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2023.08.08
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
前回は愛知県から三重県に移り、楠神社まで訪れました、今回はそこから東の田んぼの中に鎮座する八剱神社を掲載します。

ここでも最初にお伝えしておくこととして、八剱神社周辺に路上駐車できる余地はありません。
社頭の前まで細い道がありますがその先は行き止まり、路肩に僅かなスペースはありますが、転回は軽でも厄介、出来なければバックで戻る事になります。
カルチャービレッジ輪中ドーム駐車場に車を停め、楠神社を経由し10分程東に歩き八剱神社に向かう事を勧めます。
今回当地を訪れ感じた事ですが、折り畳み自転車を積んで回るのが一番いいかもしれない。

神社北側の農道から社地全景。
一面田んぼの中に、濃い緑の杜を持つ社地は南北に長く、南側に鳥居を構えています。
鳥居側の農道、鳥居に続く道に駐車余地は全くありません、唯一余地があったのは杜の東側のみです。

八剱神社の鎮座地は赤のマーカー部分になります。
所在地は三重県桑名市長島町中川、明治の頃と比較して農地には碁盤の目のように農道が張り巡らされています。

南側の社頭から見る社地全景。
田んぼの中に幟旗がはためく姿は日本の原風景を見るようだろう。
参道には石の神明鳥居が立ち、その先に一対の常夜灯があります。

一ノ鳥居。

車は路肩の草むらに停めさせていただきました。

社頭。
ニノ鳥居も神明造、鳥居右に村社八剱神社の社標(寄進年未確認)。
境内右に八剱神社の由緒と左に手水舎があります。

由緒の内容は以下。
「中川 八剱神社
当社は1553(天文22)年に創建され、翌1554(天文23)年に熱田神宮の別宮である八剱宮の祭神・熱田大神(神体・草薙神劔)が勧請されました。
長島に5社ある八剱神社のうちで最も古い八剱神社です。
伊勢神宮・内宮を総本社とする神明神社でなく、熱田神宮ゆかりの八剱神社が勧請されたことは、このあたりが当時、伊勢国より尾張国の文化の影響を強く受けていたことを表しています。
木曽川の外、「甚平兵山」と称された島にあったとされますが、その詳しい位置は定かでありません。
神主は八幡神社(西外面)の神主が兼務したとされ、その後も八幡神社の神主が代々兼務したと考えられます。
江戸時代には伊藤氏が、明治時代以降は諸戸氏がこれを務めています。
長島一向一揆の頃、外島対馬外記という浪人が阿部氏から社を預っていましたが、病死したとされています。
その住所は「神田」の字で二町歩余の社領地となっていたと伝えられています(位置は不明)。
社は兵乱と洪水で荒廃してしまいました。
1586(天正14)年に発生した天正地震は、長島城の天守を倒壊させるなど長島にも甚大な被害を及ぼしましたので、その被害を受けた可能性もあります。
1589(天正17)年、中川、東川(現・小島)、捶(現・聞々)、殿名の四ヶ村の人々が、現在地に設けた新たな社地に遷宮して再興し、産土神として崇敬しました。

時代が下るとともに長島の開発は進み、各村の人口も増加、経済力も向上しましたので1651(慶安4)年には殿名村が分祀して殿名新田に社を造営し、東殿名村とともにその氏子となりました。
1697(元禄10年の記録によると、当時の氏子は中川、小島、間々、三ツ屋(現・押付)の四ヶ村とされています。
その後、1766(明和3)年には間々村が、1793(寛政5)年の遷宮に際して小島村が、1813(文化10)年には押付がそれぞれ分祀して各村に社を造営し、その氏子となりました。

1859(安政6)年には三百年祭が行われ、神主・伊藤筑前正重曉が詠歌「草なきてむれいするよりみももとせ いつきまつれる八剱のみや」を残しました。
1880(明治13年には村社に列せられました。

中川の寺田下(位置は不明)には天照大神を祭神とする神明神社(由緒不明)がありましたが、1907(明治40年に当社に合祀されました。
本殿の中には木製で金色の狛犬が置かれています。
吽形の狛犬の足に、行方不明者の住所、氏名を紙に書いて結びつけておくと、その行方不明者を足止めし、発見できるという言い伝えがあります。

当社では毎年、以下の祭事が執り行われています。
一月・新年祭(初湯) 、五月・農上祭(農上) 、九月・小祭、御礼祭 、十月大祭、十一月·新首禁」

事前の下調べで八剱神社が多いことに気付いていましたが、1553(天文22)年の創建以降、農地の広がりと集落の広がりに応じ、この神社から次々に分祀されていったようです。
この由緒書きは初めて訪れた者にも分かりやすく、細かく記されています。

創建当時の木曽三川は明治頃の川筋の比ではなく、島々が点在する様相だったことでしょう。
上は桑名市の蟠龍櫓(水門統合管理所)にある治水の歴史。
宝暦の治水、明治の治水に伴い三川の流れの変化が一目でわかります。
この地は治水と新田開発の歴史の場で、古くから自然と人の鬩ぎあいの最前線として先人の志により今がある。

素朴な手水舎。
手水鉢の寄進年を探して見ましたがよく分からなかった。
境内、社頭の農道には敷き詰めたように小さな椎の実(自信なし)が落ちており、踏みしめると玉砂利を踏みしめたような音がします。
これらが椎の実であれば、米が不作の時など貴重な食料として重宝したのかも知れない。

参道から社殿の眺め。
常夜灯の先で一対の狛犬が社殿を守護しています。

狛犬。


拝殿は切妻瓦葺で額はない。右側から本殿方向へ。

角の取れた石が積み上げ、更に岩を組み、そこに切妻瓦葺の覆殿が建てられています。
石段正面に立つと覆殿は見上げる位置にあります。
山のようなこの高さが必要な土地柄なのが伝わってきます。

覆殿内の本殿。


一ノ鳥居から南方向の稲田の眺め。

社頭から東の眺め、集落や豊かな稲田を護っている最前線が延々と続く堤。

以前は100年に一度の大雨とか言われていたが、昨今の事象はそれを上回る異常なもの、いま目にする事象に備え、後世に繋げるのが今を取り仕切っている、世襲で成り上がった権力者のすべきことだろうが、上様は絵空事は語れるが、具体策を語れないからさっぱり読めない。

八剱神社
創建 / 1553年(天文22)
祭神 / 熱田大神、天照大神
所在地 / 三重県桑名市長島町中川258
楠神社から車移動 / 東に5分
カルチャービレッジ輪中ドーム駐車場から楠神社経由徒歩 /  15分程
関連記事 / 
・​ 楠神社​
七里の渡し跡と蟠龍櫓 ​(水門統合管理所)
・​ 船頭平閘門と国営木曽三川公園船頭平河川公園





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Last updated  2023.08.08 00:00:16
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