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08年もあと僅か…。今年はこのブログが私の仕事に大きな変化をもたらし将来自分の仕事を振り返ることがあれば新しいステップを踏み出した重要な年になるだろう。右も左もわからない中でただ「伝えたい」という思いだけで書き始めたこのブログ読み手を選ばない環境で、最初の5ヶ月は、自分の思いを伝えることの難しさと格闘していたように思う。そしてmixiを経て、文字だけの世界から飛び出て勉強会やワークショップなど実際にお目にかかる機会を得て実体を伴ったおつき合いになった。辞めるという選択肢がなかったわけではない。いつも頭の片隅にあった。しかし、結局辞めることがなかったのはいつもブログにコメントを寄せてくださるお会いしたことはなくても、顔がわかる存在の方が増え自分の思いが伝わっていることを感じながら書くことができるようになったからだ。このブログを楽しみにして下さるという思いとご自分の考えをコメントやメッセージで伝えてくださることで双方向のコミュニケーションとなり、救われ、そして新しい方向へと押してくれたのである。なんとありがたいことだろう。そう私の08年は、夢玉のメンバーに新しい可能性に気づかせてもらった実に出会いに恵まれた幸せな年だった。多くの実りを皆さんにもたらすことができるように来年も精進したいと思う。09年が皆様にとってよい1年でありますように
2008年12月31日
「ちゃんとできないのはわかっているけど 私は自分で決めてやってみたいのに お母さんが先回りして全部決めてしまう。」とAちゃんは、担当講師に訴えた。中学受験準備の2年間を含めてAちゃんは、お母さんが決めたスケジュールをこなす生活をしてきたがもう自分のことは自分で決めたいのに先に「こうしなさい、ああしなさい」と言われると腹が立つし、そうだな、と思うことでも「はい」って言えない。だから、お母さんと話したくない。これはAちゃんに限ったことではなく第二次反抗期に突入した女の子達が決まって口にするセリフだ。もう子どもじゃないんだから任せて放っておいて欲しい「自立したい」という気持ちが根底にある。何のことはない、2、3歳の時の「自分でやるぅ~」と言う反抗期と同じだ。ただ、大きく違うのは、思考、言動、行動力も2、3歳の時とは、比べものにならないほど高く親を含め回りの大人を人間として見て、あれこれ批判的なことを言ったり理屈の通らないことを並べ立てて叫ぶものだから対峙するこちらもクタクタになってしまう。しかし、ここで逃げてはいけない。子どもじゃないんだからと言いながら、相手は子どもである。気持ちをぶつけながらこちらの出方で自分への気持ち(愛情を)を測っている。私の教室では、中学生の生徒にはもう大人として扱って欲しいだろうから大人として扱う。忘れ物や、遅刻、申し込み期限に遅れるそれはすべて、「自分のミス」でありお母さんが…という言い訳は通用しないと伝える。やらせてみることで、自分の至らなさ未熟さもわかり、自分と向かい合うことができるようになる。やらせてみて失敗しても、やり直しはききよい方向に進んでいく。失敗は成功の母大切なのは、一定の理解を示しながらも譲れないところは、未成年として親の決めたルールに従うべきと、毅然とした態度を貫くことだと思う。この日記を書いていたら今年私立中学に入学した女の子が冬期講習に来たのでお母さんに反抗してるの?と尋ねたら「6年生の時にすごくお母さんに反抗したけど、 今は、自分を応援してくれるし、普通です。」という返事が笑顔で返ってきた。そう言えば、去年、お兄ちゃんがお母さんと妹がやりあって、家の雰囲気悪いとぼやいていたことを思い出した。親の自分への理解を感じて、大人への階段を登り始めたようだ。
2008年12月27日
