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ある気功師・1179 「余裕命」生命は「やわらかい」。少しの無理なら自動修復する。復元力は最初から備わっている。少しくらい法則に逆らっても大丈夫さぁ。法をガチガチに守る方が生命弱化になる。少しの無理。たまに破る法則。それならいい。むしろ、こっそり奨励する・・・ちょっとだけよ、は愉しみでもある。アハハ・・・だが継続はアカン!それは必ず壊れる。当たり前やんけ!生命法則を無視し続けて、生命が続くはずが無いよねぇ・・・(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/30
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ある気功師・1178 「余裕命」継続は力。だが力は得るモノなのか?命を削ってまで得るモノなのか?私はこの言葉に企みを感じる。誰かが誰かを利用していると感じる。言葉に踊らされる人は多い・・・深い病になる方法がある。病になりたくて、なったのではない。だが、それは病になる方法なのだ。それは「無理の継続」・・・継続は力になり、深い病を創る・・・「理」は自然法則。自然は「生命」のことだ。「理」は生命法則。それを無視するのが「無理」生命法則を壊すのが「無理」なのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/29
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ある気功師・1177 「余裕命」使った「余裕命」の量は中々回復しない。生きる事が制限されるのだ。仮の限界線前なら回復は早い。回復を「余裕命」が支えるからだ。「余裕命」は「命の土台」らしい。土台は削るモノではない。無理をしてもいいけど、無理を続けると「余裕命」を使う事になる。無理は少しにしておく方がいい。少しなら何とか修復できる。少しでは何かを得られないかもしれない。続ければ何かを得られる。この世は継続が形になりやすい。「無理の継続」も何かを得られる。だが最も大切な「命」を失う。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/28
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ある気功師・1176 「余裕命」生きるに大切な「余裕命」の部分。大切だからこそ使わない仕組み。使わざるを得ない状況下で気づく仕組み。生きる危機になり、生きる大切さを知る。幾重にも張り巡らされた気づきの層。死の手前になるほど「気づき」が濃くなる。生きる意味の気づきが濃くなる。それでもいいのだ。どの段階でもいいのだ。どの段階からも用意されている。でも、そんなに苦しむ前で気づく方がいい。普通の暮らしの中でも「気づき」はできる。できれば「余裕命」を使う前がお薦めだ。自分を捨てれば、自分が観える。自分を捨てれば、気づきは拾える。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/27
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ある気功師・1175 「余裕命」「生・老・病・死」やがて、四苦と思ったのは間違いと気づく。「生・老・病・死」は成長刺激の仕組みだと気づく。病はチャンスでもある。でも、辛いからお薦めできない・・・病にならなくても成長は出来る。生きているだけで、いろいろあるから・・・(それに・・・特に成長しなくてもいいと思うよ)成長を意識すると、成長出来ない。この世の仕組みはヒネクレているのだ。神だか創造主だか醸造酒だか知らないが、この世を創ったモノはオチャメだ。偉大かもしれないが・・・ヒネクレている。ヒネクレているモノは偉大なのかも知れない。オチャメなのは・・・偉大なのかも知れない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/26
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ある気功師・1174 「余裕命」病になるのが偉いわけじゃない。病になるのが徳の高さじゃない。だが、そこから回復するなら偉いと思う。回復の過程で徳は高まると思う。浅薄な精神論では病を悪かのようにいう。病になるのはレベルの低さだ、という。心が浅いから病に落ちるという。浅いのは、そう評価する方なのになぁ・・・人間、皆、浅いといえば浅い・・・自分の心は観えないのね・・・生きているモノ全てに共通する仕組み。ブッちゃん(仏陀)はそれを四苦と言った。まだ至らぬ頃(アホの頃)だと思う・・・四苦の解放法に悩み、シクシクと泣いていた(ウソ)。(この畏れを知らぬ文章、きっと私には天罰が・・・)(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/25
