみたい、というモチベーションではないのだ。一応、旅の期間をある程度設定しているので、その残された時間を、アジアで使いたかったのである。さて、昼過ぎから歩いてチャイナタウンへ行ってみた。色々と写真を撮りながら歩いたので、1時間弱位はかかったかもしれない。電車で行けば宿の最寄り駅から2つ目の距離である。 ここの、湖南料理屋(湖南省は毛沢東の生まれ故郷。ちなみに、私の誕生日は彼の命日と全く同日である。。)で、 を食べた。スープが熱かったので、アリススプリングス以来の大汗をかきながら食べた。味はまあまあだった。$6.5。ここのチャイナタウンは規模が小さく、店数も少なかった。帰りは、ストーリーブリッジという、橋を見ながらブリスベン川沿いを歩いてみた。このエリアは、臨海ならぬ臨川エリアで、新しいオシャレな高層マンションや、カフェ、レストランが川沿いに並んでいた。 ストーリーブリッジをバックに、ゴミ箱を漁る大きな鳥。。その後は、ポストオフィスに寄って、デジカメデータのCDを日本の家族へ送った。封筒が10セント、郵便代が$1.2であった。夕方、彼女に何度も何度も電話をかけたが、応答がなかった。昨日、言ってあったのだが、何かあったのだろうか。まあ、後で分かるだろう。
2006.01.18

今日は、ちょっとしたトラブルが続いた一日であった。まずは、宿のキッチンで電子レンジを使って目玉焼きを作ろうと、卵を温めていたら、加熱し過ぎてレンジ内で大爆発してしまった。ちょっと目を離した隙にこうなってしまったのだが、潔くキレイに掃除した。朝から大爆発なんて、逆にテンションを上げるきっかけになった。9時半頃に宿をチェックアウトして、近くのトラム乗り場で無料のトラムを待っていたら、20分位しても来なくて、ちょっと考えてみたら、無料のトラムは10時からの運行であることに気づいた。ブリスベン行きのフライトにはまだ十分間に合う時間であったが、いつトラムが来るか分からないので、有料のトラムに乗り込んだ。タダ乗りして、ポリスに見つかると$150も取られるので、今度こそそんな訳にもいかないので、車内で切符を買おうとすると、$3以上もするので、買うのをやめた。。ポリスのいなそうな所で降りて、空港行きバス乗り場まで歩いた。冷や冷やしたが、なんとか今回は捕まらなかった。すると、スペンサーストリート駅が大規模な工事中で、左車線を歩いていたら、駅構内を通り抜けて迂回しなければならなく、重いバックパックが体に堪えた。。右車線を歩いていれば、すんなり真っ直ぐ抜けられたのだが。。空港に着くと、まずはヴァージンブルーの自動ボーディングパス発券機で予約番号を入力し、後は画面の指示に従って席を変更してボーディングパスを受け取った。 次にカウンターへ行き、バックパックをチェックイン。ボーディングパスを見せてバックパックを置くと、30秒もかからないうちに手続き終了となった。 ということで、全くパスポートやIDチェックがなかった。すると、適当な名前でも搭乗出来る、ともいえる。。あるいは、クレジット決済をしたからIDチェックを省略したのかもしれない。 5分遅れでシドニーからのフライトが到着し、その30分後には同じ飛行機を使ってブリスベンへ飛ぶようである。シドニーからの荷物を降ろし、すぐにブリスベン行きの乗客の荷物を積み込んでいた。すると、地上の荷物を運ぶリヤカーに自分のバックパックが乗っているのが見えた。何か面白かった。 この写真の手前中央付近の黒いバックパックが私のです。。出発の10分前にやっと搭乗が始まった。自分の席に着くと、周りには10人くらいの白人の子供たちがいて、席が足らないようだ。私の席には、席にあぶれた男性がすでに座っていたが、しばらくして全員が着席出来るようになった。ヴァージンブルーの機内サービスは、ドリンクやイヤホンまで全てのサービスは有料である。 缶のソフトドリンクで$2.5と安くも高くもない値段である。あっという間に2時間のフライトが過ぎて、ブリスベンの空港へ着いた。そこから列車でシティへ向かった。(往復$22)25分位でローマストリート駅へ到着。そして、歩いて予約を入れてあるユースホステルへ向かった。$24でネット無料(日本語読み書き全く不可。。。)プールとバーやビリヤード・卓球台有り。テラスから市街地を眺められる。とりあえず、今日は市内を少し歩いてゆっくり過ごした。
2006.01.17
今日は、色々と所用をこなした一日であった。まずは、約10日ぶりの洗濯をした。宿の洗濯機は$4と乾燥機が$2もするので、ダイチくんシェアした。次に、シンガポール航空のオフィスに行った。ブリスベンからバンコクへ戻るフライトの変更をした。色々とあったので、今回は都合3回目の変更となった。1月20日 23:50ブリスベン発1月21日 10:40バンコク着(シンガポール経由)次に、パッキングをした。10泊も同じ宿に泊まっていると、どうしても荷物が目茶苦茶になってしまうものだ。バックパック内を整理していると、懐かしいものが目についた。香港や中国、ベトナムの地図や入場券の半券、ゲストハウスの名刺など。。その後は、空港行きのバスターミナルの下見に行った。無料トラムを約30分弱乗り、スペンサーストーリートを少し歩いた所にあった。昨日も探したのだが、歩き方の情報とは全く違うエリアに移動していた。。ツアーランドという日本人用旅行代理店でネットを使ったついでに、$1引きの$14で空港行きのバスチケットを購入した。後は、ネットをしたり、コンビニでPCを使って今までのデジカメのデータをCDにコピーしたり、ロバート・ハリスの他の本を読んだり、リトルイタリーに行ってみたが、特に何もなかった。夕食は、昨日のメンバーで歩き方オススメの、ピザ屋に行った。ビクトリアマーケットの近くで、宿からは歩いて20分以上かかるが、ピザ2種類とパスタをひとつ頼んだ。ビザも美味しく、チキンとアボガドのホワイトソースパスタが絶品であった。これで、$22ちょっとと格安であった。明日は、沈没したメルボルンを去り、最終目的地のブリスベンへ飛びます!
2006.01.16

