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しばらく家で孤独に仕事するだけの日々が続いていたが、それも一段落。仕事でお世話になっている編集者の人が、ずいぶん前から画廊を紹介して下さるということになっていて、ようやくそれが実現、先日、鎌倉にある画廊をいっしょに訪ねた。作品を見てもらい、めでたく来年秋の個展が決定。鎌倉には数えるほどしか来たことがないし、あまりちゃんと観光したこともないが、東京都内とちがって、あまり高い建物もなく、せせこましいかんじもなく、海が近いというだけでも私にとってはきもちのいい街なので、個展が今から楽しみだ。その後一駅電車に乗って逗子へ。これもこの編集者の人がときどき行く店で、私のポストカードを販売してるので聞いてみたら、そこの奥さんが私の絵が好きだと言ってるよ、いっぺん行こう、ということだったので、お訪ねしてご対面。逗子駅からはちょっと離れているが、TANTO TEMPO(タントテンポ)というイタリア食材を扱っているお店である。小さいお店だが、サラミや生ハム、チーズ、オリーブ、オリーブオイル、パスタなどがぎっしりで、ほかにもオリジナルのアンチョビバターやハーブ入りバター、トマトソース、ドライフルーツなど、ほとんどのものが試食できて、しかも都心で買うよりだいぶ安い。最近となりに新しいスペースを作って、ラザーニャなどの簡単なおそうざいをそこで食べられるようになっている。ここで生ハム、サラミ、チーズ、スパークリングの赤ワインなどをいただいたが、どれもおいしい。おもいきり高カロリー高塩度だとおもうけど、この塩のうまみのじんわりときいてる生ハム類って、ほんとに他に例えようのない旨さだなーとつくづくおもう。パルミジャーノレッジャーノにしても、ほんとにおいしいのは、パスタにトッピングするだけでなく、かたまりをそのままかじるのがおいしい。そうしている間にもどんどんお客さんが来る、商売繁昌のお店なのであった。こんなお店が近所にあったらいいのにな。そしてきのうは「かっぽーの会」ご近所ごはんの友の会である。前から気になっていた千歳烏山の「広味坊」へ。かつて「料理の鉄人」出演でも話題になったという女性シェフの創作中華のお店である。住宅街にあるが、ここもまたどんどんお客さんが入ってきて、空席のできる間がない。料理は上品であっさりした味付けで、ほんとうにおいしかった。北京ダックが有名らしいが、これは要予約。アワビ入りリゾット風焼飯というのも、ちょっと洋風で旨かった~いろんな国のおいしいものが食べられる日本、幸せなことである。
2006/07/30
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きのう書いた「個性派の煮しまり具合」について、ビビッドな反応ありがとうございました。でもちょっと言葉足らずだったように思うので、もうちょっと書いておこうとおもいます。まず年とったら個性的なのやアグレッシブなのはあかん、とか年とったらコンサバにするべきだ、などとは私は毛頭思っていない。私の言う「煮しまってる」状態というのは、ある時期からまったく変化してない、時間がとまったようなかんじで、結果的に濃厚になりすぎてる状態とでもいうのか、煮物をことこと煮すぎてしまって、こてこてのどろどろ状態になってしまうのと同じである。個性派だけがそうなるかというと、そんなことはない。よくいるでしょう、町歩いていても、けっこうなおばさんがいまだにソバージュヘアにショッキングピンクの口紅とか、どうみても60は越えてるのに、小学生か中学生(それも昔の)みたいなかっこしている老幼女とか。それぞれが自分で思う、自分がいちばん輝いていたとき、ピーク時で止まってしまってるんだろうか。おじさんでもおばさんでもいくつになっても変化を恐れず、新しいものを受け入れる好奇心や冒険心を持ち合わせているというのはすばらしいことだとおもうし、それがうまく消化できている人は「かっこいい」ということになるんじゃないだろうか。ただ保守的、という意味においてのコンサバティブは私のもっとも嫌悪するところであります。
2006/07/29
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きのうの午前中TVをつけっぱなしにしていたら、NHKで趣味の時間的な番組をやっていて、中年の人(団塊の世代あたり)がフォークギターを弾くというのをやっていて、その指南役がフォークの夫婦デュオ(名前忘れた)であった。70年代あたりに活躍した人たちである。奥さんのほうはまだしも、だんなのほうがなんといったらいいのか、、、昔とイメージは変わらないのだが、やっぱりそれ相応に老けてるので、ロン毛とかに無理なかんじが見てとれる。同じ番組中にもとフォーククルセダースのはしだのりひこ氏が出演していたが、彼も同じで、かつてと同じ髪型なのに、それがよけいに老け感を感じさせてつらいものがあった。