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おおなんと、3日連続の更新である。これを快挙といわずしてなんというっ!。とはいうものの、特に書くこともないのですな。しょうがないので、思いつくまま時事ネタでも書いてみっか。んーと、最初は納豆ね。みんな、テレビ信用しすぎ。納豆食って、2週間かそこらで劇的に痩せる訳ないじゃん。ほかにもレタスとか味噌汁とかいろいろ出てきてるけど、きっと、ちゃんとやった回の方が少ないんじゃない?。担当者は、納豆でダイエットって思いついて、その組み合わせのバカバカしさに、「俺って才能あるよなあ」とか言ってゲラゲラ笑ってたんじゃないの。よくわかんないけど。次、不二家。これはショックでしたね。根拠はないけど、不二家って信用できる感じがあったもんな。どうしてかね?「ミルキーはママの味」って歌のせいか。違うか。なんかそういう、ロッテとかよりもっと幼い子どもたちのためのメーカーってイメージがあるからかね。そういう清潔なイメージのお菓子屋さんに「ネズミがウロウロしてて」みたいなのは致命的ですねえ。僕、30年くらい前、東京で、某大手食品メーカーの工場でバイトしたことがあるんですね。そこも汚かったよお。まあ、30年前だから参考にはならんでしょうが、インスタント食品の工場だったけど、旋盤工場かと思ったぜ。それに幻滅して、それ以来その食品は口にしなくなったかっていうと、そんなことは全然なくて、いまでもフツーに食べてます。でも不二家とネズミはやっぱ似合なすぎて居心地わるい。次、ウィンドウズ・ビスタ。ふーん、今でも並んだりする人いるんだ。みんな、性能のいいパソコン持ってるのね。うらやましい。だけどもういいな、どうでも。経験からいうと、パソコンでテレビを代用しようというのはお勧めしない。僕はパソコンでテレビ見てるけど、このパソコン4年目で、非常に調子が悪い。今はテレビとしてしか使ってないが、いつ壊れてもおかしくないような異音がする。パソコン4年だともう古いが、テレビが4年で壊れることはあまりないでしょう。普通にテレビ買っときゃよかったと、今は後悔しております。次、そのまんま東。僕は芸人としてのそのまんま東って、あんまり好きじゃない。ツーツーレロレロが、「笑ってる場合ですよ」の素人演芸コーナーに出たときから見てるけど、面白いと思ったこと一度もない。マラソンやったりするのも、なんか胡散臭いヤツだなあと思ってた。片岡鶴太郎ほどじゃないけど。なので、知事選にも特に興味はなかったが、当選後の、宮崎市議たちのインタビューを見て、義憤に燃えて応援することにした。その市議は、フフンと鼻で笑って、「ま、お手並み拝見というところですかな」と抜かしやがった。おい、おっさん。相手は知事だぜ。しかも談合で知事が辞職したから行われた選挙で当選してきた知事なんだぜ、そんな言い方あるかよ。僕はこんなふうに、意味なくエラソーにするやつ、意味なく新人を差別するやつが、大嫌いだ!。マスコミもな、パイプ椅子にするんじゃないんですか、とかいって揚げ足取ってるがな。節操というものがないのか。新人なんだから、最初は戸惑うに決まってんだろ。応援するんだかこんなやつどうせ何もできないんだろって思ってんだかハッキリしてくれ。まったく泣けてくるぜ、次、女は子どもを生む機械か?うわー、戦前みたい。即刻やめなさい。粘っても、結局やめざるを得なくなるからさ。早いとこやめたほうがいいよ。こういう言葉が、頭の中にあるっていうのがスゴイ。フェミニズムなんぞどこ吹く風だ。僕、カッコつけるつもりはないけど、こんなふうに考えたことない。いるんだねえ、こういうヤツ。正体みたり。だけど、心の中では「その通り」って思ってる狒々じじいも、けっこういたりするんじゃねえのか。このニュース、世界中に配信されてるんでしょ。日本人が嫌われてもしょうがないな。あーあ。
2007年01月30日
