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引っ越して、すぐのころ。足りないものを、買いに、母と、店に行った。母は、目につくたびに、かごに、入れていく。かごが、いっぱいになる。母が、お皿を、かごに、入れようとした。「それ、いらないでしょ。 似たようなの、あるし。 もったいない」母は、怪訝な顔を、した。「いらないって、 あんたの口から、出るとは、 思わんかった。 もったいない、とか、 言うんやね」
2026.09.25
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母と、買い物に、行った。店先で、かわいい、カバンを、見つけた。「これ、かわいい」つぶやくと、母が、言った。「買えば? 今の、ボロボロやし、 もう、買い替えたら?」かわいい、とは、思う。いいな、とも、思う。でも、買いたい、は、また、別の、気持ちだ。かわいい。いいな。じゃあ、買う。今の、カバンは、10年以上、使っている。子どもたちが、まだ、小さかったころ。旅行先で、買った。赤い。底に、穴が、あきそうだ。それでも、直して、まだ、使いたい。私には、ただの、カバンじゃない。
2026.09.23
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ゴミ出しは、最初、私の、仕事だった。朝、起きて、ゴミ袋を、まとめて、出勤前に、出す。8時までに、出せば、いい。余裕で、間に合う。いつからか、母が、出すように、なった。私が、起きてから。「ゴミ、出さないと」私に、聞こえるように、言って、ゴミを、出す。前に、一度だけ、言った。家事は、分けよう、と。それ以来、もう、言っていない。「ゴミ、出さないと」私は、何も、言わない。今日も。
2026.09.21
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一度、母に、メールを、書いた。「仕事も、今、忙しいし、 週末は、できるだけ、家に、いたい。 どうしても、行きたいところが、あるなら、 自分から、きちんと、伝えてほしい」送れなかった。週末の、11時半。母が、部屋から、出てくる。リビングの、テーブルに、座って、こちらを、ちらちら、見ながら、携帯を、さわっている。私が、動かないでいると、ぼそっと、つぶやく。「お昼、どうしようかな」メールは、今も、下書きのまま。
2026.09.18
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うちの玄関は、鍵を、かざすだけで、開く。でも、母は、鍵を、持っているのに、玄関の前で、立っている。私が、開けるのを、待っている。「鍵、母も、持ってるよね?」責めた、つもりは、ない。ただ、そう、言った。母は、何も、返さなかった。次の日から、急いで、自分で、開けるように、なった。でも、たまに、私が、先に、開けると、母は、言う。「カバンから、見つからなくて。 あ、バカや。 すぐ出せるように、しとけば、よかった」。私は、何も、言っていない。だから、私は、できるだけ、何も、言わないように、なった。
2026.09.16
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買い物に、行く。気に入った、服を、見つける。ピアスを、見つける。夫や、息子に、聞く。「これ、どう?」たいてい、返ってくるのは、「好きそうな、デザインやね」。「好き」とも、「似合う」とも、言わない。ただ、「あなたが、好きそう」。それだけ。これが、ガジェットの話だと、返事は、変わる。「スペックは?」「ちょっと待って、 もっと、いいの、あるかも」。でも、私の、服には、踏み込んで、こない。「好きそうやね」。その言葉は、私のかわりに、選ばない。私の「好き」を、私の「好き」のまま、返してくれる。だから、私は、その返事が、好きだ。
2026.09.14
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うちの夕飯は、大皿で、出す。それぞれが、取り皿に、とって、食べる。母は、いつも、大皿を、私の側に、寄せて、置く。そして、自分は、遠いまま、箸を、伸ばす。だから、途中で、いくつか、机に、こぼす。「あ、こぼした」。そう言って、ティッシュで、机を、ふく。毎日だ。一度、母が、取りにくそうに、わざわざ、立ち上がって、料理を、とろうとした。「立つくらいなら、 自分の近くに、置いたら? 私は、手が、届くから」。でも、次の日も、皿は、また、私の側に、寄っている。そして、母は、また、こぼす。私は、母が、席を立ったすきに、そっと、大皿を、母の方に、近づける。でも、戻ってきた母は、気づかないうちに、また、ゆっくりと、皿を、私の側に、引き寄せる。毎日、その、せめぎ合いを、している。言葉は、ひとつも、交わさずに。今日も、皿は、私の側にある。
