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久しぶりに、お得情報です10月14日の「鉄道の日」に合わせて設定する普通列車の旅を満喫していただけるきっぷ「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ(3回分綴り)」@9,180円が平成19年10月14日までJR各駅で発売中ですご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますご利用期間:平成19年9月29日~平成19年10月14日全国のJR線の普通列車(快速・新快速は乗車可能)の普通車自由席が、乗り降り自由1人で3回分、または3人までのグループでご利用になれます。但し、3回分綴りは切り離し無効です毎年、春・夏・冬に発売される5回綴りの青春18きっぷの期間短縮・ミニ版とも言えます。単価(1回分)は、@3060円と少々高めですが‥。金券ショップでは、この未使用分が現在の相場約@9000円で販売されています。ネットオークションでも買えますが、残りが少ない2、1回分は1回分単価@3060円よりも随分と割高になっています。秋の爽やかなこの時期、ご都合があえば、お得なきっぷを利用して旅行するのはいかがでしょうか
2007/09/30
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「丸栄」と言えば、名古屋の老舗デパートですが、私は特にデパ地下が好きで、「八百一」という京都が本店の八百屋・果物屋さんが、贔屓です「八百一」は、JR名古屋高島屋のデパ地下にも出店しています。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします値段も手頃で新鮮で品質も良く、上手く選ぶと近所のスーパーより安かったりします先日丸栄のリニューアル工事で惣菜・パン売り場を移動して、、高級食品スーパー「成城石井」が新規参入してきました。今までに「成城石井」は何回か利用してきましたが、品揃えも輸入品や高級食材中心で、お値段がいいですね現在は新規オープン記念の特売セールを行っていますが、通常の値段になってからも売れるのかちょっと疑問です丸栄は、長年庶民派のデパートとして名古屋では人気があるのですが、最近は若者志向で1~3階はディスコ状態のギャル向きのショップが占拠し、高齢者・一般主婦向けの商品構成が少なくなってきているような‥やはり売り上げ増加の為でしょうか、富裕層の為に「成城石井」を参入させたのでしょう。今日ざっと見てきましたが、「八百一」や従来のお店はリーズナブルで買いたい商品が多いのですが、「成城石井」コーナーはどうも高級すぎて‥ケチなジジババや節約主婦より、富裕層をターゲットにする戦略は「松坂屋・大丸グループ」「三越・伊勢丹グループ」に対抗する為には仕方ないことなんでしょうか
2007/09/28
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長年地元のココストアとして親しまれた店が閉店し、今日「SHOP99」として新装オープンしました。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします生鮮食料品も扱う99円ショップの便利なことは知っていますが、ココストアの方が「店内調理(パン・お弁当)」もあって、更に各種サービス(宅急便・クロネコメール便)もよく利用していただけに、ちょっと残念コンビニがよく潰れたり、チェーンを変える例は少なくなく、「ココストア」→「ファミリーマート」または「ローソン」というケースはよくあるような気がします。「サークルKサンクス」は、地元ユニーの子会社だけに、圧倒的に数は多いです繁華街ではコンビニ同志が競合していても、今やポストの数ほど増殖したコンビニ間の競争は激しいようです。懸賞やキャンペーンで客寄せ・売り上げUPを目指しているようですが、ほとんどの客(特に男性)は最低必要限の小額な買い物しかしないよう‥。コンビニの懸賞は、10年以上前は見事によく当選していましたが、最近はネット上で懸賞情報等が売買されることも多く、なかなか当たらなくなってきました以前にも書いたのですが、コンビニはほとんど定価なので、レシート懸賞の際、買うものがなくて困りますお弁当や食料品でも滅多に割引・見切りしないのは、定価で買う人がいなくなるからかも無理に特に必要もない飲料やお菓子、文房具等を定価で買って応募しても、落選ばかりではとても悲しいですね
2007/09/26
