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めずらしく「NHK俳句」を見ました。今回の講師は、櫂未知子。最後の「俳句ドリル」のコーナーが参考になったので、忘れないうちにメモしておきます。◇いとうまいこの句。放課後に響くオルガン 初秋かな放課後にオルガン響く初秋かな(添削後)添削理由は…最後の「かな」が重たい切れ字なので、中七で切るのは避けたほうがよい …とのこと。一般に、・「や」と「かな」の併用は避けるべき。・「や」と「けり」の併用は避けるべき。などと言われるのですが、それと同じような理由ではないかと思います。つまり、感動の焦点が分散するので、一句のなかで2度の詠嘆は避けるべきってことですね。◇櫻井紗季の句。あざやかな幟旗のぼりばた揺る 初秋かなあざやかな幟の揺るる初秋かな(添削後)これも同じ添削理由です。中七を「揺る」の終止形で切るのではなく、「揺るる」の連体形で繋いだほうがいい、と。ちなみに「揺る」は下二段活用なので、連体形は「揺るる」になります。◇番組マネージャーの句。窓枠に埃溜まるる初秋かな窓枠に埃溜まれる初秋かな(添削後)これは、たんに誤用を改めた添削です。「溜まる」は四段活用なので、連体形は「溜まるる」ではなく「溜まる」だそうです。古語の場合は紛らわしい。添削では、助動詞「り」の連体形を用いて7音に処理していますが、文法的には、窓枠に埃の溜まる初秋かなでも正解だろうと思います。◇…そういえば、大昔、動詞が「四段」なのか、それとも「上二段/下二段」なのかを見分けるには、未然形の「~ず」の形にすればいいと覚えた気がする。未然形:切らず → 四段活用 → 連体形:切る時未然形:懲りず → 上二段活用 → 連体形:凝るる時未然形:入れず → 下二段活用 → 連体形:入るる時(Wikipediaより)ですね。ちなみにNHKプラスは8/29まで配信してるようです。
2021.08.27
遅ればせながら、先週のプレバト。お題は「蜩ひぐらし」。今回も個人的な感想です。◇勝村政信。殻破る閃閃せんせん 秋の朝つれてこれが今週の1位でした。殻を破った生々しい蝉の幼虫がヒラヒラして光る姿。それと同時に夜が明けたという秋の早朝の句ですが、正直、読んだだけでは分かりませんでした。前回の「太公望」の句も、かなりの教養と知性を要する高度な作品だと思いましたが、今回も、難しくてお手上げです。◇峯岸みなみ。蝉の声 父の背中に隠れんぼ蝉の声怖くて 父の背に隠る(添削後)作者自身が意図したのは、「蝉の声が怖かったので、父の背に隠れた」ってことらしいのですが、原句では、そのことを正確に言えていない。むしろ、楽しく遊んでいるように見えます。しかし、そうかといって、作者の意図した因果関係をそのまま反映させたら、あまりにも説明的な俳句になってしまうし、事実、添削の「怖くて」ってのは、たんなる心情の説明でしかありません。先生自身「添削しても凡人」と言ってましたが、作品としては、かえって悪くなってる気もします。蝉の音のけたたましさを形容すれば、わざわざ「怖い」という感情を説明する必要はないし、因果関係を排除して、たんに「蝉の音」と「父の背」の取り合わせにすれば、蝉の音の壮烈 父の背に隠るとか、クマゼミの轟音 父の背の広しのような映像描写の句にもできると思います。◇ジョイマン高木は、三段切れで、感情語をふくむ字余りの句でした。はずれ棒 タクト振る空 ひぐらし楽しはずれ棒タクトに 蜩の空を(添削後)これは納得の添削です。高橋真麻は、夏と秋の季重なりの句でした。カラカラと蝉の抜け殻 秋の風からからと蝉の抜け殻 朝の風(添削後a/夏)からからと蝉の抜け殻 山の風(添削後b/夏)抜け殻のからから 秋の風白し(添削後c/秋)これも納得の添削。個人的には、夏の朝を描いた(添削後a)がいちばん好きです。◇立川志らく。今日も空蝉を拾らふだけの朝かこれはよかったです。はじめて志らくの句がいいなと思いました(笑)。◇千原ジュニア。蜩に金属バット 協奏曲蜩や 金属バットの音かすか(添削後)下五の「協奏曲」という比喩がクサいし、かりに金属バットを凶器と考えれば、「金属バット協奏曲」はシュールな暴力描写にも見える。かといって、添削のほうも、さほど面白くはありません。わたしが思うに、原句がいうところの「協奏」とは、音の遠近感というよりも、蜩の声や秋空のなかに金属音が溶けていく感じでしょう。ためしに、蜩にまぎれる金属バットの音蜩にかすむバットの金属音としてみました。◇梅沢富美男。蜩の声かけ流す 湯殿かな 前々回も「アイス」と「日傘」を一緒に咲かせてましたが、今回は「湯」と「蝉の声」を一緒にかけ流すという魂胆。いつもながらに、比喩的な動詞のクサい掛け合わせ。そして安直な「かな」の詠嘆。完全なワンパターンに陥ってます。こりゃまたボツでしょと思ったけど、先生曰く「いちおう成立してるのでダメとは言えない」との消極的な評価で、やむをえず掲載決定(笑)。ちなみに「かな」の詠嘆は、「~と感じますが、みなさんはどうですか?」みたいな意味だそうです。勉強になりました。
2021.08.24
遅ればせながら、先週のプレバト。お題は「打ち上げ花火」。今回も個人的な感想です。◇ABC-Z河合。制服のキスの余韻や 揚花火制服のキス 揚花火いまひらく(添削後)やりたいことは分かります。でも、季語を立てるという点では添削のほうが妥当かな。◇森口瑤子。花火果て 電車空く間のデンキブラン下五の「デンキブラン」そのものが時間の表現を兼ねていて、その使い方が上手い。お酒のことはよく知らないけど、店を出るまで、およそ1時間ってところでしょうか?ウィキペディアによれば、これは浅草発祥のカクテルだそうで、そう考えると、隅田川花火という具体的な土地柄も見えてくる。しかも、ビールと交互に冷やして飲んだりするらしいので、季語ではないものの、これ自体が夏の風物かもしれません。一方で、中七の表現は、前後の文脈から意味は分かるのだけれど、はたしてこの言い方で正しいのかどうかが怪しい。厳密にいえば、「空くまでの間の一杯」を、「空く間の一杯」と略すのは間違いで、「空くまで一杯」と略すのが正しいのでは?ためしに「客の空く間の一休み」と言った場合、「客が途切れた合間の一休み」という意味になるはずで、「混雑が終わるまでの一休み」という意味にはならないはずです。◇松岡充。大煙火 五臓六腑を鷲掴む 大花火 五臓六腑を鷲掴む(添削後)下五の「鷲掴む」という言い方に違和感はあるのだけど、調べてみたら、プロの小説家などでも使用例はあるらしい。まあ、描写の凄みを出すために、あえて違和感のある表現を選んでるのかもしれませんね。◇中田喜子。まなざしや 句読点なき恋花火 まなざしや 句読点なき恋、花火(添削後)そもそも「句読点なき」という比喩は効果的でしょうか?若さゆえの混乱や疾走感を表現したのかもしれないけど、わたしは意味不明で、なおかつクサい比喩だと思う。ちなみにヒゲダンの『l Love…』にも、「句読点のない想い」という歌詞があって、未整理なゴチャゴチャの感情のことだと思うけど、さほど良い歌詞だとは思いません(笑)。しかも「句読点なき」というのは、言葉が途切れないほどの《饒舌》とも解釈できるので、上五の「まなざし」を強調して描きたいのであれば、かえって、その饒舌さが邪魔になるのでは?ついでに、下五の「恋花火」ってのも、なんだか俗っぽい表現に思えて、もしや井上陽水の「♪八月は夢花火~」みたいに、歌詞に「恋花火」なんて出てくる曲もあるのでは?と調べてみたら、なんと曲名だけで10個以上も出てきました(笑)。◇千原ジュニア。手花火の火に手花火と手花火をこれを《家族》の句と見るか、それとも《仲良し3人組》の句と見るかで、評価が変わってくるのかもしれません。「父」から「妻と子」へと見れば、家族内のヒエラルキーがそのまま季語の比重の差になるけど、わたしは、対等な友人どうしの句と思ったので、3つの「花火」も同等な季重なりに見えてしまいました。◇東国原英夫。音なき音や 八月の遠花火 実際の「音にならない音」の描写とも読めるけれど、やはり、どこかしら比喩的な意味合いも感じさせます。たとえば「声なき声」といえば、いまや、ほとんど慣用句のように使われていて、すなわち「声にならない人々の意思」を意味するのですが、その類推でいくと、「音もなく近づく気配」とか「あの日の幻聴」とか、そんな意味合いになるでしょうか。砂田麻美の『音のない花火』を踏まえてる可能性もあります。◇梅沢富美男。火を纏う遠州男児 筒花火 火まみれの遠州男児 筒花火(添削後)まるで着物でも「纏う」ようなエレガントな言い方は、この句の男っぽい場面にはふさわしくないってことで、わたしは「火をかぶる」がいいかなと思ったけど、とくに先生の添削で異論はありません。しかし、Twitterの議論を見てみたら、「着物でも纏うように平然と火をかぶる姿」が、かえって凄みがあるという意見もあって、それもたしかに一理あると思う。ちなみに、江戸時代の町火消が用いた旗印を「纏(まとい)」と呼ぶそうですが、これは戦国時代の「的率(まとい)」が語源だそうで、それ自体には当て字としての意味しかないようです。
2021.08.18
遅ればせながら、先週のプレバトです。お題は「ソフトクリーム」。今回も個人的な感想です。◇朝日奈央。リハ帰りのプラットホーム 氷菓子「リハビリの帰り」のことかと思ったわたしは婆臭い??…とも考えたけれど、そもそも「リハーサル帰り」なんてのは芸能人の話だし、一般人にとってはリハビリのほうが身近でしょ!いまや「通所リハ」なんて言葉もあるんだから、きっとリハビリの句だと解釈した人もいるはずです。先生によれば、「反省の場面」とも「充足の場面」とも読めるという話でしたが、わたしはたんに「疲れた体でほっと一息」と読みました。◇ポンコツ玉森。もといキスマイ玉森。いつ終わる 氷菓にぎり長電話手に氷菓 なかなか終わらない電話(添削後)なぜ字足らずにしたんだろう?添削のほうは、これで妥当かなと思います。◇ポンコツ藤ヶ谷。もとい、キスマイ藤ヶ谷。あどけなし 夜中のアイス キミ愛す真夜中の アイス愛するキミ愛す(添削後)なかなかのポンコツ(笑)。添削のほうは、これが模範的といえるかどうかは分からないけど、なかなかに個性的で面白い出来ですね。◇ニューヨーク嶋佐。夏の雲 ソフトクリームと溶けてゆく溶けてゆくソフトクリーム そして雲(添削後a)溶けてゆくソフトクリーム・雲そして(添削後b)とりあえず添削では季重なりを解消していますが、そもそも「雲」と「ソフトクリーム」を同じ動詞で描写する態度が、詩的なふりをしてるだけで客観性に欠けていますから、それぞれ動詞を別にしたほうがいいと思います。…といっても、雲崩れ ソフトクリーム溶け落ちるぐらいにしか出来ませんが。◇キスマイ千賀。バニラの香 あさの牧場の涼しさよ朝の牧場 仕込むアイスのバニラの香(添削後)季語は「涼し」なのだけど、下五の「涼しさよ」という言い方は、感情語とまでは言わないまでも、かなり主観的な印象を与えてしまう表現です。やはり添削の描写ほうが客観的だし、言葉にせずとも「涼しさ」は伝わってくると思います。◇キスマイ横尾。八合目のドラム缶風呂 シャーベット取り合わせの句です。わたしは、「風呂に浸かりながらシャーベット食べてるの??」と思ってしまいましたが、実際は「風呂あがりのシャーベット」だそうです。人によっては、たんに「シャーベットの背景に風呂が見えている」と考えるかもしれないし、読んだだけでは、取り合わせの関係性が見えない。あえて関係性を明示しないのが正しいのですか?わたし自身は、上五の「八合目」でいったん切れを入れて、中七と下五の関係性を明示する構造のほうがいいと思う。◇梅沢。ババヘラの器用に咲かせ 砂日傘パラソルが派手で ババヘラアイス婆(添削後)原句の「咲く」という動詞は、「アイス」と「日傘」の両方に掛かってますが、この比喩的な掛け合わせの手法が、いつもながらにクサい。そのうえ、わたしは、しばしば、梅沢が「文法的な厳密さ」を怠ってるんじゃないかな、と思うのですが、この「咲かせ」という動詞の選択も怪しい…と感じる。「咲かす」は使役動詞なので、かりに「ババヘラ」がアイスのことだとすれば、「アイスが(自分自身を)器用に咲かせて」という意味になる。これはアイスの擬人化ですね。逆に「ババヘラ」が売り子のことだとすれば、「売り子が(アイスを)器用に咲かせて」という意味になります。どちらの意味で書いてるのかが、よく分からない。もしかすると、梅沢自身は、「アイスが器用に咲かせられて」という受身形のつもりで書いたのかもしれないけど、受身形であれば「咲かせ」ではなく「咲かせられ」です。そこらへんを厳密に確認してるかどうかが怪しい。ただの字数合わせでテキトーに処理しているように見えます。クサい比喩と擬人化。クサい掛け合わせ。そして、文法的な曖昧さ。これがパターン化しつつある。梅沢は、永世名人になって以降、かえって欠点が明瞭になってきたのではないでしょうか?その欠点を克服せずに句集の出版を急ぐのはどうかと思います。一方、先生の添削は、ただの投げやりとしか思えない。中七「派手で」の「で」の意味も分かりません。
2021.08.12
プレバト俳句。夏の炎帝戦。お題は「Tシャツ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇まずは、2位の東国原英夫。Tシャツの干され 西日の消防署 季節の場面だけでなく、社会の断面をも切り取るのが、東国原らしい特徴で、この句も卓越しています。「消防」という過酷な仕事と、1日の終わりを表す「西日」の対比に、いろいろなストーリーも見えてきます。実際の消防の仕事は24時間だから、日が沈めば終わりってわけじゃないでしょうけど。◇そんな東国原を押さえて、1位になったのは犬山紙子。日盛りや 母の二の腕は静謐 出来の優劣はともかく、これが今回の1位だったのはよかったです。おかげで学ぶところがありました。実際には「介護」の場面だったそうで、そのことは読んだだけじゃ分からないのだけど、そのぶん、読む人ごとに、いろんなストーリーの描き方が可能な句です。わたしの場合は、「逞しく働く母親の年季が入った二の腕のたるみ」みたいな対比的な光景が見えたので、本人の話とは別のストーリーを思い浮かべたけど、そういうところにも俳句の価値はありますね。必要な情報の伝え方に瑕疵があって「誤読」を招くのなら、それは直す必要があるけど、この句の場合は、あえて語らず、映像に奥行きをもたせてるわけなので、けっして瑕疵があるということではないし、実際とは違う「読み」を誘っても構わないのだなと思います。本人の意図を確かめないと判断できない面もありますが、「誤読を招く」というのと「読みを許す」というのは、似ているけれど、意味が違う。…ということを考えさせられました。◇順序バラバラですが、つぎは春風亭昇吉。海の風 火薬の尽きた花火蹴るこれはランク外の12位だったのですけど、わたし好みの作品だったので、目にとまりました。なぜ最後に花火を「蹴る」のかは分からないけど、これもやはり映像に奥行きがあって、いろいろとストーリーの読みの可能性を感じます。「火薬の尽きた花火」という表現が、やや重複ぎみで効率が悪い気もするので、「尽きた最後の花火」とか、「尽きてしまった花火」とか、「最後の花火の殻を」とも出来るけど、花火の終わり=夏の終わりの場面だから、そこに「火薬のにおい」を残しておきたいのも分かる。「花火」は秋の季語という話もあるけど(笑)。もうひとつ難点としては、季語よりも「海の風」のほうに主役感が出てるので、ためしに、上五で切らず、海風に火薬が尽きた花火 蹴るとしてみましたが、これだと「風で火が消えてムカついて蹴った」みたいだし、いっそ語順を変えたほうが良いのかもしれません。◇つぎ、順位を戻して、フルポン村上。まだマシなTシャツを貸す 夜の雷 これが3位でしたが、こっちは逆に、悪い意味でストーリーが見えすぎる気がする。本人の話によれば、天候とは関係なく「お泊りの恋人にシャツを貸した」、(そうしたら、ドラマティックに雷が鳴った!)って場面らしいのだけど、字面だけで解釈すると、「雨で濡れた友人が来たので、シャツを貸した」という因果関係のストーリーにも見える。形式じたいは散文的なわけじゃないけれど、内容が、映像描写じゃなくて、小説やドラマのような叙述っぽく見えます。その点が、評価の分かれ目だと思います。◇4位のキスマイ千賀。光るシャツ ひるぎの森を行くカヌー シャツ光らせ ひるぎの森を行くカヌー(添削後)これは、なんだか手練れの技術さえ感じさせる句でした。ちなみに「カヌー」が夏の季語だそうです。まず「ひるぎの森」と「カヌー」で、西表島のマングローブ(←たぶん)を見せる仕掛けが上手い。上五の「シャツ光る」は、川面から照りかえす強い「日差し」だけでなく、南国の温度や湿度からくる「汗」の表現にもなってて、この効率のよさも素晴らしいと思います。追記:屋我地島に固有名の「ひるぎの森」もあるようです。◇同じくキスマイの北山。花栗や 肌に張り付くツアーロゴ ツアーロゴ張り付く 花栗の真昼(添削後)7位ですけど、北山にしてはかなり上出来。中七の「肌に張り付く」は、出来ればもっと簡潔に収めたい表現なので、先生の添削では「肌に」を消しているのですが、この是非はちょっと微妙。ツアーロゴが印刷されてるのは、かならずしもTシャツだけとは限らないし、たとえば、「風で飛ばされたポスターが花栗の木に張りついている」という誤読もありうるかもしれません。◇同じくキスマイの横尾。星空の渋谷 白シャツCEO 名人6段にもかかわらず、今回は横尾がキスマイ最下位の8位。今どきのカジュアルな経済人を描いていて、お洒落といえばお洒落なのだけど…。見方によっては、キザというか、高慢というか上級国民的なニオイも鼻につくし、個人的な感想としては、詩情そのものが、ちょっと微妙です。なお、季語を主役にするためには、この語順で正解だったのだろうけど、個人的には、白シャツCEO 渋谷の星空CEOの白シャツ 渋谷の星空のような語順にしたほうが、ストーリー性がうまれるぶんだけ、イヤミな金持ち臭さが抑えられる気がします(笑)。◇順位を戻して5位のミッツ・マングローブ。白靴の老女冷ゆ 生鮮売場 スーパー店内の冷房&冷蔵のW攻撃。現代社会の「夏だから寒い」という逆説的な季節感。痩せた老女の細い足を見てるところが、うっすら生々しくてミッツらしい。◇つぎは小倉優子。ガレージにチョークののび太 夏の蝶ランク外の18位だったのですけど、これも良いと思いました。過不足もないし、上手だと思います。フジモン的な作風ですね。強いていえば、上五・中七と、下五の季語のバランスが論点?◇岩永徹也。バーチャルの装備に課金す 裸の子これは順位もつかないランク外で、凡人判定だったのですが、俳諧味があって面白いと思いました。ただし、 IQ150の天才俳優に言うのは何だけど、「課金」をするのはゲーム会社であってユーザー側ではないのだから、(もしかしたら誤用が常用化してるのかもしれないけど)基本的な言葉の使い方が間違ってる気もします。