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このごろ病院へ行く機会がちょくちょくあるので血圧計を見かけると計ることにしている。 先日は頭が痛くない正常なときに血圧を計ってみたらそれでも139に74と出てこれは常時高血圧ということなんだろうか、と不安になってしまった。 しかしふと、むくむくのダウンジャケットを着たまま器械に腕をつっこんだせいかな、と思いジャケットを脱いで再度測定してみると113に62。 なんだ、これなら正常だ。(上着は脱いでするもんだ、と後で知ったわけだが)もしかしてこないだも上着を着たままだったせい? ちょっと安心した~ 。。。にしてもここんところ血圧の上がる事件ばっかりで(笑)高めにはなってるかもしれない。 冬はなおさら危ないと言うし。頭や首周りの保温には特に努めようと思う。
2010年11月30日

早いもので今年も残すところあとひと月。 。。ってこんな文章今日明日はきっとネット上にも洪水のように氾濫していることだろう。(笑) さて今年はどんな年だったと言えるかな?私は初めて経験することが多い一年だったような気がする。味わったことのない気分になることが結構多かった一年。 そろそろ締めくくる時期かとは思うけどそれでもまだ12分の一 残ってると考えてここはひとつ 気を抜かないでもうひとがんばりいたしましょう~ ↑ これ懐かしいね。日本の母が子供たちにと送ってきた駄菓子を私がひとつ失敬しました。 昔は『当たり付』だったような気がするんだけど。ちいさな紙切れに当たりと書いてあった。。。 * * * 日本語レッスンは第二ラウンド。ひとり熱心なオンニがいてテキストも自分で選んで持ってきた。「これはカンチュ~(強力推薦)」だと言うのでカンリョッカン(強力な)オンニの『鶴の一声』でこれに決まり。 こうして似たりよったりの初級日本語テキストがどんどん家にたまっていく。 別にテキストはどんなんでもいいのに。しゃべれるようになるのはまた別の要素!なんてことは口にはしませんが(笑) 私だってけっこう『あれやこれや』のヒトですから~(笑)
2010年11月30日

クラシックピアノをずっと習い続けてきた娘たちにそろそろ幅広いジャンルの音楽に触れて欲しいと切に思うようになって久しい。 クラシック偏重主義の院長には悪いが「クラシックではアフタービートは教えられないと思うそれを別の教育機関で教えたいから」と言ってピアノ学院を一時休ませることにした。 できれば打楽器をやらせてみたかったけど前から気になっていた近所のウクレレ教室を思い出して一念発起で扉を叩いてみたのだ。 その後 体験レッスンをしていただきウクレレの魅力にいっぺんにとりつかれてしまいその場でウクレレを習うことに決めた。 次女と末娘がウクレレをしたいというので教室直営のショップでそれぞれに1本ずつ購入した。 次女のは私も使えるようにネックが長めでお値段も若干良いものを選んだ。 体験レッスンのときもショップで購入の際にもそれぞれ違うインストラクターから少しだけ基礎を教わったのだが次女は二人のインストラクターから「筋がいい、頭も良さそう(え?・by オンマ)」と言われていた。彼女は将来ピアノよりもウクレレを選ぶかな? 次女と末娘はクラシック畑ではなさそうと私は常々思ってきたのでウクレレに興味を持つのがうなずける。 * * * ぜひともこの時期 楽しむ音楽をしてほしい。 音楽をする目的が「音高や音大に行くため」ときっちり焦点を合わせて来てる子供たちの中でウチだけ「音楽で豊かな人生を」なんて寝ぼけた標語みたいな理想を抱えて音楽入試専門学院に通い続けることはキツイ。 いい先生やいい環境に恵まれてピアノもドンドン上達して音高音大受験の話も出たけれど私としてはもっと教えておきたいことが他にある。 楽器やジャンルを替えるのは時期尚早かもしれないと思うときもあるが私は自分の経験から言うと11~12歳くらいで洋楽に目覚めていろいろ聴き始めるとその後本当にいろんなジャンルの音楽を楽しめるようになると思う。 このころが一番多感な時期だからかもしれない。このとき自分の感情を良く現してくれる音楽に出会うことはとっても重要なことなのだ。 ピアノでもジャズ、ポップス、歌謡なんでも可能と言えば可能なんだけどもっと気軽でどこでも演奏できるような楽器がひとつ 自分のものになれば素敵だろうと常々私自身も思ってきたのでウクレレというのはまさにそれに願ったり叶ったり。 習得も早くて子供でも難なく演奏できどこにでも持ち運べて唄をうたいながら伴奏もでき音色もかぎりなく優しくて癒される。。。 難しいことは抜きにして純粋に音楽を楽しむ環境の中で娘たちがほんとに何か大事なことを掴んでくれるようそれが将来への切符になるように願っている私はやっぱり韓国ではかなり世間知らずな寝ぼけたオンマということになるんだろうなぁ~
