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2023.01.28
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カテゴリ: 報徳
「尊徳と梅岩」西晋一郎著より
『吉田松陰研究者』としての玖村敏雄先生 - 長谷川勤のインフォメーション・ブログ



3 尊徳の教義

 五 天命。分度

その20に続く

 この天命所止(止まる所)を人道に移せるものが分度である。
分度は推譲の上に立ててあるが、之も報徳行の大段落を示せるので、推譲に分度が立てば勤勉にも自から分度が立つ。
分度とはつまり報徳生活の内容限定である。
今日には今日の天命、明日には明日の天命、この天命に則りて分度を立つるとき、今日の分と明日の分を明かにして明日に譲るべき分を知り、かくして日日が立ち行き、かくして月月、年年が立ち行きて、行き詰ることがない。
我には我の天命、人には人の天命、この天命に則りて分度を立つるとき、我の分と人の分を明かにして人に譲るべき分を知り、かくして我人諸共に立ち行き、かくして人生を全くして行き詰ることがない。
しかし人道の実地に臨んで分度宜しきを得るには智慧の無限の裁量を要する。
故に報徳仕法といふ大段落を掲げ示して、大準を逸せず大過なからしめる。
しかしまた分度を知るともそれを守るのでなければ詮なきことであるから、天命に止まり安んずる心を養ふ。
故に報徳仕法の中に教化が籠り、尚くさぐさの教訓道歌を作つて民衆を諭すのである。
報徳仕法による実行の裡に解脱安心の仁、天理発明の智慧、勤行励精の勇が具つてをる。
推譲の仁、分度の知、勤勉の勇、三にして一、一にして三なる所に報徳が行はれ至誠が実にせられる。
三者の循環往来は人道が天理自然に則る所である。
開いて三となる所に財宝開闢し、閉ざして一となる所は一宝無名である。
この無名一元宝の裏にして始て財用が通ずる。
施とは天命であり、種子であり、生とは地であり、花実である。
人道に於て施生循環を促がすもの、施生循環を媒介するものは勤である。
天道に勤怠なく、時として処として施生せざるはない。
人道には勤怠があつて、ただ勤むる時と処とに施生する。
勤は人に存するが、勤める所の筋骨心識は天命である、即ち天然の分度である。
人道にあつて分度を起すものは推譲であつて、今年播種するその種は謂はゞ人道裡の天命である。
稲の秋に麦を蒔き施肥(肥を施す)は勤労を譲るのであつて、半分除置くと同じ事である。
施肥(肥を施す)はやがて良田をなし、良田は人道裡の天命である。
譲れる分度は凡て天命として報徳実行の地をなすので、報徳金もこれに外ならぬ。
ここに於て天道人道寸分の隙(スキ)がない。
天命は本(ト)天地無私の誠から降れるものであつて、無心の賜である。
これ万物の存する所、存する本、立つ本である。
鳥獣と群をなさずして人界を立てんとする者が天に代つて天命を降し、貧窮者の報徳の地をなす。
之を冥加として納得する者は能く勤労して無尽蔵的に生産するのである。
「蒔けは生へ植れば育つ天地のあはれ恵のかきりなき世を。」
これ天道を人道の言葉にしたもので、一切の功徳を具し、慈眼もて衆生を視るものとする。
「忘るなよ何はさてをき御代にすむ徳を報ゆる事のひとつは。」
これに題して天命之謂性(天命之を性と謂ふ)といへるは、人道を天道の言葉にしたものである。
「忘るなよ天地のめくみ君と親我と妻子を一日なりとも。」これ天人を一にせる言葉である。
同じ意味で、
「あめつちときみと父母の三つの恩忘るるときそ身はせまりけり。」