それから、中八になってる「す」は不要かもしれないし、語順を逆にして、下五を上五にしてもいいのかもしれません。ちなみに「裸子はだかご」が夏の季語です。◇パンサー向井。風死せり 喪服の下のエアリズムこれまたランク外の凡人判定だったのだけど、やはり俳諧味があって面白いと思いました。「エアリズム」は冷感素材下着の商品名。「風死す」は晩夏の季語です。作者は自分自身のことを詠んでるはずですが、作者を知らなければ、女性の句としても読めますよね。◇順位を戻して、6位の梅沢。若夏や Tシャツという戦闘服若夏や Tシャツ一枚の闘い(添削後)フジモンは「渋谷のナンパ師」みたいな句だと言いました(笑)。一方、わたしは、マーロン・ブランドやジェームス・ディーンみたいな、いわゆる「反抗の季節」を詠んだ句なのかな、と思いました。しかし、「若夏」は南島の初夏をあらわす季語だそうで、そう考えると、たしかに先生の言うとおり、「沖縄の政治闘争」を詠んだ句のように見えてきます。ところが、梅沢本人の意図はそれとは違っていたので、(どちらかといえば、わたしの解釈に近い)先生は「作者の意図に近づけて添削した」と言うのですが、それでもやっぱり「沖縄の政治闘争」の句に見えます(笑)。まあ「戦闘服」とかいうクサい比喩を使うよりは、添削のほうが率直な表現になってるので、それで異論ありません。◇9位のフジモン。夏暁のおなら逞し ロンパースおなら逞し 夏暁のロンパース(添削後)原句のままだと、「ロンパース」が主役になってる感があるので、これは添削の語順が妥当だと思います。◇10位の千原ジュニア。白シャツは何より白く 退院す 白シャツの全き白や 退院す(添削後a)白シャツの白はこの白 退院す(添削後b)中七の「白く」という連用形にちょっと違和感はある。でも、原句のほうがいいのか、添削のほうがいいのか、正直いって、よく分からない。ためしに語順を逆にして、退院の ことさら白き白シャツよ退院の白シャツ ことさらに白し退院のTシャツ 白きや 白きやなどと色々やってみました。結局、よく分かりません。◇11位の中田喜子。掛け違ふ釦ぼたん 思春期の白シャツ前段の「掛け違ふ釦」というのは、「白シャツ」の映像描写であると同時に、「思春期の対人関係」の比喩でもあって、おそらくダブルミーニングですね。しかし、ダブルミーニングの意図を除けば、思春期に「ボタン付きの白シャツ」を着てる必然性は、あまり感じられないし、結局のところ、対人関係を比喩的に語ってる印象しかないので、映像的なリアリティがとても貧弱です。◇13位の森口瑤子。日焼けして 上腕二頭筋強こわしこれは、いわゆる、「日焼けしてるのに強々しくない上腕二頭筋があったらもってこいっ!」ってやつですね。もちろん、日焼けしてても「ひよわな上腕二頭筋」だってあるだろうけど(笑)、日焼けても 上腕二頭筋弱しだったら、たぶん川柳にしかならないと思います。「日焼け」と「上腕二頭筋」で作り直すパターンの句。◇14位の立川志らく。白シャツに染み込む あの日の長崎中七の「染み込む」は、基本的には8月の「汗」と「記憶」のダブルミーニングであり、あるいは「陽射し」「光景」「感情」などが染み込むのでしょうが、この動詞の選択自体が、ちょっと凡庸という気もする。でも、先生はこれを「凡ミス」と言ってるので、何か別の意味での減点なのかもしれません。◇15位の松岡充。Tシャツを買うシャツの列 汗みどろ読んで字のごとしの詠み方で、内容は明瞭だし、とくに過不足もないけれど、「買うシャツ」と「着てるシャツ」の対比が、俳句にするほど面白いのかといえば、そうでもない。語順がやや散文的なので、それを変えれば、もう少し面白くなるのかも。◇16位のパックン。ランマーにティーシャツかける レモネード分からないので「ランマー」を調べたら、アスファルトの舗装を固める工事用の機械だそうです。季語は「レモネード」で夏です。たぶん「上半身脱いで一休み」という場面でしょうが、一読して中七の「かける」という動詞が引っかかる。終止形で切っていますが、切って強調する動詞としては弱すぎて間が抜けてる。切らないで、ランマーにTシャツ掛けてレモネードTシャツをランマーに掛けレモネードとやったほうがマシ。そもそも「かける」という動詞は、多義的で曖昧なので、「置く」「乗せる」「被せる」「提げる」「干す」などのほうが明瞭だし、本来、ランマーの意味さえ共有されていれば、動詞がなくても意味は通じるはずだから、ランマーに黒ずんだシャツ レモネードみたいな形も可能だろうと思います。◇17位の的場浩司。殺陣たて終えて 息荒く脱ぐ汗のシャツだいぶ暑苦しいです(笑)。とりあえず、「殺陣終えて」「息荒く」「汗」の3連打がクドいので、まずは季語の「汗」を消してしまいたいし、できれば「息荒く」も重複情報として消したいです(笑)。なにか他の夏の季語と取り合わせて、「殺陣終えて脱ぐシャツ」だけで作り直せるタイプの句。◇19位の三遊亭円楽。白シャツを干すハンガーの骨も痩せハンガーの擬人化ともいえるけど、逆からいえば、老人(もしくは病人?)の身体を、針金ハンガーに見立てた比喩の句ともいえます。「ハンガー」の擬人化そのものはクサいけど、「老人」の比喩としてなら面白さがあるのかも。哀れな貧しさを醸し出すような詩情が、個人的には気持ち悪くて嫌だけど(笑)そこが評価のしどころでもあるのかな。◇20位の筒井真理子。なで肩の詐欺師のシャツの白きことこれも気持ち悪いのだけど、こういう異様な不穏さは、ちょっと面白いです(笑)。金回りのよさそうな優男のインテリ詐欺師かもしれないし、カジュアルな身なりの「受け子」の若者なのかもしれない。ぜひ、具体的な話が聞きたいなと思いました。◇二階堂。思い出のツアーTシャツ 炎もゆあ、ここにもキスマイがいました!下二の「炎ゆ」は晩夏の季語です。って、なぜ 5・7・2…?なんでこんなに字足らずなの???しかも、横尾からは「"思い出"も不要」と指摘されてたから、実質「ツアーTシャツ 炎ゆ」だけ!もはや「咳をしても一人」的な短さですね。
2021.07.25
プレバト俳句。お題は「夏野菜カレー」。◇まずは、東国原英夫。玉葱や この人結局死んじゃうのこれは凄い。今までにない、驚くべき技ありの一句。「キッチン」とはどこにも書いてないし、「ドラマ」とも「テレビ」とも書いていないけど、読めば、ほぼ確実に、「キッチンでテレビドラマを見ている場面」と理解できる、そういう組み立てになってます。「玉葱+女性言葉」=「みじん切り+涙」という、ある意味で凡庸な紋切り型の連想を逆手に取って、それだけで「キッチンの場面」ということを表現してる。これは、おそらく、「玉葱」だからこそ可能なのであって、「ジャガイモ」や「豚肉」では成立しない表現だと思います。さらに、中七に「この人」とあるからこそ、それがテレビドラマの登場人物だと分かるのであって、かりに「その人」や「あの人」だったら意味合いが違ってきます。こういう句は、けっして感性だけでは作れませんよね。誤読の可能性を論理的に排除していかなければ、絶対に辿り着けない表現だろうと思います。もちろん、誤読が絶対にありえないとは言えないけど、たとえば、「大量の玉葱が落ちてきて死にそうな人がいる」「玉葱の食中毒で死にそうな人がいる」「病床の傍らに玉葱が積んである」といった読みじゃ、かなり無理があるし、やはり、ほとんどの読者は、「キッチンに立つ女性が、 テレビのドラマを見ながら、 家族にむかって口にした台詞」と解釈するはずです。この言葉の経済効率はすごい。…ちなみに作者は、そこに独自の死生観も込めたようですが、梅沢も「無理だ」と言っていたように、さすがにそこまで読み取るのは無理という気がする。テレビに映っているのが、陳腐なサスペンスドラマなのか、悲劇のメロドラマなのかは分かりませんが、キッチンの調理の場面と、深遠な死生観とでは、ちょっと釣り合いが取れません。まあ、重い詩情を読み取るのか、軽い詩情を読み取るのかは、あくまで読み手側の自由だと思うけど、わたしは、たんに、妻が包丁をもって涙を流しながら、夫とサスペンスドラマのことで会話してる、ごくごく平和で、たわいのない、やや滑稽な日常の一場面として味わいました。◇◇梅沢富美男。玉葱を刻む 光の微塵まで玉葱を刻んでいったら「光の微塵」になったという比喩の句。掲載決定だそうですが、わたしは、さほど面白い句だとは思いませんでした。東国原の勝ち。◇◇マヂカルラブリー村上。カレーにトマト浮かぶ 夏昼の鮮やかよカレーにトマト浮かべて 夏昼の鮮やか(添削後)うーん…。こんな季重なりのギクシャクした破調で、よくもまあ1位になれたなあ、という句。そもそも、この季重なりって必要ですか?たとえば、カレーにトマト浮かべた昼の鮮やかさとして季重なりを解消したら、ちょっと淡白すぎますか?◇研ナオコ。夕立に かまどに向かう母こいし夕立の匂うかまどよ 母恋し(添削後)先生の添削は、たしかに原句よりはマシになってますが、そもそも下五の「母恋し」が凡人中の凡人なのだから、添削したところで才能アリは無理でしょう。◇小島瑠璃子。お昼よ!で駆ける夏の日 カレーの香りお昼よ!の声と 真夏のカレーの香(添削後)これは妥当な添削でした。まあ、添削したところで、発想自体がヒデキカンゲキの域を出ませんが。◇キスマイ二階堂。ウミウシや 彩り豊かなサマードレスウミウシの彩り豊かなる夏よ(添削後)これもまあ妥当な添削でした。上五の「ウミウシ」を春の季語とは見なさずに、あくまで夏の句として詠んだ添削ですね。◇馬場典子。成田の溽暑 ただいまとカレー蕎麦これは語順が問題になっていました。わたしなら、ただいまと溽暑の成田 カレー蕎麦としただろうけど、先生は、カレー蕎麦にただいま / 溽暑なる成田(添削後)と直していました。これは、たしかに、なるほどの添削ではあるのだけど、ちょっと誤読の可能性があるのが難点だと思います。もし、カレー蕎麦に / ただいま溽暑なる成田と読んでしまったら、カレー蕎麦を食べてるだけでも熱いのに、そのうえ「成田はただいま溽暑です」という意味になるからです。
2021.07.18
プレバト俳句。お題は「携帯扇風機」。俳句もイマイチ、添削もイマイチでした。◇まずは、しょこたん。扇風機持つ手甘噛む仔猫たち今週はこの句がいちばんよかったと思います。切れ目なしですが一物仕立てではありません。ただ、これを「コロナ禍の春を詠んでる」と解釈した先生の話は、正直、よく分かりませんでした。たしかに「仔猫たち」と複数になってるので、仔猫がたくさん産まれた春の句と読めるかもしれませんが、なぜ春に扇風機が回ってるのかも分からないし、なぜその状況をコロナ禍とまで読めるのかも謎。そもそも作者自身は、「仔猫」が春の季語とは認識してなかったようで、あきらかに夏の句として詠んでるわけですよね。実際、春に生まれたばかりの仔猫たちなら、せいぜい這って歩くのがやっとだから、手元にまで登ってくる脚力はないかなあと思う。むしろ、わたしは、扇風機もつ手甘噛みする子猫と一匹の猫にして、夏の場面を詠んだほうがいいと思います。◇小林幸子。扇風機 市民ホールの舞台袖開演の舞台袖なる扇風機(添削後)この添削はいいと思いますが、本人の話を聞くと、舞台袖で冷たい風に当たって一息ついたらしいので、上五は「開演の」より「幕間の」としたほうが妥当ですね。かりに上五を「幕間の」とした場合、中七の「舞台袖」と情報がかぶってる気もするので、本人談を参考にして、幕間のたらいの水と扇風機としてみました。◇鷲見玲奈。仕事ぶり見張るデスクの扇風機見張るかに回るデスクの扇風機(添削後)扇風機を擬人化しただけの一物仕立てで、切れ目なし。原句もイマイチだけど、添削も微妙です。添削の、「見張るかに回る(=周回する)」と、「回る(=回転する)扇風機」とでは、「回る」の意味が微妙に違ってるわけなので、これは一種の《掛詞》ですね。しかし、結果的には、後者の意味で「回る」を用いてるわけだから、(掛詞としての役割を除けば)たんに「回らない扇風機があったら持って来い!」という不要な重複語句でしかありません。正直、いい添削だとは思えなかったので、破調ではありますが、在宅ワーク 扇風機からの視線とやってみました。◇おいでやす小田。挟み立つマイクさながら扇風機マイク挟むごと相方と扇風機(添削後)これも切れ目なしの一物仕立て。扇風機をマイクに見立てた直喩ですが、原句のように「挟み立つマイク」とすると、まるで2本のマイクが自分を挟み立ってるように見えます。それが扇風機の比喩というわけだから、2本の扇風機が自分を挟み立ってることになるし、それをわざわざマイクに喩える意味も分からなくなる。他方で、先生が添削したあとでも、状況は依然として分かりにくく、まるで、「相方と扇風機がマイクを挟むように向かい合っている」と読めます。しかも、ギクシャクした破調です。ためしに、a: 漫才のマイク替わりや 扇風機b: マイクのごと コンビで囲む扇風機としてみました。◇千原ジュニア。ゆるキャラの汗の匂いとファンの音これも切れ目なしの一物仕立て。嗅覚と聴覚の情報に焦点を当てたとは言うものの、たんに「着ぐるみの中」を描いただけだし、さほど面白いとは思えない句でした。◇立川志らく。焼き鳥屋の団扇うちわに「みつを」を見つけ 焼き鳥屋の団扇に相田みつをの詩(添削後)これも切れ目なしの一物仕立て。「焼き鳥」は冬の季語ですから、夏にもかかわらず冬の句を詠んでしまったわけですね。破調を容認するほどの内容とは思えないし、たとえば、鳥を焼く団扇に相田みつをの詩鶫つぐみ焼く団扇に相田みつをの詩などとすれば、ちゃんと575に収まるんじゃないでしょうか。◇梅沢富美男。南国の果実色してハンディファン 季語を使わずに夏らしさを表現してる点に独自性はあるものの、これも扇風機の色を比喩しただけの切れ目のない一物仕立てだし、さほど面白い句だとは思えません。爺のくせに、柄にもなくカラフルな場面を描いてるところからして、「にこるんと デートに行った 電気屋さん」みたいな浮かれた気分だったのでしょう。そのことだけは、ありありと伝わってきます。◇ところで、梅沢の、「○○のようにして□□(が…している)」(果実のような色をしてハンディファンが並んでいる)と同じスタイルの比喩の句は、あえかなる鏡の色をして冬日(鏡のような色をして冬日が射している)がそうだったし、別珍の手触りのして梅の香よ(別珍の手触りのようにして梅の香りが漂っている)もそうかもしれません。これはたぶん、まゆはきを俤おもかげにして紅粉べにの花(眉掃きを思い出させるようにして紅花が咲いている)という芭蕉あたりが模範かと思いますが、これもいずれワンパターンに陥りそうな気がします。
2021.07.10
プレバト俳句。お題は「寝坊」。今回は、先週とちがって納得の添削が多かったです。◇梅沢。永らえて短夜をなほ持て余す巡業の短夜をなほ持て余す(添削後a)逢いみての短夜をなほ持て余す(添削後b)ボツでした。「年寄りは眠りが浅い」ということだけをワンカットで詠んでいる。名人どころか、キング・オブ・ザ・凡人みたいな句。しかも、「歳をとったので、短夜さえ持て余す」と因果関係を説明したような散文的な叙述。また来週~。(^^)/~◇フジモン。昼寝覚 ひらがなだけの置き手紙昼寝覚 子のひらがなの置き手紙(添削後a)昼寝覚 子のクレヨンの置き手紙(添削後b)わたしは原句でもいいかな、と思ったけど、たしかに、作者がフジモンだと知らなければ、「なぜ平仮名だけなのか」について、いろんな読みの可能性が出てくるかもしれませんね。とはいえ、これで「1つ後退」というのは、ちょっと厳しすぎるかな、とも思いました。◇工藤美桜。担任からのモーニングコール 夕の虹これが今週の1位。先生いわく「いろんな物語を想像させる」と好評価。でも、わたしとしては、なぜ担任の先生がモーニングコールするのか分からないし、昼ならともかく、なぜ夕方まで寝てるのかも分からないし、あまりにも状況が常識からかけ離れすぎていて、ちょっと想像しようもありませんでした。そもそも、朝から夕方まで一気に時間が経過してるのも分からないし、まして、そこにどんな詩情を読み取るべきかも分からない。形は美しいと思うけど、わたしには難解すぎる内容でした。◇ABC-Z塚田。七月や 意気込み遅し ジム疲れ七月のジム 意気込みの空回り(添削後)これは妥当な添削ですね。原句は、言いたいことは分かるけれど、中七の「意気込みが遅い」という表現が、やや正確さに欠けるような気がします。意気込みは強いものの、取り組みが遅かったために、結果的に「ジム疲れ」に陥ったわけですよね。早いか遅いかは「取り組み」の話であって、「意気込み」は強いか弱いかで測るものだろうと思います。◇渡辺満里奈。吾子の首 息ひそめ見る夏の朝学校の朝ぞ 寝る子の汗の首(添削後)これもまあ妥当な添削です。原句は、子どもを起こさないように息をひそめてるらしいけど、「息ひそめ」なんて出てくると、ちょっとサスペンスフルな状況を想像しがちです。◇風間トオル。夏の朝 あせって歯ブラシ鼻の中夏の朝 歯ブラシ鼻に入りそう(添削後)さすがに歯ブラシは鼻の中に入らないだろうと思うし、やはり添削でも「入りそう」と穏当な表現に直っています。中七の「焦っていたので」という説明も散文的なので、添削では、そこも消されています。ただ、もしかすると、鼻の大きい人なら歯ブラシ入っちゃうのかもしれないし、逆に、小さい歯ブラシなら、わたしでも入るかもしれないし、中七の「あせって」についても、「焦った歯ブラシ」「急いた歯ブラシ」などと直せば、いくぶん映像的な印象に変わるかもしれません。あまりにも題材がくだらなかったので、先生は、ほとんど匙を投げていましたが、考えようによっては、こんな糞みたいな題材でも詩情を出せたなら、それこそ名人級じゃないかしら?とも思ったりするわけで、意外にチャレンジしてみる甲斐はある気もします。ためしに、われながら鼻・歯ブラシ選手権をやってみました。歯ブラシを鼻に突っこむ 夏の曉歯ブラシの鼻に突き入る朝 暑し起き汗や 急いた歯ブラシ鼻磨く寝呆ければ鼻も磨きし 夏の朝歯ブラシが夏曉の鼻慌て打つ夏未明 歯ブラシ鼻に入れてみる鼻の幅 歯ブラシの幅 夏朝日鼻打つは夏の夜明けの歯ブラシか起き鼻を歯ブラシの打つ 金魚玉朝早し 歯ブラシ暑き鼻を刳るまた出来たら随時加えたいと思います。…永遠に才能ナシ?◇中村ゆりか。しまったとじわり汗ばむ三尺寝うたた寝の過ぎて汗ばむ テスト前(添削後a)うたた寝の過ぎて汗ばむ 出番待ち(添削後b)原句は、「三尺寝」を詠んだだけのワンカットの句。その意味では梅沢の句に近い。梅沢ほど説明臭くはありませんが。これも妥当な添削ではあるのですが、昼間っから寝落ちして汗ばんでる中村ゆりかには、無防備な色気もそこはかとなく漂ってるわけで…(笑)その味わいが添削から抜け落ちてしまったのは残念です!今回も色気が怖すぎた中村ゆりか from ギルティ
2021.07.04
