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新テクノロジーへの適応と言えば、地図を眺めていると、ある場所の町外れに鉄道の駅があるのを発見する。商店街ができにくい立地だったりすると、寂れた町と寂れた駅ができてしまう。隣の駅は街の中を使って駅舎にしているらしく、繁華街みたいなものが形成されている。聞くならく、昔々に、鉄道建設計画が出た時に、町の中を鉄道が通ると町が寂れるぅ!と猛烈な反対運動が盛り上がった町は中心街からポツンと離れた駅になってしまい、両方とも寂れるといったこともあったらしい。まあ、蒸気機関というおどろおどろしい機械が轟音を立てて走るのだから恐怖感があったのだろうね。いまとなっては、惜しいことをしたぁ、でしょうか。新しいテクノロジーは敵視されることもありますね。 オーディオ狂いの読者のためのオーディオ雑誌の評論は、CDが出現すると、CDの音を尖っているなどとこき下ろすオーディオ評論家が散見されたのは、当時を知る人には懐かしい思い出であろう。もちろんデジタルの音の再現性はレコード盤とは比べ物にならないので、レコード盤では再現できない高音まで綺麗にCDは出せたので、尖っているという表現は当たっていたかも知れない。再生帯域がデジタルとは比べ物にならないくらい狭いアナログのアンプの良さをしきりに強調する評論家や、レコードの音を良くすることに血道を上げているアマチュアなんかが、オーディオ雑誌に登場していた。オーディオの病が昂じて、友人から聞いたのだが、N響の演奏会に行って、終了後に「やったぁ。俺の家のステレオのN響のレコードの方が良い音がする!」と叫んだオーディオ狂いがいたようだ。ここまで来るとビョーキ。当時、胡散臭いやつらだなと筆者は次第に思い始めていた。ああいった、ハイアマチュアや評論家諸氏は、話の種・飯のタネが無くなることもあってデジタル機器に抵抗していたのでは?と筆者は思っている。 何を隠そう筆者も一時オーディオ狂いをして、オルトフォンのピックアップとか、ターンテーブルはアルミの削り出しとか凝りに凝ったものだが、最終的には、同じレコードを3枚買って聴き比べなんぞやって、やっと愚かしいことをして来たことに気付き、オーディオ機器は売り払ってしまった。3枚の同じに聴こえなければならないはずのレコードがそれぞれ聞こえる楽器の音量が異なるし、ひどい箇所になると、特定の楽器の音が入っていなかったからだ。当時販売されていた同じレーベルのCDを購入したら、すべての音がクリアに聞こえて仰天し、その場で集めたレコードなどを売りに出かけた。持っている意味が無いので、CDに切り替えるためだ。 明治政府が、当時はまだ珍しかった自動車を輸入して、明治帝をお乗せする前に実験をということで、皇居の周りを走らせて見たところ、馬に引かれずに走る車に驚いた老人が道の真ん中まで見物に出て来たので、運転手が驚いて、ハンドルを切って、皇居のお堀にボチャン!で、そんな危険な乗り物にお乗せするわけにはとなり、結果として明治帝は、お出かけの際には従来どおりに馬車のままとなったというハナシも伝わっている。余り新しいのも混乱の元かも。 せっかく便利なキャッシュレスになったのに、筆者も依然として現金とクレカ−キャッシュレスの併用状態なのだ。今気がついたが、筆者は外出時に小銭入れを携行していない。数年間全くと言って良いほど硬貨は使っていない。万一キャッシュレスではない場所での買い物をする場合は、紙幣で払って釣り銭は直接ポケットへ。帰宅したら、「一時貯金箱」へ入れる。なぜ「一時」なのかと言うと、千円分貯まったら、八百屋などで現金払いの家内に紙幣への両替をしてもらうから、小銭入れは不要という訳なのだ。筆者が一番困るのは、チップ制トイレに入った時なのだ。うーん、チップは出せないよね。トイレだと50円くらいだろうが、こうなるとチップが一番の問題だろう。〇〇ペイのQRコードをスキャンして、指定の硬貨を出せる自動販売機なんかも出現するかな? さてさて、キャッシュレス化もデジタル化もどうなることやら。一つだけはっきりしているのは、後戻りはできないということだろう。今までにこの方向で努力してきた投下資本が巨額すぎるからだ。まあ新奇なものは楽しいから、しばらく楽しませていただくよ。とり皮あられ 一味花山椒味40g×5袋入り おつまみ 独自製法 宅のみ 鶏皮あられ 鶏皮せんべい やみつき おつまみ あて 鶏皮揚げ 鶏皮チップス おやつ 鶏皮 鶏皮おつまみ リピーター続出 パーティー 手土産 ビール お酒に合う価格:2000円(税込、送料別) (2023/1/18時点)楽天で購入
2023年01月21日
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最近気がついたのだが、月にほんの数回しか現金に触っていない。筆者の財布は長財布の大きさで、短辺方向に開く変わり種で、医院の診察券やクレジットカードなどがたくさん入っているので、いつも上着では無く、掏られにくいポケットの中に入れている。カパッと開けた片側にはジッパーの付いた部分、反対側は紙幣がそのまま入れられるようになっている。先日図らずも現金で払う段になって、恥ずかしいことに、お金お金っと財布の中を数秒探してしまった。目の前の店員に見つめられているのもあって、焦ってしまった。 ああ、そうだよ。現金なんて何日ぶりだろう、とちょっとした感慨に耽ってしまった。現在の筆者は、クレジットカードかそういったカードに紐付けした〇〇ペイしか使っていないんだった。キャッシュレス社会を実感というわけだ。 結局残るのは、カード会社や〇〇ペイの運営会社からの、利用案内のメールの山。