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がはは。昨日の文章はりっぱすぎて笑えますな。わしゃ、何様のつもりじゃ。今日は、ストレス解消のため、最近読んだ、あるいは買った、あるいは読みたい本のことを書くぞ。読めんのじゃ、時間がなくてのお。読みたいよなあ、どーんと腹にくる小説。まずは、まじめな本のことから。「私は三年間老人だった」(パット・ムーア 朝日出版社)。これは、介護・福祉関係では有名な本。26歳の女性デザイナーが特殊メークで変装し、85歳の女性となって町へ出るノンフィクション。この人、3年間も続けたのよ。その勇気に敬服する。もちろん面白がって変装しているわけでなく、この世界が、いかに老人にとってやさしくないかを身を持って体験しようというものだが、彼女はいくつかのパターンの老人として生きる。裕福な老婦人、ホームレス・中流の老人。身なりがいいとそれほど障害がなくても助けてくれる人は多く、ハーレムでは面白半分の少年たちに集団で殴られる。こういう文章がある。「毎朝目覚めて知るのです。これから出会う人、訪れる場所、触る品物、どれひとつ私がそこにいることを喜んではくれません」最終章に、ある詩が載っている。これも僕らの間では有名な詩で、昨年受講した老人虐待のセミナーでも、テキストとして使われていた。イギリスの老人病院で亡くなった老婦人の遺品の中から見つかったものである。ここで引用できないのが残念だが、この、私は「老人」という集団のなかの一人ではなく、「私」という個人なのだと静かに語りかける詩は、老人福祉に携わる者すべてが読むべきであろう。訳者(木村治美)も、心を込めて訳したと語っている。1988年に出版され、2005年に復刻された。現在でも手に入ると思うので、ぜひ。最近買ったのは、「黄色い涙」(永島慎二)の復刻版(マガジンハウス)。このマンガについては以前書いたけど、その頃は、二宮和也なんて興味なかったしな。僕はこれ、愛蔵版(初版!)のゴージャスなものを持ってるので買わなくてもいいんだが、森本レオと二宮クンの対談が載ってたので買った。これ映画なのか。テレビドラマの方が向いてると思うけど。これを機会に、「漫画家残酷物語」も復刻されないかね。これ全4巻なんだけど、「春」と「陽だまり」という短編が傑作。「春」は、若い人たちで最近「はっぴいえんど」を知ったという諸君は、目からウロコが束になって落ちることうけあい。「春よこい」そのまんまのストーリー・・・というか、「家さえとび出なければ、今頃みんなそろっておめでとうが言えたのに♪」とか「だけどすべてをかけた。今はただやってみよう♪」って、このマンガのセリフをそのまま使ってるんだしな。「幸せとは、何を持ってるかではなく、何を欲しがるかだ」ってのも出てくる。「陽だまり」は、マンガってこういう表現もできるんだなあって、ショックを受けた作品。新宿の夕暮れ。若い漫画家があてもなくブラブラし、夜になって行きつけのジャズ喫茶で夜を明かす。閉店間際、店のウェートレスから、「外で会ってください」とメモをもらう。夜明けの公園の芝生。女の子が突然言う。「死なないでくださいね」そういうストーリー。僕は最近のマンガは読まないので、現在のレベルに関して言う資格はないんだけど、これが1960年代の終わりに書かれたというのは、驚きなんじゃないすかね。次は読みたい本。3月に村上春樹の訳した「長いお別れ」(レイモンド・チャンドラー)が出るんすよね。これは読みたい。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は読んだ。旧訳(野崎孝)とあまり印象は変わらなかったけど。「ギャツビー」はまだ読んでない。読んでもわからんなきっと。僕、違いのわからん男だしな。あとはハヤカワ文庫で、ニール・サイモンの戯曲「サンシャイン・ボーイズ」が出てる。これも読みたい。僕はニール・サイモンってよくわからないんだけど、その中ではこの「サンシャイン・ボーイズ」は好き。ケンカ別れした漫才コンビの話なんだけど、いつかスカパーでテレビドラマ化されたものを放送してた。主役のコンビはなんと、ウディ・アレンとピーター・フォーク。演出(誰だったか忘れた)がへたで笑えなかったが、ハナシはすごく良くできてる。舞台ではすごく面白いだろうな。ジョージ・バーンズとウォルター・マッソーだったか。違うか。あー、なんだかスッとしたな。よかったよかった。さあ、また事業計画書の続き書かなくっちゃ。
