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2025.11.13
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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○  数世紀進歩した製塩法

鈴木製塩所の設備は、海水を漫々たる大海より取り入れる所から塩に結晶するまで、総て鈴木氏の新発明に係る機械のみを利用したもので、一つとして氏が特許を受けたものにあらぬはない。即ち製塩所は、氏の発明的頭脳を結晶したようなものである。

塩は人生の必要品として幾千年前から使用されているが、日本は勿論、物質的文明の最も発展した欧米に於いてさえも、その製法は自然的に放任されて未だ極めて幼稚なもので、何千年来殆んど改良を加えられていない。これは改良の必要がないからである。ドイツの山塩は、石炭を採掘すると同じく地下に埋伏せるものを掘り出すのである。米国その他の海水製塩は、天日を利用している。機械を応用して海水から製塩するがごとき必要もなければ、したがってまたそのような考案さえ浮かんだことがないであろう。

鈴木氏の製塩は、この平和な保守的な製塩界における破天荒の壮挙である。製塩が、初めて文明的の事業となったのである。世界一般に行われている製塩法に比べれば、たしかに数世紀進歩したものというを憚らぬ。

○  鈴木式製塩法は如何(いか)なる特長あるか

鈴木式製塩法は機械を用い、一方に海水を取り入れると共に他方には結晶した塩が出て来る。風力を利用する為に秋から春までが最も製塩に適しているが而もなお永続的で一か年中休止することがない。大機械を運転しても休日から生ずる損失がない。これに反して天日製塩はたいてい4,5か月、塩田製法にも夏の間の一定期間で、終年営業するものはない。

従来の製塩法には燃料が多く要る。百斤の塩に千二三百斤の石炭が要る。然るに鈴木氏では枝條の乾燥で海水を濃くし、煮詰めるときもボイラーの構造と蒸発の装置とが特殊のものであるから、燃料を要することが少なくして蒸発量が多い。現に百斤の塩を製造するには僅かに石炭二三百斤を要するに過ぎぬ。

製塩上最も困難なことは、海水中に含む硫酸石灰を巧妙に除くことである。鈴木式は巧にこれを分解除去する新設備を有し、且つ更に砂で濾過する故、製塩は純粋となり少しも夾雑物を混えない。分析の結果によると塩分が90%以上に当る。かくのごときは日本の塩に比類少ないものである。

労力も極めて少ない。最初から最後まで総て機械力により、人力は僅かにこれを補助するに過ぎぬ。

これらの特長は自ら製品をして純良ならしめ、価格をして低廉ならしむ。実験既に明らかにこれを示している。もし設備を大にしさえすれば、同所のみにて23億斤の精良品を廉価に生産することは易々たることである。

○  氏は何故(なぜ)大胆に40万円の試験費を投じたるか

聞けば、鈴木氏が製塩機械の発明を完成し機械を運転したのは明治40年10月であるが、なお不完全な点を発見し、昨年5月から更に研究工夫を重ね、本年1月以来更に多くの改良を加えて現在の設備となしたものである。過去の試験の為に費やした高40万円という。一事業のため40万円の試験費を投じたものが、我が日本にあるであろうか。富は氏を凌ぐものがある。而もその大胆と自信との氏のごときものが、果してあるであろうか。製塩所を実見したものは、その設備の壮大で殆んど試験というに当らぬに驚かぬものはない。

氏は投資の理由を説明して、こういっている。

仮の身をもとの主に貸し渡し 民安かれと願ふこの身ぞ
というのがある。これは翁の根本主義を説明したもので、翁則ち神という大抱負を示したものである。我々の到底及ぶ所ではない。また翁のお歌に、
世の中に人の捨てざるなきものを 拾ひ集めて民に与へん
というのがある。ある人は「捨てざるなきもの」というのが偉い。「捨てたるものを拾ふ」といえば、何人もするが、「捨てざるなきものを拾ふ」というのは、なかなかできがたいものであると言ったものがある。私はこれに倣うて、
世の中の人の捨てざるなき業を 開きはじめて国に報いん
と詠んだことがある。翁は「なきもの」といわれ、あらゆる事物に通じた意味を示されてあるが、私は「業」といい、事業だけの狭い意味にしたのである。世人の捨てない事業を開拓し改良して、些少なりとも国家に益したいという微意を現したものである。
 したがっていったん見込みをつけた事業に向かっては、40万円でも50万円でも必要に応じて投下することを厭わない。いやしくも国家のためになるべき事業であれば、資産はもちろん、借金してまでもやる覚悟である。その代わり、この事業で何のくらいの利益を得なければならぬとか、損をしてはならぬなどということを考えない。損得はまったくこれを別にし、事業にかかっては鉄砲玉のごとく邁進する。人は事業を計画するに、利益の割合ということを目安とする。私は、利益の有無を眼中に置かぬ。事業が成るか否やというのを主眼としているのである。』
 氏はこの決心をもって事業を経営している。40万円の試験費を投じたことは、決して故なきにあらぬ。しかし今や試験完成し、設備さえ加えれば、人の捨てざるなき製塩事業で国に報い得ることができるに至ったのである。僕はこれを事業家の信条として、世人にすすめたいと思う。」

(「実業之日本」明治明治42年4月15日号33-40頁 記者都倉義一氏)






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最終更新日  2025.11.13 05:40:13


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