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昨日、「ゲド戦記」を観て来ました。棚ぼたというか、わらしべ長者というか、チケットののキャンセルが発生していけることになったんです。前日まで、何を観るのか私も行けるのかまったく知らなかったし、当日も「ゲド戦記」の初日だってことさえ知りませんでした。夏休みやし土曜やから人も多いし親子連れも多いな~!なんて暢気に思っていました。どんな内容なのかもまったく知らずただ、ジブリの作品なのでワクワク感は高かったです。戦記という題名ですが、激しい戦いの場面などなく人の心の中の戦い、闇と光の戦いが主題だと思いました。登場人物の言葉に素晴らしい物が多く、ぐいぐい引き込まれてしまいます。最初画面にことばは沈黙に光は闇に生は死の中にこそあるものなれ飛翔せるタカの虚空にこそ輝ける如くにと出てきます。この詩の重み、深さがハートに響きます。思わずこの言葉でもう、涙がにじみ出ます。いいかい、生まれ変わるためには、人は死ななきゃならないんだ。しかし、それは、別の見方をもってすれば、さほど、むずかしいことではない過去を否定することは、未来も否定することだ。人は自分で自分の運命を決めるわけにはいかない。受け入れるか、拒否するかのどちらかだ。知性があるのなら、あるように行動しなければ。選択が許されているのなら、それなりの責任を持って行動しなければ。この映画を観ている人の年齢や性別、それぞれの思いの持ち方で、違った見方が出来ると思いますが、私には、じ~んときました。原作とは、随分違うそうですが魔法使い大好き!龍が大好き!岡田君の声が聞けた!私的には、充分心が楽しめました。涙も結構出て、脳内リセットも出来たように思います。一緒に行ってくださった方々、お誘いくださったMAAYAさま本当に深謝です!。
2006年07月30日
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旅の始めに泊まったマラケシュのリヤドがとても気に入った私達は、移動ばかりで疲れてもいたし最終日のカサブランカ泊を取りやめマラケシュに連泊することにした。旅の連泊は、本当にうれしい!てっきり同じリヤドへ泊まれるものだと思っていた私達だったが、3軒ほど先の新しいリヤドへ案内された。先に泊まったリヤドより小さめのここに泊まるのは、なんと!私達だけだった。このリヤドには、中庭の一角にプールがあった。塩素臭いのととても疲れてたのと、なんとラクダに3時間近く乗ったせいでお尻の皮がむけてひりひり状態になり、結局入ることはなかった。一皮むけていい女!そんなこと誰も言ってはくれない。このプールを2階の部屋から眺め降ろすだけで、涼しいような感じがしてくるから不思議だ。せっかく水着を持って来たのに~。この旅では、1度も使わなかった!!夜のマラケシュは、とても涼しかった。ヨセフさんに聞くと私達が初めて来たときと、さほど気温の変化はないそうだ。あれほどの暑さの砂漠地帯でしばらく過ごしていたから私達の体感温度が狂ってしまったのかもしれない。土曜の夜と言うこともあってか、メディナの中心フナ広場は人々でごった返していた。この広場には、オレンジ売りの屋台や食べ物屋の屋台から日本では決して見ることの出来ない蛇使いや火を吹く人。それにヘナを手に描く人、占い、地べたに布を広げた上に何か怪しげなものを売っている人やこじきなど様々な店と人々で迷子になりそうだった。暗い夜空に屋台の灯りや火を噴く人の火がとても鮮やかで幻想的だった。夜のマラケシュの涼しさと旅の疲れで早朝3時半のモスクから聞こえるお祈りにも目を覚まさず、ぐっすりと眠ることが出来た。朝食は、とってもおいしいフレッシュオレンジジュースとクロワッサン(モロッコでクロワッサンが食べられたのはここだけ。)自家製ヨーグルトとお茶の簡単な朝食をいただいて、いよいよメディナの観光に出発。昨夜のお祭りのような喧騒とした様子と違って朝のフナ広場では、働く人々とロバや馬車が仕事をしていた。瀬戸物スーク通ると、あるお店ではとてもカラフルな可愛いお皿やサラダボールに日本のようにきちんと値札があった。モロッコに来てこんな風に値札のある店は、初めてだ!買いたかった!でも、砂漠の砂もあるし、荷物のことを考え躊躇してしまった。