おそらく世界中、どの国の中学校の先生に尋ねても14歳はたいへん、と感じているのではないだろうか?オーストラリアの中学校を訪問した時も廊下で授業を受けている生徒を見て14歳は、なにかと問題の多い年齢です、と校内を案内してくださった先生がため息をついていた。もちろん私の教室にも反抗期まっただ中という生徒達が大勢いて多くのお母さんが、もう私の言うことは聞かないんです、と、娘の反抗に手を焼いている。これに中学受験の中だるみが加わると更に反抗の度合いが増していると感じる。中学受験を終え、気持ちが勉強に向いておらず学校の英語では困っていないというが、決してトップの成績というわけではないし私の教室のクラスもレベルが下のクラスへと2段階以上下がるケースもある。今月の中旬、中2のAちゃんのお母さんからAちゃんがちゃんと教室に来ているかを確認する電話があった。期末テストを返され今まででは考えられないような点数を英語で取ったにもかかわらず、平均点より上だからと意に介さないAちゃんをお母さんが注意したことで、口論となりAちゃんは、ぷいっと家を出て行ってしまったという。問題となった英語のテストの解答用紙を見ると問題をきちんと読んでいない、単語の写し間違えによる減点と単純なケアレスミスばかり復習が足りない為もあるが集中して勉強していないどころかテスト問題もきちんと読んでいないことが明らかだ。Aちゃんは、小学校入学と同時に私の教室に通い始めお母さんに言われなくても宿題をやる能動的な学習姿勢を持った子だった。しかし約1年半の中学受験の為の勉強で合格と同時に勉強に対する気持ちがすっかり変わってしまい、教室の宿題もやってこなくなった。「楽しさ」「楽さ」に気持ちが流されるようになってしまったのだ。勉強しなければならないことは十分承知しているでも、楽しい、楽でないことはしたくない。だから、勉強以外の事に気を向ける。勉強からの逃避である。しかし、その一方でどこかやましい気持ちもあり親に勉強を疎かにしていると注意されると痛いところを突かれ怒りを爆発させる。「わかるようになりたい、という気持ちのない中学生に 私たちが教えることは何もない。 学びたい、と思わないなのなら辞めなさい。 月謝のムダ。親御さんに申し訳ない。」というのが、私の考え方でAちゃんにもそう伝えるように担当講師に指示をした。するとAちゃんは、自分の心の中にある葛藤を担当講師に話し始めたと言う。次回に続く
2008年12月26日
20日から4,5年生の英語の規則性(文法)を学ぶ研修を実教室の生徒達と一緒に受ける為に九州から上京していた通信の生徒達が今日帰った。実教室には近隣の市や区、駅から通ってくる生徒も多く日頃から生活エリアや学校が違っても英語学習を通して共に成長する仲間として拘りなく受け入れている実教室の生徒達。今回もごく自然に通信の生徒達を受け入れてまるで以前から一緒に学んでいるように笑顔で共同生活を楽しみ、出会いを喜んでいた。英語が話せることより開かれた心を持っていることが大切と考え指導している私にとってなにより嬉しい光景であり、生徒たちの笑顔と理解しようと集中し澄んだ瞳に師走の文字通り仕事に追われ走り回っている疲れを忘れ励まされた。このブログを介して出会った子どもたち今回一緒に過ごした時間や経験したことがどのように生徒達のなかで活かされていくのかを見られるのは私の大きな喜びであり、来年の4月から始める未就園と新1年生の通信で受講生が実教室やサークルの生徒達と出会い、どのように成長していくのか、とても楽しみだ。今年、ブログを始めたことで確かに仕事量は増えたが喜びもまた増えたのである。
2008年12月25日

昨日は、教室のクリスマスパーティーでした。毎年参加者が多く去年から第1部 未就園児から年中クラスまで第2部 年長から小3まで第3部 小3から中3までのボランティアメンバーと、3部編成に。第2部では、夏の暗誦課題を劇にして、年長から小3までのグループが発表したが、クラスでは見せない男優、女優の顔を持つ生徒が何人もいたのにはびっくり!こういうイベントならではの楽しさだ。クラスをまたがったグループが一つの劇を発表するので合同の練習などなく、当日数回のリハーサルのみの練習としてはなかなかよくできていたと思う。第3部では、実際にカンボジアであった話しをベースとした地雷撲滅の自作の紙芝居を作って、小学生の参加者に見せた。機会があれば、このブログで紹介したいと思うほどの素晴らしい出来だった。そしてこの3部が終わった後、一足早いクリスマスプレゼントが教室に届いた。Mちゃんのお母さんを、転校先の学校でPTA役員をやっている生徒のお母さんに引き合わせる為にお母さんを教室にお呼びしたのだが、なんとMちゃんも、お母さんと一緒に笑顔で教室にやってきたのだ。「先生、私のためにがんばってくれてありがとうございました」お母さんもびっくりしたこの言葉を嬉しそうな笑顔で言ったMちゃん。なにより嬉しいクリスマスプレゼントだった。そして成田空港もクリスマスムード教室のボランティアメンバーから児童館の生徒たちへのクリスマスプレゼントを携えてバリへと向かいます。