(ついつい頭髪関係に言及してしまうクセをおゆるしください)ごく普通のサラリーマンなどのおじさんや主婦のおばさんだと、髪の毛が薄くなったな、とかしわが増えたな、太ったな、とまあふつうに「老けた」ということになるのだが、上記のような個性派の人々は「煮しまった」という言葉がぴったりなかんじがする。個性派の人々は、「自由」を標榜するあまり髪型や服装も個性的で、常に反体制的(というあたりが、とくに60年代70年代の個性派)なので、たいがいがロン毛であったり、若者とあまり変わらないファッションだったりする。そして、寄る年波にも抗い(もしくは気付かず)、いつまでたってもその抵抗をやめようとしない。(例、どんなに生え際が後退しようが、そんなら後ろ髪をのばす、というような作戦に出る)でも肉体は普通派の人同様年とっていくから、そのギャップがときおりコワイことになる。かつてやはりフォークの西岡たかし氏がTVのなつかしのフォーク特集かなんかに久々に出演していたときなどは、チョッキ着てサイフォンコーヒーいれてるような、うまいコーヒーを飲ませる店のマスターみたいな風情になっていた。どこまでいっても自由業なのである。男の人だけではなく、女の人も、特にクリエイティブ関係のおばさんは、同様に個性的で、コンサバになってたまるもんか、みたいに抵抗している。たまに雑誌のクロワッサンなんかでそういう人が出ていて、たしかに年とってもアグレッシブやなあとはおもうけど、妖怪っぽく見えるときもある。そのあたりのことを考えると、こないだ闘病宣言した清志郎なんかはあの年であのファッションで、でも「煮しまり感」がないのはすごいとおもう。やっぱり特に芸能界では現役度というのが大きいのかもしれない。現役だと周りの目というのがいっぱいあるからなあ。私も20代のころはコム デ ギャルソンの穴のあいた服や、アシンメトリーの服を嬉々として着て、刈り上げしたりしていた。今思うと、あのときのほうがいかつかったな。久々にばったり会った高校時代の男の同級生(普通の人)に、「そのアタマはないやろ」と言われたもんであった。今やすっかり普通の服を着ているけど、自戒もこめて煮しまりに注意しておこう。個性派のみなさま、いかがお過ごしですか? 煮しまってません?
2006/07/28
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久しぶりの晴れ間、しばらく涼しかったのでものすごく暑かった。うちのマンションは中庭にけやきが繁っているので、そのせいで日当たりが悪く、よけいじめじめしていて、せんたくものは乾かないし、小さな植木はなんか腐りそうになっていてはらはらするが、どうしようもない。まったく建築家は最初の見栄えしか考えてないよなー中庭に大きな木って、イメージ的にはたしかによいけど、けやきのように大木になる木を選ぶなよ、と言いたい。久しぶりに出かける。青山の画廊でやってるイラストレーター山口マサルさんの個展へ。マサルさんは私よりもずっと先輩の有名イラストレーター、絵本などの絵も描いているが、なんといってもみんな知ってるのが「カールおじさん」とか「きのこの山」「たけのこの里」などの明治製菓のキャラクターである。マサル夫人は以前毎月いっしょに歌舞伎を見に行く仲間の一人であった。最近はみんな忙しくなったりしてご無沙汰であるが。マサルさんはアロハシャツが大好きでコレクションしているらしい。こんどNHKの「熱中時間」という番組にアロハのことで出演するそうだ。もちろん今日もつばめ柄のステキなアロハスタイルであった。クールビズで「かりゆしウェア」もいいけど、アロハだってええのにね、とアロハ談義に花が咲いた。次に友達の蛙月庵さんとお母さんの二人展を見に、池袋方面へ。蛙月庵さんは「豆印刷業」を営んでいるイラストレーターで、なんど聞いても信じられないのだが、プリントごっこの古い型のものを駆使して、ポストカードやぽち袋を刷っている。私もいっときプリントごっこにはまって、いろいろ作ったが、彼女のようにきれいには刷れたことがない。ほんとは版画家なのに面目なしである。お母さんは洋服や布をつかった魚や蛙などのオブジェを作っておられた。蛙月庵さんも名前のとおり、蛙をモチーフにしたものが多く、今の季節にぴったりなのであった。あまりに暑くて、目白の和風喫茶で今年初のかき氷。東京には関西であまりなじみのないあんず氷というものがあって、あんず好きの私にはうれしいメニューなのだが、あいにく売り切れで、ここのオリジナルのシロップが崖崩れ状態にかかった生いちご氷を食べた。帰り道、もう暗くなっていたが、家のすぐそばで、前を歩く人が足元を見ておもわずよけて通っていたので、ごきぶりかなんかがいたのかとおもって見たら、なんとかぶとむしが!!うちは東京23区内、緑が多い地区とはいえ、こんなバスや車がどんどん通っている横にいるなんて。もしかしてだれかが飼っていたものが逃げ出したのか?それとも野生のかぶとむしなのか?そんなに大きくはなかったが、ちゃんと角もはえてるオスであった。踏まれたらかわいそうなので、横の草むらに置いてやったが、ちょっとびっくりの夏本番でありました。