買っておけばよかったな~と後で後悔。バヒヤ宮殿では、中庭の緑とアラブ模様のタイルや漆くいを見事に彫刻した建物内部が素晴らしかった。アラブの建物は、タイル・大理石・漆くいがセットだそうだ。天井も日本の神社のようにみごとな細密画が描かれていたのにも驚いた。ここには、かつて4人のお妃と24人の側室が住んでいたそうだ。王様は、皆を平等に愛していた。とガイドのヨセフさんは言ったけどそんなん、無理に決まってるとヨセフさんに分からないように顔を見合わせ小声で肯きあった。ここの中庭に来たとき、あ~ここもパワースポットだと思った。パワースポットのチベット・ポタラ宮広場と同じ波動をここの中庭は持っていた。とにかく美しい宮殿だった。ベン・ユーセフ・マドラサは、1956年まで神学校と使用されていた建物だった。建物の中庭は大理石がしきつめられ中央の水盤はお祈りをする前に手や足などを清めた場所だそうだ。(イスラム教もモスクへお祈りをするとき、必ず手や足を清めるそうだ。)回廊が周囲に巡らされここの建物も漆くいと木にそれはそれは見事な細かい彫刻がされていた。2階は、学生の寄宿舎だった小部屋が130以上も並んでいる。この小さな小部屋を見ていると、イスラム教徒に攻められ地中深く埋まっていたインドの仏教の遺跡ナランダー大学を思い出した。ここと同じように石で出来たベッドと小さく仕切られた部屋。なんとなく共通点がある。学ぶ物こそ違っても、そこで勉強した学生達には同じような思いがあったのではないんだろうか?次に訪れた博物館では、お腹もすいてきたし足も疲れてきてもうどうでもいいような気分だった。ここで残っているのは、モロッコの絨毯とアフガニスタンのものととてもよく似ていること。ラクダも一こぶラクダでいっしょだな~。それと100年前のマラケシュが今のマラケシュとあまり変化がないことだった。次は、迷路のようなスークを案内してもらう。職種によって同じような店が立ち並んでいるスークは、とても活気があった。gさんはそれに負けると言っていた。鍋の穴を修理する所や古タイヤから額縁や椅子を作るところ銀製品に彫刻をするところなど職人の地域とそれを売る地域は分かれていてまだ、小学生くらいの子供達もここでは、立派な働き手のようだ。日本では、鍋に穴が開いたら簡単に捨ててしまうし、ほとんどの人は穴が開くほど鍋を使うこともないと思う!本当に物を大切にする国だと思った。日本は、お金を持っていて、モロッコは貧しいからと言う理由だけでは、納得できないものを感じてしまう。私達の国、日本は何かおかしい。大切な何か忘れてしまったようだ。お店の地域でも靴とか薬とか革製品との品種によって店が固まって並んでいる。ここでは、客引きが大声で「安いよ。安いよ!」と叫んでいる。「要らない。」と首を振ると「貧乏ね~。」と。ここで、香油とヘナとバブーシュといモロッコ風スリッパと荷作用のぷつぷつパッキンを買った。モロッコ風スリッパは、私が欲しかったものだか最後の値段交渉はgさんにお願いした。本当に心強い旅の友だ。
2006年07月26日
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昼食に私達が立ち寄ったのは、ワルザザートの小ぎれいなレストランだった。階段を登って、高い天井とアラブ柄のタイルの床のちょっと豪華なゆったりとした、まるでアラブのお金持ち(実態は知らないのであくまでも妄想です。)がくつろぐような部屋へ案内された。もちろんここにもエアコンはないが、くつろぎやすく、風が通り抜けると外の暑さを忘れることが出来た。ここでも、料理はおいしそうだったが、気分が悪かったのと二人ともあまり食べていないので、胃が小さくなって食欲はなかった。(結局モロッコ料理で有名なクスクスは一度も食べなかった!ちょっと残念だ。)私達二人の足元にどこからかロシアンブルーがやってきて、すりすりをしてくれた。そしてシシカバブーのお肉の食べ助けをしてくれた。日本では、高価な猫だからこんな風にさわれることはめったにないんだけど・・・。猫はねこ。どの子もかわいい!満腹になったねこにヒーリングをするとじーっと目をつぶり気持ちよさそうにしていた。家で留守番している3匹の猫とおんなじ。気持ちいいんだろうな~!ここワルザザートは、世界中からロケ地として注目している映画の町で映画スタジオもある。