今日は、サンデーセイバーという、トラムの1~3ゾーンまでが終日$2.5で乗り放題のチケットを買い、セントギルダというビーチに行って来た。 セントギルダビーチから眺めたメルボルン オシャレなカフェが並ぶ 日曜日ともあって、トラムは満員で混み合っていた。20分くらいでセントギルダに到着した。セントギルダビーチ自体はあまり綺麗ではなかったが、サンデーマーケットやオシャレなカフェが、若者や家族連れで賑わっている雰囲気が良かった。次に、ベトナム人街頭へ行ってみた。トラムを2回乗り継いで、メルボルンの中心からビクトリアストリートをずっと東に行った、ノースリッチモンド付近にベトナム人街があった。 そこは、かなり意外にも大規模なサンデーマーケットが開かれていて、500m位は歩行者天国になっていて、トラムが入って来れないようになっていた。上の写真は、ベトナム語でベンタン市場、と書かれている。 このように、ベトナム語で書かれたレストランや露天商がズラッと並んでいて、ベトナム(系現地)人や、西洋人などで相当賑わっていた。これほど大規模なベトナム人街があるとは、思いもしなかった。オーストラリア一というメルボルンのチャイナタウンより、はるかにデカくて賑わっていた。ベトナム名物の被り笠や、フォーの店、串焼きの店、レストラン、スーパー、即席プレイランドや観覧車などなど。串焼きの店にかなり惹かれたのだが、$3は高いと思い、そこはグッと空腹を我慢した。 このCDやDVD販売の露天商で、デジカメデータ保存用のCDを買った。TDKのCDが10枚で$4.5と相場の半額以下だ。これで、ネットカフェに行って、そこのPCにあるソフトを利用して、自力でCDにコピーすることが出来る。ちなみに、ネットカフェや写真屋等でデジカメのデータをCDにコピーすると、メディア込みで$6前後もかかってしまうのだ。。。 新興宗教のデモンストレーションまで。。。夕食は、朝食時にキッチンで知り合った2人と上海水餃店に行って、色んな中華料理を3人でシェアして楽しんだ。今日は、ベトナム人街の規模と賑わいにはビックリした。ベトナムが、そしてアジアが懐かしく思えてきた。そう、次の日曜日にはもう、暑い、そして熱~い街バンコクにいるのだ。私の、『ホーム』まであと少しだ!
2006.01.15

今朝は、昨日つながらかったので、再度ヴァージンブルーに電話をした。今度はすぐにつながり、ホバート-ブリスベンをキャンセルして、17日のメルボルン-ブリスベンに変更した。その後、今日はローバト・ハリスの『エグザイルス』を読み続けたり、ネットをやったりして過ごした。『エグザイルス』は彼の今までの人生や、18才の頃の放浪記や、アメリカの大学に通い、アメリカ人と結婚し、彼女と一緒に再び放浪し、途中でドラッグ中毒やノイローゼ気味になって苦しんだり、弟の分裂症を助けたり、弟の自殺があったり、夫婦で精神安定の為にシドニーの施設に入居したり、彼女と離婚したり、シドニーで本屋を開いて繁盛したり・・・・。と1960年~70年代のヒッピーな状況がリアル過ぎるくらいに書かれた、ハードなエッセイである。ちょっとエグい話も多いかもしれないが、もし、機会があったら、一読の価値はあると思う。ちなみに彼は、イギリス人と日本人のハーフで、現在はJ-WAVEで番組を持っているらしい。個人的に、『放浪』という言葉は好きだ。そして『エグザイル』という単語が、『放浪』という意味だとは、その本を読んで初めて気づいた。。放浪している旅人はたくさんいるのだが、あの時代にあのような放浪をしていた日本人は、数えるほどしかいなかったのではないだろうか。自分の旅も、一種の放浪なのであるが、彼の本を読んだ時、ちょっと自分の旅について考えさせられた。放浪の中身や意義、目的や旅の仕方などなど。。。今日は、例の店で麻婆豆腐定食を食べた。$6.9でちょっと辛めだが、これまた美味かった!
2006.01.14

1月13日前半はこちらタスマニア行きの取りやめが決まったあと、宿のキッチンで朝食をとっていた。その時、たまたま隣にいた女の子に話しかけてみると、ロバート・ハリスの本を読んでいた。私も、ダイチくんにロバート・ハリスの『エグザイルス』という本を読んでいる途中であったので、話が盛り上がった。彼女はロバート・ハリス著の他の本を読んでいた。そして、一緒にランチを食べに行く約束をした。ランチは、チャイナタウンにある日本食レストランで、ランチタイムのみ$5.8で食べられる料理があるのだ。私は前回カツ丼を食べたが、今回はお好み焼きを頼んだ。みそ汁とオシンコ付きである。なかなか美味しかった。そして、彼女とは夜に再び待ち合わせをして、メルボルンの夜景を見に行った。宿からフリンダース・ストリート駅の横を通り、歩いてヤラ川を渡って、サウスメルボルンの方へ向かって歩いた。 そして、クラウンカジノへ行ってみた。2人ともパスポートチャックを受けた。中に入ると、無料で$5分プレイ出来るから、カード会員にならないかと、声をかけられ、名前と住所を書いてクラウングループのメンバーとなった。我々は、スロットを$5分やってみたが、勝つことは出来なかった。しかし、ルーレットやポーカー、ブラックジャックや3サイコロゲーム等を見ながら楽しんだ。テーブルゲームをやっている客層を見てみると、アジア系がかなり多かった。しかも、彼らは日本人や韓国人ではなく、国籍不明なアジア系な人が多かった。 そして、カジノを後にして、夜景の写真を撮って宿に帰った。
2006.01.13