2026.09.11
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母が、いつも使う、お皿は、食器棚の、いちばん上の、段に、ある。母は、つま先で、立って、片手を、伸ばして、それを、おろす。「その皿、上だと、取りにくくない? 棚、整理して、 もっと、下に、置いたら?」「大丈夫」。それだけ、だった。でも、私が、棚を、整理して、その皿を、母の、手の届く段に、移すと、母は、言った。「あ、取りやすく、なった」。「大丈夫」と、言われると、私は、それ以上、何も、言えなく、なる。
2026.09.11
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母は夕方、自分の洗濯物だけ、取り込む。物干しの、洗濯ばさみが、壊れていた。母が、外すときに、とれたようだった。気づいて、直した。また、洗濯物を、干していたら、直した、洗濯ばさみが、また、とれていた。「洗濯ばさみ、壊れた?」「とれたから、 そこ、おいてる」直した部品が、ない。小さい、丸い、わっか。「おちてない?」「知らない」さっき見たときは、何も、なかった。すぐ下に、落ちていた。直した、洗濯ばさみのところには、もう、母の洗濯物を、干さないことにした。
2026.09.11
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入浴剤は、もともと、私が、買ったものだった。気分転換に、と思って、ひとりで出かけた日に、棚の前で、ひとつずつ、においを、かいで、選んだ。それが、なくなったとき、母が、言った。「入浴剤、きれてるから、買おうよ」。「別に、なくても、よくない? なきゃ困るもの、でもないし」。「えー、買おうよ。 ないと、さみしいし」。そうか。私は、正直、どちらでも、よかったけれど、母が言うなら、と、また、買った。うちは、お湯を、ためて、順番に、入る。最近、母は、先に入って、その入浴剤を、入れない。でも、母は、たしかに、言っていた。「ないと、さみしい」と。その母が、いま、入浴剤の入っていない、お風呂に、毎晩、ひとりで、入っている。棚の上の、入浴剤は、だれにも、使われないまま、そこにある。
2026.09.09
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母が、買い物から、帰ってきた。お茶を、ひとケース、買ったらしい。台所で、母が、つぶやいた。「あ、お茶、ケースで、買ったんやった。 車に、置いたままや」。だれかに、話しかけた、わけじゃない。ひとりごとの、形を、している。でも、それが、私に、向いているのは、わかる。「とりに、いこうか?」私は、黙っていた。「重いから、持ってきて、もらっていい?」そう言われたら、私は、行く。お茶くらい、なんでもない。でも、母は、そうは、言わない。ぜったいに、言わない。「何か、飲みたいな」。「何、飲もうかな」。そう、つぶやいて、私が、「コーヒー、いれようか?」と、言うのを、待っている。「いれて」とは、言わない。頼まれたら、やる。でも、頼まれては、いない。ただ、私の、すぐ横で、つぶやかれている。私は、もう、その、つぶやきを、拾わない。お茶は、まだ、車の中に、置いたままだ。
2026.09.07
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母は、小さな失敗を、するたびに、まず、こう言う。「あ、バカや」。部屋に、持っていくはずの、荷物を、忘れたとき。ゴミを、出し忘れたとき。そのたびに、ひとこと目が、「あ、バカや」。聞き流している。でも、嫌でも、耳に、入ってくる。うんざり、する。「あ、バカや」と、先に、言ってしまえば、それ以上、「なんで?」とは、言えなくなる。
2026.09.04
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妹から、LINEが、来る。「母さんの誕生日、どうしよう?」それで、終わり。だから、私は、考える。お店を、調べる。プレゼントも、探す。「〇〇のお店、どう?」「うーん……平凡じゃない?」「じゃあ、これは?」「なんか、安っぽく見えるよ」。ぜんぶ、却下される。でも、対案は、出てこない。「じゃあ、そっちは、何か、案ある?」そう聞くと、返ってきたのは、「子育てで、忙しいから、考える暇、ないんだよね」。……そうか。いつのまにか、私は、妹の、正解を、探していた。
