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本日から二泊三日左眼緑内障手術の為入院しますコメント等が出来ないのでご了承願います 国宝・二の丸御殿は、二条城訪問で最も貴重な見所です。旅で時間の忙しい人は、此処だけを観て帰る人が多いです。時代劇・特に徳川幕府のお城の御殿の雰囲気と襖絵の絵画は美術館を訪れた感激を覚えます。全て写真撮影禁止で残念です。 国宝・二の丸御殿の玄関 【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が、目立ちます。下足を脱いで、スリッパに履き替えます。順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。短いですからね利用されると面白く見られます。【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。•1. 【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。 欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第 の遺稿といわれています。豪華ですね。•2. 【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や外来客の控え室と成っています。 柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。 共に「目付役」が、来殿者の受付をする所で、来殿者の 心を和らげる雰囲気があります。 虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、 虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた 現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、 微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したので しょう。何れも【狩野派】の絵とされています。3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様 が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの 者が、潜入してきても直ぐわかる仕掛けとも言われています。 後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、 仕掛けが解かります。4.【式台】式台の間・老中の間。老中の間 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。 「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を 向きます。5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所 です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に 控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」 典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井 (ごうてんじょう)この部屋で、【大政奉還の儀】が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。明日は国宝二の丸庭園他を写真付きでご紹介します
2017.11.30
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本日で戴いたアクセス数「888888」達成皆様方の温かい応援が有っての目出度い数と成りました心から感謝致します12月末にブログ丸9年続けられました明日は左眼緑内障の手術で2泊三日府立医科大学付属病院に入院します コメントが出来ませんがお許しください 都には、徳川に関係する遺跡が多いです。過日の金地院に東照宮が建てられているように徳川家康には、側近の僧として金地院崇伝そして南光坊天海がいました。家康75歳で亡くなった後、神として祀るため贈り名に「明神」は先に秀吉が付けているので【権現】(菩薩の世を救う仮の姿)ときまったそうです。 御所の近くに徳川幕府は朝廷との交渉しやすく二条城を築城し伏見城は廃城となりました。徳川幕府は15代続き現代に至るまで、文化財は世界文化遺産の評価を得られるほどに脚光を浴びています。 本日は、修学旅行生では、欠かせぬ二条城です。【二条城1.】 世界文化遺産登録 修学旅行生が、近年タクシー観光を各社利用される学校が増えて来ました。一見贅沢の様ですが、安内による【見所】貴重な時間の有効性、迷わずに目的地が、多く観られます。そして何より大切な事は、【安全管理】父兄の方が一番我が子の安全を心配。要所に先生方が、待機して生徒さんたちに、安堵感を与え、微笑ましい光景が、見られます。二条城の外周 二条城の周囲は、2km(京都御苑は4km)ジョギングされる方を多く見かけます。それだけに、観光コースも三通り1.二の丸御殿の内部だけ見て帰られる2.二の丸御殿と池を廻って帰る。3.本丸庭園も観られる方、でしょうか。 二条城のあらまし•1. 徳川家康が、上洛の際の宿所として、1603年造営•2. 徳川家康と豊臣秀頼との、二条城会見がここで行なわれました。•3. 家光の時、後水尾天皇をお迎えすることで、外堀の西半分を拡大し、城郭として、盛大な宴が、模様されました。後水尾天皇の中宮が、家光の実の妹で【和子】(まさこ)後の【東福門院】で尚更に盛大にお迎えの設備が整いました。•4. 家光以降は、将軍の上洛もなく、幕末14代家茂の上洛が有りました。•5. 1750年落雷で、天守閣焼失。1788年天明の大火で、建物一部焼失しました。•6. 1867年(慶応3年)15代将軍徳川慶喜の【大政奉還の儀】が二の丸御殿大広間で行なわれました。•7. 1884年徳川幕府の終幕で、宮内庁の所管となり、二条離宮と改称されました。現在は、京都市管轄となりました。•8. 【国宝・二の丸御殿】•9. 【特別名勝・二の丸庭園】小堀遠州作庭 順路•1. 駐車場前の受付。•2. 東大手門(重要文化財) 暴れん坊将軍によく出てきます。東大手門 •3. .番所 江戸から毎年2組(1組50人)が、4月に交代で派遣されます。裃姿(かみしもすがた)が上役の人形です。坐姿は、番士の人形です。•4. 土塀に5本の筋が見かけられます。【筋塀】と称し、門跡寺院等寺格を表すと申しますが、京都では殆ど5本です。寧ろ「飾り」と思えます。 国宝唐門•5. 【唐門】二の丸御殿の正門。西本願寺の唐門と同じく、「伏見城」から移築されたとの伝えです。良く観ますと「雲龍」「竹に虎」「牡丹に唐獅子」等豪華で鮮やかで、盛んにシャツターを切って居られます。 国宝・二の丸御殿•6. 二の丸御殿の入り口前庭、プロの写真家が記念写真をと待機しています。 他でも、シャツターチャンスと考えます
2017.11.29
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慶長7年、徳川家康は、信徒の結集に畏れ、本願寺に土地を与え東西に勢いを分けたことから東西の本願寺があります。国宝が無いので世界文化遺産には登録されていません。東本願寺御影堂 (ごえいどう)知恩院では(みえいどう)と呼ばれています親鸞聖人を祀り千畳敷の畳は日本一祈りと法話を聞く所京都タワーを望む右東本願寺勅使門左、イチョウの樹本願寺の火災の時に、水を吹きだして消火に役立ったとの謂れ。京都駅前が近いです本願寺前の噴水イチョウの樹 御影堂廊下堂内入り口 堂内撮影禁止千畳敷の一部を龍の手水京都タワーと伽藍JR 京都駅JR京都駅正面駅構内の吹き抜け改札口入場した改札口1番線 2番線に電車右手の建物が 新幹線乗降の場所。京都駅のご紹介で、旅情を楽しんで下さい。明日は二条城へ参ります
2017.11.28
