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明日から学校が始まるんですね。また通勤電車に中高生が乗り込んでくるんですね。【シュウマイ弁当】東京から大阪へ向けて出張で新幹線に乗っていたら、品川駅から隣の座席に若い男性が座った。品川駅を出てしばらくすると、強烈な匂いがしてきて、隣の男性が横浜の有名なシュウマイ弁当を食べていた。あまり今まで気がつかなかったけど、シュウマイって匂うんですね。できれば車内では食べないようにした方がいいかも。それと靴を脱いで足を組むのもやめた方がいいですね。人によっては結構足が臭い人もいるみたいですから(→拙も家族の人によく指摘されています)。【見知らぬ人の職業を想像する】電車の中で隣に座った人、この人は信濃町の駅で降りた。どんな人かわからないけど、ひょっとした信濃町の慶応大学病院に勤める消化器外科のスーパードクターだったりするかもしれない。もし、そうだったら、知り合いになっていれば、MoMo太郎がすい臓がんになった時に手術をお願いできたかも。そんなことを想像しながら社内の人を眺めてみるのも暇つぶしになりますね。【バスの中のベビーカー】通勤でバスを利用することは、あまりないが、休日の外出などは、「都バスで飛ばすぜ!」と言いながらバスを利用することがあるんですが、休日でも車内が結構混んでいたりします。そういう時にベビーカーで乗り込んでくるお母さんがいたりすると、混雑しているのにそのままベビーカーで割り込んでくる。MoMo太郎が赤ちゃん抱っこするので、頼むからベビーカーは折りたたんでくれと思う。しかし、他人の子供を抱っこしたら泣き出したりして、かえってみんなの迷惑になるかもしれない。人気ブログランキング通勤沿線 気になるあの人(その12)
Aug 31, 2025
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平井諏訪神社にもう一つある江戸川区登録有形文化財の富士塚がこちらです。こちらが平井の富士塚の案内板です。富士塚を参りして、平井諏訪神社をあとにしました。JR平井駅に戻って帰りました。(平井散策コース)【了】人気ブログランキング平井の町を歩く(その16) 平井の富士塚
Aug 30, 2025
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江戸川区登録有形文化財の諏訪神社旧本殿もお参りしました。旧社殿の本殿は摂末社「稲荷神社」の社殿となっているようです。こちらが旧本殿です。正面からも撮影させてもらいました。説明板も設置されていました。説明板にあるとおり、彩色の装飾彫刻は江戸時代後期の神社建築の特色をよく表しています・このように精緻な彫刻が施されていました。江戸時代の彫刻技術の高さを感じました。向拝(こうはい:仏堂や社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分)の龍も見事ですね。壁面にもこのような彫刻が施されていました。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その15) 諏訪神社旧本殿
Aug 29, 2025
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平井聖天燈明寺に隣接してある神社が、平井諏訪神社(→→→こちら)です。江戸川区教育委員会の設置した案内板です。諏訪神社祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。諏訪神社旧本殿天保十四年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過渡的な特色をよく伝えています。平井の富士塚大正九年頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られました。境内の絵馬堂には、丸富講が大正二年に奉納した図額もあります。こちらは、宮元巽会が創立五十周年記念に奉納した案内板様です。こちらが、昭和四十四年に完成した社殿です。境内にあった休憩所に飾られていた絵馬、真ん中の蛇は写真ではなく精緻に描かれた絵画でした。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その14) 平井諏訪神社
Aug 28, 2025
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平井といえば、この燈明寺(→→→こちら)です。寺号碑もなかなか立派ですね。関東三聖天(埼玉県妻沼聖天、江戸浅草待乳山聖天)のうちの一つである平井聖天とも称される墨東エリアの名刹であるため、山門の扁額にも聖天堂という文字がありました。山門から向こうに見えるのが、平井聖天堂です。江戸川区教育委員会が設置した案内板、ほとんど読めなくなっていました。だいたい読めた範囲でまとめると、「新義真言宗寺院の燈明寺は、明雅山明王院と号します。燈明寺の創建年代等は不詳ながら、文明年間(1469-1486)に元暁法印が松応堂と号して開山したともいいます。江戸時代には歴代将軍の御膳所として使用された他、江戸図会名所にも描かれ、文人墨客が多数訪れており、境内の茶室は、伊藤左千夫の設計です。平井聖天燈明寺は、区指定史跡です。南葛八十八ヶ所霊場51番、65番札所です。」ということでしょうか。こちらの二階が聖天堂です。また、本堂には鹿鳴館で使用されたシャンデリアが飾られているんだそうです。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その13) 平井聖天燈明寺