不正使用された場合に備えて、時々目を通すのだが、全部自動的に送られてくるメールだからちょいと味気ないのだが、不正使用は無いいだろうねと有り難く拝見している。 筆者は、キャッシュレス社会を歓迎している。以前お付き合いのあった、横浜で営業していたタクシーの運転手は「なぁ、客商売の中で、客に背を向ける商売ってタクシーくらいだからよぉ。暗い顔して乗り込んできて、町名だけ言ったら後はダンマリなんて客が来て、暗い場所まで連れて来られちゃうと、もしかしてオレ襲われたらどうしようって思っちゃうんだよなぁ。コワイんだぜぇ」だそうだ。現金を持っているのが分かる商売だから、タクシー強盗があるのだろう。タクシー業界ももしキャッシュレス化できれば、少なくとも現金を狙って襲われる事も無くなるであろう。他にも犯罪者のターゲットになりやすいコンビニや小売店も助かることだろう。勿論のことだが、普及には時間がかかるだろう。 私達の世代より上の世代は、多分デジタル化についていけない。筆者は、マイナンバーカードを読み取って、国民健康保険情報を読んで貰い、医院で診察を受けて処方箋が出てくると、その場でネット経由で処方箋の画像を薬局に送信して、薬を取りに行く時間も同時に指定するアプリを使っているが、薬局で伺うとこんなシステムを使える高齢者なんて今の所来ていないと嬉しいようなちょっと寂しいような気持ちになる。ああ、私の世代もデジタル音痴が多いんだな。 こう考えてくると、デジタル化とキャッシュレス化にユーザーの方がついていけない状態が一般的なのではないか。でも習うより慣れよとも言うではないか。Suicaカードやパスモカードも使う人が増えて、駅の改札も切符で通貨できる自動改札はカードで使う自動改札より少なめになっている。慣れれば大したことはないことが実感されるからだろう。まだ新幹線などの改札は係員が立っていて、我々老人世代の補助をしてくれているが、ああいう係員がいなくなる日が来るだろう。 これからの学校教育は、デジタル社会に「ついて行ける」教育をしてもらいたい。現在はとにかく急いでデジタル化というので、理屈もわからず使っているから、おかしな間違いも散見される。スイカなどの交通系カードは、埋め込まれたICチップを読み取って自動改札機が動作するのだが、我々老人世代のシルバーパス(東京都が発行してくれる、都内全バス路線、都営交通:地下鉄、舎人ライナー、都電荒川線の自由乗降パス)は裏面が磁気となって情報が書いてある。 筆者は携帯電話に貼り付けていて駅員や運転手に見せるだけだが、改札を通るときは、切符の窓に入れて磁気情報を読み取ってもらうのだが、慣れていなくて理屈がわからない方が、シルバーパスをバス乗車のときにICカード読み取り装置に押し付けて、反応しないのを見るのは楽しい。まあ、理屈はわからなくても、駄目だったという記憶は残るから良いよね。 別に筆者はそういった老人世代を軽んじているわけではない。いつの時代にも、テクノロジーに最初はついていけない人々の右往左往はつきものだと思っているからだ。【お試し価格で満足 希少部位セット 上赤身・ユッケ】約2~4人前(約150g) 馬刺し セット 特製醤油小袋付き 食べ比べ 馬肉 専門店 馬刺 新鮮 おいしい 柔らかい 臭みが少ない 冷凍 真空パック 個包装 ヘルシー 肉 家飲み ギフト 贈答用 御歳暮 高級 1000円ポッキリ価格:2000円(税込、送料無料) (2023/1/18時点)楽天で購入
2023年01月21日
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「魔王」全147小節を聴くたびに以前から不思議に思ったことがある。このすごく切羽詰まって急テンポの曲はハープシコード・チェンバロで演奏可能なのだろうか?ちょうど普及しだしたピアノフォルテ(ピアノは最初強弱をつけられる楽器として普及した)に合わせて作曲されたのではないか。だから作曲したら、友人たちとわざわざ教会にあったピアノのところまで行って、シューベルト自身が初演奏したのではないか? 筆者が「魔王」を演奏会の演目に選ぼうとすると、ピアニスト様達は皆さんが難色を示すか、テキトーに音符を飛ばして弾いても良ければ伴奏しますって言ってくる、いわゆる「手がつりそうな」曲である。そういう意味では「難曲」と言えるのだろう。 いきなり驚くような3連符が続く。それもフォルテだ。なるほど攣りそうになるのは分かる。同じ指の置き方で15小節まで、速度指示の Schnell 早くで弾くのだ。もし前の曲がスローで優しいの聞いたあとで、突然のこの3連符のけたたましい連続が出てくれば、半分まどろみかけた観客はびっくりするだろう。 また手元の楽譜には4分音符=152と指示があるが、もちろんそんな速度で歌うのは大変である。筆者が手元で単純計算すると、147小節x4拍=588拍を速度指示の152で割るとおよその演奏時間になるが、3分51秒となってしまう。手元の「魔王」の音源で4分を切っているものが無いことから、法外な?速度かなと思う。長音も単音も聞き分けられないような早口での歌唱となり、筆者では舌を噛んでしまうだろう。 問題の三連符だが、これは何を表現しているのだろうか。筆者は、三連符一つ、つまり一拍で馬の蹄が地面を蹴る様を表していると考えている。熱を出している息子を抱えた騎乗の父親は、馬を走らせる。最初の1小節は馬の蹄の音が聞こえるが2~3小節目には、「ラシドレミファ-ミドラ」の不気味なテーマが浮かび上がる。この親子は魔界の入り口に入ってしまったのだ。魔界に入っても、馬は走る。この「ラシドレミファ-ミドラ」のテーマは曲中の魔王の話す言葉の時には出現しないということに注目しておこう。 右手は3連符の連続だが、左手は少し不気味な同じフレーズが3回繰り返され、聴く者を不安にさせる。