2006/07/26
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イラストの仕事でいちじくの実と葉っぱを描く必要があって、実のほうはよく食べるので、見なくても描けるが、葉っぱはだいたいのところしか記憶にないので、ネットかなんかで調べとかんとなーと思っていた。そしたら昼間歩いてたところ、近所の教会の垣根からいちじくの枝が出ていたので、はじめ観察していたのだが、結局めだたぬところのちっさい葉っぱを一枚いただいて帰った。よく見ると、いちじくの葉っぱはなかなかに美しい。アダムとイブのその部分を隠したので有名だけど、なんでいちじくなんだろう。きのう「ダビンチコード」の作者ダン・ブラウンの前作「天使と悪魔」を読んでいたら、大昔、人間の裸の彫刻をよしとしなかった教皇が、彫刻のその部分を切り取って、いちじくの葉っぱのかたちを貼付けたので、そこだけしらじらしく違和感がある、ということが書いてあった。イラストの仕事ではいろんなものを描くので、そのつど調べる。今はインターネットでなんでも調べられるのでとても助かるが、実際に知っているのとそうでないのではずいぶん違う。どこか特定の国のイメージだったりすると、クルーズでいろんな国を訪れているおかげで、さわりだけでも印象を知っているので理解の助けになる。別の仕事で、イラン系イギリス人の作家の小説の表紙を描くことになった。できあがったらまた紹介するが、非常にいい作品である。いろいろな国に行っだけど、イスラム圏はまだまだ未知の世界に等しい。同じイスラム圏でもトルコやエジプト、モロッコなどは観光化されていて比較的行きやすいけど、イラク、アフガニスタンあたりになると、仕事とか使命でもない限り現状では普通の人は行かないだろう。イランはまだしもだけど核開発の問題などもあって、やっぱりきな臭いことに変わりない。でも文化を見る限り、ほんとにすばらしい伝統を持っている国だってことがよくわかる。それにアフガニスタンなんかもそうらしいけど、豊穣であらゆるくだものがたわわに実り、といったイメージもある。でも現状ではテロ、内戦、弾圧といったキーワードでしかこのあたりの国々をイメージできないところが悲しい。ブックデザイナーの人から借りたペルシャじゅうたんやタイルの写真集を見ていると、そういう危惧がなければすぐにでも行ってみたいとおもうくらいの美しい伝統工芸品の数々である。またイスラエルとその周辺もまたまた和平から遠ざかりつつあるし、日本人の私らにとっては民族の問題と宗教の問題はどんなに考えてもぴんとはこないけど、ほんとにこんな中東にだれがした!? と言いたくなる。政治のせいで貴重な文化をこれ以上破壊しないでほしいと切に願うのみである。
2006/07/25
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欽ちゃん球団ゴールデンゴールズ、結局存続ということで、一件落着したようだ。この騒動、私は最初から、あんなアホ(極楽とんぼ山本。今では山本さんと言われているのがものすごい変な感じ)ひとりのために人気球団やめることないやんと思っていたので、結果にたいしてはよかったねとおもう。でもそこに至るまでの欽ちゃんの言動についてはなんか違和感感じる。最初に直感的に、選手一人の不祥事で球団やめちゃうなんていう大事になるという図式に違和感を感じ、といちにゃん氏もブログで書いていたように、もしかすると経営その他に前から問題があって、ほんとは欽ちゃんやめたかったところに降って湧いたこの事件で、ひょっとしてこれに乗じたんでは???という非常にうがった、性格の悪い感じ方をしたのであった。そのうち案の定、ほうぼうからやめることはない、やめないでの大合唱。欽ちゃんはどう見ても「いい人」のイメージなので、私のような見方はほんとに意地が悪いよな、ともおもったが、冷静に考えてみると、単なる草野球ではない社会人のチーム、なんとか好きな野球をやるため、バイトしながら選手している人たちもいるし、その中から将来プロチームに行く人もいるかもしれない。それに地元の町おこしにもなっているという。球場だってお金かけて球団のために改修をしたというし、後援会もある。大金が動いているわけでなくても、少しは経済効果も生んで、少しは潤っている人だっているだろう。それを監督がだれにも相談しないで、やめます!なんて言っていいのか?たったひとりのどアホの尻拭いのために。私は欽ちゃんの男気、というよりは強引さ、勝手さのほうが気になった。でもあの口調、イメージで、そんなふうに思っちゃいかんのかなという気になるのであった。でも欽ちゃんも発表しちゃったもんの、自分でも勇み足とおもったのではないだろうか。結局4日くらいで、「やっぱりやるよ」宣言。もちろんみんなの投書や手紙で後押しされてのことだけど、これもまたその場でいきなりの発表であった。つまるところ、当事者山本(さん)はどっかへ消えてしまい、今まで注目してなかった人にまで「ゴールデンゴールズ」の名前を認識させて、結果オーライとはこのことだ。もし(ワイドショーの誰かも同様のことをコメントしてたが)、こうなることまで予測の上の欽ちゃんの言動だったとしたら、欽ちゃんすごい役者やの~さすがの私もそこまでとは思わないが、とにかくなんか変で、なんとなく気色が悪いのであった。