2026.09.02
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妹が、言う。「姉ちゃんは、いいよね。 いつも、苦労しないで、 仕事も、すぐ見つけて、 いい思いばっかり、してる」。そうか。そう、見えるのか。私は、しんどい話を、あまり、人に、しない。だから、妹の目には、私は、苦労していない人に、見えるらしい。……そう、見えるなら、それは、たぶん、私の、成功だ。
2026.08.31
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引っ越しの前で、新しい家の、片づけを、していた。まだ、冷蔵庫も、入っていない、がらんとした部屋。私は、黙々と、手を、動かしていた。そこに、妹が、やってきた。「アイス、買ってきた」。それだけ。でも、私は、すぐには、手を、止められなかった。作業には、流れがある。ここまでやってから、と、決めていた、区切りも、ある。途中で、止めると、さっきまで、わかっていた、続きが、わからなくなる。すると、妹が、言った。「アイス、早く、食べないと、とけるよ」。一度じゃ、ない。何度も、言ってくる。冷蔵庫は、まだ、ない。入れておく場所も、ない。だから私は、作業を、中途半端なまま、止めるしか、なかった。そして、黙って、アイスを、食べた。妹は、母に、ほこらしげに、言った。「強制的に、休めるから、いいアイディアだよね」。母は、「ありがとう」と言って、おいしそうに、アイスを、食べた。私は、アイスの味を、あまり、覚えていない。
2026.08.26
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母の料理は、ちゃんと、している。れんこんも、ごぼうも、水煮じゃなくて、土のついたのを、買ってくる。だしも、ちゃんと、とる。おいしい。それは、ほんとうに、そう。でも、母との食事は、だんだん、重くなる。大皿で、どん、と、出てくる。二人なのに、いつも、多い。母は、すこし食べると、すぐ、箸を、置く。そして、皿を、すこしずつ、私の方に、寄せてくる。何も、言わない。ただ、皿だけが、近づいてくる。もっと、食べろ、と。言葉は、ないのに、圧だけが、伝わってくる。おなかは、もう、いっぱいだ。それでも、もう、ひと口、食べる。私が、ほんとうに、箸を、置くと、母は、「もったいないから」と言って、残りを、食べる。いっぱいのはずの、母が。次の日、私は、いつもより、少しだけ、多く、よそう。
2026.08.24
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出かけることに、なった。母は、準備が、できると、さっさと、玄関を、出ていく。そして、車の中で、待っている。母は、「早くして」とは、言わない。ただ、座って、待っている。でも、その、待っている、気配が、家の中まで、届いてくる。私は、まだ、家の中で、やることが、ある。窓を、閉める。猫に、ごはんを、やる。水を、替える。どれも、ちゃんと、やりたい。でも、車が、待っている。だから、急ぐ。急いで、やったことは、終わっても、ちゃんと、終わった気が、しない。戸締りを、したのに、また、見に行く。水を、替えたのに、もう一度、のぞく。母は、何も、言っていない。ただ、先に、車で、待っているだけ。それなのに、私は、ずっと、追い立てられている。気づいたら、私は、何かを、終えるのが、下手に、なっていた。
2026.08.21
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休みの日、母と、買い物に、出た。雑貨屋で、アクセサリーを、見ていた。小さな、ピアス。これ、いいな、と思って、手に取った。すると、横で、母が、言った。「あー、私、それ、好き」。べつの棚で、服を、見ていると、また、母の声が、する。「これは、私、きらーい」。でも、聞こえてくる。ふしぎなもので、母が「好き」と言うと、私の「いいな」は、すっと、引いていく。手に取った、ピアスを、棚に、戻す。べつに、ほしくなかった気がする。そう、思うことにする。そして、母が「好き」と言ったほうの棚を、なんとなく、見に行く。何年も、こういうことを、繰り返していると、だんだん、自分が、何を好きだったのか、わからなく、なる。今、ほしいものを、聞かれても、すぐには、答えられない。母の好きなものは、たくさん知っている。でも、私の好きなものは、あまり、思い出せない。休みの日、母と、買い物に、出た。雑貨屋で、アクセサリーを、見ていた。小さな、ピアス。これ、いいな、と思って、手に取った。すると、横で、母が、言った。「あー、私、それ、好き」。べつの棚で、マグカップを、見ていると、また、母の声が、する。「これは、私、きらーい」。でも、聞こえてくる。ふしぎなもので、母が「好き」と言うと、私の「いいな」は、すっと、引いていく。手に取った、ピアスを、棚に、戻す。べつに、ほしくなかった気がする。そう、思うことにする。そして、母が「好き」と言ったほうの棚を、なんとなく、見に行く。何年も、こういうことを、繰り返していると、だんだん、自分が、何を好きだったのか、わからなく、なる。今、ほしいものを、聞かれても、すぐには、答えられない。母の好きなものは、たくさん知っている。でも、私の好きなものは、あまり、思い出せない。