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ある気功師・1173 「余裕命」私はアホだから、自力で気づかない。厳しい状況のクライアントに接し、クライアントから教えていただく。大事な事、大切な事を教えていただく。それは「生命」の事だ。苦しい、辛い、痛い状態。そして大切なモノを示してくれる。私の苦しさ、痛さではない。でも私に苦しさ、痛さを分けてくれる。多分、ホンモノの何分の一の量だと思う。だから「気づき」が起こる。身を挺して教えてくれる。クライアントは偉いなぁ・・・。しかもお金までくれる・・・。ロクデナシの私にだぜ・・・。だからクライアントは徳が高い。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/24
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ある気功師・1172 「余裕命」人間以外の生物は理屈を唱えない。だから天寿をまっとうできる。自然に解けて生きている。だから「生命力」が活用できる。人間は人間以外から教わる事が多いし、大きい。最後まで「余裕命」を残す。最後の最後。「余裕命」は「死」の為に使う。「生命」を使わなくては「死」が自然でない。(幾人もの死に係わり、やっと気づいた事だ)「生命」が無くなるから「死」が訪れるのもある。だが、自然な「死」は「生命」が最後に使われる。すると「死」は輝く。そして、尊厳が生まれる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/23
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ある気功師・1171 「余裕命」病からの回復に有効な「命の量」基本的に誰でも増やすことができる。安全に増やすことができる。それなのに常識人は・・・変だ。病から回復するのに危険な方向に行きたがる。限界膜を根性で破る。まるでエライかのように頑張る。「余裕命」が少なくなるのを自慢する。それって・・・変だぞ。理屈で行動をすると「余裕」はなくなる。人間の理屈は「無理」だからだ。「理(自然法則)」と人の理屈は別な岸にいる。理屈が消えると「理」が現われる。そんな事も判断できないのかなぁ?(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/22
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ある気功師・1170 「余裕命」器を大きくする。ここで多くの人が勘違いする。固定概念ってやつだ。器が大きくなっても人間は立派にならない。残念でした・・・。ナマケモノでロクデナシには吉報だ。立派にならなくても、器は大きくなれる。私も安心して、遠慮なく大きくする。立派にだけは・・・なりたくないから・・・。(一部は立派にも大きくもならない・・・)私でさえ器が大きくなれるのだ。安心してくれ。誰だって可能だ。「やわらかくなる」事は誰でもなれる。誰でも「やわらかかった」からだ。誰でも赤ちゃんだった頃があるのだ。やわらかさの頂点の赤ちゃんだったのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/21
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ある気功師・1169 「余裕命」受ける病は浄化するが、一時的に受け取っている。それを収めるのも「器」だ。つまり私自身の「器」も大きくしておかないと、私の生命が危機になる・・・私は自慢じゃないがナマケモノだ。それでも、こればかりはしょうがない。生命が無くなると、愉しめない。私自身に対しても、この分くらいは仕事する。一応、プロだし・・・セルフヒーリングはプロとしての日常仕事だ。ナマケモノでも命懸けは変わらない。だが・・・自分に甘くなる。すると・・・結構、苦しむし、痛いし、辛い・・・(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/20
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ある気功師・1168 「余裕命」温存する命を「余裕命」と名づけた。「余裕命」を使わずに「使う命」を増やす。それは「器」を大きくする事だと気づいた。(超)一流の選手と同じ方法だ。「やわらかさ」で体と心の「器」を広げる。ここからが選手と私等の違いとなる。一流選手が大きくするのは自分の器だ私等はクライアントの器を大きくする。その方法が「ヒーリング」というものだ。「ヒーリング」は一方通行の能力じゃない。私は(私流の)氣功で「やわらぐ」スイッチを押す。体にも心にも(魂にも)影響する光だから可能だ。私のいいかげんな言葉では無理だが氣功なら可能だ。そして代わりに相手の病を受ける。「ヒーリング」は一方通行じゃないのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/19
