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2008.04.08
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カテゴリ: Essay
<オールドムービーファンの方は明日おいでください。明日は連載に戻ります>
2006年9月に新国立劇場で上演されたオペラ「ドン・カルロ」が昨夜、NHKで放映された。このオペラには足を運んだ。舞台演出が非常に斬新で気に入った作品だ。今になってテレビで見ることができるとは嬉しい限り。ありがとう! NHK!!

個人的にオペラでもっとも好きなのはモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」とこのヴェルディ作品。いずれも妥協できない強烈な「個」をもった登場人物たちが、それぞれが信じるものを互いに譲らず、精神的に激しくぶつかりあうところに醍醐味がある。「ドン・カルロ」は特に、階級や身分、立場といったものから自由になれない者たちの物語。彼らはそれでも自分の自尊心をかけて、己の生き方を貫いていこうとする。それはある意味、とても男性的な葛藤。最近だとNHKの「風林火山」や「風の果て」、アン・リー監督の「ラスト、コーション」もこうした男性の視点が描かれていた。つまり、いずれも政治的な立場が個人の愛や友情にどう介入してくるかということが重い命題になっているということ。

「ドン・カルロ」の主な登場人物は5人。フィリッポ2世、その息子の王子ドン・カルロ、ドン・カルロの婚約者だったはずがフィリッポ2世に見初められてその妃となったエリザベッタ、ドン・カルロを慕う美貌のエボリ公女、ドン・カルロに忠誠と友情を誓う臣下のロドリーゴ。

フィリッポ2世は16世紀スペイン最盛期の国王。ドン・カルロは父の妻である王妃エリザベッタを愛している。エリザベッタはフランス宮廷からフィリッポ2世のスペインに嫁いできた外国人。彼女もドン・カルロを深く愛しているが、王妃という立場から決してその愛を受け入れることはない。エボリ公女はドン・カルロが自分ではなく、王妃を愛していることを知って逆恨みの復讐に燃える。忠誠心に篤く、ドン・カルロと義兄弟の契りを交わしているロドリーゴは、スペインによるフランドル(今のオランダ、ベルギー)の圧制に心を痛め、次の王であるドン・カルロにフランドルの民を救ってほしいと願っている。そこに当時の社会で国王以上の権威を誇っていたキリスト教教会の宗教裁判長が絡んでくる。

2006年新国立劇場主催「ドン・カルロ」ですぐれて目を惹いたのは、モダンでシンプル、それでいながら複雑精緻なマルコ・アルトゥーロ・マレッリの舞台背景だった。「ドン・カルロ」といえば、やはりオペラ・ファンならゼフィレッリ(もしくはもっと古いヴィスコンティ)の「これぞオペラ」という重厚で豪華絢爛なバロック的舞台を理想とするだろう。だが、今の時代に彼らと同じ美意識の土壌で勝負して勝てる演出家はほとんどいない。そもそもお金がかかりすぎる。

マルコ・アルトゥーロ・マレッリはゼフィレッリに見られる正統派路線を追うことなく、舞台装置をほとんどすべて「灰色の六面体」、すなわち、正面から見ると四角形に見える箱で独創的な空間を作り上げた。幕が開くと、舞台の中央に、4つの大きな四角が見える。それらの間がちょうど十字架のような空間になっている。この4つの大きな四角が六面体で、上2つは上下左右に移動し、下2つは弧を描いて奥へ、あるいは左右へ開いたり閉じたりする。だが、十字架の形は、まるでカトリック教会が強い支配力をもっていた当時の時代背景を暗示するかのように、常に舞台のイメージに君臨する。

以下に写真があるので、参考までに。
http://www.nntt.jac.go.jp/frecord/updata/10000053.html



普通は見逃してしまうような場面で印象的だったのが、王妃の貞操を疑うフィリッポ2世が、王妃がフランスから連れてきた女官の伯爵夫人に帰国を命じる場面。王妃が凍りついたように立ちすくみ、沈鬱な合唱が「ああ、国王は妃を傷つけた」と歌う。

そして、王妃は心の支えだった伯爵夫人に指輪を「私の形見」と渡し、「心はいっしょに(フランスへ)ついていきます」と悲しみをこらえて別れを告げる。王妃が運命を受諾する瞬間。王妃役の大村博美の繊細で気品に満ちた歌唱が心にしみた。これ以降、ラストまで王妃は喪服のような黒い衣装を常にまとうことになる。

残酷な宗教裁判の場面では、「天の声」を歌う幸田浩子の澄み切った歌唱があまりに美しかった。火刑に処せられる罪人が断末魔の苦しみにもがくなか、その前景をベールを後ろにたらした聖母マリアのような清廉な女性が群集の中から登場し、キリストを思わせる幼子を抱きながら、通りすぎ「魂は高く飛びなさい」と愛情のこもった祝福の歌を歌う。このアリア1曲で幸田浩子は完全に聴衆を虜にした。

