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手々の海岸にある「クサデン岩」です。そして、遠くにはトンバラ岩も見えました。人気ブログランキングへ
Mar 31, 2013
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徳之島町手々地区にある按司墓(あじばか)に行ってきました。最近は、こういう案内標識があって便利です按司とは、琉球王国の宮家の称号です。ここには按司掟とよばれる、按司の代理で領地を治めた村の長であった掟 大八(おきて おおはち)の墓です。お墓の全景ですこれがお墓の入り口です。お墓はこれです。掟大八の墓の周りにそれを守るように6つの家来の墓石があって、これを総称してアジ墓と呼んでいまるそうです。一応、この説明板を参考にしました。人気ブログランキングへ
Mar 30, 2013
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このサイトでは、かなりの漫画が無料で読めます。↓↓↓http://mangaonweb.com/creatorOnlineComicTop.do?cn=1人気ブログランキングへ
Mar 29, 2013
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徳之島町轟木地区にある。藍玉製造所の跡だそうですが、それらしいものが見つからなかったところです。かっては驫木地区は藍玉の生産地だったそうです。大正の初めごろの記録では藍玉1斤が35銭で、染め衣(ぎぬ)1枚に10斤は必要だったそうです。当時の人夫賃が1日20銭、焼酎が1升8銭といいますから、かなり高額な商品だったそうです。人気ブログランキングへ
Mar 28, 2013
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Mar 27, 2013
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手々地区にある畑です。ソテツの木がいかにも南国の畑という感じですね。もう少し高いところへ行けば、海もよく見えます。人気ブログランキングへ
Mar 26, 2013
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徳之島では「石敢當」と書かれた石の標識をよく見かけます。「いしがんとう」、「せっかんとう」と読むのかよくわかりません。また、どういう意味かあるのかもわかりませんが、こんな感じで家の塀などに埋め込まれているのをみかけます。人気ブログランキングへ
Mar 25, 2013
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フトン籠とは、金網で作られた籠の中に石を詰めて土砂等の崩壊を防ぐために設置するものです。材料は現地で手に入るそこそこの大きさの岩石を使えるので手軽に設置できます。さて、豊穀神社の本殿へ登る階段です。そして、本殿はいつものとおりコンクリート製。戦争で亡くなられた方の慰霊碑も建立されていました。この石碑はどうやら、戦死された英霊の方々を讃える内容のものでした。最近、設置された豊穀神社の説明版です。豊穀神社の名称は当時の手々小学校長 益田豊成氏によるものだそうです。神社のあるところはこんなところで、山々に囲まれたところでした。人気ブログランキングへ
Mar 24, 2013
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徳之島最北端の地にある集落手々にある地福之島三十三聖地旧跡 十番拝所の豊穀神社へ行きました。「手々(てて)」という地名は、周囲を山々に囲まれているため、方言で「岳」を「ティー」と呼ぶところからついたといわれています。昔、手々の人たちは五穀豊穣と一家の幸せをコウガミ様(川神様)に託し、川のあるところにそれぞれ祈願所を建てていたそうですが、昭和3年に豊穀神社ができ、コウガミ様を神社にまとめて祀るようになったということです。豊穀神社の鳥居ですこの鳥居を抜けて、「カンギョウ(神川)グスク」という聖なる森の中を抜けていきます。、この「カンギョウグスク」という森は神様が羽の生えた馬に乗ってやってくる場所だったそうで、言い伝えでは「木の枝一本たりとも損傷すれば、必ず天罰が下る」として畏れられていたそうです。参道の途中にあった砂防ダム、森の木を伐らないようにでしょうか、ふとん籠で簡単に作られていました。【つづく】人気ブログランキングへ>
Mar 23, 2013
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徳之島町の北部「手々」という集落には、「掟大八の力石」というのがあります。琉球王国が徳之島を支配していた1500年代半ば、掟大八という人が手々にいたそうです。掟とは、村の長を指す役職名です。大八は石工の術に秀れていたために、琉球王に招かれて、築城にたずさわり、その勲功によって唐焼の酒器を褒美にいただいて帰島したといいます。その後、王の命によって加計呂麻(かけろま)の諸鈍(しょどん)城攻略にも参加して手柄を立てましたが、無念な戦死を遂げました。掟大八の力石とは、大八が力試しに用いていたもので、重量は800斤(480kg)もあるといいます。力石のある場所はこのように個人の宅地の中にありました。そして、これが力石です。人気ブログランキングへ
