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気温はゆるんでるが朝からもさもさ雪が降ってた。昼ごろからやんで道路はべちゃべちゃだ。今年も一月終わった。明日から2月1日。今日また第11レース万馬券あてる。これで一息。明日また買える。ちよっとひねったのが当たると気分がいい。 明日はべろべろになるかもね。馬はこんなものよと達観しているつもりでもついつい熱くなるとおしまいよ。わかっちゃいるけど止められない。 職場では次から次へと難題が来る。なりふりかまわずの県庁だ。 いいかげんいやになった。もう2ヶ月だというのによ。 全くなさけない。台所が火の車なのよ。かわいそう。 地方交付税が激減だとか?構造改革はみんなを苦しめてる。 銀行は金がだぶついて困ってるというのにね。 2月は半ばに最も強い寒気が短い期間来る。その後ぽかぽかな日が来る。いずれにしても間もなくだ。
2004.01.31
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たらという字は魚辺に雪と書く。魚辺に神はハタハタだが雷と書いてもハタハタという。日本海沿い庄内地方は山形内陸では想像もできない気候である。地吹雪というがちょうど車の運転席の高さに地面をはき捨てるように吹雪が吹き荒れる。 ワイパーが利かない。しかも気温が下がり体感はさらに下がる。そして、冬だというのに雷が大地に鈍い音を鳴り響かせる。 ただでさえ寒いのに吹雪と雷は冬の実感をさらに強調する。こんな時期にふうふういいながら啜るのが寒鱈なのである。鍋にハタハタをいれて酢醤油につけて食べる湯上げである。 この、鱈、魚雷という字はこの時期をいやがおおにも連想させるのだ。鱈汁はまさにこの地吹雪に負けないための力づけ食物なのだ。新鮮なものであれば白身の刺身、白子の刺身とすてるところなく皆食べることができる。かかすことの出来ないものに岩海苔がある。すこしあぶって入れると香りがぐんと違う。 昨晩は若い旅館の主に注文をつけながらの調理だから彼は嫌だったに違いない。 みんなうまいうまいの合唱が準備したものの苦労を忘れさせる。出し昆布も準備して白身のこぶ締めなども考えていたのだが時間がなくて出来なかった。まあ、いいではないか。やりいかもうまかった。魚屋の息子というT君を冷やかしながら刺身を作らせたが、なかなかのものだった。あっという間に売り切れた。 麻雀の時間も入れて12時を過ぎた。頭が冴えてなかなか眠れず今朝早く目が覚めて今日一日つらかったよ。 懸案事項ひとつ終わる。
2004.01.29
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今朝スポーツ新聞を買うためにコンビ二へ行く。ほどよく雪道もゆるんでいて昨晩降った雪がうっすらと表面を蔽うだけ。まさに雪の舗装道路だ。コンビニのある一直線の道路の街路樹のトウカエデの落葉した木々はまさに真っ白く、枝の一本いっぽん余すところなく雪がついて、朝日にきらきら光っている。あまりにも美しく、ついつい我が家への曲がり角を通り過ぎて橋のたもとまで走ってしまった。 自然というか、その計り知れない造影にただ見とれるだけである。装景という言葉があるそうだ。景色を装うということだから人間がその環境なり景色をつくりかえることではないのかな? 「芸術は自然を模倣するのではなく自然が芸術を模倣する」そんな意味の言葉をロダンの彫刻を解説した文章で覚えている。しかもそれは中学時代の国語の本だつた。何故知ってるのか解からない。今朝の雪景色でまたふっとそんなことを思い出した。堺屋太一が言っていた。中学から大学卒業までちょうど10年だ。退職して60歳。10年で70歳。この間なにかに集中したら相当のプロフェッショナルが可能。この人材をまた社会は活用すればいいと。 平成30年ぐらいには全人口の40パーセントが65歳以上とか・・・・・。呆れてしまう。60台が年寄りじみた考えではこの世の中成り立たないのだ。恒例の寒鱈汁会が28日開催。この中途半端な気温で鱈は不漁のようだ。例年さばいて来た私は今年はできない。どうも舌が未だ本当でない。味見は不適。ただ、なべ奉行の存在かな? 必ずすばらしい鱈が届くのは確かだ。今回は黒澤温泉のM旅館での開催。T先生の教え子だとか、世間は狭いものだ。