2010年11月24日
いやぁびっくり、、、 ずっと後頭部の脈打つ痛みが起こるたびに風邪の前触れ?。。と思ってきたのだが熱は出ないし、咳もでないで3日くらい頭痛だけで終わってしまうから近頃「これはどうも違う」。。と気付きだしてたまたまその頭痛が起こっているある日の午後人のお見舞いで病院に行ったついでにロビーにあった血圧計で血圧を測ってみたら~ 上が150台だった! それで、昨日もずっと頭痛がしていたので末娘を連れて病院に行ったついでに血圧を測ってみたらば昨日は165に96! これでやっと高血圧からくる頭痛だったんだと確信したので今日からは今まで一度も意識したことがなかった減塩対策に入ろうかと。。。(涙) 実は実家の父が高血圧でずっとクスリを飲んでいる。遺伝することを考えたら私も大いに危険なのかもしれない。 寝不足でこうなることは自覚していたので頭痛がしたらすぐ寝る。。ということはやっていた。それから食事が不規則になるとこうなるというのも自分としては感じていたのだがそれでも昨日の165という数字は衝撃的でこれはもう食事で減塩はもちろん減量作戦を再開せねば。。。と真剣に思ってしまった。 今のところ時々上がるというくらいで平常では上が120~130、下が60~70くらい。 今日日本語レッスンで生徒さんとその話をしていたら自分も高血圧持ちだ、という人がいて血圧話で盛り上がった。 コーヒーの飲みすぎも良くないというし夜更かしも良くないし食べすぎも良くないらしい。 結局規則正しい生活、バランスのとれた食生活適度の運動、ストレスを避ける。 だめだとわかっている悪習慣から取り除くことがまず第一歩のようですな~~
2010年11月23日
びっくりした~~血がだらだらですごいことになってたよ。 ウチの末娘、ノーヘルでインラインスケートに乗っていて大人の腰ほどの高さのブロック塀のカドにぶつかって右目の上を2箇所、切ってしまった。 暗くなりかけの夕方に次女と末娘のふたりで公園に行っていて私は家でPCしていたら突然電話。 「オンマっ 大変、あ、あ~」と言ってそのまま電話は切れた。次女からだ。とっさに思ったのは「ぎゃっ、末娘が誘拐?」 でも冷静になって電話をかけ直すと「○○の目からたくさん血が~~~」と泣き声。 それで財布とタオルを引っつかんですぐ公園に飛んでいくと顔から手から服から血だらけの末娘がいた。 傷口はぱかっと開いていた。かなり深いのと、深くないけど長めのと、平行にふたつの傷。けど出血はそのときはすこし治まりかけていた。こういうのは経験ないことだったので近くの外科に行かなければと思ったが外科と言ってもどこも思いつく医院がなくなんだか不安になりかけたとき 通りすがりの2人のアジュマが「あら、怪我したんかい、大丈夫か」と寄ってきたので「この辺の外科ってご存知ですか」と尋ねたら歩いて15分くらいにある大病院にタクシーで行けと言う。 すぐ処置してもらうことが先決だと思って私は気が焦っていたのだがそのアジュマたちは「だーいじょうぶ、だいじょうぶ」と言う。 タクシーがなかなかつかまらないことも多いしその大病院の救急センターはいつも待たされるので行く度にイライラする病院だったし。。 でもアジュマたちが血だらけの娘をみても「大丈夫」というのでなんだか「ああこれは大丈夫な範疇なんだろう」と思えてきてそれからはずいぶんと落ち着いて行動できたのだ。 結局待たされたことは待たされたけどきっちり検査やら処置をしてもらいかなり縫ったと思うけど後遺症も傷跡も残らずに済みそう。 * * * 公園でアジュマたちが「大丈夫」と言ったこと、あれは経験があるから。。。と見た。 