「ラシドレミファ-ミドラ」と重なった歌い出しは、この親子が魔界に入ってしまたことを暗示しているかのようだ。 15~32小節は、「夜の闇と風を縫って、深夜に走るのは誰ぞ」から始まるナレーターであるからして、魔界でもこの父子の居る世界でもないところで、遠目に見ているのだから、声を張り上げる必要も、小さな声で歌う必要もないメゾフォルテで感情移入せずに歌いたいものだが、既にストーリーを知ってしまった歌い手は、20小節辺りからつい「あ、そっちに行っちゃダメー」みたいな気持ちになってしまう。 35小節にピアニシモが付いているが、これは父親の台詞部分の事ではない。筆者は、この曲を、ナレーターの居る演奏されている舞台、父子の居る夜の街道、魔王の居る魔界の三つが絡み合う複雑な構成を持つものとして考えている。この小節から、魔界に入ってしまった子供が見た魔界の異様な生き物に怯えを見せる子供に訝しげにしかし優しく尋ねる父、しかし背景のピアノ伴奏は極端に小音量になっていて、父子が先程まで走っていた街道では「ない」魔界に入ったことを示している。並行して父子の世界のものである馬は何事もなく走っているが、魔界からは蹄の音が良く聞こえない、という設定なのだ。上行形の父の問いかけには、心配してクレシェンドして良いが、ピアノ伴奏に付いているフォルテまでは声を張り上げるべきではない。息子に怒鳴っているわけではないからだ。 41小節の先頭には、ピアニシモが出現するが、子供が魔王を見て怯えているので、囁くがごとくピアノで歌う。まだ魔王は父子に近寄ってはいない。父親はメゾフォルテで安心させようとする。ここで本格的に息子に興味を持った魔王が近寄って来る。56小節目のでデクレシェンドで、魔界がこの父子を飲み込んでしまったのだろう。今までの三連符の連続は、少し変化して人間界を離れ、異界に入ったことを示す。以降魔王の部分はすべてこの伴奏となっている。魔界になったピアニシモの伴奏の上で、魔王は息子に、優しく一緒に遊ぼうと声をかける。息子は驚いて、父親に呼びかけるが、伴奏は元の三連符に戻っている。 魔界と父子の居る世界が交錯して出現するのをシューベルトは、巧みに強弱をつけた伴奏で示してくれる。歌い手としては、どちらの世界に居ても会話は会話として成立しているので、特に強弱にはこだわらないで良いのではないかと筆者は考えている。 邪道じゃぁ!とお叱りを受けそうだが、誘惑に勝てず、魔王の部分だけ、歌うときの表情を変えることにしている。変な顔を更に歪めて少しダミ声っぽい声で歌う。賛否両論あるかもしれないが、魔王の最後の歌詞 "so brauch ich Gewalt." 特に "Gewalt" は、音程無視して伴奏のフォルテシモに合わせて、 "-walt" を怒鳴ってみたが、余りの改変にその時楽屋で聞いてくださった方々は何も仰らなかったので、うんこれ気が済んだ!と考えている。歌にピッタリしていると思ったんだがな。 魔王は、魔界では実在しているのだろうか、息子の腕を掴んで連れ去ろうとして、息子が声を張り上げて、魔王が痛いことするよぉ!と。再び「ラシドレミファ-ミドラ」のテーマが出現して、異界との入り口を抜けて出たことを聴衆は知ることになる。 息子の様子がおかしいので、驚いた父親は、"er reitet geschwind," 「更に馬を駆る」の部分はアッチェレランドとなって、父親の焦りをナレーターが歌う。「ぐったりした子供」に、最後の「ラシドレミファ-ミドラ」が出て、人間界に戻ったことを示している。このフレーズは、魔界と人間界の間の扉なのだろう。もう医者の家の中庭 "Hof" に着いたので、馬を歩かせてテンポが落ちる。141小節辺りからリタルダンドして、クタクタになった父親が腕の中の息子を見る。144小節目の二拍目からの4拍は父親の驚きと失望の間。その後のナレーターは同情しながらも真実を伝えるのだ。オマケ: 筆者にとって、下一線ドのシャープはとても出しにくいので、出しやすい一番低い音で "war tot" 「死んでいた」を半音で歌うことにしているので、楽譜通りに歌いなさいよと聴いて下さった方々から叱られるのは間違いが無いだろう。【北海道サロベツファーム】-徳用-味付ジンギスカン600g 【 焼肉 焼き肉 BBQ バーベキュー 】【 お歳暮 御歳暮 冬 ギフト 】【楽ギフ_のし宛書】価格:2000円(税込、送料別) (2023/1/18時点)楽天で購入
2023年01月20日
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近頃は地上波のテレビは見ずに、YouTubeなどのネット情報を見ることが多く、映画の切り抜きなどを楽しんでいる。切り抜き(全部の映画も時々あるが)だから、筆者の好きな戦国ものとか海外の映画の戦闘シーンも見ることがある。銃器を使用した集団戦闘シーンは、そんな勇敢な人間が一杯いるのはおかしいけれど、まあ演出の都合上というのが有るのはわかるので、まだ近代戦は良いのだが、日本や中国の時代劇の戦闘シーンはひどいものだと感じる。リアリティーが無い! 大体鎧兜を着た武将が刀で切合いをするだけでもおかしなことだと思う。まあ追い込まれたら最後は刀かもしれないが、本来の武器は、槍と薙刀だったではないか。信長の3間槍槍隊は、伊達ではなかったはずだ。戦国時代に最も効果があったのは勿論鉄砲であったが、次弾を発射するのに数十秒かかるので、戦線の前面には出せないから、一斉射撃をしたら槍隊の後ろに下がるしかなかったので、次は槍隊か弓隊に決まっている。テレビや映画の戦闘では、一箇所に百人程度の槍隊が向かい合って、槍で叩いたり突いたりと描写が正しいのだがその手前で一騎打ちみたいな個人戦闘が始まってしまう。