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今日は、日帰りバスツアーでフリータイム清里高原に来ています。往復のバスのみ(観光・食事なし)ですから、ツアー料金は@3980円です渋滞なく到着して約5時間のフリータイムで、清泉寮で下車し、定番のソフトクリームを食べ、ランチバイキンク@1980円の後、清里駅の南にある萌木の村へ。今、帰路のバスに乗っています。(初出:2007/09/23 4:32:11PM)
2007/09/23
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山田昌さんと言うと、名古屋弁を駆使できる女優として有名で、全国区のドラマや映画等にも多数出演されています。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします元々愛知県常滑の出身(厳密には常滑は名古屋弁ではない)で、仕事で名古屋弁を使う必要があって、特訓の結果放送用名古屋弁山田流家元(自称)になったそうです。今年77歳を迎える彼女が久しぶりに「金とく(NHK名古屋放送局制作で東海北陸7県(愛知・岐阜・三重・静岡・福井・石川)を中心に放送されています)」のドラマに出演するというので、昨晩観ました。名古屋の老舗質屋の女将という役どころで、勿論全編名古屋弁まるで亡くなった祖母が生き返ったような饒舌な名古屋弁でしたNHK名古屋制作のドラマでは主役級の出演が多く、「名古屋嫁入り物語」シリーズではずっと姑役で舞台化された折には植木等さんと夫婦役を好演していました。昨年上期に放送されたNHK朝ドラ「純情きらり」↓にも、主人公の姉の元姑役として出演していました。ご主人であるアマチンこと天野鎮雄さんとオシドリ役者夫婦で、現在は夫婦で劇団「劇座」を主宰するほか、名古屋を中心にした役者活動をされています。お住まいは名古屋市千種区覚王山界隈で、犬の散歩の折にはきさくに近所の方々と話もされるという噂も‥最近は名古屋出身の芸能人がローカル番組にも出演するようになりましたが、名古屋を中心にして更に全国区のテレビや映画にも出演するというスタンスも山田さんらしいな~と思いますこれからも名古屋弁を駆使する稀有な存在の女優として、頑張っていただきたいものです
2007/09/22
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20日にリニューアルオープンした「ジャズドリーム長島(三重県桑名市)」に名古屋で根強い人気のある「カフェタナカ」が新規参入しました。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします「カフェタナカ」二代目のオーナーパティシエ(取締役)田中千尋さんのお話を6月に聴く機会がありました。目がくりっとした優しい印象の小柄な女性でしたが、ビジネスの話になると、経営者としての野望や意欲を秘めている方だと感じました。『1995年、「コーヒータナカ」を「カフェタナカ」にリニューアルする際、田中千尋さんは、名古屋ではまだ珍しかったオープンテラスを作った。イメージはもちろん、パリのカフェの姿だ。ふわふわしたケーキが苦手な男性客にも喜んでもらえるような、焼き菓子を出した。これまでの顧客を失わずに、父親が始めた「コーヒータナカ」は、徐々に娘の「カフェタナカ」に変わっていった。八丁味噌を練りこみ、名古屋土産としても有名になった焼き菓子「名古屋フィナンシェ」の生みの親でもある。(紹介記事より、抜粋・転載)』現在もオーナーである父と一緒に「カフェタナカ」を経営。お菓子の本場フランスで修行し、現在は本店でケーキ教室も主宰しています。既婚ということですので、ご主人は養子さんかも彼女の挑戦はJR名古屋高島屋への出店にとどまらず、今回は若者向けのアウトレットパークとして賑わう「ジャズドリーム長島(三重県桑名市)」に出店。とはいえ、大勢のスタッフ(パティシエ含む)もブレーンもしっかりしているようなので、経営者・製造責任者としてスタッフの管理・教育やメディアの取材や対外的な応対が彼女の主な仕事みたいです。スイーツは現在百花繚乱で激戦だと言われる中、「カフェタナカ」は出店箇所を厳選し、妥協を許さぬ新鮮さや高品質(価格も高いですが‥)でお客のニーズを上手く掴んでいる気がします。長島では若者に人気のジェラートを中心に展開している様子が、テレビでも紹介されました。こうして名古屋の喫茶店やカフェが新しい挑戦をしていくのは珍しいことではありませんが、これからも目が離せないお店の一つであることは確かです。
2007/09/20