今朝は、昨日と同じように7時過ぎに集合して、4人でレンタカーを返しに行った。スピード違反の罰金を含め、1人$112ほどになった。無言で彼女たちからお金を差し出され、ダイチくんは後ほど銀行に行ってから支払うことになった。宿に戻り、彼女たちにタスマニアの件について確認した。まだ何の予定も決めていなくて、しかも私としては彼女らとは楽しめないと思ったし、向こうも感じが悪かったので、そう感じた時点でタスマニアには行かないと決めていた。昼くらいまでに結論を出すとのことであった。そして、彼女たちの答えは、ホバートで1週間のんびりするわー。良く分からない回答であるが、要するにレンタカーシャアはしないということだ。じゃあ、キャンセルする。私も、航空券のキャンセルチャージが発生するにも関わらず、腹を決めていたので即答した。あえて詳細には触れないが、こうしてタスマニア行きの約束は破られた。彼女らと行っても、1人で行っても1週間もの間、楽しめる保証は全くなく、滞在費やレンタカー代もかかることも含め、航空券のキャンセルチャージを差し引いても、タスマニアには行かない方がベストだと考えた。そして、何より早くバンコクへ帰りたかった。もしかしたら全額の$278を1人で払っていたかもしれない、スピード違反の罰金であるが、幸いにも割り勘で、$70x3人分徴収したので、それを航空券のキャンセルチャージ等に充当させた、と思えば悪くない。そして今日は、シンガポール航空に行って、ブリスベン-バンコクの日付を変更しに行ったり、ネットでメルボルンーブリスベンの航空券を調べたり、スペンサーストリートにあるビクトリア州のオフィスに行き、罰金を支払いに行った。 航空券は、メルボルン-ホバートのジェットスターは$70全額とも返金は不可で、ホバート-ブリスベンのヴァージンブルーは、キャンセルが$35で出来て、残りの差額をクレジットで決済した残りで、メルボルン-ブリスベンの航空券に充てることにした。(差額は現金では返金されず、1年以内にクレジットとして残り、他の航空券に回すことが出来る)メルボルン-ブリスベンが、特価で$99とあった。早速、電話で変更手続きをしようとするが、なかなかつながらず、2回かけたがつながっても、何故かすぐ切れてしまった。まだ余裕があるとみて、明日にまた電話することにした。1月13日後半はこちら
2006.01.13

1月12日前半はこちらそれは、コーラックという町で起きた。グレートオーシャンロードをあとにして、メルボルンへ向かっている途中である。信号が青に変って、前の車についていく形で坂を下って行った。その途中、ポリスが来てるでー。。と後部座席から声がかかった。私は瞬時に停まらなくてはならない、と思ったが、急ブレーキも危ないと思い、少し加速してしまった。そして少しして、車を左側の路肩に停めた。運転席の窓を開け、ポリスと会話をした。まずは、免許書チェックと本日2回目のアルコール検査。もちろんパス。免許書を没収され、後ろに停めてあるパトカーに来るように言われた。ポリスは、車内で黙々とペンを走らせていた。しばらくパトカーの外で立たされていた。そして、ある書類を突き出され、サインするように言われた。 60km制限のところを86kmで走ったスピード違反である。そして、罰金は$278。。。ポリスマンは、非情にただ黙々と説明するだけ。旅行者とかレンタカーを借りて初めて運転し、道路標識何か見えなかった。。。とかそんな言い訳は通用しそうになかったので、私は言われるがままとなった。明らかな『ネズミ捕り』にやられた格好だ。我々の前を走っていた車は捕まる訳もなく、我々だけが餌食となった。信号を渡り、坂を下る途中でしかも道路標識なんて無かった。今までの道路上には、80kmとか100kmとか60kmといった標識が頻繁に見えていたのだが、捕まった前後にはなかったし、60km制限とは知っているはずもなかった。我々にとって悪条件が重なりまくって、運悪くスピード違反の御用となったのだ。たまたま捕まった、単なる旅行者から$278も徴収してどうするのだろうか??そして、28日後からビクトリア州にて1ヶ月の運転禁止処分を受けた。他の同乗者とは、事故ったり何かあった時は、全額割り勘、という口約束をしていたのが私にとって幸いであった。ただ、捕まった当時は、自分の気持ちとして、皆に 俺が全部払うから。と言ったが、それはいいよ、と断られた。他に頼れるドライバーがいないので、私がメルボルンまで運転しなければならなかった。コーラックからジーロンまで、とりあえず私が運転した。それは、とても長く感じて、しかも気分が良くなかった。ジーロンでマックに寄り、夕食となった。この時はもう21時半頃であった。ジーロンからメルボルンまでは、ダイチくんに運転してもらった。彼は25才以下でレンタカーを借りるときには運転手登録していなかったが、私は、長時間ドライブとスピード違反で捕まったおかげでかなり疲れていたので、止む無く交代してもらった。レンタカー屋は18時で閉店していたので、23時過ぎにメルボルンへ到着した我々は、パーキングに駐車した。そこから、宿まで歩いて帰った。彼女たち2人は飲みに行くらしく、玄関前で別れたが、運転ありがとう、とか、お疲れ様、という言葉も無くそのまま歩いて行ってしまった。
2006.01.12

今朝は、7時過ぎに宿で他の3人と待ち合わせて、レンタカーオフィスに向かった。先日予約していた通り、保険込みで約$80にて車を借りた。明るい紺色の新しい車だった。オートマでCDプレーヤー付き。もちろんオーストラリアの車は右ハンドルで、車線は左側で全く日本と同じである。私がメインドライバーとなり、一路グレートオーシャンロードへ向け出発した。グレートオーシャンロードはメルボルンの南西約200~300km位の所に位置していて、絶景なビーチや12人の使徒と呼ばれる景勝地で有名なのである。シティ内の右折禁止の交差点等に引っかかったが、狭い道を回り込んだりしてシティを抜け、ハイウェイに進入した。まずは、ジーロンという街を目指した。ジーロンまでは、1時間弱で通過。ジーロンの少し先の、ビーチが見え始めた小さな町で休憩をした。再び車を走らせた。いよいよビーチ沿いの道路までやってきた。メチャクチャ綺麗なブルーの海だ!!見事なビーチの色が見え始めた。エメラルドブルーやグリーンも混ざり、日本の海とは比べものにならないほどの、鮮やかなビーチのカラーであった。しばらく西へ車を走らせると、グレートオーシャンロードの始まりを告げる看板が見えた。あわてて車を停めて、写真を撮りに下車した。やはりツアー客も多く見受けられた。 しばらく車を走らせ、途中の賑やかな通りでランチタイムとした。ハンバーガーショップで各々がテイクアウェイして、ハエまみれになりながら、綺麗な海が見えるビーチで食事をした。その後も、私の運転でグレートオーシャンロードを進んでいった。ロンドンブリッジ(但し橋の途中で崩れています。。) 12人の使徒ここがグレートオーシャンロードのメインで、観光客がたくさんいた。しかも、ハエも観光客以上に凄まじかった。今までで一番のハエの大群が襲いかかってきた。写真は逆行になってしまっているので、あまり綺麗に撮れていないが、実際はとても綺麗であった。 羊の群れと海我々はグレートオーシャンロードを満喫し、帰りはハイウェイを使ってメルボルンへ戻った。しかし、その途中で思わぬハプニングが起きてしまった。。。
2006.01.12

