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ぼけの花 つぼみのおおい鉢を買って来た。ようやく咲いた。この大寒の一番寒い頃、真っ赤な花をつける。きれいだ。暖かい気になる。 ただ、この「ぼけ」という名がどうも気になる。私も「ぼけ」の境地に入ってるので、なにか、同族と思えて仕方ないが。花のほうははるかに明るい。きれいだ。そして温かい。 調べてみた。実が瓜に似てるので「木瓜(ぼっくわ)」がぼけに転かしたものらしい。日本ぼけ協会などという団体もあり、幅広い愛好家をもってるみたい。 後期高齢者団体に間違えられそうな名前だね・・・・。
2009.01.24
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蔵王初雪 今日は囲碁非常に調子よし。昨日は全くだめ。 頭というのはどうしてこんなに違う。 年齢からくるものなのか? 囲碁の調子良さに乗じて 昨年から温めていた構想を一気に描く。 現地に3回ほど足を運ぶ。 大判というサイズ。すこし小さい。これに決めた。 2月にジジ・ババしか出せない展覧会が美術館で開催される。 まあ、趣味の段階だから、これでいいだろう。
2009.01.21
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ポスター 椿貞雄(1896-1957)山形県米沢市生まれ。中学を中退し画家を志す。岸田劉生に師事し「草土社」創設の中心メンバー。岸田はクリスチャンだったらしく、全てのものに愛情を注ぐという考えがあったらしい。 美術館に100点近い作品が掛けられていた。やはり、岸田にすごく画風が似ている。ただ、風景画は特にそうだが、椿はどうしても暗い色使い。岸田の娘を描いた「麗子」は特に有名だが、何か、薄笑いの表情をしている。彼らは西洋画で「日本人の心を」を表現したいと考えた。 だから、人物画、肖像画は人物の内面を追求したらしい努力が伺える。いずれにしても画家で食うには大変だったらしく、学校の図画の先生などをして安定収入を得たらしい。 作品全てにわたり、真摯な努力はもとより情熱を感じる。どんな画家も自分の作風をはみ出して新たな模索をするものだが、この人は終始一貫自分の作風を追及したかに見えるのだが、ただ、水墨画に一時熱中したらしい。 岸田の影響から抜けきれず悩んでいた時代もあったらしいからそんな努力もしたのであろう。 でも、暗い。 私の好みではないが、その情熱の強さにはほとほと参った。まじめな人なのだ。岸田はよく茶屋での遊びが多かったらしいが、椿はいやいやながらに付き合っていたという一文もあったから・・・・・・。 白樺派の人達との付き合いも多かったらしいから、これからものの考え方が変ろうとする時代に生きたのであろう。 でも、すばらしい画家だ。
2009.01.19
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囲碁を打つためにPCを買った。すでに19400回ほど打ってる。その中で今日が始めて。9連勝した。何処がどうなってるのか? 麻雀、パチンコ、競馬など賭け事は負けを語らずという。囲碁だって同じ。負けを語るのは面白くない。展覧会に向けて描かねばならない絵に手が向かず、まず1局と囲碁を打ってしまう。 でも、不思議だ。相手に恵まれたのかも知れない。昨日は8勝3敗。今日9連勝。17勝3敗である。いまだかってないことだ。これを喜ばずして何をか語らん。(麻生総理がもう何度も漢字の読み方を間違えてる。あまり文語は使わないほうが)しかし、晴天の霹靂という感じ。(こういうときに使用する言葉ではない) 最近、痴呆症の傾向大と色々気にしていた。頭の回転も感覚のひらめきも衰えた。94歳の母を見ていて、その度合いをますます増長させていた。 囲碁は、勝とうとして打って勝てない。相手の石を殺そうとして打って殺せない。その気になったらもう勝負の形態をなさない。 しかし、武宮正樹が言ってるが、囲碁は格闘技だ。意欲と戦意をなくして決して臨めない。やる気なくして勝負にならない。そんな迫力の勝負だ。年齢関係なし。ただ、どこまで読めるかだ。 これほど奥の深いゲームもないと思う。負けるとその日1日何となく暗い。いやはや・・・・今日は明るい。随分飲んだ。
2009.01.14
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ななかまど 今秋、ナナカマドが枯れぎみで伐採した。アメシロか?それとも根張り上の問題か?ごみに出すためには刻む必要があるので裏になげておいた。何時までも放置はできず、刻んで捨てようかと思った。ちょっと待て・・ひらめいた。これを磨いたらどうかと。いまだ経験がない仕事。いやはや、苦労した。木の皮を剥ぐのに大変なのだ。ノミを買ったり。鑢を買ったり。おまけに大事な枝を折ってしまったり。でもようやく1月ほどかかってここまで仕上げた。 そしたら、俄然気に入って、春になったら根っこを探しにどこかへ行きたい気になってる。随分いろんなことを学ばしていただいた。40センチ×20センチほどの小さい物なので茶たんすの上でじゅうぶんだ。 ナナカマドは7回カマドで焚いても燃えないといういわれの木である。硬いからこんなにできるのかもね。やわいと手がすべって折ったり削りそこなったりするのかもしれない。余は満足。
2009.01.13
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先ほど遠藤実のビッグショウをBSで見た。学生時代に友達にモーツアルト崇拝者がいて日本の演歌は芸術ではないと言い張るやつがいた。私は猛烈に反発した。私自身演歌の崇拝者ではないが彼の言い草が気に食わなかった。そんなことを今日のテレビを見て思い出していた。 確かに演歌は歌詞が悪い。感情が先走り、求めるところの意味合が低次元。そこは解るが、日本人として生きてきて「なにくそ」と思う心意気や相手を思う心意気はやはり惹かれる。 新潟へ疎開して食うや食わずの生活を送り、何気なく浮かぶメロデイーを頼りに歌作りに励む。 彼自身、歌はあまりうまくはないが苦労したその心が痛く響く。これが文化ではない。芸術ではないといえるのか。 人に感動を与え、奮い立たせ、きれいな気持ちの境地にまいこむ。これが芸術だろうや・・・・。 小さい頃食べ物の少ない時代があった。昭和20年代だ。とにかく、毎日、大根の葉を干したものを水でもどして、味噌汁を作る、煮干は安く手に入ったから、良かったのだろう。煮干のだしでの味噌汁「ほしなじる」。朝、昼、晩である。 去年、今年、畑を始めて、大根も作った。 虫の防除は大変だが、何のことはない。ニョキニョキ伸びる。葉っぱを捨てるのがもったいない。車庫に干した。「ほしな」である。 しかし、昔の味は出ない。環境と心が違うのだろう。毎日のお袋の苦労がいまさら身に滲みて思う。 今私は11月以来毎日鍋物を食べる。自分の作った白菜を具にしてである。勿論、魚の「あら」をだしにしてである。うまい。うまい。愛着というヤツだ。でも。ほしなの味はどうしてもなじめない。 歌も、同じ。環境と境遇と、取巻く空気の違いが味を変えるのだ。感動は心だ。感動はその人の置かれた状態だ。 ・・・でも私は遠藤実に・・・あのほしな汁を見た。
2009.01.05
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