2026.08.19
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家で、仕事をする日。朝のうちに、コーヒーを、多めに、いれておく。机に向かいながら、一日かけて、すこしずつ、飲むため。自分のぶん、として、ポットに、移して、置いておく。その日も、そうした。しばらくして、台所に行くと、母が、そのポットを、見つけていた。「コーヒー、もらって、いい?」そう言いながら、母の手は、もう、カップに、注いでいた。私が、何か、言う前に、コーヒーは、もう、母のカップの中だった。「もらって、いい?」それは、たしかに、質問の、形をしてる。でも、答えは、待っていない。「いいよ」も、「あ、それ、仕事用」も、言う、すきまが、なかった。不思議なもので、こういうことが、続くと、だんだん、自分の返事を、後回しにするようになる。どうせ、もう、決まっているから。聞かれているのに、選べない。許可を求められているのに、断れない。気づいたら、レストランで、「何食べる?」と聞かれても、先に、相手の顔を、見ている。そして、「なんでもいいよ」と、答えている。
2026.08.17
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うちは、中古の家。押し入れの床が、少し、沈んでる。母が、水と、お酒を、大量に、置きたい、と言った。私は、言った。「そこ、抜けるかも、しれないよ」。母は、言った。「抜けたら、抜けたとき」。そうか。抜けたら、業者を、探して、見積もりを、取って、日程を、合わせて、立ち会うのは、私。だから、私は、「まあ、そのとき、考えよう」が、苦手だ。そのとき、考えるのは、だいたい、私だから。
2026.08.12
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母が、言った。「庭の整備、いつ、してくれるの?」お隣さんが、土が流れ込みそうって、言ってたらしい。私は、その庭を、やるとも、引き受けるとも、言っていない。でも、話はもう、「やるか、どうか」じゃなく、「いつ、やるか」に、なっていた。「お願い、できる?」なら、まだ、答えられる。でも、「いつ、してくれるの?」には、断る場所が、ない。
2026.08.10
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母は、出かけるのが、大好きだ。休日になると、「どこか連れてって」の、オーラが、出る。でも、「どこに行きたい」は、ない。「何が食べたい」も、ない。ただ、「連れてって」だけ。店を探すのも、決めるのも、運転するのも、ぜんぶ、私。それが、毎週。しかも、土日、二日とも。ある日、ついに、言った。「元気な日なら、店を決めて、連れてくのも、できる。でも、毎回、探して、連れていくのは、しんどい」。母は、言った。「わかった」。でも、その顔は、あきらかに、不機嫌だった。そして、次の休み。母は、また、リビングで、そわそわしていた。それから、私は、しんどいことを、説明しなく、なった。言っても、変わらないから。
2026.08.07
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出かける前の、準備が、面倒な日が、ある。化粧とか。その日、私は、顔を洗っただけ、だった。母は、出かけたい。だから、言った。「今日は、化粧する気力が、ないから。出かけたくない」。すると、母は、言った。「私は、化粧してなくても、気にしないよ」。……いや。あなたが、気にするか、じゃない。私が、出かけたくないの。でも、そのあと、もう一度、「行きたくない」とは、言えなかった。結局、出かけた。化粧も、した。気づけば、「行きたくない」より先に、理由を、考えるように、なっていた。
2026.08.05