2006/07/24
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吉祥寺をぶらぶらした。ロンロンの地下に300円ショップがある。この店、けっこうかわいいものがいっぱいある。台所用品からインテリアグッズ、アクセサリーや靴下など。アクセサリー類はさすがに安物っぽいが、台所用品などはバカにならない。真っ白な大皿小皿などは、料理をうまく盛り付けたら300円には絶対見えない感じである。持ったときやたら重いので、ああ、安い皿!とわかる程度である。一辺が25cmくらいはある四角い大皿でも300円。10cmくらいの小皿なら2つで300円である。この前見たときはアルミのポップな水筒も300円で売っていて欲しかったので、今日また見たらもう売り切れていた。つぎにパルコに行くと、ここには台所雑貨の100円ショップがある。最近よくあるナチュラル系のものばかりおいている店で、ほとんどが100円なのだが、ここの商品もそんな安物には見えない。事実、他でもっと高い値段で売っているものもあった。こういうたくさん買っても財布の中身が気にならない買い物は大好きなので、いろいろ買ってしまった。天然木のシンプルなつくりのワインラックも100円、ベトナム製のガラスコップも100円であった。100円ショップが世の中に出始めた頃は、それなりに衝撃的であった。えーこんなもんが100円で買えるのー?!というおどろきでもあった。でも100円ショップの代表的なチェーンのダイ○ーとか、キャンド○とかのモノは、はっきり言って安物くさい。ただデザイン性など求めないものの場合はここで十分だ。外国ではたまに1ドルショップみたいなものがあるが、日本みたいにちょっとした街には必ず100円ショップ、みたいな頻度では見つからない。ほんとは旅行者にとっては100円ショップはありがたい存在なんだけど。でもたかが100円とおもうと、ものを粗末にしてしまうという皮肉なことにもつながってくる。飽きたら捨てればいいやとか、汚れたらまた新しいのを買えばいいや、というふうになってしまう。しかし、今日見た均一ショップは、それまでのものからすると、ずいぶんイメージが違っていて、そんなに安かろう悪かろう的なものではなかった。100円ショップは進化している。
2006/07/23
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和田アキ子がインタビューをしていたりする増毛会社(?)リー○21のCM、かねてから不自然なかんじで変やなあと思っていたが、最新のCMを見たら、少し前に「ニットの貴公子」として一躍脚光を浴びた編み物研究家の広瀬光治氏が出ているではないか。それも「発毛コンテスト」で「準優勝」したらしい。CMでは軽井沢の別荘のウッドデッキみたいなところで、貴公子にリー○のあの社長がインタビューしている。べたべたしたかんじの関西弁を話すあの社長も独特のキャラクターだ。余談ながら清水ミチコがあの社長のマネ(顔マネか?)をしてるらしい。さすが清水ミチコ、目のつけどころが独創的だ。ぜひ見てみたいものである。それにしても貴公子は「おかげさまで私も発毛を実感することができました。」などと、さわやかにお答えになっている。そりゃなあ、ボウタイつきのブラウス(!シャツではない!)に、女性っぽい(というかおばちゃんぽい)デザインの手編みのニット着用(肩パッド入り)で、輝く頭頂部、では似合わないだろう。でもでも何もコンテストなんか出なくても、さらにCMなんかに出なくてもええのに。よっぽどのファンでないかぎり、ふだんはお目にかからないし、「あっ減った!?」「えっ増えた!?」なんてわからんよ。なんでも売れっ子になってからストレスで、おどろくほどのスピードで「減毛」していったらしい。リー○で増毛したことをカミングアウトしてから、週刊女性の取材も受けたらしいが、なんとタイトルが「ニットの貴公子告白! 髪も編み物」!!!遊ばれてるがな。きっとまじめな人なんだろうな~でもやっぱりふしぎな人だよ。ところでリー○21に関しては、赤海鼠さんのご意見もぜひ聞きたいものですが、どうでしょう。
2006/07/20
