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NHKの朝の連続テレビ小説というのは、これまで見たことがなかった。「ゲゲゲの女房」が初めて。このドラマは、Mizumizuのように従来の「NHK朝連」にまったく興味のなかった人々の関心を引いたと思う。
Mizumizuがことに気に入ったのは、ヒロインが職業や特別な才能といった「強い色」をもたないがゆえに、周囲の「働く人々」(あまりまっとうに働く気のない人も含めて)の意思や生きざまがうまく描けていたことだ。水木しげるが実際にかかわった人たちをモデルにしていることもあり、みな実に個性的。昭和の日本人が没個性などと、誰が言ったのだろう。むしろ今の日本のほうが、画一的な「へのへのもへじ人間」しかいなくなったのではないか。
「ゲゲゲの鬼太郎」と「♪から~んころ~ん、からんころんからん」というあの歌を知らない日本人は恐らくいないと思うのだが、Mizumizuはもっぱらアニメで見ていたほうで、水木漫画は読んだことはなかった。
ドラマで印象的だったのは、貧乏時代の水木しげるの生活。ちょうどそこのころの作品である「墓場鬼太郎」が杉並区の図書館には収蔵されている。「ゲゲゲ」になる前の鬼太郎がどんななのか、興味を引かれて借りてみた。
で・・・
いやあ、かなり驚きました、ハイ。
「ゲゲゲ」と「墓場」は相当違うというのはなんとなく聞いていたのだが、墓場鬼太郎は、本当に邪悪な顔をしている。
コレ↓
およそ妖怪「ヒーロー」のイメージとは程遠い。読んで字の如し、「墓場から来ただろう」というムード満載の顔なのだ。
この場面、何をしているかというと、鬼太郎が蝋燭を食べている。
それを見た目玉親父が・・・
この会話になんともいえないユーモア、おかしみがあるから、蝋燭にがっついていた鬼太郎が妙に可愛く見える。
この「おかしみ」が墓場鬼太郎の特長で、それがまた実に日本的なのだ。
たとえば、時の総理に呼ばれて、鬼太郎が首相官邸にクルマで向かう場面があるのだが、そこで総理の使者が、鬼太郎の髪から出ている目玉おやじに気づき、「おつむに変なものが・・・」と言う。それに対して、「これはぼくの父親です」と鬼太郎が答えると、使者は、「はあ?」とまったく理解できないのに、「おみそれしました」と目をそらしてしまう。
よくわからないものは見て見ないフリをしよう・・・日本人の事なかれ主義的行動パターン――あるいはそれは、相手の気分を害さずにその場をやりすごすための、ある種のやさしさかもしれないが――がよく出ていて、思わず笑ってしまうのだ。
墓場鬼太郎は人間の味方ではない。人間とはまったく違う世界に棲んでいる。だから、「人間って非情なんですね」と気づくと、その非情さに対しては迷うことなく復讐する。人間を助けることもあるが、それはほとんど鬼太郎自身の行動原理に沿った「結果」に過ぎない。
アニメの鬼太郎は、どんどんカッコいいヒーローになっていってしまった感がある。それはちょうど、古今東西に残るおとぎ話が、オリジナルは非常に残酷なのに、「子どもには残酷すぎるから教育上よくない」という配慮で変えられていったさまを見るようでもある。
だが、現実には残酷で不条理な物語を子どもの目から遠ざけようとすればするほど、境界線をあっけなく越えて、大人を驚かせるような残酷な行為をやってのけてしまう子どもが増えた。
人間の想像力のもつ残酷さを、幼い感性から遠ざけることが果たしてよかったのか、これからもそうしたほうがよいのか。考えさせられる問題だ。
これは、押し入れから不可思議な世界に迷い込んでしまった人間が見る建造物。
ブリューゲルの「バベルの塔」↓
に相当似ている。雲にも届く高さを獲得する一方で、このバベルの塔は土台のほうが崩れてきている。それでも上へ上へと工事を続ける人間。
ブリューゲルはこのバベルの塔に、ローマのコロッセオの面影を反映させている。400年前にローマのコロッセオを見てバベルの塔を連想した画家がいる。そのバベルの塔を見て「何か」を受け取った漫画家が日本にいたとしても不思議ではない。
もう1つ、「墓場鬼太郎」を読んで気づいたこと。それはこの漫画のもつ不条理な世界観には、水木しげるの戦争体験が色濃く反映されているということだ。
これは砂地獄に落ちたねずみ男の台詞。ねずみ男の裸体(笑)は、飢餓そのものを象徴しているように思う。ガリガリの手足。浮き出たあばら骨。それでいて下腹は少し出ている。
半分砂に埋もれた骸骨を見て、「間もなくあんなふうになるのだ・・・」という諦念にも似た台詞、奇妙な静けさ。Mizumizuにはこれは戦場の兵士の飢えと絶望の果ての独白に見える。
鬼太郎もねずみ男も、とにかく飢えている。そして物価が上がった、先行きが見えないと言って、政治家を批判しているのだ。
今と同じではないか!
