2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全3件 (3件中 1-3件目)
1

来年(2011年)放映予定のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(著者・田渕久美子さん)に関連し、江のゆかりの地、福井市を中心とした福井県への関心が今後高まりそうです。そこで、以前に撮った写真を取り出し、その時に思っていたことを書いてみました。 2005年8月31日、足羽山にある福井市自然史博物館付近で、柴田勝家(イラスト写真参照)の居城、5層9重のりっぱな天守閣(イラスト写真参照)がそびえていたという北の庄城におもいを馳せながら、福井市中心部(写真参照)を眺めていました。この写真はその時に撮ったものです。 天正11年(1583)4月、勝家は賤が岳の合戦でやぶれ、北の庄城に退却してたてこもりましたが、まもなく秀吉軍はこれを追って越前に攻め込み、ここ愛宕山(足羽山)に本陣を構えました。秀吉は眼下に北の庄城を見下ろしながら、指揮をとっていたようです。 福井市史によると、勝家は「娘を連れて城外へ逃れるように」とすすめたのですが、お市の方(イラスト写真参照)は泣いてこれを断わったという。その後、江はじめ3人の娘は秀吉の本陣へ送り出され、お市の方は夫の勝家とともに北の庄城で最期をとげました。 その様子については「勝家はもはやこれまでと9層にのぼり、まず涙を絞ってお市の方をはじめ侍女たちを刺殺し、返す刀を自分の腹につきたてて『勝家の最期をみておけや』と叫んで壮烈無比な自刀をとげた。残った80余人の家臣もこれに遅れず勝家に殉じた。それと同時にあらかじめ準備させておいた火薬が爆発し、すさまじい音響とともに天主閣は崩れ落ちた。その破片は愛宕山の秀吉の本陣まで飛んで行ったといわれている」とも。 お市の方は さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 夢路をさそう ほととぎすかな (夏の夜のほととすぎの鳴き声が、別れの悲しさをさそっているうように聞こえてくる)-との辞世の句を詠んでいます。勝家もこれに対し 夏の夜の 夢路はかなきあとの名を 雲井にあげよ山ほととぎす (夢のようにはかない私の名を、のちの世までも伝えてくれよ山ほととぎす)と詠んだという。 3人の娘も秀吉本陣の付近で、轟音とともに天主閣が崩れ落ちる光景をみていたと思われますが、どのような思いでみていたのでしょうか。3人の娘の悲しく辛い気持ちを思うと胸がキュッと締め付けられるようです。 「足羽山(愛宕山)からみる福井市街地」 「北の庄城址付近からみる足羽山(愛宕山) 「5層9重の北の庄城天守閣イラスト」「お市の方イラスト」「柴田勝家イラスト」
2010年06月13日
コメント(0)

月さびよ 明智が妻の はなしせむ 明智光秀夫妻は称念寺(福井県坂井市丸岡町)の門前に住んでいた時期があると伝えられていますが、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅中、称念寺に訪れた際、糟糠の妻(ひろこ)を思って詠んだ句です。【句の背景】明智光秀の居城、明智城(美濃)が戦国大名の斎藤義龍によって落城した後、光秀らは越前に落ち延び、1562(永禄5)年頃には、新田義貞公の菩提所・称念寺(福井県坂井市丸岡町)の門前に寺小屋を建ててひっそりと生活、その後、朝倉家に士官したという。妻(ひろこ)はその頃、自らの黒髪を売って、武将持ち回り連歌会などの酒代を工面し、夫光秀の面目を立てた―とも伝えられていますが、芭蕉は「奥の細道」の旅中、称念寺にも訪れ、その糟糠の妻の話を聞いて詠んだ一句といわれています。新田義貞菩提所(称念寺)については、新田義貞菩提所(称念寺)早春の風景(2008年3月26日) で紹介しています。
2010年06月08日
コメント(0)

兵庫県からやってきて福井県越前市に4月から居着いている国の特別天然記念物コウノトリ(雌1歳)です。越前市から特別住民票(現住所・越前市域一円、本籍・兵庫県豊岡市)も取得し、「えっちゃん」の名前で県民から親しまれています。ずいぶん離れた所からでしたが、私も家内もコウノトリを見たのは生まれて初めて。また出かけるときに「写真を撮るのは難しいだろうな」と半分諦めていだけに、800ミリ望遠で撮れた時の喜びはひとしおでした。
2010年06月05日
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