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今晩「さらばベルリン(原題:The Good German)」の試写会に出掛けてきました。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますキャストは、主役ジェイクにジョージ・クルーニー、相手レーナ役に美貌のケイト・ブランシェット、更に「スパイダーマン」シリーズで人気のトビー・マグアイアが運転手役(意外にもワルの役どころ)を演じています。前編モノクロで、1940年代終戦直後のベルリンを彷彿とさせ、ニュース映像も時々挟まって、事件は主役二人を中心に展開していきます。謎はどんどん深まり、最後に明かされて結末を迎えます。モノクロというのも考えもので、字幕(白地で画面下方に書かれている)がとても観づらくて、セピアでもいいので多少色が付いている方が字幕が読みやすいと感じました。『あらすじ‥特派員のジェイクは、ポツダム会談の取材のために戦後のベルリンに帰ってきた。しかし、本当は愛しているレーナを探すためでもあった。かつて不倫関係にあったレーナは奇跡的に生存しており、数学者の夫はアメリカとロシアから追われ、行方不明だった。そして、まさにポツダム会談が始まるその時、ジェイクは銃殺された米軍兵士の死体を発見し、陰謀と不正と裏切りの渦に巻き込まれていく。(紹介サイトより、抜粋・転載)』最近よく試写会が当選し出掛けるのですが、金曜以外の平日夜は帰宅してから就寝までがとても慌しいです今日のように自分の出掛けにくい映画館(東宝シネマズベイシティ等)でのみ上映する作品はわざわざ交通費を使って夜に出掛けても観る価値があると思います。専業主婦である私の場合、たいていの映画は@千円以下で観られる工夫をしているので、出掛けたついでに昼間お金を払って観る方が疲れない(ゆったり座れる、開場前から並ぶ時間や労力の必要がない)し、交通費の節約にもなる気もします。
2007/09/19
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海外を格安・合理的・効率的に旅行する目的で、ツアーをよく利用しています。2人から出発する(現地添乗員がご案内)というのから、10数名以上の団体ツアーまで様々な商品がありますねご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします今回のドイツツアーは旦那の休みが無理をしても6日間という限られた日程(それ以上休むとリストラされる)の上、旅行の予算もかなり制限があるという状況で、格安な団体ツアーを探しました。結果的には、スケジュールはタイト(良く言えば、短い日程の割に内容が充実している)でしたが、リーズナブルで比較的満足のいく旅行をすることができました特に日本人用ツアーにつきものの免税店やお土産店に寄る余裕がほとんどなかったのが、幸いだった気がします。個人旅行の自由さ・厳しさも何回か体験した上でツアーに参加してみると、添乗員さんの存在は大きいと思わざるを得ません。今回はセントレア発着全ての行程に同行してくれたので、慣れない上海の乗り継ぎ等、事情に慣れた添乗員さんのお陰で、スムーズに通過することができました「添乗員=タダで旅行ができる」仕事と思ったら、大間違いお客様第一主義の接客業で、とても責任のある重労働だと思います。アクシデント(盗難・病気等)が起こらず、全員無事に旅行を終えて当たり前途中、何かお客の不満があったり、行程に変更が生じたりしたらそのクレーム処理係もしなければなりません。最近は正社員添乗員は少なくなり、ほとんどが所属する会社の嘱託社員か派遣社員。お客のアンケート等で評判が落ちると仕事が減るという競争社会。サービス精神は勿論のこと、自己犠牲の気持ちがないととてもやれないハードな仕事。以前私は現地添乗員しか付かない海外ツアーでは、他の客からの依頼で半分添乗員的なボランティア(通訳・現地との交渉等)をしていた機会がよくありました。今も旦那と夫婦だけの時は、専属添乗員をしていますが(笑)。でも、報酬をもらってする添乗員のお仕事はとても勤まりそうにありません
2007/09/17
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今日のお昼(試写会にしては珍しい時間 13:00~15:40)に「クミコシャンソンミニライブ付『エディット・ピアフ~愛の賛歌~』試写会」にペアで当選し、夫婦で出掛けてきました。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますクミコ(kumiko)さんというと、実力派シャンソン歌手として有名です。今回は、試写会の前に2曲(「愛の賛歌」・「水に流して」)を日本語で歌ってくれました【←クミコ meets ピアフ(CD)】流石にプロの歌手、歌い方も感情が上手く入っていて、聴き応えのあるものでした文字通りミニライブで、早くから並んで前から4列目センター席を陣取った割には、「あっ」という間に2曲のライブが終わってしまいました。。