Aug 27, 2025
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ゆりのき橋通りという広い道に出ると、こんな建物がありました。大規模ショッピングセンターのなどに店舗を展開している島村楽器(→→→こちら)の本社だそうです。有名な平井聖天燈明寺の真裏にある小さなお店、金太郎煎餅 田尻商店という古くからあるお店です。結構有名なお店らしく、食べログのようなサイトでも紹介されていました。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その12) 平井にあるお店
Aug 26, 2025
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弁天通りをしばらく歩いてみました。いくつかの商店が営業しているみたいでした。過去の栄華を偲ばせる不思議なアーケード空間が残っていました。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その11) 弁天通り
Aug 25, 2025
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夏を乗り切るには、やっぱり食べてスタミナをつけないと。ということで中華料理店チェーンの日高屋で黒酢冷し麺とそして、後からセットで頼んだ餃子がやってきました。セットで940円(税込み)でした。餃子を食べるとなんかスタミナがついたような気がしますね。でも、スタミナ (stamina)ってどんな成分なんでしょうかね(→→→こちら)。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 黒酢冷し麺と餃子のセット
Aug 24, 2025
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平井の町の中を歩いていくと、街灯の上に弁天通り商店会という看板が。弁天通りの名前に惹かれてこの通りを歩いて行くと、安養寺(→→→こちら)と書かれた門柱を発見。なんか読みにくい案内板がありました。ざっと読んでみると、真言宗豊山派、もと正福寺の末。清竜山安全院と号し、開山は源理法印といわれるが詳細は不明である。法流の祖は賢意法印で貞享元年に入寂した。本尊は阿弥陀如来立像である。門前に遍照講の建立した弘法大師と筆太に刻まれた石柱が目につく。門を入って左手の小堀をめぐらした中に弁天堂がある。これはもと上野不忍池のほとりに住んでいた或る商人に、弁天様が夢枕にたって、平井の地に弁財天をまつるようにとのお告げがあったので、明治十七八年頃お堂が建てられた。終戦後からこの弁財天に息災を祈願して、大般若経六百巻の転読があり、多数の壇信徒が集まって節分護摩豆まき会が行なわれている。山門は安永七年円覚上人の代の建築である。とありました。ということは、ここに弁天堂があるということなんですね。さらに、富士塚というのもあるようで、明治17年(1884)頃、境内の弁天池を拡張したときに、残土を盛り上げて築いたと伝えます。お椀形の小丘で、主として丸石で覆われていますが、部分的にボク石(溶岩石)も使われています。昭和40年代前半ごろまで「七浅間参り」のコースに入っていましたが、現在は講もなく、塚の一部を改造して、石がんとし、弘法大師の石像を納めています。また頂上の石祠(浅間神社)には、「□□十三庚寅六月吉日 氏子中」と刻まれています。とありました。これが弁天堂です。この弁天堂に因んで、「弁天通り」なのですね。参道があってお寺の境内に続いています。参道沿いに小さなお堂が3棟並んでいました。石碑には、「南葛八十八ヶ所霊場発起人 八十一番、七十四番、八十二番 霊場」と刻まれていました。南葛八十八ヶ所霊場(→→→こちら)は、大正時代に旧南葛飾郡内を対象として整備された霊場だそうですが、まとめ三ヶ所あるとは、なかなか便利ですね。山門を抜けると、富士塚がありました。チェーンで封鎖されていたので、ちょっと登るのはためらわれて、富士山登頂は諦めました。富士塚の入口にあった石碑には、「禮拝記念 羽黒山 月山 湯殿山 四国八十八ヶ所 西国三十三ヶ所、秩父三十三ヶ所 坂東三十三ヶ所」と刻まれていました。日本全国、これだけお参りの旅をして、なおかつ石碑を奉納したとは、凄い人がいるもんですね。こちらが、安養寺の本堂です。一段高く作られているのは、やはり洪水対策なんでしょうかね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その10) 安養寺
Aug 23, 2025