2008年12月15日
昨日、Mちゃんのご両親は、眼科医の診断書、精神科の診断書などを携えて午前中に教育委員会、午後に校長との面談に臨んだ。結果、Mちゃんは、転校できる運びとなり夕方には、校長から転校先の学校へアトピーや担任不信に陥ってしまったことなどが伝えられ、どのクラスに編入させることがいいのか検討されているという。一昨日までは、精神科医との面談後、急に気持ちが悪いと言い出し、大好きな習い事にまで行かないと言い出したと聞いてヒヤリとしたが、お母さんに少々強引にでも家から出して他の子とふれ合う場である習い事に連れ出した方がいいとお伝えしご両親で、嫌がるMちゃんを習い事へと連れていったそうだ。習い事から帰ったMちゃんは、その後、自信を取り戻したのか、笑い声をあげながら笑い明日からでも新しい学校に行きたい!と言い出したという。先週の水曜日にお母さんから相談を受けてから8日でMちゃんは、笑顔で新しいステップを踏み出せることになった。このことが何よりも私は嬉しい。Mちゃんが転校先の学校で、再度いじめに合う可能性も絶対にないわけではない。しかしMちゃんは、今回の経験で学習しお父さん、お母さん、お婆ちゃんの自分への愛情を感じ数段の成長を遂げている。いじめは人間誰でも持っている妬み、そねみ、優越感といった弱い心が引き起こし誰もがいじめを行う可能性を持っていると私は考えている。自分自身の力を信じ、他人を思いやれる心を持ち自分の気持ちを満たす為に他人を貶めるような卑怯な行為は絶対にしないという強い気持ち・プライドを育てることでいじめを起こさないことができる、と私は信じ生徒達を指導している。いじめによる絶望感から不登校になる子どもが多い。いじめにさらされてしまったらとにかく親を含め回りの大人が本人にわかる形で動き、安心させてあげることが大切。ただ、やみくもに強くなれ、がんばれ、と言ってもどうがんばればいいのか、強くなれるのかはわからない。こうしようと具体例をあげてあげることで前向きに考えられるようになる子も多い。最後にお子さんに対するいじめで学校側の無理解な対応に悩んでいらっしゃる親御さんに今まで私が得た情報をお伝えしたいと思う。参考にしていただき、少しでもお役に立てば幸いだ。1.PTA会長に相談するこれは、先日このブログにも登場した現役のPTA会長さんである生徒のお母さんは、○○ちゃんがいじめられている、と回りからいくら聞いても親御さんから相談がなければ、PTAとして対応できないので親御さんが一人で抱え込まないでPTAに相談して欲しい。とおっしゃった。2.他の生徒のお母さんと団結して学校側(校長)を動かす一人のお母さんの訴えだと対応してくれない場合が多いが複数のお母さんが立ち上がると、学校側も問題として取り上げるケースが多い。3.教育委員会に相談する今回のMちゃんのケースもそうだが、学校側が誰一人としてMちゃんのお母さんに謝罪することがなかったのに教育委員会は、返信メールにきちんと謝罪の言葉を書いている。教育委員会に相談する書簡を送ることで、直接、返事はなくても、必ず学校に事実確認や指導がいきそれまでの学校側の対応とは異なる具体的な対応が取られるようになる。4.転校へのプロセス通常は、1.校長との面接2.校長から学務課への具申書の提出3.学務課の判断4.親からの転学先要望5.転学元・転学先の校長の引き継ぎとなるが、今回のMちゃんのケースは診断書ととも教育委員会と面談を行ったことで3は、時間を必要とせずとの教育委員会の判断と校長に内容や事情を説明してくれたことで、わずか半日で5まで進んだ。子どもは誰でも学校で友達と楽しく笑い合いたいのだと私は思う。我が子の笑顔を取り戻す為にも親御さんには、勇気を持って、積極的に動いて欲しい。