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ここ最近食べ物の話ばかり書いている。ちょっと涼しくなって、食欲が復活してきたせいか。昨日書いた平松洋子さんの「私の沖縄食紀行」に、有名な石垣島ラー油のペンギン食堂の辺銀さんのことが出ていた。この方は中国西安の出身だそうである。映画監督チャン・イーモウのスチールカメラマンをしていたそうだ。それも意外だったが、それよりも私がはげしく反応したのは、西安が「粉食」の街だということであった。そういえば西安餃子って聞いたことあるなあ。あれは単なる店の名前だったっけ大阪出身の私はご多聞にもれず粉ものが大好きである。大阪の粉ものと言えばもちろんお好み焼き、タコ焼き、うどんが三大巨頭だが、私は粉ものならば洋の東西を問わずである。西洋ものならクレープとかホットケーキ、パンケーキ、もちろんパンも大好きだし。でもなんといっても中華の点心こそ世の中でいちばん好きな料理かもしれない。点心といえば中国の粉もの代表である。ショーロンポーやぎょうざ、しゅうまいのいわゆる「包」ものの類いはもちろんのこと、あのむっちりした中華パンもものすごく好きだ。むしろショーロンポーやチャーシューまんの中身よりも外の「皮」のほうが好きなくらいである。コンビニなどで買った安もんの豚まんなんかで、中身がおいしくなければほとんど残して皮だけ食べてることもある。ベトナムの生春巻きも好きだし。あれもルーツは中国なのだろう。そうそうベトナムだったかタイだったかの平打ち麺のような半透明の麺状ものもあきらかに粉ものだったが、あれもおいしかった。「食は広州に在り」の広州も飲茶天国、点心天国だったが、西安も粉もの天国なのか、ぜひとも行ってみたい。それにしても食べ物の話ばかり書いてる自分がちょっといやになってきました...他になんかないのか、話題。
2006/07/19
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フードジャーナリスト平松洋子さんの「わたしの沖縄食紀行」(集英社be文庫)を読んだ。沖縄の代表的な料理や伝統的な食品などをていねいにレポートした食のエッセイである。写真もふんだんに使われていて、ぱらぱら見るだけでも楽しい一冊である。これを読んでいると、おまんじゅうを蒸すときに、紙ではなく月桃(げっとう、沖縄でよく見かける植物)のはっぱを敷いていたりして、その素朴さに、日本も東南アジアなんやなーとあらためて思う。沖縄の料理って、見た目ではなんとなくいなかくさく思えてしまうのだが、じっさいに食べてみると、意外なほど上品なあじわいなのに驚くことがある。しょうゆは日本が産んだスバラシイ調味料だとはおもうけど、あまり多用すると、味があかぬけないかんじになる。東京のまずい料理(全部がまずいわけではないが)の場合、このケースが多いようにおもう。その点から言うと、沖縄の料理はしょうゆよりも塩いのち!なのである。料理法もほんとにシンプルで、素材の味を生かして、味付けはしょうゆをちょこっと使って、あとは塩!というかんじである。去年行った竹富島の民宿で出された料理も、全体的にはもっちゃりしてるのだが、ソーキ汁なんかは驚くほど上品なのにしっかり味が出ていて、感動したものであった。その竹富島、私はまだ2回しか行ったことないけど、この島の風景は私にとっての「理想の風景」である。竹富島に行くまでは、バリ島のいなかの風景が私にとっての理想であった。竹富島はそれをしのぐ大好きな景色の島である。未舗装の道、いきいきと茂っている熱帯植物、素朴な作りの平屋の家々。夕方、西の空が茜色に染まって灯がちらほらつきはじめる頃の村の風景は、もうずーっとそこにいたくなるほど感動的である。さてその竹富島で忘れられない食べ物の思い出がある。「ぱいぬ島」というオープンカフェというか茶店があるのだが、ここの黒糖かき氷がとってもおいしい。沖縄ではかき氷に黒糖をかけるのはわりとポピュラーなようで、あちこちで食べられるが、ここのがいちばんおいしかった。それともひとつ、こっちも甘いものなのだがやはりぱいぬ島で出してる石垣ジャージー牛乳ソフトクリーム、これがまたばつぐんにうまい!!全国各地の観光地などで、名物ソフトクリームかずかずあれど、このソフトクリームがいまのところ(独断で)日本一である。これは名前のとおり石垣島のジャージー牛の牛乳を使っているそうだが、ご当地石垣島でもこのソフトクリームを出している店がある。ジャージー牛を育てている一家のほほえましい記事の切り抜きなどが貼ってあり、それを読みつつソフトクリームを食べるのだ。以上、竹富島に行く機会があったらぜひ「ぱいぬ島」へ行ってみてください。ソーキソバもおいしいらしいよ。沖縄料理のお店は東京にもけっこうたくさんある。でもやっぱり現地で食べたいなーと思うのである。今日は自分でごーやちゃんぷるーを作ったけど。
2006/07/18