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日本国内で冷え込みが厳しいです風邪が流行っていますくれぐれもご自愛ください 親鸞聖人は800年前 日野に生まれ天台宗青蓮院で得度をうけられ比叡で修業 下山して法然に仕え法難を得て本願寺まで建つようになりました戦国時代と寺院を辿りますと 先に織田信長によって【石山本願寺】(大坂城の当り)逆らうとして焼き討ちに会いました豊臣秀吉は本願寺を庇護して 西本願寺が建ちました国宝飛雲閣は 秀吉の建てた【聚楽第】(じゅらくだい) から移築二条城の北にあって 関白と奉じた甥の豊臣秀次に住まいさせましたが謀反として全て焼き討ちしてしまいました 文化財として惜しまれます西本願寺 浄土真宗 世界文化遺産 阿弥陀堂 御影堂 (ごえいどう)親鸞聖人を祀り、祈りと法話が行われます 国宝飛雲閣と国宝書院の特別拝観がされました。 飛雲閣 特別名所(国宝) 虎渓の庭 国宝 能舞台 日本最古のものと言われます。国宝 唐門 常時、観られる国宝【唐門】(からもん)は、西本願寺の南通用門の側にあり、 黄石公の馬上 張良が沓(くつ)をおし戴く 中国の故事が、表裏で物語っています。良く観ると馬上の白髭を生やした師匠 【黄石公】(こう せきこう)の沓(くつ)が片方脱げて有りません。その左側に跪いて、沓を捧げ持つ人物が観られます。【張良】その人でした。 黄石公が兵法の教示を願う張良を試す為に、幾たびか、沓を投げ飛ばし、それを、堪えて沓を捧げたと。 結果黄石公から太公望の兵書を授けられたそうで、後に天下統一を果たしたと云います。 瀧の水で汚れた耳を洗っている 下流で牛に水を飲ませるのを汚れた水として、手綱を引きとめてのまさないように 滝が流れ一人の人物【許由】(きょゆう)が耳を洗っています。側に川流れに牛を連れた【巣父】(そうほ)が立っています。 許由は、中国の神話上の穏者で、当時の皇帝【堯帝】(ぎょうてい)が許由に帝位を譲ろうとしました。許由は思いも掛けない誘惑と大層心を乱す言葉を聞いたと汚れた耳を洗って清めています。一方その事を知った巣父も汚れた川の水を牛に飲ませまいと手綱を引き挙げている姿が観られます 此の故事はお寺さんの守衛さんもご存じなかったですそしてほとんどの方が 美しいとだけで 素通りされるのでもったいなと思いました昔の中国人[漢人]は 素晴らしい思想を持っていたのですね明日は東本願寺です 国宝がないので世界文化遺産には登録されませんでした
2017.11.27
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四明ケ嶽】 (しめいがたけ)839m比叡山の頂上】 一般に比叡山と言われる山の頂上を 四明ケ嶽と称されています山頂の回転展望台比叡山の頂上には、遊園地と360度回転展望台があります。遊園地の各所に、「モネの陶画」が飾られ、池には、モチーフの蓮が咲いている時があります。回転台からは、京都市街・鞍馬・大原・琵琶湖大橋・大津・瀬田大橋が順次眺められます。 苑内各所に「モネ」の絵が見られます。 「将門岩」(まさかどいわ)・「純友岩」(すみともいわ)が頂上近くに存在します。•935年 藤原時平(左大臣)・菅原道真(右大臣)の頃、平の将門と、海賊の首領藤原純友とが、この岩の上に立ち、広大な絶景を見渡していた将門が純友に「お前は西日本を取れ、わしは東日本を取る。同時に事を起こして、再び此処で会おう」と約束したが、反乱は鎮められ再会は適わなかったという、言い伝えが有ります。岩だけが未だに残っています。以前は「将門岩」の標識が立っていましたが、今は苑内の案内書からもなく、苑内の管理女性に聞いて確かめました。ロマンがなく惜しまれます。将門岩眼下に琵琶湖が見渡せます。琵琶湖帰りは、京都方面に、「空中ケ-ブル」と「ケーブル」で 「八瀬」(やせ)に降りました。 空中ケーブル 空中ケーブル ケーブル 八瀬(高野川の上流)比叡山いかがでしたか明日は世界文化遺産西本願寺に参ります
2017.11.26
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【東塔】 【阿弥陀堂】阿弥陀堂 阿弥陀如来像 阿弥陀堂前に【水琴窟】 根本中堂の本尊が、薬師如来でした。 【西塔】常行堂と法華堂弁慶が担ったという。 「東塔」から奥比叡ドライブウエイで自動車から降りて、暫く歩を進めますと、【常行堂】(じょうぎょうどう)と【法華堂】(ほっけどう)とが廊下で結ばれています。弁慶が両堂を担ったという伝説から「弁慶のにない堂」と称されています。 【常行三昧】(じょうぎょうざんまい)慈覚大師円仁が五台山から伝えた修行法で90日間堂内を阿弥陀仏の名を唱えながら回る行といわれています。断食・苦行そして祈り皆功徳となるのですね【釈迦堂】国宝・釈迦堂 【横川】 (よかわ)【横川中堂】 慈覚大師円仁の開創 本尊 観音菩薩 【元三大師堂】(がんざんだいし)慈恵大師とも言われその住坊跡です。正月三日になくなられたので、「元三大師」とも言われ、【おみくじの元祖】とされています。 続いて山頂に参ります
2017.11.25
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私の青春期に育った天台宗の環境でした。伯父二人が麓、坂本の地の大僧正で、特に二番目の伯父は天台宗第250世天台座主にまでなりました。とても慈悲に富んだ心の優しさが心に残ります1959年11月遷化 末っ子の弟であった父も其の12月後を追うように亡くなりました余程頼りに成っていた兄であり高僧だったのでしょうね【比叡山】 【延暦寺】比叡山から琵琶湖を望む世の中に 山という山は 多けれど山とは比叡の 御山をぞいう 慈鎮和尚 根本中堂根本中堂延暦寺は東塔・西塔そして横川(よかわ)の三塔からなり、【根本中堂】 (国宝)(こんぽんちゅうどう)【阿弥陀堂】【釈迦堂】さして【横川中堂】があります。 見渡す緑の山林の一木一草にも、伝教大師の精神が染み渡り人々の心のふるさととも申すべき聖地でもあります。根本中堂 開基 最澄(伝教大師) 世界文化遺産に登録 平安京の王城鎮護の役も務める。都の丑寅(北東)鬼門の位置にあります。 今から1200前延暦4年(785) 伝教大師最長が、19歳の時に山上に草庵を結ばれ、山川草木一切のものに、「仏性」が宿ると感得され日本仏教の母山と称せられる様になりました。 伝教大師の教えで、 【亡己利他】 (もうこりた)己の欲を無くし、人の利になるよう、常に心掛けること。 (注 私のプロフイールの座右の銘としています。)【一隅を照らす。これ国の宝なり】 その人の存在により、その周囲を明るく照らす。されば世の中は、平和であり、国の宝となるでしょう。 【東塔】【大講堂】僧侶の学問所で、本尊 大日如来 脇侍 弥勒菩薩・観音菩薩延暦寺を本山とする、伝教大師を始祖とするも、経典の解釈に従って、山で修行の結果、各宗教の始祖として、分かれて行きました。空也・法然・親鸞・栄西・道元・日蓮・一遍 等その扁額が堂内飾られています。他には、桓武天皇・中国天台大師・聖徳太子・伝教大師・十大弟子大講堂【開運の鐘楼】自由にお願い事して撞けます。合掌されて余韻の音を聞かれると何ともいえない神々しさを感じます。【根本中堂】 【国宝】【延暦寺の総本堂】三代将軍徳川家光が再建•1. 本尊【薬師如来像】は、伝教大師最澄が刻まれた•2. 本尊の前に1200年間と灯し続けられています【不滅の法灯】が輝いています。織田信長の焼き討ちに会いましたが、山形県立石寺の分灯により、受け継がれています。ここから【油断】が生まれました。•3. 須弥壇のある【内陣】が【参拝者】の坐る中陣・外陣より低い谷底の様な場所にあり、仏像や法灯が参拝者の目の高さに来ているのは、「仏も人も一つ」と言う仏教の【仏凡一如】の思想を表現している意で、僧侶は低い内陣から祈祷されています。即ち天台宗の仏殿様式は、僧の謙虚さを表しているとも思われます。•4. 中陣は、挌天井形式で、板には、百花の図柄が掲げてあり、家光により、各大名が献花したもようです。•5. 太い檜の柱は、一本の木の芯を避け、4分の1の柱で、原木の太さが想像されます。明日は西塔に参ります
2017.11.24