映画は、エディット・ピアフの人生を映画化したストーリーで主にフランスを舞台にしており、全編フランス語で更にBGMには有名なシャンソンがちりばめられており、私好みでした【La Vie En Rose/エディット・ピアフ】【愛の賛歌/エディット・ピアフ】【エディット・ピアフ/エディット・ピアフ(CD)】『フランスで公開時、わずか8週で動員500万人(フランス国民の10人に1人)の大ヒットを記録した感動の実話。“あなたの燃える手であたしを抱きしめて”名曲「愛の賛歌」の生みの親-エディット・ピアフ-愛に生きた世界の歌姫の、涙と喝采の物語。(紹介サイトより、抜粋・転載)』特に主役を演じたマリアン・コティヤールは、ハリウッド映画祭でブレイクスルー女優賞を受賞しており、ピアフになりきっている熱演でしたフランス映画には欠かせない存在のジェラール・ドパルデューも重要な役所をしっかりと固め、他の俳優達も個性的で迫力ある演技をしていました私は文化センターで少しシャンソンを含むポピュラーを原語で習っているので、レッスンで習った曲が次々と出てきて、とても親しみやすかったですシャンソンやフランスを好きな方には、是非おススメの映画です
2007/09/15
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「リューデスハイムとライン河クルーズ(画像)」の続きです。参照:「ただいま^^フランクフルト最終日(画像:08/28現地からのメール更新)」ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますライン河クルーズを下船し、向かったのはヴィスバーデンという高級温泉保養地。ヨーロッパの温泉(基本的に水着で入る:プール方式)には、カジノが付き物です。旦那は、無類のカジノ好きカジノ(クアハウス(Kurhaus) 内)はホテルに隣接しておらず、添乗員さんにもらった地図を片手に夜11時近くというのにホテルの周囲を右往左往。どうしても行き方がわからず、疲れ果てた私達はぐったり土地勘がないので、私は偶然居合わせた警察官に英語で場所を尋ねました。(英語のできない旦那は、いつもそうして現地の人に道を尋ねるのを非常に嫌がります) 【カジノ入口】なんとかカジノに到着しましたが、ジャケット着ていないので入場は。男性はジャケット着用が義務付けられています(レンタル:4.5ユーロ)。更にパスポートの提示が必要で、以前出掛けたオーストラリアのカジノとは大違いもう深夜で疲労困憊していたこともあって、50ユーロすったところで退場。豪華なカジノの雰囲気を味わっただけでも、良い経験になったことでしょう。 【カジノホール】内部は撮影禁止なので、ホールのみを撮りました。紳士淑女の社交場だけあって、建物(クアハウス(Kurhaus) はゴージャスでとても立派です『クアハウス(Kurhaus) ドイツで最もきらびやかな式典建築の一つ。ヴィースバーデンの社交、国際観光の中心。会議、コンサート、文化的催し物が催行される建物。旧クアハウス(1810年)に代わり1905~07年に建築家ティルシュにより建築(砂岩)。工費は600万ゴルトマルク。新擬古主義様式。カジノ(Spielbank) 1771年に営業開始。1810年にフランスでカジノが廃止され、そのためフランスのカジノ経営者が新たな活動の場を求めてドイツにやって来た。既に、バーデン・バーデン、バートホンブルクでカジノを経営していたChabert が1834年ヴィースバーデンにもカジノを開いた。1872年、帝国法によりカジノが禁止。1949年になり再開。年間約20万人が訪れている。(紹介サイトより、抜粋・転載)』 ↑宿泊ホテルは、☆☆☆☆☆ラディソンSASシュバルツァーボックで大満足ここならもう一泊したい位、快適なホテルでした最終日、フランクフルト市内観光へ。ガイドさんはおらず、添乗員さんが簡単なガイドをしてくれて、バスを下車し、旧市街へ。【レーマー広場】【大聖堂(外観及び内部)】レーマー広場、大聖堂を観光し、少しだけフリータイム。お土産を少し買って(ユーロ高で、何もかも高い)空港へ向かいました。『日本からのドイツの玄関口、またはヨーロッパの金融の中心地がフランクフルト アム マイン (Frankfurt am Main)です。フランクフルトの歴史は794年、カール大帝のもとに帝国議会が開催された事に始まります。1152年には赤髭帝フリードリッヒ・バルバロッサがフランクフルトにてドイツ王に選出されます。その後1806年まで計33回神聖ローマ帝国の王がフランクフルトで選出されます。1562年にはアーヘンに代わって戴冠式もこの地で行われるようになります。1240年に皇帝フリードリッヒ2世により、町は見本市開催の特権を得ます。その後14世紀には秋だけでなく春にも見本市が開催されるようになります。1372年にフランクフルトは帝国自由都市になります。その後すぐの1405年にレーマーが市庁舎として使われるようになります。