今日は上海水餃店で小龍包を食べ、それからブリッジロードという、イーストメルボルンにある、ファッションストリートに行ってきた。 小龍包は8個で$5.8と中国で食べるより4倍くらい高いが。。チャイナタウンからイーストメルボルンまで歩いて30分くらいかかった。片側1車線の道路沿いに、ずらっーとショップが並んでいた。一通り歩いてみたが、ほとんどが女性用のショップばかりであった。残念ながら、長袖のシャツを見つけることが出来なかった。宿への帰り道に、2度電話をかけた。ツアーランドという日本人向けの旅行代理店があり、そこの掲示板で見つけたヘアーカットの店と、個人へ電話した。4ヵ月以上も髪を切っていないので、もうそろそろかと思っていたからである。一つ目は、日本人の女性の携帯で、学生なら$10でカットしてくれると掲示してあった。彼女に電話すると、今はもうやっていないんです。。1人で3個所も掲示していたにも関わらず、しかもかなり前から掲示していたようである。もう辞めているなら、掲示をはがすべきだ。とクレームをつけた。2つ目は、コリアンの店でこちらは$15。電話すると、来週月曜日まではホリデーだから、また来週電話してくれ、と言われてしまった。こうして、ヘアーカットは諦めざるを得なかった。ちなみに、今の状態は、今までで一番長くてウザい状態である。。。 街で見かけた、ある優雅なホテル
2006.01.11

今日は、ビクトリアマーケットに行ってきた。かなり大きく、果物や野菜の販売といった八百屋や、肉や魚といった生鮮食品、そして安い衣料品や雑貨が売られていた。中国で買った長袖のシャツを、今度はメルボルン行きの列車の中に置き忘れてしまい、その代わりのシャツを探したのだが、全く手応えはなかった。国を問わず色んな街のマーケットを見てきたので、それほど気持ちが盛り上がることもなくなっていた。その後は、マーケットの近くからトラムに乗ってみた。トラムに乗るのは今回が初めてであった。今回乗ったトラムは、エンジ色のレトロなトラムで、市の中心部を1周するもので、このトラムのみ無料である。 およそ1周してみた。各交差点で止まるので、便利である。約45分で1周出来る。1周したことで、おおよそ市の中心部の景観がつかめ、今後の街歩きの参考となった。トラムを降りてからは、街の写真を撮り歩いた。 私は、あるカフェが並ぶ通りの裏路地で、上のようなペイントがされているのを見つけた。オシャレなカフェの裏のごみ箱が置いてある裏路地に、ペイントされた壁の上にカラスが立っていて、その裏には貧困にあえいでいそうな子供の写真が貼ってある。都市の明と暗がそこにはあった。どんな人が、またどんな理由でその写真を貼ったのであろうか。。。メルボルンは、立派な建物やカフェ・レストラン、ショップが多く並んでいて、人々は皆んなハッピーに見えるが、その陰には、ホームレスがいたり、あの裏路地のような暗な部分も見え隠れしている。今まで訪れたオーストラリアの街にはなかった、都会にある独特のシーンである。
2006.01.10

昨夜は、バーでビールのピッチャー(この国ではジョグと呼ぶ)を3人で飲んだ。($13)これからヨロシク!ということで軽く飲みに行ったのだ。お互いとも、もし変な人だったら、どうやって断ろうか?とか考えていたようで、どうやらその心配は杞憂に終わったといえよう。さて、今日は10時に病院へ行った。スワントンクリニックという、宿からかなり近い日本人向けの病院である。実は、アリススプリングスでのどの痛みや気管支の調子が悪くなり、あの酷暑の中で結構キツかったので、アリスからJI保険のデスクに電話をして、病院を予約しておいたのだ。恐らく、今までの疲れや列車での宿泊、酷暑やエアコン等の原因だと思われる。別に重症でもなく、自然治癒出来たと思うが、キャッシュレスで診察と薬を受け取れるのなら、それはそうするべきであろう。さて、受付カードに記入して診察を受けた。ドクター以外のスタッフは日本人で、通訳もつけてくれた。気管支、とか専門的な英語が必要なとき以外は、なるべく自分でドクターと会話をした。もちろん熱はなく、肺も異常なし。抗生物質と咳止めのシロップ、のど飴と鼻水止めの4種類の薬をもらった。 そして、1週間くらいしても改善されなかったら、また来るように言われた。その後は、14時に彼女たちと待ち合わせをして、グレートオーシャンロードへ行くためのレンタカー探しをした。前日の夜に、宿のキッチンで会ったときに声をかけた、アデレードからの列車とメルボルン1泊目の宿が一緒だったダイチくんも混ざることになった。ネットで調べたりして、Thriftyというレンタカー会社に4人で向かった。場所は、エリザベスストリートを北上した所にあった。1日$79で、事故った時の保険は、最大でも$385までの支払いで済むようにした。グレートオーシャンロードへは、12日の木曜日に日帰りで行くことに決まった。その後は別行動で、私は図書館に行ってネットをしたり、街を歩いたりした。夕食は、トマト味のリゾットを彼女たちが作ってくれた。昨日に続いて美味しかった。結構な量を食べたのに一人$1.3!!破格の安さで有り難い。そして、私は食後の皿洗い係りになった。今のところ、メルボルンの滞在を満喫しているところである。 宿は、この仕切りの中に更に3部屋くらいに分かれていて、結構な人数が泊まっている。しかし、暗いし天井が隣同士と筒抜けなので、音漏れが激しい。。
2006.01.09

