全4件 (4件中 1-4件目)
1

昨日19日は外気温が20℃で、ちょっと動けば汗ばむくらいのポカポカ陽気でした。 それで、今年は桜前線も例年に比べ10日ほど早いみたいですね。 今日春分の日は曇り空で午後から雨が降りそうなお天気で少し肌寒い感じです。 今は梅のシーズン真っ盛りで、先日、奈良県月ヶ瀬梅渓(梅の名所)で買って来た、まだつぼみだった白梅の盆栽が満開になったので写真に撮りました。可憐で健気な感じがしますが、小さな鉢なのに、とてもエネルギッシュで綺麗です。
2013.03.20

公式サイト http://www.himawari-koinu.jp/index.html 監督・脚本:平松恵美子 原案: 山下由美『奇跡の母子犬』 2007年、宮崎県の保健所で実際に起きた実話をもとに、犬と人間の絆、命の大切さを深い愛情で描いた感動の物語。 動物保護管理所に保護された犬たちの命の期限(7日間)が書かれたプレートが檻の前に取り付けられる。 7日目までに引き取り手がない場合、犬たちはガス室で殺処分されることになる。主人公の元動物園の飼育係(動物園が閉鎖)で、保健所に勤務する神崎彰司(堺雅人)は、一匹でも多くの犬たちの命を救おうと里親探しに日々奔走しているが、現実は厳しく心を痛めている。 流れ作業的な現実が映る。大好きな魚肉ソーセージを美味しそうに食べる犬たちは死の直前まで生きることへの欲望を見せている。 命の期限ギリギリまで犬たちに愛情を注ぐ神崎が、規則に従いその手でガス室のボタンを押さなければならないシーンは本当に悲しすぎて胸が詰まってしまう。 そんなある日、畑を荒らす野犬として母犬と3匹の子犬が捕獲される。管理所の檻に入れられた母子犬の母犬は、子犬を守ろうと人間を威嚇し続ける。 犬たちの里親探しを手伝ってきた神崎の娘の里美は、子犬を守る母犬に5年前に他界した自分の母を重ね、この母犬と子犬を助けてほしいと父親に懇願する。でも、真冬の厳しい寒さで一匹の子犬を凍死させてしまう。神崎は規則を破ることを決意し、母子犬の命の期限を2週間延長させる。 保健所が里親に犬を引き渡す条件として犬の凶暴性が厳しくチェックされる。 母子犬の里親になると決めた神崎は、動物園の飼育係の時に感じていた「言葉をしゃべれない動物の心の友だちになろう」 という想いを思い出し、管理所に寝泊りし、心を閉ざす母犬に深い愛情を注ぐ。 この映画を見終わって私もこの母犬「ひまわり」のように3人子供を生み、必死で子供を育ててきましたから、母犬の強い保護本能はとてもよくわかります。 そして家族のメンバーとして小犬も育てています。 パンフレットを読んで、犬の病気、けが、高齢、飼い主が病気・死亡、転居、鳴き声がうるさい・・ 飼い主それぞれ、とても深刻な理由があるのかもしれないけれど、飼う決心をしたならできる限り一生世話をしてやってほしいと心から思います。この映画のガス室のシーンを見れば絶対に安易な気持ちにはなれないと思います。パンフレットを読むと、2010年の統計では5万3268匹が殺処分されているそうです。 でも、この殺処分という問題には大量生産大量消費の犬ビジネスが絡んでいる点もあり、 2012年度の5年に一度の動物愛護法改正で、参議院本会議全会一致で可決された条文に、「殺処分がなくなることを目指して」が盛り込まれ、動物取扱業者への罰則が強化され、都道府県などの自治体が動物取扱業者などからの犬の引き取りを拒否できるようになったといいます。 でも、まだまだ問題点を抱えているようです。 人間と暮らすペットの保護活動や環境改善に取り組み、ボランティア活動されている方々や、可哀想な犬や猫の里親になってやり、大切に育ててあげている心やさしい方々には本当に頭がさがります。平松恵美子監督の言われる「愛情の連鎖」ってとてもすばらしいことですよね。 わが家のペットは・・・ 春うらら お父さん(主人)とのんびり 愛犬と暮らす毎日・・・ とても癒されています。
2013.03.17
![]()