16世紀に入り、町は商業都市として着実に発達していきます。1749年には、かのゲーテがこの地で生まれます。神聖ローマ帝国の崩壊後、1816~66年にかけて、フランクフルトはドイツ連邦の首都になります。1944年、第二次世界大戦により町は大きなダメージを受け、約半分が破壊されてしまいます。その後のドイツ連邦(旧西ドイツ)の首都決定の際はわずかな差でボンに負けますが、その後も金融の中心として現在に至っています。(紹介サイトより、抜粋・転載)』空港の「SUSHI BAR」で、暴利の稲荷寿司一個3・5ユーロ(約500円)を旦那がとうしても食べたいというので食べ、機内へ。ようやく激短3泊6日の上海経由のドイツ旅行は、終わりです。長らくご愛読いただき、ありがとうございましたm(__)m
2007/09/14
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今晩「夜の上海(このサイトで予告編が観られます)」の試写会に出掛けて来ました。先月ドイツ旅行の乗り継ぎの際、「夜の上海(画像:2007/08/31の日記)」を実際訪れていただけに、とても興味がありましたご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします日本・中国合作の映画で、主役も本木雅弘(カリスマヘアメイクアーティスト役)・ヴェッキー・チャオ(タクシーの運転手役)が、それぞれの言葉(日本語・中国語)で終始会話しています。簡単に意思疎通ができないからこそ、この映画が成り立つとも言えますが‥。変な日本人を竹中直人が演じており、コミカルな雰囲気を醸し出しています。↑(サントラ) TRAVEL WITH MUSIC~映画 夜の上海 サウンドトラック(CD)上海の夜景がとても綺麗に撮られている(もしかして深夜撮影ほとんど人民が写っていない)のは、やはり映画ならでは私が実際に遭遇した乞食や貧民達の存在は、画面からは排除され、上海の近代的で美しい部分のみが抽出されていると感じました。ストーリーは“旅恋”ラブストーリーですが、中国を舞台にしているだけに、カルチャーギャップを少しは感じることができます中国人は日本に比べて収入が少なくてもとても働き者で、男女の区別なく仕事に就いています。上海のデパートは、夜11時まで営業しているそうです。「日本人や欧米人は、お金持ち」というイメージは、映画のそこここで出てきます。また、現地の人々(ビジネス・ホテル等以外)はほとんど英語が理解できず、中国語ができないと意思疎通が難しいです。これを観て上海に憬れる観光客も増えると思いますが、私は数時間の滞在で懲りてしまいました
2007/09/12
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「ローテンブルク市内観光(画像)」 の続きです。参照:「ライン河クルーズの午後・画像(08/27現地からのメール更新)」【リューデスハイムのポスト】ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますローテンブルクを後にし、バスはライン河クルーズの乗船地リューデスハイムに到着。【リューデスハイム市内】バンド(何故かカントリーミュージック)付きのランチ後は、ツアーお決まりの「日本人用ワインお土産店」にてワインの試飲・買物。その後乗船時間まで少しフリータイムがあったので、リューデスハイム市内を散策しましたココは典型的な観光地で、乗船場近くから山側に続く狭い「つぐみ横丁」はレストランやお土産店・ワイン販売店がひしめきあい、観光客でとても混雑しています。お土産は余り買いませんでしたが、気になったお土産の写真をこっそり撮影してきました↓【お土産(天使・ワイン等)】ライン河クルーズは、「リューデスハイム~ザンクトゴア」までの約2時間を乗船しました。クルーズ全体はもっと長距離なのですが、私達が乗船したのは一番ハイライトの部分です【ライン河クルーズの船・乗船所・河沿いの街並み】「ライン河クルーズからの景観」の一部分は、ユネスコの世界遺産にも登録されています(↓の解説参照)。船内は屋外デッキと室内カフェ(冷暖房完備)に分かれており、私達は室内のカフェのテーブルに陣取り、ビール↓を飲みながらそこから湖畔の景色を楽しみました『「ライン川下り」の舞台、ドイツの西側を流れるライン川は、西ヨーロッパ最大の国際河川です。ライン川は「父なる川」ともいわれ、古くから多くの船が行き交い、ドイツの物資の流通の要となっていました。それ故に川の両岸には税を徴収するための関所、貴族が建てた城塞が数多く建てられました。 日本に一般的なツアーにおける「ライン川下り」ですと見所が最も多いとされる、リューデスハイム(Rüdesheim)とザンクト・ゴア(St.Goar)までのライン川下り(または川上り)が多いようです。またこのエリアは、ユネスコの世界遺産にも登録されています。(紹介サイトより、抜粋・転載)』ザンクト・ゴアで下船し、宿泊地である高級温泉保養地ヴィスバーデンに向かいます。