そんなことをする空間があるならその侍たちは敵の槍隊を側面から攻撃するはずなのだが、何だか槍と刀のグループが別個に戦っているようで不思議。 刀で鎧兜の侍を斬り殺すなんて簡単にできるはずはないだろう。運良く敵の首元に刃が当たれば斃せるが、刃が通らないように固めた鎧では、刀で叩いてから組討をして、相手の鎧の隙間に刃を入れて殺すしかあるまい。雑兵は確かに重武装ではないが、胴体部分を守る鎧をつけているし、鉄砲の時代には、被る笠も鉄製のものだから、そんなに簡単に雑兵を斃すこともできないだろう。 筆者が言いたいのは、槍弓刀剣を使った戦法・戦術が、全世界的に失われているのではないかということだ。戦国時代が終わり、刀がもてはやされて、武士の魂とか自惚れる以前の戦闘員が槍と刀を持ち集まるなんて、ありえない!殆どが槍だったはずだ。刀は重いし動きにくいから。ただのチャンバラごっこを公共の電波を使って放送するのは止めてくれ。 多分殺傷力からすると、鉄砲の一番は動かないはずである。3間の槍よりも遠いところから鎧を撃ち抜けるのだから敵うものは無かったろう。ただ初めは元込め銃で一旦発射すると次まで時間がかかるのが欠点だったはずだ。江戸末期というか函館戦争くらいになると、元込め銃が南北戦争が終わったアメリカから輸入されて、壮絶な銃撃戦が繰り広げられたらしい。次は弓で3番目が槍ではないか。最長で3間約5メートルの先に刃物がついていて、中の芯材が木材で外側には多分竹を使ってしならせて、相手を叩いたはずである。突くのは最後の仕上げで、ほとんどは叩き合いに終始していたのである。日本映画の戦闘シーンの違和感は、演出家の用兵の稚拙で勝手な解釈から産まれている。とても命のやり取りをしているようには見えないし、オリンピックの開会式のページェントを見ているようで、あのように各個に組み討ちが行われていては、では大将がどう指揮してよいかわからないだろう。 中国の「三国志」を描いた作品もいくつか拝見したが、こちらも同様に、孫氏を産んだ国とも思えない稚拙な戦場描写となっている。まず全員が、青銅の鉾みたいなものを持って(本当?重いよ?)いるし、やる気のなさそうな戦闘シーンで派手さだけ狙った演出には、呆れるほどだ。戦術も作戦も台詞の中だけで、それが理解できるようなことなど無く、全員が駆け出してぶつかり合い、個々に切り結ぶ映像しかない。集団で戦うから、隊伍を組んで敵に向かったのに、バラバラに切りあったら、集団のメリットで、手傷を負った戦友を後方に逃したり、強そうな豪傑を数人で囲んで殺したりなどできないだろうに。まあ、文化大革命で旧来のものを敵視した結果、漢字まで簡略可した報いで、革命前の書籍が読めない中国人が多いとは聞いていたが、こんなところにも影響がでたのね。 大体戦闘経験がない筆者でも分かるのだが、騎兵や武士や雑兵が集団で敵を追うのに、抜刀した刃物を手にしたまま走るなんてするだろうか?演出以外の何物でもない。味方に傷を与えるようなことはすまい。わずかに残る戦場を描いた日本の屏風絵をよく見ると、敵を追う歩兵は刀を「外に向けて右の肩に担いで」走っている。そうだよね、映画みたいに刀を抜いたままで手に持つと集団で走る時に味方を傷つけるからね。 話は変わるが、筆者は公共図書館や大学図書館を訪ねると、書籍の分類を見るのだが、軍事、古代兵法、軍学などは、日本十進分類法に入っているが、書籍は皆無という場合が多い。我らが先祖が真剣に読み漁った、孫氏の兵法を初め、様々な軍学書籍は既にどこにも見られない。勝手に想像すると、国会図書館や防衛大学校の図書館にしか収蔵されていないのではないだろうか。兵を用いることの是非はさて置き、軍事も大切な歴史の一部であるのだから、もう少し読まれても良い分野ではないだろうか。 21日間の長期熟成が自慢!厚切りベーコンブロック500g価格:2000円(税込、送料別) (2023/1/18時点)楽天で購入
2023年01月18日
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ゲーテのバラード「Erlkönigに曲をつけた作曲家は多い。カール・レーヴェ、カール・ブルーム、ベルンハルト・クライン、エミール・マテュー 、コロナ・シュレーター、ツムシュテーク、ベルンハルトクライン、C.G. ライシガー、L.v.ベートーヴェン、カール・ブルーム、ルイス・スポール、マティアス・チャーン、エミーユ・マシュー、J.F.ライヒャルト、C.F. ツェルターの「魔王」の楽譜が筆者の手元にさえあるのだから、いかにゲーテの作品が読者を魅了していたのかが伺える。WiKiペディアの記述によると、ゲーテの詩による「魔王」は100曲位あるとのことである。 原詩の作者のゲーテ(1749-1832)は、当時の音楽観は有節形式の民謡的なものに惹かれていたようである。周囲には作曲家のツェルターが居て、多分有節形式の音楽観でゲーテに影響を与えていたのではないかと思う。1815年に詩を見て大感激をしたシューベルトは、一気呵成に「魔王」を書き上げ、すぐさま教会のピアノで演奏したと友人シュパウンは述べている。シュパウンはこの曲を気に入っていたようで、激賞する手紙とともに楽譜をゲーテに送ったが、ツェルターには当然気に入られず、どちらかといえばライヒャルトを推薦したようである。 ツェルターの「魔王」の楽譜を見ると、何と!Andante の速度指示となっていて、シューベルトの「魔王」に慣れた筆者には、切羽詰まった焦りの感情や、恐怖は伝わって来ない。8分の6拍子という2拍子形ではあるが、間延びした、物語の講釈のように感じられる。単純に、抑揚をつけてゲーテの詩を朗唱していて、子守唄のようであり、何処と言って、取り柄も欠点も指摘できない作品と思う。 