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JR新宿駅から東武日光や鬼怒川温泉行きの特急が走る。3/18のダイヤ改正で、スペーシアとJRの485系特急が、新宿駅から出発する。国鉄の準急日光号と、東武のけごんが争っていた というのは、だいぶ大昔のエピソードでしたが、まさか敵同士が手を結ぶことになるとは。栗橋駅に連絡線を新たに設けて乗り入れするのだ。スペーシア鬼怒川と485系(日光号と鬼怒川号)(※485系は、実は181系からの生き残りをリニューアルした車両)ボクが、青春18切符が余っていたという理由で、JRで日光へ行ったときも、(がらがらの日光線もロングシートだった!)季節はずれとはいえ、並び合うJRと東武の日光駅周辺に人は少なかった。世界遺産に指定されたあとだというのに!東武のターミナル・浅草は、そこまで行くのが大変だった。新宿なら多くの人に便利だ。でも行き先は日光は1本で、鬼怒川温泉行きが3本。やっぱり日光の需要は少ないのかな?値段は?新宿~東武日光・鬼怒川温泉駅間どちらも3900円(運賃1890円 特急料金2010円)の全席指定。割高になるみたいだけど、便利だからいいか。
2006年02月27日
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ついに消える湘南色の東海道線(JR東日本)JR東日本の湘南色の車両が、ついにこの3月の改正で消えることになった。クハ111+モハ113の車両自体が東海道線(JR東日本の区間)からお払い箱ということになった。「湘南色」とは、鉄道ファンなら誰でも知っているオレンジ色と緑のツートンカラーで、みかんのオレンジ色と葉っぱの緑色だと信じられていたが、実際は単なる警戒色と補色の組み合わせだという。これに対比して、クリーム色と紺のツートンカラーの「スカ色」とは、横須賀線の色だとされていた。実際には、当初は80系の東海道線と横須賀線だったが、そのままの色で転出したりして、他の地方でも走っていた。なかなかいい組み合わせの色だった。東海道線は、ステンレス車だらけになってしまう。ステンレス車の211系とE213系は、帯のところだけがオレンジ色と緑になっている。113系は、ボックス席と、ドアの横は2~3人掛け席の組み合わせだった。ボックス席は膝と膝がぶつかりそうなちょっとピッチが狭かったけど、それでもボックス席に陣取れば自分たちだけの空間だった。最近では、113系もロングシート化されていて、裏切られることが多くなったが、やっぱりなくなるのは、時代の流れとはいえ淋しいものです。これでスカ色とか、湘南色とかいううんちくはなき物となるのか、、、湘南新宿ラインという東海道と東北線・高崎線を結ぶ短絡路線ができて、埼玉に住む人たちと神奈川に住む人にとっては利便性が増したなあと思っていたけど、ほとんどロングシートで、長距離を乗る人には楽でもないし、楽しくない。以前に書いたことがあるけど、旅に出ても、113系のようなボックス席だと地元の人ともちょいの間でも交流があったりした。JR西日本の新快速は、ボックス席より進化させた2人掛けで快適ではある。が、それはそれで、個の時代向きになってしまって旅情がなくなっている。でも、JR東日本はもっと罪が重い。かなりのローカル線でもロングシート化されてしまっている。JR東日本なんか嫌いだ~。p.s.JR東海なら御殿場線に湘南色の115系ボックスシート車がまだ走っている。また春になったら御殿場線へ行ってみようかな?
