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11月3日のLORAN Festival 4th in Tokushima の開催まで3日です。第4回のLORAN Festivalは、徳島市のアスティとくしまを会場に開催します。http://loranfestival.web.fc2.com/第1回は静岡市、第2回は松山市、第3回は静岡市で開催しました。回を重ねる毎に入場者数も増え、開催するLORANメンバーさんも増えました。今回も東京都から熊本市までのLORANメンバーさんが参加してくれます。ボランティアさんの数も加えると、かなりの大人数になりました。静岡県グループはマイクロバスをレンタルして、前日出発します。LORAN Festivalを開催する理由は、この地球に転生している仲間たちの目覚めを手助けすることです。この地球に住む人々は、大きく2つのグループに分かれると思います。一つは、元々この地球で生まれ育ったネイティブなグループです。もう一つは、かっては他の星や高次元にいたのですが、目的を持って地球へ転生してきたグループです。LORANが手助けしようとしているのは、後者のグループの人々です。ネイティブな人々が覚醒するためには、まだ時間がかかりそうです。しかし、他の星などから来た人々は、元々魂のレベルが高く、覚醒が容易であるからです。このグループの人々が覚醒してくれたら、地球人類全員が覚醒するかも知れません。現在の地球の現実を変えるためには、武力や暴力では時代遅れです。そんなやり方では、自然環境が更に悪化してしまうでしょう。意識改革が最も確実な方法と思います。物やお金に心を奪われている限り、平和が達成されることはないでしょう。人類の一定数が覚醒すれば、その派動が全体に影響を与え、全体が変わると思います。これを「百匹目の猿現象」と呼びます。「百匹目の猿現象」は、ライアル・ワトソンが創作した疑似科学に分類される生物学の現象である。宮崎県串間市の幸島に棲息する猿の一頭がイモを洗って食べるようになり、同行動を取る猿の数が閾値(ワトソンは仮に100匹としている)を超えたときその行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れでも突然この行動が見られるようになったという。このように「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間にも伝播する」という存在しない現象を指す。(Wikipediaより引用)地球人類全体を覚醒させるための手段としてLORANはFestivalを開催します。このブログをお読みのあなたが、私たちが求めている人かも知れません。あなたが私たちの仲間であるなら、どうぞこのイベントへ参加してください。それこそが、あなたが地球へ転生してきた目的かも知れません。あなたとLORANがご縁があるかどうかを、直接会場で判断してください。お待ちしています。
2009年10月31日
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今朝の富士海岸の朝日今日も晴天、すばらしい朝日が見えました。毎朝、瞑想中にすべてに感謝と祝福を送っています。昨朝も、地球へ感謝と祝福を送りました。そのとき、地球の巨大な優しさに包まれて圧倒されました。まさに「母なる地球の愛」の波動は偉大でした。この巨大な優しさのエネルギーはいつも送られているのですが、いままで少ししか気づきませんでした。こんなにすばらしく圧倒的なエネルギーをいただいていながら、気づかなかった私がまったくうかつでした。私たちは自分が気づかなかったことは、存在しないものと判断します。しかし、本当にそうでしょうか?自分の意識が異なる方向へ向いていたら、気づくことができないでしょう。自分に原因がありながら、自分の責任を回避するのは誉められません。物質世界のほかに、高次元世界があると思います。高次元世界は、物質ではない世界で、神仏や天使のいる世界です。この世界には、自分と縁がある存在がいるようです。その存在から必要なメッセージが届けられます。しかし、自分が他のことに夢中になっていたら気づけないでしょう。ですから、テレビや音楽を消して、静寂の中で瞑想しなければなりません。そうしなければ、繊細なメッセージに気づかないからです。意識がそこへ合っていなければ、受け取ることができないことを再認識し、気づきを得たことに感謝しました。
2009年10月30日
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今朝の富士海岸の朝日穏やかな海です。風も無く波もありません。釣り人も3日間見ていません。ただ一人、瞑想三昧を楽しんでいます。人はそれぞれに価値観が異なります。同じ家に住んでいても、それぞれが自分の世界に生きています。自分に近い考え方をしていても、共感していても、厳密には同じであることはありません。しかし、その違いを指摘しあったら一緒に暮らすことはできません。ですから、最大公約数的に一致するところを見つけて、暮らす方法をとっています。それぞれが異なったら寂しいと考えるのか、面白いと考えるのかで人生は変わるでしょう。同じでなければ安心できないという安心派が多いと思いますが、同じでないところを見つける度にビクビクしなければならないでしょう。人はそれぞれ異なるのが当然と考えるなら、対人ストレスは小さいでしょう。他人(自分以外の人)に共感を覚えるだけで、楽しくなることもあります。民主主義教育は、各人が基本的に同じという前提で行われています。ナスやキュウリを見ても、長いものや曲がったものがあります。