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木下川排水機場の近くにはちょっとした木陰のあるポケットパークのようなものがありました。このポケットパークに案内板がありました。劣化して読みにくくなっていますが、よく読んでみました。平井梅屋敷跡。江戸時代から明治・大正にかけ、平井7丁目の荒川べりの木下川水門付近から旧下木下村(墨田区)にかけて梅屋敷があり、約300株の梅樹が植えられていました。昭和10年代までは、梅屋敷の形をとどめていましたが、現在面影は全くありません。敷地はおよそ1町1反(約11000㎡)余りあって、大きなわらぶきの2階建ての建物が2棟と、長屋や煉瓦造りの建物などがありました。江戸時代には徳川家が所有し、木下川村の名主村越家が留守居役として取り仕切っていました。安永・天明(1772~89)の頃から梅見行楽の名勝地になったといわれています。大正2年、荒川放水路の開削のため河川敷にかかり、旧墨田区吾嬬町東8丁目64番地と、旧中川の南側平井の地に3反歩ばかりが残りました。この平井の地は、昭和42年1月1日、江戸川区に編入されました。ということで、そんな名所があったんですね。今は埋め立てらているますが、荒川放水路(今の荒川)を中川が横断していて、木下川排水機場から先も旧中川が続いていたようで、荒川の堤防から一段と低くなった旧河道の細長い土地が続いていました。この駐車場がその河道後のようです。この河道沿いに平井国家公務員住宅が建っていました。国家公務員住宅って、古びた団地のような建物なんですね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その9) 平井梅屋敷跡
Aug 22, 2025
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今度は高い鉄塔がある施設が見えてきました。旧中川に水門がありました。この施設は木下川排水機場(→→→こちら)です。江東三角地帯とよばれるこの辺りは、小名木川・旧中川など内部河川が縦横に流れています。江東三角地帯のなかでも東側は特に地盤低くなっているので、内部河川を締め切り、潮の干満の影響を遮断して、平常時水位を人工的にA.P.-1.00mまで低下させ、地域の安全を確保しています。A.P.とは、隅田川河口の水位を測るため、明治6年に現在の中央区新川二丁目地先河岸に設置された霊岸島量水標零位(Arakawa Peil:蘭語で荒川の水準線の意)の略称だそうです。木下川排水機場は、この水位低下河川の水位を維持し、氾濫を防止するとともに、水質浄化のため取水した流入水を排水するためのポンプ施設であり24時間稼働しているそうです。墨田清掃工場といい、この木下川排水機場など、私たちが快適に安全に生活できるための施設がこのあたりにはあるんですね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その8) 木下川排水機場
Aug 21, 2025
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川岸から見えた煙突はなになのか知りたくて、やってきました。空地の向こうに見えたのは大きな工場の横のようでした。東京二十三区清掃一部事務組合墨田清掃工場(→→→こちら)というそうです。「ごみ」には可燃ごみ、不燃ごみ、粗大ごみがありますが、墨田清掃工場では可燃ごみの処理をしているそうです。可燃ごみは焼却され灰を埋立処分されるのですが、一部の焼却灰をセメントの原料として資源化したり、徐冷スラグと呼ばれる結晶質の岩石状の副産物にして道路工事の材料などとして活用しています。また、不燃ごみは、江東区海の森にある中防不燃ごみ処理センターと大田区京浜島にある京浜島不燃ごみ処理センターで処理され、不燃ごみの中に含まれている鉄やアルミニウムは資源物として回収し、不燃物は埋立処分します。残ったその他ごみは、清掃工場で焼却処理するそうです。粗大ごみは、江東区海の森にある粗大ごみ破砕処理施設で処理しています。破砕処理した後の粗大ごみの残さは、焼却できるものは清掃工場等で焼却処理するそうです。そして、焼却に適さないものは埋立処分します。そして、23区内で発生する一般廃棄物の処理残さや下水汚泥などの都市施設廃棄物、都内の中小企業が排出する産業廃棄物を東京都が設置・管理する中央防波堤外側埋立処分場と新海面処分場、つまり東京湾にある埋め立て地で埋立処分してます(→→→こちら)。まあ、ゴミといってもそれは資源でもあるということですね。墨田清掃工場は自由に見学できるそうです。子供たちの自由研究の題材に清掃工場の見学もいいかもしれませんね。清掃工場見学は、こちらの音楽の道と呼ばれる林の中を抜けていくそうです。音楽の道ということで、こちらにあるオブジェはト音記号。そして、こちらのオブジェは指揮者をイメージしたものですね。こちらの道はゴミ回収車が出入りするところ。清掃工場の大きくて高い煙突ですね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その7) 墨田清掃工場
Aug 20, 2025
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旧中川(→→→こちら)沿いを歩いて北の方に向かいました。水辺は公園として整備されているようで、やっぱり夏ですね(ここを訪れたのは7月26日です)。ヒマワリが元気よく咲いていました。川の水は、まあまあ澄んでいます。平井の方には大きな住宅が建っていました。カワウが並んで杭の上にとまっています。エサになる魚も多いのかな。さらに川沿って歩いて行くと、ゴルフ練習場のネットとそして、大きな煙突が見えてきました。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その6) 旧中川の水辺
Aug 19, 2025