「シェルダリング・スカイ」「アラビアのロレンス」「ハムナプトラ2」もこの近くで撮影されている。今は、ホテルになっている「ハムナプトラ2」の撮影現場を訪れたときにはちょっと元気が出て来た!「ハムナプトラ2」は、結構好きな映画だったから。エジプトが舞台だったけれど、モロッコで撮影してたんですね。ホテルの中へは、入らず外からの記念写真だったけど満足しました。ハイ。車は、一路マラケシュへ。私は後部座席でうとうと状態。車が止まったのは、オート・アトラス山脈の峠にある行きにも立ち寄った石屋さんだった。gさんが、アメジストの原石を買うためだった。行きのときほどの元気のない私は、椅子に座ってぼ~っとしていた。高さが50cmぐらいで抱えるほどの大きさの原石は日本で買うよりは、安くいい石だと思った。厳重にパッキングをしてもらって、車に乗る。またうとうと・・・。次に目が覚めたのは、マラケシュのメディナの中だった。夕方のメディナは、人やロバや、ごちゃごは状態だった。細い道を車や馬車や荷車を引いたロバが行き来をしていて履行がすごく大変で立ち往生したり、バックしたり、これで事故がおきないのが不思議なぐらいだ。死んだように眠っていて、気が付くと大勢の人に囲まれ私達の様子を覗き込む。こんなことが、ずーっと昔に経験したようなそんな風景だった。ふっと、場面がトリップしてしまう。そんなこともあったんだろうな~??結局、細い道が混雑状態で私達の泊まるリヤドまで車で行くことはできなかった。このエネルギッシュな人の波の中を歩いていくと、いろんな物が売られてるのがよ~く分かった。ここでは、まだ、ガムや飴を1個ずつ売っているし、(箱入りは、高くて買えないのだと思う)生きた亀や縁日の輪投げの景品のようなおもちゃや古着なんかもあった。日本のように小ぎれいな物は少なかった。でも、町を歩く人々は楽しそうだった。
2006年07月24日
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トドラ渓谷はその名のお通り道の両側に切り立った岩壁がそそり立っている。この渓谷へ入ったとたん、さっきまでの暑かった空気がひんやりとしている。エアコンなしで車の窓を開けていても充分涼しい。この渓谷は200mを越す高さのがあり、見上げると首が痛いほどだ。そそり立つ高い岩肌の間から青空が天井のように見える。そしてこの高い岩壁でロッククライミングを練習する為にわざわざヨーロッパからロッククライマーもやってくるという。渓谷の奥に向って右側が広い川原になっていてそこを細い川が流れている。きっと今が、雨の少ない時期だから川の流れも少ないのだろう。この渓谷には、観光に来ているのか近くの村から涼を求めてに来ているのかトラックや車で来ている人も多かった。そして上流へ向うにつれ遊牧民が羊や山羊やロバに水を与えていた。写真を撮りたかったが、にらみつけるように立っている遊牧民の女性にカメラを向ける勇気は無かった。渓谷の一番奥にあるのが今日私達が泊まるホテルだった。ホテルは、川向こうの崖の下のわずかな土地にへばりつくように建っていた。さすがにここは涼しい。午前中の暑さが嘘のようだ。私達の車は、道から川原へと下り川の中の水の中ををジャブジャブと渡ってホテルに到着。川の水の多いときはどうするのだろう??だって、こんな渓谷を作るには相当の水の流れが必要だと思ったから。電気は、この渓谷までは通っていなかった。私達の泊まったホテルでは自家発電があったが、なんと電気がつくのが6時から12時までだった。1階の私の部屋は涼しかったけれど、窓の蔦が絡み付いていてとても暗かった。トイレなどはろうそくを灯さなければならないほでとても不便だった。(日本のようにどんな田舎でも電気水道ガスがあるって!世界の多くの国々のなかでも、すごいことなんだ!!)でも、ホテルのボーイさんも親切だったし、部屋も小ぎれいに整えられ暗い意外は何の不足もなかった。まず。到着後シャワーを!(海外に行くとバスタブのないホテルも多いんです。モロッコで、バスタブがあったのは1箇所だけでした。)お湯も出て気持ちよくろうそくの光でシャワーを浴びた。そこまではよかったんだけれど・・・・。いくら詮を回しても水が止まらない!!ジャージャーと水は流れ続ける。どうしよう~!