生徒の違いを一々矯正することは、教師も生徒もストレスになるでしょう。一人ひとりの個性と考えて、その違いを楽しんだらいいと思います。洋服屋さんへ行けば、様々な形と色や柄があります。あんな大胆な服は着られないと思う人もいるでしょうが、需要があるから供給があります。きっと誰かが買って着ているでしょうね。いま、大切なことは「自分がどう生きるか?」です。みんなと同じ洋服を着ているのではなく、自分が着たい服を着ましょう。「そんなことは言われなくても、好きな服を着ている。」でしょうね。それなら、自分が好きな人生を生きることをお勧めします。そのためには、「自分は本当はなにがしたいのだろう?」と真剣に考えることが必要です。さらに、「いま自分と思っている自分は、本当の自分だろうか?」「もしかして自分の考えと思っているのは、親の考えではないだろうか?」「では、自分はどこにいるのだろうか?」などと考える必要があります。そうしなければ、いつまで経っても、自分の人生を生きたことにならないでしょう。
2009年10月29日
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今朝の富士海岸の朝日今朝は、天気晴朗にして波穏やかでした。土・日曜日には海岸に釣り人が並ぶのですが、昨日と今日は無人でした。お陰さまで、広い海岸と海を独り占めで瞑想しています。老子の有名な言葉に「無為自然」があります。老子の思想は神秘主義から処世訓まで多岐にわたるが、その原理は万物の根本である道によって表される。 道とは、全ての存在を規定する原理であると同時に、それら全てを生み出した母なる存在でもある。道はあまりに広大で漠然としているので定義や解釈を超えているが、人為を廃し自然であることが道に通ずるとされる。このような態度を無為自然といい、老子はこれを処世から統治まで全てに適用すべきだと考えた。(但し、『老子』の本文には無為はあっても無為自然なる語は登場しない。)Wikipediaより引用「無為自然」を「人為を廃し自然であることが道に通ずる」と説明していますが、私は別の認識をしています。宇宙を創造した「創造主」がいたと考えています。この巨大な宇宙が、なんの原因も理由も無く突然発生するとは思えません。そこに「創造主」の意図があったと思います。実は、私の瞑想中に「宇宙創造」のヴィジョンを見せてもらったことがありました。それは「創造主」が主人公のアニメーションのようでした。いつか宝くじに当たったら、「宇宙創造」のアニメーションを制作し公開したいと思っています。このヴィジョンを見て、宇宙がなぜ存在するのかが具体的に理解できました。「すべてがひとつ」や「すべてが愛」であることも、理解できました。そして私たち一人ひとりの中に、「創造主」の光の一部が入っていることも。宇宙に存在するすべてがそうであることも理解できました。私は仲間たちと、このヴィジョンを共有しています。このヴィジョンをお知らせすることが役割だと認識しています。私は「無為自然」とは、「創造主」が創造した宇宙にあって、自分の中に「創造主」の光があるのだから、「創造主」の気持ちになって生きることだと思います。「創造主」を神とも言いますが。他のすべての神を創造した神でもあります。この神は決して人間の行為に関与することはありません。旧約聖書に出て来て、人間と契約する神とは異なります。12月5~6日に金沢市内でセミナーを開催します。新しい仲間と会えるのが楽しみです。
2009年10月28日
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今朝の富士海岸の朝日 今朝の富士海岸からの富士山台風20号が去って、今朝はすばらしい青空になりました。海岸へ打ち寄せる波はまだ大きいいのですが、風はありません。富士市の工場群の数十本の煙突から吐き出される煙が一掃されて、空気が澄み切っています。富士山がとても美しく見えます。山頂から7合目辺りまで積雪があります。「健康が大切」と誰もが思っていますが、健康を損なう原因である煙を規制すること=工場の休止や廃業には反対です。それは、自分の生活に直接的に影響があるからです。そのため、この町では日常的に富士山が煙のためよく見えません。こんな汚れた空気を吸っていたら、健康に悪影響を与えることは知っているのですが、改善することができません。「昔から見たら、よくなったよ。」です。工場の休止や廃業は最後の選択です。それ以前に、行政、工場、市民の三者による話し合いが必要でしょう。煙の排出量の減少のための方策の検討。工場の休止や廃業後の雇用やフォロー。行政による手当てや将来的なプランなどです。お互いが平等の立場で話し合い、痛みを共有しながら、最善の策を検討することが必要でしょう。わが国では「上意下達」のお上志向に慣れ過ぎている傾向が強いと思います。「決定したことは変えられない」的であり、市民の意向が反映されていないことが多いようです。いままでの自民党50年政権は、特にそうだったと思います。民主党による新政権が、市民をプランの検討段階から参加させるなら、新しい未来が見えてくると思います。
2009年10月27日