ツエルターが推していたライヒャルトの楽譜を見ると、流石に速度指示は Sehr lebhat und schauerlich 非常に生き生きと寒気がするように(筆者訳)という、多分筆者の勘違い翻訳なのではないかと思うのだが、実際の演奏録音を聞いてみると、速度はシューベルトの「魔王」並であるが、正直に感想を申し上げると、両方の作曲家の魔王の部分の扱いが酷似しているのはなぜなのか?なぜ魔王の台詞が同じ音の連続だったり、半音づつ上げて行って、第1線にかからないのか?知人の歌手がバス・バリトンだったのか?当時の人々の解釈では、魔王とは低い声で唸るように話すということだったのか? シューベルトの「魔王」に先立つ30年前に、ゲーテと親交のあった歌手のコロナ・シュレーター(1751-1802)の「魔王」は、手元の楽譜はライヒャルトの「魔王」の前座のように、ページ上部に8小節(!)の有節形式で、歌詞は三分の一くらいで、ライヒャルトの方を参考にね、みたいな指示が!まあ同じゲーテの歌詞だからね。速度指示は Etwas langsam und abentheuerlich 少しゆっくりそして冒険するように で、子守唄みたいな優しさの歌である。 シューベルトの「魔王」は、当時としては先進的に過ぎたようだ。1817年にブライトコプ社に楽譜を送るが、拒絶したは良いが、間違えてフランツ・アントン・シューベルトに楽譜を返送してしまい、このもう一人のシューベルトが「私の名騙ってこのようなひどい曲をを出版しようとするよとはケシカラン!」と怒ってブライトコプ社に楽譜を送りかえした逸話は有名である。誰も分かってくれない状態なのは気の毒かな。 シューベルトの「魔王」は、酷評されるも、時々は演奏されて次第に人気が出て、ゲーテも晩年にソプラノ歌手による演奏を聴いて、激賞したとのことである。つまり激しく有節形式の音楽からの離脱が進んでいたのであろうか。本わらび餅「極み」【小(200g)×1個 (1〜2人前)】( 御中元ギフト 和菓子 高級 スイーツ 誕生日 内祝い 出産祝い ご挨拶 京都 本わらび 土産 京都土産 ギフト お取り寄せ 食品 実用的 御歳暮 お歳暮 お年賀 御年賀 御中元 お中元 暑中見舞い)価格:1980円(税込、送料別) (2023/1/15時点)楽天で購入
2023年01月18日
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昨日、何だか恐ろしいものを見ました!詳しくは言えないけれど、○沢公園のそばの○○ソンとか言うコンビニがあって、トイレが近いのに昨夜アップしたブログを仕上げた道玄坂のガストでドリンクバーのカフェラテを5杯も飲んで、我慢できなくてバス停前のこの店のトイレをお借りしました。でも正面の壁紙に、綺麗な花(何という花かは知りませんが)の絵があって、おおナカナカ良いものじゃなどと思っていたら、衝撃的な言葉が fleshinessですって!意味がわからない方用に書くと、短く言うとお肉がいっぱい、つまり浮き輪みたいにお肉の衣をまとったおデブのことです。生物学用語では「多肉質」のという使い方もあるのですが、下に出した絵の方は多肉植物では無い?ようです。でも多肉植物でもその下にこの単語だけ使うのはなぁ。"fleshy fruits" 「実がいっぱいの果物」は使われるけど。The fleshiness of his peach surprised her. 「彼が持ってきた桃の果肉のたっぷりさに彼女は驚いた」なら可能ですし、普通のことでしょうね。一語だけ書くと、言外の意味を人は勘ぐりますよね。用を足しながらしばらく見つめていたのですが、多分しゃがみ込んで使っている人の後頭部に、fleshiness が来るような位置関係です。まさか「新鮮な」の freshness と間違えたんじゃないだろうねぇ?翻訳すると デェーブー! 壁紙に使われる英単語では初めて見ました。↓続く読者よ、この言葉が人間に適用された時に、侮蔑的にならない場合があるのでしょうか?もちろんYou are far from being fleshy. 君はおデブなんかじゃないです。と否定形にすれば一応形は整いますが、普通体型の人にこれを言うと、イヤミで「実は太ってるぞぉ」の意味になりそうだからコワイ。オンライン辞書で fleshiness を引くと面白そうな例文まででていて大笑い。トイレを使わせてもらって、文句を言うのはひどいけれど、余りに使う人に「お肉つきすぎ」と言っているようでちょっと一言言わせていただきました。トイレは非常に清潔で、店員さんも親切だったのに、オシイ!と思いました。馬刺し 赤身 最大1,500円OFF 翌日出荷 馬刺し 赤身 お試し 300g 赤身馬刺し 送料無料 馬肉 赤身 馬刺 約50g×6パック 内祝い お得用 肉 食べ物 惣菜 おつまみ 数量限定 赤身フェア 馬刺し 熊本 老舗 利他フーズ価格:3780円(税込、送料無料) (2023/1/15時点)楽天で購入
2023年01月15日