上海水餃店で食べた餃子ヌードル 上海水餃店この店の餃子は美味かった!しかも安いし!行き付け宣言します!卵3人分一人4個ずつで各々のイニシャルがマジックで書かれてます。これで、争いごとの心配はないですね。。
2006.01.09
今朝は、9時過ぎに宿をチェックアウトして、街の中心部にあるエレファントバックパッカーズに移動した。早目に行ったので、何とか部屋を確保することが出来た。ここは、日本人や韓国人に人気で込み合っている。繁華街はすぐそこだし、中心の駅であるフリンダースストリート駅の目の前という最高の立地条件だ。$20でネット無料である。部屋はキレイな方だ。ただし、天井が高く仕切りが天井の高さより低くなっていて、要は隣の部屋の音が丸々聞こえるが、さほど気にすることでもない。清掃の終わる13時まで部屋に入れなかったので、ある人達と話をした。彼女たちは、昨夜、この宿をチェックしに来た時に、タスマニアでレンタカーを借りて、一緒にシェアする人募集!!という掲示板の貼り主で、その掲示を見た私は、昨夜電話をして今朝会うことになっていたのである。先日書いた予定だと、メルボルン-シドニー-ブリスベンの予定であったが、タスマニアへは、レンタカーか何かで、個人旅行で周遊出来るチャンスがあれば行きたいと思っていた。そこでタイミング良く、その掲示を見た私は、彼女たちと待ち合わせ話をしたのだ。彼女たちは、17日のフライトでメルボルンからホバート(タスマニアのゲートシティ)へ向かい、24日に戻って来る予定だという。一緒に行くとすると、あと10日も待たなくてはならない。。。話の中で、グレートオーシャンロード、というメルボルン近郊の絶景なビーチが続く景勝地もレンタカーで行くことになった。もちろんそれらのことは、即決せず、相手の人柄や予定を聞いてから決めるつもりでいた。とりあえず、夜にまた彼女たちと待ち合わせをして、それまで考えることにした。そして、メルボルンの街を歩き始めた。メインストリートは英国風の建物が見事に並んでいて、かと思うと24時間営業のコンビニやファーストフード、レストランやショップもズラリと並んでいる。トラムも物凄く頻繁にあちこちを走っており、街を歩く人々も多い。チャイナタウンでランチをした。歩き方にも載っていて彼女たちもオススメしていた上海餃子の店に行った。ここでは、$6~8前後で餃子や中華料理が食べられるのだ。私は餃子8個入りのヌードルを注文した。$5,8ととても安く、また美味かった。ここメルボルンでは、各国の料理が食べられ、日本食や中華料理の店も多く、値段も高くはないらしい。久々の本場中華の餃子に満足し、その後は図書館に行った。ここでは無料でネットが使えた。ただし、日本語の入力とメールの送受信はブロックされているが、日本語のサイトは問題なく見れる。私は決めた。メルボルンの街もかなり気に入り、彼女たちとタスマニアへ行くことにした。早速、図書館のネットから17日のフライトを予約した。ジェットスターという会社のフライトで片道$69と格安だ。帰国便は24日のホバート-ブリスベンを予約した。こちらはヴァージンブルーという会社のフライトで$139とこれまた格安だ。クレジット決済でチケットレスと各社間の競争で、国内線の航空券は格安でゲット出来るのだ。彼女たちも、気を使わないタイプで、ワーホリに来ている人によくあるタイプの、若くて大学生みたいな感じで、少し常識に欠けていそうな・・・というタイプではなく、26才でそこそこ社会経験もあり、関西人なだけあって、適度にサバサバしていて、あまりキッチリし過ぎていないのも、私には好都合であった。年末年始の件が頭をよぎらないこともなかったが、ここは腹をくくるしかないであろう。そうなったらそうなったで、仕方がないとしか言いようがない。飛行機代も約2万円だし、もしもの場合でも、さほど痛くない金額である。という訳で、タスマニア島行きと17日まで10日間のメルボルン沈没が決定した。夕食は、彼女たちと3人で自炊をした。親子丼を作ってもらった。私は食器を準備したり、インスタントスープを用意したくらいだったが。。彼女たちが作った親子丼は美味かった。この旅でまともな自炊の食事をしたのは初めてだ。思えば、アリススプリングスからアデレード行きの列車を変更した際に、残り1席をゲット出来た時点から、私は気運の上昇を感じていた。そもそも、年末年始の件が有り得ないくらい最悪だったのであるが。。。こうなったら、時の流れに乗るのが一番だ。いとも簡単に予定変更となった。メルボルン(グレートオーシャンロード)-タスマニア島-ブリスベンここまでは決まった。シドニーは、パスした。メルボルンで沈没するし、あまり評判はいいと聞いていないし、また違う時にでも来ればいいやと。。夕食の後は、3人で飲みに行った。気候も、街の雰囲気も良い、ここメルボルンで今までの借りを返したいところである。
2006.01.08
9時過ぎに、シンゴバックパッカーズから駅まで送ってもらった。他にも2人の日本人が同じ列車に乗るため、宿から同乗した。10:10発の列車は、夜の21時前にメルボルンのスペンサーストリート駅に列車は到着した。列車内は、ザ・ガンやインディアンパシフィック号と違って、ちょっと古めしかった。席番号はマジックでの手書きだし、トイレは折たたみ式で、便器や洗面台は使用時に引っ張り出す形式になっていた。さすがに長距離列車にも疲れてきて、半分はラウンジで過ごした。自分の席に座っていると、ケツが痛くて仕方がなくなるのだ。。。車窓からは、変わらない野原や放し飼いされている牛や馬、羊などが見られた。メルボルンが近づくと、新宿辺りを思い起こさせられるような、高層ビル群がそびえ立っていた。その時、見知らぬ都会が近づいていく興奮を覚えた。列車が到着すると、3人で宿まで歩いた。高層ビル群の合間を歩くこと10分弱。予約していた宿にチェックインした。$18だが、キャパが大き過ぎで、部屋も汚くキッチンやバスルームも不足気味である。この落ち着かない雰囲気が嫌で、3人とも1泊で宿を代える気持ちになった。しかも彼ら2人は予約していなかったため、$24の部屋に泊まらざるを得なかった。。その後、夜の街を3人で歩いた。するといきなり、ポリス数人が駅前の路上で誰かに手錠を掛け、捉えているシーンを見かけた。手錠を掛けられたオヤジは、地面に伏せさせられながら、何かをわめいていた。エレファントバックパッカーズという、日本人や韓国人に人気の宿をチェックしたり、マックでチキンバーガーを食べたりした。疲れていたので、早めに寝た。。が窓が閉らず深夜にも関わらず、辺りの週末の喧騒でなかなか眠りにつけなかった。。さあ、メルボルンで何をしようか!?
2006.01.07