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ある気功師・1167 「余裕命」使える「命の量」を大きくする。これは病の回復にも応用できる。回復するには「命」を使う。病で少なくなった「命」を更に使う。病でダメージを受けた「命」を更に使う。回復に使う「命の量」で病は左右されるのだ。ただし限界膜を破るのは非常時以外は適さない。「余裕命」が少なくなるからだ。「余裕命」は使わない事に役目がある。とても重要な役目がある。「使わない力」はとても重要なのだ。この道に入り、ここに気づくまで数年を要した。この世の仕組みはヒネクレている。「使わない力」に最重要を持たせる。「使わない事」が最大活用になる。「使わない事」を学ぶ為に存在する。温存する「命の量」が重要なのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/18
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ある気功師・1166 「余裕命」気づいた者だけが入れる世界がある。「気づき」は固定概念外にある。「使わない事」に意味がある力。そこに気づいた者は別な「気づき」も得る。使える力を増やすのではなく「器」を広げる。「器」を広げると能力は増えてしまう。一流が練習するのは能力を増やしているわけじゃない。「器」を大きくしているのだ。「器」は「やわらかさ」で広がる。器が大きくなり、それに伴って能力も大きくなる。一流は超一流になる。すると・・・能力を見せなくなる。一線から退いて、隠れてしまう。本物は、ほとんど人前に出ないものだ。マスコミに出たがるのは二流か三流か詐欺師・・・(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/17
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ある気功師・1165 「余裕命」限界点で余裕が大きいのが一流。たった一度の勝負なら、誰が勝つか判らない。シロウトだって勝つ事がある。だが常に最終組まで残るのは一流だけだ。使える力の温存ではない。そんなに甘くはない。誰でも限界点で勝負する。それでも常に差が出る。「使わない力」の量があるからだ。「使わない力」が限界膜の下にある。それを知ると「使わない力」を「使える力」にする。通常、誰でもそう考えてしまう。限界膜を破って「使える力」にする。当然「使わない力」は少なくなる。「力は使うモノ」という固定概念しかない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/16
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ある気功師・1164 「余裕命」限界点で勝負する者同士がいる。だが一流とそれ以下は大きく違う。限界点は仮限界点だ。その下に眠っている能力がある。眠っている能力を使おうとする。限界膜を破って使う。眠っている能力は「余裕命」使えば使える力だ。一流以下は使うモノだと思い込んでいる。だが一流は残す。温存する能力として認識する。ここに大きな差が出てしまう。眠っている力を使う者。眠っている力を温存する者。同じ限界点までいるのに、大きな差がでる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/15
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ある気功師・1163 「余裕命」一流は力を温存する方法を見出す。次の世界は根性で乗り切れる次元ではない。その事に気づいている。別な要素を使う。その「やわらかさ」が一流の素質なのかもしれない。強くなる為に練習をする人がいる。それはそれでいい。だが「やわらかさ」を掴むために練習する者もいる。それが一流といわれる人だと思う。一瞬で変わる「やわらかさ」それを掴むために多くの時間を費やす場合もある。僅かの日時で掴む場合もある。だから一流は年齢でも経験でもない。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/14
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ある気功師・1162 「余裕命」真の一流は限界膜を破るより器を広げる。「やわらかさ」で体と心を広げる。一流以下は無理に限界を進める。一流とそれ以下は別な次元となる。努力や根性で入れる世界じゃないのだ。能力は「命の量」と直結している。能力を伸ばすには「命の量」を増やす。そこに気づく者は多い。しかし限界膜を破って広げる者がほとんどだ。根性がある者ほど陥りやすい罠だ。努力と根性の世界だけなら難しくはない。力の世界なら狭い世界だからだ。力の世界では限界に簡単にぶち当たる。そして苦しむ。力で押そうとするからだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/13
