2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全14件 (14件中 1-14件目)
1
なぜこんなに、正しいことに熱心なのだろう?宗教的な教えに忠実であることに。儒教的な教えに忠実であることに。忠実であることは、自分が他人から責められないための保証でしょう。自分が臆病だから、他人の批判や非難を無視できないのでしょう。釈迦は国王の跡継ぎになる息子が生まれると、国も両親も妻も息子も捨てて、修行へ行きました。それは生命の保証もない冒険でした。イエス・キリストは、親が呼んでいると弟や妹が迎えに来ても、家に帰らず、親の仕事の手伝いもしませんでした。そして不幸にも死刑になりました。他人の顔色を見て生きる人が、大きな業績を上げることはできません。自分の中に燃える情熱が、あらゆる困難を乗り越える原動力になります。その結果、成功することもあれば、失敗することもあります。初めから失敗を恐れていたら、冒険はできないでしょう。止めることができない情熱があれば、失敗にもめげずに再挑戦できるでしょう。何回も挫折しても諦めないから、いつか栄冠を手にすることができるでしょう。情熱が無い人は、結果を求めると思います。こうあるべきとか、こうなるはずと思っています。それで、他人のやり方に批判的になります。情熱で行動する人は、止むに止まれぬ思いが自分を動かしています。一日一日を真剣に、一生懸命に生きています。その結果、成功を収めるのであって、成功を求めているのではありません。ですから、他人のことなどまるで眼中になく、批判などする気はありません。情熱によって動かされている人は幸せです。自分がどうしてもしたいからしているだけで、他に理由がありません。いいも悪いもないのです。
2009年07月30日
コメント(0)
四国から半月ぶりで富士市の自宅へ戻り、翌日には千葉の自宅にいました。来月末までに千葉から撤収するので、片付けを開始しています。その翌朝には、富士市の自宅へ向かいました。3年前の1月に、犬吠埼で日の出を見ました。そのとき、「自分の本質」から初めて声をかけられました。その直後、「マヤの神様・パカル・ヴォタン」と「愛と歓びの女神・ラクシュミー」が現れ、メッセージをいただき感激しました。九十九里海岸の雄大な海岸線に魅せられて、生活を開始しました。最初に九十九里海岸へ来たとき、「海の女神」が現れて歓迎していただきました。思えば千葉にいたこの3年間は、大きな転機でした。翌年7月、左硬膜下血腫で千葉市内の脳神経外科病院で手術を受けました。無事退院した日が、「13の月の暦」の「時間を外した日」だったことは先日書いた通りです。千葉での生活が終了したことを感じます。小学校から中学校へ、そして高等学校へと人生は成長していきます。そこで学ぶ歓びは理解できますが、進級するときは執着が禁物です。永く馴染んだ環境や仲間たちと、別れる勇気が必要です。人は成長の意味をよく理解していないようです。平面的に、前へ前へ進むことが成長ではありません。文字通り上へ成長するのですから、立体的に考えなければなりません。1階から階段を上り、2階へ到ります。ですから、環境が変わります。青虫がモンシロチョウになり、ヤゴがトンボになります。残った仲間たちは、「なにも危険を冒さなくても・・・」と引き止めます。しかし、冒険を止められないのは、内的な欲求です。これが本能です。この本能を刺激するのが、昨日書いた「運命」です。「運命」とは、自分が生まれる前に書いたシナリオです。ですから、自然にその流れに乗っていくでしょう。そのシナリオも各人各様でしょう。あまり変化を望まないシナリオもあれば、波乱万丈のシナリオもあるでしょう。宇宙の法則は、「すべての選択が自由」です。その「結果は自分が負う」ことも。夜更けに目が覚めて、これを書いています。外から、毎日の雨を楽しむ蛙の合唱が聞こえます。彼らも真夏の日照りで田が乾けば、地中で暮らすでしょう。なにも心配しないで、自分がいる環境で精一杯生きています。僅か数年の命を、誰にも頼らず、誰も怨まずに生きている生物は立派です。彼らは、何かになろうとして生きていないからでしょう。あと、1時間で夜が明けます。
2009年07月29日
コメント(0)