2007年01月29日
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寒いですね。雪降りそう。などと話題を逸らし、更新をサボっていたことをなしにしようとするわし。さぼっていた間になにをしていたか書きますね。まず、市や県の担当者と、申請認可に向けての事前協議、やろうと思ってる地域の高齢化率・高齢者数・要介護認定者数の推移の分析、市内の他事業者の把握、まあ、マーケティングですな。で仲間たちとの意思の確認(鍋パーティー)、融資してもらうための事業計画書作り。これは、図書館に日参して書きました・・・つうか、まだ書いてる。エクセル、1年使ってなかったもんでほとんど忘れてて、グラフも表も四苦八苦で、進まんわい、わはははは。笑っとる場合ではない。なんとか明日ぐらいまでには仕上げて、商工会議所に行かねばならぬ。えーと、下の文章はですね、なんというか、自分の気持ちを整理するための決意表明ですね。計画書にはもちろん、起業の動機とか書くんだけど、そんな短い枠では、「わしの熱い思いは伝えきれへんのやっ」とばかりに書き殴ったものです。これでも、全然言い足りてはおらんし、ヘタな文でもあるがの。これはもうちょっと修正して(なんか大事なこと、書き忘れてるような気がするなあ)、計画書と一緒に「これでどうだっ、金貸せっ」と叩きつけてやる所存である。もちろん、叩きつける必要はない。読んでくれるのかどうかもわからん。一緒にやる仲間たちにも、今週中には計画書を渡して協議したい。わしが勝手に書いたものだが、納得してくれると思う。なお、介護関係に無縁の方にはわかりづらいと思うが、「デイサービス」は、施設なんだけど、介護保険のカテゴリーでいうと、「在宅サービス」となります。では。私は、脳梗塞で倒れた父の介護をきっかけとして、約十年前に介護を一生の仕事にしようと決心し、まったく関係のない他業種から介護の世界に入ってきました。この十年間、介護福祉士・ケアマネジャーと資格は順調に取得しましたが、勤務していた大規模な老人介護施設での介護には、大きな疑問を感じ続けていました。決められた時間内に終了させることが目的になってしまったような集団での入浴、ミキサー食という、とても食欲などわきそうもないものを、栄養摂取というお題目のもとに無理にでも全量摂取させようという食事時間、一日何回と一定の時間で決められたオムツ交換。それはとても、人生の先輩たちに尊敬の念を持って接しているとはいえないもので、入浴はゆったりとリラックスするためのものではなく身体を清潔に保つためのもの、食事は楽しくおいしいものを食べる時間ではなく、あくまで「栄養摂取」が目的であるものでした。入所されているお年寄りにとって充実した楽しい時間などなかったのではないでしょうか。。しかし、この施設が特別ひどいわけではないはずです。多くの施設が、人員不足・人材不足・経費節減などのため、ぎりぎりのスタッフ数で介護に当たっているのが実状でしょう。しかし、施設側の事情は、入所されている方々には関係ありません。そこには、介護がサービス業であり、利用者が顧客であるという、当たり前の視点が抜け落ちています。また施設の規模が大きいと、良い提案もなかなかすぐには実行されにくいということもあります。施設のトップも、スタッフの多くも(全員といえないのが残念です)、なんとか良い方向にいかないものかと考えているのに、なんともできないいらだちもあるはずです。また、施設勤務の経験から、介護の質が携わるスタッフの「人間としての資質」に負うところが多いことも痛感しました。悲しいことですが、こんな人間がなぜ介護の仕事をやっているのか?