2006年02月27日
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いやはや、変な映画を見てしまった。○○刑事 というんだけど、知り合いから招待券をもらって、金曜で終わりで見られず悪い事したなと思っていたら、まだ次の週もまだ上映していたので、時間をやりくりして行ってきました。アイドル映画なのはわかっていたけど、まあ、なんと言ったらいいのか困ってしまうほど、、深夜のドラマの映画版ということで知ってる人は知ってるらしいのだが、いやあ、まったく、、、映画は初日はアイドル3人そろい踏みで、満員御礼のだけど、この週となっては空き席が目立つのも仕方がない。映画が終わって、まわりの席の人たちの年代を見回したら、意外とオタクらしい人はほとんどいない。カップルとか、女性同士とか、外人とのカップルもいた。みんな終わって呆然としているような印象。外人に日本の映画はみんなこんなのだと思って欲しくないなあ、というのが印象です。みんなの感想はどうかなと、検索してみると、気に入っている人のブログもあったりした。どうやったら、いい映画かどうか見る前に見分けられるのでしょうか?「こんな映画は見てはいけない」にも批評が書かれていない映画でしたので。山口百恵の初出演映画「としごろ」だって、アイドル映画だったけど、もう少し見たかいがあったと思うんだけど。この映画は、森昌子・桜田淳子とともに花の中三トリオとしてデビュー、しかもこの主題歌も百恵ちゃんの最初の曲「としごろ」だった。この映画も歌もヒットはしなかったけど、ボクは好きでした。
2006年02月25日
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荒川静香トリノオリンピック、女子フィギャアスケート金メダルおめでとう。日本唯一のメダル・それも金メダルを取るとは、予想外の活躍だった。カーリングの3位決定戦を見ていたため、3時頃に眠って、フィギャアの5時からのライブには当然起きられず、ビデオに撮っていた。朝起きて、テレビを付けると、もう荒川静香の金メダルおめでとうの番組だらけだった。それはそれは晴れがましく、見ていていやなものではなかったが、他の2人の滑りも気になった。他の二人?村主章枝、安藤美姫のこと?それともスルツカヤ、コーエンのこと?両方ともだった。優勝候補残りの2人は両方ともこけていた。安藤美姫も、いっぱいこけていた。こけたおかげだろうか、演技の流れがぎこちなかった。まあ、次に期待しておこう。それに比べ、荒川静香の流れる演技は見事だった。加点対象にはならないというが、彼女ご自慢のイナバウアーが技と技をうまくつなげる。それは金メダルにふさわしい滑りだった。よくぞここまでやってくれたという印象が何度それを見てもあきない。ここまでくるまでには天才少女といわれた少女時代から、低迷の時期を過ごし、引退も考えたこともあったという。「無欲の勝利」というのが、完全に当てはまった。安藤美姫の陰に隠れて、また浅田真央が選出されないまま、なぜ荒川静香なのという印象まで持たれてのオリンピック代表だった。こうして、金メダルまで取るとは選考委員もよく選んでくれた。おめでとう!プリンスホテル所属で、プロのスケーターになるような話があるようだ。金メダルのためでなく、今度は見せるための魅せるスケートを続けていって欲しい。(もちろん彼女がどんな方向に向かって決断するかはまだ知りませんが)
2006年02月25日
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カーリングブラシで氷をこすってストーンを滑らせる、変なスポーツだなと思ってはいたけど、今回の活躍のおかげで、じっくり見てしまった。全部ではないけど、半分くらいの試合を見てしまった。点が取れるのにとらないという不思議なスポーツだと思ったら、点を取ると次の回には先攻になってしまい不利なのでわざと取らないで、0点同士が理想だけど、1点なら作戦上取らせてあげたりする。ルールは、中心に近いところにストーンがあるチームのみに得点が入る。氷上のチェスと言うらしいが、ビリヤードに近いかな。録画で短縮していても40-50分かかる。寝ようかなと思ったときに始まるので、おかげで寝不足。ホントは両方の持ち時間足すと2時間半もかかる長いゲームなのだそうで、やる方もそうだけど、見るのも大変だ。結構第10エンドで決まることが多いが、ロシアに負けたのが後を引いてしまった。強豪のカナダや英国に勝って、日本も意外と強い。負けた試合も結構接戦に持ち込んでいた。小野寺が特に勝負強い。残念ながら、スイスに勝ったとしてもプレイオフがあって、準決勝に進めたとは限らない。カーリングのストーンはいくらするのかとの話題が、スポーツ新聞に載っていた。1つで20万円だそうだ。その代わり大事に使えば100年持つという。カナダでは国民的スポーツらしいが、2時間半も寒い中でやるのは、東京でははやりそうにない。4人は北海道から青森に出てきて、カーリング命でここまでやってきたわけだが、なかなかかわいらしい。これからも頑張って、日本の期待のチームになって下さい。ちなみに、カーリング日本代表がモデルの映画「シムソンズ」が公開されているそうだ。1館上映と小規模らしいが、はやるかもしれない。