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最も難しいことは、自分を知ることでしょう。自分を知っている人は、極めて少ないと思います。殆どの人が若い頃に考えたことがあるでしょう。いつの間にか日常の忙しさの中に紛れて、そのままになっているのでしょう。「自分はだれ?」「どうしてここにいるの?」「この人たちはだれ?」「私はどうしたらいいの?」こんな疑問を持ったことのある人は多いと思います。古代の聖人、賢人と呼ばれた人たちは、この疑問の答えを携えてきました。しかし、その時代の人々には理解が難しすぎたのでしょう。ありがたい教えとして、宗教化してしまいました。教えを自分の生き方にするのではなく、教えに依存してしまいました。宗教の「帰依」という言葉が、依存にあたると思います。宗教はプロに任せて、信者は依存させるという方針のようです。このような状態が、数千年間も続いています。いま「アセンションの時代」という言葉が言われています。「2012年」に向けて、人類絶滅をテーマにした映画が次々と上映されています。確かにその可能性がまったく無いとは言えませんが、不安を煽るだけでは問題は解決しないと思います。いま必要なのは、真摯に自分を見つめることでしょう。人が転生することを、信じていない人は少数でしょう。人が数十回以上も転生するのは、どうしてでしょうか?転生が学習なら、人類はもっと賢明になっていてもいいでしょう。とっくに世界が平和になり、人々は穏やかに暮らしているはずです。それなのに、いま人類の危機に直面している理由はなんでしょうか?私たちは転生を繰り返しても、学べないのでしょうか?最初の話に戻りますが、この原因は「自分を知らない」ことにあると思います。本来、それを理解することを助ける役割だった聖人の教えが、その役割を果たしていないからでしょう。古代の聖人たちは、とても残念に思っていると思います。いまこの時代にも、古代の聖人の役割を担った人たちがいると思います。しかし、高次元の存在は人類のいままでの歴史を見て、個人崇拝という同じ間違いをしてはならないと判断したのでしょう。今回は聖人が信仰の対象になることを懸念して、団体が役割を果たすことになったと思います。これなら個人崇拝という危険を回避できますから。かって聖人は「預言者」と呼ばれました。「預言者」とは高次元のメッセージを伝える役割の人のことでした。いまは聖人ではなく、グループのメンバーが受け取ることができる時代です。グループのメンバーが、メッセージを共有する方法に変わったのでしょう。メンバーになる人は、そのグループの波動に近い波動の持ち主です。波動が合えば、まさに「気が合う仲間」になると思います。もしも波動が異なれば、違和感があって苦痛を感じ、永く一緒にいることはできないでしょう。こうして現在、世界中に多くのグループが活動しています。私たちLORANも、そのグループの一つだと思います。こうしてLORANのメンバーが増えてきました。うれしいことです。
2009年10月26日
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いままで10年間、看板無しでいました。そう、10年前までは看板がありました。10年前に自宅と会社のすべてを手放してから、移転が続きました。富士市~東京・練馬~千葉・外房~富士市富士市の自宅に住んで3年目になります。訪ねて来られるお客様へ道順を説明する時に、看板がありませんでした。一昨日の午前中に、かって知った看板屋さんを10年ぶりで訪ねました。昨日朝、早速看板の下地を塗りに来てくれました。そして今日、両面へ文字書きをして看板が完成しました。私がデザインしたとおりの看板が、たった3日で出来上がりました。看板屋さんに感謝しています。
2009年10月25日
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よく「分かった。」と言う人がいます。分かったから、すぐに違う展開になると思っています。しかし、自分で思うようには事態は展開しません。なぜなら、「満ちて始まる」からです。パナマ運河を例にしてみましょう。船はパナマ運河を利用して、カリブ海から太平洋へ行くことができます。運河が完成する以前は、南米と南極の間のマゼラン海峡を通りました。運河の完成によって、距離と時間が大幅に節約できるようになりました。パナマ運河の完成を知れば、急ぎの航海なら利用するでしょうね。では船はカリブ海から太平洋へ、そのまま直行できるでしょうか?スエズ運河なら水路式ですから、直行が可能です。しかしパナマ運河では、船は山越えをしなければなりません。「パナマ運河の仕組み」パナマ運河は閘門式の運河です。これは閘門(水門)で水位を調節(上下)することによって、船を行き来させるというものです。この水のエレベータにより船を海抜26mの高さにあるガツン湖まで上昇させています。パナマ運河には、ガツン閘門、ペドロ・ミゲル閘門、ミラフローレス閘門の3ヶ所の閘門と、それぞれ2つの水路(レーン)があります。パナマ運河は、カリブ海岸のコロンからガツン湖、ゲイラード・カット(水路)を経て太平洋岸のバルボアに通じています。http://quetzal.gozaru.jp/q042/pa02.html人生はまるで、パナマ運河を船で通るようなものです。後ろの水門が閉まってポンプで水槽が満たされ、次の水槽と同じ水位になって前方の水門が開きます。それで次の水槽へ進むことが出来ます。これを繰り返して、船は山越えをしていきます。いかに急いでも、次の水槽の水位にまで満たされなければ進めません。ただ「分かった」だけでは、事態は変わらないことが理解できましたか?最善の策を決行しても、その場はなんとかなっても大きく変わらないのはこれが原因でした。多くの人は、すぐに結果を求めます。これは結果(成果)主義に染まっているからでしょう。私から見たら、種も播かずに実を欲しがっているようです。「桃栗三年、柿八年」の通り、何事にも成長する期間が必要です。人生は慌しく過ぎていきます。しかし、それは定年までの短い期間に過ぎません。あなたは自分という船の水槽へ、毎日ポンプで水を満たしていますか?いつになったら、あなたの船は次の水槽へ進めるでしょうか?そして、いつになったら目的の海へ到着できるのでしょうか?