と疑問を抱かざるを得ない、人間の尊厳という言葉を知らない、やさしさのカケラもない看護・介護職がいるのは事実です。このような、本来人間と向き合って、敬意を持って行われるべき仕事に就くべきでない人間たちは、志を持って介護の世界に入ってきた若者たちの夢を打ち壊そうとし、志を持った者たちは、阿鼻叫喚の介護現場に絶望し介護の世界から去ってゆきます。これはまちがったことです。では、志(あるいは使命感)を持ち、尚且つ介護の現場から離れる気持ちはない私がやれるべきことは、ひとつしかありません。「自分の考える老人介護を自分でやる」、ということです。私は去年一年間、在宅支援のケアマネジャーとして、小規模な診療所で働きました。そこで出会った、本人・家族の姿は勇気づけられるものであり、施設で勤務していた時にはこんなに多くの方たちが、自宅で頑張っているのだとは、不勉強ながら想像もできないものでした(私は約40名を担当)。そしてこれからは、在宅支援がキーになると考えるようになりました。認知症の方の在宅介護というのも大きなテーマとなってくるでしょう。そういえば私も、認知症の父を、世間から隠すように、自宅で母と十年近く介護していたのでした。今思えば、すごく孤独であったような気がします。きっと、自分たち家族だけで頑張るんだと思いすぎて、孤独を感じている家族も多いことでしょう。私は、そういう人たちの手助けをしたいと考えます。それがこれからの、自分の使命だと考えます。私のやるべき介護は、「小規模で小回りが利き、本人・家族の要望にできるかぎり全力でこたえることのできる通所介護」となります。在宅サービスには、訪問介護(ホームヘルパー)もありますが、「生きる」ことが、「社会に参加」することであるならば、できるかぎり外へ出て、心から自分を待っていてくれる場所へ行ける、ことのほうが、生活リハビリとしては有効だと考えます。要望にこたえる、ということでは、私がケアマネジャーとして最も強く感じた(そしてそれは、家族も同じでしょうが)ことは、緊急時(法要とか)に預ける場所がない、ということでした。ショートステイは今日頼んで明日泊まれるという訳ではありませんから、イザという時のために(つながりをつけておく)、ショートステイのある施設のデイケアに通わせている家族もいます。ケアマネジャーは、あくまで利用者本人のニーズを考えて・・・とよく言われましたが、現在の在宅介護は、家族も含めての「本人」なのだと私は思います。私は「明日どうしても出かけなくちゃならなくなくなったんです。おばあちゃん、預かってもらえませんか」と相談されたら「はい」と即答できる施設をつくりたい。それは「宅老所」に近くなるわけですが、私は自分がやろうとする施設を、すべて介護保険で賄おうとは思っていません。私たちが目指すのは、「介護保険サービス」ではなく、「介護サービス」なのですから。国は昨年から、「地域密着」「小規模多機能」という方向をうちだしました。しかしこれは人員配置などに制約が多く、あまり実用的ではありません。しかし、「小規模多機能」など、介護保険が始まる前から、パイオニアの方々が、徒手空拳のまま、道を切り開いてきてくれています。介護保険外でも、私は頼まれればなんでも引き受けるつもりでいます。できるかどうかはわからないが、頼まれれば全力でなんとかしたい、その姿勢こそが大事であり、また困った時にも、すぐ近所にあるあの「デイサービス」に相談すればなんとかしてくれる・・・そういう安心感が、地域コミュニティの拠点ともなりえるのだと考えます。介護スタッフについて、介護職に就くべきでない人間が介護をやっていると書きましたが、多くの看護・介護職員は、志と使命感を持ち、低賃金の中で頑張っています。私は十年の経験の中で、介護こそ天命と思える友人たちに何人も出会いました。その友人たちと、地域の在宅生活支援(最終的な目標は幼老介護です)の拠点となることを目指して起業します。私たちは、介護が、言葉の上だけでなく「共にある」ものであると知っています。お年寄りを集団としてではなく、ひとりひとり個人として接し敬意を持つことができ、お年寄りたちに幸せを感じてほしいと心から願っている人間たちです。うまくいくのかどうかはわかりませんが、うまくいくのだと信じて、前進したいと思います。よく施設では、自分の親を預けたいか?と聞かれました。私は心の中で、「自分が勤務している時なら」と答えていました。私はもう五十歳をすぎました。施設に入所されていた最年少の方は、私より年下でした。これからは、「自分がこの施設を利用したいか?」と常に考えながら、舵取りをしていければと思っています。
