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2023.01.29
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カテゴリ: 報徳
二宮先生語録巻の二【176】~【180】



二宮先生語録【1】~【25】 | MM2022のブログ - 楽天ブログ

【一七六】他人の酒食を貪る者、国家の用を為すに足らざるなり。好で招飲に赴く者、共に議るに足らざるなり。我幼より筵に赴くを好まず。其の筵に赴き徒に光陰を費すや、提籃を造り以て諸を人に施すの楽きに若かざるるなり。乃ち筵に赴かざるも、亦た必ず酒肉を贈り来る。我れ既に吾が楽む所を楽み、又坐して飲食す。豈善からずや。

《訳》他人の振舞う酒やご馳走を貪る者は、国家の用をつとめることができない。酒もりに招かれて喜んで行く者は、共に相談するに足りない。私は幼少から酒もりに行くことを喜ばなかった。酒もりにいって無駄に時間を費やすよりも、手提げのカゴをつくって人々にあげるほうが楽しかった。酒もりに招かれなくても、施した人からは必ず酒や肴が贈ってきたものだ。自分が楽しいことを行い、いながらにして飲食できる。なんと善いことではないか。

【一七七】余我が衣食を務めず、唯救済之れ務む。且つ先君の命を奉じ、興国安民に従事する以来、米粟の入る所以を問はず、金銭の出る所以を記せず。心を家計に用いず、而して専ぱら力を其の職に尽すのみ。然りと雖も、衣食自から給し、未だ嘗て欠乏有らざるなり。是れ猶ほ樹芸する者、衣食を計らず、力を耕耘灌培に尽せば、則ち衣食其の中に在るごとくなり。世人汲汲衣食に奔走し貧困を免る能はざる者有るは何ぞや。

《訳》私は衣食のために務めることはしなかった、ただ人を救済することに務めてきた。かつ先君の命を奉じて、国を興し民を安らかにすることに従事して以来、収入を問うことなく、支出を気にすることなく、心を家計に用いることなく、もっぱら力をその職務に尽くしてきた。それでも衣食はおのずから十分にあり、いまだかつて欠乏することはなかった。これは農業に従事する者が衣食を考えることなく、耕し、草を取り、水を注ぎ、培養することに従事すれば、衣食がその中にあるようなものである。世間の人があくせくと衣食のために努力し、貧困を免れることができない者があるのはどうしたことか。

【一七八】我が法施行する所の出納簿を称し、現量鏡と曰ふ。量は升なり、苞なり。夫れ米粟は民命を養ふ。然れども粒散ずれば則ち徒に雀鼠の食と為る。故に之を聚て升と為し苞と為し、以て民命を養ふ。日課索綯法も亦然り。一二尋の値い、以て家を興すに足らず。況んや郡邑をや。然れども之を聚れば、則ち以て国を興すに足る。是れ猶ほ升を以て粒米を量るごとし。則ち現量と名くる所以なり。

《訳》私の仕法を施行するときの出納簿を称して現量鏡という。量とはマスでありタワラである。米は民の命を養う。しかしながら米の粒が散ずるならばいたずらに雀や鼠の食となる。だからこれを集めてマスとなしタワラにして民の命を養うのだ。日課縄ない法もまた同じだ。縄の一ひろ、二ひろの値段では家を興すに足りない。ましてや郡村を興すにはなおさら足りない。しかしながらこれを集めるならば、国を興すに足りる。これをマスで米の粒を量るのに譬えて現量と名付けた理由である。

【一七九】誰れか我が法を迂遠と謂ふや。余一苞米を以て度外と為し、二十余年の勤労を積み、以て一家を成し、今既に余財を譲り、以て諸侯伯の廃邑を挙げ、且つ夫れ日光廟祭田は、則ち無窮に存す。故に成功を無窮に期し、以て法を立つ。世人事を為す。諸を己れの一世に比較し、以て其の成功を見んと欲す。故に以て迂遠と為すなり。蓋し天下の法を立るは、宜く諸を天下に比較すべし。寰宇の法を立るは、宜しく諸を宝宇に比較すべし。寰宇の法を立るは、宜く諸を寰宇に比較すべし。豈其れ諸を己れの一世に比較すべけんや。

《訳》誰が私の方法を迂遠だと言うか。私は一俵の米を度外とし、二十余年勤労を積み、そのようにして一家を再興した。今、既に余財を譲って諸侯の廃れた村を復興し、さらに日光東照宮の祭田を無窮のものとして存続させた。このように成功を無窮に期して、その復興の方法を立てた。世の中の人が事業を行う場合、これを自分一代と比較してその成功を見ようと欲する。だから迂遠だなどとなすのだ。天下の法を立てるにはよろしくこれを世界に比較すべきだ。どうしてそれを自分の一代と比較してよいことがあろうか。

【一八〇】闔郷挙げ之を為し、久遠を経るも亦窒碍無き者、農業是れなり。此を国家の大本と為す。儒仏の如きは則ち末なり。況んや其の他の技芸百工に於てをや。何ぞや。闔郷挙な之を為し、以て農業を廃せば、則ち飢餓の患ひ立ろに至ればなり。縦令儒氏書を講じ、仏氏経を説き、芸人技を演じ、百工精を励すも、亦何の益か之有ん。然れば則ち農の大本立ち、然る後儒仏を以て薬餌と為し、技芸百工を以て佐使と為し、一郷以て治すべし。嗟乎、五穀九菜身命を養ひ、五常十戒心病を治め、技芸百工各々用る有り。誠に是の如くんば、則ち万世に亙て弊無し。此れを之本立て道生ずと謂ふ。

《訳》村中が挙って行って、永遠に障害がないものは農業だ。これを国家の大本とする。儒教や仏教のようなものは本末でいえば末だ。ましてやその他の技芸百工はなおさらである。なぜかというと、村中が挙って行って、一方農業を廃すれば、すぐに飢餓のうれいがたちどころに来よう。たとえ儒者が書を講じ、仏者が経を説き、芸人が技を演じ、百工が精励しても何の役にも立たない。そうであれば、農業の大本にたって、その後に儒教や仏教を心を治める薬とし、技芸百工それぞれ用をなし、一郷を治めるがよい。ああ五穀や九菜は身命を養い、五常十戒は心の病を治め、技芸百工は各々用いるところがある。このようであれば万世にわたって弊害がないであろう。これを本が立って道が生ずるという。





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最終更新日  2023.01.29 13:04:16


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