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徳川家康には、日光東照宮という、豪華な祀られた場所がありますが織田信長の祀られた此処建勲神社は、人知れず密かに建っています。 枯山水の庭園と茶室に恵まれた大徳寺を出ますと近くに織田信長を祀る 【建勲神社】 があります。 建勲神社 (けんくんじんじゃ)または(たけいさおじんじゃ)入り口の鳥居平地から石段を可也登っていきます。偉い人は高いところを好むののでしょうか。 石段の参道 参道 幾つか屈折した石段の最上部やっと石段の参道を登りつめました。本殿が見えてきました。 本殿で静まり返っています 本殿からは、京都の都が見下ろせる位置に鎮座まします。本殿前からの写真です、彼方に大文字山がみえます。本殿の境内は広くその奥に隣接した、市民の広場が開けます 【船岡山】 と称します。【風水の起点】 でもあります昨日ご紹介しました大徳寺塔頭の弧蓬庵 (こほうあん)は寺院の庭園の借景として、船岡山を小堀遠州は採り入れています。頂上ではこのラジオで朝のラジオ体操がおこなわれています。 頂上広場頂上からは、京都市街並びに御室嵯峨方面の北山連峰が見えます。 京都市街 御室・嵯峨北山連峰 一番奥が愛宕山船岡山を西に降りますと、金閣寺が直ぐ側です。賑わいの陰にひっそりと佇んでいます。船岡山は中国の風水によりますと、京の都の基点になり、二条城側の神泉苑に風水の瑞線が繋がっていると言う、神聖な山とも言い伝えられています。都の西北に織田信長の神社が、そして明治維新以降に建てられた豊臣秀吉の豊国神社が東南に斜線で繋がっているのも偶然でしょうか。平安遷都で、都造りにも、中国の易を大切に、【四神相応】【風水】を基盤に、厄害呪い等を避けるべく、大切に扱いました。船岡山は、風水の霊地として存在価値があります。四神 百虎(東) 西龍(西) 朱雀(南) 玄武(北)亀・黒現在の【千本通】゛風水の道で、都が出来たときの大内裏から朱雀大路(100m幅)が広がっていました。明日は比叡山です
2017.11.23
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【龍光院】 永久非公開寺院長井長政が父である 黒田官兵衛 こと 【如水】(にょすい)の菩提寺として建てたもので日本に3つしかない 国宝茶室 【蜜庵】(みったん)が存在します 大徳寺塔頭では、初めての公開とも云える二ヶ所をたまたま訪問することができました。金毛閣の直ぐ側に建てられている興臨院に先ずまいりましょう。【興臨院】石川県能登の戦国大名 畠山義総 の戒名からの命名で畠山家の菩提寺です。火災に逢いその後加賀の前田利家により再興以後前田家の菩提寺でもあります。昨夜大河ドラマに出演興臨院唐門は室町時代のものムラサキシキブ方丈庭園蓬莱山方丈裏の庭園 もみじ みつけました茶室【黄梅院】 織田信長公28歳のころその父君 織田信秀の追善菩提のため当時の羽柴秀吉により小庵を造営しました。 開祖の僧の出身地中国黄梅県破頭山により寺名がつけられました。従って日本の禅寺で一番古いとされています。秀吉は、庭園として千利休に命じ【直忠庭】を遺しています。三尊石を中心に広々とした苔の庭でした。後に信長公が本能寺の変で急逝するや、庵では、小さいとして【総見院】 を建て大徳寺焼香も盛大に催しました。後に、毛利元就の子小早川隆影が普請奉行となって、両親元就夫婦の墓も信秀と共にあります。庵を院に改めました。寺格として 寺・院・庵・坊・軒黄梅院の入れ口玄関前の苔庭参道間口は小さいので小さい寺院と思いました女性群写真撮って居ます。もみじがありました茶室直中庭回廊があって向かいまで廻ります。広さを感じます。恐らく織田信長の菩提寺総見院と同じ広さ枯山水の一部破頭庭の方丈枯山水三尊石と一直線の砂の紋単純的ですが中国の景勝地そして厳しさの伝統を忍ばせます 大徳寺の時代を偲ぶに相応しい訪問でした。明日は、織田信長の祀る 建勲神社に参ります
2017.11.22
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大徳寺は非公開寺院が殆どですが今回主役ともいえる千利休の菩提寺を特別公開で訪れました。今回大徳寺の魅力に皆さんの関心がことのほか多大で多くのアクセス戴き 感謝一杯です 間もなく888,888を戴きます 聚光院の門聚光院の玄関千利休の墓京都に住みそして観光に何回か大徳寺を訪れましたが、87歳にして初めて、念願の千利休さんのお墓詣でが実現しました。 【聚光院】 (じゅこういん)織田信長が眠る、【総見院】の東隣に位置します。 【方丈の襖絵】狩野永徳画 4箇所 国宝指定真珠庵 特別公開 一休さんの寺左参道は、【大仙院】です真珠庵の入口受付の女の方に尋ねましたが、此処も庭園全て撮影禁止でお寺さんが決めておられるのでとのことでどうもとで、諦めました。七五三の庭園が有名で、一休さんが僧侶として務められたお寺でもあります。大仙院前のもみじです大徳寺境内を西へ出たところに今宮神社が゛ありました。【狐篷庵】です。 【狐篷】とは、中国でよく見かける、苫の屋根で作った舟をいみします。映像は、Google画像 狐篷庵で見られます。 狐篷庵境内狐篷庵玄関狐篷庵大徳寺への参道 大徳寺境内より、飛び地になったやはり塔頭の【狐篷庵】が今宮神社の参道を越えたところに位置します。此処も非公開で、特別に予約して、見せていただいても、撮影は全て禁止で、とても残念です。 大徳寺は、戦国時代の各武将家の菩提寺が集結しています。でも此処には、豊臣も徳川もありません。【狐篷庵】 (こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、苫の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室 【忘筌】 (ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」 (とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、お世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事を忘れてしまう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。中国の漢詩は、随所に、ことば短くして至言を伝えます。中国の歴史に、何故中国の人たちは、誇りを持てないのでしょうか、次回大徳寺最終回を更新します
2017.11.21
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NHK大河ドラマ真田丸では豊臣秀吉の痴呆の様子が放映 初めて末路の様子を知りました 辞世の句に 「死にとうない 死にしうない」と言ったことは聞いていましたが 哀れでした伏見城普請でキリシタン大工フランシスコ吉蔵の彫り物十字架をキリに託して細川ガラシャに届ける場面もあり大徳寺の存在観を強く印象付けてくれましたこの後M8の慶長大地震で伏見城は崩壊したのですね 戦国時代が最も歴史で様変わりのある時代でした。 織田信長 鳴かぬなら 殺してしまえホトトギス 豊臣秀吉 鳴かぬなら 鳴かせてみせようホトトギス 徳川家康 鳴かぬなら 鳴くまで待とうホトトギス臨済宗(禅宗)の寺院は、京都に世界文化遺産17箇所の内、 金閣寺・銀閣寺・天龍寺・龍安寺・西芳寺と5箇所含まれるほどに、文化的に高く評価されている傾向にあります。大徳寺シリーズも今回まで、此処だけでも心が和みます。大徳寺では、多くの塔頭が有りますが、特別公開以外には4箇所の常時拝観できる塔頭(たつちゅう)が有ります。【大仙院】【高桐院】【瑞峰院】そして【竜源院】です。【大徳寺5.】【竜源院】 大徳寺塔頭能登の畠山氏、豊後の大友氏、周防の大内氏が建立しました。 参道本堂は、室町時代最古の応仁の乱以前に建てられた禅宗方丈建築で 本堂庭園は土塀を背景にした飾り気のない枯山水の竜吟庭と苔庭と一枝坦(いっしたん)そして小さい壷庭があります。 竜吟庭 苔庭 一枝坦の庭園 壷庭 部屋には豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝える碁盤があります。 秀吉と家康が対戦したという豪華な碁盤臨済宗禅宗の寺院では、龍の絵画を大切に表現しています。庭園の清掃は行き届き、観る人の心に清浄感を与えます。次回は、今回初めて、特別公開した塔頭で、【黄梅院】撮影禁止撮影は遠慮してくださいとされていました
2017.11.20
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大徳寺塔頭4. 大徳寺山内の 【呑湖閣】(どんこかく)を求めて始めて写真に収められました【芳春院】1608(慶長13年)加賀の前田利家夫人松子の法名 芳春院の創建現在の建物は明治以降の再建です呑湖閣花頭窓が美しい 渡り廊下打月橋と小堀遠州作庭の 飽雲池加賀から京の都に参上するたびに琵琶湖を通り遥か山を越えて望まれたようです参道門の屋根に加賀百万石の家紋梅の花が飾られていました方丈庭園の入口の花頭窓方丈庭園縁側から西方向三尊石の石組みが観られます楼閣山水園岩組です 泳ぐ鯉が和やかです右手は茶室【霊屋】非公開 前田利家と松子芳春院尼 息子利常が祀られているそうです京都四閣金閣銀閣飛雲閣 西本願寺 呑湖閣 芳春院何れも池の伴なっていることに共通な面が有ることに気付きました明日から又大徳寺の続きとなります