2007年01月28日
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いきなり管理場面変えるな。驚くではないか。昨日は博多まで、起業のフォーラムに行ってきました。さすがに博多は、大都会じゃねえ。講演じたいはまあどうでもいいんだが、そのあと融資の相談をしてきました。あ、ここで、役にたつ一口メモね。このページ読んでる人で、デイサービス始めようと思ってる人がいるのかどーか知らんが、通所介護(デイサービス)の運営基準って、都道府県によってマチマチなのね。特に人員基準の中の、「生活相談員」ってのがクセ者。規定ではこうなってる。「社会福祉主事、又はこれと同等以上の能力を有すると認められる者」「同等以上の能力を有する者」の解釈が、都道府県によって分かれる訳ですね。介護福祉士でOKのところもあるらしいが、福岡県ではダメでした。看護師(準看もOK)で、実務1年以上でダイジョブとのことです。一口メモ終わり。講演のあと、参加者による交流会があって、すさまじい名刺交換が行われたわけだが、僕はこういうのになるとダメなのね。起業を考えてる人、あるいはもう始めちゃってる人の集まりなのだが、みんなハツラツとしてて元気いいよなあ。声もデカいし。いわゆる実業家タイプっていうか、エネルギッシュです。僕はどっちかっていうと、伊豆のサナトリウムで、乾いた咳をコホンコホンやりながら、夕暮れになると小声で「秋の日のヴィオロンのため息の・・・」とそっと呟き、ハラホロヒレハレと舞い落ちる最後のひと葉によよと泣き崩れる・・・、そういうタイプなのね。浮き上がるのよ、こういう席では。会場の片隅で、なすすべもなく、ぽつねんと立ち尽くす僕をみて、主催者が何人も引っ張ってきてくれたが、その人々は、覇気のまったく感じられないオジジ(僕のことね)を一瞥し、「だめだ、こりゃ。次行ってみよう」と、そそくさと立ち去り、またしても僕はひとり、壁の花と化すのであった。だけどさあ、僕は思うのですよ。こういう頼りない男が、試行錯誤しながら、なんとか起業までこぎつける、そういうのもアリなんではないかと。そうだそのとおりだっ。名刺なんかもらえなくとも(くくくっ)、誰も話しかけてくれなくとも(くくくっ)、ぼかー平気だいっ、な、泣いてなんかないやいっ!。
2007年01月18日
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まったくどうにもならんな。ほかでもない、年賀ハガキのことじゃ。今年も、1枚も当たらんかったぞっ!責任者でてこいっ。金曜日は市役所、はたまた本日は県の担当者と申請前の事前協議と、飛び回っておるわしじゃ、切手シートのひとつやふたつくれてもバチは当たるまいに。ったく、なんという非情な世界であることか。えーと、いつまでも我が身の不運を嘆いていても始まらんので、僕は明日も、融資してもらうべく頭を下げて回るのね。道は自らの手で切り開くのじゃっ、すでにサイは投げられたっ、なんつってな。しかしあれですね、政治家のだれそれが、事務所の経費が何千万かかってとか言い訳してるけんどもさ、この世に正義はもうないのかね。僕はとりあえず現在、形としては求職中なわけでさ、ハローワークにも行って求職票の閲覧してるんだけど(就職活動しないと失業手当もらえないからさあ、でも怒られるからひとには言うなっ)、先日見たなかに、グループホームの介護職で総額98000円っていう募集があった。