2009年10月24日
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今朝の富士海岸の朝日あなたが宇宙空間にいて、地球を見下ろしていたとしよう。青く輝く美しい地球が、ゆっくり回転している。あちこちに白い雲がまとまっていたり、動いたりしている。暗いところは夜の世界、境界は朝か夕方だろう。この地球に約65億人もの人が住んでいるのだ。今日一日、なにも食べられない人が、10億人もいるのだ。世界の軍事費の合計は、140兆円とか。世界中の人が一人当たり、21,500円も負担している。食事も満足に取れない人がいるのに、軍事費は生命よりも大事だろうか?生命を守らないで、なにを守る軍事費だろうか?悠然と回転している地球を見下ろしたら、大地震も、大台風も、一瞬の出来事に過ぎない。そこに永遠に残る変化の足跡を、地球に見つけることはできない。誰が大統領になっても、誰が成功して富豪になっても、なにも変わらない。誰かが生まれても、誰かが死んでも、なにも変わらない。地球はただ悠然と回転しているだけなのだ。人々の歓びと悲哀は、一陣の風に消えてしまうだろう。そうなのだ。宇宙から見たら、どんな人生も無価値なのだ。人類が滅亡しようとしまいと、地球には無関係なのだ。核戦争で人類が滅亡し、たとえ地球の生態系が変わったとしても、数百年、数千年後には地球の自然は復活するだろう。自分が無価値であり、人生が無価値であるなら、それを認めよう。そして無価値から、なにが創造できるのかを考えよう。そうなのだ。創造だけが可能なのだ。自分がイメージし創造することで現実化するのだ。宇宙空間にいれば、日常の現実は無い。そこでは日常の自分も消えてしまう。絶対的な宇宙空間の存在感は、自分の存在を飲み込んでしまう。無価値な自分は宇宙空間に溶融されてしまい、一つになる。一つになった宇宙空間は、自分でもある。それが分かったら、そう生きればいいだろう。宇宙と一つになって生きればいいだろう。
2009年10月23日
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今朝の富士海岸の朝日今朝も海岸で瞑想とワークをしていました。過去に腰を痛めて、ずっと腰痛に悩まされていました。今朝のワークで腰痛が無くなりました。すると、自分が急速に拡大していくような感じがしました。視野が拡大し、細かなエネルギーを感じるようになりました。今まで腰痛に意識が集中していたので、他のエネルギーをあまり感じなかったのでしょう。腰痛に80%の意識が集中していたら、その他は20%ですね。その比率が逆転したようです。面白いことになりました。この世界は物質世界ですが、物質世界は「意識の世界」の投影だと思います。「意識の世界」は、自分がどのような意識を持って生きるかで決まります。この世界を「苦界」とか「悲しみの世界」、「苦労の娑婆」だと思えば、そうなるでしょう。「生まれてきてハッピー」、「美味しいものが食べられてハッピー」、「楽しく生きられてハッピー」と思えば、その通りになるでしょう。どちらを選択するかは、ご本人の思うがままです。しかし、人生は楽しい方がいいですね。宇宙の法則は「自由」ですが、不自由で困っている人が多いですね。その原因は、自分が「制約」を選択しているからでしょう。「制約」は宇宙の法則ではありません。人間が勝手に決めたことです。実は「正義」も宇宙の法則ではありません。「え~!!」ですね。「神罰」も「仏罰」もありません。しいて言えば、宇宙の法則に反したらエネルギーが無くなるからでしょうか? それもまた自由ですが・・・神様は宇宙を創造し、また自分の中に存在します。それ以上でも、それ以外でもありません。神仏に手を合わせるのは、自分の中に存在する神様に対してでしょう。その神様が、自分に罰(ばち)など与えるはずがありません。純粋な愛の結晶である神様を、恐ろしいと教えたことが間違いです。自分の中の神様は、自分に気づいて欲しいと願っています。そして、神様と一体になって生きて欲しいと願っています。どうぞ自分の中の神様と一つになってください。それが今回の地球転生の目的でもあると思います。
2009年10月22日
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「あなたの生命を他人に預けますか?」と尋ねられたら、どう答えますか?「そんなバカな!」と一喝されるでしょうね。でも、どうしてもそのように考えられる人がいます。それも少なくない比率ですから驚きです。例えば、高速道路のトンネル内を、無灯火で運転している人がいます。もちろんトンネル内は、ライトを点灯することを義務付けられています。うっかりしているのか、それとも冒険ごっこをしているのでしょう。でも、数千メートルもある長いトンネル内を、数台が無灯火で繋がって運転しているのを見ると、これは承知でしているのだろうと思います。ご丁寧に塗装色が黒であったりすると、見ているこちらがハラハラします。トンネル内で無灯火運転している人は、相手に自分の生命を預けていると思います。黒い車ならなお他車から発見されにくいので、追突の危険性が高くなります。数年前、「そんなの関係ねえ」と言うタレントの言葉が流行りました。自分には、相手に影響を与えるほどの力が無いと思っているのでしょうが、他の人にとっては迷惑なことですね。「宇宙の法則」の一つに「選択自由の法則」があるそうです。その法則には、「結果に全責任を負う」という付属事項があります。ですから無灯火運転した結果について、運転者は全責任を取らなければなりません。でも、そこまで考えている人は無灯火運転をしないでしょうね。「自分一人くらいはいいだろう」「自分だけしても無駄だろう」「どうせなにをしてもダメに決まっている」などと思う人が多いですね。この人たちは自分の生命も人生も、諦めてしまっているのでしょう。すべてを諦めたらなら「悟り」になりますが、恨みや嫉妬心でいっぱいの状態です。これでは死んでも死に切れません。この状態で死ぬと、この世界に自分の魂の一部を残してしまうからです。幼稚園で教えていただいたように、自分のことは自分でしましょう。自己責任は「宇宙の法則」でもあります。