2004.01.25
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明日は休みという気分は何年経っても嬉しいもの。サラリーマン生活をあと2ヶ月で終わる。そんなある男の金曜日の夜の独り言。ある男というが、おれは男か?女でない事だけは確かである。 首筋が自由に回らない(借金のためではない)不自由さを明日は、明日はと我慢の連続の毎日。夜ビールを少し飲んで機嫌をよくして、ばあちゃんにありもしないことを話してやっとのことで機嫌をとってる。ばあちゃんも褒めてやると口元がゆるみ話に乗ってくる。人間褒めることがいちばんらしい。隣の少し若いばあちゃんは苦々しい顔でおれを見る。幸せってなに?短い時間、明るく話が出来る時。体の苦痛がないとき。幸せってなに?誇らしげに若いときの自慢話ができるとき。幸せってなに?孫からやさしい言葉をかけられるとき。幸せってなに?ばあちゃん上手だねと褒められるとき。幸せってなに?久しぶりに理路整然とはなしたとき。幸せってなに?みんなおれの感覚でのは・な・し。本人は何をどのように考えてるか皆目検討つかない。ただ、にこっと笑って話した時は悪い状況ではないことだけは確かなのだ。 おれ自身の幸せもこれからも追求しねばならない。 おれも意識がなくなることが神様が与えてくれた幸せなときなのか?神様と言うのは意外と残酷なものだよ、よかれと思うことだけを与えると思ったら大間違い。ことによっては想像も出来ない仕打ちを平気でやるのが神の存在。神というのは一つしかないと思っていたがとんでもない掃いて捨てるほどある。人間の数ほどあるかもよ。よって、自分で神をつくればいいのだ。おれの作った神は少し配慮不足だったな。もう少し、芸術的で、人間的で、楽天的でそして融通のきく神をこれからつくることにする。そして、おれだけの神にしよう。 そしたら、幸せはなに? おれだけの神との相談ごとよ。 今、神が辞書をひねくり回してるところよ・・・・・・・・・。
2004.01.23
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とりたくないと言っても時間が経つと年をとる。何といっても有限なこの命。五木寛之は人間の心臓の鼓動回数はだいたい決まっている。だから、スポーツ選手や力仕事をする人は自然と鼓動回数が多いから早死にすると。長生きの秘訣は何もしないでじっとしていることだと。ご本人は風呂にも入らず、頭も洗わずとか、どこまでほんとか解からん。 死にたくてもどうして死んだらいいのか解からず、殺してもらうわけにもゆかない。生きることは難解よ。人生死に方だという人もいるがいずれにしても同じことよ。 母がインフルエンザに掛かった。そんな判断が私には出来るわけもなく、実はうろたえた。入院させたら診断がインフルエンザ。38.8度が最高で2日続き翌日から37度台、そして4日目から36度台と順調に下がった。 私が恐れたのはインフルエンザはいずれ治るとしてベッド上の生活をすることによって歩けなくなることである。自分で用を足せなくなることである。 熱が下がったから即退院させて欲しいと願って退院させた。ほんの数秒前のことはもう記憶がない。変われば変わるものだ。 母の姿を見て、ああ、年はとりたくない。生きていてどんな価値があるのかと問いたくなる。ただ、親への恩返しをさせてもらってる自分があるだけだ。それも、怒鳴りながらでは親孝行というか言わないか難しい。 薬は山ほど持たされ、また外来を言いつけられた。市内ど真ん中の病院ゆえ駐車は面倒だしゆくまでも時間がかかる。この度はつくづく考えさせられた。命の尊さを説く人とは私は話できないかもしれない。本人の幸せはなんだろう?聞いても回答はないかもよ。食べるものを食べたいようにして食べて、眠りたい時何のこだわりも、しがらみも、苦痛もなく眠れること・・・・これが幸せというものだ。きれいな空も、景色も一瞬は感動する。そしてすぐわすれるのだ。何も考えていない時が幸せと言う人もいるが、主観、客観、なんでもよろしい、ほんとに幸せってなんだ?