ちょっとあせる。とにかく着替えて、ロビーに走った。ボーイさんも四苦八苦してやっと、水を止めることが出来た。なんと、gさんもシャワーが止まらずボーイさんを呼んだそうだ。こんなことが二人に同じような時間に起こるのはどうしてだろう??きっと意味があるに違いない。今は、その訳がは分からなかった。ホテルの前で私達は待ち合わせて、渓谷の奥へ行くことになっていた。向こうの道路へ行くにはまず、川を横切ら無ければ行けない。私達が選んだのは今の川の源になっているところの近くだった。やはり水は冷たく足に気持ち良かった。しかし、いくら水源近くといってもその水を飲む気にはなれなかった。川原から道路へ登って先へ進んでいくと、崖の左側に屋台だけの土産物やが何件か続いている。さらに進んでいくと岩壁は終わって、次の村へと向う山道になっている。川を渡ったころから、だんだん頭が痛くなり気分も悪くなってきた。私の波長とこの渓谷と合わないのか?過去ここと同じような波動を持っている場所で辛い体験をしたのか?とにかく急に体調が悪くなってきた。先へ行っても仕方がないのと気分の悪さに岩壁が終わったところでしばらく休んだ。そこで、今回gさんとなぜ旅をしたのかと言うことを考えて見た。ビジョンで浮かんできたのは、私達二人は、西遊記の孫悟空や猪八戒達のように偉い聖者の弟子として小さな子どもころから3人で旅をしていた姿だった。苦しく険しい道を聖者に従って旅を続けていた。幼いころからず~っと一緒だった私達二人は、共に助け合い仲良く、励ましあって生きていた。あるときこの崖のようなとても険しい道で過去生のgさんが足を踏み外して転げ落ち、首の骨を折って死んでしまう。私は、嘆き悲しみながら彼を埋葬する。そして、彼が神と誓ったことを代わりにやり遂げた。そんなビジョンだった。それをgさんに話すと同じ場面、崖から落ちて首の骨を折って死ぬ場面が浮かんだそうだ。そのときの聖者は、私の知っている人だった。gさんは、その人の写真を雑誌などで見るととても嫌な気分がしたそうだ。(ちなみに浮かんだ過去世で、gさんが亡くなったとき振り返らず聖者は先へ行ってしまった。)部屋へ戻って少し休んだが、気分は悪くむかむかと吐き気のようなものも催してくる。川岸のレストランで遅い夕食をとり始めると、また吐き気が襲って来て、gさんとヨセフさんにはちょっと悪かったけれど部屋に帰って休むことにした。まず、お腹が痛くなって・・・・下痢に。トイレへ走る。しばらくすると先ほどの吐き気が波のように襲ってきてトイレへ。まるで、シンガポールのマーライオンの水のように勢いよく一気に吐いてしまった。吐いたとき、特有の喉の痛さやすっぱいような後味の悪さもまったく無く、噴水のように・・・。この後3時ぐらいまで、トイレとベッドとを繰り返す。とても気分は悪く、「大丈夫かな~?こんな状態だったらあの長時間の飛行機に耐えられるだろうか?」ちょっと不安がよぎる。「でも、ここでこんな風になるのは絶対に意味があるし、必要なことだから。なんとかなる!大丈夫。大丈夫!」と言い聞かせているといつの間にか眠ってしまった。朝、頭がふらふらして顔色も悪いのが自分でも分かった。今日は、このままマラケシュに戻るだけだから、何とかなるだろう。それに来た道を引き返すだけだから、別に景色もいいや~。車の中で眠っていよう。昨日まで、gさんが横になっていた後ろの場所に私は乗り込みすぐに横になった。今までずっと気分の悪かったgさんは、私と交代したかのように元気になっていた。
2006年07月23日
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昼食を食べに向う車の中で先ほど買ったラブラドライトのピアスのことを思うと。「これで龍の目が揃った。」とメッセージが・・・。う~んそうかー。すーっと龍が私と一緒にいて今は、随分小さくなっているそうだ。この龍は、私の夢の中やマイケルのリトリートのエクササイズに表れるようになって、その存在を初めて知ることが出来た。まさか~!私と一緒に龍がいつもいるなんて!びっくり仰天!だから、マイケルに言われた2003年まで、その存在を意識したことは全く無かった。私の龍が面白いのは、私の精神状態によって青になったり、赤だったり、白だったりすること。その子にちゃ~んとした目が来たってことなんだ!