2007/09/10
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今日話題作「エレンディラerendira」を観てきました。ラッキーなことに、招待ペア葉書(当日座席指定券と交換)が当選し、11時から引換(開演:12:30)なので、朝9時から並んで2番目に引換できました最初の方に並んでいたのは、ほとんど試写会やイベント等の常連さん達。皆さん顔見知りみたいで、待ち時間に情報交換等で盛り上がっていました。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします座席は、1階12列の一番端っこ。S席定価@12000円×2枚のご招待ですから、文句は言えませんね‥。蜷川ワールドは初体験でしたが、主役の人気若手ミュージカル俳優中川晃教さん、美波さんのフレッシュなコンビ、更には蜷川作品に不可欠のベテラン嵯川哲朗さんの迫力にも圧倒されました。名古屋公演紹介サイトSTORY『南米のとある村の人々が集まる場所に翼の生えた瀕死の老人が運ばれてきた。彼は息も絶え絶えにある女性の名を呼ぶ…「エレンディラ」と。その瞬間、老人は空高く舞い上がり、美しい青年(中川)の姿に戻る。そして村人たちの見守る中、彼は自分の人生を狂わせた人々の話を始めた。冷酷な祖母(瑳川)に命令されるがまま、砂漠で体を売る美しい娼婦・エレンディラ(美波)の話を…。』 STAFF & CAST[演]蜷川幸雄 [原]ガルシア・マルケス [脚]坂手洋二 [音]マイケル・ナイマン [出]中川晃教、美波、品川徹、石井愃一、松下砂雅子、立石涼子、國村隼、嵯川哲朗ほか休憩30分を含む約4時間の長丁場でしたが、途中で飽きることもなく、独特の蜷川ワールドを存分に堪能できました並ぶ時間も入れて一日仕事でしたが、見応えのある演劇を観られてとても満足しています
2007/09/08
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「帝国自由都市・デュンケルスビュール(画像)」の続きです。参照:「ローテンブルクの休日・画像(08/26:現地からのメール更新」 【クリスマスマーケット】ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますローテンブルクのホテルに着いたら、がっかりすることがありました(>_
2007/09/07
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「華麗なるノイシュバンシュタイン城(画像)」の続きです。参照:「デュンケンスビュールの午後・画像(現地からのメール更新)」ロマンチック街道とヴェルニッツ川の出会うところに広がる、中世の防御設備に守られた帝国自由都市がディンケルスビュール。 【木組みの建物】ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします【教会と看板】【教会と銅像】見所(城壁内)は2キロ以内でとても狭いので、小一時間で観光をしました。余りツアーでは寄らない街なので、日本人観光客の数も少なく(笑)もう少し滞在したいな~と思えるような落ち着いた可愛い街です。【建物と看板】戦災に遭っていないので、中世から続く木組みの建物が多く、とてもドイツらしい趣があります看板はドイツ・オーストリア・スイスによく見られる装飾的なもので、元来店の仕事を象徴しています。こういう鉄道の便が悪く、ツアーでなければ周れないスポットにも寄ってくれるのが、パッケージツアーの良さかもしれませんね『ディンケルスビュールが初めて歴史書に登場するのは1188年で、「ディンケルスピューヘル要塞地」として言及されます。13世紀になると現存する、最古の防御設備が築かれます。14世紀になると織物業がディンケルスビュールの主要産業としておおいに発達し、15世紀末には聖ゲオルグ教会が建てられます。1632年(30年戦争の中)にディートリヒ・フォン・シュペロイト大公の率いるスウェーデン軍がディンケルスビュールを包囲します。当時カトリック系の議員で構成されていた市参事会は長い間降伏を決めかねており、業を煮やしたシュペロイト大公は町を略奪・焼き払おうとしました。が、塔の見張り番の娘ローラとディンケルスビュールの子供たちがシュペロイト大公に跪いて慈悲を請います。心を動かされたシュペロイト大公は子供たちの願いを受け入れ、町の略奪と破壊をあきらめます(現在はこの話は「キンダーツェッヒェ(Kinderzeche)」としてよく知られており、毎年夏にお祭りが開かれます)。しかしこの30年戦争以降、ディンケルスビュールは主要都市としての重要性を失います。その後、1826年にバイエルン王ルートヴィッヒ1世が町の防御設備の破壊を禁じ、さらに第2次世界大戦時には何ら被害を受けなかったことから、ディンケルスビュールは現在も中世の防御設備を残す町となっています。ディンケルスビュールはオリジナルのままの中世の町として、ローテンブルクと同様に人気のある観光地なのですが、交通の便が悪いことでも有名です(鉄道はありません)。(紹介サイトより、抜粋・転載)』ここを後にして、宿泊地のローテンブルクへ向かいます。<続く>