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このまぼろし?の辻音楽士がハンドルを回す。最初の伴奏の2小節は、半音の前打音が鳴り始めたライアーなのだろう。いやに物悲しい音だ。Etwas langsam 「心持ち緩やかに」という先頭のテンポ指示だから、若者が近寄って歩く速度を示しているのか?やはり辻音楽士は現実の登場人物なのか?最初から歌唱部分の最後で少し盛り上がり、伴奏のフォルテが一瞬出現するまでピアニシモの設定で、辻音楽士は遠慮がちに音を出している。若者はすでに辻音楽士に魅入られたごとく、他のことには目を向けない。 注目すべきは、歌の部分が2小節の歌と2小節の伴奏が交互に出現することである。3小節から4小節のピアノフレーズが11〜12小節と15〜16小節へと「コピー」されている。また6小節から7小節のピアノフレーズが19〜20小節と23〜24小節へと「コピー」されている。同じことが31小節〜52小節までの後半に見られる。いわゆる有節形式の一番と二番の歌として存在している。 しかし大事なのはそこではないだろう。歌の2小節ごとに2小節の間奏が合いの手の如く入って来ることに注目すべきであろう。歌の部分10小節は、「つなげて」10小節を歌ってもおかしくはないだろう。ミュラーの詩をこれ程細断することは、この曲まで、シューベルトは行っていない。ここにこの曲の秘密を解く鍵があるのだ。シューベルトが感じていたライアーの無限に繰り返すかのような響きを再現するとともに、若者の混濁した意識をも表している。 歌のフレーズの始まりは53小節目のミ(E )以外はすべてラ(A )で始まっていることも、混濁して思考が循環している若者の心境を示している。淡々と50小節目まで同じように歌うべきだとシューベルトが頼んでいるように筆者は感じている。 この曲そしてこのリーダークライスの最後は、6小節の歌のフレーズが出現して、若者はこの眼の前にいるかのように思っている、指がかじかんで、雪の中裸足で金ももらえずライアーを回す老人に声をかけてしまう。もう正気の沙汰ではない。Wunderlicher Alter, soll ich mit dir gehn? おい、おかしな爺さん 一緒に行こうじゃないかWillst zu meinen Liedern deine Leier drehn? 爺さんのライアーで僕の歌の伴奏をしてくれるかい? どこへ行こうと言うのだろう。待っているのはどこかの納屋、木の洞、雪の原っぱ、教会の庇の下での凍死。こうして若者の冬の旅は悲劇的な結末を迎えることを、「辻音楽士」は暗示しているのだ。58小節からの後奏が一度だけフォルテになって、すぐにピアニシモになって消えてゆくのも同じように、若者の命の短さを暗示している。オマケ:とうとう24曲の「冬の旅」全部について日頃思っていたことを全部書いてしまった。「なに寝ぼけたことを言ってやがんでぃ!」とお怒りの方もおられるとは思う。生まれて初めて購入した歌曲のレコードが、フィッシャーディースカウの「冬の旅」を聞いて感激した高校生の自分が買った、ジラールスゼイの「冬の旅」であった。高校の合唱部の部長をしていたので、自由にさせていただいていた音楽室のステレオを聴いていたら、二期会のオペラ歌手でもあった高校の恩師が入ってきて、スゼーのレコードジャケットを手に取り、「ふん、甘いな」と仰ってそのまま出て行かれたのを今でも鮮明に思い出す。ああ、歌手によって歌い方がそんなにも違うのかと目を開かされた記憶が蘇る。
2023年01月14日
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筆者は、最初この曲を知った時にはこの様に思った。「若者はたぶん最後に手元に残った金を使って、宿に泊まっている。窓から外を眺めると何やら音楽が聞こえてくる。見ると辻音楽士が、雪の中素足でヨタヨタと動いている。もう金も尽きているようだし、投げ銭受けの皿も空になっている。嗚呼酷いものだ。若者はため息をつきつつ同情している」と。 歌詞をよく読むと最初の行からちょっと不思議なのだ。Drüben hinterm Dorfe/Steht ein Leiermann, 村外れの向こうに辻音楽士がいるえ?窓から見下ろしているのでは無いのか!「向こう」にいるのか!でもUnd sein kleiner Teller/Bleibt ihm immer leer 彼の小さな投げ銭受けの皿はずっと空だえ?「向こう」に見える辻音楽士の手元の皿が空なのが見える?「向こうに」立つ辻音楽士が裸足で雪の中を歩いていると? どうも「どこかちぐはぐ」な歌詞では無いだろうかと思い始める筆者がいる。そもそも、若者にこの辻音楽士は本当に「見えて」いるのか?目玉が望遠レンズのように切り替えが利けば、この歌詞におかしなところは無いだろう。現実的に考えると、辻音楽士の靴が駄目になってしまったら、布を巻きつけるなど代わりになるものを見つける筈だ。凍傷の危険は理解しているのだから、裸足のままで歩き回るのは危険この上ない。 筆者は、辻音楽士は若者にしか見えていないのではないかと思う。作詞したミュラーも多分北の戦地から、徒歩で南に旅したことが、「冬の旅」の創作動機だったのでは?とのことであるから、緯度から言って、北海道あたりの気温の中で、裸足になって、素手で楽器を演奏などできぬことくらいは分かっていたはずではないか。 若者は雪景色の中で立つ辻音楽士に、自分を重ねている。だから視点が自由に移動できるのだろう。多分村も、辻音楽士も家々も、辻音楽士に唸る犬も実際の存在では無いのだろう。だから、この歌が終曲なのだ。ミュラー(シューベルトもかも)は、はっきりと若者の末路を暗示している。ロマン派の熱情の終曲点すなわち「死」。若者がこうなるのは、本人も理解していた筈である。冬の最中に、親方の紹介状も貰わずに出奔してしまえば、暖かい場所に到達する前に、餓死、凍死は、予感があったのだろう。前曲の「幻日」は、実際に起こり得たものだが、若者の心はすでに狂ってしまった。日が沈んで、暗闇の中で若者はふらふらと歩く。 いつか通った村にいた辻音楽士のことを若者は思い出す。ああ、自分も同じ様に惨めな存在になっているのだという諦観を心の中の辻音楽士のイメージに被せているのだ。