これからどうなるのかちょっと楽しみ!町の食堂??地元の店?に着くとヨセフさんは、私達のオーダーを済ましすぐに車で地元のモスクへ正午のお祈りへ向った。ここは、タジンのとてもおいしいお店だそうだが、「また、タジンか!」と思ってしまう。運転手さんはすぐ帰って来て、店の奥で食事を!同じイスラム教徒でも、個人差があり、へ~っ??でも、それでいいんだと思う。それぞれの信じるところを強制でなく自由に実行していけばいいんだから。みんな食べ終わって(私達は、ほとんど食べれず・・・。)いざ出発!運転手さんが、ドアを開けると荷物が飛び出してきて道路へ落ちてしまった。その荷物は、ザゴラで私が買った陶器だった!!ザゴラで簡単な包装をされたこの陶器は、移動中私の足元にあった。そして、油断すると車の動きと共にごろごろしがちな陶器を私は、足やリュックや他の荷物で動かないようにといつも気をつけていた。なんとそれが、ガチャーン!!と!その場ですぐに開けてみると、小さいほうのボールだけが残り、後の物は全て割れてしまった。ちょっとショック!現象としては、運転手さんが割ったんだけれど、誰にだってその可能性はあったし、必然しか起こらないのだからきっと意味のあることだと思った。運転手さんも謝ってくれたし、私も諦め、起こった状況を受け入れることにした。ちょっとしょんぼり沈んでいた運転手さんも「しかたないです。いいですよ~。」と伝えてもらう。彼のいい所だと思うけど、すぐに何もなかったかのように元気になっていた。(gさんが言うには、最初彼は目に涙を浮かべていたそうだ。)後で運転手さんのことを今だけに生きている人なんだな~と二人で話し合った。ザゴラで買った陶器は、きっと持って帰る必要の無いものだったのだと思った。重い荷物→重荷の解放?それと人が亡くなったとき、その人が普段使っていたお茶碗を割る習慣があるように、私のもう要らない物で手放せなかった何かをここで捨てることが出来た。そんな風にも思えた。車を進めて行くと草もまばらながら生えていて風景が少しずつ変化して行く。すると突然目の前をラクダを連れた遊牧民のおじさんとが現れた。本当に驚いた!うとうと状態だったし、ラクダの放牧??本当にラクダ?そんな気持ちだった。20頭ほどのラクダを連れているおじさんにカメラを向けるとにっこり笑ってくれた。お礼に10ディナール渡すと、「なんだ!これぽっちか!」とわめいていた。(これは、はい、表情だけではっきりとわかりました。モロッコでは、写真を撮ったら必ずお礼をしなければいけないそうです。所変われば習慣もまったく違います。受け入れることですね~。はい。)途中緑と赤い土レンガのコントトラストの美しいティネリールのオアシスを眺めトドラ渓谷へ到着した。
2006年07月18日
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日の出を見ることは出来なかったが、裸足で冷たい砂の感覚を直接感じるのがとても心地良かった。もちろんここもサハラ砂漠。同じ砂漠でも昨日のマアミドに比べ砂の色がもっと赤い!粒はどちらも本当に細かくてさらさらしてそのまま砂時計に入れても充分使えそうだった。部屋に帰って朝食までの時間を少し休む。しかし、今日も次の場所へ移動だ!毎日移動の旅ってホント大変!しかし、日程や移動範囲を考えるとこれも仕方がないんだけれど。途中に連泊があると荷物を毎日作らなくてもいいし~洗濯なんかもできて、ちょっと心にゆとりが出来る。そうすると体も元気になる。朝食は、なんと9時半。お腹がぐ~ぐ~空きすぎてその時間には、ピークが終わってしまい、食欲も半減してしまう。砂漠の真ん中で他にお店もなし、出てくるものはモロッコのパンを主食とする料理。いいつでも、好きな時間に食べたいものを食べれるって、贅沢なんだ!と改めて思い知った。でも、世界の中でそんな国のほうが限られていて少ないのかも?海外へ旅に出ると日本で当たり前のように思っていることが当たり前でなく、すごく恵まれていることだと分かるときが多い。日本を選んで生まれてきた、世界中の国のなかでもいろんな面で恵まれたこの国を選んだことの意味を考えたことがある人がどれくらいいるのだろうか?(いつも、いつも考えていたらしんどくなるけど・・たまには考えてしまう・・。)