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昨日のかき氷について、>カキ氷 口に入れると何とも言えない冷たさ 好きなにおい、水と思ったことなかったです>お祖父さま 「しろくまくん」食べても お水っていうでしょうかー>この迫力あるかき氷を見たら、お祖父様でも、これは汗にはならないと、というコメントをいただきました。氷って水からできていないとか、氷という形態で水分を摂っれば汗や尿などとして排泄されないという体質の人がいたんですね。勉強になりました。さて、平井散策の続きです。立花大正民家園小山家住宅の近くにあった古い日本家屋です。こういう住宅もまだこの近くには残っていたんですね。旧中川の堤防沿いに出てみました。案内板を見てみると、旧中川桜植樹記念と記されていました。平成24年2月にここで墨田区が桜の木を植えたのですね。春には花見に来るのもいいかもしれませんね。対岸の江戸川区平井の堤防です。この堤防の階段に見覚えがあるなと思ったら、ここでテレビ東京系「ドラマ25」枠で2017年10月14日から12月23日まで放送された「セトウツミ」(→→→こちら)のドラマのロケが行われていたんですね。「セトウツミ」というドラマは、高校生の瀬戸と内海が河原の階段でたわいもない話をするお話で、特に大きな事件が起こることもなく、河原での時間つぶしが繰り返されていくだけのドラマ。しかし、この二人の会話、ちょっとしたしゃべくり漫才みたいで面白く、そこに美少女の樫村 一期(かしむらいちご)や田中 真二という冴えない男子生徒が絡むというクセのあるドラマで結構はまって見ていました。そういえば、2024年1月26日から3月29日までTBS系で放映された「不適切にもほどがある」(→→→こちら)の主人公の親娘が住んでいたアパートもこの旧中川沿いにありました。このあたり、ちょくちょくテレビドラマのロケ地になるんですね。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その5) テレビドラマのロケ地
Aug 18, 2025
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やっぱり、夏はかき氷を食べますね。丁度、お盆で祖父のお墓参りの帰りに立ち寄ったファミリーレストランのCOCO'Sで純氷ふわふわかき氷 「しろくま」(869円税込み)をいただきました。祖父は「かき氷なんか汗になってでるだけだから、それなら水道の水でも飲んでおけ」と言って、かき氷を食べさせてくれなかった。そんな祖父の思い出を偲びながらいただきました。人気ブログランキング孤独のグルメ 夏はかき氷
Aug 17, 2025
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旧中川の右岸堤防沿いの道を歩いています。こちらは江戸川区平井というより墨田区立花となります。ここで有名なのは、こちらの立花大正民家園 旧小山家住宅(→→→こちら)です。1917年(大正6年)に建築された建物ですが、江戸時代の農家と町家の双方の特徴をあわせもつ家屋と七福神の石像がある庭園があり、墨田区指定有形文化財となり、庭園・住宅内ともに無料公開されています。木戸を潜って、敷地の中に入っていきました。入り口近くには毘沙門天が門番のように立っていました。庭の中に入っていくとも福禄寿。布袋尊もおられました。恵比寿様と大黒天様は並んでいました。木造平屋建ての建物です。建築当初の屋根は茅葺だったそうですが、昭和10年代に瓦葺に葺き替えられそうです。旧小山家住宅についての案内板がありました。大正12年(1923年)の関東大震災、昭和20年(1945年)の東京大空襲の災害もまぬがれた貴重な住宅ですね。1998年(平成10年)6月までは子孫が居住していたそうですが、1997年(平成9年)6月と9月には早稲田大学理工学部建築史研究室(中川武教授)の調査が行われ、1998年(平成10年)に居住者の孫から墨田区に建物が寄贈されました。入館できるのは午後からだったので、建物の中には入れませんでした。また今度、もう少し涼しくなってから訪れてみたいと思います。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その4) 立花大正民家園旧小山家住宅
Aug 16, 2025
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平井わかばと公園から少し東に向かって歩くと、緩い坂道と案内板がありました。案内板に概ね以下のように記されていました。平井の渡しは、中川(旧中川)を渡る行徳道の渡し場です。平井聖天への参詣路としても賑わいました。行徳道は、中川(旧中川)平井の渡しから四股で元佐倉道と交差して、東小松川村、西一之江村、東一之江村を経て今井の渡しに達する道筋を、行徳道とよんでいました。いつ頃できたものかわかりませんが、古くは行徳塩の輸送路のひとつであったと考えられています。庶民はこの道を成田山参詣路に利用したと思われます。江戸方面へは、平井の渡しを渡って、浅草の観音さま(浅草寺)への参詣にも利用されていました。明治32年(1899年)に平井橋が架けられるまで、使用されていました。こちらの橋が渡し船の代わりに架けられた、平井橋です。こちらが中川(旧中川)です。この岸辺に昔は渡し場があったんですね。旧中川は、大正13年(1924年)荒川放水路(現在の荒川)に放水を開始したことによって分断された中川の下流部分です。平井橋を渡ると墨田区立花になります。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その3) 平井の渡し跡