3 尊徳の教義

 五 天命。分度

その22に続く

「日本国土に生れたる人は日本国土に生れたる所則天命也。故に日本国土は日本国土に生れたる人の所止(止る所)也。」
これ尊徳の特更ならざる、自からなる、已むを得ざる所の日本主義である。
日本主義は日本人には主義ならざる主義 である。
即ち 天地自然を則とする人道 である。
故に道は天照大神の道であり、恵沢は高天原に帰し、この日の本に帰するは、日本人には唯天理自然なるのである。
「故道につもる木の葉をかきわけて天照す神のあしあとをみむ。」
「天つ日の恵む小島にたつけむり高まがはらに帰せざるはなし。」
又曰く、
「おもへたた天竺(カラ)学ひする人とても我身をめくむこの日の本を。」
五刑の属三千、罪不孝より大なるはなしとは、支那にあつては天理自然に本づく法であつた。
日本人にして日本国の恩を忘れ、遂に日本国を咀つて他国の教に帰依し、他国の民となるは、罪これより大なるはない。
天命によつて生あるものが天命に背いて亡ぶは天理自然である。
所謂思想問題の思想は抽象性のものである。
抽象とは元来一である所の心身を心と身とに分ち見る所に起る、身心分別こそ一切抽象の起源である。
而して 生きるとは身心一なること に外ならぬ。
死とは身心の分れること に外ならぬ。
この意味に於て一切の抽象は機械化であり死化である。
天然は抽象を寸毫も容さぬ。
実に在るものは白馬であり白石であり、然かも其時其場一々の白馬白石であつて同じものは一もない。
白サといふはさう心に思ひ定めた所のもので終古変ずることの無いものであり、いづこに持つて行くも只一定に通ずるものである。
千々万々の実物に此白サを或は嵌め或は外づしてその物を或は白ならしめ或は白ならしめずとなす所に概念の自己忘却がある。
それぞれの国土、それぞれの民族に立てられた実物である所の国家に即して搆へられた抽象的概念の組織を国家の理論といふ。
この理論はさうと心に抽象的に確立せる不変の概念の論理的構造であるから、何処にも何時も通ずるといふ内面性を有つてをる。
かかる国家理論を以て他の国土と他の民族とが立てた歴史的実物である他の国家を律せんとするは理論性の自己忘却である。
一実物について抽象は多様に出来、理論は幾通りにも立てられるが、尊徳の天理自然は実物ありのままに悟れる所であるから只一様にしかあり得ない。
それ故に一理万理である。
この一理万理は一箇の理論を何処にも嵌めようとするとは天地の相違あるものである。
天理自然は理論ではない。
故に 天理自然に則つとる人道は日本には日本の天然に従ひ、日本人の天命に順ふ所の日本の人界を開く のであつて、夫の抽象的概念の構造である一箇の国家理論が天賦自然を無視し天命をかへり見ずして一概に同一の国家理論を万国に嵌めんとするものと全く類を異にする。
抽象的概念といふもの、理論といふものは天賦を克服し天命を超出することをその性質とする。
しかしそれは思想の天地に居る限りに於てのことであつて実地に克服超出の出来るのではない。
強ひて試みるときは事物を害する。
抑も均しく文化といひ人間界といつても人為多くして天然に遠ざかることの多きものと然らざるものとがある。
生業で言へば農は天然に近く工商は遠い。
衣食住の全般にわたつてこの相違はさまざまの程度に於て見られる。
これは人為の多いものほど文化の進めるものであるといふのではなく、文化の発せる種々の事情と文化の性質そのものに依ることである。
国家の造立に於てもまたかかる相違があつて、我国の如きは国家組織の根幹であるものが最も自然的である。
自然と生命とは異名同質と謂つて可なるべく、而して生命とは親子の間のことである。
天地間万物の生々は皆親子の存続 に外ならぬ。
生命の道即ち親子の道 である。
我国の生ひ立は国土民族諸共に一大自然であつて、統治の根元と生育の根元とは一であつて、その相続は父子天然の道に由るので、些の人為を加へない。
天然の道を以て統治生育の根元とする我国家に於ては、又衣食住を始めすべて文化諸内容が文化たるを害せずして最も自然の趣を存し、自然と文化と一ト続の看がある。
祭政教一致の如き、欧洲諸民族が各々其国家を成せる事情から別々であるものが我に於て一であるのは、国家造立の事情の相違からのことであつて、未分未開なるのではない。
却て高尚なる国家を成しつつ、天人一貫万理の深い道理を実現せるものである。
尊徳の立てた経済の道が道徳教化の道と実に一体であることも、自然と文化の一応の相違の表皮を穿つて深く天人一理の奥に根ざすからである。
己が子を恵む親の心を省みれば学ばずとても道に至らんと言へる、その道に我国体が根ざし又その道が我国に於て最もよく行はれる。
尊徳の報徳仕法は我国体の本質をそのまま経済の上に実現するもの であり、この経済法を実行することは自然にまた国体擁護の道となる。
「夫人者天地間生育、天地間住者、天地令命、有可背理哉、四季順而寒暑変化、年々豊凶、順者忠孝慈愛有其中、終栄長久也、背者侫邪悪凶有其中、終亡長断絶。」
(夫れ人は天地間に生育す。天地間に住む者、天地の令命背くべき理有らんや。四季順い寒暑変化し、年々豊凶、順ずる者、忠孝慈愛其の中に有り、終に栄え長久なり。背く者、侫邪悪凶其の中に有り。終に亡び長く断絶す。)
己を捨てて天命に順へば稲麦の生育その中にあり、忠孝慈愛もその中にあつて、終に栄えて長久である。



3 尊徳の教義


 五 天命。分度

その21に続く

恩を覚える所無我の行を起し報徳の実を現はさんとし、天命と観ずる所解脱安心の境があつて、二者は表裏相成し幽顕相応する。
これ聖賢の事を起すは起さずして起す意味である。
ただの英雄の事を起すは起して起すのであつて、後患を生ずる。
源泉混々として流れて息まず科(アナ)に盈(み)ちてから後に進みて遂に四海に放(イ)たるは前者の道であつて、その遭遇する時勢を天命としてこれに善処する誠を尽すのみである。
直面せる歴史の進路をもどかしとして或はこれに逆行して、或はこれを跳り超えて遽(すみや)かに路を改めんとする如きは大に慎むべきであつて、革命の企は往々却て事を敗り、患害伴随する。
尊徳は幕政の時に生れ幕政の下に居たので、即ちその止る所である。
故に天皇の御陵威は御陵威であつて、いよいよ高くこれを仰ぎ、将軍の武威は武威であつて、治安の功徳を忘れてはならぬ。
大名の恩は恩、主人の恩は主人の恩、農の恩は農の恩、その他工商の恩があり、儒者の恩があり医師の恩がある。
冥界には神仏の恩がある。
故に其時其場に処して、到る処に報徳を行ふ。