車の太陽の当たるほうに内側からガムテープで布や耐熱シートを貼り付けた日除けをつけて、完全?防備で出発!gさんは後ろの席で、お休み。ず~っと体調が悪い。もし、私達がスピリチャルな考えを知らなかったら、下痢や嘔吐を自分自身の浄化で起こっていると自覚が無かったら、不安と心配ばかりでちっとも旅を見つめることが出来なかったと思う。だから、私も自分の体調の悪さも心配しないし、gさんも大変だろう?と思ってもそれで、病気?治る?なんて思ったりはしない。途中の町、エルフードで絨毯屋さんと化石屋さんへ立ち寄った。きっとここはお決まりのコースとなっていてお客さんを必ず連れて行くようになっているのだと思った。絨毯屋さんでは、熱心にいろんな物を見せてくれたけれど、はっきりと買う気が無いことを伝えた。するとgさんと私の関係をいろいろ聞くのでヒーリングの生徒です。と答えた。すると、なんと自分にもして欲しい!とさっきまで絨毯を熱心に勧めていたおじさんが言って来た。あれっ~!!こんなところで、するなんて!!意外な展開に驚く私・・。二人に別々のヒーリングをする。短時間だったけれどとても喜んでくれて、絨毯を買わないのにベルベル人風の赤茶の布をプレゼントしてた。びっくり!その時、gさんは、絨毯の臭いで気分がさらに悪くなり車へ退場していた。地下へ降りていくと、そこはアラブの剣や骨董品風ないろいろな物がごっちゃごちゃしていて波動も、混戦気味。でも、なかなかの剣もあり、剣好きのgさんを呼んでもらう。そこで先ほどのおじさんの説明を聞く。その中で印象に残っているのはアラブの剣の先が三日月のようにカーブを描いているのは、「戦うつもりが全くありません。」と平和を表しているとのこと!知らんかった~!私が知ってるアラブ人が剣を振り回してるシーンは、映画でも戦いの場面ばかりだから・・・。物の生業も奥が深い。この地下室で、私にはうれしい出会いがあった。それは、ラブラドライトのピアスが見つかったこと。宇宙繋がりでラブラドライトがとても気になって、ペンダントトップとリングは見つけることが出来たが、ピアスはなかなかお目にかかることが無かった。それをこのモロッコの田舎(ごめんなさい~)エルフードの絨毯屋さんで手に入れることができるなんて!まず、値段交渉。最後にまた、gさんの力を借りて「これぐらいなら払ってもいいかな~?」と言う金額になった。私には、まだ少し人に悪く思われたくない!そんな気持ちが残っているのかも知れない。それともお金に対するこだわりか?最後の最後まで粘りきることが出来ない。う~ん、考えちゃうな!次に行った化石屋さんは、お金!お金!儲ける!そんな感じがビシバシくる。抜け目なさそう~!欲しいものもあったけれど、なんか日本で買うほうが安いようだし、こんな重くて壊れやすいものを何千キロも持って帰るなんて考えるだけでも嫌になってきた。最後にどうでもよくなっり、「いらん。」と言うと言い値にボールペンを付けたら売る!なんやねん~。(モロッコ人は、日本製のボールペンを欲しがります。行く機会のある人はお土産に持っていくといいでしょう。)ここで買った一番大きなアンモナイトの化石(真ん中で二つにカットしてあるがそれをあえて2つ買った。二つを合わせると元の形になる。)は、猫の面倒を見に来てくれた石好きの姪にお土産で渡した。(彼女曰く、うれしけどこんな重いもんよう持って帰ったね。場所とるしどこに飾ろうか~?だった。)喜ばれているのか、迷惑がられているのか、分からんコメントやったけど渡した私が一番満足していたからそれでいいと思っている。結局どんなことを自分が相手にしても、相手がしてくれても、自分自身がどう思うかが一番のポイントだと思う。それを基準にして物事を進めて行くと腹の立つことが随分減ると思うな~。写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。
2006年07月16日