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今日はこの数日間のうちではちょっと涼しい。今晩もだいぶ気温が下がると言うから一息つけそうだ。でもなんかこの2ヵ月ほどのいろんな疲れが急激な蒸し暑さとともにどーっと出てしまったようで、もうよれよれ。起床とともに軽い頭痛と倦怠感。最近出てなかった持病の不整脈も出るし、だるだるである。もうこうなったら「ドーピング」せなやってられん。サプリメントはあんまり好きではないが、あまりにだるいときはキュ-ピ-コ-ワゴールドをしばらく服用する。暑いと料理するのもめんどうなので、つい適当な食事になってしまうけど、それでは余計にだるくなる。やっぱり夏を元気に乗り切るにはちゃんと食べないとだめですね。私の場合、ばててるなと思ったら、必ず作るメニューが韓国料理ユッケジャン的牛肉とワカメのスープである。牛肉ににんにくやねぎ、ごま油などで下味つけといて、炒めた後、水をいれてしばし煮込み、ワカメ、ごま、塩コショウ、薄口しょうゆなどで味を整えるという簡単なものだが、エネルギーがつくような気がする。野菜もいっぱい食べたほうがいい。しかし製薬会社の人に聞いた話によると、最近の野菜は、昔と土壌も変わって、昔の野菜とは栄養価がずいぶん違うらしい。だからきちんと野菜を食べていても、不足する栄養がどうしても出てくるとか。それでサプリメントを、ってことになるらしい。セールストークとしては非常に説得力がある。本日はチキンカレーを作った。市販のルーは使わず、ちゃんとたまねぎを炒めるところから始める。カレーはさすが暑いインドの食べ物だけあって、いろんなスパイスが薬膳料理よろしくからだによいようで、案外二日酔いのときに食べるといいという人もいる。本格的な夏はこれからというのに、がんばって乗り切らなくては。
2006/07/17
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書いてもしょうがないけど、ほんまに暑い。そんな中、にっぽん丸が3ヶ月の世界一周を終えて横浜港に帰ってきた。私も教室の荷物の引き取りのため朝から大桟橋へ行った。ゆっくり港に入ってくるところをみたいので、早めに行ったのに、すでに着岸していた。今日の横浜は梅雨の晴れ間でもちろん朝から猛暑。にっぽん丸は最後にアメリカ西海岸を北上してアラスカの氷河を見た後、最後にはカムチャッカに寄港して帰ってきたので、さぞやこの暑さはみんなこたえるだろう。後でスタッフと話したら、数日前までものすごく寒くてダウンジャケットを着ていたらしい。地球は広い。一ヵ月半ぶりに会うお客さんやスタッフ、エンターテイナーはみんな元気そうであった。私が下船してから今日まで、大阪で個展もしたし、仕事もいろいろしたし、それでもホームページをチェックすると、まだまだ浮世離れした日々を送っているにっぽん丸の人々がいて、うわーまだ遊んでるんやなーまた盆踊りしとるわーなどと思っていた。自分が乗ってると、いちおう仕事なのでそういう気持ちでいるけど、いったん降りてしまうと、こんなに長い期間ひたすら遊んでいる人々がいて、それに奉仕するため、仕事として船を動かしたりイベントを運営している人々がいる、というのがほんとに不思議に見える。絵描きやイラストレーターの仕事というのもある意味で人を喜ばせる仕事でもあるので、理解はできるけど、最高に楽しい遊びをするためには真剣に取り組む、というのがレジャー業、エンターテインメント業なんですなあ。横浜でおおかたお客さんは降りるが、最終寄港地は神戸なので、神戸に向かって出港するまでに荷物をおろすのも短い時間の中、戦場のような状態で大騒動。いつもばたばたなので、あいさつもそこそこにこれまたいつもお世話になっている赤帽のモチヅキさんのおっちゃんと帰る。とちゅう行く手に真っ黒な雲が、と思ったらものすごい夕立ち。おもえば東京は梅雨で毎日じとじととした曇り空は続いていたものの、意外に雨が降っていない。久しぶりの大雨だったが、帰ったら停電していたのか、IP電話が不通になっていた。
2006/07/15
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あ~あつー。梅雨明けもまだしてないというのになんちゅう暑さか!なんとなくからだはだるいし、やる気がなくなる暑さだ。でもなまけてると、後が大変なので、沖縄の歌を聴きながら仕事する。どうせ汗出すならジムへでも行こうとおもうけど、ひと仕事終わるとぐったりで、なかなか行く気にならない。きのうも暑かったが、夕食後、行きつけのアイスクリーム屋さんへ行ったら、千客万来であった。夏の間は、アイスコーヒー用の粉を買ってきて家でアイスコーヒーをいれているが、ホットにくらべると、アイスは香りがいまいちな気がする。喫茶店へ行ってアイスコーヒーを頼んでも、たいていが業務用のパック入りのやつをいれてるだけで、どこで飲んでもおんなじ味なので、がっかりする。