2004.01.19
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先週のNHK「クローズアップ現代」でやってた。専門に闘病記を収集してる方がいて貸し出してる。小児がんで子どもをなくした母親の記録、膠原病でそれを乗り越えた女性。全国で4000人を超える人々が経験を本に著してる。 いちばん大きな感動、メリットは「私ひとりではない」という心のよりどころなようだ。数ある中には何度も同じ病で経験豊富なかたがいたとしても、病に対する悩み、苦痛はまさに孤独そのものなのだ。経験なくしてその痛みは理解できないかもね。通常な健康体に一つの不条理な異物が現れることはつぎつぎと頭は変に働き心はマイナスに作用する。そんな時みんながこうなるんだという先例を知った時その人は何か大きなあたたかさで包まれた感じになるのであろう。 一方また「白い巨塔」の財前教授ではないが医療そのものに対する不信感のようなものもある。インフォームド・コンセントというが、いやいやまだまだ、医師の特殊階級の弊害は多々ある、ある。反面医師には自信を持って欲しい面もある。学校の先生が父兄の反発を気にすように、医師にも世間の批判をきにする面はある。しかし、患者は直りたい一心だから医師と患者の決断も当然必要だ。 医療界そのものの矛盾も多々あるし、情報公開されない部分も多すぎる。「白い巨塔」時代からさらに時を経た昨今、若干異質な矛盾と変わりつつあるかも。 いずれにしても一つしかない命。あの養老猛司さんは人を殺したくないから解剖学を専攻したと言っていたが、数十人殺さないと一人前の医師にはなれない。それをカバーしてきたのが医師の裁量権だから、症例を数多くこなして名医なのだ。 一つの命を救うために一人の人が全精力を傾注して闘う・・・・闘病生活だからこれ以上の記録はないのである。 書く人も増えれば読む人も増えてるみたい。感動の連続かもしれない。でも、私は積極的に読みたい気持ちになれない。むしろ、アガリクスを飲用して末期がんがこれだけ良くなったという宣伝文章を読んでるほうが希望があってよろしい。・・・・まだこころの整理不足かな?
2004.01.16
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この度の低気圧、北海道から東北、北陸にかけて荒れまくってる。真っ白である。特に北海道は暴風雪との報道だったが、幸いに我が地方はふわふわと舞い落ちる降りかただが絶え間なくみるみる積もってゆく。大陸から日本海を渡るとき水蒸気を含んだのか、湿っぽい雪だ。 だから、雪つりをしてない庭木は枝が折れんばかりに地面に垂れまがる。ほんの少し支えがあれば相当に耐えられるのにね。気温ー2~3度だからガラスに雪の結晶ができるほどではない。 勿論、我々はあわてたりするようなことはないが、きれいだなあと思う反面忌まわしく思うだけである。そう、もう何度こんなに吹雪いたら和らぐのかと。雪はきれいだと人は言う。確かに山間のブナ林に降り積もる雪、特に落葉樹の枝をただの一本も残さず雪が張り付く。今日のような雪は特に湿っぽいのでそのようになる。 まさに自然の造る芸術作品だ。 しかし、雪はあらゆるものを覆い隠すことにもなる。醜いものは雪によって全て覆われる。春の雪解けの醜さはだから耐えられない。年に一度だけ雪ノ下に隠され春に別の姿でお目にかかれるような生き方をするのも一興というものかもね。 一週間前、今年赤倉温泉で開催される予定の冬季国体(スキー)会場は雪不足で開催が危ぶまれていた。この雪で一息ついたであろうよ。何しろ一晩で50センチも積もったのだから。 雪を待つ人もある。暑さを待つ人もある。我々はほどほどにと言うところか?