やんちゃそうなの男の子を連れて散歩中だったそのアジュマたちはもうすでに流血惨事は経験済みだったのかあるいは自分の子供でなくても周りでそんなのよくみてきたとか。 肝が据わってるかあちゃんというのはああいう時にああいうことを冷静に判断できるのか。。 それとも他人の子供だから冷静に判断がつくというのもあるんだろうか。。。 私の中で深刻な事態だと感じていた何かがある誰かの一言などでその非常レベルが1ランクも2ランクもスッと下がる瞬間というのが過去にもいくつかあったけど今回もそれに似たようなところがあった。 じっくりと考えてみれば日常生活で非常レベルというのは私が考えてるよりも実際にはずっと低いものばっかりなのかもしれない。なのにどれもこれも改善を望んであれこれ言及せずにはいられないのだ。 これからはレベル付けの基準をもう少し下げて自分もラクにならないと。冷静で正しい判断をするためにはできるだけ余分な緊張や不安や欲望を取り除く。 最近子供の教育上の問題で岐路に立っていた。いろいろ考えて血圧も上がっちゃってたみたい。 この流血事件でなんとなくトーンダウンされた感じです。
2010年11月20日
韓国の国際宅配EMSを利用して日本の実家の母に小包を送ったら2日で着いた!今週水曜日の午前中に郵便局に持って行ったものが翌日木曜日の夜に着いたのだ。 韓国は何でも『パリパリ(早く早く)』と言って早いことを身上にしているところがあるので韓国国内ではジャジャンミョンの配達も家電の修理もさっと人がやってくる。 でも国際間の連携が必要なEMSだと日本と韓国の両国で早くないと2日というのは無理。 ところで日本から韓国へ小包が送られる場合はどうかというと、これが受け取るまでに5~6日かかっている。どこでこの差がでてくるのか?・・・ 韓国では国外に小包を送り出すのは早いが海外からの小包を国内で配達するときはどうなんでしょ??(ウチの居住地区担当してる郵便局は若干。。うんぬん) これもソウルの大企業が集まる中心部ではまた事情が違うにちがいない。 と、書いてきて思った。なんだ、うちのアッパ、以前EMSやってたわ。 しかしこれもソウル中心部ね。 韓国は良くも悪くも『パリパリ』が好きなのだ。
2010年11月19日
キムジャンしてきました~~ ・・・といってもシオモ二のお仕事場兼住居に行って3時間くらい手伝ってきただけだけど。 そこはとっても不思議な場所なの。ディープな韓国そのもの。自分の家族がそこに関係してなかったならばどういうツテでもってもそんなところに出入りはできまい。。。というような場所。 東大門市場近辺のとあるオンボロ雑居ビルなんだけど。 いつも思うことがある。あの東大門市場の反物運んでるバイクの若い男たちが道に所狭しとバイクを停めてうじゃうじゃたむろってる光景はまさしく韓国だなぁと。あれこそディープコリアだわ。。。 現代の光景じゃないみたい。何十年前も前の光景じゃないかって思う。きっと昔とぜんぜん変わってないんだと思う。 ウチの家族はこの東大門市場に昔からすごく深いかかわりがあって自営業するのにいつもこの近辺に仕事場を構える。根っからのお商売系なのでここらの空気が肌に馴染むんだろう。 ここらの人々もちょっとディープな人が多い。お互いへんな遠慮はまったくしないし他人の家も《勝手知ったる我が家》 うちのシオモニの狭くてボロい二間しかない仕事場にただでご飯食べにやってきて思いっきりおしゃべりして後は帰っていくという遊び人のハルモニたち。話には聞いてたけどやはりその勢いがすごい。どんどん次から次へとやってきては出ていていろんな話題が部屋中に絶えず花咲いて。。。 シオモニのお仕事はおもに夕方からはじまる。この部屋で《テーブルを囲んで過ごす人々》にご飯を作る、コーヒーなどを出す、必要なものを揃えてあげる、というようなこと。それで報酬をいただく。 でもシオモニはごく普通の人。ただいつもじっとしてない人で絶えず家族とは離れて誰か別の他人と一つ屋根の下で暮らしてる人。 このおんぼろ雑居ビルはなんとなくまわりの近代的な発展にひとり背を向けてそれを拒んでいるようにも見える。 東大門市場周辺も今では見上げれば近代的な高層ファッションビルが立ち並ぶがその足元では 今日もにぃちゃんたちのバイクが反物を乗せてぶんぶんと通りを飛びかう。 ふと目線を落とせばいまだに昔と変わらない人情をもった人々が昔と変わらない生活を続けている、ここ、東大門市場周辺というのはそんなところなのではないかと思う。