2017.11.19
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京都に紅葉の好い時季が訪れました京都新聞では真如堂の動画をホームページに掲載しているようです 昨日のキリシタン 細川ガラシャ夫人についで大徳寺境内にはキリスト教禁令の中での大友宗麟の菩提寺をご紹介します。 枯山水の庭園で、荒波をあしらった表現は珍しく印象に深く残ります。私の最も好きな枯山水です。 【瑞峰院】 (ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。豊後の戦国武将大分出身霊名 ドン・フランシスコ瑞峯院は禅宗の戒名から名付けられています。 枯山水の庭園でも 怒涛逆巻く 砂紋の激しさは 類例がありません禁令下のキリスト教 そして戦国時代を象徴しているようです玄関入り口 禅宗の入り口に【韋駄天】が祀られ守護されています。 坪庭庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。 十字架の庭石組みが斜めに十字架と組まれていますが隠れた形で信仰を保っています。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。 方丈庭園・枯山水の怒涛逆巻く豪壮な砂の彫り方は他に類例ありません。信仰を貫く精神が垣間見られて、私の最も好みの枯山水です。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【聚光院】 (じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。 【龍光院】 黒田長政が父官兵衛(如水)の菩提のために建てました。 大河ドラマ 黒田官兵衛の菩提寺に国宝茶室もあったのですね。非公開寺院長政もキリシタン大名で、官兵衛も洗礼名シメオン 如水の別名も旧約聖書から採り入れたもの 日本国宝三茶室 【蜜庵】 (みつたん)が有ります。 外に愛知県犬山市 【如庵】 (じょあん) そして京都府大山崎の 【待庵】 (たいあん)です。 【三玄院】 非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。特別拝観時観られます。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【大徳寺】 を 一名 【茶面】 (ちゃづら)とも云われています。明日に続きます
2017.11.18
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大徳寺には戦国時代キリシタン禁令の最中に信仰を命懸けで護った武将並びに家族も祀られています 【大仙院】 塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。入り口で、ブログ取材のため写真をと尋ねましたが、庭園すら撮影禁止で皆様にはご紹介出来ず残念です。 大仙院 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。 「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。 受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。【特別名勝・史跡】ですから国宝級です。 院内庭園も含め撮影禁止でみなさまにご紹介できず残念です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。 庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。 方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。 【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】 (こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。【欠灯篭】 豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。高桐院の入り口参道・玄関庭園細川忠興とガラシャ夫人の墓所今は、安らかに憩われておられることでしょう明日も大徳寺の塔頭を続けます
2017.11.17
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豊臣秀吉は天下人目当てに主の織田信長の葬儀も、シメヤカに営なまず。自己誇示のための全国の諸将に号令して、総見院の前でいわゆる【大焼香】をしました。功績と捉えればこの大徳寺には最も大切に菩提寺が有ってしかるべしで、その上心の師匠千利休をも切腹に追いやりました。石田三成の菩提寺すら有りながら、秀吉の菩提寺は有りません。大焼香の前には、その横暴さに僧侶の中で秀吉暗殺計画もあったそうでその師匠によって未然に防止されたほどで、当時の世情が察せられそうです。豊臣秀吉と千利休、大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分より秀でる者をも疎みました。利休の弟子が「金毛閣」の二階に師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け怒って切腹を命じてしまいました。利休のことなら、誤ってくれるだろうと信じての 戯言、でも理は通らずお前が頭さえ下げてくれればそれで済む事じゃ。頼む」と事の重大さを知りましたが、利休は切腹を選びました。 1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」 の葬儀を 「総見院」 で執り行いました。いわゆる 【大徳寺焼香】 として、歴史に残されています。たまたま、特別公開に恵まれ写真が撮れました。日頃は、非公開寺院のため、中には入れません。総見院 入り口の門本堂茶室茶室織田信長一家の墓中央織田信長長男信忠 そして向かって左端には濃姫も 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。何故か「石田三成」も大徳寺法堂の向かいに墓も有ります。大河ドラマ真田幸村ではどのように登場するのでしょうか石田三成の墓所400余年前戦国時代の歴史的出来事が 各菩提寺の存在で語られているようにその足跡の何かと判じさせてくれているようです明日も塔頭7回更新します
2017.11.16
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足利義満の決めた五山を断った京の禅宗 禅宗・臨済宗大徳寺派の本山に参ります。戦国時代の将者の菩提寺になっています。何故か豊臣秀吉の名は有りません。然し大河ドラマ真田丸に登場する石田三成の墓所は何故かありますこの前の真田丸では遂に甥の豊臣秀次の高野山での自刃に秀吉は怒り心頭 秀次の妻子供仕えた女官30名を三成も止めても無惨にも秀次の晒し首と共に斬首この世の地獄絵と化しました 【大徳寺】 済宗大徳寺 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭 (たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。 先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。 千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、 「聚光院」 にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。 【大徳寺の七堂伽藍】 (ひちどうがらん)【勅使門】 御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。 