Aug 15, 2025
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こちらは閉校した平井第二小学校です。平成28年3月に閉校となり、その校庭が平井わかばと公園として活用されています。旧校舎からこの歩道橋を渡って、子供たちは校庭にやってきたんでしょうが、今は閉鎖されています。公園だけど、遊具は少ないですね。でも、芝生の広場が広がっています。野球やサッカーを楽しむにはちよっといいかも。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その2) 平井わかばと公園
Aug 14, 2025
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江戸川区平井(→→→こちら)にやって来ました。あまり知られていない街だと思いますが、歩いてみると色々面白いものがありますよ。最初に訪れたのがこのお寺。安立山妙光寺(→→→こちら)。日蓮宗のお寺です。江戸川区教育委員会の建てた案内板がありました。この案内板によると、安立山と号し、慶長3年(1598)8月12日に安立院日業鐃上人が創建したと伝えられる日蓮宗の寺です。元禄年間(1688~1704)に津波で堂宇を消失しましたが、日信上人が中興し、また大正4年(1913)に日台上人が再興しました。現在の本堂は水害防止のため床を高くしてあり、昭和41年(1966)に改修したものです。だそうです。また、江戸川区登録有形文化財として、「木造日蓮聖人坐像」と「田口初右衛門筆子塚」というのがあるそうです。筆子塚とは、読み書きを寺子屋で習った生徒を筆子といい、成長した筆子が師匠の菩提を弔うために建てた供養塔や墓誌のことをいうそうです。筆子塚を見てみたいと思いましたが、どれも似た「田口○○」という名前のお墓が多くて、どれがその筆子塚というのかわかりませんでした。こちらの本堂。確かに床が高くされていました。(平井散策コース)【つづく】人気ブログランキング平井の町を歩く(その1) 妙光寺
Aug 13, 2025
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松のやのロースかつ定食(690円税込み)です。トンカツの大きさはやや遠慮がちですが、ご飯は普通盛りと大盛りでも値段は同じです。しかもご飯とお味噌汁のおかわりは無料。ご飯のおかわり無料というのは、昨今のお米の値段を考えるとありがたい話ですが、しかしお米が安いから今までお茶碗一杯しか食べなかった人が、二杯食べるようになるかというと、そういうものでもないですね。そんな中で、「小泉農水相「国民におわび」 需給予測誤り陳謝―令和の米騒動」(→→→こちら)ということで、お米の増産に取り組むと言っていますが、果たして外国人観光客も含めてそんなにお米の消費量が増えるもんでしょうか。となると国内で消費する以上にお米が収穫出来たら、値段は下がって、さらに在庫を抱えて、企業で考えると、米生産農家の経営はピンチになって、生産者がさらに減ってということになるのかもね。また、余ったお米を輸出すると言っても、海外産の安いお米と価格競争できるんでしょうか。それにお米を輸出するなら電気炊飯器も輸出しないと売れないかも。また、小泉大臣の目論んでいるように、減った農家の生産分を企業が肩代わりして作ってくれるのかというと、儲からない上に日銭も入ってこない(お米は年一回しか収穫できなくて、その時に初めてお金になる)お米作りをやってくれるのでしょうかね。ところで、日本の食料自給率というのは、図に示すように低下する一方です。(引用元:https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/012.html )どうして、こんな状況かというと、ちょっと見にくい下図に示すように、縦軸に品目別の供給熱量割合、つまりどの食品からカロリーを摂っているかの割合を、横軸にそれぞれの食品の自給率を昭和40年度と令和4年度で比べてみると、消費者の皆さんが自給率が低い油脂類や畜産物でカロリーを摂取するようになったということが自給率の低下の大きな要因ですね。(引用元:https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r5/r5_h/trend/part1/chap2/c2_1_00.html)そんな、気まぐれな日本の消費者に合わせるように作物を生産することや余ったお米を畜産物の生産に使えるようにすることがいいのかもと思う次第です。でも、牛はお米を食べてくれるんですかね。乳用牛では配合飼料の10%程度、肉用牛では配合飼料の3%程度までであれば、家畜の生理や生産物に影響を与えることなくとうもろこしから飼料用米に置き換えることができます。(→→→こちら)また、もう一つ重要な点は、安全安心なお米を安定的に継続的に生産するためのコストを誰が負担するのかですね。今までの様に生産者が生産量を調整して価格を維持して、お米が再生産できる価格を維持するのか、そして、そのリスクとしてお米の値段が高騰することもあり、その時は高いお米を買う代金を消費者か払うのか。それとも一部の人が言うように政府が介入して税金を使って価格補償するのか。まあ、どっちにしても我々の懐からお金はでているんですけど。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 松のやの定食から日本の食料を考えた
