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ロビン・ギブが亡くなった。ドナ・サマーも亡くなった。久しぶりにディスコサウンドを懐かしく思い出しました。バスドラがドンドンと4つ打ちするあの野性的なビートです。ところであらためてディスコミュージックについて調べたら、第二次大戦後にフランスでレコードをかけて踊る店としてディスコが生まれたとあります。「ディスコティク」とはレード置き場のフランス語だそうです。で、それがアメリカに伝わり、60年代に大ヒットし、全米にディスコクラブが開店。そして二枚のレコードをつなげてかけたり、スピードを変えたりするリミックスが行われ、それを行う人をDJと呼ぶなど、原型のスタイルがその頃にもう出来上がっていたんだって。知らなんだ。だけど我々にとってディスコと言えば70年代。TVで「SOULTRAIN」が放映され、音楽とダンスが日本中に広まりました。70年代半ばにディスコ第一次ブームが。その頃に私も恐る恐る出入りしたことあります。私は踊ることより激しいベースのサウンドにしびれてましたね。数年でそのブームは去り、寂しい思いをしてたら映画「サタデイナイト」が封切られて再ブーム。ビージーズやヴィレッジ・ピープル、ドナ・サマー、アラベスクなどなど。アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「太陽神」なんか、最高でした。その頃のサウンドはバスドラとベースのビートとストリングス、それに高音のファルセットヴォーカルが典型的なパターンでしたね。大好きだった曲「マシンガン」、あーこんな曲、やりてー!コモドアーズ/マシンガン!(開けない場合、ダブルクリックでYOU-TUBEへ)ついでと言ってはなんですが筆者もやってました。ディスコの原点バンド「Soul Plane Band」Soul Plane !(JAPAN) - Knock on woodさて80年代になってディスコはクラブと名を変え、テクノやユーロビートと呼ばれるようになると、ちょっと馴染みが薄くなりました。そしてハウスミュージックの登場。元々は「踊れる音楽」だったのが「踊るための音楽」そしてついには、「踊るためのサウンド」になっちゃったようです。歌詞の意味や、音楽としての起承転結や、サウンド的主張をはがされた只の「音」になってしまった。なんて、古い人間には見えます。でもたぶんそれは違うのでしょう。いまどきのハウスミュージックやヒップホップなどがスンナリ私の中に入って来ないのは、私が持っている音楽の概念とは異なる存在だからでしょう。それが何か、は専門家でも分かりやすく解き明かしてくれません。だからなおさら、私には異質なモノのように感じるんでしょう。かっての「クラフトワーク」のテクノミュージックや、70年代のミニマル・ミュージックの流れから派生したハウスミュージックですが、これに「演奏」とは呼ばれないDJによるサンプリングやスクラッチなどの「行為」を加えることで、若者が独自の条件で楽しむ世界が作り出されています。そんな思いでネットを見てたら、同じようにこの新しい動きを論じている人達がいました。私には難解で表面的にしか理解出来ませんでしたが、とにかく、クラブ・ミュージックというものをあくまで「音楽」の立場から位置づけようとする好意的論文とみました。(下記参照)まあ、そんな理屈をこねる人間を尻目に、若者たちは自然体でその異次元の音楽を楽しんでいるようです。なんだか、純粋美術の世界に現代アートが登場したときの反応にも似てますね。キャンバスに絵を描くことが芸術だった世界に、ハプニングとか、インスタレーションと称して、踊ったり、絵具を投げたつけたり、橋を布で覆ったりする芸術家が出てきたときに我々が感じた、違和感や戸惑いみたいなものなんでしょうね。-----------------------------------------------------日本音楽学会第49回全国大会(於愛知芸術文化センター)11/8 シンポジウム「音楽学からみたポピュラー音楽」(村田公一/井上貴子、大角欣矢、久万田晋、増田 聡)問題提起:クラブ・ミュージックと音楽学(増田報告分)問題提起:クラブ・ミュージックと音楽学(増田報告分)-----------------------------------------------------
2012/05/22