勅使門 【三門・金毛閣】 (きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。今回の真田丸では【利休像】は茶々が利休の側にと利休に頼んで像を造らせたが等身大となり置き場所にこまり利休に頼んで大徳寺に置いたとの設定でしたそして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の 逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。秀吉は、自分より秀でる者は難癖をつけても押さえつけたいとして敢えてと承知で三門を潜りました。切腹を命ずれば利休もきっと命乞いすると踏みました然し、利休は泰然として切腹を選びました。秀吉は慌てて「頼むから頭だけ下げてくれればすむことじゃ」利休に懇願するも時遅く、素晴らしい側近の味方を失いました。 金毛閣【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。 仏殿の釈迦如来本尊 【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の龍の図があります。 法堂【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。浴室【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。経蔵【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】 (非公開)【唐門】 本坊に据え付けられています。「聚楽第」(関白豊臣秀勝の御殿)の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 七堂伽藍の参道順次、大徳寺境内にある、塔頭をご紹介してまいります
2017.11.15
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京都は 東山の南部にある東福寺の側に、皇室にゆかりのある泉涌寺があります。【泉涌寺】 (せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山 御寺と書いて、 「みてら」 と称します。皇室に縁あり、天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。 「山門」をくぐりますと、左側に 「楊貴妃観音像」 の祀られたお堂があります。 楊貴妃観音堂そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。仏殿が坂下にそして仏殿にまつられた三尊像の高さと門をくぐる人間と同じ高さに仕組まれています。人仏一帯の精神です 【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。 霊明殿 特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。本坊霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。御陵の入口 十二帝御陵東山が背景【舎利殿】(しゃりでん) 御釈迦さんの分骨を祀る舎利殿 【泉涌水屋形】 (せんにゅうすいやかた)今でも泉が涌いて居ます。泉涌水屋形 【清少納言の歌碑】屋形のそばに建てられています。皇室のお傍に仕えられて歌碑が遺されています。 清少納言の歌碑並んだ位置屋形のもみじ「夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも、よに逢坂の関はゆるさじ」 清少納言(966~1027)夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人を騙そうとしてもこの逢坂の関(男女が夜に成って過ごす)は決して許しませんよ。中国の故事函谷関のようには、鶏の鳴き声を部下にさせて、関守をだまして、関を開門させた逸話。清少納言は66代一条天皇の時、中宮定子(ていし)に仕えましたが、定子が24歳の若さで亡くなり宮仕えをやめました。そして晩年は定子の墓「鳥戸野陵」の近く、つまりこの辺り「東山月輪」で余生を送ったそうです 泉涌寺には、幾度か訪問してきましたが、ついぞ時間的余裕もなく同じ境内に塔頭として、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】です菊花展 泉涌寺境内を盛り立てていました華道のお師匠さんが和服姿で京都らしいです。明日は大徳寺に参ります
2017.11.14
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涅槃図東福寺 猫が描かれていることで話題 Google 画像で検索されますとみられますお釈迦さんは旧暦2月15日に亡くなられたとされ この時期にその遺徳を偲ぶために 【涅槃会】 が各地で行われます。写真が撮れないのですが、左下に矢印で ネコ と表示されています過日ご紹介しましたように、十二干支及び涅槃図からは一般に猫は参加していません。お釈迦さんが、中毒で倒れられ、天から麻耶婦人(母)が薬袋を投薬されましたが沙羅双樹の枝にひっかかり ネズミ君がそれを採りにのぼろうとしたとき猫君が阻んでお釈迦さんに間に合わなかった画像は画僧【明兆】の作 仕上げに絵具が足りず近くにある絵具屋から飼い猫が絵具を加えてきてくれたので 明兆が画きくわえたと伝えられています。猫君神妙にかまえていますでもよかったね 東福寺の本山の境内には塔頭寺院があり、夫々見所が有ります。本坊だけ観て、訪れない方が殆どです。 退耕庵 (たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。後日ご紹介します。 玄関までの路 入口の門 入った右側に お地蔵さんがあります。 岸信介基総理大臣の植樹 岸家の菩提寺【霊雲院】 (れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。 【臥雲の庭】(がうん)と 【九山八海の庭】 (くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、 「須弥山」 (しゅみせん)の形を現しています。これを須弥檀と言います仏の世界でお寺に行きますと仏像を祀っているお逗子とか祭壇があります。。 九山八海石塔 九山八海石塔 霊雲の庭龍吟庵にも黒い雲の表現としてありましたね。 庭園 六地蔵尊六道の担当 【地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天】入口に新しいお地蔵さんが歓迎してくださいました次回は近くにある泉涌寺に参ります
2017.11.13
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東福寺塔頭その2 です 【芬陀院】 (ぶんだいん) 東福寺の塔頭 雪舟寺とも参道洗心の道ともいわれます暫し心を浄めて寺院内を訪問 雪舟庭園【鶴亀の庭】 雪舟は少年時代備中(岡山)の【宝福寺】ですごしました。東福寺の末寺法縁あって東福寺に起居していました。たまたま絵描きだけでなく庭園も作庭していました。ある日亀島を造ったところ住職が夜半にそっと窓を開けると、亀が動き出したので、驚いて雪舟に知らせましたら「重石をつけましょう」と石を載せることでとどまったそうです。今も石が乗っかっています。此の話を聞いた、後陽成天皇第九皇子【一条家第十四代の恵観】が雪舟にお願いして、【鶴亀の庭園】を作庭されました。 鶴亀の庭 曲玉の手水鉢と崩家形灯篭 茶関白 一条恵観公好みの茶室が鶴亀の庭の奥にありました。 真ん丸い悟りの窓 四角張った迷いの窓 外側から 関白 一条恵観公の【図南亭】 表玄関 雪舟の逸話幼少のころ小僧として悪戯して、和尚さんから叱られお堂の柱に括り付けられて、お仕置きを受けました。哀しくって泣き仕切る内に涙が床に流れ、何時しか足先で床にネズミ君の絵を描いていました、すると画かれたはずのネズミ君が動き出したというエピソードは有名です。此処でも重い動く亀石に石を置くほどに。明日も塔頭3.を更新します。
2017.11.12
