うたのおけいこ 短歌の領分

うたのおけいこ 短歌の領分

2010.07.30
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カテゴリ: 詩歌つれづれ
ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり 」(歌集「白桃」所収、昭和17年・1942)について、歌人・小池光氏がその歌論書「茂吉を読む 五十代五歌集」(平成15年・2003年)の中で批判的に論評していることについて、読者の 「頑固者さん」からお尋ねのコメント がありました。

そこで、くだんの書物の当該部分を全文引用することにいたします。この断章は、この本全体の中でも、批判的な筆致がかなり際立っていると思われます。この部分の書物全体の中でのパースペクティヴ(位置感)につきましては、図書館などで原著に当たってご確認下さい。

* 敬称につきまして、個人的には「小池先生」と呼びたいのがやまやまなのでありますが、「短歌人」においては、民主的結社運営の理念上、「先生」を使わない規約になっておりまして、郷に入っては郷に従うことといたします。ご了承下さい。

〔以下の文章は、著作権法第32条(引用の要件)に照らし、「研究目的」として違法性が阻却されるものと見なして引用します。〕



■ 小池光「茂吉を読む 五十代五歌集」より

 茂吉の歌集は多くの場合しばらくたってから当時の作が歌集にまとめられるので、刊行順と作歌順は同じではなく、そこに編集、選択、削除といった要素が加わってややこしい。
 『白桃』はハクトウでもシラモモでもなく、シロモモと読む。これは昭和八年夏の一連に「白桃」というのがあり、その冒頭の、

ただひとつ しみて置きし 白桃 しろもも のゆたけきを吾は食ひをはりけり

の一首にちなんで命名されたことはあとがきに記されている。
 誰にもなんとなく気に入った歌があり、なんとなく気に入らない歌がある。この一首はたいへん有名だが、わたしはかねがねなんとなく釈然としない。それで歌集の順番通りではないが集題となったこの歌についてはじめに少し書く。
 まず、まったく感覚的なことだが、シロモモという音感がどうも発音しにくいのである。オ音の重なりがモガモガしてうるさく、魅力的にひびかない。白桃をことさらにシロモモと訓ませるのは茂吉のほとんど嗜好というべきで、広義の造語といえるものだが、茂吉にしてはどうも些事をいじくりすぎるような気がする。もちろんシラモモと訓ませたくなかった理由はわかる。物質感を出すためだ。白をシラと転じて物の上に関するとき、それは色彩名というよりよほど情緒、気分を引き出すコードとなる。白雪、白妙、白鷺、白梅・・・・・というときがそれである。こういう作用がかぶさってのシラモモでは、この桃の稀なる重量感、物質感が出ない。それはわかるのだが、さればとてシロモモは音としておもしろいかとなれば述べたような疑問を持つ。(なお植物図鑑でシロモモを引くとヤマモモの一種と出ている。もちろん茂吉はハクトウを食ったのでヤマモモを食ったのではない)。
 ふと思い出したが白桃をシラモモと訓ませる例では中島栄一にこういう歌がある。

君が鼻の汗だにを吾は吸ひたきに 白桃 しらもも を食ふ卓にこもりて
中島栄一『花がたみ』

 中島栄一らしい屈折のある相聞歌だが、茂吉歌が意識下にあるのは明らかで、ことさらにシラモモの訓は茂吉シロモモへの違和感の表明と取るのはうがち過ぎか。
 それはともかく、茂吉の白桃歌は、出だしの「ただひとつ惜しみて置きし」というところにもつまずく。桃ははじめからその一個だけあったのか、それとも複数個あったほかのはみんな食べてしまい、ことさら見事な一個だけ残したのか。それが曖昧である。桃を一個だけもらう(買う)ことはありそうにないから、あそらく後者なのだけれど、文脈上から明確でないのは瑕瑾ではあろう。はじめから一個しかなかったものと、選択され意図的に残されたものでは、モノの表情が別になるからこのことは重要なのである。
 というような点は些細な点だが、本当に問題なのは下句で、どうもこれが共感するところにならない。「ゆたけきを吾は」と破調にしてまで顔を出す「吾は」が強すぎて押し付けがましく感じられるのである。「食ひをはりけり」が更にも強く、強すぎる。たかが桃一個を食う歌ではないか。過剰に荘重なのである。
 もっとも、過剰に荘重というのは茂吉の特質であって、さまざまな場面で出会うところのものである。そして多くの場合、過剰に荘重であることがえもいわれぬユーモア、愛嬌の源となって独特の魅力を与える。たとえば、同じくだものを食う歌でも、

ちち の中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞする

という『寒雲』の一首などは、たかが苺ミルクを掬うのに間尺に合わない過剰な荘重さが伴い、そこに計らざるユーモアが生じてわれわれを微笑させる。わたしは、茂吉のこういうおかしみを愛する。それは茂吉以外ではお目にかかれない短歌の風景である。
 そのおかしみは文体が勝手に荘重さを作り上げてしまうところの、別にいえば意味のない、ひとつの儀礼性に由来する。苺の場合、たかが苺ミルクをかくも大仰に述べきった文体と行為との巨大な落差がおかしい。ところが白桃の場合、無意味さにつき抜けるようには思えず、なにか意味ありげな、おもわせぶりな感慨が伴ってしまうように写る。これが困る。われわれは苺ミルクの歌でくすくす笑ったようには、白桃の歌では笑えない。厳粛になる。しかしこの厳粛さはどことなく作り物めいている。わざとらしいのである。それが気持ちに添わない。白桃は実際のくだものではなくなにかのタトエではあるまいか。惜しんでとって置いた桃をついに食ってしまうとは、そこになにか寓意のようなものが潜んでいるのではあるまいか。そんな風に思えてくる。永井ふさ子問題と重なる時期であるので、そういう方向からの下衆な解釈もつけ込む余地もあるわけである。そんな風にこの有名な歌はどうもきわどいところがあって上等な作とは思えない。



以上は、いかにも小池氏らしい精緻かつ繊細な分析に基づく批評だと思います。
なお、小池氏の論旨について、細かい点で若干の記憶違いがありましたことは率直にお詫び申し上げます。

ただ、僕は大筋この見方に同意します。小池氏が編集人を務める「短歌人」に所属する者としての「ご無理ごもっとも」的な賛意も皆無とまでは申しませんが、それはさしたることではなく、あくまで自己の言語感覚に照らしての共感です。





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Last updated  2010.07.30 18:39:17コメント(0) | コメントを書く


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くまんパパ @ 短歌では、ありですね(^^) 七詩さん、そうですね、同感です。 私も…
七詩 @ Re:ニヒルなれども面白し(06/08) くまんパパさんへ あの「世の中にたえて…
くまんパパ @ ニヒルなれども面白し 七詩さん、いつもありがとうございます(^^…
くまんパパ @ めっきり蒸し暑くなってきました やすじ2004さん、いつもありがとうござい…
くまんパパ @ のんびり行きたいですね(^^) やすじ2004さん、いつもありがとうござい…
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やすじ2004 @ Re:松尾芭蕉  あらたふと青葉若葉の日の光(05/03) お元気ですか 今日は夏のような暑い一日…

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