Mar 22, 2013
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山や建物などが空を区切って作る輪郭のことを「スカイライン」と言うそうですね。人気ブログランキングへ
Mar 21, 2013
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徳之島の海岸には変わった形をした岩が、人気ブログランキングへ
Mar 20, 2013
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徳之島にもゴルフ場が二ヶ所あります。写真は、天城町にあるゴルフ場です。人気ブログランキングへ
Mar 19, 2013
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徳之島町神之嶺地区にあるカンニンウシシギャデラに行ってきました。先日紹介した、カンニンウシシギャ墓から200m離れたところにある神社です。カンニンウシシギャ墓の近くにあった案内板です。これが、カンニンウシシギャデラです。このテラは、仏教の寺ではありません。琉球王朝時代に神之嶺(かみのみね)を治めていたカンニンウシシギャの館の跡に祠を建てて霊を祀り、集落の守護神として拝み始めたのが始まりだと伝えられているそうです。ウシシギャは武芸に優れ、人徳が秀でており、広くその名は知れ渡っていた人物で、「諸田(しょだ)ネータラカンジャクとのカンニン泉での争い」や「息子坊次兼(ぼうじがね。ボウタガネとも)の沖縄遠征による武芸試合」にまつわる伝説等がある人物だそうです。「息子坊次兼(ぼうじがね。ボウタガネとも)の沖縄遠征による武芸試合」の伝説というのは、当時カンニンウシシギャは、琉球王に親薩摩派ではないかとして警戒されていたため、王の命令で行われた首里城での武芸試合において、ウシシギャの代役として出場した息子を殺されたということです。このため、ウシンギャは、琉球王に対する恨みを持ち、程なくして起きた薩摩藩琉球侵攻の際には薩摩方につくつもりだったそうですが、秋徳湊(あきとくみなと。現亀徳港)に攻め寄せた薩摩軍を見ると気持ちが変わり、島人を主体とする琉球軍に合流して激しく抵抗しました。しかし、この戦で多くの手勢を失ってしまい、このことを悔やんだウシシギャは、神之嶺の館に戻ると自害したと伝えられています。秋徳湊の戦い古戦場跡、亀徳にあります。やっぱり神社の祠はコンクリート製でした。カンニンウシシギャデラの説明版です。そして、徳之島の神社には欠かせない戦没者慰霊碑もありました。人気ブログランキングへ
Mar 18, 2013
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徳之島の今日の気温は、午後3時で22.5℃でした。春を通り越して、初夏の雰囲気ですね。シャリンバイの花も咲いていました。人気ブログランキングへ
Mar 17, 2013
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徳之島町神之嶺にあるカンニンウシシギャ墓に行きました。カンニンウシシギャ墓はこの神之嶺墓地記念公園というところにあります。カンニンウシシギャ墓はこの森の中にあります。立派な案内板も最近できたようです。カンニンウシシギャ墓は、町内で現在も祀られている唯一の積石墓(ちんしばか)で、チンシ墓は、棺を土中に埋めないで、砂や礫で囲み、さらにその周囲を石(琉球石灰岩)で覆い隠すという基本的な構造です。ここの場合、まだ内部の構造ははっきり確認されていません。これがカンニンウシシギャ墓だそうです。この墓地は集落で最も高い「マケド」という場所にあるそうです。7つほどの区画に分かれています。他の地区に見られるような墓石がなく、古い墓石は石灰岩や自然石のものが目立ちます。中でもウシシギャとその一族の墓である三基のみが特殊な積石墓の構造になっていて、墓所の一番高い所にあります。これも積石墓だったかも。これもかっては積石墓だのですが、整備されていました。人気ブログランキングへ
Mar 16, 2013
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亀津の古い住宅街にある古勝森です。古勝森と書いて「くがちむい」と読みます。看板の意味は、この塚は先祖古勝の墓所である。公務で文政8年(1825)に三様(島津 重蒙(しまづ しげひで)など三人)の御慶事のため上国し、また天保13年(1842)にも公用により上国したので、山川で作らせ、翌年の春に帰島。菩提としてこれを建立する。 伊仙あつかい與人(よひと) 紀喜美實(ききみざね)三徳ということです。ここには、10坪ほどの小高い石垣の森が人工的に作られていて、そこには一基の石碑が建立されいるだけです。、古勝森がなぜ聖地かというと、亀津は幾度となく大火に見舞われていますが、その度にこの地点で延焼を食い止めたことから、森の神には悪疫や災禍の難に会わないご利益があるとして今でも信仰されています。ところで葬られている古勝という人物についての伝承は残っていないそうです。人気ブログランキングへ