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ある気功師・1161 「余裕命」個体の「命の量」には限界がある。限界は仮の限界と本当の限界がある。「命」は保護システムがあるのだ。それは幾重かになっている。仮の限界膜も幾重かになっている。体が一度限界を知らせても、まだ先に行ける。心が限界膜を破るからだ。それは仮の限界膜だから破る事ができる。膜は再び塞がるが、破られる都度薄くなる。ある状況下で意図して破る場合もある。スポーツなどで一つの段階を越える場合だ。何度も破り、通常能力を広げる場合だ。だが、容器が広がったわけではない。だから能力が広がっても命は短くなる。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/12
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ある気功師・1160 「余裕命」「命」の研究を進めているが、一方向からだけだ。近代以降、見える分野でしか研究が出来なくなったからだ。科学的という分野だけでしか進めなくなった。学問も狭く硬くなってしまった。「観る能力」もあるのに使わなくなった。「器」だけじゃなく、頭も硬くなった・・・。だから「命」は解る人にしか解らない。まぁ、それでもいいけどさぁ・・・生きている限り「命」を使う。生きている限り「命」を補充する。「命」は使い合う。「命」は補充し合う。多種多様なモノ達と補充し合っている。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/11
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ある気功師・1159 「余裕命」量はその個体の決定量じゃない。「命の器」が一つ一つ違う。しかも「器」は大きさが変化できる。当たり前だが「やわらかい」ほど大きくなれる。更に器は常に満杯の量ではない。「命の量」は個体のその時の状態で変化する。つまり「命」は「器」と「量」の二段構えの仕組みだ。人は意識で「器」と「量」を変化してしまう生物だ。変えることがある程度可能な能力を持っている。能力はあるが、活用しているわけじゃない。特に近代以降、人類は見えないモノに鈍感になった。大切だ、大事だ、と言いながら「命」を粗末にした。同種同士の戦争が途切れた事のない、特殊な生物だ。かなり・・・愚かではある。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/10
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ある気功師・1158 「余裕命」ちょうどいい名前が思いつかなかった。「余命」じゃ違うし・・・「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・この部分の説明に出会った事がないし・・・だから言葉が判らない・・・。私の感覚だ。クライアントに接して感じる「命」命の仮の境界線。そこから下の部分の話だ。普段は使わない命の部分だ。生きている時は「命」を使う。あらゆる事に使う。何にもしなくても使う。その「命」には量がある。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/09
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ある気功師・1157 「零脳者」イロイロと出会う。人やモノや風景や機会や感情や思想。イロイロと出会えるのは、生きている時だけだ。イロイロと経験、体験できるのも特徴だ。死んでからでは・・・遅いのだ。霊能者ではなく、零脳者の観方がある。霊も人間も本質は同じだ。(霊に脳が有るか、無いかというのは、とても面白いテーマだが、ここでは書かないぞ)生身(肉体・物質)の有無だけだ。それが・・・大きな意味を持つ。霊は怖がる相手ではない。付き合う相手でもない。だが、とても大切な事を教えてくれる。追い払う相手でもない。こちら側(人間)を見直す相手では、あるなぁ・・・。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/08
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ある気功師・1156 「零脳者」霊障は「人間とオバケさん」の交流(?)。それに係わると「気づき」もある。「オバケさん」から教わる事も多い。なるほどなぁ・・・(一人納得!)だけど、そんなに勉強熱心(霊障)になる必要はない。生きている相手だけで、充分だと思うぞ。それにインチキや詐欺に会う確率も高い。もちろん相手は人間だ。怪しげな霊能者などに関わるのは止めようね。生きているのは、肉体が主役だ。肉体があるから、イロイロが変わる。変わる事が出来る。森羅万象は無常だから意味があるのだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/07