2009年10月21日
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徳島空港隣接の公園の朝の風景あいにくの曇り空でしたが、日の出の輝きはとてもステキでした。今日は徳島から静岡県富士市へ帰りました。約540kmを6時間半で走破しました。ゆっくり運転したつもりです。珍しく神戸高速3号線も渋滞や混雑が無く、すんなり通り抜けました。以前はSA(サービスエリア)で食事をしましたが、最近はPA(パーキングエリア)を利用しています。SAよりもPAの料理の方が、自分には合うような気がします。厨房が丸見えで、働く人の勢いもご馳走に感じます。最近、高速道路を運転していて気づくことがあります。以前、よく見た「赤帽」さんの姿が見えないのです。数年前には多くの「赤帽」さんがホロを架けた軽トラックを運転していました。その多くは中高年のオジサンドライバーでした。私と同年代の人も多く、仲間意識でナンバープレートの県名を眺めていました。「どうか無事に帰宅してください。」今日は540km運転して、僅か2台しか見ませんでした。多分、不況で仕事が減っているのでしょう。不況になれば、いつも弱いものへしわ寄せが集まります。やるせないですね。高速道路の集金業務も下請けの中高年のオジサンたちが担当しています。道路工事の現場で旗振りしているのも同じオジサンたちです。年賀状の予約が始まり、1日1日と寒さが増していきます。帰宅して、久しぶりに眺めた富士山の山頂に雪が積もっていました。願わくは、風邪などひかないで元気にお過ごしください。すべての人の上に、太陽も月も星も光を投げかけています。
2009年10月19日
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徳島空港隣接公園の朝日今日で今月の四国ツアーの予定が終了します。明日は久しぶりで富士市へ帰ります。今朝の朝日はすばらしかったですね。毎日、朝日は昇っていますが、雲で見えなくなってしまう時もあります。それはまるで、人の心の中と同じです。悲しみや苦しみで、自分の心の中の太陽が隠されてしまいます。多くの人々はそれが当然だと思っていますが、決して当然ではありません。感情や思いは、肉体に付随した本能の仕業です。本能は肉体が生存するためには不可欠な能力ですが、本能だけで生きたら野獣と同じになってしまいます。決して褒められたことではありません。人が野獣と異なるのは、自我意識を持つことと言われています。自分という意識ですが、単に他人と比較するためにあるのではありません。自我意識を他人との比較に誤って使っているため、自信喪失や劣等感、悲しみ、憎しみ、嫉妬心、復讐心などの原因になっています。私は自我意識を持つ理由を、自分が最も高い存在と一つであることを知るためと思っています。宗教の目的が「神人合一」にあることからも分るように、元々私たちは神様と一つであると思います。それを知るために自我意識があるのでしょう。神様と人は、永い間不幸な関係にありました。神様と人が不可分であるにもかかわらず、神様と人を分離してしまいました。一方的に神様に依存し帰依することを求められてきました。「神様に罰をあてられ、地獄へおとされる。」と脅されてきました。こんな子供だましを、いい年をした老人が信じていることが滑稽です。純粋な愛である神様を、どうしてこんなに悪者に仕立てるのでしょうか?神様の波動を一度でも味わったら、こんな失礼なことは言えないでしょう。神様と思っている対象の中には、低級霊と呼ばれる存在もいます。彼らは「私は神である。あなたの願いを叶えてあげる。」などと、人の心理を巧みに利用しています。「地球の支配者(リーダー)にしてやる。」とか、「神様の能力を与える。」とか、求める人が飛びつくような甘言を弄します。ですから、心にスキがある宗教家が信じている神様には注意が必要です。神様は決して、何かをサービスしてくれることはありません。自分の優越感を助長する言葉に注意しましょう。自我意識の中にある思いや感情をクリーニングし、本能の欲望の支配から抜け出すことができたら、自我意識と神様の意識が融合すると思います。この状態が「神人合一」です。老子が言った「無為自然」の状態になったのです。私たちが転生を繰り返している目的は、このためと思います。
2009年10月18日
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徳島市沖洲の夕陽徳島市の東端、沖洲に行って来ました。マリンターミナルという船着場の施設がありました。岸壁で釣りをしている人に釣果を尋ねると、「キビレだよ。」と、クーラー・ボックスを開けて見せてくれました。25cm以上の色の白い黒鯛に似た魚がいました。ハラビレが黄色なのでキビレと呼ぶのだそうです。この船着場は、本四架橋が完成して高速船が廃止になり、さびれたそうです。以前はとても賑わったそうですが、「つわもの共が夢の跡」そのままです。民主党が高速道路料金の無料化を公約にあげて大勝しました。来年度の予算要求にも反映させているので、来年度から一部でも始まるのでしょう。私は道路は公共施設ですから、無料で当然と思っています。本来、水も薪も自然の恵みでしたから、光熱費も無料化して当然です。無料化に反対する人がいることは承知しています。自分たちが営々と築き上げてきた事業が、簡単に潰されては堪りません。しかし、季節がうつろうように社会も変化していきます。これからの変化を見通して、自分が適応するよりありません。根本的な解決方法があります。「お金を廃止する」ことです。すべてのサービスが無料になれば、すべての問題は解決します。自殺者も強盗も振り込め詐欺も無くなります。所得格差も無くなり、支配もマインドコントロールも無くなります。