今朝、アリススプリングスからの列車は、9時の定刻より早くアデレードに着いた。予め予約しておいた、日本人宿の迎えの人をやっと見つけ、宿まで送ってもらった。その名も、『Shingos Backpackers』 $13でネット無料で、スタッフはみな日本人である。宿泊客も日本人・韓国人を中心に、アジア系がほとんどでる。この宿は、アデレードの無料日本人向け情報誌で見つけた。地球の歩き方には載っていないが、ワーホリ同士の情報か何かで結構込み合っている。宿のテレビを見ていると、 アラビア語のニュース番組が流れていた!!他の言語のニュース番組も交代で放送されていた。洗濯物を済ませてから、チャイナタウンに出かけた。 ランチタイムでフードコートは込み合っていた。中華料理やコリアン・ベトナムフードもあったが、私は$5で中華料理取り放題の店を選んだ。大した料理や味ではないのだが、ライスと数種類の肉が$5で食べられるのは魅力であった。その後、中国系のスーパーでお茶を2種類買った。やっぱり、ご飯とお茶は必要なのかもしれない。 中国でよく見かけたカップラーメンが、倍くらいの値段で売られていた。$1.15。買い物を済ませ、宿に戻った後、彼女に電話をした。アリススプリングスで、格安の国際電話プリペードカードを$10で購入した。もっと早く購入すればよかったのだが、公衆電話にて40セントでアクセスし、後は、1分当たり何と 1.5セントでアメリカの携帯にかけられるのである。日本の固定電話へでも、3.5セントほどである。例えば、30分アメリカの携帯にかけても、たったの約80円である。オーストラリアに来たら、まずは格安の国際電話プリペードカードを探すと良いであろう。あとは、疲れを癒した一日であった。アリスに比べれば、暑いことは暑いが、断然に快適な一日であった。明日は、10時の列車でメルボルンへ向かう予定だ。
2006.01.06

2006.01.05

今日は、宿をチェックアウトして送迎バスに乗り、アリスの駅まで送ってもらった。多くの日本人を含む10人以上が乗っていた。駅の待合室で、この間アリスの駅から一緒に宿まで歩いた彼に会った。彼はエアーズロックのツアーに参加したらしく、列車でパースに戻るという。またしても彼は、メランカの送迎バスに気づかず歩いて駅まで来たらしい。。。何でも彼は、海外はオーストラリアが初めてで、しかも1ヶ月も経たないうちに破産し、親に送金してもらったという。そして、パースからアデレードまで1週間かけてバスでラウンドするツアーに参加したらしく、費用は何と8万円だという。。。参加した理由を聞くと、旅行会社で勧められたからとのことである。ツアー参加中も、途中で立ち寄るコンビニ等で市場価格の何倍もするドリンクやお菓子を買っていたらしい。そして、この列車でアデレードに行き、2泊待ってからパースに行くというが、手持ちが$20しかなく、宿に泊まれないらしい。そして、彼は初の海外旅行にも関わらず、重いとの理由でガイドブックを持って来なかったとのこと。自分で何とかなりそうだと言っていたし、特にお金を貸してとも言ってこなかったので、彼には何の援助もしなかった。日本より更に平和だ、と私は思うこの国だからこそ、何とかやっていけていると思うが、ちょっと条件の悪い国だと、彼の調子だと危ない気がしてならなかった。列車内のラウンジで、3人組の日本人女子と席が近かったので、一緒に食事と話をした。25才と23才の彼女は、インターンシップ制度を利用して、無給で日本語教師をやっているという。パースとメルボルンとで拠点は違うが、エージェントが同じ関係で知り合い、7週間の休暇を利用して、アリス・アデレード・メルボルン・シドニーと旅行するらしい。もう一人の彼女は、東京の大学3年生で半年間英語の勉強でメルボルンの学校に通っていて、帰国したら就職活動するらしい。3人はエアーズロックのツアーで一緒だったとのこと。そのツアーは、ガイドが素人同然であまり良くなかったらしい。エアーズロックも曇りがちで、朝・夕日もイマイチだったとのこと。ツアーだし、メンバーやガイド、天候も運次第ということであろうか。。ボランティアの日本語教師二人は、現地人の彼氏がいるらしかった。ただ、ビザは1年だし、その後はどうなることやら、とも言っていたような気がする。今までの列車の旅ではあまり話す機会がなかったが、今日は疲れるくらい久々に話をした。彼女たちにベトナムの写真を見せたら結構驚いていた。今までこの国で会った日本人の人たちは、概してアジアに行ったことがない人がほとんどである。そして、世界一周系の旅をしている人たちの旅は、オーストラリアという国が、世界一周ルートに含まれていない場合がほとんどである。やはりこのことからも、世界放浪の旅やアジアあたりを旅する人と、オーストラリアに長期滞在する人は、タイプが全く異なるといっても過言ではないような気がする。このことは、実際に両者と話をしてみると、非常に分かりやすく、そしてある意味面白いような気がする。 アデレードに着く前の朝焼け
2006.01.05
※※この欄の下にある写真はサイクリングしながら撮ったものです。メランカで5時間まで$12で自転車を借りた。クソ暑いのは承知で、午前中にスタート。まずは、丘へ登ってみた。坂がキツく、途中で自転車を転がしながら歩いた。丘の上から、アリスの町並みを見渡すことが出来た。本当に砂漠のオアシスの町、という実感がした。その後は、無人の駅に行ったり、ミュージアムに行ったり、川沿いを走った。長距離列車の駅は、列車の発着の無い日はクローズされていた。ただ、自転車でホームに入ったりすることは出来るのだ。アリスの川は、カラカラに日照っていて、水無川となっていた。でも、その乾いた大地と緑の木々、青空が綺麗にマッチしていた。(トップページ2枚目の写真)一通りアリスの町を走った。40℃を軽く超える酷暑ではあったが、エアーズロックに行かない私にとっては、唯一ともいえるアクティビティーを満喫出来た。
2006.01.04