2006年02月21日
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ジローナこの町の名前は、カタルーニャ語では、Girona(ジローナ)と日本人にも聞きやすいけど、スペイン語になると、Gerona(ヘローナ)というへなちょこな発音の町。フィゲーラスからバルセロナへ向かう列車の左手の車窓に、丘の中腹にある大聖堂の威容がうかがえます。言葉は通じないけど、乗客の一人が、こっちこっちと教えてくれた。駅近くの新市街からオニャール川を渡ると、旧市街です。オニャール川沿いの家並みと橋が、ジローナの代表的な風景です。橋の両端にあった塔が近世になって必要となくなり壊されたあとに、この景観の住宅が建ったそうだ。ここは川に沿って、細長い町。町の中にはいると、古いアーケードの商店街が続く。自然の山壁に沿って、建てられた家々。大聖堂(カテドラル)は、商店街を抜けて突如現れた階段の上にそびえ立つ。この階段を上って、大聖堂の階段も登るのかと思うと、不謹慎ながら、ちょっとパスって気になってしまった。このカテドラルの貴重な「天地創造のタペストリー」も見たい気もするけど、今日は時間がないから町歩きを優先!と言い訳して。実は、この町の城壁の上を歩く「哲学の道」と言う散歩道もすばらしいと インフォメーションで聞いたのだが、入口が両端にしかなくて結構ハードなハイキングになりそうなので、今回はそこもパスだ。アラブ風呂というのも名所のようだが、シエスタに合わせて午後2時まで、本日はもう閉館しているそうだ。大聖堂の横道から続く、ユダヤ人地区(CALL・BARRIO・ JUDIO)は石畳の坂道・石段の道に囲まれ何とも言えず美しい旧市街だ。ちょこっと覗くと、それぞれが独特の雰囲気を持つ坂道の路地。どの路地がどこにつながっているか分からない初めての町はちょっと怖くもあるけど、魅惑的です。坂を下ってみる。下るって事はまたいつか登らなくてはいけないので、なかなかつらいものがある。と言いつつも、この町の魅惑には勝てず、地図も見ないでさまよい歩く。先ほど見た地図では、町はさほど広い領域でないので、心配はない。小広場を抜けて、その奥にもう少し広そうな広場がある。何回角を曲がったかわからないけど、ふと先ほど通った道に出ているのに気がついた。今日はバルセロナへ行く途中の途中下車観光なので、まあ、この辺でこの町歩きを終えることにした。途中、「こんな時間でもお食事できます」ってレストランがあったが、ここで1-2時間の時間を使ってしまうと、バルセロナ到着が真っ暗になってしまうので、 残念ながらあきらめた。日本人には知られていないけど、白人達には人気のジローナ。スペイン語では何とも頼りない発音のヘロ-ナ。またいつかの楽しみにとっておきたい町だ。今田はゆっくり1泊以上の旅で、この近所の村も訪ねるのもいいかもしれない。
2006年02月12日
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ペルピニャン(Perpignan)この変わった名前の町、スペインに一番近い南の町へ行ってみました。現在ペルピニャンは、ラングドック・ルシヨン地域圏のピレネー・ゾリアンタル県庁の都市です。ここもウィキペディアにはほとんど記載がありません。駅を降りると、椰子の木の並木の商店街が迎えてくれます。ここは冬のこの時期なので、椰子の木が必ずしも似合っているわけではありませんが、 南国です。ここは元々は、マジョルカ王国の首都であった町です。ということは元々はここはフランスではなくスペインであったのです。そしてここはピレネー山脈の登り口にもあたりヨーロッパの小国アンドラへの入り口でもあります。何故かペルピニャン駅はダリが作ったものだそうです。マジョルカ王国であったこの町の中心は当然のことながらマジョルカ王宮という城である。マジョルカ王宮 Palais des Rois de majorique石造りというか煉瓦造りの城壁の目の前に駐車場がある。城門は開いていて、その暗がりに入場券売り場があったがすでに閉めていた。だが、入場は自由らしく、暗がりから続く坂を登る。降りてくる観光客がいたのでまあ入っても問題ないかなと思った。