2007/09/05
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ドイツ到着の日(ツアー2日目)は、ミュンヘン郊外にある「ホリデイ・イン・ミュンヘン☆☆☆」↓に宿泊しました。ミュンヘンの旧市街からは随分離れていましたが、アメリカ系のホテルならではのゆったりした造りで、長旅の疲れを癒すには最適のホテルでしたご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします翌日25日は、ロマンチック街道の目玉・ノイシュバンシュタイン城へ参照:「ノイシュバンシュタイン城・画像(08/25現地からのメール更新)」【ノイシュバンシュタイン城fromマリエン橋】余談:10数年前にドイツを含むツアーに参加し、お城の観光へも出掛けました。そのツアーの参加者はほとんどが20~30代でしたから、現地ガイド(兼添乗員)さんと一緒にハイキングコースを徒歩で30分位かけてお城まで登りました。【マクシミリアン2世が建てたホーエンシュバンガウ城】ホーエンシュバンガウの麓(バスのやホテル等がある)からお城へは3つの行き方があります。(1)徒歩‥約40分(2)シャトルバス(2.5ユーロ位)‥約10分(マリエン橋で写真撮影の後、10分程徒歩でお城へ)(3)乗り合い馬車(5ユーロ位)‥約40分(2頭立てだが鈴なりに乗っているので、徒歩と時間的にあまり変わらない)【乗り合い馬車】今回は、ツアー参加者全員がミニバス(料金はツアー代金込)でお城に登ることになりました。マリエン橋近くの終点で降り、写真スポット・ペラート峡谷にかかるマリエン橋へ。お城へ入場するのは、全て完全予約制(当日でも、少人数なら購入可)のチケット(時間指定:バーコード付き)が必要です。手数料は掛かりますが、HPから予約もできます私達のツアーは10:50に予約してあったようなので、遅くとも10:40に入場ゲートでスタンバイしなければなりません。時間が来ると電光掲示板にチケットに書かれた数字が点灯し(銀行や役所の受付番号みたい)、その番号が書かれたグループは入場できます入場の際、携帯電話のようなオーディオガイド(各国語対応)を選択してそれを聴きながら各部屋を見学します(内部撮影は禁止)。外観は白亜のお城(ディズニーランドのお城のモデルになったと言われる)ですが、内部はキラキラのゴージャスな部屋が続きます。ルートビッヒ2世の趣味からか、ロココぽい装飾品も多数展示されています【ノイシュバンシュタイン城・正門】お城の観光を終え、麓まで歩いて降りてくるとランチの会場へ向かいます。ランチの前菜(スープ)とメイン(ドイツ風餃子:マウルタッシェン)の画像です。↑これに飲み物(各自)を頼み、デザート(アイスクリーム)が付きました。今回のドイツは水の良い所が多く、頼まなくてもテーブルに無料の水道水(ピッチャーに入れて)を置いてある場合がほとんどでした。午後は、デュンケンスビュールへ向かいます。<続く>
2007/09/04
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8/24「ヴィルツブルク市内観光(画像)」の次に向かったのが、ニュルンベルクです。参照:「ニュルンベルクの午後・画像(2007/08/24の現地からのメール更新)」この都市は、第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたにもかかわらず、住民の強い熱意でかつての姿に復興を遂げた街です。「カイザーブルク(神聖ローマ帝国皇帝の城館)」と一部の建物を除いては、中世の街並みが再現されているそうです。ご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いします ↑美しの泉(Schöner Brunnen)は、中世に流行したペストを封じる為の塔。金色は、ペストを禁じる意味があるそうです。 まずは、旧市街にあるランチのレストラン↑へ。窓辺に咲くお花がとても綺麗です 【ニュルンベルク・聖母教会】次に、中央広場に建つ聖母教会↑(外観)、広場に立つ市場(ココで少しフルーツを量り売りで買いました↓)を眺めて、観光の目玉「カイザーブルク」へ。 