手取りじゃなくて総額、しかも正社員。ほ、本気かね、こんなの誰が応募してくるの・・・とは思ったが、でも考えてみたら、もし僕が若くて、資格も経験もないが介護の仕事をどうしてもやりたかったら、勉強のためだっ、と思って、食えないの承知で応募しちゃうかもね。きっと今、そういう気持ちでどうしようか迷ってる若者がいるんだろうな。せつないよな。若い人たちの情熱を逆手にとって、低賃金におさえようなんて間違ってるぜ、この世の中。僕は今、自分で始めるつもりのデイサービスの収支の予想をしてるんだけどさ、介護保険の単位ってどんどん下がってるんで、ほんというとまともに給料払おうとすると、利益が出ない。でもね、僕は人件費削って、すべてパートで帳尻合わせようなんていうのは絶対イヤだ。そんな起業ならしないほうがマシだと思う。じゃあどうするんだ、カッコつけんじゃねーよ・・・という声が、自分の心の奥底から聞こえてきたりもするんだが、解決の道はあるはずだ、あると信じて、僕は明日も東奔西走であります。
2007年01月15日
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皆様、明けましておめでとうございます・・・という言葉も空しく響くほど、ずいぶんと開いてしまいました。申し訳ありません。あんまり間が開くと、なんだか照れくさくて書きにくいですね。現在、心身ともにいっぱいいっぱいでありまして、非常に疲れております。今週中には、起業について具体的なお話もできるかとは思うのですが・・・。で、あんまり根をつめるのもどうかと思いまして、土日はひたすらボーッと過ごしております。昨日は久しぶりに書店でヒマをつぶしました。読みたい本はいろいろあるが、時間がないしなあ・・・ということで、なるべくバカな本がいいなあと思っていたら、ありましたよありました。我が目を疑いました。「かっこいいスキヤキ」(泉 昌之)の復刻文庫版(扶桑社文庫)。こんなもの誰が買うんだっ!わしが買う。ご存知ですか、泉昌之。マンガです。泉晴紀と久住昌之の合作ペンネーム。80年代初頭、「ガロ」で初めてこの人たちのデビュー作(?)、「夜行」(この本でも堂々オープニングを飾っている)を読んで、文句なし天才だあ・・・と感激したが、巻末の、みうらじゅんとの座談会では、「ガロ」以外の雑誌にはすべて断られたと語っている。シンジラレナーイ。こういう話。フィリップ・マーロウふうのトレンチコート男が夜行列車に乗っている。男はこれから駅で買った幕の内弁当を食べるところである。メインのおかずとして、カツと塩さばが入っている。男は頭の中でどういう順番・ローテーションで食べていくか戦略を立て、(弁当との)勝負に挑むのだが・・・。バカでしょう。絵はつげ義春ふうの線で、タッチは劇画調。このシリーズ(?)の主人公はいつもこの男。花粉症であることを情婦に悟られまいと奮闘する「花粉症」(だんだん鼻が詰まってきて、言葉がヘンになる)。大学時代の、合宿後のスキヤキパーティを回想する「最後の晩餐」。どれも傑作です。「最後の晩餐」は、田舎者2人、東京青山出身者とスキヤキ鍋を囲むことになった主人公が、肉ばかり食う田舎者2人に比べ、肉→シラタキ→豆腐→春菊→しいたけ→ネギ→肉、という上品なローテーションで食べる青山出身の長谷川君を、さすがに青山出身はちがうよなあ女にモテるはずだよなあ・・・とうっとりしながら見ていると、実は長谷川君も、肉→シラタキ→肉→豆腐→肉、という「みせかけのローテーション」であったことに愕然とし、「どいつもこいつも、みんなテメーがどれだけ肉喰うかばかり考えやがってーっ」という主人公の心の叫びが爆発する、感動的なストーリー。東海林さだおと同じく、ここにも、金井美恵子のいう「繊細なせこさ」を持った人がいる。わしはB型だからよくわかる。本屋で見かけたら、「夜行」だけでも立ち読みしてください。
2007年01月14日
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