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冷蔵庫の、自動製氷機。タンクを、奥まで入れないと、氷が、できない。だから、言った。「これ、奥まで入れないと、氷、できないみたい。お互い、気をつけよう」。それだけ。すると、母が、言った。「私は、氷なくても、いいから」。「冷たい飲み物じゃ、なくても、大丈夫」。……いや。そういう、話じゃ、ない。タンクを、奥まで、入れよう。それだけの、話だ。でも、気づくと、私は、母に、我慢させた人に、なってる。だから、だんだん、何も、言わなくなった。氷のことも。
2026.08.03
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車を、運転してると、母の、ひとりごとが、始まる。「あ、ローソン」。「……和菓子屋さん」。これは、寄ってほしい、のサイン。だから、聞く。「なに? 寄る?」「別に」。……別に、じゃない。でも、「寄りたい」とは、言わない。母が、待ってるのは、私の、ひとこと。「和菓子、食べたいね」。だから私は、車の中で、ずっと、母の、ひとりごとを、拾ってる。「ローソン」も。「和菓子屋」も。拾って、私の言葉に、して、返す。母は、何も、ほしがってない。私だけが、いつも、何かを、ほしがってる。――ことに、なってる。
2026.07.31
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作業服が、いるような、作業を、してた。ちょっと、危ない、やつ。妹が、「手伝う」と、言ってきた。ありがたいな、と、思った。でも、来た妹は、ミニのスカートに、半袖だった。……それじゃ、無理だ。ケガを、する。だから、言った。「その格好だと、危ないから、今日は、いいよ」。すると、妹は、言った。「また、部外者に、された」。でも、のけ者にしたのは、私、ということになる。それから、私は、「だめ」と言うのが、こわく、なった。
2026.07.29
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ネットで、母が好きそうな、カフェを、見つけた。家の、近所だ。よかれと思って、言った。「今度、行ってみよう」。次の、休みの日。母が、朝から、そわそわ、してる。昼を、すぎる。だんだん、機嫌が、悪くなる。そして、言う。「今日、カフェに、行くって、言ったよね?」……言って、ない。私が言ったのは、「今度、行ってみよう」。いつかの、話だ。でも、母の中では、「今度」が、「今日」に、なってた。そして、それを、破ったのは、私、ということに、なってた。それから、私は、「今度ね」が、言えなくなった。「行けたら行こう」も。「いつか、やろう」も。軽い気持ちで、言った言葉が、約束になって、返ってくるから。母のために、見つけた、カフェだった。でも、気づいたら、私は、未来の話を、するのが、こわく、なってた。
2026.07.27
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夕飯が、できた、らしい。気づいたのは、母が、私の、横で、ご飯を、食べ始めて、からだった。「あー、おいしい」。「これ、食べよ」。ひとりごと、みたいに。……呼んで、くれれば、いいのに。「できたよ」の、ひとことで、いいのに。理由は、わかってる。前に、一度だけ、「先に、食べてて」と、言ったからだ。仕事の、エラーが、直らなくて。たった、一度。その日から、「ご飯、できたよ」が、消えた。だから私は、また、耳を、すませる。「あー、おいしい」を、聞きのがさないように。ご飯が、できたことを、空気から、読み取るために。気づけば、私は、「あー、おいしい」を、聞きのがさない人に、なってた。
2026.07.27
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母と、買い物に、行く。刺身の、コーナーの前で、母の、歩く速度が、すこし、落ちる。それだけ。何も、言わない。でも、私には、わかる。ああ、今日は、刺身が、食べたいんだ。だから、私が、言う。「夕飯、お刺身に、しない?」母は、「いいね」と、うれしそうに、言う。私は、母が、何を食べたいかは、すぐ、わかる。歩く、速度で、わかる。立ち止まる、時間で、わかる。声の、調子で、わかる。なのに。今日、自分が、何を食べたいかは、もう、ずっと、わからない。
2026.07.24
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母は、頼んでないことを、先にやる。妹と、もめてた時期。母は、妹の子の、制服のシャツに、アイロンを、かけてた。妹の、旦那さんの、シャツまで。そして、ずっと、文句を、言ってた。大変だ。疲れた。誰も、手伝わない。……なら、やらなきゃ、いい。誰も、頼んでない。うちでも、同じだ。洗濯は、私の担当。でも、仕事で帰りが遅いと、母が、先に、取り込んでる。だから、言った。「そのうち、自分ばっかり家事してるって、不満になるよ」。でも、母は、不満そうだった。やめれば、いい。手伝ってほしいなら、言えば、いい。でも、やめない。言わない。気づいたら、私は、わからなくなってた。何をしても、不満なら、私は、どうしたら、いいんだろう。やらなければ、不満。やろうとしても、不満。どっちでも、私が、悪いことになる