プレバト俳句。お題は「ただ今のお待ち人数」。今回は、「才能アリ2人」「2ランク昇格」「掲載決定」と、なかなか上出来の結果でしたが、中身をよく見ると、やや疑わしい句も多かったです。◇◇◇さらば森田。君の列 汗染む札が恥ずかしげ読んだだけでは何も分からないナゾナゾの句。窓口の美女を「君」と呼んでいるらしいのですが、その呼び方も気持ち悪いし、汗で滲んでる番号札も気持ち悪いし、それを見て自分で「恥ずかしげ」と形容する発想も、すべてが気持ち悪いですね。まあ、その「気持ち悪さ」こそが一種の詩情なのでしょうが(笑)。番号札 汗ばむ君のいる窓口(添削後)え?!この添削でいいの??どう見ても窓口のお姉さんが汗ばんでますけど…?6/29追記。ためしに、窓口の君よ 汗ばむ待ち札よとすれば、そのような誤解はありえません。◇◇◇勝俣州和。あと五人 呻く幼き牛蛙これも俳句じゃなくてナゾナゾです。 残りの5人を見て、人喰い蛙の子が「もう喰えないよぉ~」と呻いている、…ように見えます。そう読むとすれば面白いのだけど、作者の意図はまったく違うので、先週の「如意棒」と同じく、隠喩を用いた失敗例ですね。せめて直喩にしましょう!もし字数が足りないなら、比喩そのものを諦めましょう!一般に「比喩を使えば表現が豊かなる」という発想は、ほかの文芸ジャンルなら通用するでしょうが、俳句ではめったに成功しません。あと五人 診察を待つ夏休み(添削後)ずいぶんと淡白な添削ですね…。やはり「呻き」にこそ詩情があったのでは?6/29追記。ためしに、暑き日や 診察を待つ子の呻きとしてみました。◇◇◇次、ハラミちゃん。初夏快晴 凍てし指先 舞台袖これも三段切れのナゾナゾです。読んだだけでは意味不明。「凍てし」というのは、ほんとに凍ってるのではなく、「氷のごとく冷えている」の隠喩的な表現だと思うけど、これもやはり隠喩の失敗なのだと思います。「夏なのに…」「天気も良いのに…」という逆説を詠んでいるわけですが、その時点で、すでに主役は季語ではなく、むしろ川柳的な実体験のほうが主題になっています。舞台初夏 いま緊張に冷ゆる指(添削後)かりに中七を「演奏前の」とすれば、上五の「舞台」は無くていいわけだから、もうすこし季語の選択肢が広がる気もしますね。6/29追記。添削の上五「舞台初夏」は、もしかすると「初舞台」をイメージさせる意図かもしれませんが、わたし的には、原句の季重なりを応用して、暑き日や 演奏前の指凍こごゆとするやり方もあるかな、と思います。そもそも「舞台」というだけでは、音楽会じゃなく演劇だと誤解されるわけですし。◇◇◇犬飼貴丈。躓いて割れたスマホや 夏の空これもハラミちゃんと同じく、「スマホが割れたのに…」「夏の空なのに…」という自虐的な状況を川柳っぽく詠んでいます。その対比がある種の新鮮味になって、結果オーライの句にはなってますが、次回も同じ路線で挑んだら、凡人以下になる可能性が高い。◇◇◇加藤登紀子。やりくりも万策尽きて 梅雨ごもり今週の1位なのですが、これもやはり結果オーライの疑いがあります。先日の銀シャリ橋本の、「軒下に誘われたのでパン屋を知った」という作品と同じく、「万策尽きたので梅雨ごもりしている」という因果関係の説明であって、映像描写の句ではありません。銀シャリ橋本の句は「季語が原因」だったのに対し、今回の加藤登紀子の句は「季語が結果」なので、そのぶん季語の主役感は強まっていますが、どっちにせよ因果関係の句であることに違いはありません。そして、これも俳句というよりは川柳的な題材だろうと思います。6/29追記。むしろ「牛蛙」を季語にして、やりくりも万策尽きし 牛蛙としたほうが映像的な句になりますよね。いくら結果オーライとはいえ、銀シャリ橋本が「才能ナシの最下位」で、加藤登紀子が「才能アリの1位」というのでは、ちょっと評価の一貫性に疑念がつきかねません。◇◇◇キスマイ千賀。宵宮の慈雨は屋台の人波へ宵宮&慈雨を使ってます。本人いわく「あえての季重なり」だそうです。ほんとか!一般に、季重なりが許容される条件は、季語どうしが互いに「相殺しない」ということです。通常なら、季語の比重に強弱をつけて、どちらか一方を主役にすればいいわけですが、 今回の季重なりの場合は、先生いわく「どっしり共存している」との評価!プレバトでは珍しいパターンです。季語の「共存」とはどういう意味でしょうか?「ツートップ」なのか?「2つでひとまとまり」なのか?「相互補完」なのか?それとも「相乗」なのか?「宵宮の慈雨」でひとまとまり、という気もするけど、興奮と熱気の「宵宮」、優しく冷んやりした「慈雨」、という対比的な性質を考えると、補完あるいは相乗としての効果もありそうですね。ちなみに、この句は、 宵宮の慈雨は、屋台の人波へ向かいました。という散文的な語順のままの切れ目のない句ですが、それで成功しちゃってるのも結果オーライに見えます。◇6/29追記。ためしに以下の3パターンを比べてみました。A. 宵宮の慈雨や 屋台の人波へB. 宵宮の慈雨が屋台の人波へC. 宵宮の慈雨は屋台の人波へAは、季語を強調し、「や」で切ってカットを分割し、いちおう韻文としての体裁を作っていますが、もともと前段と後段は主語と補語の関係にあるので、その関係を無理やり断ち切ったような不自然さもあります。Bは、もろに散文的というか、たんなる現象の説明文のような印象になるので、韻文としては評価しにくいものになりますね。Cは、主格助詞 副助詞の「は」を使うことによって、あたかも季語が既知の主役であるかのような意味合いを帯び、それが強調のニュアンスを生んでいます。前段と後段の映像をそれぞれ独立させながら、その関係性も明示されて、違和感なく動きも見えてきます。格助詞「が」と副助詞「は」の違いは難解で、ここでそれを正確に解説することは出来ませんが、結果的には、Cで正解なのだろうと思います。自信はないけど。◇◇◇梅沢富美男。百物語 最後の鏡に映る物掲載決定だそうですけど…これまた微妙だなあ。技術的な面でいえば、中八の問題もあるし、「映らない鏡があったら持ってこいッ!」という不要な重複語句の問題もあります。しかし、それ以上に問題なのは…百物語を知らない人にとっては、「へ~。そういうものなんだ~」という学びの句ではあるものの、すでに知ってる人にとっては、「最後の鏡に映る物を見ない百物語があったら持ってこいッ!」って話なんですよね(笑)。つまり、これは、ただ「百物語」というものを解説しただけの句にすぎない。そこが評価の分かれ目になると思います。なお、最後に「映る顔」「映る我」などと具体化せず、ただ曖昧に「映る物」とぼかしたことで、先生は「あえて語らない効果」が出ていると評価してましたが、じゃあ、なんでもかんでも.「遠くに走る物」「空に飛ぶ物」「食卓に並ぶ物」などと読者に委ねてしまえばいいというものではない。今回は、あくまでも、「何が映ったのだろう?」という謎解きを誘う効果によって、結果的に上手くいったのにすぎません。これを多用してしまったら、すごく安易な手法になると思います。6/29追記。かりに「中八」と「重複語句」を避けて、さらに鏡の中身も「あえて語らない」とすれば、百物語 最後の鏡ほのぐらしのような添削になるかと思います。
2021.06.27
プレバト俳句。お題は「折りたたみ傘」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇まずは、中川大輔。夏の雨 凌ぐ如意棒 ふりまわす本人の説明によると、中七の「如意棒」は伸縮する折りたたみ傘の隠喩らしく、しかも、> 雨を凌ぐために持ってきた傘だけど、> 降ってないので振り回して遊んでいたということらしいです。雨降ってなかった!晴れてた!ってことで、前段の「夏の雨 凌ぐ」は、映像描写ではなく傘の役割の説明なのです(笑)。季語の風景を描いてるわけじゃないのです。考えてみれば、傘ふりまわしたって雨は凌げないし、雨が降ってるなら傘させよって話ですから。先生の添削では、とりあえず隠喩を直喩にあらためて、如意棒のごと傘を振る 夏の雨(添削後)としていますが、そもそも雨が降っていないのですから、本人の意図どおりに添削するならば、如意棒のごと傘を振る 夏の空とすべきです。さもなくば、空梅雨や 如意棒のごと傘を振るでしょうか。◇神田愛花。NEWの傘 「カワイイ!」欲しい 梅雨カモン!!NEWの傘 カワイイ!欲しい 梅雨COME ON!(添削後)この句、40点の凡人3位でしたが、添削では、すこし表記を改めただけで、ほとんど直しらしい直しがありません。実際のところ、ちょっと評価に悩んでしまう俳句です。じつは、先週の伊集院光の、濡れ鼠 せめてどこぞの喜雨であれと同じように、実際に描写された映像は上五だけで、中七と下五は「心の台詞」「気持ちの表明」なのです。伊集院の句の場合は、「喜雨であれ」という台詞によって、夏の雨が見えてくる仕組みなのですが、今回の神田愛花の句の場合は、「カワイイ!」という台詞によって、傘のデザインが見えてきて、「欲しい!」という台詞によって、店内の傘売り場が見えてきて、「梅雨カモン!」という台詞によって、梅雨前の季節ということが分かる仕組みです。そう考えると、一語一語にそれなりの役割があるし、なかなか添削しにくいのですね。一見すると、バカっぽくて糞みたいな俳句だし、「梅雨」という季語の扱いにも問題はありそうだし、「NEW」というのは不要な重複情報に思えるし、詩情の有無という点でも評価は分かれるでしょうし、さすがに才能アリの評価は無理だとしても、俳句の構造自体は、じつは伊集院の作品に近いというべきです。◇ティモンディ高岸。夏の朝 丸太をもってはおろしては夏の朝 丸太かついでランニング(添削後)原句を読んだときに見えてくるのは、清々しい夏の朝に労働している様子であり、そう読むとすれば、それで結果オーライなのですが、本人が描こうとしたのは、雨天の屋内で高校生が朝練する場面だそうです。本人が描こうとしたものと、俳句から見えてくる映像が、あまりにも違いすぎる(笑)。そして、「雨天の屋内」が見えてこないという点では、先生の添削も不十分だと思います。どう添削すればいいかわからないけど、とりあえず7・7・5で、梅雨の朝練 丸太挙げては降ろしてはとかでしょうか。◇村上弘明。雲の峰 写生する手に筆と傘雲の峰写生す 傍らに雨傘(添削後)番組で指摘されていたとおり、傘を手にもったまま写生してるのは不自然ですが、まあ、言いたいことは伝わるし、それなりの詩情もありうる場面だと思うので、実際は37点で才能ナシ4位でしたが、わたし的には55点の凡人2位ぐらいでいいと思います。◇キスマイ宮田。戻り梅雨 軒先の粒 犬吠える犬吠える 梅雨の戻りの軒しずく(添削後)三段切れの問題はありますが、まあ、言いたいことは伝わると思うし、それなりの詩情もあると思うし、「凡人中の凡人」というほどつまらなくはないと思う。わたし的には、(60点ぐらいの凡人だとは思うけど)これが今週の1位です。◇◇特待生の森口瑤子。ジェラシーを折ってたたんで 白日傘女の裏表をぜんぶ内側に折り込んで、綺麗な外見を取り繕って巧妙に隠して、ある意味で、とっても気持ち悪い句というか、いやらしい句というか、したたかで老獪な句というか。ドロドロした嫉妬心を折ってたたんで、白日傘さして美人女優でゴザイマスって恐すぎるだろっ!!さすがは坂元裕二の妻というか、つい「まめ夫」のしたたかさと複雑さのことまで考えてしまう。誰に嫉妬してるのか知りませんけど、そこはヤバそうなので触れないでおきます。怖いけど、俳句じたいは上手です。◇さて、今週も問題なのは、梅沢の句!!!子の傘に透ける窓あり 青蛙ハイ。掲載決定だそうです。先生の絶賛ポイントは、中七の「あり」が見事な伏線になっている、とのことでした。いったい、どういうことでしょう?上五・中七までを読むと、「子供の傘に透ける窓があるナァ」ということなのですが、そこにさしたる詩情は感じられません。たんに「そういう傘も売ってますよね」って話です。しかし、じつはそこに詩情を詠んでいると見せかけて、本当の詩情は「透ける窓」それ自体にあるのではなく、そこから見えているだろう「青蛙」にあるのです。そして、その結果として、傘をさす子と、青蛙との対照がまた詩情を生んでいる。わかりますか?わかりませんか?わたしも、自分で書いててよく分かりません。(^^;もっともらしくテキトーなことを書いてみただけです!ものは言いようですね。わたしなら、ボツにしたかも…。ぶっちゃけ、ビニル傘 子の透かし見る青蛙とかでいいかな、と思いました。◇6/21追記。あえて、もういちど、先生のいう「伏線」の意味について、もっともらしい説明を試みてみます。通常、俳句で「○○あり」といえば、強調のニュアンスをもつので、形式的に見れば、この俳句の主役は「透ける窓」です。しかし、それは見せかけのカムフラージュにすぎません。青蛙が出てきたとたん、その「透ける窓」は、「窓を見る子」と「窓から見える青蛙」の媒介なのだと判明します。その瞬間、「透ける窓」それ自体は脇役に後退して、代わりに、「子と青蛙の関係性」が主役として前面に出てきます。つまり、「透ける窓あり」というのは、両者の関係性を浮かび上がらせるための前フリにすぎない。たぶん、そういうことだろうと思います。でも、はたして梅沢が、本当にそのような効果を意図していたのかは分かりません。案外、梅沢自身は、本気で「透ける窓」が主役だと思ってるかもしれません。
2021.06.20
プレバト俳句。お題は「雨宿り」。今回は、かなり難しい回でした。いくつか分からない点もあります。◇高島礼子。夕立にぬれて行こうか ウォーキング夕立も楽し ウォーキングの歩幅(添削後)月形半平太のパロディというところからして、すでに凡人的なのですが、「濡れない夕立があったら持って来い!」「行かないウォーキングがあったら持って来い!」ってこともありますから、そもそも中七の重複情報が不要なのですね。「夕立のウォーキング」といえば、それで事足りるし、残りの7音で別のことができる。添削では、あえて「楽し」という感情語を使っています。《たのしいな俳句》では、「楽しいな」を季語に置き換えてしまうわけだし、基本的に俳句では「楽しい」「悲しい」などの感情語は不要。でも、この場合、「夕立」と「楽し」は、通常なら結びつかない組み合わせなので、あえて感情語を入れる意義があるのだろうと思います。◇若槻千夏。梅雨冷えで 足元みたら靴ぴえんタクシーは来ず 梅雨冷えの靴ぴえん(添削後)上五の「で」は、因果関係を説明する助詞なので散文的だし、中七の「足元みたら」も不要な重複情報でした。「ぴえん」は「悲し」の超現代語ですが、そもそも「梅雨冷えで悲し」というのでは意外性がないし、あえて感情語を使う意義が見当たらないのですね。結果的には、「冷え」と「ぴえ」で韻を踏んだだけの句でした。◇伊集院光。濡れ鼠 せめてどこぞの喜雨であれ…これは、非常に高度な句というか、かなり掟破りなことをやっています。普通なら失敗するパターンじゃないでしょうか?中七と下五は、風景ではなく、心の台詞です。しかも、そこに季語が含まれている。実際の風景は、上五の「濡れ鼠」のみ。ただし、下五の台詞で雨が降っていることは分かります。その雨は、実際には喜雨ではないのだけれど、「あたかもそれが喜雨に見えてくる」という構造です。かなり心のフィルターがかかった季語の描き方。安易にこれを真似たら失敗するだろうと思います。◇銀シャリ橋本。夕立に軒下誘われ 知るパン屋夕立の軒よ パン屋と知る香り(添削後)それほど低い点数でないとはいえ、これが最下位だったことに驚かされました。けっして詩情がないわけではないし、この句のどこがダメなのか分からなかった人も多いと思う。結論からいえば、句の全体が「説明的」だということですね。助詞にかんして言うと、「夕立で」と説明的な助詞を使うよりも、「夕立に」としたほうがマシではあります。しかし、たとえ説明的な助詞を避けたところで、句の内容そのものが説明的なのだから仕方ない。「夕立に遭ったので軒下に入りました」「軒下に入ったのでパン屋を知ることができました」というエピソードの説明でしかない。このことが、「ぴえん」の句よりもはるかに厳しく評価される、…ってことですね。俳句でやるべきなのは、あくまで「風景の切り取り」であって「出来事の説明」ではない、…ってことをあらためて思い知りました。◇三遊亭円楽。夕立や 尻っぱしょりを犬が追う はじめて落語家らしい洒脱な句を見た気がします。ただし、歌川広重から情景を借りてるわけなので、その点で、ややオリジナリティに疑念がつく気もする。◇◇…さて、今週も、問題なのは梅沢の句です。紫陽花の蒼きはぜるや 雨しとど 紫陽花の蒼きよ 雨にはぜる蒼(添削後)「蒼きはぜる」に最大の詩情が感じられます。…とは思うけれど、はたして形容詞の連体形に動詞がつくのは正しいのでしょうか?「速く走る」とは言うけど、「速き走る」とは言いませんよね。文法的に怪しげな表現をするよりも、やはり添削のように「雨にはぜる蒼」としたほうがいい。◇…その一方で、わたしは、添削の「蒼きよ」という部分にも引っかかりました。形容詞の連体形に、詠嘆の「よ」はつけられるのでしょうか?ちょっと調べてみました。http://haiku-nyuumon.com/↑こちらのサイトの解説によれば、「けり」は連用形につき、「かな」は連体形につき、「や」は終止形にも連体形にも命令形にもつくそうです。連用形+けり:しづかなりけり(山口青邨)連体形+かな:遠きかな(山口青邨)終止形+や :長閑しや(小林一茶)連体形+や :時雨るるや(与謝蕪村)「連体形+や」があるということは、「蒼きや」とか「蒼かるや」がありえるということだし、かりに「や」を「よ」に置き換えられるとすれば、「蒼きよ」とか「蒼かるよ」も可能なのかもしれません。…ってことで、いちおう納得しました。◇ちなみに、俳句の場合は、「紫陽花の蒼き」のように、連体形で終止させてしまう場合もあるようです。これは、「紫陽花ぞ蒼き」という係り結びの応用かもしれないし、「紫陽花の蒼きこと」の省略かもしれません。(「蒼きよ」ってのも「蒼きことよ」の省略かもしれません)そう考えると、梅沢の原句は、紫陽花の蒼き / はぜるや / 雨しとどという三段切れのようにも思えてくる(笑)。まあ、どっちにしてもボツにするのが妥当だと思います。◇6/14追記。あとでツイッターを見てみたら、格助詞の「の」を入れれば解決する、という議論がありました。「の」を加えると中八になりますが、代わりに「き」か「や」を消せば7音に収まるとのことです。中八にする :紫陽花の蒼きのはぜるや 雨しとど「き」を消す:紫陽花の蒼のはぜるや 雨しとど「や」を消す:紫陽花の蒼きのはぜる 雨しとどたしかに、これなら文法的な問題が解決します。というより、そもそも梅沢は意図的に格助詞を省いたのかもしれませんね。なお、この場合の「蒼き」というのは、「故ふるきを温たずねて新しきを知る」のように、形容詞の連体形を名詞のように用いる語法です。◇最後に、キスマイ二階堂。集め汁 忘れ去られる片頭痛味噌汁は熱し 入梅ついりの片頭痛(添削後)上五の季語に実体験が伴っていないと批判されてましたが、わたしは、それ以上に、中七の「忘れ去られる」という表現に違和感をおぼえます。自分の片頭痛が「忘れ去られる」って、まるで他人事のようです。あえて受身形にする意味があるんでしょうか?