2008年12月12日
自宅の仕事部屋の大掃除をしていたら、書類の束の間から「皇后陛下御話」という小冊子を見つけた。出雲大社へ出かけた折に買い求めた物で国際児童図書評議会ニューデリー大会の基調講演者として招きを受けた美智子様が参加することができずNHK教育テレビで話されその原稿をいただいたものと後書きにあった。タイトルは、子供の本を通しての平和-子共時代の読書の思い出-筆者名は美智子と書かれている。行間から愛やご自身の意志がひしひしと伝わってくる素晴らしい文章である。ご自身が子供時代に読まれた本について書かれた後本を読むことについてこのように書かれ、結ばれている。本の中で人生の悲しみを知ることは、人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、本の中で、過去現在の作家の創作の喜びに触れることは、読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます。悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じるとる心、又、喜びに向かって延びようとする心が養われることが大切だと思います。そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても人の心に響く、魂のこもった言葉である。英語でも日本語でも名作を何冊読もうと何語の本を何冊読んだからと言って本を読む喜びや楽しさが得られるわけではない。大切なのは感性の芽を持って読むことではないだろうか。全文は、こちらでもお読みいただけます。皇后陛下第26回IBBYニューデリー大会基調講演
2008年12月10日
たくさんのコメントを書き込んでいただき、ありがとうございます。まだ、結果が出ていないのでお返事を書いてはいませんが、皆さんのコメントに力を頂いております。この日記が我が子に対する苛めで悩んでいらっしゃる親御さんを励ますことができればと願っています。微力ですが、Mちゃんの笑顔の為にがんばります!昨日、急に学校側がMちゃんに対して動き出した。副校長が学校で出迎え、様子をうかがう、ご両親と話し合いの場を作りたいと電話をしてくる。校長がクラスを回り、担任は道徳の時間に言葉を含む暴力はいけないと話し本人たちに、仲良くするように言う。学年主任は、担任、Mちゃんに怪我を負わせた児童と母親を連れてMちゃんの自宅を謝罪に訪れ、経験がない分皆で見ていくと言ったという。この今更ながらの学校の動きは、Mちゃんのご両親のメールを受け取った区の教育委員会が緊急の対応が必要と校長に事実確認をするとともに、Mちゃんへの対応を指示したからだ。やるだけのことはやりましたと言う為に動き出したとしか思えない学校側の態度今まで何ヶ月もお母さんの相談を受けながら放置していたのは何だったのか生徒不在の学校…生徒ではなく、教育委員会を向いて仕事をしていると考えざるをえない、この学校の急変ぶりにこれ以上大人の都合をMちゃんに押しつけ振り回すのを止めて、Mちゃんが明るく再スタートを切れるように彼女が望むようにしてあげて欲しいと願う。そしてMちゃんに怪我を負わせた児童の母親は、謝罪に訪れたにもかかわらず、「辛い」という言葉を口にしたそうだ。この児童もこの母親の被害者なのかもしれない。明後日、Mちゃんのご両親は、教育委員会そして学校との話し合いに臨む。
2008年12月09日
先日のブログでMちゃんの担任を無能と書いたが、私は、指導力に問題があっても、使命感を持ち生徒と向かい合い格闘している先生を決して無能呼ばわりしない。生徒が担任の先生を非難するような発言をすればたしなめ、担任を擁護する。しかし、今回のMちゃんの担任は、細かくは書かなかったが自分から生徒とした約束を履行しない親としていた約束を忘れて、帰宅する社会人3年目にしては、ずさんな、無責任な仕事ぶりなのである。学校は躾けをする場所ではない教育の場であるという言葉を学校関係者からよく聞く。私も学校は躾をする場所ではないと思う。躾は、家庭内で親が行うものだ。が、教育の場である=学力をつける場という考えも違うと思う。教育には社会教育も含まれているはずだ。