2010年11月17日
私がプライベートでばたばたしてたこともありしばらく宙ぶらりんになってた日本語のレッスン。 もともと3ヶ月(12回)契約でそれをきちんと終了した状態だったので再開は、あるのかないのか、それはみんなの今後のスケジュール次第ということで未定になってただけなんだけど。。。 要請がなければ自然消滅しただろうレッスンがまた今日から再開された。生徒さんの中でえらい熱心な方がいて私が落ち着くのを待っててくださっていたようだ。感謝。 私はというと、最近日本語を教えることよりも他に力を注いでることがあったため「またレッスンの再開を。。。」と言われてなんとなく我に返ったような気分。 「あ、やりかけたことを放っていた状態だったんだ」と移り気な自分を恥じた。 昔は『二足のわらじ』。。って状態がなんか好きになれなくて同時に2つ以上のことはしまい、と思っていたのだが最近の私はいくつでもやろうという気でいる。 そう思えるようになったのはやっぱり今やってるビジネスのおかげで自分の思考がとても変わってきたんだと思う。 実際にひとつの必然を追っていくとそこには別の可能性が潜んでいてともすればひとつの働きかけだけで2つ以上のものを獲得できたりする場合があるということを経験を通して知ったのが大きかった。 「いろんなことが繋がっている」っていうのも具体的に体験できたので自信をもって頷ける。だから今は何をやっていても不安に感じない。 なので日本語講師も一生懸命やりたいと思う。みんな最終的には繋がっているからね。。。
2010年11月16日

写真は今日一緒に参加した詩人の先生たちのうちのおひとり。打ち上げでみんなとご飯を食べに行ったときウチの娘たちがカワイイと言って1万ウォンくださった。本屋で詩集でも買いなさい、とね。 ありがとうございます * * * 多文化行事の一環で毎年詩の朗読会に参加している。今回は日本人の女性詩人小網恵子さんの作品。 朗読なんて普段全くしないのでyoutubeでプロの朗読を見て少しは勉強しようかと昨夜は遅くまで声優さんやら女優さんやらアナウンサーやらの朗読を片っ端からチェックしていた。 youtubeはどんどんリンクして飛んでいくので最初のスタートからいったい最後はどこにたどり着くのやらそれが面白いんだけど 今回朗読の動画を漁っていたらわぉーーNHK-FMの『クロスオーバーイレブン』を見つけて深夜ひとり 涙がちょちょぎれそうになった!! あの親密な夜の空気が一瞬にして蘇る。勉強机の上で聴くよりかは布団にもぐってヘッドフォンで聴いてたことのほうが多く聴きながらそのまま眠りに着くあの至福のひとときがたまらなかったのだ。 ヘッドフォンのサラウンド効果で頭の中をあのシンセサイザーの音が縦横無尽にぐるぐる駆け巡る、あの快感といったらなかった。 そして津嘉山正種のあの朗読。大好きだった。 基本的には落ち着いた大人の番組だったけどなんかときどき童話みたいな作りのものもやってたような。。 それから選曲が良質だった。深夜のこの親密な空気の雰囲気を壊さない曲ばかりだった。それがたとえ陽気でファンキーなナンバーであったとしても。これは『クロスオーバー・マジック』なのだろうか? * * * さて話が逸れたが朗読は、やってみて快感だった。やっぱり声を出すのが私は好きである。 ただ、自分で読んでいてぎこちないなぁと思うことがたくさんあってこれはまず発声の問題だと思った。 いまだに解決できない発声の問題。最近やっと良くなってきたと思っていたけどまだまださまよっている。 そして今日在韓ミャンマー人たちの参加も多かった。折りしも昨日スーチー女史が解放されたという、これはなんていうタイミングなんだろう!! ミャンマー人のある歌手がステージで歌うときスクリーンに映し出されたのはミャンマーの民主化をテーマにした無声のドキュメンタリー。 そこには血を流して倒れる市民や戦う兵士近しい人を亡くして呆然とする女たちが映し出されのちにスーチー女史が支持層を前に演説する場面なども登場する。 民主化への想いをこめた多くのミャンマー人たちの真摯なパフォーマンスに直に触れたならこのスーチー女史の解放という出来事はもう単なるテレビから流れる海外のニュースではなくなってしまった。 自分もこの歴史的事件をミャンマー人たちと一緒に今日分かち合ったのだというそんな実感がずっしりと残った。 今回は朗読のみだったけどまた自作の詩を携えて参加しようと思う。で、もっと欲を言えば唄でも作れたらいいかも。しかし最近ピアノもサボりまくってるしなぁ。。。 私、やりたいことがいっぱいな人間で困ります(苦笑)