2004.01.14
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サウナを出て水風呂にはいってる人がいる。しかも、水風呂は中庭風の屋外にある。若さかな・・・おれには想像もできない。 脱衣場のテレビが必要以上に音量が高くセットされて、画面を見ながら脱ぐことになる。今日気づいた。おれはなんでこんなにも沢山着てるのかと。ほんの最近まで下着の下はステテコ一つだった。上はランニング。なんと今では・・・・・・・。脱衣に時間がかかるわけだ。その辺にある小さい椅子を持ってきて座り脱ぐ、着るの作業しないと立ってて疲れる。 10キロやせた。ももの肉がない。尻の肉がない。これでは風呂に入って体が浮くわけだ。 やはり、人間食わないとだめよ。肥満と言うけど程度はあるがある程度肥ってるぐらいが元気あっていい。 浴槽からあがるとあら、あら、血が頭から下がるのが解かるではないか。貧血気味なのだ。体が軽い。 元来、長々と入れないタイプ。こっち、あっちと、浴槽をわたり歩くのもよしあし。あたたまったらすばやく上がる。 温泉でないお湯はどうしても軽い感じがする。肌がすべすべしない。湯上りがさっぱりしてる。先日、りんご温泉に行った時、気持ちよかったのだが、帰り道眠くなってハンドル捌きが大変だった。 それだけ、温泉は効くのかも知れない。だから、この雪道、遠くは避けることにした。体力衰弱ははなはだしい。 1月も末に近くなった。2月の声を聞くともうすぐ気温はゆるむ。その頃はもう少し脂もついて体力回復となるであろう。 ビールは缶ビール1本程度。酒は喉に沁みてだめ。この辺が回復しないと食欲も出ないということか?
2004.01.12
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今日の昼、なにげなくテレビのスイッチを入れたら「山形、やまがた」の声。あっ、女子駅伝だと気づいた。歴史始まって以来の快挙だ。関係者の喜びようはいかばかりか、想像もつかない。 どうも山形はスポーツ何をやってもパットしない。甲子園でベスト8に残ったことがない県はここだけとの話。情けない。 多分今日はまた負けるとふんであまり応援してなかったのではないか?中学生が強かった。今後に望みある。頑張れ、がんばれ!!
2004.01.11
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----- Original Message ----- From: To:快気祝いについて (PM 05:45)ここ数回書いてることは温泉のことだけだった。いまだにときどき激痛がのどを横断する。医者の話だと、静脈を切断したのであごの部分で血流が悪くなって渋滞してるらしい。いつまでこんななんだと聞くがはっきり答えない。あなたはこれでもまだいい方だと慰めるだけ。相当に時間がかかるようだ。こんな症状だから風呂に入ると気持ちがいい。しかし、何度入ってもそのときだけで全体的回復はといえば時間の掛かる話。 腰をすえてかからねばならない。 知人友人への快気祝いは終わったが身内への物はようやく今日で決着。ありがたいことだが面倒なことでもあるよ。
2004.01.10