よく解脱せるが故に、よく止る所を知れる故に、よく天命に安んぜる故に、かく 一心決定してその独自の道に邁進せる のであらう。
儒仏の流布も日本国の歴史といふ人界に於ける天命であつて、その恩徳のある限りそれを忘れてはならぬ。
儒に取れる所一部我身の本となり、仏に取れる所一部我身を養へるのである。
これを忘れるは危き道である。
かくして 時勢に逆はずして時勢に善処し、今日に至るまで其徳沢を流しつつある所の報徳教を教へ且つ実行した のである。
蓋し これ賢者の道である。
水戸の義公の如き、山崎闇斎の如き、本居宣長の如き、時勢を以て或は天命必至となし、或は神の業(ワザ)となし、謹慎し安心する所があり、其身脚下を忘却せざる故に、 其学問事業は能く歴史の進路を左右し大に革新の実を挙ぐべき有力なる種を蒔きつつ、当時に波瀾を起さなかつた のであると思はれる。

西晋一郎曰く

「源泉混々として流れて息(や)まずアナに盈(み)ちてから後に進みて遂に四海に放たるは前者の道であつて、その遭遇する時勢を天命としてこれに善処する誠を尽すのみである。
直面せる歴史の進路をもどかしとして、あるいはこれに逆行して、あるいはこれを跳り超えてすみやかに路を改めんとするごときは大いに慎しむべきであつて、革命の企ては往々かえって事を敗り、患害伴随する。」

これは幕末における尊徳先生の態度を述べたものであるが、この水の性質、上から流れ、穴があれば穴を充たして後に流れる性質を事業の展開でもよく説かれた。
相馬藩に報徳仕法を実施したところ、すぐに素晴らしい成果が出て、近隣の村々からうちの村にもすぐに実施してほしいという嘆願がひきもきらず、相馬藩家老から懇願されたときも同じような回答をされている。

「そもそも大業を成就しようと速やかにすることを欲して、一時に数十ヶ村に手を下す時は、民を恵み、教え導くことが共に周到ではなく、民の望みを満たすことはできない。
ついに事業を廃するに至らざるを得ない。
君主が仁沢を下すことが厚い時は、民の誰か悦服しないものがあろうか。
早く仕法の仁沢を得たいと欲し、歎願することは人情の然らしむる所である。
もしその願いに応じて一時に事をおこすならば、事業の廃する事はこれより始まろう。
だから固くとってその求めに応じてはならない。
開業の村を恵んで、その不足を補い、その憂いを除いて、大小・貧富を論じないで村民が一人も困苦することがないようになったならば、その村は始めて仕法が成就したというべきである。
その後に他村に推し及ぼすべきである。
そもそも水は必ず低いところに流れる、穴に満ちてから後に進む。
低いところをまだ満たさないでその前に流れるという理はない。
これは水の自然であって疑うことはできない。
今、国の君主が仁を下して開業の貧村はまだ全く困苦を免れてはいない。
困窮を免れない者がいることは、どうして水が低いところを満たさないことと異なろう。
仁沢がまだ満たないで他村に仕法を施行することを急とするならば、自然の理にたがいついに仁術無量の仕法を、目前の恵みだけの小道に陥らせて、人民もまた大いにその望みを失うであろう。
民が望みを失う時はどうして大業が成就することができよう。
このために一村が全く旧復するに及んで、その後にその二に及んで、その二が全く富んでその後にその三に及んで、幾百千村といえどもその順路はこのようである。
これは迂遠なようであるが、天地間の万事はこれより順であることはなく、これより速やかであることはない。
たとえ百千里の道を速やかに行こうと欲しても、一歩から発するほかに方法が無いのと同じだ。
どれほど速やかにすることを求めたとしても、一歩に二歩を重ねることはできない。
しいて重ねようとする時は倒れるだけである。
ましてや百歩を一歩で走る方法があろうか。
幾万町の廃田を起そうとしても一つ鍬から手を下し、二三と順をおって進むのである。
万物の理は定りがあって知力の及ぶところではない。
論語にも言うではないか
「速やかならんと欲する勿れ 小利を視る勿れ」と。
どうして国家の衰廃を挙げようとしてこの理に随わないで、早く成就する方法があろうか。
諸郷村々が一時に仕法を歎願するならば、教えるに道をもってし、諭すに勧農をもってし、その行いが郡中に抜ん出ているようなら速やかに良法を下すがよい。
大きな仁沢を施すことは数十百村同時に及ぶところではないと教え示して、容易にその求めに応じてはならない。
これが大業を成就する道である。」





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最終更新日  2023.01.28 06:11:46


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