学校は子どもにとっての社会生活の場である。勉強は学校以外の場でもできるが、社会教育は、社会生活の場である学校でしかできない事だ。社会的に許されないことを教えることも学校の大切な役割ではないだろうか。そして躾けのできない親が増えていると友人の幼稚園経営者が嘆いていたが、子どもと向き合わない親が増えていると私も感じている。幼児の我が子を自分の手に負えないといい、自分の目の前で、我が子が他の子を突き飛ばして転ばしても、何も言わないかやめなさ~い、と優しい声で言うだけなのである。こういう親御さんに限って先生、私の手には負えないので宜しくお願いします。と言う。中学生であればわかる。しかし、幼児である。週に一度会うだけの私たちに躾けはできない。丁重に入会をお断りする。躾けをして社会に出すことは親の責任だと思う。していい事といけない事を教えてもらっていない子は社会で辛い思いをする。そして、その義務を怠れば、親自身がその責めを負う。「うちの子は何もなければ殴ったりするような子じゃないんです」こう言い謝罪しに来ることもなかったMちゃんに暴力を奮った児童の母親。今回のMちゃんのケース大人の無責任さが引き起こしたと思えてならない。大人の責任、そして大人として子どもに対しての責任の取り方を考えさせられる。
2008年12月07日
昨夜、担任、副校長と面談を終えたMちゃんのお母さんが、眼科医の診断書と検査結果を携えて教室にやってきた。やはりMちゃんが殴られた方の目がよく見えないのは、心因性ではなく殴られた衝撃で網膜が脳しんとうのようにダメージを受けたせいだった。10日たった昨日の検査でもダメージを受けた方の目は、半分程度しか見えていない。診断書に書かれていたのは1.眼球打撲 2.網膜しんとう学校側から謝罪の言葉もなく今までこのような事例がないのでどのように対応してよいのかわからず2クラス担当している副担任に集中的にMちゃんのクラスを見させるといった程度の対応が告げられたという。首を絞められる、胸を殴られる、目を殴られるすべて担任が教室にいる間に起きたことにもかかわらずこの程度の対応しか考えていない。暴力をふるう生徒に対しての対応を尋ねると担任の講師は、言うことを聞いたらシールをあげる、という「指導」を行っていると言い、こう付け加えたそうだ。「1年生は宇宙人ですから」この担任の考え方、本質が実によく表れた言葉ではないか。昨日、Mちゃんは保健室にいたというが、担任から、そのことをお母さんにその場で報告されることはなかったという。保健室登校から不登校へつながるケースも多い。別の小学校でPTA会長をやっている生徒のお母さんから転校するより、今の学校で通い通すことが大切だと思うからMちゃんの学校のPTA会長に相談することを勧めると会長さんの携帯の番号と名前を出してもいいという許可をいただいたがMちゃんのお母さんも、担任副校長と面談をして転校の意志を一層強固にされていたし私も今回のMちゃんのケースは転校やむなしという結論だ。それもなるべく早く環境を変えてあげる必要を感じている。Mちゃんは、お母さんやおばあちゃんが大きな声でMちゃんの名前を呼んで、振り返ると両手で頭を抱える、そう殴られると思った時にやる頭を庇う動作を見せるようになってきているという。専門家ではないので、はっきりとは言えないがこれは、殴られた恐怖によるPTSDの症状ではないかと感じるからだ。Mちゃんのお母さんに教育委員会のメールアドレスと直通の電話番号をお教えした。月曜日、お母さんは教育委員会と対峙する。
2008年12月06日
一昨日の水曜日、名古屋からのかわいい来客者が帰った後、怒りで身体が震えるような出来事があった。以前このブログで紹介した食物アレルギーを持つ1年生のMちゃんが学校で同じクラスの二人の生徒からたびたび暴力行為を受け一度は失明の可能性まであったというのだ。さすがにこの時は、加害者である女子児童の親から謝りの電話が入ったそうだが、実に手慣れた、流暢な対応だったそうだ。「このようなことのないように気をつけさせますので。」しかし、その二日後、席を間違って座っているその子に席が違うよと声をかけたMちゃんは、その子に胸を強打され倒れ病院に行った。