坂を登ると草地の前庭があって、いよいよ城へ。 中庭から幅広の外階段が両脇に2つ。まずは1階から。お城の中は基本的にがらんどうの部屋が並んでいます。そこに「ゴシック」 と称した展覧会の展示物が所々に飾られています。部屋中を茶色に塗って前衛的に展示されていたり、キリスト教関連の絵のレプリカなどで、なにかのメッセージを表しているのでしょうか。滅んでしまった城なので、本来の調度品などはほとんどありません。上階の方 どうやら中学生の社会見学のようです。ゴシック展のことか、この城の歴史のことかレクチャーを受けているようで、一つの部屋にはいるとしばらく静寂の中誰も出てきません。説明がフランス語なのかカタルニア語なのかどちらにしても理解できないので、避けてそれぞれの部屋をまわります。2階へ上がって、主塔が日本の城の天守閣に登るような階段があります。3階4階は天守閣へ登るのと同じようなただの部屋があって、もう少し登れそうでした。そこを登ると、展望台になっていました。360度の景観が見られます。町の屋根は赤茶けた瓦で統一されています。遠くピレネー山脈とここからエスパンニャ、地中海などと表示された半円形のタイル造りの地図が2つで360度を案内してくれます。主塔と向かいにもほぼ同じ高さに従塔(と勝手に名付け)が有り、その先にも兵舎とも思える建物が連なり、城の庭がありました。しばらくこの景色を目にお覚め、残りの部屋も見て回ります。礼拝堂らしきものもありますが、がらんどうでキリスト教ではないのかもしれません。 ゴシック展に関連するのかどうか、部屋によっては旧正月が近いせいか中国風の雰囲気の大きな扇子とか赤や金色の装飾も見られました。この城は上から見ると五稜郭のように星の形にできているようで、四方から見た写真が4枚飾られてもいました。城門から向かって右側が旧市街の方向です。なだらかな坂が時折あって、足下を注意しながら歩きます。この町はとても犬の糞が多いのです。上ばかり見てるととんでもないことになります。階段を下りて旧市街に入ります。スペイン風といわれる建物の色を楽しみながらも細い路地の石畳を当てずっぽうに歩きます。町のあちらこちらに歴史的遺物について表示板が設置されています。この季節観光客はほとんどいないようでしたが、地元の人たちだけでも十分活気づいている町に見えてきました。小川が旧市街と新市街を分けているようでしたが、その小川は2重底のようになっていて、そこには芝生が張られていて、今の季節でなければ花が咲く、現代的な美しい遊歩道となっていました。 「このあたりのレストランで食べてきたらいいよ」とホテルのフロントで聞いてきていたので、どのお店がいいか眺めました。BARは多くの珈琲を飲む人でにぎわっています。ところがところが、夕刻の五時半という時間、この町ではレストランは開いていないのです。何軒かブラッセリーで食べられるか聞いてみましたが、今の時間は喫茶タイムなのです。ここではシエスタの習慣があるのです。ここではフランス料理とカタルニア料理のどちらも楽しめると聞きました。でも明日からはカタルニアに行くので、無理にカタルニア料理を食べる必要はありません。ここはフランスの皮をかぶったスペインでした。それなのに、スペインの皮をかぶったフランスでもあります。いいところ同士が組み合わさればよかったのですが、ボクには逆のまずい組み合わせでした。この町を突っ切る場違いにも思える交通量の多い国道(?)を渡ると、また椰子の木の並木の駅前商店街に戻ってきました。残念ながらここでの食事は、パン屋さんとハンバーグ屋さん位のものでした。 ハンバーグ屋さんに入って、ケバブとビールで夕食と相成りました。とまあ、食事については残念な結果となりました。この町を囲んでいた城壁は壊され、かなり大きな煉瓦造りの門が残っているのですが近くまで行ったのに気がつきませんでした。が、この町からピレネー山脈への新たな旅の創造性を考えさせられました。アンドラへ向かうとか、世界遺産にもなっている古い教会群を訪ねたり、トロッコ鉄道でお花畑を満喫するとか、いつか行ってみたいところがまたも増えてしまいました。
2006年02月07日