2026.07.22
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母は、自分からは、風呂に入らない。でも、「先に入って」とも、言わない。ただ、落ち着かない。ため息が、増える。物音が、大きくなる。なんとなく、空気が、急ぐ。私が動かずにいると、しばらくして、自分で、入る。少し、不機嫌そうに。そして、出てきて、言う。「お待たせしました。お風呂、どうぞ」。……いや。待ってない。待ってたのは、そっちだ。だから私は、言葉を聞く前に、空気を、読む。それが、いつのまにか、当たり前に、なってた。
2026.07.20
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私には、自分の部屋が、ない。だから、距離を取りたくても、取れない。できるのは、これだけ。リビングの、パソコンの前に、座る。イヤホンを、つける。そして、母に、背を、向ける。それでも、声は、届く。母は、ひとりごとが、多い。「お茶、飲もうかな」「これ、おいしそう」背を向けていても、その声は、背中に、刺さる。イヤホンの、すきまから、入ってくる。聞こえなかった、ことには、できない。聞こえなかったら、あとで、もっと、面倒になるから。気づいたら、私は、家の中で、ずっと、半分、耳を、すませてる。自分の作業の、ふりをして、ほんとは、次の“ひとりごと”を、待ってる。自分の家なのに、安心して、背を向けられる場所が、ひとつも、ない。
2026.07.17
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朝、LINEを、送った。「エアコン、つけっぱなしじゃ、なくてもいいかも。みんな、すぐ、リビングから、いなくなるし。電気代、もったいない気がして」それだけ。でも、送ったあと、不安になって、続ける。「責めてるわけじゃ、なくて。そうしたほうが、いいかな、っていう、提案だから」それでも、足りない気がする。また、送る。また、説明する。気づくと、私は、エアコンの話を、延々と、弁解してる。まだ、何も、責められても、いないのに。このころには、もう、わからなくなってた。何を、どう言ったら、「責めてる」ことに、ならないのか。返事は、昼すぎに、来た。「わかりました。別に、責めてるなんて、思ってないよ。私の言い方が、下手なだけ」ちがう。あなたの、言い方の話じゃ、ない。でも、そう言うと、また、こじれる。そして、会話は、いつも、ここで、閉じる。「親と暮らすのは、大変と思う。感謝してます」。いや、今、その話じゃ、ない。エアコンの話は、もう、どこにも、ない。何回、説明しても、言葉は、ちがう場所に、着く。この人とは、話すほど、遠くなる。だから、私は、説明するのを、やめた。やめたのは、関係じゃ、ない。「いつか、わかり合える」という、期待のほうだ。
2026.07.13
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「お昼、どこにする?」「どこでもいいよ」最初は、気をつかってくれてるのかと、思ってた。でも、毎回、これだと、わかってくる。店を、考えるのは、こっち。予算も、場所も、ぜんぶ、こっちが、しょいこむ。そのうえで、「ここは?」と、出すと、こう返る。「うーん、ラーメンは、ちょっと……」「その気分じゃ、ないかな……」……あるんじゃん、希望。だったら、最初から、言ってよ。でも、たぶん、この人は、言わない。「これが好き」が、言えない。面倒なのは、こっち。でも、本当に、こまったのは、別のことだった。何年、一緒にいても、私は、この人の、好きな店を、ひとつも、知らない。何を食べたいのかも、何が好きなのかも、わからない。好きを、教えてくれない人とは、どこまで行っても、知り合いのまま、だ。いちばん、奪われたのは、時間じゃない。この人と、近づく、機会のほうだ。
2026.07.10