View from hill in Alice Springs No.1 View from hill in Alice Springs No.2 View from hill in Alice Springs No.3 Road in Alice Springs Raliway in Alice Springs
2006.01.04
エアーズロックに行かない私は、毎日40度以上もあるアリスの町で何をして過ごそうか考えた。アデレードへ戻る列車は7日の土曜日だ。それまで4日もある。アボリジニの写真でも撮ろう。そう思って、町を歩き始めた。早速、シャッターチャンス到来。6~7人が芝生に座って土産物を売っているシーンである。カメラを構えた。その瞬間、『エクスキューズミー。。!』アボリジニのおばちゃんが、これは困る!と、写真撮影を拒絶したのだ。ちょっと距離を置いて、気づかれないように、と思ったのだが失敗に終わった。どうやら、彼らの写真撮影はNGのようだ。そういえば、誰も彼らの写真を撮っている人はいなかったかも。。。いよいよ、アリスですることがなくなった。。クソ暑い中、後4日も何をしようかと。。。部屋に戻り、今後の予定を考え直した。時刻表を見ると、明後日の5日にアデレード行きの列車がある。こうしよう!5日の列車で6日にアデレードに着いて、若干疲れがあるので、1泊してメルボルンへ向かおう。早速、列車の予約センターへ電話するが、つながらない。。。。通り沿いの旅行会社で、空席状況を確認してもらった。「あと1席だけあるわよ!」カウンターのおばちゃんが電話で確認してくれたのだ。そこで、私は既に違う日の予約をしている旨を伝え、変更してもらうよう頼んだ。「Done it!」こうして、おばちゃんのお陰で5日のアデレード行きの予約が辛うじて出来た。残り1席とは、運が良かった。しかも手数料は請求されず、おばちゃんがボランティアしてくれた形だ。(本当は有料かどうかは不明)やっと運気が上昇してきたのであろうか。続けて、アデレードの日本人宿に電話して6日の予約をした。今後の予定は、1月6日アデレード1月7日~1月11日メルボルン1月12日~1月15日シドニー1月16日~1月19日ブリスベン1月20日過ぎにバンコクへ戻るそして、ミャンマーやラオスを旅する。。。本来ならば、2月15日のフライトでブリスベンからバンコクへ向かう予定であった。60日間の航空券の有効期間をフルに使う予定であったのだ。そして、タスマニア・グレートオーシャンロード・ジーロン・キャンベラ等にも行く予定でいた。しかし、オーストラリアにおける自己満足度=費用対効果気分的な問題資金的な問題そして、アジア諸国へそれらを振り分けたい簡単にいうと、年末年始の件が、逆説的に予定を変更させる良い機会となった訳だ。けれども、今後の気分や流れ次第で、もう少しこの国に滞在するかもしれないが。このように、気分や流れに従い、思いつきで旅をするのが私流なのかもしれない。これこそ、自由旅行の醍醐味といえよう。
2006.01.03

今朝、メランカバックパッカーズという宿に移動した。昨日1泊だけした宿は、町の中心部から遠いのでかなり不便だった。このアリススプリングスという町には、かなりの割合でアボリジニが住んでいる。極端にいうと、町を歩いているのは観光客か彼らといった風である。アボリジニは、オーストラリアの先住民族のことで、言葉はかなり悪いが、ゴリラのような顔をしていて、真っ黒だ。なんでも彼らは、天然記念物扱いされているらしく、政府の助成金で生活しているらしい。当然、彼らが働いている姿を見たことはない。アリスにいる彼らは、昼間から何をする訳でもなく、日陰でタムロしていたり、のろのろと町を何人かで歩いていたり、時にはモール沿いの芝生に座って土産を売っていたりしている。パース-アデレードや、アデレード-アリス間の列車内にも、アボリジニが何組か乗っていた。彼らは、家族連れで子供が多く、うるさかったりしたのだが、結構お金を持っているのか、列車内の売店で食料を買って、飲み食いしていた。 アリスの町を彷徨うアボリジニ少年そういえば、今朝メランカにチェックインしたと同時に、すぐ近くで交通事故が起こった。タクシーと普通車が衝突したらしい。幸い怪我人はいない様子であったが、やはり、今のところ私を含む周辺では、あまり良くない事ばかり起きてしまうのであろうか。。。 宿の外壁が破壊された。。。1月3日・後編へ続く
2006.01.03