Mar 15, 2013
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殿地墓から金毘羅神社へ行くには、まずこの鳥居を抜けて、こんな道を登っていきます。すると二番目の鳥居があって、ようやく三番目の鳥居と徳之島標準タイプのコンクリート製の祠がありました。このコンクリート建の祠は、戦後、前田村清氏(徳之島町名誉町民)が寄進したものだそうです。ここに祀られている神様は海上の守護神「金比羅」様で、薩摩藩から派遣された代官たちは帰任の時の航海の航海の無事をここで祈ったのでしょうね。ここからは、写真のように亀津の町や港が一望でき、太平洋がその先に広がっています。でき、太平洋がその先に広がっています。人気ブログランキングへ
Mar 14, 2013
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徳之島町亀津にある聖地を巡りました。まずは殿地墓(とのちばか)と金毘羅神社(こんぴらじんじゃ)です。殿地墓(トーチ墓)は、徳之島にある墓地の中でも大へん格式の高い墓地です。ここに唯一徳之島の代官(第128代本田孫次郎 文久元年(1861)12月14日没)が葬られているのも、この墓地の格式の高さを表していているそうです。ほかに附役(つけやく。代官の補佐役)の墓、墓所の奥には無記名の五輪塔、一段低い墓所に享和、文化、天保といった元号の入った五輪塔や祠堂型墓(しどうがたばか)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)など様々な種類の墓が立ち、徳之島の名家である柳家や大勝家の墓もあるそうです。人気ブログランキングへ
Mar 13, 2013
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徳之島町の金見にある豊受神社に参拝しました。途中にあったのは、お墓らしきものです。神社の境内にお墓があるとは、なかなか有力者の方でしょうか?祠は徳之島らしいコンクリート製。境内に大きな岩があるのが目につきます。大きな岩には文字が彫られているような、でも消えていて読めませんでした。祠の中はシンプルに祀られていました。神社からは金見の集落と海が見えます。人気ブログランキングへ
Mar 12, 2013
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うつ病の人が職場にいて困るのは、「思考力や集中力が低下」していることです。そのことになかなか気が付かない人がいる、私も含めてですが、何か仕事の成果らしきものを出してきて、話を聞いているうちに「え?それは違うよ。そうじゃない。それじゃダメだよ。こうしたらいいよ。」と思うことがしばしばです。つまり、それなりに論理的に組み立てて物事を決めたりできないので、端的に言って、頭を使う仕事はまかしてはいけないのです。できれば簡単な仕事をしてもらって自信を取り戻させるようなことを積み重ねた方がいいのではないでしょうか。人気ブログランキングへ
Mar 11, 2013
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徳之島の東北端に位置する金見(かなみ)にある豊受(とようけ)神社に行ってきました。豊受神社は、大正10年頃、村を一望する字川ノ上(こうのうえ)に川上 訓導(武 加那上(たけ かなじょう)翁)氏が建立したそうです。立派なコンクリート製の鳥居を持つ荘厳さを湛えた神社だったそうですが、時代の流れとともに荒れ果てたため、昭和50年代後半、集落の老人クラブが中心となって神社を復興し、新たな鳥居を建て、豊受神社は村の守り神として再び拝むようになったそうです。人気ブログランキングへ
Mar 10, 2013
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今日の徳之島は暖かく、23℃くらいありました。天気が良かったので、洗車してしまいました。人気ブログランキングへ
Mar 9, 2013
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レスリングといえば、MoMo太郎が思い出すのは、この漫画。主人公が隅田川の船の上に住んでいるということで、妙に親近感が湧いた漫画でした。しかし、作者の川崎のぼる氏が、このアニマル1と並行して、あのスポ根漫画の名作「巨人の星」を手掛けていたせいか、こちらの方は余り盛り上がってくれなかったみたいです。しかも、多分、最終回はメキシコオリンピックへ行くシーンで終わっていて、金メダルを取ったのかどうかわからないままで終わっています。そんなことから、オリンピックからレスリングが外されるのも仕方ないのか。しかし、主題歌朱里エイコが歌っていたと知りませんでした。