ホットコーヒーに関しては、昔にくらべると、どこも水準があがってきたようにおもうのに、アイスに関してはどこも手抜きしてるかんじである。アイスコーヒーをおいしくいれようとおもったら、ホットの3倍くらいの量の粉(豆)を使わないとだめらしい。たしかにそうやっていれてみるとほんとにおいしいが、経済的に言っても普通に喫茶店では出さないだろう。しかしその昔、京都の蹴上(けあげ)にあった伝説の喫茶店「カルコ」のアイスコーヒーはそういういれかたをしていたようで、感動するくらいおいしかった。ヨーロッパではコーヒーをアイスで、というのは日本ほどポピュラーではないようだけど、イタリアなんかでもカフェフレードというものがある。冷たいエスプレッソなので、濃くておいしいけど、ひとくちで飲み終わってしまう。濃いアイスコーヒーを簡単に作ろうと思ったら、ベトナム式のドリッパーでいれるとよい。私はベトナムコーヒーのドリッパーを2個使ってひとりぶんをいれる。しかしホーチミンでアイスのベトナムコーヒーを初めて飲んだら、ものすごくおいしかったので、その後も別の店で飲んだら、とけた氷にあたって(?)、めちゃめちゃにおなかこわしたという苦い思い出もある。ところできのうナチュラルローソンで「丸福珈琲」のアイスコーヒーを発見、即買いした。丸福珈琲とは大阪、千日前付近にある古い喫茶店。めちゃ濃いコーヒーで有名なお店である。きのう買ったものはプラカップ入りのやつで、最近他のコンビニでも売ってるスタバのコーヒーなんかとさほど変わらなかった。よく見ると、四国かどっかで製造しているようで、ほんとに丸福で作ってるのとはちがうようだった。しかしときたまほんとに丸福で作っているビン入りアイスコーヒーというのを見かけることがある。いまどき珍しい栓抜きであけるタイプの王冠つきの小さいレトロなびんに入っていて、たしか300円くらいはしたとおもうので、やや高めだけど、こっちはほんとに濃くておいしい。おすすめである。そういえばこないだの個展のとき、たまよみさんに丸福のラスクをもらった。これもさくさくでおいしかった。ごちそうさまでした!
2006/07/14
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こないだの日記にも書いたように、最近忙しくてずーっと絵ばかり描いているので、あまりネタがない。ワイドショーもあまり熱心に見てないし,..とかいいつつ、ちょっと気分転換にバーゲンへ行ってしまった。ところで最近たてつづけに医療サスペンス小説を二冊読んだ。まず一冊目は、今年の「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した「チーム・バチスタの栄光」書いているのは海堂尊という現役医師である。この本すごく売れているみたいで、「このミス」の選者の言葉もみんなほめちぎってあったので、とても期待して読んだが、なぜか私はそんなにおもしろいとは感じないまま、最後まで読んでしまった。ちょっとオタクぽい軽い口調が気になって、どうも好かんかったのが原因かもしれない。それよりも私はこっちのほうがだんぜんすごいとおもうのが、久坂部羊というやはり現役医師作家による「無痛」というサスペンスである。この人は「廃用身」という作品でデビュー、「破裂」が10万部をこえるベストセラーとなった作家である。現役医師だけに、医学や医療に関する部分がリアルなのはもちろんだけど、そういう部分の問題だけではなく、ほんとに医療の現場でおこってるかもしれないという怖さが非常にリアルなのである。現役の、たしか勤務医であるはずだから、ここまで書いて誤解を受けないのか? とこちらが心配になるくらい、どの作品もかなりナマな問題をなげかける内容である。「廃用身」では、病気などで不随になってしまった手足などを切断してしまう治療法を実践するという話。もちろんフィクションなのだが、私は読みながら、これってノンフィクションじゃないよなあ??と何度も疑いながら読んだほど、ホントっぽい。「破裂」は医療ミスの問題。医者が一人前になるまでに、どんだけ失敗しているか? 病気になっても病院には行きたくなくなる話である。そして最新作の「無痛」では、最近のいろいろな悲惨な事件の犯人がコレであるケースが多いが「犯行時の心神喪失」という問題。病気や薬の中毒で、犯行を起こしたとき心神喪失状態であった場合、その責任を問えるのかどうかを加害者、被害者、警察それぞれの立ち場からサスペンスをからめて描いたもので、ほんとに怖い。現役の医者でありながら、これだけのおもしろい小説を書く、というのもすごいエネルギーだとおもうが、書いてて思い出した。そういえば「愛ルケ(愛の流刑地)」の渡辺淳一センセイももとはといえばお医者さんだった。すっかり婦人科なかんじだけどね。前クールは「医龍」とかっていう医者ドラマもやってたようだ。主演坂口憲二というだけで、興味を持てず見ていないが。やっぱり医療モノドラマの最高傑作は「白い巨塔」をおいて他にないと私は思う。まったくテイストは違うが、医者のたまごたちの青春を描いた大森一樹監督の「ヒポクラテスたち」という映画はすごく好きだった。大森監督自身が医大出身なので、自身の医大生時代と重ねた部分がたくさんあったとおもう。主演の古尾谷雅人、すごくよかったなー、ほんとにいい役者さんだったのに残念。(数年前に自殺しましたね)ものすごく若い頃の内藤剛や、キャンディーズのランちゃんも出ていて、それぞれいい味を出している。いずれにせよ、医療現場には一般人には計りしれないドラマが満ちあふれているってことでしょうか。