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黒澤温泉のM旅館。安い割りに料理が良くて、あまり混みそうにもない旅館だと私はみた。若いおやじが専務で接待係りのカアチャンが母親で社長だという。夕食を食べる時「ちょっと相談があるのだけれど」「なんだべ」「実は鱈汁会をしたいのだけど」「んだば、とうちゃんのほうがいいな」といって迎えに行った。話は簡単に決着。ただ、私も職場と相談の必要があるので明日昼ごろあらためてTELすることにした。その朝、出勤してTさんとT先生に話した。ご両人とも企画には賛成してくれた。そしたらT先生「もしかしたらその息子わたしの教え子かもしれない」という。さっそくTEL、確かにそうだった。 いやいや、また今年遊佐町から送られてくる寒だらを料理して食べる場所がなかった。あのきれいなママさんのコリドールは廃業、隣町へ移転してしまった。これで、今年の寒だら汁会は決まった。うれしかったなあ。 私が勝手に判断して少し遠いけど安さで勝負と提案した件がいっぱつ解決。うれしかった。世の中は狭いものだね・・・・・・・・。
2004.01.09
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温泉各地は正月のかけ入れ時を終えた。期間中の混雑も大変なものの宿泊料金も暴騰。単に温泉に入りたいおれにはとてもゆけない金額。 それでいて満員ときてるから恐ろしい。何処が不景気なのですかと聞きたくなる。 今は多分どの旅館も、ホテルもガラガラのはずだ。7日の夕方。「泊まりたい」 「はいどうぞ」といとも簡単に予約そして宿泊。空いてる旅館のふろはいい。きれいだし、ゆっくりできるし、あたたまれる。 着くといきなり入り、寝る前にまた一風呂、朝、起きたらまた入浴。3回入浴。これが限度ではない? 気持ちいいから翌朝朝食をとりながら、今日も来るかな・・・とつぶやいたら「どうぞどうぞ」 そうだよな。お客が自分を含めて4人しかいない。 結果、2泊と言うわけ。よかったわー。なんか、今日はことのほか眠いので内容は明日に延ばす。
2004.01.08
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正月シリーズ最後に訪ねたりんご温泉。結論から「いい湯だった」また行きたい。山形の西隣「山辺町」さらに山一つ越えた隣町「朝日町」。主力名産品、「りんご」である。町の顔がりんごをさておいてない。あえて言えば朝日連峰、朝日渓谷、大沼の浮島など自然そのものである。 浴槽のお湯にりんごがぷかぷか10数個浮かんでる。衛生上食べないで欲しいと張り紙がしてある。別にりんごの香りが漂うわけでもない。PH8.6のアルカリ温泉・東北でもめずらしいと説明が。お湯に入るとぬるっとする。お湯そのものも澄んでてきれいだ。さすがに今日は月曜日。空いてる。何事も人での少ない時が・・・以上のすばらしさを味わえるのだね。りんご畑に隣接する小高い丘の上にある。「のんぽかの森」という炭小屋などもあり町の農業研究所もあった。風呂場からの眺めも良い。男湯は「朝日」、女湯は「月山」と名がついてるが、夫々から朝日、月山の名山が真正面に見ることが出来る。建物全体は山小屋風。先の天童やひまわりの湯のように一度に000人もの入湯を期待していないようだ。 あくまでも静かに、自然を眺め満天の星をみあげて欲しいとパンフレットには書いてある。そこに未だ会ってないもう一人の「わたし」があるかも知れないと。 とにかく湯の質がいい。「温泉」という感じだ。熱さも42-43度程度、私に適温。またゆきたいが少し遠い。帰りの運転眠くてしようがなかった。快いのだ。正月シリーズ最後にすばらしい温泉に出会えた。良かった。よかった。 我が家の近くにホントニないのかや?オンセンが・・・・・・。明日からまた出勤だ。頑張れ!!