アフリカ・コンゴのどん底から世界No.1バンドへ。 路上の音楽集団とストリートの子供たちの勇気と希望の物語―。 地元コンゴでの生活、アルバムのレコーディング、欧州ツアー成功までの、5年間の活動を追ったドキュメンタリー映画。 監督/記録/撮影/録音/製作:ルノー・バレ&フローラン・ドゥ・ラ・テューレ 編集:ジャンクリストフ・イム 整音:ミカエル・バール 音楽:スタッフ・ベンダ・ビリリ 音楽監督:キューバン・カベヤ 製作:イヴ・シャンヴィヤール/ナディム・シェクロウハ アーティスト: スタッフ・ベンダ・ビリリ(Staff Benda Bilili)“ベンダ・ビリリ”とは、リンガラ語で「外側を剥ぎ取れ(内面(の精神)を見よ)」という意味。 コンゴ民主共和国の首都キンシャサにある動物園や路上に暮らし、車椅子4名、松葉杖1名、健常者3名の8名で編成される。 コンゴの民族音楽とキューバ音楽がミックスされたコンゴ大衆音楽「コンゴリーズ・ルンバ」をベースに活動。 (ルンバ、ソウル、ロック、ブルース、レゲエ……などが反映されている)彼らの楽器はほとんどが手作り。メンバー最年少のロジェが発明した、空き缶にギターの弦を1本張っただけの原始的な弦楽器「サトンゲ」。 彼らは廃品を集め、ガラクタから楽器を作りだす。 ブリキ缶に木の棒を取り付けて金属ワイヤーで留めた1弦ギター「サトンゲ」。 「これで路上でひったくりなどしなくても生きていける」 長い年月、内乱状態のコンゴで、メンバーの一員として認められたロジェは安堵する。サトンゲはロジェが7歳のときに考え出して作った。 メンバー8人のうち、幼い頃ポリオ(小児麻痺)にかかり4人が車イス、1人が松葉杖、メンバーのほどんどが動物園に段ボールを敷いて寝泊りしている極貧ホームレス。 車イスも廃品を集めて作った手動の三輪車。 でも、ポジティブに、リズミカルに「路上の真実」を歌う彼らの音楽に圧倒された2人のフランス人、ルノーとフローランは、使命感に駆りたてられて彼らのドキュメンタリー映画を撮り始める。 2009年には初アルバム「屈強のコンゴ魂」がフランスでリリースされるや世界中が大注目。欧州ツアーを大成功させ、“WOMEX AWARD”(年間アーティスト)を受賞。 スタッフ・ベンダ・ビリリ 『屈強のコンゴ魂』 ~車椅子のストリート・ロッカーズオリジナル・タイトルは「Tres Tres Fort」 英語に訳すと「Very Very Strong」=俺たちは絶対に負けない。 彼らの音楽性は世界中から賞賛される。彼らの願いは、アルバムを録音してヨーロッパで売り、家族や子どもたちを救うこと。その夢が現実となった。 ドキュメンタリー映画を監督した2人のフランス人は、ビリリのメンバーはつらいことを笑いと音楽に変える屈強さがあると答えている。 この映画を見終わって、どんなに辛いことがあっても、どんなに不幸なことがあっても、自分を信じるという力を持ち、それを笑いと音楽に変えて明るく生きていく、路上のロッカーズの ”屈強の魂 ” にとても感動しました。 収録曲"TONKARA"(ダンボール)よりトンカラで寝ていた俺がマットレスを買った同じことが起こりうる お前にも 彼らにも人間には再起不能はない 幸運は突然訪れる人生に遅すぎることは絶対ない いつか成功する人の人生をとやかく言っちゃいけない いつか成功する路上の子をとやかく言っちゃいけない 誰も自分の人生を選べない スタッフ・ベンダ・ビリリは、2010年に来日公演しているそうです。
2013.03.12
![]()