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臨済宗 禅寺では 特に龍がよくあしらわれます寺の名にもよく出て来ます法堂(はっとう)では 天井に龍の絵がその他襖絵にも 龍が画かれています龍は雲を呼び 雨をもたらすと言い伝えられます特に 龍は仏法の護持する護法神とも言われ仏の慈雨をもたらす意味でも大切にあつかわれるのでしょう それにしても 修行のためとはいえ 何処も掃除が徹底し清浄感の清々しい 禅寺の共通した 雰囲気に 心鎮まります本日より、平常に戻り、禅宗の枯山水庭園シリーズを掲載したいと思います。東福寺の塔頭で日頃は、非公開寺院ですが、昨年の秋に特別公開されました。【龍吟庵】 (りょうぎんあん) は、 東福寺第三世住持 大明国師の墓所が有り、室町時代 足利義満の揮毫の 龍吟庵の額縁を拝する 日本で最古の国宝の方丈が 遺されており 書院造り・寝殿造りとして 貴重な建物が拝観することが出来ました。足利義満の定めた禅宗寺院五山南禅寺 五山の上位一位 天龍寺 二位 相国寺 三位 建仁寺 四位 東福寺 五位万寿寺何の理由で順位を定めたかさだかではありません。大徳寺派そして妙心寺派は、誘いを断ったそうです。 通天橋と同じ渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた偃月橋(えんげつきょう) 方丈庭園 枯山水 竹垣は 龍を呼ぶ 稲妻模様 西側庭園 龍の庭龍が海中から黒雲を得て昇天する姿竹垣は稲妻模様唱和の作庭者 重森三玲 作庭龍の庭黒い雲を表現開山堂 東側の庭園 不離の庭長方形の赤砂はめずらしいです長石を臥せ その前後に白黒の二石を配し幼少のころ狼に襲われそうになられたとき国師の身を二頭の犬が守ったという故事により配されましたやはり竹垣には 稲妻模様国宝 寝殿造りの方丈額縁は正面から写すことは禁じられました方丈の額縁は五山設定の足利義満のが書いたとされます・ 熊笹 表門 重要文化財奥に寝殿造りの屋根がみえますもみじの美しさも少し見えました明日も東福寺の塔頭を巡ります。紅葉狩りは愉しまれますが本坊の庭園そして塔頭の素敵な庭園は殆ど訪れられません。勿体ないと思います
2017.11.11
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京都の禅宗には各派がありますが、今回は南禅寺を五山の上位とする第4位東福寺にまいります。 【東福寺】 臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。 足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】 (しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。 三門【三門】 【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【名雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。 法堂【法堂】 (はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、此処も【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。 市松模様の庭園【本坊】方丈の西と北庭には、苔で 【市松模様】 で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。塔頭寺院の【龍吟庵】も【霊雲院】の枯山水も同じ人の策定です。 方丈庭園 通天橋【通天橋】 (つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。明日は塔頭庭園に
2017.11.10
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本日二回目の更新です「京都の紅葉便り」が始まりましたGoogleで検索願います近くの紅葉の名所東福寺の満員の人出に対し別世界のような静かさを味わいました泉涌寺の三門の隣奥に位置します雲龍院です 過去の体験ですので特別拝観しているか否か確かめて訪問願います 泉涌寺屋形の前に清少納言の碑が立って居ます「夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも、よに逢坂の関はゆるさじ」 清少納言(966~1027)夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人を騙そうとしてもこの逢坂の関(男女が夜に成って過ごす)は決して許しませんよ。中国の故事函谷関のようには、鶏の鳴き声を部下にさせて、関守をだまして、関を開門させた逸話。清少納言は66代一条天皇の時、中宮定子(ていし)に仕えましたが、定子が24歳の若さで亡くなり宮仕えをやめました。そして晩年は定子の墓「鳥戸野陵」の近く、つまりこの辺り「東山月輪」で余生を送ったそうです 泉涌寺には、幾度か訪問してきましたが、ついぞ時間的余裕もなく同じ境内に塔頭として、京都らしい素晴らしい庭園のある寺院を初めて訪問しました。そして感動受けました。【雲龍院】 真言宗泉涌寺派広い庭園を囲んで赤い毛氈がひかれた畳部屋からの眺め悟りの窓 迷いの窓 障子越しに紅葉鑑賞悟りの部屋から庭園拝観清浄の間から紅葉鑑賞この和服姿の方は殆ど動かれず 観想の世界へ 掃除の行き届いた美しい庭園大輪の間 大石良雄の額 (大輪の間)伯父様が来迎院の住職で此処にもよく来られた 霊明殿 霊明殿前提燈籠の下菊花のご紋徳川慶喜が寄進した燈籠本堂薬師如来・日光菩薩・月光菩薩が祀られています障子4枚に夫々ガラス窓を配し しきしの景色を部屋から味わう梅・燈籠・楓・松と4枚違った眺めを間接的に観る仕組み玄関に真言宗ですが、龍の絵が皆様を迎えてくれました東福寺そして清水寺の大勢の観光客に押されることなく、静かにそしてお部屋の仕組みで間接的に紅葉を鑑賞をゆっくりたのしめました。足腰の悪い人のために部屋からも腰かける小さい座椅子が用意されお寺さんの心遣いが籠っていて嬉しかったです。
2017.11.09
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今年も本年の見ごろが早く 月末まで見ごろと京都で最も代表的なもみじの名所【東福寺】見ごろです約2000本のもみじが【通天橋】から渓谷【洗玉澗】(せんぎょんかん)に亘り豪華なものでした 平日でも人込みが多く 外国語で話す人も多かったですお寺では 一日3万人から3万5千人とのこと通天橋を望む通天教の人の列通天教からの眺め人の列外国語を話す人渓谷から通天橋渓谷渓谷から通天橋を望む平地渓谷の下へ降りる通天教越しに渓谷の紅葉道すがらのもみじ通天橋を望むこの写真を撮るとき「各自1枚だけで移動願います」と警備員の人も必死
2017.11.09
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【広隆寺】 (こうりゅうじ)真言宗御室派 開基 聖徳太子 京都には、国宝が多いです。そこで「クイズですが、国宝指定が存在する日本では何処の都道府県が一番多いでしょうか?」聞くところによれば、最も多いのが、東京都265件国立博物館が殆ど管理しています。次いで京都226件そして奈良県198件の順に成っています。 広隆寺は、地元では。「太秦(うずまさ)の太子さん」と親しまれています。 その【国宝指定第1号の仏像】が、此処広隆寺・霊宝殿に納められている 【弥勒菩薩半跏思惟像】 (みろくぼさつはんかしいぞう)です。半跏とは、韓国流で半分あぐらをかかれたお姿を指します。思惟とは、片手を頬にあてがって、人類をどのようにして救おうかと、想いに耽っておられるお姿指します。何ともいえない微笑を浮かべられたお顔を見上げているだけでも心打たれる仏様です。室内の放送に寄れば、弥勒菩薩さまとは、人の救いを考えられつつ、56億7千万年後に、この世に如来として現れられる仏さんと言われ、地球学の学会でも、この数とほぼ一致していると聞いた事があります。(567と覚えます) 前述しましたが、「弥勒如来像」は奈良の「唐招提寺」で観られます。 韓国にも、全く類似した「弥勒菩薩半跏思惟像」が現存しているようです。 【飛鳥の三弥勒】広隆寺にもう一体「泣き弥勒」【国宝】が隣接して納められています。べそを描いておられ、仏像には、金箔の一部が残っています。もう一体は、奈良法隆寺の東側に隣接した【中宮寺の弥勒菩薩】を飛鳥時代の三弥勒と称されています。 霊宝館霊宝館前の苔【霊宝殿】四隅には、「四天王」「じ・ぞう・こう・た」即ち「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」が少し大きめに立っています。西側に薬師如来・日光菩薩・月光菩薩そして前列に十二神将【国宝】正面に弥勒菩薩二体と天平時代の作の弥勒菩薩一体他に大日如来・聖徳太子そして使えた「秦の河勝夫妻(藤原時代)が並び、東側には、毘沙門天・吉祥天(夫婦)(尚多聞天は毘沙門天は一諸)愛染明王。不動明王が、そして南側に観音菩薩像が三体内二体は【国宝】となっています。修学旅行生も勉強の為多く案内しました。寧ろ「じぞうこうた東南西北」は中学生から教えてもらいました。 本堂【本堂】【国宝】聖徳太子の立像が祀られて居ます。 【講堂】阿弥陀如来【国宝】 「下品中生」の珍しい印相をされています。【阿弥陀如来9つの印相】については、【平等院】をご参照願います。両脇に地蔵菩薩・虚空蔵菩薩(重要文化財) 阿吽の仁王さん【南大門】仁王像 阿・吽(あ・うん)皆さんに国宝の数々の仏像が 目白押しにまつられていますが全て撮影禁止のため ご紹介できません。Google画像で検索して確かめてみてください。次回は東福寺