この時の担任の言葉が、「暴力をふるった生徒は、まだ善悪の芽が育っていないんです。」担任は、この加害児童や家庭に対して何の対応もせずこれらの事実を知っている校長や副校長からも改善策は提示されず、事実上放置している状態。Mちゃんのクラスには、この生徒ともう一人、暴力をふるう男の子がいて被害にあっているのはMちゃんだけではない。が、Mちゃんはやられる回数が多い。Mちゃんの善悪について、物事をはっきり言う性格もあるだろう。しかし、Mちゃんへの暴力は、入学そうそう担任講師の指導力のなさから始まった。Mちゃんは、アトピーによる皮膚のトラブルを抱えている。化学物質アレルギーもあり、通常の石けんを使うとぶつぶつができてしまう。誤って食事前に他の生徒が使う石けんを使ってしまい手にぶつぶつができてしまったところ、生徒たちから「汚い」と言われ、暴力をふるうその子たちから背中を蹴られる、突き飛ばされるようになったという。Mちゃんが、そのような病気を抱えていることは給食を食べらず、お弁当を持参をすることと合わせ担任や学年主任、学校長にも入学前に話しをしていたにもかかわらず、担任は生徒達に対してそのような事件が起こるまで何もしていなかったのである。想像力の欠如は、指導者として致命的である。(担任がMちゃんのアトピーについて生徒達に話しをした後は、 生徒達も理解を示し、そのことでからかわれることはなくなった)また、こんなこともあったそうだ。教室内でボールを蹴って遊んでいた暴力をふるう男の子が目の前にボールが来たので、ボールを拾い上げたMちゃんを廊下に飛び出るほどの勢いで突き飛ばし怪我をおわしMちゃんは、病院に連れていかれた。男の子は拾うな、と言ったというが、友達と話していたMちゃんには、その言葉は聞こえてはいなかった。この時のこの担任の言葉に私は怒りを覚えた。「男の子が拾うなと言ったのにボールを拾ったMちゃんが悪い」指導者として無能なだけではなく暴力をふるわれても当然だという呆れた認識の持ち主である。暴力は犯罪である。この場合、相手に怪我を負わしている立派な傷害罪だ。今回のケース、虐められていること親に言えなかったMちゃんが、学校で配られたカードにかかれた都のスクールカウンセラーの番号に電話をかけて相談している姿を、お母さんが偶然目にしたことで親御さんの知るところとなった。Mちゃんは、心因性による身体の変調が出始め友達もたくさんいて楽しいけれど、転校したいと言い始めたという。お母さんからこの話しを聞いた私は、「もし、私が我が子がこのような状況になっていると知ったら 私は、何の躊躇いもなく弁護士を伴って学校へ行っただろうし 教育委員会に出向き、転校させる手だてを相談する。」と心身ともに致命的なダメージを負わないうちにさっさと転校することを勧めた。危険回避である。生徒は安全に楽しく学校生活を送る権利があり義務教育である以上国と学校は生徒が安全に楽しく授業を受けられることを保証する義務があると考える。その守られるべき二つが守られていない。そして驚くべきことは、この問題の小学校、区内でも学力が高く、熱心な指導で有名で毎年、入学希望者が殺到することで知られている学校なのだ。小学校の高い塀の向こうの本当の様子は、外に出ている数値や噂では、知り得ない。学校選択を失敗したと嘆くMちゃんのお母さんを励まし微力ながらツテを使っての教育委員会への働きかけなどMちゃんが楽しい学校生活を送れる為に親御さんと共に努力することを約束した。
2008年12月05日
どうやら12/2の「英語学習に楽しさは必要ない」という言葉は、指導者の言葉というより、市販されていない教材販売会社の都合のいい解釈の上に成り立ったセールストークだった(笑)プラトンの言葉ほど重いわけがない。『子どもたちが日本語を身につけていく段階で、「ああ、日本語って楽しいんだ」と感じているでしょうか。果たして日本語を身につけている最中の1歳児は「日本語って楽しい。こんな楽しいものはぜひとも身につけたい」と思って、学習しているでしょうか。そんなことはないでしょう。彼らは日本語に好悪の感情など抱いていません。しかし、言語教育に楽しさを求めると、子どもが喜ぶものばかり与えてしまいます。しかも、楽しんでいるうちはよいのですが、子どもは気まぐれ、すぐに飽きてしまいます。