宗教は地上天国を実現できますし、政治は買収や汚職が無くなります。学習塾も高学歴も必要で無くなります。本当の自由と平等が実現します。これを実現するためには、同時に世界政府を実現する必要があります。世界中の人々が平和を望んでいるはずですから、全員投票で決議しましょう。こんな簡単なことが実現しないのは、権力者が権力を手放さないからです。また、そんなことが実現するはずがないと人々が諦めているからです。あなたは子や孫になにを残すつもりですか?お金や財産があれば、これから100年も幸せに暮らせると思っていますか?ハイパーインフレがくれば、すべてのお金は紙くず同然になります。現在の国債残高を返済するには、この方法しかないのを知っていますか?いずれ、お金はただになってしまいます。だったら、すべてのサービスを無料化する方法がベストです。できないのではなく、やってみなければならないのです。
2009年10月17日
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徳島で毎月の半分近くを暮らすようになって、便利なことがあります。5km先のシネマサンシャインへ、気軽に行くことができるのです。行こうと思えば、15分後には着席しているのですから。実家の向かいに洋画の映画館がありました。小学生の頃、映写技師のお兄さんが、2階の窓から「今から決闘がはじまるよ!」と呼んでくれるので、映写室の窓から無料で見ることができました。実家の倉庫の外壁に、市内5館のポスター掲示板があり、毎週割引券数枚と、また1ヶ月に数枚の招待券を謝礼にくれたので、映画をいつも無料で見ていました。ですから、映画好きになったのも当然でした。ここ10年間、テレビを見ない生活をしていて、ビデオも見られないので、映画からも遠ざかっていました。最近、映画をたまに見に行くようになって気づいたことがあります。私が望む結末になったことが、殆どありません。話題作を見ても、巨額な制作費をかけた作品を見ても、欲求不満です。「なぜ、こんな結末になるのだろう?」見終わってから、度々考えさせられました。そして、ようやく結論が出ました。「望む結果が違うからだ。」と。望む結果が違うなら、結果が一致しないのは当然です。見終わって、虚しくなるのはそれが原因でした。でも、これでいいのかという疑問が浮かびます。なぜなら、このような結末では、こころが豊かにならないからです。「所詮、人生とはこんなものだよ。」「どうせ、あくせくしても結果は同じだよ。」「この程度の幸せが手に入れば上等だよ。」そんな声が聞こえてくるような気がします。「四畳半一間の生活でも、幸せはある。」というような消極的な結論では、人生を切り拓いていく勇気は湧かないでしょう。「もっと自由になっていい。」「もっと元気になっていい。」「もっと幸せになっていい。」「もっと輝く人になっていい。」「もっと、もっと、もっと・・・」こんな明るく、楽しい結末が少ないのは、人々が小さな幸せに満足しているからでしょうか?それでは老人になってから、「こんな人生しか手に入らなかった。」と後悔しませんか?「失敗してもいい。笑われてもいい。たとえ貧しくてもいい。 しかし、いつかきっとすばらしい成功を手に入れるぞ!」そんなチャレンジ精神が、人生に夢を与えてくれると思います。人生は結果だけではないと思います。若いうちから夢を失っていたら、大きな夢は実現しません。夢を追い続けることが、人生だと思います。
2009年10月15日
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今朝の徳島・松茂町海岸の朝日「精神的成長のすすめ」と言ったら、馬鹿にするなと叱られそうですね。現在のと言うか、今までの人類の積年の災いの原因はこれでしょう。もしもあなたが馬鹿にされたと思うのなら、現在の人類の状況をいかに説明されるのでしょうか?人類の現在の状況について、今まで多くの説明がされてきました。確かにその一つひとつは、その通りだと思います。しかし、いま一つ納得がいかないのです。それで私なりに考えてみました。その結論が精神的成長の問題でした。人には肉体があります。この物質世界では、肉体が無ければ生きていけません。また、肉体には生存本能があります。生存本能は最も強力な欲求です。食欲、睡眠欲、性欲がそれです。この本能を無視すれば死んでしまいます。この本能を満足することが、幸せと感じられます。さらに、所有欲や支配欲が加わり、この欲望を満足することに幸せを感じています。お金と健康がたいせつと思う人が多いですね。これでは野獣と同じです。野獣は欲望の充足のみに生きています。では、人類が野獣と異なる理由はなんでしょうか?最も大きな違いは、理性があることでしょう。ウィキペディアでは、このように記述しています。理性的システム-ゆっくりと働き、長期的な利益を勘案することができ、主に大脳新皮質に司られている。進化的な起源は比較的新しい。 情動システム-即座に働き、短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり、主に大脳辺縁系に司られている。進化的な起源は古い。 大脳新皮質とは、大脳の部位のうち、表面を占める皮質構造のうち進化的に新しい部分である。いわゆる下等生物では小さく、高等生物は大きい傾向がある。人類では、中脳、間脳などを覆うほどの大きさを占めている。 厚さおよそ2mmの皮質状組織で、灰白色を呈し、6層構造をもつ。また、食欲や性欲などの欲求や情動は、古い大脳である大脳辺縁系でおこる。以上の説明で分るように、人類は大脳辺縁系の活動である食欲や性欲などによって支配される傾向にあります。大脳新皮質による理性の活動が、制限されているように感じられます。今のままでは、武力や暴力、権力やお金による支配は終わらないでしょう。大脳新皮質による理性の活動を、活発化しなければならないでしょう。このような現状を改善するためには、1 大脳辺縁系の活動である食欲や性欲などの欲求や情動を刺激するマスコミや 教育をやめる。戦争や暴力、恐怖や所有欲、支配欲を刺激することをやめる。2 大脳新皮質による理性の活動が活発化するように、読書や芸術、瞑想などを すすめる。3 宗教や民族、国家など、対立によって内部結束を図っている組織は、対立を やめて、お互いの存在を認める。 これは暫定的な措置です。将来はすべてが統合されるはずだからです。2012年はなにかが起こると言われていますが、私はその年に向かって変化が始まっているように感じます。その変化を増幅するためには、欲望に支配されている人類では間に合いません。大脳新皮質による理性の活動を一層活発化しましょう。すべては生まれる前から決まっていると思います。それを実現するためには、自分の意思と意識が重要だと思います。