最後には、目の前に居るかのように、Wunderlicher Alter, おい、おかしな爺さんSoll ich mit dir gehn? 一緒に行こうかなWillst zu meinen Liedern 私の歌に合わせてDeine Leier drehn? そのハンドルを回してくれるかな? 心の中の辻音楽士の「前」まで寄って行った若者には、もう引き換えす道は残っていない。以前から、この若者の運命を、狂気か死か?という議論があるのだが、筆者は明確に心が壊れての凍死と思っている。市田柿 干し柿 化粧箱 450g お歳暮 2022 贈答用 贈答ギフト 食品 食べ物 干柿 ほしがき ほし柿 干しがき いちだ柿 柿 グルメギフト 通販 人気 ランキング プレゼント 美味しい 内祝 ドライフルーツ いちだがき いちだかき グルメ 送料無料 プレゼント 内祝い 果物 弔辞価格:3980円(税込、送料別) (2022/12/31時点)楽天で購入詩文
2023年01月14日
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幻日: 筆者も観たことが無いが、蜃気楼の一種で太陽の左右に幻の太陽(幻日)が出現して、太陽が3つ見えることがあるという。実際は太陽の左右22度離れた位置に見えるとのこと。 空元気(からげんき)であったとしても、少しは立ち直ったかに見える若者の前に、不思議な現象が起きている。なんということか!太陽が3つ見えている。若者は太陽に向かって立ち尽くす。弱い太陽を浴びながら若者は気がつく。これは違うぞ。 楽譜の先頭の速度指示は "Nicht zu langsam" 「遅すぎないこと」とある。筆者の解釈は、ゆっくりと呟くように歌うことだと思う。非現実的な3つの太陽を見ながら、別れてきたあの女の瞳を思い出す。あの目だ。 冬の最中に、任地から脱出して南下したミュラーにとっても、珍しい経験をしたのではないか。歌詞も "Drei Sonnen sah ich am Himmel stehn" 「3つの太陽が天にかかるのを見た」で始めるのを見て、驚きの大きさが理解できる。通常の文脈ではまず見ることがない "Drei Sonnen" を見たときの心情はいかがであったろう。それはこの若者にも言える。あっけに取られて見つめるうちに、まるで見つめられているかのように感じ始めたのだろう。 先ず最初に考えるのは、歌詞のことである。詩の形として眺めると、全部で「10」行のしである。「冬の旅」は4行ずつの単位での形式が多いので、これは、4行、4行、2行と別れている。歌詞の翻訳者の中には、この部分は曖昧にして、全部まとめて並べて書いていたり(ベーレンライター版p.XIX参照)、機械的に5行ずつに分けて書く場合も見受けられる。 シューベルトの作曲したこの曲も、4行の前半と後半で2フレーズ、5行目から8行目まででワンフレーズ、そして最後の2行は、英国のブランクヴァース(無韻詩)のエンディングカプレットと呼ばれる形の様に思える。シェークスピアの芝居の長いセリフは、2行の最後の部分の発音が同じ(この詩の場合は"hinterdrein"と"sein" 「...アイン」「ザイン」)ように作って、台詞の終わりを示すのである。ということで、4,4,2行に分けるべきではないのか。こうなると「連」と呼んで良いものか迷う。 時刻はいつ頃であろうか。太陽高度が60度を超えると幻日は消滅してしまうのだが、歌詞の最後に「暗闇」という言葉が出てくるので、太陽は沈んでゆくところなのだろうか。 若者は立ち止まって見ていると思われるので、伴奏は歩くテンポより遅くて当然である。4小節目で始まる "Drei Sonnen..." は、やっと声を出したかのようにピアノで絞り出す。最初の音は下がらないように注意することにしている。曲の哀しさは、この "Drei" の高さで決まると思う。 ゆったりとしたテンポのままで、ピアノから始まった2つのフレーズがクレシェンドして "Als wollten sie nicht weg von mir." 「僕から離れがたいように」で、ピアノとなり一区切りがつく。この後の伴奏が一旦フォルテからピアノになり音が切れる。楽譜ではピアノの15小節目は三拍目が四分休符と成っている。身勝手な筆者は、最後にこの曲をステージで歌ったときには、ピアニストさんにお願いしたのは、四分休符より長く無音部を作りたいので、インテンポで16小節の音を出さないで歌に合わせてほしいということだった。しばらく3つの太陽を眺めた若者は気づく。「ああ。君たちは私の太陽じゃないんだ。」だから15小節の "Ach" は少し遅れて気がついたことを強調したかったのでした。ここから曲想が変わるし。次の "Ja" (シューベルトは "Ach" だが、筆者はミュラーに合わせて "Ja")は、伴奏が8分音符の連続なので、間を開けるわけにもいかずインテンポで歌うのは当然かも。 若者の心の中の3つの太陽は、その2つは、別れてきた女の瞳、でもその2つの太陽は沈んで消えてしまう。と、ここまで考えたあたりで、太陽は山の陰にでも沈んでしまい、若者の周りに闇が訪れる。2つの素晴らしい太陽が消えたんだから、3つ目も居なくなれ!「暗闇の中の方が性に合っているんだもの」。 こうして全ての希望は消え失せ、若者はふらふらと歩き始める。いずこに?【送料無料 予約】ご自宅用 市田柿 干し柿 500g 長野県産 新物 | 柿 干柿 ほしがき 渋柿 訳あり 訳有り 訳 お徳用 お得用 お取り寄せ 果物 フルーツ 高糖度 ドライフルーツ 国産 長野 お土産 秋 自宅 自宅用 ギフト 産地直送 お菓子 和菓子 自然食品 GIマーク認証品 期間限定価格:1980円(税込、送料無料) (2022/12/31時点)楽天で購入