我が家には「悪魔くん」があるのだが、水木しげる自身のあとがきに興味深いことが書かれている。
桜井昌一氏(「ゲゲゲの女房」では戌井慎二)にインスピレーションを得たという「メガネをかけた出っ歯のサラリーマン」について。
僕は、このキャラクターにこそ、働いても働いても落伍していく善良な現代人という感じがよく現れている(原文ママ)と思う。
働いても働いても落伍していく善良な現代人――これは、昨今言われているワーキングプアを別表現ではないだろうか? してみると、一億総中流と言われた日本の一時代のほうが、高度成長時代が見せたほんの刹那の幻で、日本人というのは結局、ずっとこの問題をかかえてきたのではないだろうか。
「一億総中流」意識こそがユートピア的幻想であって、今の状況のほうが、実は普遍的なのかもしれない。
実際、水木しげるは当時の困窮ぶりについてこんなふうに書いている。
長年の貧乏は、あの半死半生の目にあった戦争より苦しいほどで、一山百円の腐ったバナナを買って食うのが無上の楽しみという、人には話せないような思いをさせる貧乏を、せめてマンガの中だけでも、魔法の力によって撃破できたらと、ペンを握る手にも思わず力が入るほどの意気込みだった。
「一山百円の腐ったバナナを買って食うのが無上の楽しみ」という貧しさは、今の貧困層の生活よりさらに深刻にも思える。もちろん、もっと困窮している人もいるのかもしれないが。
状況は深刻であるにもかかわらず、今の貧困層、とりわけワーキングプアと呼ばれている人たちの多くが抱える問題点が水木しげるには見えない。今のワーキングプアの最大の問題点は、自分に力で生き、道を切り拓いていこうとする意欲の低下のようにMizumizuには見えるのだ。何度か挫折を体験すると、打ちひしがれ、立ち上がる気力をなくしていく。それでも自分の器以上の無理を重ねると、今度は身体的あるいは精神的に病み、最悪の場合は自殺。そこまで行かなくても、生活できずに社会保障に頼ることになる。いったんそこに陥ると、なまじっか働くより生活保護を受けたほうが「豊か」でいられるために、ますます生活再建が難しくなる。
若くても働けない理由は、いくらでも作り出せる。生活が厳しく、仕事も見つからないとなれば、不安になる。不安になればうつ状態になる。自分の責任でかなり改善できるものがあることに目をつぶり、社会の仕組みや世間の無理解を糾弾すれば、そこに自分の存在価値を見出すことができる。今はネットがあるから、ネットで遊んでいれば、時間はすぐすぎるし、匿名の世界で外の広い世界とつながったような錯覚を覚えるのは容易だろう。そうやって個人がリアルな世界で生き抜く力がどんどん失われ、それでもなんとなく何とかなるものだから、(長い貧乏時代を過ごしていた)水木しげるが持っていたような「意気込み」を持つ人が消えていく。
不思議とこの状況は、「大きな夢を持つこと」が主にメディアを通じて奨励されるようになってから、ますますひどくなったように見える。いい年になって、それまで何の実績も上げられていないのに、そして日常的な努力もしないのに、それでも空しくも壮大な夢を「諦めず」にいる人が多い一方で、普通に自力で生活していくことさえままらない人間が増えている。自力で生きて生きていけないから、当然誰かを支えることもできない。いつまでも誰かからの理解と応援を求めている。
「夢を諦めるな」というきれいな励ましが含む偽善に、Mizumizuは最近かなりウンザリしている。
「意気込み」のほかに、現在のむなしき夢追い人にはなくて、貧乏時代の水木しげるにはあったものがある。それこそ、作品にも漂っているユーモア、おかしみ、どんなどん底でも自分を客観的に見て、笑うことのできる精神だ。
桜井氏の勧めで「悪魔くん」を描き、桜井氏の会社から出版したもののさっぱり人気が出ずに、連載が途中で頓挫したときのこと。
東考社(桜井氏の会社)も桜井氏も非常に良心的な出版社だったし、いうところのない人物だったのだが、貧乏神にとりつかれている点が最大の玉にキズだった。その貧乏神を追い出す悪魔くんのはずだったが、うまくいかなかった。
貧乏神にとりつかれている点が最大の玉にキズ――この文章にも、なんとも言えない「おかしみ」がある。そうか、悪魔くんよりパワーのある神様のせいじゃ、仕方ないよね・・・そう2人の肩を叩きたくなる。
先行きが不安だと萎縮してばかりいる、実はかなり豊かな日本人は、失うものが多くて恐れているのかもしれない。持っていないのがもともとなのだと考えれば気持ちもラクになる。自力でなんとかできなかったことを、すべて自己責任にして自分をどこまでも責めたり、あるいは世間や社会に責任転嫁して鬱憤をたぎらせたりするのではなく、多くを望まずに、「ま、これも神様の思し召しだから」と笑って流すのも、生きにくい時代を生き抜く知恵なのかもしれない。
ストーリーを追う楽しさ以外に、こんなにも多くのことを考えさせてくれる漫画家。水木しげるの雑草のような逞しい精神こそ、今の日本人が取り戻そうとしているものなのかもしれない。
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