2010年11月14日
昨日の夕立でびしょぬれになって帰ってきた末娘が今朝は頭が痛いといいながらも学校に行く支度をして自主的に登校して行ったのだが1時間も経たずして保健室から電話があり「熱があるから家に送り返す」という。 で、外出予定はいっさいキャンセル。今日はなんだかフリーな一日になってしまった。 しょうがないので年末も近いことだし《プレ大掃除》でもしようと思い物の整理をあれこれしていた。 それで改めて思ったのはウチってどっしりとした使い勝手のよいスチールや木製の家具がほんとに少ないなぁ。。ということ。 ずっと借家なので常に引越しのことが頭にありそういう重たくて大きな家具を買い控えてきたというのが主な原因だ。 おかげで安っぽいカラーボックスだの衣装ケースだのそんなんばっかし。。。 これらは案外使い勝手が悪いのだ。結局引き出しが必要になってきたり仕切り板が必要になってきたりしてそれ自体では物の整理が済まない事、多々あり。。。 言い訳がましく聞こえるかもだけど整理が出来ない原因のひとつにこのニーズに合った家具がウチには整ってないというの、大きいと思う。(ってやっぱ、言い訳?) ところで、最近 スチール製のガラス引き戸の入った中くらいの書類棚が欲しいと思っている。 商品を保管するために業務用に使いたいのだ。 もともと、スチール製品だのパイプ棚だの会社の事務所や店舗で使われてるような家庭的でない無機質な家具が好きだ。そう、きわめて実務的で機能的な。。。 昔は バラバラの書類をファイリング、ラベルで仕分け、とかそういうのにやりがいを見出すような片付けが得意な人だったはずだったのに今はその性分も充分に発揮されてない。 モノがごちゃごちゃになってるってことは結局私の頭の中もごちゃごちゃだってこと。これ、まったくその通りだと思う。ずっとその状態で人生過ごしてきたのだ。 でもどっから手をつけて軌道修正するのかいつも手をこまねいて終わってしまう。 いつまでも「工夫したら何とかなるんだから」と『使えない家具』でがんばって整理しようと思わないでニーズがはっきりしてるんならそれにふさわしい家具をきちんと買うべきかなと思うようになってきた。 あれこれとアイディア次第で使える使いまわしの効く家具というのは使う人の頭が整理されてなかったら結局使いこなせない代物になってしまうのだ。 物の整理をしていたら家具を調えなおすことのほうが重要かと思えてきた。 。。とはいえ お金、今は全然ないし、おまけにこの家、天井めっちゃ低くて たいがいの家具は搬入アウト。家具選び自体にも制約があるってことそういえば一瞬忘れてしまってたわ。。。 はあ、どうしようかな。。。
2010年11月12日
ひとつ韓国社会の中で『これ!』というものを持ってそれをツールに自分のポジションを確保して成長していかないと。。。と思っていたら突然電話が来て、日本語の講師を依頼されて「あ、これ?」という経緯があったんですが その日本語を教えていたグループの中のある女性から、私が興味のある分野のビジネスの話がやってきて「ああ、こっちだったかぁ」と妙に納得。 私、ビジネスというものにはきっと縁がない性質なんだわ。。と高をくくっていたので自分がこの仕事をこんなに楽しめるなんて思っても見なかった。 今日もソウルの西側半分を地下鉄でぐるっと一周してついでに乗ったことのないバス路線も体験した。 いつもは気心の知れた義姉たちと私の関係であっても正装をしてコンサルタントとして義姉たちから受けた注文の品物をお届けに行くときにはいつもとは心のモードが全然違っていた。 今日はそれがすごい貴重な体験だったと思う。 自分の苦手だと思ってたことって自分が勝手に苦手意識を持ってただけだったのかも、と感じるようになったことだけでもこの仕事の収穫。 そしてここ毎日こうして日記を更新できるネタが心にいつもあるってこともこの仕事の収穫。 明日もアポ頂いてる。ありがとうございま~す♪