Aug 12, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。JR総武線の錦糸町南口から歩いてすぐの山田家(→→→こちら)さん、下町の人気のあるお菓子といえば人形焼。その専門店ですね。昭和26年(1951年)創業ですが、初代の山田実は元々は鶏卵卸問屋さんだったそうです。卵を卸していた浅草界隈の人形焼店が人気だったことから、自らも人形焼の製造・販売に乗り出したというのが山田家の始まりです。そういえば、以前は茨城県奥久慈産の卵を使っているといわれていましたが、最近は言わなくなりましたね。仕入れ先を変えたんですかね。山田家の人形焼の型は面白いです。キョトンとした顔つきの「狸」。他に「太鼓」、「三笠山」があります、また餡なしの「紅葉」というのもありますね。MoMo太郎はこの餡なしの人形焼にブルーベリージャムやバターをつけて食べるのが好きです。包装紙も有名で、漫画家で江戸文化研究家の宮尾しげを氏の筆による、江戸の伝承話「本所七不思議」のイラストが描かれています。その「七不思議」のひとつに、錦糸町を舞台にした「おいてけぼり」というたぬきが主役のというお話があり、それがタヌキ型の人形焼の由来になっているそうです。さらに、その包装紙に描かれた物語をヒントに「本所深川ふしぎ草紙」を書き上げ、吉川英治文学新人賞を受賞したのが、直木賞作家の宮部みゆき氏というのも有名な話らしいです。「墨田区のお菓子の名店巡り」、とりあえずここまでにしておきます。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その14) 人形焼なら山田家で
Aug 11, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。JR総武線の錦糸町から出てすぐの錦糸町公園の入り口にある和菓子店の埼玉屋。埼玉屋という屋号の和菓子屋さん、これで三軒目ですね。屋号からして、埼玉県出身の人が始めたお店なんでしょうかね。駅前にあるせいか、お客さんは多いみたいですね。和菓子というと甘いものを想像しますが、醤油の塩気と海苔の風味が特徴的な磯辺焼きの団子。甘辛いタレのみたらし団子、もちろん甘党の人には餡団子もありますよ。気になるのは、お赤飯、山菜ごはん、かんぴょう巻、そしてお稲荷さんもあって、ちょっとした軽食にもいいお店です。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その13) またしても埼玉屋
Aug 10, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。東京スカイツリーのそばを流れる北十間川(→→→こちら)に架かる橋の近くにやって来ました。本所の北側を流れる川幅が10間ある川ということで北十間川という名称になるんだそうです。その川に架かる十間橋。この橋の上からスカイツリーを眺めると、川面に写ったスカイツリーも見ることができる、なかなかのスカイツリーのビュースポットですね。十間橋近くにある和菓子屋さんが「和菓子処ながしま」です。創業80年を越す和菓子屋さんだそうです。春は桜餅、生よもぎを使った草餅、春と秋のお彼岸には、つぶ餡、こし餡、きなこ、と揃っている「おはぎ」、端午の節句にはつぶ餡、こし餡、みそ(京都の西京みそ)の柏餅、夏は水大福、葛桜、冬はのし餅、粟餅と、季節ごとの生菓子が味わえます。お勧めは、豆大福なんかもありますが、お赤飯のおにぎりなんかもあってランチにもいいかもしれませんね。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その12) 和菓子処ながしま
Aug 9, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。東武スカイツリーラインの東向島駅から水戸街道(国道6号)に出ると、水戸街道沿いにあったのはこのお店。壁に付けている文字が無くなっていますが、このお店の屋号は「埼玉屋」です。お店の軒先テント、ちょっと洒落て言えば「オーニング」には屋号の「埼玉屋」がしっかりとプリントされていました。デパートなんかに出店するような有名店ではないけど。みたらし団子、草団子、豆大福、さくら餅等々、色んな和菓子が売っていて、味もそれなりに美味しい、いかにも庶民が普段使いで和菓子を食べたい時に利用できるお店です。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その11) 東向島の埼玉屋
Aug 8, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。お菓子のお店巡りといいながら、途中に見つけたものも紹介しています。東武スカイツリーライン東向島駅の高架下にやってくると、ここには東武博物館(→→→こちら)があります。東武博物館は、東武鉄道に関する資料・車両などを収集・展示している博物館です。このように屋外には、東武鉄道の路線を走っていた車両が展示されています。こちらは、かって日光と馬返を結んでいた日光軌道線を走っいてた2車体3台車連接式の珍しい路面電車です。日光東照宮、輪王寺、二荒山神社等の観光地への旅客輸送や古河精銅所からの貨物輸送に使われていましたが、モータリゼーションの波に逆らえず、昭和43年(1968年)に日光軌道線は廃止されました。こちらは、1720系デラックスロマンスカーです。車体前半部のみの保存となっています。デラックスという名にふさわしい車両で、全座席にはリクライニングシートとフットレストを装備、もちろんクーラー搭載。ビュッフェもあって、、日本初のサロン室というのもあって、ジュークボックスが装備されていました。こういう贅沢な仕様の東武の特急列車の系譜は、今の東武N100系電車、スペーシアⅩにも引き継がれていますね。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その10) 東武博物館