私は「運命論者」です。「運命は最初から決まっている。」と思っています。「偶然とは、予見できない必然」と思います。では、すべてが最初から決まっていたら、なにをしてもムダではないか?と思う人もいるでしょうね。その通りです。この人のように「なにをしてもムダ」と考える人は、それが運命なのでしょう。しかし、何回も試練に耐えて乗り越える人もまた、それが運命なのでしょう。「それでは、なにをしても運命なのか?」と問われたら、「その通りです。」と答えます。「それでは、運命は決まっていないのではありませんか?」いいえ、決まっていると思います。実は、細かいことは決まっていないと思います。例えば、誰と結婚するか?、子どもは何人か、仕事は?どこへ住むか?何歳で亡くなるか?お金持ちになるか貧乏か?それらはすべて自由だと思います。「それでは、なにが決まっているのですか?」それは生まれる前に、自分が決めたことです。いや、地球で転生する以前に決めたのかも知れません。「地球に転生する前に決めたこととは?」もちろん、地球で転生する目的です。「目的を持って、地球へ転生してきたのですか?」はい、そうだと思います。すべての結果には原因があると思います。地球へ転生し、地球で転生を繰り返していることが、偶然とは思えません。そこには高遠にして遠大な計画があったと思います。「いったい、それはなんですか?」一人ひとりの転生した過程や経験からの学びが異なりますから、全員が同じとは言えません。しかし、大きな流れは共通だと思います。私は、「光から生まれて、光に戻る」ことが転生だろうと思います。それは、海水が太陽に照らされて水蒸気になり、雲になり、雨や雪になって降り、地上へ落ちて、流れ下って海へ戻る過程に似ています。ある水滴は真っ直ぐ川を下って海へ戻るでしょう。ある水滴は、地下水になって植物や動物を育てるでしょう。ある水滴は、雪になり高い山の頂上へ落ち、氷河になり、何千年もかかって、氷河が海で壊れて氷山になり、溶けて海水に戻るのでしょう。数日以内で海水に戻る水滴もあれば、数千年間もかかって戻る水滴もあるでしょう。それは、どれがいいのでもなく、各々の選択によると思います。「どの選択でもいいのですか?」どの生き方を選択しても自由です。どれが悪いのでもなく、どれがいいのでもありません。「お金と仕事と結婚と子どもとマイホームがあって、幸せな人生が希望です。」もちろん、その選択も自由です。「そうですよね、みんな幸せになりたいのですよね。」みんながどうであれ、あなたがそれを望むなら、それもOKです。「えっ!ほかの幸せがあるのですか?」自分の肉体が健康に生きるためには衣食住が必要です。しかし、衣食住だけを満足させるだけでは、十分とは言えません。肉体以上に精神的意識が成長しなければ、転生の目的を達成することは不可能でしょう。「そんなことが自分にできるのでしょうか?」いつも女神や天使たちがあなたを導いていると思います。あなたがどのような人生をしていても、あなたが決めた通りの人生の方向へ導かれて行くでしょう。もしも、今回の人生で目的が果たせなくても、次回の転生で目的を果たすかも知れません。あなたが転生の目的を果たすことを、本当のあなたが望んでいます。
2009年07月28日
コメント(0)
今日、7月25日は「13の月の暦」の「時間を外した日」です。「マヤの暦」を土台として、ホゼ・アグエイシャス博士が考案しました。太陽の自転周期=28日、月の公転周期=27.32、満月の周期=29.52から、1ヶ月=28日としたカレンダーです。1年=28日×13月+1日この+1日を「時間を外した日」と名づけました。私は、この「13の月の暦」ととてもご縁があるようです。丁度10年前の今日、7月25日に会社と自宅を売却して引越しました。この引越しが無ければ、いまの私は存在しません。10年間の活動もありません。2年前の7月25日、左硬膜下血腫の手術を終えて退院しました。私の大きな節目が、7月25日=「時間を外した日」と重なっています。偶然はないと思っているので、これも必然でしょう。目先の変化にこころを囚われてしまいますが、大きな流れの中に身を置き、その流れに任せて生きることが大切と思います。今日、結婚式を挙げる仲間がいます。祝福をしにこれから出かけます。
2009年07月25日
コメント(0)
ここ数年間、映画を見たことがありませんでした。ところが、徳島に滞在したら、車で10分のところにある商業施設の中にシネマサンシャインがあり、8館が営業していました。予定の合間の休日に、久しぶりで見に行くことにしました。一昨日と今日の2回、映画を見てきました。一昨日はウォルトディズニーのUFOもので、存分に楽しめました。今日は終末論の作品で、幼い子ども2人以外の人類が全滅しました。予告編で「2012年」をテーマにした終末論の作品が上映されるそうです。五島勉氏が書いた「ノストラダムス・・・」がベストセラーになりました。「1999年7の月・・・」に始まる予言が広く信じられましたが、その結果は、「大山鳴動してネズミ一匹」。