Mar 8, 2013
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最近というか、以前から気が付かなかっただけなのかもしれないが、職場に「うつ病」の人が増えていませんか。拙も転勤する度に、職場にそういう人がいます。うつ病の場合、休んでもらうのですが、やはり、うつ病になる人は、真面目な人が多いので、多少、良くなると職場に戻って、以前のように働きたくなるようですね。そういう時、周りの人は多少配慮して、その人と接して上げないといけません。面倒ですが、そうしないといけません。例えば、仕事を普通通り与えてはいけませんし、色々と人間関係に気を使って調整するような仕事はダメです。あくまで、マイペースで進められる程度で、出来れば期限までに仕上がらないことがあっても気にしないでいい仕事を与えて下さい。まあ、そんな仕事がある会社があるとは思えないのですが、色々あってそうしないといけないのです。人気ブログランキングへ
Mar 7, 2013
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徳之島でよく見かけるアダンの木です。まだ、今の時期では実は青かったです。夏になると実は黄色くなります。人気ブログランキングへ
Mar 6, 2013
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徳之島には1月から2月にかけて、実業団陸上部が合宿にやってきます。そのため、道端にこのような距離を示す看板が立っています。逆回りしても大丈夫なように裏にも距離が書いてあります。自慢は、シドニーオリンピック女子マラソンの金メダリスト高橋尚子氏もここで練習をしていたことです。実は不思議に思っているのは、駅伝はオリンピック競技でもないのに、なぜ、選手も頑張り、私たちは応援しているのでしょうか。レスリングの代わりにオリンピックの正式種目に採用してはどうなんでしょうか?人気ブログランキングへ
Mar 5, 2013
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この岡前西郷公園は、子供向けの遊具もあって、遊び場としても利用できます。MoMo太郎も滑り台で三目並べをして遊びました。さて、西郷隆盛が岡前の地に滞在していのですが、沖永良部島に再遠島の命令に従い8月28日には徳之島町井之川へ移ります。井之川では当時東間切(ひがしまぎり)*の惣横目(そうよこめ)**であった奥屋山(おくおくやま)宅に17日間滞在し、沖永良部島へ渡っていきました。井之川にある西郷隆盛の逗留地西郷隆盛は、徳之島の地では、愛人を読んだりして比較的自由に暮らしていたようですが、沖永良部島では牢込めになりました。これは、江戸滞在中の島津 久光が、国元の家老たちが西郷隆盛を徳之島に在留という軽い処罰にしていたことを知り、改めて、島替えの上、牢込めにして、決して開けてはならぬとの厳命を下したことからです。*東間切の間切とは、当時の行政単位のこと。徳之島には、東間切(現:徳之島町)、面縄間切(現:伊仙町)、西目間切(天城町)の3つの間切がありました。**惣横目の横目とは、違反者の取締官のことで、薩摩藩から派遣された代官や与人(島役人)の代表を補佐する地元出身の役人であった。人気ブログランキングへ
Mar 4, 2013
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岡前西郷公園にある西郷南洲顕彰碑。なかなか立派な石碑です。そして、この石碑建立についての説明板です。その他、色々な解説を記したものがありました。公園の入り口にあった西郷隆盛についての説明ですなにやら漢詩が書いてました傷んでいましたが、下の写真のお墓の説明です西郷隆盛の協力者のお墓みたいでした石碑も色々とありました。人気ブログランキングへ
Mar 3, 2013
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明日は「ひなまつり」。普段は、国民の祝日ではなく、おひなまつりファンの皆様はいつもさみしい思いでしたでしょうが、明日は日曜日。思う存分おひなまつりを楽しんで下さい。しかし、この「うれしいひなまつり」という曲、楽しいおひなまつりなのに、メロディーが湿っぽくて、おひなさまを買ってもらえなかった、拙の姉さんと妹のことを思い出します。人気ブログランキングへ
Mar 2, 2013
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西郷隆盛謫居跡の近くのあるのが岡前西郷公園です。公園には、地福之島三十三聖地旧跡に選ばれた西郷南洲顕彰碑があります。人気ブログランキングへ
Mar 1, 2013
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