やはり、英語も日本語同様、無意識のうちに獲得させるのが一番でしょう。』もっともらしく言語習得について語られているこの一節だが一番言いたいのは、赤字の部分に違いないと思われる。この言葉の主が自身の名をつけた会社が販売する市販されていない英語教材とマーケットを争っている某有名キャラクターを使用している教材のことを指し、暗に自分の教材をプッシュしているのだと推察する。有名キャラクターのついている絵本を見せられて語りかけられる言葉を1歳児は、英語だと理解しているのだろうか?答えはNOだ。どんな教材を使おうと区別なく身につけていくそういう年齢なのである。確かに特定のキャラクターばかり出てくる教材は年齢とともに飽きられ、見向きもされなくなるという問題を抱え込む親御さんは多い。しかし『英語がもっとできるようになりたい』という気持ちになればまたその教材を使い出す。自社の教材を売るために学会で発表された仮説を都合のいいように解釈しセールストークとして利用するのは高価な教材会社の常套手段のようだ。くれぐれも惑わされないように気をつけていただきたい。
2008年12月03日
静岡のワークショップを主催してくれたmixi夢玉教室のメンバーのブログにレッスンに参加したお子さんたちのようすが書かれていた。引っ込み思案な年中さんが、「もっといっぱい英語を話したいと思った。」という気持ちになってくれたことは講師としてなによりも嬉しい。レッスンのアクティビティが楽かったというよりわかったことが楽しいという気持ちが表れた言葉だと思う。日本人が日本語が聞けて話せて、読めて書ける事に「楽しい」と思うことはない。英語も母国語のように身につけてバイリンガルに育つと、英語を話せることは普通で楽しい必要は無いという考えの指導者がいらっしゃるようだが、私は賛同できない。初めて自分の名前をひらがなできちんと書くことができた時親に褒めてもらって、私はとても嬉しかったし、親の手を借りずに、るびなしの本を読めるようになった時もとてもうれしかった。それまでできなかったことが、練習してできるようになった時嬉しくて、練習が楽しくなるのは当然のことではないのだろうか?「楽しい」は変化するのである。幼児にとって楽しみの中から学ぶことはとても多い。だから幼児の遊びの要素を取り入れて学ばせることは、英語に限ったことではない。母国語である日本語だって同じである。しりとり、かるた、もそうだ。そして成長するにしたがって遊びが「楽しい」のではなく、できなかったことができる喜びが「楽しい」になる。「無理強いはさけよ。 初期の教育は楽しみの形をとることだ。 幼い子供は、遊びから学ぶ。 強制的な教育は魂に残らない。」これは古代ギリシャの哲学者であるプラトンの言葉だ。3000年以上前から語り続けられている言葉にずっしりとした重みを感じるのは、私だけだろうか?
2008年12月02日

昨日は、静岡県富士市でワークショップを行いました。雄大な富士山の姿に同行した外国人講師も大喜びでした。今回は、茨城での勉強会と同じく子ども主体の内容だったので親御さんには、事前にいただいていた質問についての答えを交え参加者の年齢に合わせた家庭での取り組みのポイントについて話しをさせていただいた。*情緒レベルを大切にする*幼稚園入学後の取り組みは、集中力を活かす*小学校を見据えての取り組みの準備は、年長から始める家庭での取り組みのヒントとして活かしていただければ幸いだ。その後、スタッフとしてこのワークショップの開催に尽力してくれた夢玉教室のメンバーと会食楽しい時間を過ごさせていただいた。mixi夢玉教室を経てブログという無機質な空間から飛び出した夢玉の活動やはり直接言葉を交わしてこそ伝わる気持ちがある。そんな思いを胸に夕焼けに浮かぶ富士山を見ながら行楽帰りの車と事故で大渋滞の中、東京へと向かった。夢玉メンバー静岡支部?の皆さん、お疲れ様でした、そして、貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。
2008年12月01日
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