いや、馬一匹でした。というのは、第35回小倉記念に関する予言としては的中したらしいのです。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1128382891冗談はこの辺にして、またぞろ終末論にうんざりしています。人々は恐怖が大好きなので、この手の話を信じたいのでしょうね。恐怖が大好きなのは、毎年上映される「怪談映画」、納涼お化け屋敷、アミューズメントの「世界一怖いジェットコースター」などが人気なので理解できます。私の意見としては、1 それが人類の運命ならば、ジタバタしても始まらないので受け入れます。2 人類への警鐘であるなら、謙虚に受け止めてエゴで生きることを止めます。3 催眠で未来へ行ったとき、数百年後も人類は生きていました。どのように受け止め、どのように生きるかは、その人の自由です。願わくば、数千年間、数万年間の転生の結果ですから、それにふさわしい生き方をしたいものです。
2009年07月24日
コメント(0)
思い通りになることを願っている人が多いですね。自分の子どもが・・・自分の夫が・・・自分の仕事が・・・自分の健康が・・・自分の人生が・・・・・・神さまがそれを聞いて、叶えてくれると思いますか?おもちゃ屋さんの店先に寝転がって、「買って!買って!」と泣き叫んでいる子どもと同じではありませんか?その子どもを見て「買ってあげなさい。」と意見を言う人はいないでしょう。思い通りになることを「幸せ」と思っている人が大部分でしょう。ですから、思い通りにならないことを「不幸」と思っています。困ったことに、「願いが足りないから、思い通りにならない。」と思っている人がいることです。そのような人は、さらに熱心に神さまにお願いのお祈りをしています。神さまの目から見たら、お願いを叶えたら成長できないと思うでしょう。アルコール依存症や麻薬中毒の人にお金を与えたら、すぐにお酒や麻薬を買ってしまうでしょう。それが分っているから、お金を与えないのでしょう。資本主義社会では、お金が主人公=支配者です。アメリカでは、所得上位20%の富裕層が世帯所得全体の50・5%を得ています。(2007年) 富める者と貧しい者の格差は拡がるばかりです。人々がお金を欲しがるから与えたら、お金の支配から抜け出せなくなります。神さまは、「お金の支配から抜け出し、自分の信念で生きなさい。」「貧しい人と食料を分かち合いなさい。助けが必要な人を助けなさい。」と、言っているように思います。思い通りにしたいのは、幼児性が抜けないからでしょう。資本主義社会は幼児性の社会です。そこでは欲しいものを手に入れることが幸せと考えるように教育されています。いい学校へ入学し、いい学歴や資格を持ち、いい給料をもらい、いい人生を送る。それが幸せな人生と教育しています。その結果が、現在の資本主義の崩壊です。すべてが奪い合いの結果です。幼児性から抜け出すには、意識の成長が必要と思います。本来、教育とは意識の成長を助けるはずでした。孔子様もお釈迦様もソクラテス様も、自分を見つめることを教えました。新聞は、かっては戦争の加担者として、国民を戦場へ送りました。いま、新聞やテレビなどのマスコミは、消費を扇動し、お金の支配力を強化する尖兵の役割を果たしています。マスコミの報道をそのまま信じた人々は、自分と向き合うことができません。自分と向き合わなければ、自分を知ることはできません。自分を知らなければ、人生の目的や役割は分りません。それで、現在のような無責任がまかり通っています。1ヶ月間、テレビや新聞を見ない生活をしてみませんか?必要な情報は、インターネットで十分でしょう。それができなければ、座して人類の滅亡を待つばかりです。
2009年07月23日
コメント(0)
衆議院が解散し、「100年に一度の大不況」下の選挙で、与党・自民党には大逆風、民主党の政権交代が実現するか、注目されていますね。先日から年表を見ていました。特に1700~1800年代についてです。1776年 アメリカ合衆国独立1789年 フランス革命1804年 ナポレオン皇帝即位1840年 アヘン戦争1848年 パリ2月革命(革命風潮が全欧州へ拡大)1851年 太平天国の乱1861年 アメリカ南北戦争1868年 明治維新安定と現状維持が好きな人々が、血なまぐさい革命や戦争を好むとは思えません。それなのに、同じ時期に世界中で起こるのは原因があるのでしょう。人間は自然の中で暮らし、自然の中で育った食物を食べ、生活しています。つまり、自然の影響を大きく受けています。このように考えながら年表を見ると、この時代は大変な自然災害の時代でした。