2009年10月13日
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人は旅が好きですね。古い統計ですが、2005年のわが国の海外旅行人口は、1340万人でした。とても多くの人が海外で旅をしています。これでも世界では13位でした。旅にもいろいろありますが、人生も旅とすれば、人は旅人ですね。この旅は、過去~現在~未来という悠久の時を旅しているのでしょう。旅する国も様々です。殆ど世界中を旅しているようです。前にも書きましたが、私はギリシャ、エジプト、中国、イギリス、フランス、アフリカ、アメリカ(インディアン)、ロシアに生まれたことがあるようです。時代も数万年前~1921年という、気が遠くなるような永い旅をしていました。ムーの時代にも、また地球転生の前に、他の星にもいたようです。これらの過去の記憶は、ヒプノセラピー(退行催眠)で思い出すことが可能ですが、証明することはできません。証明できなくても、自分が納得すればいいでしょう。個人的なことですから。しかし、同じ場面に仲間を見つけることもあるのでビックリです。私が2700年前にギリシャのポリスで亡くなったとき、最後を身とってくれた5人のうち3人が今回の人生でお付き合いがありました。地球へ転生する前の星で一緒だった人も数人いますし、ムー大陸が沈む時にも一緒だった人も数人います。なんと世間は狭いのでしょうね。このように、私たちは数十回も転生を繰り返して旅をしています。私たちの永い永い旅の目的は何でしょうね。そして転生が終わったら、どこへ行くのでしょうね。そう考えると、天国や地獄にいる時間は無いようです。次の世界が待っているとしたら、この世に未練はありませんね。宇宙にはいいも悪いもないのですが、自分が勝手に決めているだけです。生まれることも死ぬことも自然の摂理ですから、いいも悪いもありません。しかし相手に依存しているので、死を受け入れたくない自分が悲しみます。他人には依存しないので、他人の死にはあまり反応しませんね。どうせ旅をするなら、ワクワクする旅をしませんか?ハプニングもアクシデントもOKです。それが旅の楽しみですから。それなら、人生で起きることを、旅のように楽しみましょう。
2009年10月09日
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今朝AM 6:30頃、台風18号の強風がピークを迎えました。それから30分後には、青空が見えてきました。巨大台風の中心から80km足らずでしたが、大した被害が無くて助かりました。「地震、台風、火事、親父」と、怖いものの第2位にランクされている台風ですが、2年ぶりの上陸ですから怖さを忘れる人も多いのでしょうね。伊勢湾台風では 5000人以上、狩野川台風では 1200人以上の犠牲者を出しました。正に台風、恐るべしです。このように、台風の強風と大雨の中では大変な状況です。しかし、気象衛星から撮影された台風は、地球の青い海に浮かぶ白いワタアメのようです。この中で大きな被害が出ているようには感じません。地球上の悲惨な現実も、宇宙から見たら美しい地球でしかありません。この美しい地球上で、お互いが傷つけあっているのは原始的に思えます。人類がどの生物よりも叡智があるなら、どうして話し合いができないのでしょうか?幼稚園でさえ、暴力を禁止して仲良く遊ぶことを教えているのに、国を代表するほどの人が、話し合いができないとは情けないことですね。人類が信じている文化が、相手を許容することを妨げているのでしょう。司馬遼太郎氏の言葉を借りれば、文化とは変えられないものだそうです。一方、文明はその便利性のゆえに、携帯電話のように受け入れ易いそうです。ですから、文化に拘るときには細心の注意が必要なのでしょう。例えば、総理大臣の靖国神社参拝問題などが、それに当たるのでしょう。一方の正当性が、他方には受け入れられないこともあるからです。「それでもいいだろう」では、これからの世界では孤立化する危険があります。いまさら鎖国ができない国際化時代です。世界的なコモンセンスが求められて当然でしょう。政治家を選出するとき、世界的なコモンセンスの所有者であるかも条件に加える必要があります。自国の利益だけを優先するようでは、世界中の人々の理解を得ることはできません。その意味では、アメリカで博士号を取得した鳩山総理に期待したいものです。国民の成長のレベルを知るためには、政治手法を見れば分かると思います。すべてが粛々と、全国民の議論を尽くしての合意による政治が最高でしょう。低いレベルでは、一党独裁とか、暴力や非難中傷や買収などが多いでしょう。そう考えれば、日本もアメリカも低いレベルの国民だと分かります。その結果、悲惨な状況が続いていても、宇宙から見たら地球は美しい星です。自分の気持ちだけは、台風の中でも美しい地球のままでありたいと思います。
2009年10月08日