2021.06.13
プレバト俳句。お題は「コーラ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇篠田麻里子。夏至夜風 余ったコーラで煮る角煮彼女の俳句は好きです。季語の「夏至夜風げしよかぜ」からしてもう素敵。秋元康のクサい歌詞なんぞよりずっとセンスがいい。「煮ない角煮があるんなら持って来い!」って気はするものの、まあ「食べる角煮」「買う角煮」などもあることだし、そこはOK。いっそ「角煮煮る」でもよかったなと個人的には思います。ちなみに中八です。わたしは、いちおう中八容認派だけど、「余りコーラ」なら7音にも出来るかな、と思いました。ちょっと無理がある?(笑)◇筒井真理子。老鶯ろうおうや 墓前の莨たばこと缶コーラこれも中八ですね。 最初に読んだとき、「老鶯」「墓」「莨」「缶コーラ」という4枚の絵の取り合わせに見えたので、やや情報が多すぎて散漫かなあと思った。とくに「缶コーラ」については、墓前ではなく、手に持って飲んでるようにも見える。この問題を解決するには、「墓前{莨+缶コーラ}」を1枚の絵にまとめる必要がある。そのためには、助詞を変えて、「墓前に莨と缶コーラ」としたほうがいいような気がします。違うかなあ…?あまり自信はない。先生は、老鶯の墓前 莨と缶コーラという案も出してましたが、これなら、たしかに中八も解消できるし、莨と缶コーラが問題なく墓前に並びます。◇武田鉄矢。モンローは真夏の夜よの夢 コーク・ハイモンローや 真夏の夜よるのコークハイ(添削後)これも原句は中八です。本人は、マリリンモンローの映像と、ユーミンの音楽と、シェークスピアの文学が、混然とする幻想のなかへ浸りたかったようだけど、言外の意味合いを欲張りすぎると、かえって映像描写の直接性が弱まって失敗しますよね。添削に異論はないけど、中黒「・」は不要と思ったので勝手に消しました。すみません。◇キスマイ北山。 葉桜や 融氷の音のグラスより葉桜や グラスに融氷のかすか(添削後)添削に異論はないけど、原句で1ランク昇格って、ちょっと甘いのでは??たんに「グラスの氷溶ける音」というだけのことを、わざわざ「融氷の音ねのグラスより」なんていう必要ある?あえて難しい言い方をしてみた結果、かえってぎこちなくなっただけなのでは?それとも、あえて「融氷」という大袈裟な言い方で、なにか壮大な連想でも引き出そうとしたのかしら?さらにいうと、最後の「より」ってのが不要です。ただ「融氷の音のグラス」といえば十分なのだから。その2音は字数合わせの意味しかない。それどころか、下手に「より」なんてつけてしまうと、「グラスより音が聞こえる」なのか、「グラスより葉桜が透けて見える」なのか、「グラスよりも葉桜のほうがマシ」なのか、かえって誤解の余地が増えてしまいます。◇ミッツ・マングローブ。短夜みじかよや ロングアイランドアイスティ岩永徹也。驀進ばくしんの棋士は少年 青嵐この2句については、とくに異論ないです。岩永の句のどこにコーラがあったか分からないけど。◇さ~て…問題は、梅沢の句。ナイターの売り子 一段飛ばし来る掲載決定でしたが、わたし的にはボツ!!描いてる場面はいいと思うけど、どうにも文法面が引っかかるし、「一段飛ばし来る」なんて変な日本語を出版物に載せていいの??たとえば「食べ歩く」のように、他動詞+自動詞の組み合わせで、「飛ばし来る」という複合動詞もありえなくはないし、「一段を飛ばして来る」を短くして、「一段飛ばし来る」と言ってるんだとしたら、まあ、文法的にも許容範囲内かもしれません。でも、ここでの「一段飛ばし」は、それ自体がひとつの名詞なのだから、やはり「一段飛ばしで来る」と助詞を入れる必要があるし、それは口語であっても文語であっても変わりません。そこを梅沢が厳密に考えてたかどうかは、かなり疑わしい。わたしは、いちおう、ナイターの売り子 / 一段飛ばし来ると切りましたけど、先生が言ったように、ナイターの売り子一段飛ばし / 来ると切ることもできるし、2箇所で切れば、ナイターの売り子 / 一段飛ばし / 来るという三段切れと見ることもできます。口語でもあまりそんな言い方はしないけど、強いていうなら、「売り子っ! 一段飛ばしっ!! 来るっっ!!」みたいな実況中継風の三段切れです。たぶん先生はこの解釈に近いと思います。いうまでもないけど、ナイターの売り子一段 / 飛ばし来ると切ったら、まったく意味不明です。◇わたしの意見をいうと、梅沢は五七五の定型に収めたつもりだろうけど、句またがりとしては、むしろリズムが悪いと思います。リズム的にいうなら、ナイターの売り子 一段飛ばしで来ると助詞の「で」を入れたほうがいい。ただ、これだと、まるで散文みたいになってしまうので、先生が言ってたように、ナイターの売り子 一段飛ばしで来くとするのが最善策かもしれません。追記:助詞の「で」を避けて「一段飛ばしに来」のほうがいいですね。あるいは、中八になるけど、ナイターや 一段飛ばしの売り子来るナイターや 一段飛ばしの売り子が来くとすれば、文法的には容認できます。
2021.05.30
プレバト俳句。お題は「ケーキ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇まずは名人2人から。梅沢は掲載決定。夏立ちぬ バタークリーム強情で千原ジュニアは1ランク昇格。とぅるとぅるの求肥に透けている苺ジュニアのほうは、求肥のなかの「苺」だけを描写した一物仕立て。梅沢の句は、時候の季語と取り合わせていて一物仕立てではないけれど、やはり「バタークリーム」だけを描写した句。わたしなら、両方ともボツにしていたかもしれません…。◇一物仕立ては、描写の仕方に個性や詩情があるのかどうか、そのセンスが問われるものだと思います。梅沢の場合は、「強情」というバタークリームの擬人化描写に、個性や詩情が見出せるのかどうか。ジュニアの場合は、求肥と苺のコントラストを感じることもできるけど、何より「とぅるとぅる」という擬態語の描写に、個性や詩情が見出せるのかどうか。最初に読んだときはボツかと思ったけど…あらためて鑑賞してみると、たしかに季節感もあるし、視覚的にも鮮やかだし、詩情もあるような気がしてくる(笑)。一物仕立てというのは、作るのも難しいのだろうけど、評価するのも難しいなあ、というのが正直な感想です。◇北乃きい。ケーキ屋で浮かぶあの笑み 夏の宵おみやげのケーキを選ぶ 夏の宵(添削後)中七の「浮かぶあの笑み」は、意味としては十分に伝わると思うのですけど、頭に思い描いた映像は、描写といっても心象の描写なので、そこが俳句としては弱いところですよね。◇ダイアン津田。夏の夕 5色のケーキ持ち帰るケーキ五色 家族五人の夏の夕(添削後)この添削で異論はないのですが、わたしなりに、父の手に五色のケーキ 夏の夕としてみました。◇ABC-Z塚田。ホールケーキを籠に ギア上げ青嵐ホールケーキ籠に ギア上げ青嵐(添削後)後半の「ギア上げ青嵐」だけ読むと、まるでジュニアの750cc(ナナハン)俳句?もしくは石原裕次郎とか近藤真彦っぽいテイスト?まあ、バイクじゃなくて自転車ですけど(笑)。若々しくて清々しい場面ですが、「上五の字余り」と「句またがり」が重なった場合、リズムとしてどうなのかが、やや気になりました。あらためて見直したら、明確な「切れ」がない句なので、句またがりかどうか不明です。◇かたせ梨乃。紫陽花の女子会 今日はバスチーを 紫陽花が綺麗ね 今日はバスチーを(添削後)季語に比重を取りもどすために、「女子会」の語を捨てた添削の意図は、それなりに理解できるのだけど、わたし個人の感覚でいえば、「女子会」と「バスチー」の2語は、絶妙な"軽薄さ"において響き合っているのです。それに対して、添削のほうは、「綺麗ね」と話す女性の優雅さ・上品さと、「バスチー」という流行語・省略語の軽薄さが、いまひとつ噛み合っていない気がします。◇今週は、IKKOの句が絶賛されていました。住み込みの 夜のケーキの苺かな詠嘆の「かな」は、安易に字数あわせのために使うと、非常につまらないものになるけれど、この句の「かな」は、久々に手応えをおぼえました。住み込みでの仕事を終えて、夜の一人の部屋で、ケーキを出して、そのうえの一粒の苺にまで焦点を絞ったところで、作者の心情をしみじみと込めた感じです。仕事の疲れや、孤独やら不安やらを帳消しにするような、楽しみと癒しを一粒の苺に集約したところで、この「かな」の詠嘆が効いていると思います。
2021.05.23
プレバト俳句。お題は「シューズ売り場」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇小宮璃央。夏の夜 言葉交わさず下駄の音夜店の灯 言葉交わさず下駄の音(添削後)これが最下位だったのですが、「才能ナシ」ではなく「凡人」でしたし、それほど悪い句だとは思いませんでした。作者自身は、夏祭りでのデートの場面を詠んだらしく、その話を聞いてしまうと、たしかに「凡人くさい」と思えるのですが、かりに説明を聞かずに原句だけを詠むと、見知らぬ他人と無言ですれ違った場面のようにも誤読できて、ちょっと不気味な雰囲気を味わえると思います。あくまでも誤読ですけど(笑)。ちなみに作者の意図どおりに書くならば、いっそ「夏デート 言葉交わさぬ下駄の音」としたほうが、誤解の余地がなくていいんじゃないかと思います…。◇梅沢。帰国の日 アガシの白いハイヒール帰国の日 アガシの白靴の悲し(添削後a)帰国の日 アガシの白靴の眩し(添削後b)作者の下世話な実話を聞いたら、すごく興醒めでしたが、これも本人の説明を聞かずに原句だけを詠むと、非常に味わい深く誤読できてしまう余地があると思う。個人的にいえば、「若い韓国人女性が帰国する」という場面だけで、引き裂かれる悲しみを喚起する力が備わってると思うし、ことによったら、国家的な背景や歴史的な背景さえも見えてきます。そう考えたら、添削は不要だと思うのです。これも、あくまで誤読なのですけど…(笑)。ちなみに「アガシの白靴」という添削は、アンドレ・アガシのテニスシューズと誤解される、という問題もあります。◇ぼる塾田辺。泥靴や 頑張る君の夏近し俳句で「君」と言ったら、ふつうは恋人のことを意味するらしいのですけど、この句の場合、個人的には幼い子供のことだと誤読したい気持ちがします。◇本田望結。夏夕焼 波打ち際のペアシューズ「夕焼」は、それ自体が夏の季語なので、「夏夕焼」とするのは季重なりだそうです。逆にいうと、「春夕焼」「秋夕焼」「冬夕焼」ってのは、夏の本物には及ばない"弱めの夕焼"ってことなのですね…。先生の添削では単純に「夕焼や」と直していますが、かりに「夏」という語にこだわるならば、「夏の夕」「夏夕べ」「夏の暮」などとする方法もあるのかな、と思います。◇キスマイ横尾。披露宴 白靴のスタッズ眩し 婚祝う 白靴のスタッズ眩し(添削後)正直な話、原句には何の面白味も感じませんでした。でも、上五を「婚祝う」に変えただけで、気合を入れてお洒落してきた人物像が見えてくるし、そこに詩情と面白味とが生まれますね。これはさすがの添削でした。◇的場浩司。靴の中ギラリちび蜘蛛 我が家ぞ新品の靴より ちび蜘蛛のギラリ(添削後)原句のままだと、下五は「自宅の玄関」の描写に見えてしまいます。かといって、擬人化した蜘蛛の台詞だとすれば、なおさらクサいです。これも先生の添削に納得です。◇高田万由子。白靴や 並びし吾子の父超えて並べある 父より大きなる白靴(添削後)梅沢と先生が指摘したとおり、原句のままだと「背比べ」をしてるように見える。おそらく「並びし」の語が、「白靴」ではなく「吾子」に掛かっているために、そのような誤解を生じるのです。かりに背比べを詠むなら、白靴や 父に並んだ子の高し靴の大きさを詠むなら、吾子の白靴 父に勝りて並ぶとしたほうが分かりやすい気がします。
2021.05.14
プレバト俳句。お題は「昼寝」。今回は、いまひとつ腑に落ちない添削が多かったです。◇おいでやす小田。目を閉じて ほんの少しの夏休み昼寝少し 怒涛の日々に立ち向かう(添削後)仮眠だけが自分の夏休みだという内容。季語が比喩になってしまってるので、添削では「夏休み」を却下して「昼寝」に変えています。ただし、さほど良い句になったとも思えません。原句の意味合いは失われているし、「怒涛の日々に立ち向かう」というのは、視覚描写というより、むしろ意思表明のようです。ためしに、すこしの昼寝 ポケットのスケジュールとしてみました。◇東野絢香。若楓 台本抱きし 揺れる隈台本を抱いて 車窓の若楓若い女優が疲れた顔で新幹線に揺られてる場面。添削では、三段切れを解消するために情報を絞っています。ただ、原句に描かれた疲労感はなくなって、むしろ希望に満ちた句に変わっています。そもそも、「自分の目の隈」を視覚描写するのは無理なので、第三者の視点に立つことが必要ですよね。ためしに、目に隈の娘 車窓の若楓あるいは自分の顔を鏡に映して、鏡の目の隈 車窓の若楓としてみました。◇キスマイ宮田。眠る間にラムネの結露 本濡らすうたた寝の本をラムネに濡らしけり(添削後)夏らしくていい場面ですが、「結露」と「濡らす」は重複情報なので、添削では「結露」のほうを省いています。ただし、添削だと、瓶の結露で濡れたというより、ラムネをこぼしちゃったようにも見える。ためしに、吾子のうたた寝 本にラムネの結露としてみました。◇フルポン村上。若葉風 寝言は母国語の庭師いい場面ですよね。これで「1つ後退」とは、いくらなんでも厳しすぎるのでは?ちなみに「母国語」をオチにするならば、若葉風 庭師の寝言は母国語となるし、わたしならそうすると思う。先生は、季語を押し出すために、母国語の寝言 庭師へ若葉風(添削後)としました。ちなみに、「庭師に若葉風」ならクローズアップですが、「庭師へ若葉風」ならロングショットになります。添削では、前段との対比のために、あえてロングショットを選択したのでしょうね。◇梅沢富美男。縦横に斜めに 子らの昼寝かな子ら三人 昼寝縦横斜め逆(添削後a)園児らの昼寝 縦横斜め逆(添削後b)悪くない場面ではありますが、ほとんど一物仕立てだという気がするし、いつもながら「かな」の詠嘆がつまらないとも思う。とはいえ、添削した後も一物仕立ては変わってないし、人数情報って必要かなあ?という疑問もある。あえて「逆」とする面白さも、いまいち分かりません。ためしに、嗅覚や聴覚の情報を加えて、縦横に斜めに 昼寝の子のにおい縦横に斜めに 昼寝の子のいびきとしてみました。
2021.05.07
プレバト俳句。お題は「分別タイプのゴミ箱」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇東国原英夫。ユンボの一撃 花冷えのごみ屋敷すごい俳句ですね…。美しさとはまるで無縁の、むしろ暴力的で醜悪な場面を詠んでいます。東国原の手にかかったら、きっとゴジラが暴れてる場面でも、俳句にしてしまうんだろうなあと思わせます。◇梅沢富美男。春愁をくしゃと丸めて 可燃ごみ一物仕立てのようにも見えるのだけれど、主人公の動きもあるし、「くしゃ」という擬態語は心情も感じさせるし、ゴミ箱(もしくはゴミ置き場)も見えてきます。この場合の「春愁」とは《丸めたもの》の比喩ですが、具体的に何なのかというところに、想像の広がりも生まれます。紙かもしれないし、布かもしれないし、ビニール袋みたいなものかもしれません。花粉症の鼻水?文章を記した紙切れ?煩わしい手紙やダイレクトメール?スナック菓子の袋?汚れものや、断捨離で出てきた衣類?その想像の広がりも、一物仕立てとは感じさせない面白味なのかもしれません。
2021.05.01
プレバト俳句。お題は「ボトルガム」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇今週の名人2人はイマイチでした。梅沢富美男。球春や ベンチ入りするボトルガムいわく「擬人化がクサい」。まったく同感wフジモン。ガムを噛む子等とバス待つ 日永かないわく「直しはないがフツーの句」。これも同感ですwつぎ、がんばってね。◇いちばんよかったのは、3時のヒロイン福田でした。朧夜や 四つ目のガム 母まだか三段切れですが、さほど気にはなりません。先生は、直しの必要なしと評価しつつ、「もし特待生を目指すなら」ってことで、次のように添削してみせました。四つ目のガム 朧夜を母まだか(添削後)これで三段切れは解消されています。ただ、わたしは、この添削を見て「ん?」となりました。文法的に「朧夜を母まだか」が分かりにくいからです。2通りの解釈ができる。母が主語だとすれば、「朧夜を母/まだか」という形で、A:朧夜を歩いてくる母はまだだろうか。という意味になります。私が主語だとすれば、「朧夜を/母まだか」という形で、B:朧夜を、私は「母まだか」と待っている。という意味になります。たぶんBのほうで解釈すべきだと思うけど、かりにAのほうだとすれば、「朧夜」が直接見えているわけではないので、そのぶん季語の力が弱まるかもしれません。ちなみに、4個目のガム 母を待つ朧の夜のように直せば、文法的な迷いは生じないはずです。◇相田翔子。晩春や 座して止まらぬ筆とガム春夜ガム噛む ひたすらに 筆走らせ(添削後)この添削にも、同じように「ん?」となりました。やはり文法的に2通りの解釈ができて、春夜ガム噛むひたすらに / 筆走らせ春夜ガム噛む / ひたすらに筆走らせどちらで切るかによって、「ひたすらに噛む」にもなりえるし、「ひたすらに走らせる」にもなりえます。リズムの問題はともかく、春夜ガム噛む / 筆ひたすらに走らせとすれば、そのような誤解はありえません。◇キスマイ二階堂。春日傘 原宿からや NHK原宿からNHKへ 春日傘(添削後)ちょっと「や」の使い方が変でしたけど、二階堂にしては良い場面を切り取ったと思います。添削についていうと、わたしは「へ」より「を」のほうがいいと思う。原宿からNHKを 春日傘もしくは、原宿をNHKへ 春日傘ですね。◇中村ゆりか。去年の「ギルティ」のときの悪女っぷりが、強烈に脳裏に焼きついてるので、彼女が後列に座ってるだけで、ただならぬ色気が、もう気になって仕方ない。…てな話は置いといて(笑)。春惜しむ ガム食べ過ぎて味忘れガムの味薄るるごとく 春惜しむ(添削後)本人が言うには、「噛みすぎてガムの味が分からなくなる」ってことらしく、ちょっと理解しにくい内容なのだけど、わたしは、むしろ、「食後のガムで料理の味が爽やかに消えていく」みたいな意味にも読めると思ったので、ためしに、酒の味 ガムで忘れて春惜しむと直してみました。◇それはそうと、やっぱり怖すぎる中村ゆりか!
2021.04.24
NHKの「ニッポン印象派」という番組。今まで見たことなかったけど、はじめて「東京 春の宵」という回を視聴。中越典子のナレーションがとても素敵でした。こんなに知的な声の持ち主なんですね。◇梅、桜、月、街などを題材に、春の夕暮れから夜を詠んだ俳句を、たくさん紹介していました。春宵一刻しゅんしょういっこく値千金とはいうものの、春の闇は、ある種の狂気をはらんでいる。狂おしいほど美しくて、そこはかとなく寂しくて、心が彷徨って、息苦しくなる。そんな俳句が多かったです。日野草城暮れそめてにわかに暮れぬ梅林内野聖子香りきてあり処知る夜の梅夏目漱石同じ橋三たび渡りぬ 春の宵水田むつみ闇よりも花の霊気に踏み迷ふ高浜虚子目つむれば若き我あり 春の宵仙田洋子夜桜と濡れてゐるなり 恋ひつのり小林一茶春の月さはらば雫垂りぬべし三橋鷹女春の夢みてゐて瞼ぬれにけり鳴戸奈菜春の闇 瑪瑙めのうをひとつ孕みけりみるみる闇に落ちていく春の暮れ。梅の香りや、桜の霊気に憑りつかれて、漆黒のなかを彷徨い、同じ橋を何度も往ったり来たり。ぼんやり濡れているような朧月を見あげ、湧き上がってくる幻想に溺れて涙する。そんな風景が、時空を超えた映像になっていました。
2021.04.20
プレバト俳句。お題は「リュック」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇梅沢富美男。飯盒はんごうを逆さにしばし 揚げ雲雀ひばり飯盒を逆さに蒸らし 揚げ雲雀(添削後)飯盒を逆さにする理由が、若い読者には伝わりにくいだろうってことで、添削では「しばし」を「蒸らし」に置き換えています。実際、わたしも(若くないけど)、飯盒を逆さにして蒸らすことを知りませんでした。…とはいえ、「しばし」を「蒸らし」に置き換えてしまうと、だいぶニュアンスが変わりますし、どちらがいいのか判断しがたいところはあります。原句の「しばし」という言葉は、たんにご飯を蒸らす時間だけでなく、ほのかに心情的な要素を含んでいます。物思いに耽っている時間かもしれないし、心が無になっている時間かもしれないし、ささやかな安らぎを得ている時間かもしれない。添削では、そうした心情的な面を切り捨てて、ひたすら映像描写に徹しているともいえます。その意味ではドライな添削です。「しばし」の一語にこそ情感があるともいえるけれど、逆にいえば、「しばし」の一語に詩情を込めようとする安易さを、俳句としては慎むべきなのかもしれません。そこらへんは、かなり高度な判断を要しますね。◇石塚英彦。旅支度 真の雪解待つばかり旅支度整う 雪解待つばかり(添削後)原句では、「真の雪解」という表現のなかに、コロナ禍収束への願いを込めているのですが、結果として、季語が比喩になってしまっています。添削では、そうした比喩的な側面を切り捨てて、たんに春の一場面を描写した句に直しています。これも、やはりドライな添削ですね。◇鷲見玲奈。旅鞄枕に 寝て見る朧月朧月 旅の鞄を枕とし(添削後)寝ない枕があるんなら持ってこい!見ない朧月があるんなら持ってこい!…ってことで、「寝て見る」を省いた添削です。詩情そのものは悪くないように思ったんだけど、先生の評価は「添削しても辛うじて凡人」という厳しさ(笑)。わたしとしては、余った3音分に何かしらの追加情報を足して、もうすこし風景に具体性を加えれば、さらに詩情が増すんじゃないかと思います。ためしに、地名を加えて、旅鞄枕に 能登の朧月とか、あるいは、破調にして、鞄を枕に 朧月の異国としてみました。◇森口瑤子。花疲れ リュックの底の底に鍵このあいだ「リュックの底にチョコの染み」を詠んだばかりなので、またリュックの底ですかあ?! …というのが正直な感想。「底の底に」という表現に滑稽味があって、まあ、前回よりは出来がいいのかもしれませんけど。◇本上まなみ。ちびリュック中身はおむつ 山笑う彼女は文学的なセンスがありそうだし、予想どおり、うまく実体験を拾い上げてましたね。◇◇そういえば、梅沢の俳句で思い出したのですが、ヴォーン・ウィリアムズの「揚げひばり」という曲名を見て、ひばりの唐揚げのことだと勘違いした、って笑い話があります。たしかに「揚げひばり」って変な言葉ですよね。「昇り竜」のように「昇り雲雀」とでも言えば、そんな誤解もないだろうに。どうして「揚がり」という自動詞じゃなくて、よりによって「揚げ」という他動詞なんでしょうか?誤解が生じるのも無理はない。梅沢の俳句を見て、飯盒でごはんを蒸らしながら、雲雀のフライをかじっていると誤解する人だって、けっこういるんじゃないかと思います(笑)。