1707年 宝永地震(東海地震、南海地震同時発生の歴史上最大規模地震)1783年 岩木山・浅間山爆発、アイスランドの火山爆発。大冷害。 (1783~1787年 天明の大飢饉。死者30~50万人)1816年 インドネシア・タンボラ山爆発。「夏のない年」1832~1839年 天保の大飢饉。(幕末最大の被害発生。)1855年 安政の大地震(東海地震、南海地震同時発生)このように、世界的規模の火山の大爆発による火山灰が世界を覆ってしまい、太陽光が遮られて寒冷化し、大冷害が発生したと考えられています。また、数十年に一度、繰り返される大地震による大津波や火災で多くの町や村が大被害を被っています。食料不足で飢餓状態になった民衆が、食料を求めて一揆を起こすのは当然です。それで革命や乱(反政府闘争)が世界中で起きたと思います。この時期に、幕末三大宗教と呼ばれる「黒住教」「金光教」「天理教」が興りました。創始者三人は、1780~1883年の約100年間に生存していました。しかも、「黒住教」「金光教」は岡山県内という同一地域です。私は「偶然はない」という言葉を信じています。つまり、「すべてには必然性がある」と信じています。この三人の創始者は、神の天啓を受けて信仰と布教を開始したのですが、その教義には驚くほど共通性があります。内容はどうぞご自分でお調べください。私は、「天(神)は自分の親である」と思っています。決して罰(ばち)などを与えることはないと思います。それなら、なぜ、このような大災害を起こし、人々を苦しめるのでしょうか?それは、「苦難から学べ」ということでしょう。平和な時代であっても、貧富の差は無くなりません。支配者と被支配者の関係も。 食べるものも住むところも無くなれば、助け合うことが必要です。ですから天は試練を与えて、助け合うことを学ぶ機会を与えているのでしょう。お互いに奪い合い殺し合うことをやめて、話し合い助け合う世界を創りなさいと。いま、100年に一度の大不況下にいます。政府は1000兆円もの国公債を返済できず、地方自治体も破産状態です。アメリカのカルフォルニア州はじめ、幾つかの州政府も破産しました。わが国の金融機関も、1000万円しか払い戻しできないと明言しています。つまり、資本主義は崩壊しました。政権与党が代わるだけでは、この変化に対処できないでしょう。いま必要なのは、自分の意識が変わることです。それでなければ、先程の天のメッセージを実現することは不可能です。「お互いに奪い合い殺し合うことをやめて、話し合い助け合う世界を創りなさい。」
2009年07月21日
コメント(0)
とても寂しく思うことがあります。それは相手の意見を批判することです。誰でも自分の意見を持っています。それを一々批判されては堪りません。自由に意見を交換することが自由の象徴と思うのですが、それを批判することはタブーでしょう。なぜなら、民主主義とは自由な言論が保障されていることが必要だからです。自由な発想から斬新なアイディアが生まれると思います。一方、他人の意見を批判する人は、自分の意見が無い人が多いと思います。自分には相手に対抗する意見が無いため、相手の意見を批判するという卑怯な方法をとるのでしょう。相手の意見を尊重しながら、自分の意見を堂々と述べる方法が正道です。そうでなければ、単に自分の憂さ晴らしになってしまいます。国会での討論も、相手の批判に終始しているように感じます。マスコミの論調も、面白おかしく相手の意見の上げ足取りのようです。情報が豊富だけで、本当に大切なことに気づいていないからでしょう。表面だけを見て、真実を知ろうとしていないからでしょう。ですから、いくら議論しても、そこからはなにも芽生えてきません。批判する人は、自分に意見が無いことさえ気づいていません。それで寂しさを覚えてしまいます。
2009年07月18日
コメント(0)
小暑が過ぎ、大暑(7/23)に向かっています。夏、まさにまっしぐらと言ったところです。「土用の丑」は今月19日と31日だそうです。この頃は、うなぎの蒲焼の宣伝を見ない日がありません。私が子どもの頃、日本は貧しさの中にいました。欠食児童、ユニセフ、栄養失調など、今は死語になっている言葉が使われていました。闇米を食べずに配給米を家族に食べさせた判事さんが餓死した時代でした。そんな時代だったから、土用うなぎやクリスマス・ケーキに憧れました。食べることができた時は、それこそ天にも昇る気持ちでした。いま、いつでもうなぎやケーキを食べることができます。それどころか、メタボで減量しなければならない人が多くいます。