中央広場からさらに北へ進むと、丘の上に立つ古城、カイザーブルク(Kaiserburg)が見えてきます。1050~1571年の間、神聖ローマ帝国の全ての皇帝が一度は必ず住んだというお城。皇帝の住居部分、二重の礼拝堂、皇帝の井戸などが見学できます。 【カイザーブルク・時計台】このチケット売り場↓が、とっても可愛いのですよペンションみたいだと思いませんか「カイザーブルク」の内部見学の後、城壁からニュルンベルクの街並みを眺めました。この日の午後も好天に恵まれて、暑いくらいの陽気でした。とは言え、湿度が低いので、日陰に入るととても爽やかです【ニュルンベルク・看板】『ニュルンベルクはバイエルン州で2番目に大きい、人口50万の大都市です。ニュルンベルクは1050年に初めて文献上に登場する、歴史のある町です。12世紀になるとカイザーブルクの建設が始まり、13世紀には帝国直属都市となります。15世紀になるとデュラー等の活躍もあり、ニュルンベルクの文化は隆盛を極めます。しかし16世紀になると第2次辺境伯戦争、17世紀の30年戦争の影響に町は衰退し始めます。近世では工業都市へと発展していきます。ニュルンベルクとフュルトの間に、ドイツ初めての鉄道が開設されました。しかしその反面、ナチ党の第一回党大会、またユダヤ人を完全排除する「ニュルンベルク法」といった、暗黒の面もありました。このこともあり第2次世界大戦では空襲により町は徹底的に破壊されてしまいます。またナチ戦争責任者に対する「ニュルンベルク裁判」がここで行われました。大戦後、ニュルンベルクの町は中世の町並みが復元されました。現在ニュルンベルクは「クリスマスマーケット」でよく知られています。(紹介サイトより、抜粋・転載)』
2007/09/03
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8/24に現地からメール更新しましたが、フランクフルトに早朝到着するとスタンバイしていた観光バスに乗って、一路ロマンチック街道の起点・ヴィルツブルクに向けて走り出しました。狭い機内でろくに睡眠を取れなかった身としては辛いものがありましたが、ドイツの美しい街並みを見るにつけ、徐々に「ヨーロッパへ帰って来たんだ~」という喜びがこみ上げて来ましたご訪問、ありがとうございます残念なことに、順位は随分と凋落気味↓ご訪問の記念に、是非ポチっとクリックで応援をお願いしますドイツと言うと「ライン川クルーズ」で「ライン川」が有名ですが、「マイン川」の方がドイツ各都市を流れる川としてメジャーです。【ヴィルツブルク・マイン川河畔】バスを降りて、マイン川沿いに歩き、旧市街に入る大きな橋を渡ります。【ヴィルツブルク・マイン川に架かる橋】橋はプラハのカレル橋とちょっと雰囲気が似ていて、橋の両側には銅像が何メートル置きかに配されていて、見応えがあります。プラハのように首都でもなく中心部ではないので、さほど混んではいません。【ヴィルツブルク・マイン川に架かる橋(銅像)】【ヴィルツブルク・マイン川に架かる橋(銅像と城)】橋を渡ると、旧市街に入ります。↑時計台のほか、街の中心「聖キリアン大聖堂」「レジデンツ(宮殿)」等がありますが、「レジデンツ(宮殿)」は内部は撮影禁止なので、写真はありません。【ヴィルツブルク・レジデンツから市街を望む】【ヴィルツブルク・市街の中心部】【ヴィルツブルク・聖キリシアン大聖堂】参考:『ヴュルツブルクはマイン川の両岸に広がる、面積88平方キロメートル、人口13万人のドイツの古都です。ヴュルツブルク市の歴史は古く、紀元前1000年頃にケルト人が避難用要塞を建築したことまでさかのぼれます。2004年はなんと1300周年でした。8世紀から司教座がおかれ、権勢をふるった歴代領主司教のもと町は発展してきました。現在はバイエルン州ウンターフランケン(Unterfranken)行政区域の首都となっています。またドイツロマンチック街道の起点として、さらにはおいしいフランケンワインの里とて知られています。日本とのつながりも深く、鎖国時代に長崎の出島で活躍した医師シーボルトは、1796年にこの地に生まれ、大学で医学を学んだ後に日本に赴任しています。この地で生まれた詩人マクス・ダウテンダイ(1867年~1918年)の名作「琵琶湖八景(Die acht Gesichter am Biwasee)の縁もあって、滋賀県大津市と姉妹都市の関係を結んでいます。またこの町で忘れてならない人物が1895年にヴュルツブルク大学にてX線を発見し、第1回ノーベル物理学賞を受賞したレントゲンがいます(ドイツ人はみんなX線のことをレントゲン線といいます)。(紹介サイトより、抜粋・転載)』午後は、ニュルンベルクに向かいます。<続く>
2007/09/01
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