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私はいま、ほんの少し自分を知ることができました。そしていま、ほんの少し宇宙を知ることができました。宇宙がいかに巨大な存在であるかを、感じることができました。そして自分がいかに巨大な存在であるかを、感じることができました。巨大な宇宙が、いかに暖かく穏やかであることかを知りました。その宇宙にいる自分が、いかに幸せであることかを知りました。この宇宙は、まるで暖かい家庭のようです。電灯が灯った茶の間に頼りがいのある父親がいて、いつも笑顔の母親がいます。大勢の子どもたちが、ワイワイと遊びながらも一つの群れになっています。そこには大きな安心感があります。私もその中にいて、大きな安らぎを感じています。それはすべてが自分であり、すべてが神様であると言ってもいいでしょう。自分と他との境目はなく、しかし、自分はやはり自分なのです。そこではすべてが可能であり、すべてが無限です。それと比べると、こちらの世界は、まるで缶詰の中のように感じます。もしもあなたが缶詰の中から脱出したいのなら、それは可能です。缶詰を信じないこと。そして自分と思っている自分を信じないことです。もっともっと、すばらしい存在である自分を信じることです。アミューズメントも楽しいでしょうが、この宇宙や世界、自分自身が、実は、アミューズメントなのです。
2009年10月05日
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満月をホテルの5階の窓から眺めています。 ここは石川県小松市。ずっと先に空港があるだけで、水田が広がっています。 夜更けに眼下の道路を通るものもなく、海岸の波音が聞こえて来ます。 10年前に仕事を止め、すべてを手放しました。 徒手空拳で、なにもすることも無くなりました。 あるのは時間だけなので、読書と瞑想三昧でした。 10年経って、いまここにいます。 前に見た満月が目の前にあります。 満月も私も同じなのに、感じていることは全く違います。 この静けさはなんだろう。 この豊かさはなんだろう。 すべてを失って手に入れたものは、失ったものよりも遥かに大きい。 形あるものを求めていた時は、自分を見失っていました。 それを止めた今は、とても穏やかです。 いかに形あるものを求めても、最後には捨てていきます。 この肉体でさえ、燃やしてしまいます。 捨てていくものに執着する愚かさは、肉体と精神の限界に達して気づくのでしょう。 限界を越えても、まだ働き続けているのを見るのは、つらいものがあります。 そんなに頑張らなくても、肉体や精神がボロボロにならなくても、生きていけるのに。 心配や恐怖心がそうさせるのでしょう。 すべてが既に与えられていても、仕事に夢中になっていたら気づけません。 ですから、すべてを止めて、静かに目を閉じれば、少しづつ感じることができるでしょう。 願わくば、この満月の下で安らかな眠りを楽しまれますように。
2009年10月04日
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今日は金沢市でのイベントに参加出店しました。 混雑するほどではありませんでしたが、私は満足しました。 金沢へ最初に来てから、13年ほどになります。 イベントで毎年通うようになって、5年は経つでしょう。 今回、ようやく芽が出たような気がします。 私には[北国の春]は遠く感じましたが、これから花が咲く楽しみがあります。 これから、ゆっくり芽を出し、ゆっくり成長するでしょう。 逞しく大きな木になあれ!
2009年10月03日
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今朝、富士市の自宅を出発し、富山市に立ち寄り、小松へ到着しました。 走行距離は 560kmでしたが、ずっと雨でした。 ホテルへ荷物を置き、100m先の中華屋さんまでの往復の時だけ、雨が止んでいました。 妻の運転で富山~小松を移動中、前方の日本海の上空にエネルギーを感じて目を閉じると、瞬時に意識が無くなりました。 目が覚めると、すべてがクリアになり、パワフルになっていました。 いま、外は秋の雨に煙っています。明日は晴れるといいですね。
2009年10月02日
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今朝の富士海岸の朝日昨日の雨が止んで、朝日が輝いていました。早朝海岸へ行くには、長袖が必要なほどの涼しさです。それもそのはず、今日から10月ですね。秋も真っ只中です。明日富山市へ行きます。東海北陸道を南から北へ車を走らせます。高山はすでに紅葉が始まっているでしょうね。朝晩はきっと寒いでしょうね。富山市からUターンし、金沢市を通り越して小松市へ行きます。ここで3泊の予定です。明後日(3日)は「愛・癒しゆとり~とin 金沢」へ出店します。4日は「1日リラックスワーク」を開催します。仲間たちも応援に駆けつけて下さるそうで、ありがたいことです。とても不思議に思っていることがあります。いま、ここにいる私が死んだら、私はここにはいなくなります。しかし、私がいなくなっても、ここは以前のとおりにあるのでしょうね。そんなことは当たり前だろうと言われるでしょうね。でも私にはそれが不思議なのです。なぜなら、ここは私がいることで成立しているはずですから。ここが存在するための必要条件である私がいなくなったら、ここが無くなっていいはずだと思います。しかし、それでも存在するのは、多分他の人が存在しているからでしょうか?自分の世界は、自分が入ったシャボンダマでしょう。中の自分が消えたら、シャボンダマの中が無くなるのですから、しぼんでしまうでしょう。そうなったら、シャボンダマは消えてしまうと思うのですが。この世界は、自分がエネルギーを与えているから存在すると思います。自分が電源で、世界はスクリーンに映る映画のようです。ですから電源が消えたら、画面は消えてスクリーンだけになるでしょう。この世界をそのように考えたら、自分の存在価値はとても大きいと思います。
2009年10月01日
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