2017.11.08
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京都府立病院診察待ち時間朝10時受付から20時只今帰宅左眼緑内障手術前の検査もうくたくた付き添った家内も娘にも疲れさせてしまいました 待ち時間は常識でもひとかったですコメント返し失礼します
2017.11.07
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京都 栂尾(とがのお) 高山寺 恋に疲れた 女が一人 大島紬(つむぎ)に つづれの帯が 影を落とした 石畳 京都 栂尾 高山寺 恋に疲れた 女が一人【高山寺】 (栂尾高山寺) 真言宗 開基 明恵(みょうえ) 世界文化遺産に登録 急な坂道 高山寺 石水院の入口の門廊下伝いに暫し歩みますと、国宝【石水院】 (せきすいいん)があり、廊下には、影絵の様な形で 【蟇股】 (かえるまた)のシルエットがとても芸術的に美しいです。 国宝建物【石水院】此処が一番趣の深い写真と思います。観る人によって感動は違ってくるでしょうね。 たまたま思いに耽っておられる女性のかた身動きなしでした額には、 「日の出先ず高山寺を照らす」と漢文で書かれています。鎌倉時代、後鳥羽上皇の勅額で寺名ともなりました。 床の間には、国宝【明恵上人の樹の上で座禅姿】の屏風が飾られています。 国宝の掛け軸です。明恵和尚さんが樹の上で瞑想されているお姿です。又、本間の横に、 国宝【鳥獣人物戯画】 全4巻の写しが置かれ、蛙と猿が人物的表現で戯れている図で、愉快に成ってきます。鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の筆と言うことです。ガラスケースでしたが、何とか写せました 又本間に運慶作の可愛い「子犬の像」が何とも微笑ましくお客様を迎えています。仏師 運慶が彫ったという子犬です可愛いですね 外に出ると、日本最古の茶園が狭いですが、存在し「明恵上人」が「栄西禅師」から、中国から持ち帰った茶の種を贈られ。馬の歩む足跡に従って植えることを教えられました。「日本最古の茶園」大杉の階段を登りつめました 開山堂(明恵上人)を祀っています一番奥に本堂【金堂】がひつそり建っていました。金堂前の急な石段石畳恋に疲れた女がひとりに歌われた 高山寺の駐車場から更に国道を北に向かいますと清滝川にそって。北山杉の群れがずっと続きます。天皇陛下が皇太子の頃に妃殿下とご訪問された由緒ある林です。北山杉の群れ 国道は美山を通って若狭の海へ続きます嵯峨野の旅は此処までで終わり 次回は国宝第1号の仏像広隆寺に参ります
2017.11.07
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【槇尾山西明寺】 真言宗大覚寺派(まきのおさいみょうじ)江戸時代の再建には、徳川綱吉公の母君 桂昌院が寄贈したとされています。門前やはり此処も石段を登り、山中にお堂が建っていました。でも神護寺ほどではなくホッとしました。門前のもみじ門前では手箒てで常に掃除しておられました。本堂前の戸灯篭釣鐘1回百円・撞いて来ました。静かさが山に響きました。手を合わせて、目をつぶり暫し思いに耽っていました。虎の絵の屏風もみじの庭門前のもみじ清滝川指月橋から清滝川を渡る重い足も、心癒されました。京都にはまだまだ良いところが有りました。高雄三尾 高雄神護寺 槇尾西明寺 そして このあと明日は、 世界文化遺産・栂尾高山寺 をご案内します
2017.11.06
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今年の紅葉は早く11月3日の地元新聞で神護寺の紅葉風景報じて居ました 日本シリーズ接戦の末ソフトバンクが4勝2敗で地元で胴揚げとなりました 2年ぶり8回目の日本一おめでとうございますDeNAもよく健闘しました来年の糧としてほしいです 嵯峨天皇の山上への御陵を偲びながら訪れ 眼下に 清滝川も流れ その上流に神護寺が有ります 健脚の方は、高雄に来られれば、栂尾高山寺・槇尾西明寺そして高雄神護寺とセットでお参りされると意義が深いと思います。山岳仏教で山登りが厳しいです。本日は、将軍塚で、平安遷都を推挙した「和気清麻呂」の墓と京都の都の礎を「嵯峨天皇」と築きあげられ護国のために神護寺を建てられた弘法大師に偲び昨秋訪れたものを再録します。弘法大師は、山岳仏教として、北国・高雄にまで、布教の為寺院を創られました。 【神護寺】 【高尾山神護寺】高野山真言宗別格本山 開基 和気清麻呂 山号 高雄山 高雄は、京都では、「紅葉」の名所で、シーズンでは、自家用も身動き出来ない大渋滞と成るほどです。従って駐車場も何処も満杯となります。 山岳仏教の一つで、街道から一旦、清滝川の清流へと降り、再び石段を山へと登り詰めます。年老いた人には、険しい難所でも有ります。1.【仁王門】(両側に藤原時代の「持国天」「増長天」が護法神として構えています)に着いて、ひと息つき受け付けを通じて入門します。2.直ぐ右手に【和気清麻呂公霊廟】奥には墓が有ります。常に桓武天皇の側近として、「平安京」を進言された立役者でも有ります。現在でも「高雄山」から「京都」を見守り「京都御所」の西側では「護王神社」として、朝廷に仕えた形としても、祀られて居ます。3.【鐘楼】日本三名鐘の一つです。神護寺は、「銘文」として、宇治平等院は、「形」として、そして滋賀三井寺では、「音色」として讃えられています。4.【金堂】【国宝】の薬師如来(貞観時代)神護寺の本堂に当たり最も大切な場所です。脇侍に「日光菩薩」「月光菩薩」(がっこうぼさつ)(重要文化財)十二神将及び四天王が祀られ極めて落ち着いた感じで、薬師さんのお顔を拝するとき、荘厳な感じで何時までも眺めたい気持ちに成ります。ここも「時代劇」に広くって多い石段を背景にロケが採り上げられています。5.【多宝塔】【国宝】の【虚空蔵菩薩】が祀られて居ます。秘仏で観られません。6.【大師堂】本尊【弘法大師】京の都を隅から隅まで仏典に基づき護国のため奔走されて、その足跡は、至る所で、拝する事ができます。7.【かわらけ投げ】 壮大なパノラマが開ける眼下に断崖、緑の林があり、「清滝川」「錦雲峡」の景勝が美しく、茶店で「かわらけ」を買って水平に飛ばすと、上手にすると、「遠く」「長く」渓谷に吸い込まれて行き、周りの人の喝采を帯びます。自然界で和やかな雰囲気を味わう事が出来ます。 本坊には、【国宝】の【源頼朝の絵画】は有名です。 高雄橋・ もみじと高雄橋 参道途中の茶屋息が苦しく、足が痛み出し、勇気の撤退をしょうとしましたが、ままよと再発進 休み休みして漸く神護寺楼門に辿りつきました 平安京の立役者・和気清麻呂公の霊廟 明王堂その側に日本三名鐘の鐘衝き堂があります銘が有名宇治平等院・形 滋賀・三井寺の音嵐山の保津川の支流清滝川の上流に此処たかお三尾があります。楼門を過ぎれば、平らな境内で、一安心しました。何といっても中心は、 【金堂】 で。 国宝の薬師如来像が祀られています。そして重要文化財の薬師さんのセット日光菩薩・月光菩薩(がっこう)十二神将そして四天王【持国・増長・広目・多門】天が揃ってみられます。金堂(本堂)国宝薬師如来像がまつられています。金堂前の石段は時代劇によく出て来ます。 金堂への石段紅葉が映えて居ました 登りつめた場所 石段の下時代劇でよくここのシーンが出てきます かわらけなげ2枚百円清滝川渓谷 清滝川渓谷かわらけ投げ みなさん楽しく試みておられます上手な人の場合は、長時間遠くへ飛行続けます下の川から此処まで登るのです。絶景 何れもかわらけなげ付近の情景ですかわらけ、買ってみるか記念にシャツター苔庭 たまたま 大師堂の特別公開 大師堂 長い石段を登りつめて、弘法大師さんの、護国のため建てられた聖域からの、渓谷に掛けての絶景は、みなさま満足気味でした。弘法大師さんは、神護寺より清滝川を下られて、化野の念仏寺を造り無縁さんを弔い、嵯峨大覚寺で嵯峨天皇と都造りを仏法精神で協力された足跡が伺えそうです。 清滝川 明日は槇尾西明寺(まきのをさいみょうじ)のもみじそして世界文化遺産高山寺で終わります。