かってのご馳走も、現在はあまりありがたくありません。貧しい頃は豊かな生活に憧れていました。豊かな生活をしていると、あの頃美味しかった食べ物が美味しくありません。日常、もっと美味しいものを食べているからでしょう。私は8年前から酒が要らなくなりました。肉や生の魚も要りません。2年前からコーヒーや濃いお茶も飲めません。ストレスが減少したら、刺激物が要らなくなりました。豊かな生活を実現できたら、次はストレスが少ない生活を実現しましょう。それが実現したら、刺激を求める生活が不要になるでしょう。人々は穏やかになり、競争や戦争が無くなるでしょう。いじめや差別が無くなり、平和が実現するでしょう。ストレスを少なくするには、視点を外ではなく、自分の内側にすればいいでしょう。自分とこころ静かに向き合うことをお勧めします。
2009年07月16日
コメント(0)
昨朝、今治市から宇和島市へ移動しました。「宇和島・ヒーリングとカウンセリングの会」を開催しました。PM 8:30 宇和島市を出発し、四国を横断して徳島へ帰りました。今朝は家電屋さんが洗濯機を設置してくれました。午後はエアコン屋さん、NTT光通信の工事屋さん、パソコンの設定の専門家さんが来てくれて、8人の方が狭いアパートで汗をかいていました。お陰さまで一挙に片付きました。これでやっと落ち着くことができました。いままではホテルやコテージへ泊まって仕事をしていましたが、大量の荷物を車に積み込み、片道500kmを超える運転も楽ではありませんでした。四国での宿泊数が増加するにつれて、アパートを借りた方が経済的にも仕事の面でもメリットが大きくなり、このような運びになりました。今月は用事が多く、1ヶ月の半分以上をここで暮らします。ありがたいことに、ここはとても静かです。徳島空港まで車で5分ですが、ほとんど騒音が聞こえません。大きなスーパーマーケットまで5分ですし、そこにはGSもあります。大好きな海へも5分あれば十分ですし、歩いても30分です。鳴戸金時の芋畑が広大に広がり、所々の蓮池にすばらしい花が咲いています。地元の皆さまには申し訳ないのですが、少雨で乾燥しているのでサッパリしています。ここからなら四国各地へ行っても、帰宅が深夜になりますが日帰りが可能です。最高の環境を与えていただいたことに感謝しています。これから大いに楽しみながら活動していきます。
2009年07月15日
コメント(0)
今日から四国にいます。 今月は半月以上、四国にいます。 富士市では毎日のように雨が降りました。 梅雨ですから当然ですが、湿度が高くて閉口します。 いま徳島にいますが、湿度計は 53%です。 カラッとしていて、助かります。 人はそれぞれ違った考え方をしています。 もちろん、それでいいのですが、あまり決めつけたら窮屈になります。 自分も変わることができなくなるし、相手が変わることも許せなくなります。 自分が変化することでチャンスをものにできるのに、みすみすチャンスを見逃しています。 森羅万象、宇宙のすべてが変化しているのに、変化できないのは思考が硬直しているからです。 自分が変わらないで、相手を自分の都合に合わせるように強要するので、相手は逃げてしまいます。 そんな自分に気づかないので、自分には縁がないと嘆いています。 自分が変わることを許しましょう。 自分が変化することを楽しみましょう。 自分が幸せになることを許しましょう。
2009年07月10日
コメント(0)

富士海岸の近くに大手の石油化学工場があります。そこの煙突から1年中休み無く、大量の煙が排出されています。梅雨時は湿度が高いので、煙が低いところに滞留しています。かっては「富士ぜんそく」の患者が多く、川崎市と共に公害で有名でした。「人の命は地球よりも重い」という言葉があり、よく耳にします。しかし、実際には人の命よりも、生活=お金が大切と思っているようです。こんなに煙を出す工場に改善を求めたことを、聞いたことがありません。それよりも工場を閉鎖されたら、雇用が無くなることを恐れています。誰もが求めることと、実際に受ける影響についての態度が違います。斎場(火葬場)やゴミ処分場が近くへ予定されると、反対運動が起きます。それでは「その施設が無くてもいいか?」と聞かれたら、困ると言います。「利用はするが、自分には関係ないところにしろ。」と言うのです。住民エゴと呼ばれますが、これが民主主義だそうです。自分の利益には敏感で、他人の痛みに鈍感なのが民主主義のようです。スポーツも、とてもあからさまにそれを報道します。自国のチームが勝てば、大喝采を送ります。負けたチームは運が悪いというだけです。オリンピックも国威発揚の場や商業主義として利用され、純粋なスポーツマンシップから大きく乖離しています。こんなエゴがまかり通っているから、いつまでたっても平和になりません。太陽の光は南の島で見ても、南極や北極で見ても同じです。ただ自分のこころの煙突の煙が、その光を遮ってしまいます。