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昨年、我々のバンドBaTTaはクラシック曲をやろうということで突っ走りましたが、実際には練習不足か未熟さか、夏と冬のライブは散々な結果となりました。おまけに録画したビデオの音は割れて聴くに堪えない状態。そこでスタジオ練習中の音源で動画を作成しましたが、これも雑な演奏。出すか出さないかバンド内で迷いましたが、ありのままを見ていただこうとYOU-TUBEにアップしました。とりあえず我々の現状をお伝えする意味で。夏のライブではビバルディの四季の「夏と冬」とか、グリーグの「山の魔王の宮殿」などを取り上げましたが、キーボードが出られず3名ではギターがやたら忙しい上にサウンド的にも成り立ちませんでした。で、Xmasライブではキーボードの助っ人をお願いし、バッハの「小フーガ」とかモーツアルトの「トルコ行進曲」、ベートーベンの「第九・レインボウ版」などにアタックしました。私的にはバロックの華麗な装飾音はギターの速弾きフレーズによくマッチして好きなんですが、ギターにすればロックとは全然違うフレーズ展開に指が付いて行かず大変だったとか。とにかくやかましいクラシックですが、よろしければ...。BaTTa - バッハの小フーガ・ハードロック風---------------------------------------------------<後日のおまけ> 5/29、こんなのもアップしましたBatta Xmas2011 - Beethoven No9 Ode to joy
2012/05/20
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先の日記で「はっぴいえんど」の名が出てきてからずっと、彼らの歌が脳裏に漂うようになりました。あの「ゆでめん」のアルバムです。けだるいムードの「風をあつめて」は数年前にビールのCMで流れてましたね。彼らは「日本語ロック」という切り口で語られているようですがロック、フォークを問わず「です・ます」調の作文のような歌詞に面食らった人は多いでしょう。私もです。始めて「はっぴいえんど」を聞いた当初、メロディ、歌詞、サウンドそして脱力感あふれるボーカル、どれも未完成な感じで抵抗がありました。今でも体の一部に拒否反応があります。なのにときおり聴きたくなるのは何故でしょう。 「はっぴいえんど」なんてロックじゃねえよ!と内田裕也が噛み付いたとか。「日本語でロックが歌えるか」と専門誌で熱く議論されていた頃の話です。 友人が買った1st.アルバムの「ゆでめん」を、コチコチの洋楽派だった私も戸惑いながら聴いてました。そんな賛否両論というより風当たりがきつい中で、彼等「はっぴいえんど」はその道を進み続け、今では日本語ロックのルーツとして高く評価されてます。 まさにハッピーエンドですよね。 戸惑ったファーストアルバムではありますが、私が聴いた途端に惚れ込んだ唄がありました。 「かくれんぼ」です。これはもう理屈抜きで気に入りました。 「曇った~、空の~、浅い夕~暮れ」という歌詞がそのままに、よどんだムードのサウンドで表現されている、独特の世界感がありました。どこか私には、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの音に近いものを感じたからかもしれません。しかし後で知ったのですが、彼らの日本語ロックを始動させたのがこの歌だったそうです。当初、メンバーの大滝詠一と細野晴臣は日本語がロックのビートにそぐわないと否定的だったそうです。松本零が書いた歌詞は、「私」とか「です」という非ロック的表現を使った、だらだらと長いセンテンスの作文のような歌詞でした。大滝はその中に「つげ義春の漫画」をイメージし、歌詞をローマ字に直した上でメロディをつけたそうです。そして長い沈黙のあと、細野もそれにうなづいて彼らは始動したのです。かくれんぼ当時あれこれと議論された日本語ロックは、そんなことを感じさせないで、今や完熟の域に達しています。素晴らしいことです。------------------------------------------ここに当時の状況が記されています===日本語ロックの生き証人===
2012/05/11