Aug 7, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。墨堤通りから東武スカイツリーラインの東向島駅に向かって、住宅街の中を歩いていくと、向島百花園(→→→こちら)があります。こちらが百花園の正門になります。ちなみに入園料は、一般 150円ですが、65歳以上になると70円になります。もちろん小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料です。向島百花園は、江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園です。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた仙台出身の佐原鞠塢(さはらきくう)によって開設されました。開設当時、太田南畝をはじめとした文人墨客が数多く常連客として訪れ、作庭にも江戸庶民の趣向をこらしました。その後も、11代将軍家斉公などの賓客ともに、江戸庶民の行楽の場として「春夏秋冬花不断 東西南北客争来」の盛況を得、明治へ時が移ってもご幼少時代の昭和天皇、伊藤博文や乃木将軍など多くの人々に愛されてきました。民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けています。昭和14年に東京市が公園として公開した時に百花園の由来を記した「向島百花園来由の碑」です。この公園を開設に至った歴史と由来が記されていました。文面には結構難しい漢字や言い回しが使われていましたが、要は、向島百花園は明治以降荒廃していたのを惜しみ、大正時代初期に小倉常吉氏の支援により復興されましたが、小倉氏が亡くなったあと、未亡人の小倉乃婦(のぶ)さんが東京市に寄付したということのようです。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その9) 向島百花園
Aug 6, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。墨堤通りをそのまま北上していくとこちら「向島 志゛満ん草餅(じまんくさもち)」(→→→こちら)にやってきました。明治2年(1869年)の創業当初からの草餅作りの伝統を守り続けているそうです。元々は隅田川渡し舟の客向け茶店として始まったそうです。原料の蓬(よもぎ)には、春の蓬を中心に四季を通じて香り高い生の蓬をっているそうです。また草餅には、あん入りとあん無し(黄な粉・蜜付き)の2種類があります。その他にもみたらし団子やどら焼きもありますし、季節にっては、柏餅、おはぎなども販売しています。また、この近くには、吉備子屋(きびこや)(→→→こちら)という「日本で唯一のきびだんご専門店」というそうですが、きびだんごって岡山が本場だったんじゃ?ちなみにテレビ東京の孤独のグルメにも登場していました。冷凍されていた串に刺さったビー玉大の団子を湯の沸いた寸胴鍋に投入して温め、笊で掬ってきなこの入った容器に移して入念に塗して出してくれます。なんか、MoMo太郎が岡山で食べたきびだんごとは、ちょっとイメージが違います。まただんごは一応4個が串に刺さったように見えますが、1個ずつ刺したものではなく、型で押してそれらしく成形されたものでした。まあ下町のおやつの「きびだんごと」して食べる分には、不満はありませんが。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その8) 向島 志゛満ん草餅
Aug 5, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。お菓子の名店ではないですが、墨田区の名誉区民を生んだ場所を紹介します。長命寺桜もちと向島言問団子の近くにある隅田公園少年野球場です。門の脇に記念碑があり、こう書かれていました。隅田公園少年野球場この少年野球場は, 昭和24年戦後の荒廃した時代に「少年 に明日への希望」をスローガンとして, 有志や子ども 達の荒地整備による汗の結晶として誕生した 日本で最初の少年野球場です。以来数多くの少年球児がこの球場から巣立 っていったが, 中でも日本が誇る世界の ホームラン王巨人軍王貞治氏もこの 球場から育った一人です。昭和61年3月 墨田区教育委員会なんと、日本最初の少年野球場で、世界の王貞治選手もここで練習や試合をしていたんですね。とうことで、入り口ゲートの門柱にあるレリーフのモデルは。一本足打法の王貞治さんでしょうね。そして、こちらのレリーフのモデルは誰なんでしょうね。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その7) 隅田公園少年野球場