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モンペリエ Montpellierなんと響きのいい町の名前でしょうか?名前だけに惹かれてこの町に降りてみました。ここは南フランスと言っても、ニースのあるコートダジュールや、マルセーユのあるプロバンスとは方向が反対のスペイン寄り、つまり西側に位置する町です。あのウィキペディアにさえ、「ラングドック=ルシヨン地域圏の都市」としか書かれていないこの町ですが、すてきでした。フランス人に聞いても、「住むにはいい町だと聞いている」とか、「学生街らしいよ」としか答えが返ってこない町です。フランスのガイドブック、たとえば「地球の歩き方」などにはちゃんと2ページくらい紹介があります。町としては、ほとんど載っていないのに、大学はウィキペディアにしっかり載っています。モンペリエ大学は1289年にはローマ教皇の勅書が出されているという、なんと世界で最初の医学部を持つ大学なのです。モンペリエ・サントロシュ駅(Montpellier Saint-Roch )のA番線側の出口を出ると、路面電車の停留所がある小さな広場が目に入ります。路面電車は紺色の5両連接の近代的な車両です。来たことのない名前だけであこがれていた町では、インフォメーションセンターが頼りなのですが、駅に併設されたそれは夏期のみの営業でした。降りてすぐ気がつくのは、南仏らしい明るい日差しと、若者たちが多いこと。さすが学生街!人づてに聞いて、路面電車を横に見てなだらかな坂道を登ると、そこが町の中心、コメディー広場です。猫の額のような駅前広場と違って、広くて人がいっぱい。だからといって猥雑でなく、センスのいい町並みと、噴水や銅像、並木の奥行きも持ったすてきな広場です。ここの奥にインフォメーションセンターがあります。ここで町の地図をもらって、お目当ての凱旋門と水道橋を見に行きます。凱旋門は、パリのものよりも相当こじんまりしたクリーム色のものです。このいわれは残念ながらわかりません。でもその後ろの公園が、お目当ての水道橋公園です。このモンペリエの水道橋は有名ではありません。世界遺産の水道橋は、アヴィニョン郊外にある「ポン・デュ・ガール」ですが、これはローマ帝国時代のものです。モンペリエの水道橋はたかだか百数十年前のものです。そう、ヨーロッパの歴史にとって1800年代は未だ近世なのです。公園から900m残されているのですが、町並みを見下ろす見事なものです。時間がなくって橋の下から見上げることはできませんでしたが、十分にすてきな気分を楽しみました。この、コメディ広場と凱旋門と駅を結ぶ三角の2倍くらいのところが、旧市街です。どこがどうと言ったことはありませんが、古い町並みにお店もかわいらしくって、もっとゆっくり暮らすように旅してみたいものです。どのガイドブックにも「モンペリエには見所はありませんが」とありますが、そんなことはありません。ボクには十分魅惑的な町でした。
2006年02月06日
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フランス・ペルピニャンからスペイン・フィゲーラスのわずか1時間16分でしたが、乗りましたよ、タルゴ!(Perpignan 8:56 Cerbere9:31 Port Bou 9:48 Figueres10:12 )いやあ、前回見かけた丸っこいアルミ車に赤い帯のだけが、タルゴだと思っていたのですが、あれは3代目でした。今回乗ったのはその次の代の角張った紺色帯のでした。(ちょっとボクの考えていたのとイメージが違いました)ツーリストクラス5両とビュッフェカー1両で、ファーストクラスは何故か連結されていませんでした。座席は広く快適でしたが、乗車率は40%くらいかな。乗車時間の約半分はビュッフェカーで過ごしました。スペインの黄金海岸(コスタ・ドラド)をビュッフェの車窓からバーテンと一緒にワインを飲みながら眺めました。赤帯のタルゴは、1969年から走っている元のTEEのもので、これに乗りたかったのです。骨董品ものですが、未だ古いのが走っているのなら乗ってみたかった気がします。勉強不足だったのですが、タルゴはフランスとの国境のみで使われるものと思っていましたが、現在のタルゴは、国内で他に需要ができたようでした。何故かというと、普通のスペイン国鉄が広軌ですが、新しく敷いているAVE(スペイン版TGV)専用線はフランスと同じ標準軌(将来の乗り入れのため)で、のためその区間の乗り入れにはタルゴの技術が必要だそうなのです。今回の旅では、せっかくレール幅に合わせて変換して直通運転している時間の短縮が、無駄にされているように感じました。と言うのは、ポール・ボー(フランス駅)で、7-8分停まってから、トンネルを越えたスペイン側の側線で車軸幅を調整し、なおポルト・ブー(スペイン駅)で7-8分も停まっていたのです。EUに両国とも加盟しているのに、ポルト・ブー・スペイン駅で、警察が乗り込んできてパスポートチェックされました。ローカル線の乗り継ぎだとパスポートチェックもしないのにどうなってるんだ!フィゲラスには定刻に着いたので、あの両駅での時間は織り込み済みなのでしょうが。ぷんぷん!
2006年02月05日
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