「ドン・カルロ」でもっとも有名なアリアである、フィリッポ2世の「ただ一人寝て」は、実はそれより数年前、サントリーホールで聴いたホール・オペラ(サントリーホールがそう呼んでいる、演奏会形式でのオペラ)での フルラネットの奇跡的ともいえる絶唱 の印象があまりに強烈で、そのときのことばかり思い出してしまった。だが、王の寝室を暗い牢獄のように見せる舞台装置と照明――六面体の壁を前面に出して空間を狭くし、窓の格子の月明かりの影をベッドと床にかぶせる――の効果で、王妃に愛されていない自分を嘆き、「私が本当にゆったりと眠るのは死んだあとだろう」と権力者の孤独を歌う王の心情が迫ってきた。

しかし、フルラネットのフィリッポ2世を完全なオペラ舞台で聴いてみたいもの。フルラネットはすぐそのあと、新国立劇場でドン・ジョバンニを演じたのだが、実はこちらのほうはそれほど傑出したものではなかったのだ。やはりMizumizuにとっての最高のドン・ジョバンニは若き日のルッジェーロ・ライモンディ。あの魔的な魅力にかなうドン・ジョバンニはなかなかいない。

そして、妻屋秀和の宗教裁判長! このオペラでの主要なキャラクターを根こそぎ引き倒すような、まがまがしいまでの迫力。妻屋はほとんど腰を90度曲げて、キリスト磔刑像を先にくっつけた杖にすがりながら、よぼよぼとした足取りで登場する。紫の手袋と帽子は強い照明の下で寒色がかったショッキングピンクのように輝き、この小さなアイテムだけで宗教裁判長の冷たさを強烈に印象づける効果があった。

フランドルの民衆に同情的なあまり、ほとんど反逆児のようになっているドン・カルロのことを嘆く王に、宗教裁判長は「ドン・カルロの反抗など子供のいたずらのようなもの。本当の反逆者はほかにいる」と、忠節の臣下であるロドリーゴの処刑を求める。ロドリーゴを心から信頼している王は、「あなたの残酷さには我慢ならない」と怒りを爆発させるが、宗教裁判長は「私は先王と貴殿の2人に戴冠した」と応じ、「いまだかつて邪悪が支配したことのないスペイン」の安定を保ってきたのは自分だと強烈な自負を見せ、王を圧倒する。

妻屋・宗教裁判長は最後に、その権威で怒れる民衆までもねじ伏せる。政治改革を求める群集が王の居室になだれこんできたとき、今度は手袋と帽子だけではなく、紫の法衣をまとって登場し、「この方は神に選ばれた方。神に逆らうとは何事か」と恐ろしい声で瞬く間に人々の心を鎮圧してみせる。神を畏怖した民衆は次々と膝をつき、最後に地上の最高権力者であるはずの国王も裁判長の前にひざまずく。自らを神の使者だと信じて疑うことのない老獪な権力が、当時世界の半分を支配していた国の王を屈服させる瞬間。妻屋のまがまがしいまでの迫力たるや比類なし。

そして、サンジュスト僧院での、王妃とドン・カルロの別れの場。花嫁のような純白の衣装をつけた王妃が、1人で故国フランスと過ぎ去った青春への憧憬を歌う。大村博美の気品に満ち、深い情感をたたえた表現が満場の拍手を誘った。

そこへドン・カルロが登場。王妃への想いを断ち切れずにいるドン・カルロに対し、天上の「ここよりももっと素晴らしい世界で」結ばれましょうと涙ながらに諭し、ドン・カルロもそれに唱和する。そして、運命のクライマックスへ。

息もつかせぬグランドオペラの迫力を十分に堪能させてくれる舞台だった。日本人歌手の歌唱は特に素晴らしかったし、斬新でモダンな舞台装置も、モノトーンを基調とする洗練された衣装も最高に楽しめた。



とはいっても、やっぱりヴィスコンティあるいはゼフィレッリ的ドン・カルロの舞台も、もう一度見てみたい…… 新国立劇場さん、ヴィスコンティ衣装版の再演頼みます!


この「ドン・カルロ」。ジャン・コクトーなら間違いなく、ロドリーゴとドン・カルロの物語にしてるだろうな。あの2人は「兄弟!」といってやたら抱き合うし、ロドリーゴはドン・カルロの腕の中で死んでいくし、コクトーを刺激しそうなエレメンツでいっぱい……





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最終更新日  2008.07.13 00:28:29


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