2023年01月03日
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令和五年の皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます メールでご挨拶状のご案内をさせて頂いた方の中から、抽選をさせていただき、当選者には僅かですが後日忘れた頃に賞品を送らせていただきます。 昨年「も」マスクに始まり、マスクに終わった年となりました。ご無事でおすごしでしたか?近頃はシルバーパスを使って乗り物で、優先座席に座るようになりました。 不思議なのですが、ロードレーサーだと平気で50~60キロ走れるのに、1万歩歩くと翌日は外出せず一日休養日。やはり使う筋肉が違うと鍛えられる筋肉が違うのでしょうね。日本人のロードレーサーで仏国チームでフランスの小さな町を拠点として在住している方について、同じ町のオバさんへのインタビューが面白い。「あのムッシューは、100メートル位のコンビニに行くときまで、自転車なのよね。」ですって、笑いました。私と同じですね。 私は去る12月になんと二年九ヶ月ぶりに、歌のステージに立ちました。通常年間3~4 回はお座敷がかかっていたのに、これだけ間隔があいてしまうと、ちょっと不安になりました。歌詞を覚えていられるのだろうか? 雑司が谷音楽堂で出演者の一部と いつも不思議なのですが、記憶のメカニズムが良くわからないですね。どうして物事を覚えていられるのか?ワンフレーズ歌ったあとで「自然に」次のフレーズが頭に浮かんで来るのはなぜ?本当に「自然に」なのかな。ちょっと不自然で不思議ですね。 ウィルスのワクチン接種の第五回目の案内が来ていますので、正月明けに参ろうかと思っています。まあ今後も急激に罹患者が増えていない状態のままで推移するのだろうと思います。毎年インフルエンザで四桁亡くなっているのだから、コロナウィルスの患者もゼロにはならないのだろうと思います。ウィズコロナは続きそうです。 私は不整脈があることを指摘されましたが、その場でお願いした心臓カテーテル手術の後は脈も正常になり元気になりました。以前なら、投薬で収めていたのに、脳梗塞になる患者が多かったので、今はカテーテル手術がメインになりつつあるようです。残念だったのは、カテーテルを入れたあと、血管のなかは神経が通っていないだろうから右心房に届いたら、どんな感じかしらと楽しみだったのに、カテーテルを入れ始めたなと思ったら、マスクをかけられて「ちょっと寝ててね」と言われて、目が覚めたら病室にいたことです。何も覚えていなかったし、夢さえも見ませんでした。本当に残念。きっと電気で右心房の中を焼灼するときのショックを感じさせないためなのでしょうね。でも内臓の内側の感覚を知る良い機会だったのにね。 今年は言い方は悪いが、デマゴーグのような方が、ネット上にもテレビ・マスコミ上にも溢れました。動物を殺すな、野菜を食え!女性の人権がぁ!日本の負債がぁ!などとワイワイガヤガヤ。 真剣に女性の権利拡大に努めている方々を背中から撃つような輩は、大正時代のハナシに出てくる列車に女性専用車がないのはケシカラン!などといちゃもんをつけて、再生数を稼いでいます。戦国時代の女性は虐げられていたぁ!系図には女性は「女」としか書かないのは差別じゃぁ!でも落城して、高位の女性が民間人に混じって逃げた時に、名前を知られていたら、後ろから呼びかけてビクっとした女を捕らえることができそうだから、奥方様としか呼ばせないのは正解だと思います。大事にしていたから、名前さえ明かしていなかったのだと思います。大体が、恐妻家だったようです。家来の前では亭主に威張らせておいて、奥に入ると主客逆転なんてざらだった様子。ローマの元老院でのどなたかの演説に「世界を手に入れた我々にも、頭があがらぬ相手がいる。女房だ」で元老院議員が大笑いしたと言う記録もあるので、多分世界中で恐妻家の方が多かったかも。これ以上強くなられたら困るぅ! 動物を殺すな!って、おい、ヴィーガンさん達!本気ですか?実際のところ、そういう「意識の高い」人たちの言う動物って、家畜でしょう?世界の人口の何倍もいる家畜をどうせよと?全部に断種手術をして、餌をやり続けて飼い殺しに?本気ですか?口は便利なものですね。できやしないでしょう?肉を食い続けた結果の私達人類です。海の魚は野生動物ですが、これはどうするの?足がついていないものは良いの?蛸や烏賊はどう?鯨を捕獲しなくなったら、サメが増えて人間に被害がでてきたけど、サメと鯨を無制限に増やすの?鯨は小さい魚を一度に何トンも食べちゃうけれどね。 国の借金を増やすな!日本が滅びる!と主張する方も多いのですが、何となくサラ金を恐れる気持ちを、国の借金に重ねているのかなと感じます。私はそういう主張をする方を信じないのは、具体的な数字を言わないからです。滅ぶって、どういう状態を言うの?デフォルトしたブラジルやギリシャなどの国では、人々がニコニコして暮らしていますけど。国土が無くなるの?人口が流出して無人になるの?これって、3/11の後の、放射能騒ぎの人達に似ていませんか。中国製?の怪しい安価な放射能検知器をドブに向けて、キャァー鳴った。放射能だぁ。と見苦しく騒いでいました。常識ある人は、自然界に存在するのかなりの物質は微量の放射線を出している(コンクリートの建物は木造の3倍とか)ので、鳴らないのは故障なのにね、と楽しく観ていましたもの。別に私に害が及ばないから良いよね、の精神でスルー。 年頭のご挨拶が愚痴に成りそうです。この辺でまたいつか。お元気でお過ごしください。
2023年01月01日
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