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朝、母が、すこし怒った声で、言った。「いつになったら、確定申告、やってくれるの?」……頼まれて、ないけど。つい、言い返した。「言ってくれれば、やるよ。でも、何も、言ってないよね」母は、むっとして、何も言わずに、行ってしまった。その日の、夕方。「これ、確定申告の、書類!」束を、ぽい、と、投げて、渡された。締切を、聞いてみる。「いつまで?」「さあ?」……知らないんだ。やること自体は、いい。パソコンで、三十分も、かからない。でも、「勝手に、やってくれるもの」と、思われているのが、ひっかかる。私が、その時間に、何をしてたかは、関係ない。私の時間は、もとから、母の予定に、入ってる。書類は、出した。ちゃんと、終わった。ただ、私の時間が、私のものじゃ、なかったことだけが、残った。
2026.07.08
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熱で、動けない、朝だった。母が、私の横を、通りすぎる。そして、猫に、話しかける。「〇〇くん、お姉ちゃん、具合悪いってよ〜」……私に、言えばいいのに。私のことなのに、報告は、猫に、いく。「大丈夫?」とも、言う。でも、なんだか、遠い。私に、向かってるようで、向かってない。私は、熱が、あった。本当は、「しんどいね」の、一言が、ほしかった。でも、その言葉は、来ない。代わりに来るのは、猫への報告と、体調の確認だけ。不思議なもので、こういうことが、何年も続くと、だんだん、期待しなくなる。心配されないことより、心配の言葉が、届かないことに、慣れていく。だから今は、「〇〇くん、お姉ちゃん具合悪いってよ〜」を、聞いても、「ああ、また、猫経由か」と、思う。それだけだ。熱は、自分で、測る。
2026.07.06
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旅行先の、デパ地下。レジで、支払う、直前。母が、急に、お菓子を、差し出してくる。「これ、職場の人に、どう思う?」……今?私は、答える。「人数とか、予算とか、わからないと、答えられないよ」すると、空気が、すこし、悪くなる。ああ、また、だ。ほしかったのは、意見じゃない。「いいんじゃない?」その一言、だった。知ってる。でも、私は、言えない。前に、一度、言ったことが、あるから。「いいと思うよ」。そう言った。あとで、返ってきたのは、これ。「あなたが、いいって、言ったから」。決めたのは、そっちだ。でも、責任は、こっちに、来る。それから、気づいた。相談されてるんじゃ、ない。保証人に、されてる。失敗したとき、一緒に、責任を、背負う人を、探してる。だから、何を提案しても、意味がない。答えは、最初から、決まってる。必要なのは、判断じゃ、ない。同意だ。だから、最近は、こう言う。「おいしそうだね」。決めるのは、そっち。責任も、そっち。私は、もう、保証人には、ならない。
2026.07.03
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猫が、窓の外を見たくて、鳴いてる。母が、言う。「もう、窓は、開けないよ。暗いから、何も、見えないし」暗いのは、本当だ。でも、なんだか、引っかかった。猫は、気にしてない。見えてるかどうかなんて、たぶん、関係ない。あとで、母が、ぽろっと、言った。「……寒く、なるしね」ああ、それだ。最初から、そう言えば、いい。「寒いから、イヤ」。それだけで、済む話だ。でも、この人は、言わない。「寒いからイヤ」じゃなくて、「暗いから」。「面倒だから」じゃなくて、「仕方ないから」。「やりたくない」じゃなくて、「みんな、そうしてるから」。自分の気持ちより、先に、正しそうな理由が、出てくる。私は、人の言葉を、そのまま、聞けなくなった。「大丈夫」と言われても、本当に大丈夫なのか、考える。「気にしてない」と言われても、気にしてる前提で、動く。いつのまにか、会話じゃなくて、解読を、している。疲れる。ものすごく、疲れる。だから、最近、やめた。「暗いから」と言われたら、「ああ、暗いんだな」で、終わる。本当は、寒いのかもしれない。別の理由が、あるのかもしれない。でも、それは、その人が、言葉にする仕事だ。私は、もう、解読係を、やらない。
2026.07.01
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「ちょっと、最近、しんどくて」ひさしぶりに、弱音を吐いた。「わかるよ。私なんて、もう、何年も眠れてない」「薬だって、あなたの倍は飲んでる」「あなたは、まだ、いいほうよ」……そう、ですか。さっきまであった、私の「しんどい」が、消えた。気づいたら、私が、その人の不眠を、心配してる。この人に、弱音は、吐けない。何を言っても、最後は、向こうのほうが、大変なことになるから。「つらかったね」が、返ってきたこと、一度もない。あるのは、いつも、「私のほうが」。だから私は、だんだん、言わなくなった。「最近どう?」には、「元気だよ」。泣くのは、ひとり、車の中。エンジンを切った、スーパーの駐車場で。行き場をなくした私の「しんどい」は、私の中に、積もっていく。