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「春一番ですね」とマイミクさんから便りがあったので、スーちゃんいいねと返事したら大ボケでした。大阪で「春一番」と言えば恒例の関西フォークの野外コンサートのことだそうです。41年続いたイベントなので知らない奴はもぐり。周りに関西人がいたら袋叩きかも。「春一番」は私の学生時代の1971年から始まったとのこと。だから大阪で働き始めた頃はすでに春一番コンサートは定着していたはずですが、見に行った記憶はありません。天王寺野音で「おとぼけCATS」を見た記憶はあるのですが、あれは何のイベントだったかなあ。今でこそ「春一番」には様々な様々なミュージシャンが出ているようですが、最初の頃は日本語の歌にこだわっていて、当時英語の歌を唄っていた優歌団の出演を断り、ひと悶着あったという話も聞いてます。あの頃の関西フォークはそんなこだわりもあってアクが強く、私にはちょっと抵抗がありました。歌詞の社会性や心境の吐露の生々しさを、十分消化できなかったこともあるでしょう。今でこそ当時の歌に懐かしく耳を傾けていますが、正直、まだ違和感は拭えません。私が「春一番」コンサートに興味が薄いのもそんなところからでしょうか。そんな状況でも、周りの友人たちを通じて関西フォークの波はどっぷりとかぶりました。周りの友人というのは、古くからの友達以外に、会社の軽音楽部の若手、近隣のライブ喫茶の客たち、そのオーナーたち。ほとんどが学生やプータロー、音楽に熱いおっさん達でしたが、それぞれに主張が強く話し出すと止まらない。関西フォークのメッカ「ディラン」のママさんとも一緒に呑む機会もありました。馴染みの店にいろんな人達が出入りして、飲んだりライブを手伝ったりする周りで歌がいっぱい流れていました。岡林信康、高田渡、ディラン2、加川良、豊田勇造、杉田二郎、中山ラビ、有山淳司、吉田美奈子...。個人的には、西岡たかし、小坂忠、はっぴいえんどなどをよく聴きました。でもバンドやレコードは英国ロック系を続けてました。今年の春一番の3日間の出演者を見ると知らない名前の中に次々と懐かしい名前が出てきます。彼ら、まだ続けてるんですね。えらいものだ。YOU-TUBEで久しぶりにあの頃の歌を聴きなおしていると、いろいろと思い出してちょいと複雑な思いになりました。青春の味ってヤツですかな?---------------------------------------------<おまけ> ハルイチ関連の日記です20110226 プカプカの日々080525 高田渡&「焼き鳥・いせや」パックツアー
2012/05/09
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友人が雨の庭を見て「ジリオラ・チンクエッティ」と呟いていたので、私も思い出しました。いや「雨」でなく「夢みる想い」です。16歳のジリオラ・チンクエッティが優勝したサンレモ音楽祭のシーンをテレビで見たのは1964年の中学の時でした。とても感動して、さっそくラジオ番組にリクエストしたのを思い出しました。当時の映像もありました。16歳の彼女は今見ても清楚で可愛いいなあ。"Non ho l'et?(まだそんな年じゃないの)"夢みる想い/ジリオラ・チンクエッティ同時に入賞したボビー・ソロの「ほほにかかる涙」Una lacrima sul visoもいい歌だったので「夢みる想い」と共に日本でも大ヒットしました。イタリアの歌といえば伝統的カンツォーネをイメージしますが、これらのヒットソングで、イタリアン・ポップスはとても馴染み易くなりました。そういえば「ヒロシです..」のバックで使われたあの切ない歌も1970年の映画「ガラスの部屋」主題曲。歌手はペピーノ・ガリアルディ。あれを超える泣ける歌は他にないと思います。原題はche vuole questa musica staseraです。次にイタリア語の曲を聴いたのが1970年代。英国ロックの波が世界に浸透し、イタリアに上陸。イタリアのロックバンドが続々と出てきました。しかし、さすがにロックのビートとイタリア語はまったくイメージが合わないので拒否反応する人も多いと思います。オイオイこれはないよと言う感じ。でもまあ、この違和感も慣れるとそれなりに楽しめます。イ・プー、PFM、マティア・バザールなどをよく聴きましたね。先月、川崎でイタリアン・プログレッシヴロック・フェスティヴァルが3日間開催されてイ・プーがメインで出たようです。(イ・プーをプログレと呼ぶべきかどうかについては、私は疑問ですが)近年ではこれがいいですね。アンナ・オクサの「ドナ・コン・テ」。これも1990年のサンレモにカオマと共演で披露された曲です。