2021.04.19
プレバト俳句。お題は「あくび」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇勝村政信。公魚わかさぎの欠伸あくび 気づかぬ太公望太公望たいくつ 公魚の欠伸(添削後)なんだか玄人っぽい句だなあと思ったけど、かなり教養を要するファンタジーってこともあり、読んだだけでは意味が分かりませんでした。添削では「気づかぬ」が消されていますね。原句のほうは、「釣り人が気づかないから公魚も欠伸してる」という因果関係になってるのですが、添削では、そういう説明的な因果関係を消し去り、「退屈してる太公望」と「欠伸してる若狭」を並べて、たんなる映像の描写にしています。そのほうがファンタジーとしても分かりやすいですね。◇梅沢富美男。やわやわと陽のあくび巻く春キャベツおひさまのあくびを巻いて春キャベツ(添削後)やわやわしてない春キャベツがあったら持ってこい!…ってことで、上五は不要とみなされた添削です。この判断はちょっと難しいなあと思うけど、もともと、この句は、「キャベツが陽のあくびを巻く」という、かなり独創的な擬人化ファンタジーのうえに、どこに切れがあるのかも分かりにくくて、やわやわと陽のあくび / 巻く春キャベツと読んでしまったら、ちょっと意味が取れなくなる。その点、添削のほうでは、助詞の「を」が入ってるぶんだけ、だいぶ分かりやすいです。◇早見あかり。ええ?!早見あかりって、もうお母さんなの?!ラーメン好きな女子高生だと思ってたのに!!…てな話は置いといて(笑)。春暁の実家 オムツは三枚目春暁のあくび 三回目のオムツ(添削後)原句を読んだ瞬間、年老いた親のオムツの話かと思ってしまいました。やっぱり添削後のほうが分かりやすいですね。夜中もずっと赤ちゃんの世話をしていて、なかなか眠れない若い母親の姿が見えてきます。◇キスマイ宮田。花の宴 欠伸で潤む19時半花疲 あくびに潤む十九時半(添削後)これも添削のほうが分かりやすい。季語を変えるだけで、花見の終盤の情景なのだと分かります。原句だと、7時過ぎに仕事を終えてから、疲れ切った状態で花見に来たようにも見える。◇マヂカルラブリー村上。眠たさと手のひらに土 春の昼土手に手をついて 眠たき春の昼(添削後)これも添削のほうが分かりやすい。原句だと、農作業を終えて家に帰ってきたみたいに見える。
2021.04.10
プレバト俳句。春光戦の決勝です。お題は「じゃんけん」。上位3句は、添削もなくて申し分のない出来。下位の句も、なかなか面白い場面を切り取ってましたが、技術的には、先生の添削が圧勝。添削によって数段良い句になっていたので、おおむね納得感の高い内容でした。◇そんななかで、いくつか気になった点だけを挙げてみます。ひとつは、中田喜子の句。「ちょき」だす子 春の光を突き破るチョキで勝つ 子は春光を突き破る(添削後)作者が言うには、「突き破る」というのは、じゃんけんで勝った子が走っていく様子だそうです。でも、わたしには、その映像が見えません。このときフルポン村上は、「"チョキ" と "突き破る" は近い」と言ったのですが、じつは、わたしも似たようなことを感じました。子どもが走っているのではなく、チョキで突き出した2本の指が、春の光を貫いているように見えるのです。先生の添削の後でも、そのように見えます。かりに、そう解釈するのなら、添削の方向性もまた変わってくるだろうし、その場合は、助詞を「の」や「が」にしてもいい気がします。チョキで勝つ 子の春光を突き破るあるいは「や」の強調にしてもいいかもしれない。チョキで勝つ子や 春光を突き破る◇もうひとつ、気になったのが、村上の句です。けいどろの牢に鐘楼 花の寺けいどろの牢は鐘楼 花の寺(添削後)あきらかに添削後のほうが映像的だし、梅沢と先生の見解もこの点で一致していました。原句のほうは説明的な感じがするのですよね。…と、わたしも、いったんは思ったのですが、作者自身は、「けいどろの牢に鐘楼が使われてるのかァ…」と気づいた自分の驚きを表現するために、あえて「に」を使ったようなのです。そういわれてみると、たしかに村上の意図も理解できます。つまり、「に」という助詞を使うことで、「鐘楼や」と言ったときと同じような、ある種の感嘆の意味合いが生まれるのですね。「え?牢に鐘楼?!牢に鐘楼使ってるの?!」みたいな感じです。助詞を変えただけで感嘆の意味合いが生まれるんだとすれば、それは手法としてとても面白いと思います。ただ、いかんせん、読んだだけでは、そのニュアンスが伝わりにくいのですね。たんに「牢に鐘楼を使っていた」という説明に見えてしまう。そこが敗因だったのかなと思います。これが1位の可能性もあったというのですから、ちょっと惜しいですよね。ちなみに先生は、この件について、秋麗 チョコスプレーの淡き影秋麗 チョコスプレーに淡き影(添削後)の話を持ち出してましたが、わたしは、あの句の意味がそもそも分からないので、その議論の意味もまったく分かりませんでした。
2021.03.28
プレバト俳句。春光戦予選の後半です。お題は「きのこの山とたけのこの里」。お菓子の商品名です。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇やっぱり異彩を放ったのは東国原の句。買い食いを叱られて来し 末黒野すぐろのよあいかわらず異様な迫力です。ただ、先生いわく、「東国原にしては "置きに来た" 感も否めない」とのことです。わたし自身の感想をいうと、ちょっとバランスが悪い気はしました。というのも、末黒野の重みに対して、「買い食い」という罪が軽すぎる気がするし、あるいは、買い食いできるほどの経済的な豊かさが、末黒野の凄みに釣り合わない気もする。…まあ、兼題がお菓子だから仕方ないんだけど!たとえば、是枝裕和っぽく、万引きを追われ来たりし 末黒野よとでもやれば、釣り合う気がします(笑)。◇次に、ミッツ・マングローブ。当直のナース 息吐く夜半の春いかにもミッツらしく、働く女たちの夜の生態を切り取ってます。しかし、梅沢と先生いわく、「息吐く夜半の春」はちょっと誤解を招くとのこと。あまりにも艶っぽくて、もはや、お菓子食べてるレベルじゃない!もともとミッツから出てくる語彙が、そういうニュアンスをもってますから、それが必要以上の「読み」を誘発してしまったのです(笑)。ミッツの特性がかえって仇になったというか、平時の艶っぽさが裏目に出ましたね。◇つぎに、パンサー向井。花疲れ 臓腑に溶けるチョコレートいわば、「花より団子」ならぬ、「花よりチョコレート」って感じです。花の高貴さよりも、チョコレートの通俗性のほうに落としている。「そっちのほうが自分の臓腑には染みますよ」という庶民感覚をうまく出すことで、「花疲れ」という季語を、可笑しみと滑稽味をもって切り取っています。これが1位でした。梅沢は、最初から彼のことを推してましたが、わたしも、この人はけっこう上手いと思います。◇つぎ。いちばん分からなかったのが岩永徹也の句でした。どちらとも言えないに○ 双葉かな梅沢も「分からない」と言ってたけど、わたしも、これは分からない。よく平安時代の和歌なんかに、分かるような分からないような変な比喩とか、難解な掛詞があったりするけど、要するに、この句は、「選べないこと」を2枚の葉っぱに喩えてるんですか?つまり、この場合の「双葉」とは比喩ですか?だとすれば、まず季語として弱いですよね。なので、先生の添削では、とりあえず「双葉」を映像化しています。双葉萌ゆ どちらとも言えないに○…たしかに、これなら季語が立ってます。でも、これじゃあ、状況がまるで分からないし、たんなる意味不明な句だという気もします。◇もうひとつ、分かりにくかったのは、立川志らくの句。鷹化して鳩に ありし日の駄菓子屋鷹鳩と化し ありし日の駄菓子屋よ(添削後)すごく難しい季語なのですが、ここで「鳩と化した」のは、たぶん春の陽気とか、作者の気分なのでしょうね。でも、読んだ瞬間、「駄菓子屋は何に化したのかしら?」と考えてしまったので、ちょっと混乱しました。もしも駄菓子屋が、巨大なマンションにでもなってたとしたら、それはむしろ「鳩が鷹と化した」と言うべきなわけで。…そういう誤解はありえないんでしょうか?◇つぎ、春風亭昇吉。雛あられ 姪にひと粒ごとのおと「雛」と「姪」は微妙にかぶってるので、先生の添削では「姪」を省いて、雛あられ かじるひと粒ごとのおとという形になりました。ただ、わたしとしては、独身女がひとり寂しく食べてるように見えないかしら?という気がしないでもなく、もし重複を避けるのなら、「雛」のほうを消して「姪」を残すべきなのでは?とも思ったのですが、ただの「あられ」だけでは季語にならないので、その場合は別の季語が必要になるのでしょうね。ためしに、姪の歯のあられをかじりたる春やとしてみました。◇最後に、森口瑤子の句。遠足のリュックの底にチョコの染み切れ目なしのワンカット。わたしは単純に、上五を「遠足や」にすればいいと思ったけど、先生の添削は、(中七の助詞を「底の」に直した上で)下五を「染みはチョコ」に直すという解決法でした。いっぽう、梅沢は、「語順を変えればいい」と言ってたのですが、はたして梅沢ならどのように語順を変えたのでしょうか?それが、ちょっと知りたかったです。
2021.02.27
プレバト俳句。春光戦予選の前半です。お題は「ウニ(海胆/雲丹)の軍艦巻き」。今回は…正直なところ、全体的にピンとこなかったです!(笑)ピンとくる句が少なかったし、先生の添削もパッとしなかった。添削後の作品で選ぶとすれば、寿司桶洗う 祖母を荼毘せし夜の春(篠田麻里子)休業とあり 春塵しゅんじんの格子戸に(皆藤愛子)の2つが良い句だなと思ったけど、それ以外の句は、原句もピンとこないし、先生の添削もパッとしなかったです。◇まずフジモン。流星群いくつか海に堕ちて海胆…これが1位になる理由が分からない。海胆を見てるんですか?流星群を見てるんですか?屋外で両方見てるんですか?それとも100%のファンタジーですか?悪い句とまではいわないけれど、たぶん何も描写することなく、ただ頭のなかで想像しただけの世界。これが俳句として高く評価できる?せいぜい3位ぐらいの句では?追記:トゲトゲの海胆を「星型」と見た幻想句でしょうが、殻つきの海胆を見た子供に聞かせた御伽噺と解釈すればよいのかも。◇つぎ、馬場典子。一貫の海胆 縄文と令和を繋ぐこれも半分以上はファンタジーです。実際に見ているのは「一貫の海胆」だけ。先生の添削も、どういうことなのかよく分からないけど、海香る 縄文の海胆令和の海胆(添削後)もはや軍艦巻きはどこにもなく、ただ浜辺に立ち尽くしてる海女さんの句です。◇つぎに、中田喜子。艶めきて 海胆握る指和なぎのごとこれも3割ぐらいはファンタジーです。指の動きが「凪」みたい(?)だそうです…。まず上五の「艶めきて」という言葉が、「海胆」に掛かってるのか、「指」に掛かってるのか。そこが不明瞭ですよね。追記:文型的には、海胆を握る指が和ぎのように艶めいているの倒置に見えるのだけど、「和ぎのように艶めく」ってのも意味不明なのよね。先生の添削だと、その問題は解消されています。和ぎのごと 海胆つややかに握る指「海胆をつややかに握った指」ってことなので、つややかなのは、指じゃなくて海胆です。しかし、そうなると、今度は「和ぎのごと」という比喩が、何に掛かってるのかが分からない。海胆の比喩なのか、つややかさの比喩なのか、それとも指の比喩なのか。追記:海胆をつややかに握る指が和ぎのようだの倒置だとすれば、指の比喩ですね。そもそも凪/和ぎみたいだという比喩は、「握る指」じゃなく、「握り終わってスッと動きが止まる様子」のことだと思うんだけど、その比喩自体が非常に分かりにくいと思います。むしろ比喩を使わずに、握る指しずか 海胆の色つややかぐらいじゃダメなんでしょうか。◇つぎに、キスマイ北山。花板に握らるる雲丹淋漓りんりたりこれは、いわゆる、「握らない板前の雲丹があるんなら持ってこいッ!」ってやつですね。「握らるる」の5文字は不必要だと思います。そこで、先生はこう添削しています。雲丹淋漓たり 花板のあざやかにだけど、これでは、時間の順序が逆じゃないでしょうか?花板のあざやかな手さばきが先にあってこそ、目の前に雲丹が差し出されるのだから。わたしだったら、花板の手さばき 雲丹の淋漓たりぐらいにします。あえて切れ字「や」を最後に置けば、花板の手さばき 淋漓たる雲丹やとも出来る。◇つぎ、キスマイ千賀。鈍色にびいろの漁船 ふちどる春北斗中七の「ふちどる」という描写が不正確ですよね。なので、先生はつぎのように添削しました。鈍色の漁船よ 青き春北斗この添削は、いちおう理解できます。おそらく経年変化の「鈍色」と、若い「青色」を対比してるんだと思います。ただ、わたし自身の好みでいえば、「春北斗」の後ろに形容詞をつけたい気がするので、鈍色の漁船や 春北斗高しぐらいにすると思います。◇つぎに、武田鉄矢。ウニ二貫 お先にどうぞと古女房どうやら先生は、「古女房」という蔑称と、亭主関白な価値観が気に入らなかったらしく、次のように添削しました。「お先にどうぞ」と女房 分け合う海胆二貫でも、これって、ちょっと誤解の余地がある気もする。a:「お先にどうぞ」と女房 / 分け合う海胆二貫b:「お先にどうぞ」と / 女房分け合う海胆二貫a のように区切れば、まあ、誤解はないんだけれど、b のように区切って読むと、まるで「女房を分け合っている」みたいです。誤解の余地をなくすには、「お先にどうぞ」と女房 海胆二貫分け合うとすれば解決するけれど、いずれにしても字余りが過ぎます。追記:ためしに、海胆二貫 さきに夫がひとつ食べとしてみました。◇つぎに、フルポン村上。海苔篊のりひびの等間隔に暮れかかるこの句は添削なしの2位でした。でも、これも、わたしとしては疑問が残る。a: 海苔篊の / 等間隔に暮れかかるb: 海苔篊の等間隔に / 暮れかかるa のように区切って読むと、「等間隔に暮れる」って何だよ!ってことになる。日が暮れるときは全体的に暮れるわけで、「間隔」もヘッタクレもないんだから。b のように区切れば、「海苔篊の等間隔に(あり)/(日は)暮れかかる」という意味だと理解はできるけれど、だとしても、ちょっと日本語的に無理があるのでは?追記:あらためて考えてみましたが、切れ目なしの一物仕立てと見れば、さほどの違和感はない気がしてきました(汗)。日は全体的に暮れるのだけど、視覚的には、ポツンポツンと置かれた海苔篊が、ひとつひとつ暮れかかっている様子が、印象派的に目に映ってるのでしょうね。本人は「デッサン」と言ってましたが。◇最後に、筒井真理子。海苔一帖いちじょう等間隔に刻みて春海苔刻む等間隔の音や 春(添削後)この先生の添削は、まあ理解できるんです。でも、わたしが思うに、そもそも「等間隔」というのは、切る「音」じゃなくて、海苔の「幅」のことなのでは?一帖(21×19cm)を何分割にするかって話ですよね。※正確には「21cm×19cm×10枚」で「一帖」だそうです。はさみの「チョキチョキ」いう音に間隔なんてないと思うし。「チョキン、チョキン、」だったら、多少の間隔はあるかなあ??
2021.02.19
プレバト俳句。お題は「焼肉」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇キスマイ北山の句だけが、異様に印象に残りました。春の闇 肉焼き終える 22時これはワンランク昇格かなと思ったけど、残念!現状維持でしたね。たぶん本人にとっては、「22時」という時刻が発想の原点だったと思うし、この言葉は捨てられなかっただろうなあ。実際、その時刻ぎりぎりまで食べていたのでしょう。でも、かりにそうだとしても、たしかに「肉焼き終える」の表現は、ちょっと正確さに欠けるのですね。22時に「店を出る」ならOKだったと思うし、22時に「肉食べ終える」でもセーフだったような気がします。◇先生の添削は「時短営業要請」との前書きを入れたうえで、そそくさと 肉焼き食らう 春の闇というものでした。わたしの意見をいうならば、店内の状況を描くよりも、店を出たときの状況を描くほうが、「春の闇」という季語が生きると思います。なので、わたしはこうしてみました。22時閉店 春の闇へ出る◇◇ついでにもうひとつ、井手上漠くんの句の添削について。卒業焼肉 煙に泣いて 分かれゆくとなっていましたが、あえて「別れゆく」でなくて「分かれゆく」と書く理由があるのでしょうか?ちょっと不思議に感じました。
2021.02.11
プレバト俳句。お題は「加湿器」。「加湿器」が季語だとは知りませんでした!今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇今週は、原句よりも、むしろ先生の添削のほうが興味深かったです…(笑)まずは、梅沢富美男。みごと掲載決定になった句。春の雪 まだ現役の 鯨尺最初に読んだとき、中七の「まだ」という副詞が、ちょっと散文的な気もして引っかかりました。先生は、「まだ」は「なお」にしてもいいかもしれない、と言い、梅沢もそれに同意していました。…「まだ」と「なお」のちがい。辞書的な意味は同じです。英訳すれば、どちらも「still」です。でも、たしかにちょっとニュアンスに差が出ますね。これは、たぶん散文と韻文の違いじゃなく、意味合いの違いなのだと思います。強いていうならば、前者は「不足している」という消極的な意味合い、後者は「過剰している」という積極的な意味合い、って感じでしょうか?この違いを発見できたのが面白かったです。◇つぎに、貴島明日香の句。冬の風 母の手憶う 指のシワ(添削前)母の手を 憶う我が手や 冬の風(添削後)原句に対して、まず森口瑤子が、「手」と「指」の重複がもったいない、と言いました。さらに、梅沢富美男は、「憶おもう」なんて書くのは凡人だ、と言いました。じつにセオリーどおりの指摘です。ところが、先生は、なぜか「憶う」をそのまま残しました。さらに「手」と「手」を重複させました。これは、ちょっと予想外の添削です!その結果、原句とどう変わったのか。いろいろ考えてみましたが、おそらく「憶う」の主語が変わったのだと思います。原句では、「わたし」が(省略されてるけど)実質的な主語です。「わたしが母の手を憶っている」わけですね。これは感情表現です。一方、添削された句では、主語が「我が手」に変わっています。つまり、擬人化です。「我が手が母の手を憶っている」となっている。そして、これによって、感情の表現が、映像の表現に変化しています。これも、興味深い添削でした。◇最後に、森口瑤子の句。加湿器の 給水せよに 起こさるるこれを見るなり、まず梅沢が、中七の助詞は「に」じゃなくて「と」の方がよい、と言いました。たしかに「に」のままだと、映像描写なのか、擬人化表現なのか、曖昧です。これを「と」に直せば、明確な擬人化表現になります。本来なら、安易な擬人化は避けたほうがいいはずだけど、作者いわく、「夜中に加湿器に起こされてイライラした」とのことですから、その時点で加湿器のことを擬人化していたわけだし、だったら、それをそのまま表現するしかないですね。その場合、「目が覚める」のような自動詞だと擬人化にならないので、「起こす/起こされる」のような他動詞を使うほうがいい。そのうえで、助詞の「に」を「と」に変えれば、完全な擬人化になります。加湿器が 給水せよと 吾を起こす(添削後1)他方で、このような擬人化を避けるのであれば、給水ランプという映像を描写するか、もしくは「給水せよ」という情報(警報)を描写することになります。加湿器の 給水ランプに 起こさるる(添削後2)加湿器の「給水せよ」に 起こさるる(添削後3)ただし、この場合でも、「起こさるる」という他動詞には擬人化の要素が残ります。◇ちなみに、厳密にいえば、作者が夜中に目覚めてしまったのは、「給水ランプ」の点滅のせいじゃなくて、「給水ブザー」(空焚きブザー)の音のせいですよね。光の点滅ぐらいじゃ、ふつうは起きないと思います。…ここからは、わたしの考えですが、「いかに夜中のブザー音がうるさいのか」を言えば、擬人化の表現をまったく使わずに、主人公のイライラを表現することは可能じゃないかと思う。加湿器の 空焚きブザー 夜半に鳴るあるいは、思い切って感情語を用いて、加湿器の 空焚きブザー 夜半に憂しとしてもいいのかなと思いました。
2021.02.06
プレバト俳句。お題は「鏡」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇千原ジュニア。自画像に 手鏡も描く 春隣これは現状維持かなぁと思いましたが、結果は、1ランク昇格でした(笑)。「自画像のなかに手鏡まで描いちゃった」という滑稽味を切り取った句なのだとすれば、そのこと自体に季節感はないし、最後の「春隣」という季語は、なんだか取ってつけただけのような感じがする。季語の主役感が薄い。動詞に力点を置いて、「自画像に手鏡も描く」とするのは、散文的でもあるけれど、それ以上に川柳的な印象を強めるし、川柳っぽい印象が強まるぶんだけ、季節感が後退してしまう気がします。やはり、ここは体言止めにして、手鏡も描く自画像 春隣とするほうが、まだマシだなぁと思う。◇◇次、梅沢。あえかなる 鏡の色をして 冬日これもボツかなぁと思いましたが、結果はみごとに掲載決定でした(笑)。読んだ瞬間、鏡に映る冬の日の光景が「あえか」なのかと思ったけど、この場合の「冬日」というのは、冬の太陽のことですね。冬の太陽が、まるで鏡のように「あえか」な色だと。でも、そもそも「鏡の色」って何色なの?…おそらくは、みずから力強く発光する色ではなく、弱々しく反射するだけの色なのでしょうね。そこまで考えるのに、かなり時間を要しました。◇先生は、鏡の色の 冬日かなとするよりは今回の形のほうがいい、と言いましたが、それ以外にも、鏡の色となる 冬日鏡の色に似た 冬日などの形が考えられるし、さらにいえば、鏡の色のごと 冬日でもいいわけですよね。というのも、じつはこれって、痣の醒めゆくごと 朝焼けとソックリだと思うんです。ぶっちゃけ、太陽の比喩だけで勝負してる句ですから。本来は、「冬の太陽は鏡のような色だ」と考えるより前に、「鏡の色とは冬の太陽のようだ」という発想のほうが先にあるのでは?「痣の醒めゆくごと朝焼け」の場合もそうなんだけど、比喩するものと比喩されるものの関係を逆転させてる気がします。