2006/07/12
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夏休みの旅行を早々と(でもないか)決めてる友達の話を聞くと、私もがぜんどっかへ行きたくなってきた。ところがこのところけっこう忙しい。ほんとに仕事が来なくて来なくて、絶望的になっていた半年前がいったいなんやったんや、というふうなかんじである。ところがいったん仕事が来始めると、月のはじめから終わりまでまんべんなくなにかのレギュラーが入っている状態で、あいてる期間がない。だいたいがコラムを書いている人の原稿を見てから、とか取材に行ってからでないと描けないものがほとんどなので、極端に前倒しにもしてもらえなさそうである。ヒマすぎるとお金がないし、仕事があって経済的にゆとりが出て来ると時間がなくなるし、皮肉なものである。どっちにしろ、その何ヶ月にもわたる不毛の時期の余波が今も残ってて、財布の中身もまだまだ心もとないし、どうせ遠くには行けそうにない。リニューアルしてすっかり女性誌風におしゃれになった新潮社の「旅」という雑誌、今売りの号がエーゲ海の島特集なのですぐ買った。こないだのにっぽん丸クルーズではギリシャのロードス島には寄港したが、サントリーニとミコノスは海から眺めただけ。とくにサントリーニは3年前にも同じように海から眺めただけだったのに、その魅力にとりこになったので、近いうちに絶対に上陸するぞ! と誓った島である。10代の終わり頃、アンアン、ノンノの海外ロケのページなどによくギリシャやらスペインやらの島が出ていて、ものすごくあこがれたものだった。いまだに私のネタ帳的スクラップブックにはそういった白い島の写真が貼ってある。その後、実際にいろんな国を旅するようになって、好きな国も変遷していったが、いまだに原点のギリシャの島(白いタイプの島、ロードス島は白くない)には行けていない。明日はABロードの発売日なので、いちおう買ってチェックしてみようとおもうが、たぶん現実的には無理だろうなー今年は。3泊4日くらいで北京でも行くかなー(まるでちゃうやん!でも中国もすき)
2006/07/09
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本日は友人の写真家齋藤亮一さんの個展へ行った。10年くらい前に大阪の友人から紹介されて、いきなりお宅へ遊びに行ったのが出会いである。私とは同学年で、高校時代に札幌に住んでいたことがある私は、札幌出身の齋藤さんと共通の友達がいることがわかったり、家が近所だったりで、うちでの宴会に来てもらったりもしている人である。そういうことよりもなによりも、この齋藤亮一さんの写真はすばらしい。写真家はインドア派とアウトドア派に大別されるかな、と思うが、齋藤さんは完全にアウトドア派。といってもネイチャーフォトのほうではなく、辺境派である。ええー、そんなとこまで行ってんの? というところまででかけていって、でもかならず人々の暮らしを撮ってくる。どんな(あくまで日本人から見てだけど)辺境地にも人は生活していて、あたりまえに日常を送っている。またたとえば原発が放射能もれを起こした直後のチェルノブイリとか、東西の壁がこわれたドイツとかにおいても普通の人々の日常はやっぱりいつものように営まれている。そういうものを齋藤さんはカメラで切りとってくる。そういうところを撮って来るわりに、けして声高な社会派写真になってないところがまたいい、と私は思っている。広大な牧草地の写真かな、とおもってみると、遠くの方にぽつんと歩く人の姿があったり、画面の奥の方にある家に人かげが見えたり、彼の写真には必ず人の存在があって、それが驚くほど強い印象となって、作品にあたたかみを加えている。自身の作品として撮るときはたいていモノクロのようだが、ほんとに見ていてあきない、本人の人柄がよく現われている写真である。現在、7月11日まで新宿のコニカミノルタプラザ、ギャラリーC(新宿高野ビル4F)で開催中。写真集もたくさん出版しておられます。
2006/07/02
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