2009年07月06日
コメント(0)
「正しいこと」とは、自分が信じたことです。ですから、相手に意見を求めるのも、気に入った本を探すのも、いつも自分の考えと一致するものを求めているからでしょう。「正義」もまた、自分が信じた信念でしょう。その「正義」も細別すれば、人の数だけあると思います。それでグループ内で派閥を作り、離散集合を繰り返すのでしょう。「正しいこと」や「正義」が人の数だけあるのですから、平和の実現はとても困難です。一旦落ち着いたように見えても、すぐに自説を振り回すからです。こんな世界だから、数千年間も平和が実現しませんでした。その原因は多分、地球人類の誕生と無縁ではないでしょう。私はなるべく多くの情報に接するようにしています。その中で唯一絶対の真理を求めるためではありません。もしもそんな真理があったとしたら、かえって不審に思います。あれもあり、これもあり、そしてそれもありで大いに結構です。ですから、宗教についてもかなり寛大だと思っています。神仏を信じる人の数だけ、宗教はあると思いますから。他宗教を批判し非難する人たちは、自分が見えないのかも知れません。自分が見えなければ他人も見えないので、相手を受け入れられないのでしょう。そんな宗教論争よりも大切なことがあります。それは言葉を聞くことをやめることです。言葉は真実を伝えるには、最もお粗末なツールです。例えば、「愛が大切」という言葉を聞いても、一人ひとりが異なった解釈をするでしょう。男女の愛、親子の愛、神の愛・・・言葉では得られないもの。それを感じることです。私は聖人をテーマにした本を多数読みました。読んでいる途中、読み終わったあと、目を閉じてゆっくりと感じていました。何年間もかかりましたが、お釈迦さまやイエス・キリストさまに会うことができました。彼らは肖像画よりもずっと若々しく、体格も大きく立派でした。イエス・キリストさまがあまりにも若くて驚きました。33歳でした。「正しいこと」は、常に自分の中にあります。それを自分の外へ答えを見つけようとしても、多分不可能でしょう。外へ求めれば、明かりに群がる虫を捕える蜘蛛の巣にかかってしまうでしょう。その手の宗教団体は多数あると聞いています。あなたの中の真実が、あなたが発見してくれることを望んでいます。テレビを消して、ゆっくりお茶でも飲んで、目を閉じて、深呼吸しましょう。なにも考えず、なにも求めず、流れる川の表を見ているように・・・仰向けに寝て、空を行く雲の流れを見ているように・・・何回か繰り返せば、きっとあなたの中の真実を感じるでしょう。その時からあなたは、心の旅人になるでしょう。
2009年07月03日
コメント(0)
先月29日に千葉・外房の家へ荷物を取りに行き、翌日徳島へ。アパートへ荷物を下ろして、富士市へ帰りました。2日間半の日程でした。徳島では友人に2階への運搬をお願いし、助けていただきました。感謝!これで15日のエアコンの再取り付けと、光通信の工事に間に合いました。千葉を撤退するには、あと2往復は必要ですが、忙しい移転予定もどうやらめどがつき、一安心です。今回の引越しも自前です。この10年間に、引越しをよくしました。住まいと仕事場を別にしていたからです。同居していた2人の子どもたちの引越しの手伝いもしたので、今回の千葉からの撤退で10回目です。これでも浮世絵の名人・葛飾北斎の93回の引越しと比べたら、まだまだです。北斎は90歳で亡くなりましたが、1箇所へ何ヶ月間住んでいたのでしょうね。私は引越しが趣味ではありません。腰痛があるので、御免こうむりたいです。しかし、数年おきに事態が変化します。それに対処するための引越しです。たまたま、元工事業者だったので、2tトラックを持っていました。それでいつも自前の引越しになりました。費用も実費ですから、お安く済みました。さすがに今はトラックはありません。今回はレンタカーのハイエースでした。先ほど、富士市は猛烈な雨に見舞われました。1時間ほどで小雨になっています。四国・徳島は昨夜夕立がありましたが、いつもカラカラに乾いています。布団乾燥機を持参したのですが、まったく必要ありませんでした。帰宅して、こちらの湿気に参っています。
2009年07月02日
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
![]()