2021.01.29
夏井先生が、去年の優秀10作品のなかに、梅沢の「痣の醒めゆく朝焼け」の句を挙げていたので、しつこいようですが、あらためてこの句について考えてみます。◇ ◇ ◇ ◇ ◇読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼この句は、文字どおり解釈すれば、◎ 読書体験を終えると、痣の醒めるような朝焼けが見えたという意味になります。しかし、じつのところは、そうではない!ほんとうは、◎ 痣のような読書体験から醒めると、朝焼けが見えたという意味なのです。◇そもそも、朝焼けを見たときに、「まるで痣が醒めるようだねえ」などと考える人はいません。かりにそんな変人がいたとしても、それに共感する人はほとんどいないと思います。しかも、以前も書きましたが、「痣が醒める」という動詞の用法がおかしいのです。正しい日本語としては「痣がひく」と言うべきです。◇この奇妙な表現は、比喩する言葉と比喩される言葉を、いったんバラバラに分解して、組み換えをおこなった結果として生まれたものです。本来、最初にあったのは、「痣のような読書体験」なのだと思います。読んだ本の内容が重くて、まるで心に痣を残すような体験をしたわけですね。そして、その本の世界から「醒める」のです。そのときの気分が、ちょうど朝焼けの風景に重なったのでしょう。これなら、動詞の用法としてもおかしくはないし、比喩表現としても、べつに変ではありません。◇言葉のバラバラ分解と組み換えをおこなった結果、ほんとうは「読後の心象描写」であったはずのものを、あたかも「朝焼けの風景描写」のごとくに装っている。これは一種のカムフラージュです。その結果として、「痣が醒めるような朝焼け」などという、世にも奇妙な用法と比喩が生まれることになったのです。これを、ひとつの詩の技法として評価すべきなのか。それとも、おかしな日本語表現として修正すべきなのか。やっぱり、わたしには判断がつきません。
2021.01.17
プレバト俳句。冬麗戦!お題は「輪ゴム」です。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇いちばん好きだったのは、フルポン村上。一月や ゴム動力の プロペラ機いつもなら、半径1mの視界を拾うのが得意な村上ですが、今回はめずらしく広々した遠景を詠んでます。ただし、同じ遠景とはいえ、フジモンあたりが詠む可愛くてポップで温かい遠景とは違って、どこか孤独で文学的でシャープな遠景になるのが不思議ですよね。ちなみに、1位になった森口瑤子の句も、風花へ しゅぱんしゅぱんと ゴム鉄ぽうってことで、やはり新春の冷たい青空にむかって、ピューンと飛んでいく清々しさが共通していました。◇もうひとつ印象的だったのは、東国原英夫。無影灯 下腹に冷たい何か以前から、この人の句は、不気味な皮膚感覚にうったえてくると思ってたけど、今回はまさに自身の皮膚感覚そのものを描写しています。本人は「麻酔後にメスが当たったような感覚」と言ってたけど、わたしは、これを読んで「病巣が冷たい」のだと思いました。ちなみに、これは、冬の風景を詠んだ句には見えませんし、やはり無季の句だろうと思います。◇4位に甘んじた梅沢富美男。鏡越し ロット巻く手や 春隣ロット巻く手や 春近き日の鏡(添削後)一見して、「春隣」の風情を詠んだ良い句だなあと思ったけど、こうして比べてみると、やはり先生の添削のほうが優っていますよね。たぶん梅沢は、「春隣」という季語から発想したのでしょうけど、その季語に固執するあまり、鏡越しに「隣」の人を見るというアイディアを、なかなか捨てられなかったのかもしれません。場合によっては、発想の原点になった季語をあえて捨てて、別の季語に替えなければならないのかもしれませんよねぇ。そこが難しいところです。◇ついでに、キスマイ横尾の句。七日の名もなき家事 パズルの樹氷七日 名もなき家事 ジグソーの一片(添削後)最初に原句を読んだとき、「名もなき家事」の意味が分かりませんでした。そもそも、炊事や掃除や洗濯のことを、「名のある家事」だなどと考えたことがないからです。「na」で韻を踏んでるのは分かるけど、まずはそこを直さなきゃいけないだろうと思しました。でも、先生はむしろ、この「名もなき家事」を残したまま、ジグソーパズルの映像のほうを描写し直したのですね。そうすると、あら不思議、誰にも知られることのない些細な片づけ作業という、「名もなき家事」の意味がすんなり入ってきます。これは、先生の添削に感心してしまいました。
2021.01.16
プレバト俳句。お題は「プレゼント」。今回は、…難しかったです!今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想。◇梅沢富美男。妻よりと 楽屋見舞いの 加湿器来これはボツだと思いましたが、結果は、掲載決定でした…(笑)。わたしは「と」と「来」がダメだと思いましたが、むしろ「と」と「来」が良い、とのことです…(笑)。いったい「と」と「来」があることによって、どんな効果があるのかというと、妻が楽屋見舞いを直接手渡したのではなく、第三者(配送業者?)を介して物だけが来た、ということですね。妻はその場にはいないけれども、作者は、加湿器を見て、その向こうに妻の顔を思い浮かべている。物だけが来た、ともいえるし、想いだけが届いた、ともいえる。それを「と」と「来」で言い表している。その味わいが高く評価されたのだろうと思います。◇加藤シゲアキ。セロファンの かりかりと鳴る 冬の朝冷たい冬の風が吹いて、壁から剥がれかけたセロファンが、パリパリと鳴っているのでしょうか?以前、梅沢の句に、暮れてゆく 秋の飴色 セロテープというのがありましたが、どちらの場合も、状況が不明瞭で、どこにセロテープがあるのか分からない。本人の説明によれば、「かりかり」というのは、包み紙のセロテープを剥がしている音だそうです。え?だったら、セロテープ かりかり剥がす 冬の朝とすべきなのでは?わたしは「凡人」かと思いましたが、結果は「才能アリ」の2位でした…(笑)。いずれにしても、セロファンの所在を明示する必要はないってことですね。◇小倉優子。クリスマス 鬼滅の柄の プレゼントこれが、今週の最下位です。たしかに凡庸といえば凡庸なのですが、「プレゼント」の中身を具体的に書けば、もっと高い点数をもらえたそうです。本人の説明を聞くと、おそらく包装紙が鬼滅模様だったのだと思いますが、だとしたら、クリスマス 鬼滅の柄の 包み紙とすればよいわけですね。…でも、これだと、すでに包みを開けちゃった後の場面のように見えます。もし、子供がプレゼントを受け取って、これから包みを開けようとする場面だとしたら、どう書けばいいんでしょうか?クリスマス 箱の包みは 鬼滅柄かなあ。◇◇東国原英夫ほしかもんはなか ジャングルジム冷たし本仮屋リイナ風の子を 見守る我ら 着膨れ隊この2句は、文句なく素晴らしかったと思います。とくに東国原の句は非凡です。◇◇升毅天心へ 未完の脚本ほんよ 寒オリオン脚本は未完 寒オリオン高し(添削後)菅原初代皸あかぎれ 割れる 強情我慢の 父譲り皸や 強情我慢 父譲り(添削後)かまいたち山内冬銀河 届きし箱に 夢を見る届きたる箱よ 冬銀河の夢よ(添削後)この3つも、原句は微妙だと思いましたけど、添削すると、いい句になりますね。
2020.12.17
プレバト俳句。お題は「ジーンズ」。なかなか素敵な句が多かったです。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇今週の1位は、ラランドのサーヤ。小銭鳴る 父の太もも 酉の市平仮名で「太もも」としたのは、父に対する幼い女の子の観点だからなのでしょうね。ちなみに、このサーヤって人、ぜんぜん知らない芸人さんでしたが、上智大卒で広告代理店勤務?!けっこうなエリートなのですねえ。見るからに頭がよさそう。水彩画も上手だったし。俳句のほうも、過不足がなくて整っています。◇でも、わたし的に、今週のトップと思ったのは、武田鉄矢の作品のほうでした。寒き喪の 列にジーンズ ひとりありたったの4音で「寒き喪」という場面描写が見事です。わたしは、一読して、「あばずれ息子」か「不良少年」のことなのだろうな、と思いました。家を出たっきりの不良少年が、父の死後になって戻ってきたのかもしれないし、あるいは、亡くなった人は、世間から見捨てられた不良少年に目をかけたりして、生前から慕われてたのかなあ…、とか。でも、実際は、あばずれ息子でも不良少年でもなくて、昔のフォーク仲間なんだそうです(笑)。要するに「不良老人」なのですね。ところで、この句には、先生の添削が入って、寒き喪の列 ジーンズの人ひとりと直されていました。んー。最後の「あり」が余計だった、という理屈は分かるのだけど、わたしは原句のほうが好きです。「ジーンズの人」と言うと、なんだか場違いな人物のようにも思えるし、「ジーンズひとり」のほうが孤高な雰囲気が出るので。◇3位は、河野純喜。「JO1」とかいうアイドルグループのメンバーだそうです。しるこ缶で ジーンズ摩る 冬銀河あら~!これは、すごくイケメンな俳句ですね!若者っぽく「シルコカン」って言い方とか、無造作にジーンズでこすったりする動作とか、そうかと思うと、ふっと冬銀河を見上げてみせる、ちょっと純な少年みたいな清々しさとか!隅から隅までイケメンな感じ(笑)。ちなみに、昔はジーンズでリンゴをこすったそうですけど、あれは何のためですか?水で洗う代わりですか?かたやホット缶でこするのは、やっぱり暖を取るためですか?乾布摩擦的な感じ?…さて、この句にも添削が入りました。手段の助詞「で」の説明くささを、どう処理するのかしら?と思ったら、汁粉缶で さするジーンズ 冬銀河という直しでした。つまり、助詞の「で」は残したままだったのですが、思うに、動詞(さする)ではなく名詞(ジーンズ)に力点を置くことで、手段を説明するような形を避けた、ということかもしれません。◇4位は、マキシマム・ザ・ホルモンのナヲ。ジーンズに 追憶のシミ 夏フェスのという句。描いた場面そのものは悪くないと思うのですが、先生の添削は、夏フェスの追憶 ジーンズのシミよってことでした。まあ、そうでしょうね(笑)。◇そして、今週の最下位は、山田純大。すき焼きを ベルト緩めて 皆競う最下位というだけあって、やれ「詩情が皆無」だとか散々な言われようでした。でも、まあ、場面そのものに面白味がないわけでもないし、「競う」「すき焼き」「緩めたベルト」という素材も、俳句にならないわけでもないんじゃないかな、と思う。…どう直したらいいかは分からないけど!先生の直しは、まずベルト緩めて すき焼きに参戦だそうです…(笑)俳諧といえば俳諧っぽいけど、これじゃ、あまりに身も蓋もないわけで…もうちょっと何とかなるのでは??ベルト緩めて すき焼きの鍋に集う緩めたベルト 競うすき焼きの卓ベルト緩めて 友とすき焼きの戦…とか?◇特待生の篠田麻里子。ジーンズの 聖地KOJIMAよ 冬の虹(添削前)ジーンズの 聖地KOJIMAよ 冬虹よ(添削後)前回の「黒鍵のエチュード」と同様、カギカッコは要らないと思ったので、勝手に消しました。今回は、「聖地」という言葉が余計だし微妙だし、きっと昇格は無理じゃないかと予測したのだけど、結果は、みごと昇格でした。意外。強い固有名詞が「聖地」という尊称と相殺しあって、結果的にはバランスもとれていて、季語も主役になっている、とのことらしいです。この理屈はなかなか難しい。添削された句を見ると、リズミカルに詠嘆を強めただけで、まったく印象が変わるほど良くなっています。…ってことは、やっぱり元の句がいいのかもしれませんね。◇梅沢富美男。馬の鼻 やわらかきもの 雪催いゆきもよい最初に読んだとき、「やわらかきもの」の意味が分かりませんでした。柔らかいのは何? と思ってしまった。そして、先生の添削は、雪催い 馬の鼻とは やわらかきというものだったのですが、ここで「とは」と来たのが意外でした。「とは」って何?!いままでのプレバトでは、あまり見たことがない。たぶん、きっと、「馬の鼻とはやわらかきものだなあ」という詠嘆を含意しているのですね。篠田麻里子の添削句もそうでしたが、全体として、映像よりも感情の要素が強くなっています。これも珍しいことじゃないかと思いました。
2020.12.04
プレバト俳句。お題は「箱根の紅葉」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇小手w才能あるじゃんwwwアートと文芸の両方で「才能アリ」?!意外とやるじゃん!(←長澤まさみ風に)消しゴム版画の、あの洒脱な作風は、三谷幸喜風ですか?もっといえば、和田誠風?オシャレじゃん!見かけによらずwwwなるほどなあ、って感じでした。◇◇さて、今回の俳句は、三段切れの作品が複数ありました。黒たまご/ほのめく硫黄/冬の風(小手伸也)真珠婚/妻の手の染み/冬紅葉(梅沢富美男)莢蒾がまずみの実/行きつけスナック/愚痴る(キスマイ二階堂)離れた手/秋の夕焼け 影映す(髙橋ひかる)小手は三段切れでも70点!梅沢も、素材自体は悪くないし、二階堂も、やろうとしたことは面白かったと思います。髙橋ひかるの句は、意味のうえでは、三段切れではないのかもしれません。先生の添削は、冬の風 硫黄ほのめく黒たまご手の染みも愛し 紅葉の真珠婚莢蒾の実や スナックにこぼす愚痴離れたる手と手 秋夕焼の影…となっていて、三段切れを避けているように見えます。やっぱり、切れを一か所に絞るほうが、主役が際立つし、構成が明快になりますよね。◇ちょっと気になったのは、「スナックにこぼす愚痴」という表現。いつものように、助詞の「で」は排除されていますけど、さすがに、ここは「で」を使ったのほうがよいのでは?という気もする。まるでスナック菓子に愚痴を言ってるように見えるから。場所を示す「で」を用いて、莢蒾の実や スナックで愚痴こぼすとやれば、やや説明くさいけれど、そのような誤解の余地はありません。さもなくば、「居酒屋にこぼす愚痴」とやるしかない気がします。◇ちなみに梅沢は、先週の、何度目のオセロ 薄目のこたつ猫がよかったですね!清水ミチコ箱根路や 車窓に 忘れきし紅葉箱根路の 紅葉置き忘れし車窓橋本直(銀シャリ)谿紅葉 窓寄り気づき 色個性車窓過ぐ 濃きも薄きも 谿紅葉立川志らく強羅のもみぢ 宙に浮くマリア像マリア像うかべ 強羅の山紅葉
2020.11.27
プレバト俳句の金秋戦。ここのところ、ブログ更新をサボりがちでして、2週分をまとめます。お題は、先週が「ポンプのノズル」、今週は「7時過ぎの時計」です。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇わたしの目にとまったのは、いずれも女性の句でした。まずは先週の筒井真理子の句。玻璃越しの稲妻 湯の中の乳房(添削前)玻璃越しの稲妻 湯に白き乳房(添削後)思えば「黄身ゆるやか」の句もそうでしたけど、ある瞬間の映像が、ゆらゆらとした時間のなかに持続してるような、そんな不思議な感覚が面白いです。客観的な時間ではなく、独特の内的な時間の感覚があると思うのです。ちなみに、わたしなら、玻璃越しの稲妻 ゆらぐ湯に乳房としたかも。本人が「稲妻で湯が揺れたような感じがした」と話してたので。◇そして、今週の森口瑤子の句。秋てふや 夢の途中に 時計鳴る(添削前)秋てふや 夢の途中を 鳴る時計(添削後)夢の中に季語があるという不思議な句です。これもまた、一瞬の出来事が、ゆらゆらとした時間のなかに持続しています。これって女性特有の感覚なのかもしれませんね。◇もうひとつ、中田喜子の句。婚破れ 振子響くや 夜半の秋(添削前)振子音響く 婚破れし秋夜(添削後)これは、(ちょっと気の毒ではあるけど)なかなか味のある場面だなと思いました。技術的にいうと、「婚破れ」は、映像というより説明なので、やや散文的というか小説的な描写になってるのだと思います。やはり添削後のほうが映像的なのですね。わたしとしては、前後を逆にして、婚破れし秋夜 振子音の鳴る としたいのだけど、それでも語順は散文的でしょうか?◇…ところで、今週は、文学絡みの句が2つありました。まずは立川志らくの句。谷崎のエロス 潤目鰯の骨(添削前)谷崎のエロス 潤目の骨○○○(添削後)先生の添削は、○○○に好きな言葉を入れろとのことでした。わたしとしては、あくまで谷崎っぽくしたかったので、味覚や触覚の要素を入れたほうがいいなあと思い、谷崎のエロス 潤目の骨にがし としてみました。エロスのなかにも苦みは必要なので(笑)。◇そしてフジモンの句。月光の ひとつぶ受信 電波時計(添削前)月光のひとつぶ 電波時計○○○(添削後)これは、わたしが勝手に「稲垣足穂だろっ!」と思ったのです(笑)。これも○○○に好きな言葉を入れろとのことだったので、足穂っぽく機械仕掛けにするなら、月光のひとつぶ 電波時計カチリ「光一粒ごとに一秒進む」みたいな空想なら、月光のひとつぶ 電波時計すすむって感じでしょうか。◇さて、タイトルを獲得した千原ジュニアの句について。痙攣の 吾子の吐物に 林檎の香たしかに、「季語は林檎です」といわれるのは抵抗があります。これは、やはり無季の句として味わいたいですね。吐物まで林檎の爽やかな香りがするような、赤ちゃんの体の匂やかさが、この句の主役だと思います。◇最後に、わたし好みの句を、あと2つほど。梅沢。火恋し 形見の竜頭 巻く深夜横尾。流星のターミナル 三分で蕎麦「流星」が秋の季語だとは知りませんでしたが、どちらも寒い夜のしんとした雰囲気がいいと思います。◇…正直にいうと、先週は、いまいちピンとこない句が多かったです。「チョコスプレーの影」(村上)とか、「手の平で霧をアメ玉みたいに受け止める」(ミッツ)とか、「空ポンプのノズル音に秋を感じる」(馬場典子)とか、発想自体がよくわかりませんでした。中田喜子泡ポンプの英知 秋天を仰ぐフルポン村上秋麗 チョコスプレーの 淡き影(添削前)秋麗 チョコスプレーに 淡き影(添削後)馬場典子空ボトル ノズルは律の調かな(添削前) 液切れの ノズルに律の調あり(添削後)ミッツ・マングローブ飴貰うごと 狭霧に手広げし子(添削前) 飴貰うごと 狭霧に両手 広ぐる子(添削後)春風亭昇吉コロナ禍の ハンドジェルにも 深む秋(添削前) ハンドジェル 揉み込めば秋 深みゆく(添削後)ABCZ河合秋風の終電 マイバッグの梨キスマイ千賀夏の海を描く スプレーの秋思震源の時計台 無音の夜長時計台無音 震源地の夜長三遊亭円楽弁慶が時計している村芝居弁慶は 時計したまま 村芝居千原ジュニア痙攣の吾子の吐物に林檎の香
2020.11.13
プレバト俳句。金秋戦の予選はじまりました。お題は「ピアノ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇いちばん好きだったのは、篠田麻里子の句。秋の夜 黒鍵のエチュードに挑む(添削前)黒鍵のエチュード 秋の夜を挑む(添削後)曲名のカギカッコは要らない気がしたので、勝手に消しました。すみません。全体の黒のイメージが素敵です。ショパンの曲はひたすら技巧的な練習作品だけど、半音階で奏でる曲想のなかから、夜の憂いも立ち上がってくるようでお洒落です。添削前と添削後、わたしは、どちらでもいいかなぁ…。というより、それぞれ味わいが違う気がします。添削前のほうは、散文的ではあるけど、季語が主役として立ってる。添削後のほうは、曲名の印象が強くなるので、ちょっとサスペンスフルになってる気がします。動詞の「挑む」にかんしても、添削前のほうは、たんに「技術的な練習」という意味合いだけど、添削後のほうは、「夜を挑む」という表現が、なにか別の意味合いを生み出してる気もするし、ショパンの曲はBGMのようにも見えてくる。◇キスマイ横尾。休暇明 アルトのビブラート 太し「変声期」を詠んだ句だとは思いませんでしたけど、夏休みを過ごした若者の逞しさみたいなものが、なんだかとても眩しくて羨ましい。◇キスマイ北山。五指跳ねる秋や 英雄ポロネーズ(添削後)読んだだけで「英雄ポロネーズ」が聴こえてくるようです。物悲しい秋じゃなくて、敢然として躍動的な秋というのも、なかなか素敵です。◇岩永徹也。色のなき風や ボカロのラブソング(添削前)色なき風や ボーカロイドのラブソング(添削後)無味乾燥な秋風とボカロのサウンドを「並置」した句。デジタルサウンドでアナログな世界を描いた音楽作品のようにも読めます。一方、先生の言うように、古代・中世の季語の世界と、近未来的な技術の世界とを「対置」した句だととらえると、また見え方が違ってくる。時代をこえて双方が響き合ってるようにも見えてきます。そういうコントラストを詠むのなら、添削後の形のほうがいいですね。◇パンサー向井秋日和 猫眠るため在るピアノ(添削前)猫眠るためのピアノよ 秋の日よ(添削後)季語を「秋日和」にしたかった気持ちが分かります…。でも、添削後のように、あえて「秋日和」とは書かずに、読んだ人のなかで秋日和を感じる仕掛けにするほうが、正解なのでしょうね、きっと。◇皆藤愛子秋渇き ピアノに映る 二重顎(添削前)二重顎 映せる秋のピアノ 嗚呼(添削後)「秋渇き」という季語を使おうとして、そこから発想した場面なんだろうなと推察します。それだけに、この季語を最後まで捨てられず、かえって足を引っ張られてしまったのでは?いずれにしても、だいぶ川柳的な味わいの句。先生が言うのとは逆に、むしろ添削後のほうが滑稽味と自虐性を増してる気がします…。◇千原ジュニア鍵盤図 弾く兄の背や 秋の暮(添削前)鍵盤図 弾く兄の背に 秋の暮(添削後)表現としては、たしかに添削後のほうが上ですが、あまりにわびしさが強くなりすぎて、なんか辛いです…(笑)。添削前のせいじの背には、まだしも逞しさがあるけど、添削後のせいじの背には、もはやわびしさしかない(笑)。◇森口瑤子ちゑさんの 被爆ピアノや 秋はきぬうーん。なんかもう句として出来過ぎてるのか、それとも自分の体験の引き出しが無いからなのか、なんの言葉も出てきません…。五指跳ねる 英雄ポロネーズ弾く秋