2026.06.29
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頼んでない。なのに、おかずが届く。タッパーいっぱいの煮物。揚げ物。きんぴら。「作りすぎたから」「持っていきな」。私は、お礼を言う。でも、なぜか、心は軽くならない。むしろ、すこし、重くなる。冷蔵庫が、頼んでないおかずで、埋まっていく。賞味期限が、こっちを急かす。食べきれなくて、捨てる。捨てるとき、なぜか、私のほうが、悪いことをした気になる。今夜は、カレーにしようと思ってた。その材料が、もう、入らない。本当は、早く帰って、寝たかった。明日も早い。でも、その「私の都合」は、なかったことになってる。断ればいい、と思うかもしれない。でも、断れない。「いらない」と言うと、相手の顔が、曇るから。「せっかく作ったのに」。そう言われたら、もう、もらうしかない。断れない親切は、親切じゃない。取引だ。「あなたのために、してあげたのに」。その「あげたのに」が、答えだ。断っていい。受け取らなくても、私は、冷たい人間じゃない。──ただ。私も、ある。誰かに、よかれと思って、何かをして、心のどこかで「こんなにしてあげたのに」と思ったこと。あれは、相手のためじゃなかった。その穴は、おかずじゃ、埋まらない。
2026.06.26
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台所の戸棚が、開いてた。「なんで開いてるんだろう」そうつぶやいて、閉めようとした。それだけ。「ちょっと待ってよ!」母が、怒る。さっき開けて、まだ作業中だったらしい。……ああ、ごめん。それは、わかった。問題は、そのあとだ。「そんなに、言わなくていいじゃない」言ってない。独り言だ。「なんか、いつも責められてる」……いつ?私は、考える。いつ。どの場面。どの言葉。でも、出てこない。「いつも」と言われると、反論のしようがない。こういうことは、前にもあった。私が取っておいた空き容器を、母が勝手に捨てた。「これは自分で捨てるから、触らないで」そう言ったら、返ってきたのは、「じゃあ、買ってくるわ!」だった。いや、そういう話じゃない。これを何年もやると、私は、だんだん、何も言えなくなる。これ言ったら、責めたことになるかな。これも、ダメかな。口を開く前に、検閲する。そして、黙る。ひとことも責めてないのに、「いつも責めてくる人」になって、最後は、私が、口をつぐむ。たぶん、この人も、こわいんだと思う。小さな注意で、自分が全部否定された気がするくらいには。でも、それと、戸棚の話は、別だ。
2026.06.24
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「私なんて、いないほうがいいんだよね」そう言う人がいる。たぶん、本気でそう思ってるわけじゃない。ただ、「そんなことないよ」って言ってほしい。それだけ、なんだと思う。私は長いこと、それを言ってきた。優しさだと思ってた。相手がつらそうだから、なぐさめてるだけ、と。違った。言わされてただけ。「どうせ私なんて」「迷惑かけてばっかりで」。ああいう人は、「ほめて」とは絶対言わない。かわりに、こっちが「そんなことないよ」と返すしかない言葉を、置いていく。自分を下げて、人を動かす。ここまで読んで、誰かの顔が浮かんだ人も、いるかもしれない。親かもしれない。恋人かもしれない。職場の、あの人かもしれない。やっかいなのは、返さなかったとき。「やっぱり、そう思ってたんだ」「もういい」その空気に耐えられなくて、気づくと、私のほうが謝ってる。何年も言い続けて、一回、疲れて言えなかっただけで、こっちが冷たい人になる。私はこれに、名前をつけた。「そんなことないよ」を言わせる人。名前をつけると、すこし楽になる。「ああ、あれか」になるから。それまでは、全部自分のせいだと思ってた。私の優しさが足りない。私の言い方が悪い。違う。たぶん、ただ、その型にはまってただけ。だから、しんどかったら、ひとつだけ。「そんなことないよ」を、言わない。冷たいわけじゃない。降りるだけ。──ただ、これは書いておく。私も、たまにやる。「そんなことないよ」って言ってほしくて、自分を下げる。悪気はない。さびしいだけ。でも、それ、相手の優しさを人質に取ってる。気づいたら、やめられる。毒は、名前がついた瞬間から、少しだけ弱くなる。
2026.06.22
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