Aug 4, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。こちらも有名な向島 言問団子(→→→こちら)のお店です。言問団子というのが、店名であり販売される団子の商品名でもあるそうです。言問団子の名称は在原業平が詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都島 わが想ふ人はありやなしやと」にちなんでいるので、都鳥をモチーフにしたマークにすみ田公園こととひ団子と書かれたロゴマークです。その言問団子は、米粉の餅を小豆あん、白あんで包んだものと、くちなしで色付けした白玉粉餅で包んだ味噌あんの3種類があります。さらに団子の他には、予約販売で都鳥型最中というのもあるみたいですね。こちらの店内で団子を食べることも出来ます。さらに店内では、創業当時から受け継いできた道具、当店とご縁のあった文人達が寄せ書きした色紙などを展示されています。また、店の前には、このような案内板がありました。言問団子と郡司大尉 江戸後期、向島で植木屋を営んでいた外山佐吉は、文人墨客に手製の団子を振舞う「植佐」という団子屋を開くと、花見客や渡船客の間でも人気となった。 明治元年、長命寺に逗留していた歌人の花城翁より、在原業平が詠んだ「名にしおはゞ いざ言問はん都島 わが想ふ人はありやなしやと」に因んだ命名の勧めを受けた佐吉は、「言問団子」と名づけ、業平神社を建て、都鳥が飛び交うこの辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。明治11年、佐吉が始めた灯籠流しによりその名は広く知られていった。後に「言問」は、言問橋や言問通りなどの名称で定着したが、ルーツは「言問団子」である。 また、この裏手にある桟橋からは、明治26年3月20日千島開拓に向かう郡司大尉率いる5艘の端艇が出発している。隅田川両岸はこれを憂国の壮挙と称える群衆で埋まり、花火が打ち上げられ、歓呼の声と楽隊の演奏が響く中での船出であった。この時、大尉の弟、幸田露伴はこれに同乗して横須賀まで見送っている。ところで、この言問団子、TBSアナウンサーの外山惠理氏(→→→こちら)の実家でもあるそうです。外山惠理アナウンサーというとテレビよりもラジオで活躍されている方で、長い間、土曜日の朝にやっていた永六輔のラジオ番組のアシスタントをやっていましたね。いかにも知ったかぶりで、自分がインテリで正論しか言わないという感じで、いつも上から目線でしか物を言わない、MoMo太郎の大嫌いなタイプの永六輔と、長い間、調子を合わせて仕事をやってこれられたこの女性アナウンサー。しっかりした方だと尊敬しています。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その6) 向島 言問団子
Aug 3, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。こちらはよく知られている長命寺桜もち(→→→こちら)です。しかし、長命寺はこのお店の近くにあるお寺の名称。桜もちは商品の名前。ということはお店の屋号は? 「山本や」という屋号もちゃんとあります。創業は享保2年(1717年)。初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を塩漬けにして餅を包んだ桜もちを考案し、向島の名跡「長命寺」の門前で売り出したのが始まりといわれています。ということで、屋号は「山本や」ということなんでしょう。この山本新六さん、長命寺の門番をしていた人で、桜の季節は落ち葉の掃除に手を焼いたので、ふと思いついて桜の葉を塩漬けにして、薄い皮で餡を包んだものに巻いて長命寺の門前で売ったんだとか。ちなみに、使われている桜の葉は、隅田川の桜並木の桜の葉っぱではなく、西伊豆の松崎町で生産されている「オオシマザクラ」の葉っぱを塩漬けにしたものだそうです。また餡を包んでいる薄皮は、小麦粉を水で溶いただけのものを薄く延ばして焼いたもので、厳密な意味でもち米を使った「餅」というのではないので、「もち」と書いているんでしょうか。そういう意味では、もち米を原料にした「道明寺粉」を使っている関西風の「道明寺」(→→→こちら)と呼ばれている桜餅の方が、由緒正しいお餅ということでしょうか。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その5) 長命寺桜もち
Aug 2, 2025
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墨田区にあるお菓子の名店巡りをしています。水戸街道、言問橋近くにある埼玉屋小梅(→→→こちら)です。店の前には、「菓子処 埼玉屋小梅」と刻まれた立派な石柱まであります。明治30年(1897年)、初代の出身地を名乗って埼玉屋として開業したそうです。また、「小梅」は、その昔、このあたりが小梅と呼ばれていたことに由来するそうです。こちらの名物は、こし餡や梅餡を求肥で包んで、ゴマ、青のり、きなこと合わせた小梅団子です。このお店のすぐそばには隅田公園があり、隅田公園に遊びに行った帰りなんかに立ち寄ってもよさそうです。(墨田区のお菓子処巡りコース)人気ブログランキング墨田区のお菓子の名店巡り(その4) 埼玉屋小梅
Aug 1, 2025
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