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2009.04.27
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マッシモ劇場

日本を発つ前に、一応日本語に翻訳された『エッフェル塔の花婿花嫁』を読んだのだが…
正直に言うと、ほとんどまったく、1行もわからなかった! 日本語なのに、意味がわからないのだ。翻訳が悪いわけではないと思う(と思う)。

蓄音機がしゃべったりするらしいことはわかったのだが、「これが一体、どういうバレエになるねん?」と狐につままれたような気分。

原作はどうやら、しゃべるバレエ――というのか「身振り劇」というつもりでコクトーは台本(というのか、なんなのか?)を書いたらしい。

まあ、バレエだし、何でもいいやね、とりあえず珍しい演目だし。そんな気分だった。

初夏の南国の夜は遅い。公演は午後9時(!)スタートだったのだが、午後8時半ぐらいに劇場に行くと、空はまだ濃い藍色で、オレンジ色にライトアップされたギリシア神殿様式の堂々たるファサードが、「ここはギリシアだ。私たちは正統なギリシア文明の後継者だ」と主張しているように見えた。

このファサードは、『ゴットファーザーPart3』で、あのちょ~華のないコッポラの娘が銃弾に倒れるシーンに使われた。



マッシモ劇場の平土間の客の身なりを見ると、パレルモには社交界というものがまだ存在しているのだということを強く感じた。南イタリアは貧しい、というステレオタイプのイメージが日本人にはあるが、イタラはもちろん、彼女の友人たちも皆、たいていの日本人は足元にも及ばないほどリッチだ。

富裕層と貧困層の間には埋められない溝があり、豊かな人は当然教養も高く、たいていの場合、忍耐強く、礼儀正しい。そうした階層に属する人々は、そもそもヒエラルキーの間の溝を埋めようなどと思っていない。

ヨーロッパの有名なオペラハウスは世界中から客を集め、その分、地元民の占める割合が少なくなってきているところが多い。「他所からやってきた人」は、それほど身なりに気を使わない。もちろん、プレミエ公演や特別な音楽祭は別だが。

マッシモ劇場の平土間に座っている客は明らかに土地の人間で、相当にドレスアップしていた。コクトーのバレエという、どちらかというと地味な企画だというのに。そして、これほど観光客の少ない劇場というのも、ヨーロッパではもう珍しいかもしれない。観光客が増えるというのは、それだけ国際化するということで、いい面もあるが、劇場というのは、そもそもその土地の人々のものだ。よそ者に頼るようになると、その土地特有のカラーが消えていく。品位やマナーも落ちてくる。

そうした地方色豊かなマッシモ劇場で見たコクトーの『エッフェル塔の花婿花嫁』だが、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

舞台に再現されていたのは、まさしくベルエポックの時代のパリ。舞台の端に鎮座する巨大なカメラとともに、20世紀初頭の都市の景観が再現され、そこに生きる人々の喧騒と狂乱、そして孤独が映し出される。

竹馬にのった若者や、預言者のように何かを叫び続けるホームレス風の老婆が、ベルトコンベアで流れるように、舞台を右から左に移動し、前景では美しい男女のカップルが幸せそうに流麗なダンスを披露する。

コクトーの台本は大幅に削られ、台詞はほとんどなかった。舞台監督は、ミーシャ・ファン・ヘッケ(Misha van Hoecke)だというが、コクトー作品というより、むしろヘッケ作品と言うべきかもしれない。

ヘッケはリッカルド・ムーティともよく仕事をしている有名な振付師。日本で彼の作品が見られないのは、本当に惜しい。

コクトー原作のバレエの生舞台は、熊川哲也の『若者と死』(渋谷)を見たが、こちらも素晴らしいものだった。『若者と死』の振付は、言わずと知れたローラン・プティ。

『若者と死』もヘッケ版『エッフェル塔の花婿花嫁』も、非常に同時代的で、むしろ今のトウキョウのどこかにある人生のドラマを切り取ってみせているような気がしてくるのが不思議なのだ。



公演が終わり、夢見心地でマッシモ劇場の壮麗な階段を降りたところで、20代そこそこぐらいのカップルとすれ違った。

「e' stato bello questo spettacolo(素敵な舞台だったね)」
と青年のほうが、女の子の耳元に囁くのが聞こえた。

その甘い声音が、パレルモの夜の最高のフィナーレだった。






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最終更新日  2009.04.30 01:51:08


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