監督: シェリー・ホーマン 主演 リヤ・ケベデ ソマリア出身のモデル、ワリス・ディリーの自伝『砂漠の女ディリー』を原作とした伝記映画アフリカ・ソマリアの砂漠で遊牧生活をおくる家族とともに暮らしていた13歳の少女ワリス。父が決めた「老人」との結婚から逃れるためにソマリアの首都・モガディシュにすむ叔母を頼って逃亡する。水もミルクも食料もなく裸足のまま、大きなスカーフを1枚を体に巻きつけて広大な闇に向かって駆け出していく。 遊牧民からトップモデルになった波瀾の半生と、自ら受けた女子割礼の実態を告白。 アフリカだけに限らず、アメリカやヨーロッパに移住したアフリカ人社会の中で今でも続けられている慣習だという。 雨上がりの砂漠に奇跡のように咲くという黄色い花、ワリス。著者の名はその花からとってつけられたという。 映画の中で、あどけない3才の少女が不衛生な状況の場所で麻酔なしの割礼に泣き叫ぶシーンはあまりにショッキングで悲しかった。 公式サイトよりAbout Waris ワリスについて1979年・・・駐英ソマリア大使の伯父と共にロンドンに渡ることになる。 それから4年間ほどメイドとして働く。その後は、任期を終え帰国しなければならなかったがそれを拒否し、 ロンドンで路上生活を経験した後アルバイトをして生計を立てる。 1983年・・・18歳のとき、アルバイト先のマクドナルドで、イギリスのトップファッションカメラマンであるテレンス・ドノバンに見出される。 それをきっかけにファッションモデルへと転身し、世界的に知られる存在となる。 ロンドンからニューヨークに渡り、スーパーモデルの仲間入りをする。 アフリカ人のモデルとしてはじめて化粧品会社レブロンの専属モデルとなる。 そして、ほとんどの一流ファッション誌の表紙を飾るようになる。 1987年・・・映画『007 リビング・デイライツ』に出演。1995年・・・BBCのドキュメンタリー番組「私の人生を変えたシリーズ」で、 “ニューヨークの遊牧民”として取り上げられる。 このとき、逃げ出して以来約17年ぶりに故郷ソマリアに戻り、母親と感動的な再会を果たす。 また、ニューヨークに戻った秋には、のちに夫となるディナと知り合う。 1997年・・・雑誌「マリ・クレール」のインタビューで初めて自分の過去・FGM(女性性器切除)の事実を明かす。 同年、アナン国連事務総長より、FGM廃絶のための特別大使に任命される。 世界中を駆け巡り、多くの会議に参加し、各国の大統領やノーベル賞受賞者、映画スターたちと会い、国連に莫大な資金を募った。 また、自伝本「Desert Flower」をニューヨークで出版し、国際的ベストセラーとなる。 ドイツでは、有名な雑誌のベストセラーランキングで120週トップ10入りをした。 いくつもの国で50刷以上増刷され、今日までに、1,100万部数以上売り上げている。 1998年・・・2冊目の本「Desert Down」を出版。これも国際的ベストセラーとなる。この頃、第1子を出産する。2002年・・・オーストリアのウィーンを拠点とするワリス・ディリー基金を設立。 世界中の多くの人にFGM(女性性器切除)の存在を知って考えてもらい、廃止していく活動を開始。2005年・・・3冊目の本「Desert Children」を出版。ヨーロッパで力のある政治家やヨーロッパ連合(EU)に働きかける。2006年・・・ヨーロッパ連合(EU)が、連合の歴史上はじめてFGM廃絶を掲げた。2007年・・・イギリスのロンドン警視庁とBBCと一緒に、FGM反対のキャンペーンをはじめた。 また、ワリスの活動や著書における多くの功績に対し、サルコジ大統領よりフランスの最高勲章であるレジオンドヌール勲章を授与される。2008年・・・映画『デザート・フラワー』の撮影が開始される。2009年・・・映画『デザート・フラワー』完成。ワリスは女性の尊厳と権利のための新しいPPR基金のメンバーの一員となる。 資金供給のためのはじめてのチャリティ企画が、パキスタンやインド、コンゴ、ベナン、ナイジェリア、スペイン、フランスで認可されている。ワリスのこのような活動があり、2007年頃から、ケニア、ガーナ、ブルキナファソ、中央アフリカ共和国、 トーゴをはじめとするアフリカの14の国々では、法律上FGMを廃止するようになった。ワリス・ディリーは世界中の女性にとって希望と正義の象徴となっており、今現在もその強い信念に基づき活動を続けている。
2013.03.10
全4件 (4件中 1-4件目)
1