アリススプリングス駅には定刻より若干早めに着いた。泊まろうとしていた宿に何回か電話をしたが、まるで応答なし。預けた荷物が出てくるのを待ち、その間にピックアップバスを探した。何軒かのバックパッカーズの送迎バスや、普通のシャトルバスが止まっていたが、普通のは$6もするので歩いて町中まで行くことにした。たまたま近くにいたアジア人に話しかけると、彼は日本人だという。私が一緒に歩かないか、と問いかけるとOKということになり、二人で歩き始めた。話を聞くと、メランカという先ほど私が見かけた送迎バスのある宿を予約してるといい、そのことを教えてあげると、まるで気づいていなかったらしい。私は、何度もそのバスを見かけたのだが。。。彼は、パースで3ヶ月か3週間か忘れたが、語学学校に通い、しかもホームステイしていたという。しかし、私が英語で話しかけた時の応答は、いまいちだったような。。。。35度は余裕で超えている中、歩き続けた。途中で確認のため、向こうから歩いてきたおじさんに聞いてみると、我々が行こうとしている方向とは逆だという。しかも、途中まで道を案内してくれると言ってくれた。本当に砂漠の中のオアシス、といった風の町なので、道順も分かり辛かった。おじさんはアデレードから、20数年前に移住してきたらしい。先に、彼が予約していた宿が見つかった。ここまで約20分。私が目指す宿は、まだ先だ。そこから20分弱。やっと目的の宿が見つかったが、またしてもフロントは閉ざされていた。諦めて隣の宿にチェックインした。朝食付で$17。バカらしいが、こんなクソ暑い中、推定未だ約18kgのバックパックを背負い、大した宿でもない所まで40分も歩いていた。今の自分には、コレくらいしか刺激的な行動は無いのかもしれない、とも思う。とにかく、オーストラリアに来て、平和な日々が続き、微妙な年末年始を過ごし。。。。1種のストレス発散であったのかもしれない。その後は洗濯をして、それからスーパーへ出かけた。やはり町中まで戻らなくてはならず、往復で1時間くらいはかかってしまう。場所的にかなり不便だ。買い物がてら、町中にある2件ほどの宿をチェックした。特に気に入った訳ではないが、消去法で先ほど彼がチェックインした、メランカというバックパッカーズを予約した。宿に帰り、夕食はBBQに参加した。宿の中庭兼バーで$8払って後は食べ放題だ。私は一人で肉やウインナーを食いまくった。ここぞとばかりの食い溜めだ。酒も1杯だけ飲み部屋に戻った。すると台湾人のカップルと会った。彼らは27才で、ブリスベンに9ヶ月いて、エアーズロックのツアーに参加しに来たらしい。そして、今月末までに旧正月を故郷で過ごすために、帰国するという。なかなか好感の持てるカップルであった。彼らはエアーズロックのツアーを勧めてきたが、私は行かない方針を変えるつもりはない、と感じていた。4万円前後はかかるし、それはアジア諸国で1ヶ月間も贅沢に遊んで暮らせる金額だ。それに、今年はアメリカに2回ほど行って、グランドキャニオンやヨセミテ国立公園、ザイオン国立公園等を見ていて、おそらく苦労して大金を払ってまでエアーズロックを。。。という目算である。思わず、何しに来たんだろう、と感じてしまいそうだが、それはまた後で考えよう。 アリススプリングスからの距離 新年の挨拶です。
2006.01.02
皆様新年明けましておめでとうございます。昨年から始めた当ホームページですが、お陰様で少々ではありますが、日々アクセス数も増加して参りました。本当に有難うございます。さて、私事ではありますが、不本意な年末年始となってしまい、しかもブログにおいても湿っぽい文面になってしまい、申し訳ありません。ここアリススプリングスは、日中は40度を超える毎日ですので、ここらで湿気を排除して、パリッとドライでハッピーな日々を過ごしたいと考えております。また、今年も引き続き、マイペースで色付けせずに、ブログを続けていきたいと思います。基本的に、自分の記録のためのブログ、として運営していますので、少々つまらない記述も多いと思いますが、そのへんはご了承下さい。ただ、写真については、出来る限り皆さんが満足して頂けるようなものをピックアップして、載せていきたいと思います。では、今年も宜しくお願い致します。オーストラリア・アリススプリングスにて
2006.01.01

2005年最後の昨夜は、結局21時過ぎに急遽バックパッカーズにチェックインした。と同時に、その宿でパーティーが始まった。部屋に入ると、私とほぼ同時にチェックインした二人組のインド人と会った。彼らは、メルボルンからバイクでやって来たらしい。一人は31才でバンガロール出身。(確か英語名は、ウィリアム)肉体労働系と思われる2つの仕事を掛け持ちし、月に$5~6000も稼いでるという。もう一人は、マドラス出身でまだ学生だ。パーティーは、ほぼ白人で埋め尽くされていて、我々はアウェーのような存在であった。何故かクリスチャンのウィリアムは酒を飲まないので、2人で街へ繰り出した。彼は、携帯の充電器をメルボルンに置いてきたらしく、一緒に売っている店を探すことにした。2006年まで2時間余りの繁華街は、若者で一杯であった。ポリスもたくさん巡回していた。中には、2頭の馬にまたがり、街中を警備する姿も見受けられた。結局、見つからず宿に戻った。すると、パーティーが終り、ちょうど花火を見に行くところであった。我々もその列についていった。途中で、街中の写真を撮っているうちに、一行を見失った。ビクトリアスクウェアという街の中心の広場にいることは間違いないのだが、辺りを見渡しても宿の連中は見つからなかった。そのうちに年が明けた。カウントダウンとともに花火が上がった。アデレードの中心部の割には、それほどの盛り上がりはなかった。10分近く花火は上がっていたであろうか。そのときの私は、花火など上の空で、この先のことや、今日の出来事を考えていた。宿に戻る途中で、ニューヨークで急遽New Yearを過ごす事になった彼女に電話をした。彼女の友達の誘いで、金欠の彼女に移動費やホテル代などを負担する条件で、二人して急にサンフランシスコからニューヨークに飛ぶことになったのである。ニューヨークに着いたばかりで、既に寝ていたみたいだが、今日あったことなどを伝えた。 元旦の今日は、朝から雨だった。16時までは、チャイナタウンに行ったり、ユースホステルでネットをしたりして時間を潰した。宿に戻ると、フロントに預けてあったバックパックの上にJessからの置手紙があった。昨夜の件を詫びている内容であった。やはり、私と友人の板ばさみになった彼女の立場が一番シビアであったようだ。ソfィとのコジれもあるようだ。16時になり、同宿の韓国人2人とともに、宿の車で駅まで送ってもらった。駅でJessに電話をした。やはり彼女も、昨夜は気分が良くなかったようだ。私は、早くフィーリングが良くなるように願っている。私のことは気にしないでくれ。と伝えた。ついでに、日本の家族へも電話を入れた。家族4人で麻雀をしているところであった。ザ・ガン号というアリススプリングス経由でダーウィンまで行く豪華列車に乗り込んだ。気のせいか、乗務員は少々高圧的で、しかも2両分あるエコノミーシート用のトイレとシャワーを、1両分クローズさせたり、と豪華列車といわれてはいるが、サービスはとても豪華どころではなかった。とはいえ、新年は始まった。また、どこかに向かって進まなければ!
2006.01.01
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