Anna Oxa - DONNA CON TEこんな調子ですし、歴史が好きなのでイタリア語には興味あり、NHKのイタリア語講座もよく見てました。ただ、テキストを買って勉強するというより、イタリア語の雰囲気を楽しんでたというレベルでしたが。イタリア語特有の抑揚やノリと歯切れのいい音感がいいですね。番組には当時、愛嬌のあるいかにもイタリア人って感じのオヤジが出ていて、それがジローラモさんでした。も一人のデビット・ボウイに似たイタリア人はどうしてるのかなあ。 あ、話が散漫になってすみません。(追記)サンレモ音楽祭は人でなく、歌を選ぶコンクールなので同じ歌を二人が歌うダブルキャスト方式をとっているそうです。だから「夢みる想い」はパトリシア・カルリという歌手も歌い、連名で大賞を受けました。ジリオラはこの賞に加え、新人賞を勝ち取ってこの歌を持ち歌とし、一躍大スターの道を歩み始めたとのこと。またイタリア語の歌で忘れていたのが、トランペット吹きのニニ・ロッソです「夜空のトランペット」の語りや、「さすらいのマーチ」の間奏の歌もイタリア語の響きとして印象的でした。「コン チェールドフェー スペーラードー」だったかなあ。何故か覚えています。
2012/05/04
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ハワイから大きなダンボール箱が届きました。ハワイのアウトレットショップに注文していたコアロハ製のテナータイプのウクレレです。在庫がなく製造していたので2か月ちかく待たされました。以前この「アロハアウトレット」で友人が購入し、薦められていたので1年程迷ってやっと決心したわけです。心配だった木の色や木目も期待どおりでひと安心。テナーは大振りなウクレレでジェイク・島袋もこのサイズですが、弦の張り方が彼は違います。テナーは一般的にギターと同じローGと称するセッティングですが、彼の場合は第4弦が1オクターブ高いハイGセッティングにしています。たぶんジャカジャカとコード弾きするためでしょう。第4弦にギターと同じ金属巻弦を張るとコード弾きすると音がぼやけてちょっと耳障りになるからでしょう。だから、テナーウクレレはポロポロとメロディを奏でるのに向いてます。これでウクレレは、ハワイ土産のコンサートタイプと、エレアコ型のアイバニーズ製ウクレレに続く3本目となりました。(アイバニーズのウクレレについてはいずれ改めて報告します)ここに至る道は永かった。ハーブ・オオタさんに触発されて以来15年、私の大きな手に合うウクレレを探してきてやっと巡り合いました。(というか、思い切りが悪かっただけと友人は言いますが)これで、音程が悪いとか押さえにくいとか、言い訳はもう出来なくなりました。あとはひたすら練習するだけです。とりあえず、テナーの音だけ聞いてください。(音だけですよ)パソコンで聴くと金属的で硬く聞こえますが、実際はも少しまろやかです。<以下は専門的になりますが、なんでこのウクレレがいいかという話です。>このKoALOHA製の Tenor Ukulele KTM-00は私の理想をほぼ満たしております。・なんと言ってもテナータイプのネック(指板)が程良いサイズなので 押さえやすい。コードを押さえながら5度まで指が届くのでスムース にメロディが弾けます。・金属製ギアタイプのペグ(糸巻き)なので微調整ができ、狂いにくい。 ペグにロゴはなく、コアロハマークが入っているが、たぶん有名な グローバー製でしょう。・コアロハ特有の大きめのヘッドデザインに金属ペグが付いているので 頭が重そうだが、重心は12フレットにあり、バランスは悪くない。・コアロハはヘッドの首が少し長く、えぐれているので、Dコードを押さえ やすい。(ナットから1弦・4弦のペグまでの距離がナット幅の1.3倍)・ネックの厚みがローからハイまで均一なので、どこでも弾きやすい。・ネックをボディに取り着けるヒール部分も斜めに削ってあるので、ハイ ポジションの時邪魔にならない。・ボディの周囲が丸く面取り加工されているので、抱えた腕が痛くない。・そして、ローGの第4弦が金属の巻弦でなく、ローG用の細いガット 弦が張られているが、ちゃんとした低音が出てくれて安心。・材はもちろん貴重なハワイ産コア材。・フレット数は20階調、15フレットでボディにジョイント。 以上です。
2012/05/02
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