2010年11月11日

紅葉が見事ですね~ 今年の秋は旅行には行けなかったけど近所の街路樹で毎日充分楽しんでます♪(ぶっ) そして平日、何かと外に出る用事も多くなったのであちこちで外食する機会も増えました。 カンナム・アプクジョンのマクド。お昼時、男性サラリーマンが圧倒的に多かった。私みたいなアジュマっていなかったですね。。 学生や子連れの若い主婦や40代くらいのアジュマたちがガヤガヤやってきて注文の列もわれ先に競うようなマクドしか知らなかったので男性サラリーマンで溢れかえってて注文列の順番も他人に目配せして確認するようなそんな《ゆとりの男の大人たち》の集うマクドは今回初めてでしたね。 土地柄そうなのか、ちょっとおもしろいなぁ、と思いました。 * * * カンナムに出かける前母から電話がありこんな話を聞いた。 私が実家の母にたくさん送っていた手作りの石けんを母がさらに何人かのお友達に送っていたそうだがその中でも「これ(私の石けん)じゃないとだめ」と言ってずっと愛用してくれていたという神奈川にお住まいの方が先月お亡くなりになったと言うのだ。 そんな奇特な方がいらっしゃったなんて知らなかった。。。 自分ではそこまで自分の石けんに自信をもっているわけではなかったのでなんだか自分の石けんにも、その亡くなった方にも《及ばなかった》。。と思ったのだ。 石けんはその方に最善の仕事をし、その方は石けんに充分な賞賛を与え価値を認め、私はというと「あ、良かったですか、どうもです~」 これじゃぁ自分だけがなんだか蚊帳の外にいたんだな。。と。 自分が世の中に送り出したものを「これいいわぁ~ すごくいい!」と言われたら「はい、そうなんです。 ^^」と言えなくてはね。 いつでも自分が世に送り出すものには自信と責任をもつ。。ということだと思いました。 今、私はある分野のコンサルタントをしています。それは販売業務なのですが品物が自分の手を通じて人様に渡るということがどういうことなのかこの亡くなられた方を通して考えさせられたそんな出来事でした。
2010年11月10日
近所のミスド。以前の光化門ミスドのドーナツよりも全然美味しい~~ しかし、店には人が入ってないね。やっぱり韓国ではダンキンのほうが馴染みあるし。 そしてあの価格は少々高いような。。 店にはバイトの女の子ひとりと、脱サラでもしたのかな40~50代くらいの不慣れな感じの男性オーナーのみ。 ドーナツは美味しいのでまた時々利用してみることにする。もっとドーナツの種類が増えるといいなぁ~
2010年11月09日

出来たのだ~~ 韓国ではダンキンよりも少々お高めのミスドですがそれでもよく健闘してきたようですね♪ここまでやってきたということは。 最近あまり甘いものが欲しく感じないので通うほどにはならないだろうけど日本のミスドを懐かしく思い出したいときにはちょっくら食べに行こうかしらん~
2010年11月08日

壁画が印象的だった、シアボジの入院してたP病院。ここの休憩場でよくコーヒーを飲んでいた。 もう行くこともないと思うけど。。 キース・ヘリングの絵って韓国の公衆トイレとかでよく額縁に入って飾られてたりするのね。 それからどこかの予備校の大型バスにはボディにド派手なキース・ヘリングの絵が描かれていてそれがいつもウチの近くの路上に停めてある。 あれ、なんかすごく目立つわ。 キース・ヘリングだなんてもうひと昔もふた昔も前じゃない?なんだか「懐かしい」と思ってしまう。 ちなみに私はその頃ジェームズ・リジィの絵が好きだった。1人暮らしのワンルームに丸井で買ったリジィのでっかいリトグラフを床において飾ってた。 リジィの絵は見てると元気が出るのだ。 人がごちゃごちゃ建物もごちゃごちゃな東京で1人きままに暮らしてた自分の慌しくもカラフルな変化にとんだフリーターライフと妙に波長が合ったというのかな? そのリトグラフは実家に戻るときにリサイクル屋に売ってしまったけどあれ、本当は手放したくなかったのだ。 今でもだれかが所有してるんだろうか。あの絵、懐かしいなぁ~
2010年11月04日
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