2020.10.30
プレバト俳句。お題は「秋の電車」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇レイザーラモンRG。寝見過ごす 野山の錦に まず詫びろ本家をしのぐカブキ者のド派手な俳句(笑)。かなりキワモノ的、クセモノ的です。「寝過ごす」と「見過ごす」を、力まかせに合体させた三重複合動詞?歌舞伎の舞台の絢爛な背景画みたいな場面を、七五調で見得を切るセリフみたいに詠んでますよね。ケレン味を打ち出した目新しい作風かも。かりに問題があるとすれば、中八・下五が映像じゃなくて台詞だということ。そのため、野山を見ずに通り過ぎてしまったようにも読める。セオリー通りに、全部を映像化して、意味を明確にするのなら、窓見れば 野山の錦 われ土下座(詫びるというより、ひれ伏してます。お座敷列車で。)のようにしたほうがいいのだろうとは思います。◇本家の市川猿之助は、まったく対照的です。どっちが歌舞伎役者だか分からない(笑)。蚯蚓鳴く 母の車の待つ駅舎(添削後)ケレン味どころか、まったく地味で寂しげな句だけど、この静かなイメージは個人的に好みです。ちょっとエドワード・ホッパーの絵を思い出しました。◇皆藤愛子も、静かな夜の句です。終電を待つ 二の腕に 蚊の名残「終」「待つ」「名残」が調和してる、という先生の指摘までは読み切れませんでしたけど、たしかに全体に統一的なムードがあります。「蚊の名残」という季語があるのですね。最初は「刺し痕の名残」の意味かと思いましたが、あくまで「夏の名残」という意味合いなのでしょうね。◇梅沢の句。雀色時を列車や 芒散る(添削後)電車じゃなくて列車です。何となくイーハトーヴの鉄道みたいで、ファンタジックな風景だなと思いました。朝寒もコートつり革両手持ち/左手に吊革右手にはコート/恋紅葉眠るあなたへ辿り着く/窓紅葉電車に眠る君見つむ/駅舎に停まる母の車蚯蚓鳴く/芒散る雀色時つく列車
2020.10.23
プレバト俳句。お題は「トランプ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。5人中3人が「才能アリ」というハイレベルな戦いでしたが、わたし的には、これというほど好みの句はありませんでした。◇1位はパンサー向井の句でした。「 J 」を「ジャック」と読ませて、秋あわれ 手札のJ 無愛想作者に似合わず、クールでカッコいいと思います。季語との取り合わせについては、わかるようで、わからないようで、ちょっと微妙なんだけど、どこかしら"わびさび"のような美学も感じます。◇名人5段に昇格した中田喜子の句。虫の闇 ジョーカーの影 動きをりこれは、あまり良さが分からなかったのですが、「トランプの句」というより、「ホアキン・フェニックスの句」なのでは?◇ミス東大の上田彩瑛。台風の羽田 ババ抜き百回戦素直で無邪気な句だと思いますけど、これが東大生の行動かと思うと、若干バカっぽくも見えてきます(笑)。◇添削込みでいうなら、3時のヒロイン福田の句が、いちばんわたしの好みでした。稲妻の卓や 手札に鬼一つ(添削後)サスペンスドラマの一場面みたいで、なかなかに鮮烈ですよね。◇同じく添削後でいうなら、河合郁人の句も、味わいがあって好きです。おばあちゃんとトランプ 夜更かしの林檎(添削後)破調で18音。これはほぼ先生の句ですけど(笑)。◇今回、ちょっと気になったのは、「中八」の句が2つあったことです。橋本良亮合宿の 夜長やババ抜き 三連敗本田望結稲光 ジョーカー引かせた 母の笑み(添削後)梅沢がいれば、すかさず「字余り」だと指摘するところですが、今週は梅沢が不在でしたし、先生もとくに中八には言及しませんでした。正直なところ、中八というのは、さほど「破調」という感じはしないし、わたしは「準定型」ぐらいに感じるのですが、実際のところはどうなのでしょう?音楽でいうなら、休符の部分を音符で埋めたような感じで、全体の拍数は変わらない気がします。夜更かしの林檎や祖母と七並べ/稲妻や揺るる手札に鬼一つ/稲光ババ引いたパパハハの笑み
2020.10.16
前回の補足です。いくつかの、東大生たちの俳句に疑問を感じたのですが、誤解を避けるために言うと、けっして作品そのものは悪くありません。作品だけを見るかぎりは、とても良い句だなと思います。しかし、作者自身の説明を聞くと、俳句に描かれている情景とは何か違っていて、思わず「?」となってしまうのです。◇下の3句は、いずれも東大生の句です。無線絶え 耳に風 見上げ、月(木瀬哲弥)封筒の刃痕や ボンの月の暈(鈴木光)休暇果つ ノートに新規性ひとつ(鶴崎修功)木瀬哲弥の句は、遭難したときの情景だと解釈すれば、じつにリアルな描写だと思うのですが、「ワイヤレスイヤホンの電源が切れたときの句」という本人の説明を聞くと、思わず「?」となります。鈴木光の句は、ドイツで大事な手紙を読んだ直後の情景だと思えば、とてもシャープな印象があって良いのですが、「日本でドイツのことを思い出してる句」という本人の説明を聞くと、ちょっと「?」となります。鶴崎修功の句は、休暇中の充実した時間のなかで、期せずして学術的発見ができた時のことなら、じつに面白いと思うのですが、「休暇中もひたすら論文制作だけに打ち込んで、 やっとのことで新規性を一つひねり出した句」という本人の説明を聞くと、やや「?」と感じてしまいます。◇かならずしも、実体験に即している必要はないのでしょうが、本人が表現しようとした内容と、実際に言葉で表現された内容が喰い違うのは、ちょっと、どうなのか。まあ、「結果オーライ」と考えれば、それでいいのですけど。蛇足ですが、過去のフジモンの句に、秋月や パリの封筒 切るナイフ(添削後:月清か パリの封筒 切るナイフ)というのがあったそうです。鈴木光の句は、これに似てましたね。◇ついでながら、梅沢の「飴色セロテープ」の句を、自分でちょっといじってみました。・秋の夕 壁の飴色セロテープ・秋風に写真 飴色セロテープいずれも「壁に貼ってある」という前提ですが、夕日を浴びているセロテープと、風ではがれそうになってる写真のセロテープです。
2020.09.27
プレバト俳句。インテリ&東大王3時間SP。「林修の名人認定査定」「プレバトvs東大王 秋の他流試合」という2本立て。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、後半部分の他流試合についての個人的な感想です。お題は「文房具」でした。◇わたしとしては、岡本沙紀の句がいちばん良かったです。シャー芯を ストンと補充 秋高しここで詩情を生み出しているのは、「ストン」という音と、「秋高し」という季語なのですが、その気持ちのよさや清々しさが、うまく響き合っていると思います。でも、それ以上に見事なのは、「シャー芯」と「補充」という表現です。言葉の経済効率がすごくいいですよね。「シャー芯」というだけで、主人公が若者(たぶん中高生)だと分かるし、「補充」というだけで、何かに備えて準備していると分かってしまう。つまり、たった2つの単語だけで、試験前や受講前の中高生だと分かってしまう仕組み。それが分かると、「ストン」という音や、「秋高し」という季語が、たんに気持ちのよさや清々しさだけでなく、青春らしい若々しさとか、自信とか希望まで伝えてきます。◇次。ちょっと違和感を覚えたのが、鶴崎修功の句です。休暇果つ ノートに新規性ひとつ「ノートに新規性ひとつ」は、オリジナリティがあって面白いと思うのですが、「休暇果つ」の意味合いが、いまひとつ分かりません。そもそも、これが季語だとは知らなかったのですが、「夏休み明け」を意味する秋の季語だそうです。わたしが分からないのは、ここでの「休暇」の意味合いです。作者の説明を聞くと、「休暇中なのに発見ができた」という意味ではなく、「休暇中にかろうじて一つ発見ができた」という意味であり、さもなくば、「休暇中なのに一つしか発見できなかった」という意味なのです。つまり、「休暇」とは言いながら、この作者は、ちっとも休んでいないのです。そこにこそ面白さがあるのかもしれませんが、わたしは、むしろ、そこに違和感を覚えます。そもそも、読んだだけでは、「発見できた」と喜んでいるのか、「発見しきれなかった」と悔やんでいるのか、作者の心情が見えてきません。本来なら「休暇果つ」という季語は、これから学業や仕事が始まる季節を表すのでしょうけれど、作者の場合は、まったく逆で、「学業に専念すべき期間が終わった」という意味で使っている。大学院生は(というより日本人は)、そもそも休暇中に休まないという前提があるのかもしれませんが、そうだとしたら、「休暇」という言葉の本来の意味も、「休暇明け」とか「休暇果つ」という言葉の本来の意味も、薄らいでしまうどころか、まったく逆転してしまいます。そのことを肯定的に評価できるのかどうか、それが、わたしには、かなり疑問です。◇鈴木光の句も、ちょっと分かりにくかったです。封筒の刃痕や ボンの月の暈「ボンの月の暈」という表現は素敵だし、いかにもドイツっぽい情景だなと思います。わたしが分からないのは「封筒の刃痕」のほうです。そもそも、わたしには、主人公がドイツにいるのか、日本にいるのかが分からない。作者の説明によると、日本にいて、ドイツを思い出しているのだそうです。つまり、季語をふくむドイツの光景は、現在の映像ではなく、作者の記憶のなかの映像なのです。その時点で、季語の鮮度が一段落ちています。それは、まあいいとして、とにかく作者は、封筒を見てドイツを思い出したらしいのですが、それを思い出させたのは、「封筒の文字」でもなければ、「封筒の色や香り」でもなく、不思議なことに「封筒の刃痕」だというのです。これがわたしには分からない!「刃痕」だけで何かを思い出せるものでしょうか?日本とドイツでは「刃痕」が違うのでしょうか?ハサミで切ろうと、ペーパーナイフで切ろうと、刃痕なんて、さほど変わらない気がしますが。それとも、ドイツで封を切った当時の心境が、なにか特別なものだったのでしょうか?ドイツで悲しい失恋でもして、ぷるぷる震えながら、その封を切ったのでしょうか?あるいは、なにか重大な通知でも受け取ったのでしょうか?よほどの緊張や、不安や、悲しみでもなければ、「刃痕」を見ただけで何かを思い出すなんてことは、そうそう無いだろうと思います。すくなくとも、わたしは、封筒の切り口を見ただけで、「刃痕や!」というほどの感興を覚えたことはありません。むしろ、日本でドイツを思い出しているのではなく、現在、主人公がドイツにいて、たった今、重大な封筒を開けたばかり、と解釈するほうが、「刃痕」のリアリティも強まるし、季語の「月の暈」の鮮度も上がると思います。◇次に、フジモンの句。秋雲に名をつけ 窓に貼る付箋いつものとおり、可愛らしい句ですよね。これを見て難しいなと思ったのは、「窓に貼る付箋」の語順です。「窓に付箋 貼る」ともできるし、「付箋 窓に貼る」ともできますよね。貼られた付箋のことを言うか、付箋を貼っていく行為のことを言うか、それによって語順が変わると思いますし、あるいは、これから貼る付箋のことを言うか、次々に貼られていく付箋のことを言うか、すでに窓に貼られた付箋のことを言うか、それによっても言い方が変わると思います。1枚の付箋なのか、たくさんの付箋なのか、それによっても違ってくるかもしれない。どれが正解か分からないけど、わたしなら「窓に 付箋貼る」としたかも。◇最後に、梅沢富美男の句。暮れてゆく 秋の飴色 セロテープ夏井先生は、この句をたいそう褒めていました。でも、(志らくも言ってたけど)どこに貼られたセロテープなのかを言わないと、ちょっと映像の具体性に乏しいと思いました。わたしとしては、うまく上五のなかに季語を組み込んで、「壁の飴色セロテープ」にしたほうがいいと思います。
2020.09.25
プレバト俳句。お題は「たまご」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。特待生の昇格査定ってことで、作品そのものもハイレベルだったけど、先生の査定もそうとうに難しかったです。◇いちばん驚いたのは、筒井真理子の句です。長き夜や 黄身ゆるやかに 殻を離る(添削後)これは、もはや、半径50㎝の句というより、高速カメラや顕微鏡で見るような微視的な映像ですね。しかも、不思議なことに、夜の長い《時間》と、卵が落ちていく一瞬の《時間》が、作者の感覚と記憶のなかで等価になっている。こういう俳句の表現があるとは驚きです!でも、それはあくまで、作者と先生の説明を聞いてはじめて分かったことで、正直、最初に読んだときは、自分の鑑賞力がまったく及びませんでした。どんな詩情があるのかも分からなかったし、それがスローモーションの映像だとも分かりませんでした。この句に出会えたのが、今回の最大の収穫です。◇つぎに、ミッツ・マングローブの句。生ゴミ縛り 秋涼の 勝手口これも、かなり非凡だと思います!明示はされてませんけど、きっと主人公は「女」だと思わせる。そして、飾らない生活感だけでなく、どこか生々しいエロスも漂ってる。卑猥といったら言い過ぎだけど、女の裏の顔をさらすような、ちょっと露悪的ともいえるような、いかにもミッツらしい表現だなと思いました。◇つぎに、篠田麻里子。秋暁に 肘掛けで割る 茹で卵バスの座席と明示されてなかったせいで、「現状維持」との残念な判定でした。でも、わたしとしては、これはこれで味わうことができるし、とてもいい句じゃないかなと思いました。家の中で、徹夜明けで、小腹がすいて、「一息ついて茹で卵でも食べようか」って感じに読めます。そう読むとすれば、わたしの好きなタイプの俳句です。◇パックンの句。秋高し 二十ヤードの エッグトス梅沢が「置きにいった」と言ってたけど、たしかにカッチリした定型句です。でも、ちゃんと主役である季語の秋空が、鮮やかで清々しい映像のなかに描かれていて、非の打ちどころのない定型句だと思います。◇馬場典子の句。黄身混ぜる 汝も吾も真顔 とろろ汁(添削後)最初に読んだときは、「汝も吾も」がちょっとくどいと思いました。でも、あらためて読んでみると、それがトボけた滑稽味になっているのですね。「kimima」と「namo amo magao」で"m"の音が重なって、「tororo jiru」に"r"の音が重なって、しつこいくらいにリズミカルな響きも、その可笑しみを しれっとした味わいにまとめています。◇千原ジュニア。秋の朝 卵にゆでと 書かれけりこれは分からなかった…。わざわざ「書かれけり」というほどの感動が、読んだだけでは理解できません。そもそも、普通の家庭であれば、「ゆで」と書かれた卵は一年中あるのだし、べつに秋である必然性もありませんし、「ゆで」の文字を見つけたからといって、とくべつの感動もありません。「彼女が家に来たときに卵を茹でてくれた」という本人の説明を聞かないかぎり、作者と同じ感動は共有できないと思います。なので、これを1ランク昇格にした査定は、いまいち解せません。ちょっと「異議あり」です。ただ、先生が添削したとおり、上五を「朝や秋」と直せば、感動の焦点が「ゆで卵」ではなく、爽やかな「秋」のほうに移るのかもしれません。◇最後に梅沢の句。秋の灯に 透かす卵に 命ありボツでした。「秋の灯」が主役になっていないし、「命あり」は、映像というより心象でしたね。梅沢にしては、迂闊な失敗のように思います。長き夜や黄身ゆるやかに殻を離るる黄身混ぜる 汝も吾も真顔 薯蕷汁秋暁のバス 肘掛けで 割る卵電球に かざせる秋の 有精卵
2020.09.18
プレバト俳句。お題は「イヤホン」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。全体的に、なかなか面白かったです。イヤホンって、意外にドラマがあるんですね。◇まずはミスター東大くんの句。無線絶え 耳に風 見上げ、月今の若者は、ワイヤレスイヤホンの充電が切れることを、「無線が絶える」と言うのでしょうか?いやいやいや(笑)。やっぱりこれは、梅沢が言ったとおり、どこかで遭難したときの句でしょう。電波も届かない山中奥深くに孤立して、気がつくと、もはや風の音しか聞こえなくなっている。空を見上げると、冷え冷えした月だけが煌々と照っている。生死を超えて無の境地に達してしまった、極限状態での壮絶な句です(笑)。◇玉城ティナの句。蜩や イヤフォン外し 立ち尽くすやはり「立ち尽くす」はちょっと大袈裟な気もします。ヒグラシの鳴き声に立ち尽くしてしまう心境とは、かなりドラマティックな感じがしますよね。◇梅沢の句。口立ての カセットの声 秋彼岸添削されたとおり、「父の口立て」としたほうがいいと思うけど、いかにも梅沢らしい場面だし、これがボツになったのは惜しいですね。◇このほか、トリンドルちゃんの「君とあいみみ 夕月夜」も可愛いし、麒麟川島が、兄弟でイヤホンを分けて笑ったという「夜半の秋」も、なかなか悪くないと思いました。高畑淳子の「令和人」の描写は、俳句じゃなくて川柳でしたね。◇最後に、キスマイ横尾の句は、1ランク昇格だったけど、わたしには、ちょっと分かりませんでした。ヘッドホン外し はとバス 初紅葉音韻的に「ha」を重ねる面白さは分かりますが、そもそも、なぜヘッドホンを外すのか分からなかった。バスのなかでヘッドホンを外したところで、聞こえてくるのは車の走行音だけだろうし。横尾の説明によれば、「自分ひとりの世界から、外の世界へ意識を向け変えた」ということのようです。なるほどねぇ。車窓の視覚のほうに集中するために、聴覚への刺激を取り除いた、とも言えますね。でも、いまいち分かりにくい句でした。
2020.09.12
プレバト俳句。お題は「お箸」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。…いつも以上に難しかったです。◇奇しくも、梅沢と村上は、似たような句を詠んでいました。梅沢は「卵に箸で描いた の の字」。村上は「バターにフォークで刺した四つ穴」。どちらも、ちまちました目先の世界。見た瞬間のわたしの評価は、梅沢のほうが〇で、村上のほうが×でしたが、結果は逆でした(笑)。◇まずは梅沢。野分の夜 ほぐす卵の のの形先生の評価は、《上五》の情景と《中七・下五》の情景が、噛み合ってない、ってことのようです。梅沢としては、《上五》の不穏な激しさと、《中七・下五》のほのぼの感を、対比させたつもりなのだろうけど、「台風」と「のの字」の関係が、はたして重なってるのか、それとも対照的なのか、たしかに、そこは曖昧な気もしますね。◇さて、問題は村上の句。秋朝や バタにフォークの 穴四つたしかに、今あらためて読んでみると、いつもの村上らしい句だとは思うけど、最初にこれを見たときは、「一体どこに詩情があるの?」と思いました。これなら、まだしも、「卵に"の"の字」のほうが風情があるではないかと。同じ"村上つながり"で言うなら、たとえば村上春樹の小説の出だしに、>ある秋の朝、食卓に置かれたバターには、>フォークの穴が四つ開いていた。なんて書いてあるだけで、「オッシャレ~!」と思う人もいれば、「だからなに?」と思う人もいるという、まさにその感じ。きっと、バターを切り分けてくれた人の存在を、傍らに感じるべきなのでしょうね。でも、べつに独り暮らしでも、バターにフォークの跡ぐらいつくわけで…。◇さらに奇想天外だったのは、「バター」と書くよりも「バタ」と書いたほうが、生活感が薄まってお洒落に見える、との話。?!!わたしは生まれてこの方、そんなこと考えもしませんでした。え?「バター」と書くより、「バタ」と書いたほうがお洒落??いったい、いつの時代に、どこの地域で、そんな不思議な美学が発生したのかしら?俳句界だけのオリジナルな美学なのかしら?…と思ったけど、言われてみると、あら不思議、なんだかオシャレなようにも思えてきます(笑)。たしかに「バタ臭い」という言葉の由来を想像すれば、「バタ」という言葉には「舶来的」の意味合いがあったのかも。うーむ。かりに、「バタ」や「スプン」がアリなら、「チズ」や「フォク」などもアリなのだろうか?うーむ…。
2020.09.04
プレバト俳句。お題は「コンビニのホットスナック」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、全体的に難しかったです。なにが難しいって、やっぱり季語が難しい!◇まずはフジモン。イートイン 氷菓の子らの カルキ臭梅沢も言ってましたが、いかにもフジモンらしい元気な子供の句。でも、季節がずれてるとのことで現状維持。たしかに、もう9月ですもんねえ。あと1か月、いや2か月早ければよかったですね。そもそもフジモンの句はいつも夏っぽいのですが。◇その点、「才能アリ」と評価された3人は、ちゃんと秋の句を作っていました。かたせ梨乃。宵闇の ホットスナック 準備中難しいです。「宵闇」という季語の意味を知りませんでした。> 十五夜の名月を過ぎると、月の出は遅くなっていく。 > 宵の時刻の空の暗さをひときわ感じさせる言葉。だそうです。そもそも季語の意味を知らないと、「ひときわ暗い夜の寂しさ」という詩情が理解できませんね。いたるところにコンビニのある街を、車で移動しているだけの人間には、「宵闇」に対する感性も無くなってるわけですし。◇本田望結ちゃん。ビニール越しの「温めますか?」虫時雨これも難しい。若いのに、よく「虫時雨」なんて難しい季語を選びますね。> 虫が鳴き立てるのを時雨の音にたとえた言葉。だそうです。実際に雨が降ってるわけじゃないんですね。この季語も、今回はじめて知りました。◇大久保佳代子。秋高し 肉まんの湯気 食らう犬これはさすがに、わたしにも分かる句でした。秋の高い空に昇っていく湯気へ、勢いよく飛びつこうとする犬の興奮と食欲。でも、ふつうは、犬が肉まんに飛びついてるのを見ても、「湯気を食らっている」とは発想できませんし、フジモンも言ってたけど、「食らう」というオッサンじみた言葉づかいが、いかにも大久保らしいです。
2020.08.28
