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2008.02.01
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カテゴリ: Essay
<ジェイク・ファンの皆様は明日おいでください。ジェイク・ネタは明日からです>

昨日、レオナルドが30代後半のときに拾った少年がモデルとされる横顔の素描を紹介したが、この少年は本名はジャコモという。彼はレオナルドからルイジ・プルチの叙事詩にちなんだ「サライ(悪魔の意味)」というあだ名をつけられ、10歳でレオナルドと同居を始めてからずっと25年以上にわたって、レオナルドがフランスで亡くなるまで生活を共にした。

なぜレオナルドが彼をサライと呼んだかといえば、それはこの少年が、その美貌と裏腹に、非常に品行が悪かったからだ。レオナルドの手記には、このサライに対する悪口が綿々と綴られている。彼に何を買ってやったとか、彼が何を盗んだとか、彼が何を食べたとか、いちいちその値段までつけて詳細に記録し、「泥棒、うそつき、頑固」などと罵倒している。それならば、さっさと別れればいいことなのに、レオナルドとサライはなぜか離れない。サライの「悪さ」がいつごろまで続いたのかわからないし、それが生来のものだったのか、それとも自分を縛ろうとする高名な画家への少年らしい反発心からだったのかはっきりしないが、ともかくレオナルドは手記では悪態をつきながらもサライに服や靴、指輪や首飾りなどを買い与え、彼の家族の援助までしたうえに、最期にはサライに家を含めた遺産も残している(いいな~、お付き合いするならこういうヒトだよね)。

そして、そのサライとの生活を暗示するようなレオナルドの素描がイギリスにある。ソクラテスが死の直前、弟子を集めて行った論議を弟子のプラトンがまとめた『パイドン』から想を得て描いた「快楽と苦痛の寓意(アレゴリー)」だ。
快楽と苦痛の寓意

『パイドン』においてソクラテスは、「快楽と苦痛とは1つの頭についた2つの肉体」だと述べている。それをレオナルドは1つの肉体に2つの顔をもつシャム双生児のような寓意像にうつしかえて表現した。さらに、この双生児の顔はまったく違っており、2つの顔のうち1つは少年のように若く、もう1つはそれよりずっと年上で、老年期にさしかかっているように見える。少年はサライの素描に似ているという人もいるが、どうもMizumizuにはサライのようでもあり、自分の少年時代を描いたといわれる「キリスト洗礼」図の天使のようでもあるように見える。

少年は片手に「葦竹」をもち、もう片手にはコイン(お金)をもっていて、それが地面に落ちている。年上の男は花のついた植物(とげのある薔薇だというが、よくわからない。果物かもしれない)とまきびし(敵から逃げるときにばらまいて、相手の足を止める道具)をもっている。まきびしもやはり、一部が地面に落ちている。

そして、この素描には、鏡文字といって、鏡にうつさなければ読めない、さかさまに書かれた文字による注がある。この鏡文字はもちろんレオナルドが書いたものだ。レオナルドという人は元来左利きで、私的な手記などを綴るときなどは、あたかも人に読まれることを避けるかのように、決まってこの鏡文字で書いた。もちろん、普通に書くこともできた(ホント、すごいというか、変な人だ)。

年上の男がもっているのは、求愛のプレゼントに使えそうな植物(あるいは快楽そのものを象徴する果実)と、相手から逃げるときに使うまきびしという道具であり(しかも、一部を地面に落とすことで、もう使い始めている)、明らかにそれは、背中合わせの少年に対するアンビバレントな感情を暗示しているようだ。少年の手からコインが落ちているのは、与えられた金の浪費を象徴しているように思われる。そして葦竹については、素描に添えられた注釈に説明がある。この注釈は一般に、「寓意に対する道徳的解釈」だとされている。

それはざっと以下のとおりだ。「これは苦痛とともにいる快楽。双子なのは決して離れることができないから。背中合わせになっているのは、2人がまったく対照的であるため。彼らの下半身は1つになっている。なぜなら、快楽の根源は苦痛のない仕事であり、苦痛の根源は虚栄と気まぐれな快楽だから。だから1人は右手に葦竹を持つ。葦竹は役立たずで何の強みもない。だが、刺されると毒にやられる。


これが寓意に対する道徳的解釈だろうか? とてもそうは読めない。むしろこれは素描を描いたレオナルドのモノローグのように読める。快楽の象徴であるベッドの材料となる葦竹は、「役に立たないが、刺されると毒にやられる」もの。そしてそれをもつ少年は、年上の男とは「対照的でありながら、離れられない存在」。ベッドでは「不可能なことを考え、しばしば命取りになるようなあの喜び」にふける。「不可能なことを想像する」とは誇大妄想を言い換えたものだろう。そして、レオナルドは自他共にみとめる誇大妄想狂的性格だった。彼は実現不可能な壮大な都市計画を立てたり、実際に使うことのない武器を考案したり、当時の技術ではできるはずのなかった巨大なブロンズ像制作に挑んだりしていた。昨日紹介した「5つのグロテスク」で、グロテスクな顔に囲まれている中央の誇大妄想の男は、晩年のレオナルドの顔にそっくりで、自身をモデルに描いたものだとされている。

だから、ここにはレオナルドのサライに対する感情と彼との生活が暗示されているようにしか思えないのだ。下半身が1つになっている画はサライとの関係を示している。単にソクラテスの言葉を寓意像で表わすなら、そのオリジナルの言葉にしたがって、頭が1つで肉体を2つに描けばいいことだ。

実はレオナルドはもっと若いころ、具体的にいうと24歳のときに、17歳の少年に対する買春の罪で告発されている。当時のフィレンツェでは、男色に対する罰は大変に重いものだった。罰金、鞭打ち、火刑、去勢、片足の切断。ただし、こうした罰は見せしめのためには行われるものの、有力者は事実上お目こぼしにあずかっていた。このときはレオナルドの罪は不問にふされる。この告発はデッチアゲで、だからレオナルドは罰を受けなかったのだと主張する人もいる。無罪放免にされたことが、告発が陰謀であったという証拠だというのだ。だが、このサライとの出会いとその後の生活を考えると、告発がまったくの事実無根だったとも考えにくい。レオナルドは庶子とはいえ、その父のフィレンツェにおける政治的な地位は高かった。24歳の画家としてのレオナルドの名声はそれほどのものではなかったから、もし政治的な力で罰をまぬがれていたとしたら、それは父親が裏で動いたからかもしれない。

だから、「しばしば命取りになるあの喜び」が何かということはハッキリしている。若き日のレオナルドに対する告発が事実無根だという人や、サライとの関係を友情だとかレオナルドの慈愛だとかいう人たちは、万能の天才、ルネサンスの巨匠、人類史上でも指折りの大天才が、男娼を買ったり、教養のないロクデナシの美少年に貢いだりしていては困るのだ。自分たちが抱いている偉大なるレオナルド像のイメージが壊れるからだ。

だが、人の仕事の才能や能力とセクシャリティは、本来何も関係がない。ルーブルで人が群がっているガラスケースに入った「モナリザ」や、ミラノで長々と行列ができる、剥落が激しく、いくら修復しようとしても、もうとっくに失われてしまった名画「最後の晩餐」と違って、この寓意画はほとんど人に知られていなし、注目されることもない。だが、人に読まれることを拒否するような鏡文字が添えられた、このひっそりとした地味な素描を見ると、レオナルドの内面のダークサイドから、非常にプライベートな生の声が響いてくるようで、なんとなく胸を打たれたりするのだ。





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最終更新日  2008.02.01 14:01:02


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