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ある気功師・1155 「零脳者」全て霊という表現もある。肉体が無い霊が「オバケさん」肉体が有る霊が「人間」怖いのは人間の方だ。イキナリ他人を殺傷するのは人間だ。「オバケさん」は怖くない。怖い力が持てない存在だ。小さな事にクヨクヨこだわっている存在だ。可哀想だが、ツマラン生き方(?)だ。大らかになると、この世にはいられないが、もっと素敵な所には行けるかもしれない。あの世の事は、死んでからで間に合う。生きている人間がアレコレ思い煩う事ではない。生きている人間は「生きる事」。それで精一杯のはずだ。余計な事を考えるのは「活きてない」証拠だ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/06
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ある気功師・1154 「零脳者」霊は、たいてい歪んだ波動だ。生身の人間と同じだ。アナタや私と同じだ。人間は生きているからイロイロある。イロイロあると「氣」も心も変わる。歪んだ波動も変わってしまうのだ。ところが霊は死んでいる。イロイロが・・・出来ない。イロイロの相手と接触出来ない。同じ歪んだ相手だけが接触できる。つまり心が変わるチャンスが少ないのだ。生身は歪んだ波動が消えても身体は残る。それを回復・修正という。だが霊は生身が無いから・・・消えてしまう。それを成仏というようだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/05
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ある気功師・1153 「零脳者」私は霊能者でも退霊屋でもない。霊をどうのこうのするつもりもない。彼等だって、それぞれ都合があるだろう。力でも理屈でも直接アレコレされるのは嫌だろうね。私も相手が霊とはいえ、嫌な事はしたくない。霊も妖怪も人間もそれほど違いは無い。それでもクライアントから依頼されれば解決する。私流の解決はできるのだ。私は医療氣功師だからだ。霊が居座れる部分を修復すればいい。修復(波動の変化)で、霊は憑いていられない。私が扱う「氣」は相手を区別しない。どんな人間も異細胞も霊も区別しない。「調和・浄化」の「氣」だ。霊が側にいるなら、霊も修復してしまう。側にいるから影響してしまう。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/05
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ある気功師・1152 「零脳者」私は零脳者だが、霊能者ではない。霊能者ではないが、感じる事は出来る。これでもプロの氣功師だからだ。霊が障りの病も結構あるからだ。だが病に関係ない霊は私の範囲ではない。ほとんどは、たいした事が無い。当たり前だが、生きている人間より強い霊はない。生身の本人の方が優れているのだ。それなのに、心を縮めて霊を受け入れる。霊が勝手に憑くことは出来ない。霊は力の無い孤独なヤツなんだ。生身の人間の方が霊を捕まえているんだ。心が縮むか歪まないと霊も近寄れないのだ。その事に、気づかないだけだ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/03
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ある気功師・1151 「零脳者」「全ては必然。偶然は無い」とかいうが、この世は間違いだってあるのだ。私が創造主なら、アチコチに冗談を創る。創造主なんてそんなモノだろう。生真面目な創造主なら、世界を創るはずがない。(ここが理解できない学者が多い・・・)「落ちこぼれ者」にも法則(道)を創ってくれた。とりあえず「感謝」だけはしておこう。私は不遜の独善家だが「感謝」は得意な方だ。見境無く感謝する事が出来る。無能力者や零脳者にとって自分以外は全てマトモなのだ。不遜でも、結構己を知っている・・・。努力が適さないタイプもいる。社会に馴染めないタイプもいる。遠慮せず、落ち込んでみよう。捨てて、脱いで、放してみよう。そこに道(法則)が見えるかもしれないぞ。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/02
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ある気功師・1150 「零脳者」その人の能力による特殊な力なら、超能力や異能力と表現してもいいだろう。「素晴らしい力をお持ちですね」勘違いもはなはだしい・・・。穴があったら覗いてみたい・・・。(好奇心は人並み以上かもしれない・・・)性格と「運」だけで歩いている。二人の御師匠様との「縁」も「運」だ。培った能力じゃない。「素晴らしい縁」は「気まぐれの運」だと思う。徳の覚えが無いのだから、御褒美はありえない。徳を積むと御褒美がもらえるというのも、何か変だし・・・謙遜ではなく、本気でラッキーだと思う。(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索 ブログだけなら楽天「水上陽平の独善世界」検索が読みやすい)
2025/04/01
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