プレバト俳句。お題は「カレーライス」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇キスマイ横尾の句。とてもよかったです。遠雷の夜汽車 カカオの奴隷史社会性を感じさせる題材ではあるけど、ちゃんと季語が主役になってるのがいいと思う。遠い世界の歴史に思いを馳せている心境と、はるか彼方から夜汽車にまで轟いてくる「遠雷」のイメージが、うまく響き合っています。わたしの好きなタイプの、静かな印象の句です。カレーからカカオへの連想は、やや強引ですが、わたし的には、香辛料貿易→カカオ貿易の連想なら十分ありえます。◇一方、梅沢富美男はボツでした(笑)。ライスカレー 匙のすっくと氷水この句は、キスマイ横尾とは反対に、季語が主役になってないような気がする。どちらかというと「匙」が主役になっていて、季語の「氷水」は脇役になってしまってる感じ。わたしが思うに、匙が氷水で冷やされてることを強調すれば、もっと季語が引き立ったかな、と思います。それに加えて、「すっくと」という言葉も意味不明でしたね~(笑)。てっきりスプーンが御飯に突き刺さってると思った。これって世代の問題とかじゃなくて、たぶん表現そのものの問題ですよね。「すっくと」という擬態語は、ふつうは立ちあがるときの上向きの言葉だから、コップに下向きに差し入れてる様子とは、そもそもベクトルが逆じゃないかという気もします。わたしなら、冷水に匙の挿されり ライスカレーとやったかも。でも「挿されり」って変でしょうか?しかも「冷水」は季語じゃないようです…後日追伸。ためしに、ライスカレー 氷水には匙が銀とやり直してみました。「には」という助詞を使えば、コップの中にスプーンがあることも言えるのでは?と考えました。なおかつ、「カレーの黄色とスプーンの銀色」「ホットな辛さとクールな冷たさ」を対比した感じ。(昔のライスカレーって、さほど辛くないですけど)
2020.08.22
俳句って難しいです。◇前回の記事で、わたしは、「痣の醒めゆくごと 朝焼け」は、たんに比喩がフィードバックしているだけではないか?比喩されたものを比喩する側に反転させているだけではないか?との疑問を呈しました。じつは、これと似たようなことが、前に鈴木光が詠んだ句にもありました。例の「ギャロップのごと 牧開」です。もともと「ギャロップ」というのは、「馬の疾走」のことであり、「馬の疾走を擬した音楽」のことですから、「ギャロップのごと 牧開」というのは、「馬の疾走のような音楽のような馬の疾走」という意味で、たんに比喩がフィードバックして一周してるだけではないか?と疑問を感じたのです。くわしくはこちらです→https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202006270000/これと同じことが梅沢の句にも言える。かりに「痣が醒める」という表現が、「(夜の闇から)醒めるように痣が消える」ことだとすれば、「痣の醒めゆくごと 朝焼け」というのは、「夜の闇から醒めるように痣が消えるような朝焼」ってことで、やっぱり比喩が一回りしてるだけじゃないかと思うのです。これって比喩として意味をなしてるんだろうか?という疑問が湧いてくるのです。◇ただ、その一方で、わたし自身は、もうすこし肯定的に考えてもいます。たとえば、(ちょっと下手糞な例ですが)「馬の翔ぶごと 宇宙船」という表現があったとします。本来、馬というのは、「走る/駆ける」ものであって「翔ぶ」ものではありませんが、宇宙船のイメージのほうに寄せるために、駆ける→翔ける→翔ぶという連想によって、あえて「翔ぶ」という動詞を使ってみるわけです。(ちなみに「翔ぶ」というのは司馬遼太郎による当て字です)その背後には、「宇宙船が馬のようだ」という発想と同時に、「馬が宇宙船のようだ」という発想があります。その2つの発想を両側から寄せるために、使うべき動詞を交換して互いのイメージを接近させ、なかば強制的に比喩を成立させてしまうわけです。比喩が近すぎてはつまらないし、比喩が遠すぎてはピンと来ないわけですが、その《距離感》を調節するために、使うべき動詞や形容詞をあえて取り換えるわけですね。こういうことは、意外によくあるのではないか?むしろ比喩を作るときのひとつの技法じゃないか?って気がしないでもありません。◇…いずれにせよ、わたしには判断できませんが(笑)。
2020.08.20
…俳句って難しいですね。読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼この梅沢富美男の句を、わたしはとても面白いと思っていたのですが、他のサイトなどを見ると、批判的な意見もあるようです。どうやら、最大の問題は「痣が醒める」という表現にあるようです。この是非について、もはや素人のわたしには判断ができません…。◇前回も書いたように、これは「風景」を詠んでいるにもかかわらず、同時に「心象」をも詠んでいるような印象の作品です。そして、その印象は「醒める」という動詞によって実現しています。もしも、これが、「痣が醒める」ではなく「痣が消える」だったら、このような効果は生まれなかったはずです。読み終へて 痣の消えゆくごと 朝焼これでは読後の心象の比喩にならないばかりか、そもそも朝焼の風景の比喩もなりにくいと思う。あえて「消える」ではなく「醒める」という動詞を使って、比喩としての効果を高めたわけですよね。◇しかし、考えてみると、「痣が醒める」というのは、かなり独創的な言い方です。けっして一般的な言い方ではない。ふつうなら「痣が消える」「痣がひく」と言うはずです。痣が皮膚の炎症だとすれば、「痣を冷ます」という言い方はありえるかもしれないけど、そうだとしても「痣が冷める」とはあまり言わないし、まして「痣が覚める・醒める」などとは書きません。結論から先にいえば、この「痣が醒める」という表現自体が、おそらく一種の比喩なのだろうと思います。つまり「醒めるように痣が消える」という意味なのです。だとすると、この「痣の醒めゆくごと」という比喩の表現は、比喩を比喩表現に用いるという、いわば「比喩の入れ子状態」になっている。しかも、ここで「醒める」という動詞を用いる発想は、むしろ朝焼の「風景」と読書後の「心象」から生まれているのです。もとはといえば、痣の消えていく様子が、まるで(夜の闇から醒めていく)「朝焼」のようであり、まるで(本の世界から醒めていく)「読後感」のようである、という発想があったからこそ、この「痣が醒める」という独自の表現が生まれたはずなのです。比喩する側と比喩される側の関係が、本来は逆だった…。そのうえで、いわば「比喩のフィードバック」が起こっている…。比喩されたものを、逆に比喩に反転させて使っている…。このことをどう評価すればいいのか、わたしには分かりません。
2020.08.17
プレバト俳句。お題は「本棚」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇梅沢富美男は掲載が決定。非常に印象的な句でした。いままでの梅沢の句でいちばん面白いかも。読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼ちょっと不思議な作品です。表向きは「風景」を詠んでるけど、明らかに「心象」を詠んでいるように思える。多くの人は、読書後の心象風景だと感じるはず。ただ「心象」を描いただけの俳句は、通常なら評価されにくいはずですけど、この句の場合、字面のうえで描いているのは、あくまでも朝焼けの「風景」なのですよね。実際、梅沢の説明によれば、中七の比喩は「朝焼」に掛かってるから、あくまでも「風景」の句であるのに違いない。でも、結果として、「痣の醒めていくような朝焼」という風景そのものが、読後の「心象」の比喩だと感じられます。そう思って読むと、読書体験が「痣」だというのもまた面白いです。爪痕とか傷跡とかじゃなくて、痣…。痣を残すような読書体験って、どんなものでしょうか?どんな本を読んだんでしょうか?◇もうひとつ、気になったのが、森口瑤子の句。謎解きの頁に 蜘蛛は果ててゐるとてもユニークな場面を詠んでると思うけど、助詞の「は」を使った意味が分かりませんでした。わたしなら「蜘蛛の果てており」とやるだろうし、さもなくば「朱き蜘蛛 果てり」などとやると思う。助詞の「は」を使った意味は何でしょうか?わたしなりに頑張って2つの可能性を考えてみました。ひとつは、「あの蜘蛛は、どこにいるんだろう? あ、推理小説に挟まれて死んでいる」という意味。もうひとつは、「推理小説の人物の生死は不明だけど、 蜘蛛は、その頁で死んでいる」という意味です。いずれにせよ、まるで蜘蛛が小説の世界に入り込んだような、そんな面白い効果をもたらしてるのかもしれません。「本に挟まれた蜘蛛は、 生きている?死んでいる? 答:死んでいる」みたいなサスペンス効果もある気がします。◇ついでにフジモンの句。扇風機 首振りゆっくり トーベヤンソンわたしなら「ゆっくり首をふり ムーミン」とやったかも。でも「ムーミン」だけじゃ、ちょっと意味不明ですね。◇◇◇水彩画査定も見ごたえがありました。ナイツ土屋が描いたサボテン。8時間もかかったそうです。描くたびに「5才老ける」というほどの集中力だから、そもそも「好きなものしか描けない」というのも頷ける。にもかかわらず、まったく興味のないサボテンを、おぼんこぼんに見立てて描きあげてみせる発想力には、ちょっと凄みを感じました。このほか、くっきーが描いたプラレールの構図と情感。アンミカが描いた素麺の美味しそうな涼感。いずれもすばらしかったです。
2020.08.14
プレバト俳句。炎帝戦の決勝です。今回も「異議あり!!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇◇全体的に、あまり好きな句はありませんでした。ただ、妙に気になった句があります。2位だった立川志らくです。なんとなく気持ちの悪い句だと思いました…(笑)。炎天のミミズ 診察券のシミいちおう「死と生」を対比したとのことですが、いまひとつパッとしないのです。というのも、「炎天のミミズ」のほうが、むしろ激しい生命のダイナミズムにあふれていて、「診察券のシミ」のほうには、痩せ衰えていく弱々しい生しか感じられないからです。どちらかというと、惰性で病院に通ってるような印象。這いつくばって生き続けようとする執着心とか、ギラギラした往生際の悪さみたいなものは感じられない。あしたのジョーみたいに、死にそうになっても「立て~!立つんだ~!」って感じではない。ある意味では、「炎天のミミズ」のほうに強い《生》を感じます。「診察券のシミ」のほうが《死》に近い感じがする。そこが気持ち悪いです。◇一方、わたしが「いい句だなぁ」と思ったのは、梅沢とか千賀あたりの句だったのですが、残念ながら、あまり高い順位じゃありませんでした。4位の梅沢の句。行合の空の 御朱印めぐりかなてっきり、お遍路さんどうしが道連れで旅してる句かと思ったのですよね!いかにも梅沢らしい風情だなあ、と。でも、ただの勘違いだったようです(笑)。「行合の空」という言葉の意味を知りませんでした。人と人の「行合」じゃなくて、季節と季節の「行合」なのですね。◇そして、ビリだった千賀の句。ラジオ体操 歯抜けの判や 夏深しこれもいい句だと思ったけど、季語が間違ってるそうです。「夏深し」や「夏の果」は、7月下旬~8月初旬の季語とのこと。んー…。そこらへんが難しいですね。「処暑の風」とかだったらよかったのかなあ。でも、あんまり難しい季語だと、小学生っぽくないですよね。◇◇最後に、村上と東国原の句について。両者とも、発想は褒められましたが、技術的な面で減点されました。まずは東国原。ポイントで もらひし蛍 なほいきる手段の助詞の「で」が説明臭いってこともあるけど、わたしが疑問に思ったのは、そもそも「ポイントで貰う」という表現が、兼題写真を見なくても通用するのかな?ってことです。ポイントという英語には、「得点」のほかに「地点」などの意味もあるし、いろんな誤解を生みかねない言葉だという気がする。たとえば「ポイントと交換」「カードの景品」とかなら、まだしも誤解が少ない気がします。一方の村上。蛾の骸 ポイントカードで 掬いけり東国原と同じく、手段の助詞「で」を用いています。そこが説明くさいのですよね。わたしが思うに、「で」を「に」に置き換える是非はあるかもしれませんが、「ポイントカードの端に掬ふ」とやれば、季語を生かしたままの映像に出来たんじゃないでしょうか。
2020.08.07
プレバト俳句、夏の炎帝戦。予選の2回目です。◇今回、いちばん好きだったのは、千賀の句。かき氷 密かに崩す 銀河の夜いいですね。わたしの好きな「音の無い句」です。ひとりで澄んだ空気の透明感を味わってる。いつもながら、ほんとに千賀が作ったのかな~?(笑)と勘ぐってしまうほど、良いです。ちなみに「銀河」が秋の季語だとは意外でした。天の川といえば七夕だし、宮沢賢治の『銀河鉄道』も、星まつりの夜が舞台ですよね…。この俳句の場合は、盆踊りくらいの頃かな。◇もうひとつ、可愛いな、と思ったのは、篠田麻里子が詠んだ「甥っ子」の句。たしかに破調にはそぐわないから、あくまで五七五の定型で、コミカルな味わいにすべきでしたよね。甥っ子が 仕舞うアイスの 当たり棒(添削後)わたしなら、中七が8音になるけど、「隠したアイスの当たり棒」にしちゃうかな…。
2020.07.31
プレバト俳句。夏の炎帝戦はじまりました。今回も「異議あり!!」ってほどのことじゃないけど、ごく私的な感想。◇いちばん出来がいいと思ったのは、皆藤愛子かな。健診結果 封切る刃先 日の盛り「刃先」の冷たくて硬質で微細な緊張感と、「日の盛り」の大きな生命力の対比が、おみごとです。◇◇◇個人的に好きだったのが、3位の予選落ちでしたが、松岡充の句です。夏暁や 封蝋も今固まりぬたぶん、わたしは、音の無い世界が好きなのです…(笑)。夜通し手紙を書くことだけに没頭して、明け方になって封蝋が固まるのを見ているのですが、そこまでの長い時間、いっさい音がしてない感じ。無音の時間、沈黙した時間の描写です。精神的なことに集中しているわけですけど、その「音の無い時間」にこそ詩情があるなあと感じます。夏よりも、むしろ秋っぽい場面ではあるけど。以前のフルポン村上の句に、サイフォンに潰れる炎 花の雨というのがあって、好きな作品なのですが、これも、やはり物思いに耽っていて、雨の音は意識から消えているように感じます。フジモンの俳句なんかだと、いつも明るくて賑やかな音がしていて、それはそれで愉快なのだけど、わたし自身は、音のしない沈黙の句が好みなんだな、と、あらためて気づきました。◇さて、この松岡充の俳句の添削についてですが、永世名人と夏井先生の意見は一致していました。夏暁や 封蝋も今固まりぬ ↓夏暁や 封蝋のいま固まりぬ「も」という助詞を、「の」に直したほうがよい、とのことです。たしかに、このほうが、「いま」という瞬間の光景に焦点が絞られて、視覚的に明瞭になる気がします。夏井先生によれば、「も」を使うのは「言い過ぎ」だそうです。要するに、いろんな含みがありすぎるのでしょうね。◇でも、わたしとしては、松岡が「も」を使いたかった気持ちも分かります。むしろ、そこにこそキモがあったのだろうなと思う。つまり、手紙に込めた自分の思いとか、長い時間をかけて選び取った言葉が、封蝋と一緒に、いままさに固まっていった…ってことですよね。想いも、言葉も、そこまでに費やした長い夜の時間も、すべて封蝋とともに固定されていく。その全体を味わえるように意図してたと思う。◇…まあ、俳句では、より率直・直截な描写のほうが良しとされますから、むやみに感情やら何やらを込めすぎるのは、あまり好まれないのかもしれませんし、そこが「言い過ぎ」といわれる部分かもしれません。「固まる」という動詞に、あまりに比喩的な意味を込めすぎたことが敗因なのでしょうね。そこらへんが判断の難しいところ。もしかしたら、夏暁や いま封蝋の固まりぬとやったほうが、「いま固まっちゃった~!」ってライブ感が出たかも。◇◇◇もう一句。Aブロックの1位になった千原ジュニア。亡き猫に 病院からの夏見舞これは1位になるだけのことはあって、描写も明瞭だし、詩情にも優れてます。でも、なんだか「病院」というと、わたしは大きな総合病院をイメージしちゃいます…(笑)。「獣医が寄こした」じゃダメなのかなあ?まあ、「動物病院」とか「犬猫病院」という言葉があるんだから、これでまったく問題ないのでしょうけど、わたしとしては、町の獣医師さん、というより、無機質な医療機関みたいなものを思い浮かべてしまうのです。
2020.07.24
「プレバト!! 歴代俳句ベスト50」を見ました。覚えてる俳句もあれば、はじめて見た句もありました。べつに「異議あり」というほどのことでもないのだけど、個人的な感想を書きとめておきたいと思います。◇まずは梅沢富美男ですけど、2位に選ばれたのが銀盤の弧の凍りゆく 明けの星でした。たしかに句としての出来は良いのだろうけど、あんまり梅沢らしくないですよね。銀色夏生とか、下手したら尾崎豊とか、なんだか病的なくらいに感覚の鋭敏な若者の句って感じ。健康な爺さんの句じゃないでしょ。むしろ、鯉やはらか 喜雨に水輪の十重二十重あたりのほうが梅沢らしいですね。ある意味、梅沢富美男の欠点は、本人の作風と完成度がいまいち噛み合わないことなのかもしれません。その点でいうと、東国原英夫とか、フルポン村上とかは、本人の作風と、作品の完成度が、うまく噛み合ってるのですよね。◇1位になったのは、花震ふ富士山 火山性微動という東国原英夫の俳句でした。富士山の雄大さを美しく描写するなんてのは凡庸だから、あえて富士山の不穏な側面を切り取っている。日本は地震列島だし。思えば、北斎の「富嶽三十六景」なんかも、赤富士とか、黒富士とか、けっこう富士山の不気味で荒々しい部分を描いてるし、そういう意味で、日本らしくてリアリティのある句です。浅間大社のコノハナノサクヤビメを意識してるってのも、さすがだなと思います。秀逸句(上位15句)に入ってたのが、野良犬の吠える沼尻 花筏不気味ですね~。なんか気持ち悪い。でも、こういうのが東国原の作風ですよね。沼尻というのは地名じゃなくて、「沼の尻」という本来の意味で使ってる。そう考えると、沼尻という言葉自体が、なんかもう気持ち悪い。同じく秀逸句だったまるでシンバル 移り来し街 余寒にもゾクッとするような皮膚感覚がありますが、これも普通の「五感」というんじゃなく、なにか根っこの「原記憶」みたいなものを刺激してくる感じです。東国原の凄いところは、不気味で、不穏で、異様というだけでなく、コノハナノサクヤビメの場合もそうだけど、いつも「言葉の歴史性」を意識しているところですね。言葉のもともとの意味にさかのぼって使っている。だから、言葉自体に変な手触りがあるのです。ちなみに「処刑場」の句はランクインしてたけど、洞窟の「他言せず」は入っていませんでした。◇3位になったのは、エルメスの騎士像翳りゆき驟雨というフルポン村上の句でした。日本の街をヨーロッパに見立てていますが、「80年代初頭の来生たかおかっ!」って感じで(笑)、ちょっとキザすぎます。むしろ、わたしは、サイフォンに潰れる炎 花の雨のほうが好きですね。今までのプレバトの俳句でいちばん好きかも。これも、まあキザではあるけど、上質さと、暖かさと、文学的な雰囲気があって、カッコいいです。もうひとつ秀逸句に入ってたのは、テーブルに君の丸みのマスクかなこれはイマイチ好きじゃない…(笑)。もし、かりに、これが、フジモンが我が子のことを詠んでるんだとしたら可愛いけど、村上が女性のことを詠んでると思ったら、ちょっとキモチ悪い。そもそもテーブルの上にマスクを置きっぱなしにしていく女性ってのも、ちょっとガサツな気がするけど、そういうガサツな女性の姿にかえって萌えるんでしょうか?やっぱり、これは、我が子のことを詠んだ句だと考えたほうが、「子供は風の子!」って感じで健全だし、好もしいです。◇村上とならんで3位だったフジモンの句がマンモスの滅んだ理由 ソーダ水これは可愛い。ザ・夏休み!って感じです。セイウチの麻酔の効き目 夏の空これも夏休みの水族館。個人的には「夏の空」よりも遠くの「水平線」を見たい気がするけど。羊群の最後はすすき持つ少年これはどうなんでしょうか?宮崎駿??全日本人がペーターのことを思い浮かべるだろうと思います。◇同じく3位になったのは皆藤愛子で、右肩に枯野の冷気 7号車 どう考えても「さらばシベリア鉄道」ですね。日本で「7号車」といったら新幹線なのだろうけど、あんまり「新幹線」と「枯野」の風景は結びつかない。かりに「3号車」くらいなら、北日本のローカル線って感じだけど。秀逸句だったキスマイ千賀の句。雪原や 星を指す大樹の骸これは、ちょっと風景が嘘くさいです。千賀はほんとに自分で書いてるのかな?と、いつも疑問に思うんだけど、むしろ、率直に感心したのは、黒き地の正体は海 揚花火 のほうですね。これはたしかに凡人には書けない句だと思う。秀逸句に入った柴田理恵の句。もてなしの豆腐ぶら下げ風の盆これはもう玄人並みに出来上がっていますよね。手練れというか、いぶし銀、という感じ。同じく秀逸句だった鈴木光。道化師のギャロップのごと牧開これはどうなんだろう?「言葉の歴史性」という点で、ちょっと違和感を覚えます。そもそも「ギャロップ」というのは馬の疾走のことです。だから、これは「馬の疾走が馬の疾走のようだ」という俳句です。たんなる意味の重複であって、何も言ったことにならない。そういう言葉の由来をいったん忘れて、『道化師のギャロップ』という固有の曲の比喩だと思えば、いちおうは成り立つ俳句なのかもしれないけど、でも、たぶん『道化師のギャロップ』というのは、「馬が疾走してるような道化師の動き」のことだと思うのですね。だとしたら、これは結局のところ、「馬の疾走が《馬が疾走してるような道化師》のようだ」ということで、やっぱり一周回って意味の重複じゃないかと思います。秀逸句だった中田喜子の句。連覇のさきぶれ 沸き立つ初電車元日のラグビーの風景を描いた洒落た句だはと思うけど、「さきぶれ」の意味がイマイチ分かりません。辞書を引くと、「前触れ」「役人が旅先に出す通達」という意味ですが、どちらの意味とも微妙にズレている気がします。「連覇した」のか「連覇しそう」なのかも分からないし、電車内にどんな「さきぶれ」があったのかも、よく分かりません。優秀句だった藤井隆の句。6の次 7の菜の花 漕ぐペダル完全に少女だな(笑)。ちょっとアイドルポップの香りもする。兼題写真のアスファルトに「6」と書いてあったらしいのだけど、この俳句だけを読むと、数え歌を歌ってるのか、小学生が九九を覚えてるのかな、って感じですね。
2020.06.27
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