2017.11.05
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今回は、大覚寺に関係ある嵯峨天皇の御陵が嵯峨野の小高き山上にあり一昨年登ってきました。直指庵から100m西に位置します。平安遷都された 桓武天皇 の皇子様です。ブログで観て頂きたい一念で、過去一度も訪問出来なかった難所にも参りました。【嵯峨天皇】陵に初めてあえぎ ながら も、極めてきました もう二度とは至難です 【嵯峨天皇嵯峨山上御陵】 は山道を登ること、二百段、杖をついて登ってきました。再三申しあげますが、794年に桓武天皇によって、【平安遷都】が行われましたが、その皇子さん【嵯峨天皇】によっ過日て、大覚寺で弘法大師さんと共に、まことの都造りを成し遂げられました。今でも、小高き山上より、嵯峨野を通して、京の都を見守って居られるようです。嵯峨天皇御陵 参道入口 坂道坂道はまだ続きます 坂道振り返ると嵯峨野 まだまだ目的地が見えません。やっと見えてきました とても清々しい感じです。 嵯峨山上陵と書かれています 帰途は獣道から しだがはえています。 裏山には、小倉山そして愛宕山が見えました。この愛宕山の頂上には愛宕神社があります。鳥瞰図 は見事な物でした小倉山を見下ろす、別の風景です。 漸く嵯峨野の景色にもどってきました。 山道にこんな林も麓にありました。達成感は、清々しい感じでした。然し杖突き持っては冒険で疲れ切りました。次回は神護寺です
2017.11.04
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想い出草観音菩薩入り口想い出草 ノート普段は此処の本堂中で したためられます苦しみ、悩み、この地を訪れた感動を5000冊に及んでいるそうです 大覚寺から北側200mのそぱに【直指庵】があります。 本日は昨年の秋に訪問した、もみじと女性の駆け込み寺とも云われる。こころの癒しの名所とも云えます。愛宕道とは外れますが、女性の哀話として、欠かせない閑居が有ります。NHK大河ドラマ【篤姫】が鹿児島から都の近衛家に養女となり、其のときの理解者が、 【津崎村岡】でした。【直指庵】 (じきしあん)浄土宗 開基 独照性円(どくしょうせいえん) 山号 祥凰山 参道本堂の前庭 本堂奥庭への道 【村岡局】は「大覚寺」の寺侍(てらさむらい)津崎の娘でした、名を「矩子」(のりこ)といい、8歳で近衛家に仕えました。「勤皇」のこころざし厚く、女性でありながらも、国事に、奔走されました。「安政の大獄」の際、投獄されるはめにまでなりました。その後釈放後に、嵯峨野に帰り、「直指庵」にて 、静かな余生を送り、88歳で亡くなりました。 津村 村岡の墓所嵯峨野の心を癒し鎮める適所なのでしょうか、「悩める女性」の「かけ込み寺」としても世に有名でして、その悩み事を記した【想い出草】として、大學ノートが侘びしく置かれて居ます。観音さんの慈悲に託されて置かれているのかもしれません。 帰り道 帰り道 次回は、山の上にある嵯峨天皇陵にご案内します。
2017.11.03
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テレビ「長七郎夢日記」のロケによく出て来ます「江戸を斬る」「水戸黄門」など 観音堂納経堂 お茶屋からの大沢の池お茶室のもみじ境内の入り口付近遍照山(へんしょうやま)を池に映す景色 神仏混合から お寺の境内には 神社の祠がありますロケによくてできます。写経されたものを収めている塔です池を巡ります池の向かい側の景色です池を巡ります 赤い橋が 見えてきましたこの奥に 名古曽の蹟があります 紅葉 青い 空と池 赤い橋と向かい岸 大覚寺は京都の都造りを嵯峨天皇と弘法大師さんと常に親しくご相談あって基礎的な都が生まれた、由緒ある嵯峨御所として貴重な歴史を持っています。 【大覚寺】真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇山号 嵯山 玄関 華道嵯峨御流 さがごりゅう 「大覚寺」は「嵯峨天皇」の離宮を寺に改め、代々法親王が継がれた格式の高い門跡寺院でも有ります。境内は渡り廊下で繋がり、広く、今でも御所風の雰囲気に満ちて、優雅な気持ちを味わう事が出来ます。 明智門 【宸殿】(しんでん)後水尾天皇の中宮(皇后)「東福門院」(徳川家光の妹)の旧殿を移築されたものです。 宸殿家光の妹 東福門院さんが御所で使われたたてものを移築前庭に、「左近の梅」「右近の橘」が構えています。「桜」のはずが、100代後小松天皇まで「梅」でした。【勅使門】 勅使門 【御影堂】嵯峨天皇・後宇多法皇がそして弘法大師も祀られて居ます。御影堂左 嵯峨天皇 右 弘法大師京の都造りに貢献されました御影堂から 勅使門を眺める舞楽を舞う台 【御霊殿】後水尾天皇の御法体尊像が祀られて居ます。【五大堂】弘法大師御作と言われる「五大明王」は「嵯峨天皇」が祈願される「本尊」でした。【霊明殿】嵯峨天皇・後宇多法皇を始め歴代御門跡の尊牌、全国華道の師範の霊が納められています。【心経殿】般若心経の写経場。 嵯峨天皇が弘法大師のお勧めで、写経された所、世の悪病が鎮まり、その後も引き継がれています。若い訪問者も増えています。【正寝殿】南朝・北朝が講和された歴史的場所と成っています。結果南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇(一休和尚の父君)へ譲位されました。境内のもみじ 境内から大澤の池を望む。 名月や池を巡りて 夜もすがら松尾芭蕉嵯峨・大沢の池で詠まれたとされています。 池を眺める展望舞台 京都観光の人気の高い嵯峨野巡り、侘びしさ、祈りの場、紅葉・桜の名所、景色の名勝、悩める人には慰めてくれる環境。変化があって、四季を通じて、又感想が違うそして、詩歌の跡の文化を味わう観光地でした。 次回は直指庵に参ります。
2017.11.02
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京都 らんざん 大覚寺大原三千院 と共に、歌われています。 【大覚寺】 真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇 【桓武天皇の皇子】山号 嵯山 現代で有りながらも、未だに「時代劇のロケ地」として、大自然の趣を見せています。「大沢の池」池畔からのシーンが多いです。中国の洞庭湖を模して造られ、向いに「遍照山」(遍く照らす太陽のこと)が池面に写され、舟を浮かべて観月にも興ずることが出来ます。池の随分北の方面に歩みますと「名古曽の滝跡地」が、ひっそりと存在していました。百人一首に歌われています。 「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名古曽流れて なを聞えけれ」 藤原公任(きんとう) この状況で、作詞家 永六輔は、「女ひとり」1節「大原三千院」2節に「栂ノ尾高山寺」そして3節に「らんざん大覚寺」を「京都」として選ばれました。ディュクエイセスの歌 「京都らんざん大覚寺 恋に疲れた女がひとり 塩沢かすりに名古屋おび耳をすませば滝の音 京都らんざん大覚寺 恋に疲れた おんなが ひとり」 大澤の池 池の一番奥に【名古曽の瀧跡】がありました。此処は時間もかかりますので、今回ブログ取材のためこの歳になって初めての訪問で感慨ふかいものがありました。 瀧の鑓水の流れの跡大澤の池に注ぎます。 瀧の水が池に注ぐ場所背景の山は、嵐山です。遍照山が大澤の池に映っています。遍く照らす即ち仏の慈悲この池に写す手法は龍安寺・金閣寺そして銀閣寺でも見られます。そして千円札にも富士山の富士五湖が採り上げています。
2017.11.01
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