2004.01.05
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休みもあと一日。ビンちゃんの影響も受けて温泉を歩いてきたが明日もう一つ行ってこの正月シリーズは最後にする。術後の首筋はガンガンに固まりついて首が回らなかった。肩こりで頭がめまいを起こす感じだった。今しだいに緩やかになりつつある。プロのマッサージを受けたい気持ち充分なのだが左頚部の傷口とがーんとした塊を見ると恐ろしくてさわらせられない。 温泉に入って静かに少しづつもみほぐすと気持ちいいのだ。 そして体のあたたまりが持続するのでこたえられない。今日は中山町「ひまわり温泉ゆ・ら・ら」。実際もこのように点を打って書く。正月最後とみたか、随分多くの人だった。あの天童最上川温泉と同じ湯質だ。少し濁って、鉄分の匂いがする。無理やり掘削した温泉はどうしてもこんな感じなのであろうか? あまり感心しない。ここは宿泊施設が20室ぐらいあって、これまた繁盛らしい。 通常の入浴料金が300円だが3000円で14枚つづりの回数券とは恐れ入った。 館内には研修室が5つもあり1月中は予約で一杯だった。何処の施設も単に風呂だけでなく何か付帯施設をもって利用者を増やそうとしてるが、ここの施設は単に風呂だけで充分に採算が取れてるみたい。何年で000万人という数字は発見できなかった。あえて自治体温泉と呼ばせてもらうが、ここも成功した例のひとつだ。 県立中山野球場の東側に位置するが、ゆ・ら・らの南隣は総合運動施設があり温泉での合宿メニューもパンフレットにあった。なかなか抜け目がない経営だ。役場だけの企画ではなかったろう。 新興住宅団地が張り付きいやがおうにも風呂に入らねばならない環境を作っているのだ。 ようやく駐車場に留めてお湯にありついたというわけ。満車だった。帰りは素直に国道112号を道なりに帰る。なにか、日が長くなった感じ。晴天とはいかないが、この正月毎日温かい日が続いてくれた。雪はひとつもない。ああ、雪はない方がいい。欲しい時は写真で充分だ。雪よ降らないでくれ。
2004.01.04
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天童温泉といえば将棋駒の生産地としても有名である。山形でも1、2、を競う温泉地である。だからと言って市民が温泉に浸って生活に潤いがあるかというとこれまた別問題なのであろう。 この20年間あまりどの市町村も開発と称して各種施設の建設整備に力を注いできた。自治省の誘導策もあった。結果が現在の自治体財政赤字を増長させている。000事業を行うと事業費の000㌫は地方交付税で見る・・・・というやつ。誰が考えても総枠が増えるわけがなく自治体の収入が増えるわけがない。 山形県の場合温泉掘削が多かった。住民の保養所的施設があちこちに出来た。そんな中でも一番大きくそして最も成功したと思われる例がこの天童最上川温泉である。 最上川に近い位置からこの名称がついたのだろうが、市の中心地からは遠く、りんご畑、さくらんぼ畑の真ん中と言う感じ。平成9年に出来てこの15年6月23日には来場者記録400万人を達成した。「ゆぴあ」という。 昔、井戸水を飲むと「かなけ」といったものだが、鉄分の匂いがするお湯で決して湯質はいいとは言えない。ただ、露天風呂は大きく、休憩室、レストラン、売店や地元婦人の手作り商品の販売やら各種企画が矢継ぎ早に開催されてまさに地元公民館のように活用されている。ああ、恐れ入った。大人ー200円 小学生ー100円という入場料。しかもかみのやま温泉と違いシャンプー、ボデーソープも備え付け。タオル1本持ってゆけばいい。 元旦に行ったが混雑のすごいことまいったよ。私としては一度行ったからもう行く気がしない。 温泉ではなくイモ洗いプールといった感じ。安けりゃいいというものでもない。かみのやま温泉の共同浴場は確かに小さいがそれなりに人と人との交わりがあるような気がする。「風呂はいいなっし、体も心もあったまるしな」「んだ、んだ、この湯だばこどしの疲ればすっかりとがしてける」 そんな会話が聞けるような雰囲気だがここ天童最上川温泉はグループで活用するのがいいのかもね。 それぞれが持つ温泉への思いはさまざまあろうが、私はゆっくり、じっくり、静かに、 そして湯の香りがほしい。絶えず流れる湯の音もほしい。勝手なこと言っているよ。お金さえ払えばこの界隈そんな程度いくらでもある。
2004.01.03
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