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翌日は、朝日を砂漠で見るために4時半起き。ヨセフさんのノックで、まだ暗い中を懐中電灯を持って外へ出る。gさんは来ていなかったが、きっと体調が悪いのかな~?と思った。(後で聞いたら、行く気満々だったとのこと。きっとぐっすりと眠っていて起こされなかったのだと思う。)ラクダが、待っている場所へ行くと、何頭かのラクダとラクダ使い?がスタンバイしていた。その中で私の乗ったラクダは、とてもおとなしそうだった。ウサギのクッキーを差し出しても顔を横に向けていらないという動作をした。この態度が??で何でかな~?と。しかし、砂漠へ行って帰ってきたときにあげたら、パクパク食べた。あ~仕事を終えたら食べるという習慣があるのか~それを守るんだ~と納得した。昨夜、夕食の席で賑やかに騒いでいたフランス人のバイクツーリスト達もまだやって来ていない。彼らは、大型バイクに夫婦で二人乗りでやって来ていた。10人ぐらいだったかなぁ。フランスからバイクで来るって、バイクが好きでないとなかなか出来ないことだと思う。長距離の移動は車よりバイクははるかに疲れる。それにこんな暑い所をエアコンなしの屋根なしで、ギンギンの太陽で頭がクラクラしそうだと思うのは私だけなんだろうか?結構、年齢も行ってて(多分全員が40才以上間違いなし!)、ず~っと夫婦で一緒ってのもなぁ~。いい時も悪いときもあるだろうし・・・。車だったら、横を見てたらいいけどバイクだったら、しっかり捕まっていないといけないし~。まいっか私のことではないんだからね。昨日長時間ラクダに乗ったせいか、お尻は少し痛かったが高い目線で揺られながらラクダに乗るのは、とても気持ちがいい。揺られているとラクダの体温が体に感じられる。ラクダの一歩ずつ歩む足の運びがそのまま揺れになり、それも心地いい。生き物に乗せてもらいながら共に歩むってことがこんなにも私の心を穏やかにさせてくれることがとてもあり難く思えた。もう、ず~っと思い出すこともなく記憶の彼方に忘れ去られていたこの感覚を私は確かに知っていた。そして、この感覚が、大好きで共に歩む動物達も大好きだったことも。ある時は、ラクダ。ある時は、馬。ラクダや馬は、私の命で互いに深い愛で結ばれていた。そう、過去でそんな風に生きていたこともあったんだ。フィンランドでハートの扉が開いたとき、森の力とそこに住む太古からの叡智と精霊たちの存在を強く感じたように、この赤い砂の地にとても大きな存在を感じることが出来た。私はこの地を訪れてこの存在と繋がる必然があったのだろう。ラクダ使いとガイドのヨセフさんは、歩いて私だけ20分ほどラクダに揺られ砂漠の始まる所へ着いた。そこからは、ラクダを降りてしばらく砂の山を歩く。途中でカメラだけ持って、荷物とビーサンを脱いで砂の山を登っていく。朝の砂は、まだひんやりしていて足の裏が気持ちがいい。かなり登って行くと見晴らしがよく、メルズーガの村が遠くに見える。反対側には、赤い砂の砂漠が大山小山も状態でかなりの起伏を持ってず~っと広がっている。村の景色を見ていると、5月に見たアトランティスの風景が蘇ってきた。村の中に大きく高いクリスタルがそそり立っていたその風景は、モスクが村の中心に建っているこの風景とほとんど同じだった。違う所は、クリスタルがモスクになっているところだけだった。ラクダ使いのおじさんとヨセフさんの会話から、なんとこの砂漠のメルズーガで、2週間ほど前に大雨が降り雹までも降ったと言う。すご~い浄化作用だ!でも、洪水状態だったそうで(他の人のブログから知りました)ここの人たちは家が壊れたり家畜が流されたりで大変だったそうだ。それを聞いてホテルの部屋の中に泥があったり、プールにどろがあった理由も分かった。大変だったんだな。ホントに。この日は、あいにく曇っていて日の出を見ることが出来なさそうだった。休憩しているとフランス人たちも賑やかにわいわいしながらやって来た。上から見ているのでフランス人たちは小さく見え結構距離があったけれど人数が多いからか、いつも誰かが大きな声で話してるので近づいて来るのがはっきり分かった。
2006年07月13日
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オーストライアのウルル(エアーズ・ロック)が一番美しいのは、影があるときだった。その影が出来るのは、朝夕、晴天で雲がある時などだった。この砂漠でも、朝、夕影が出来るときがとても美しい。赤い砂に黒い影。いつまで眺めていても飽きることはなかった。足を縛られていたラクダも縄を解かれ、全てのラクダたちは、テントに暮らす男の子に連れられ餌を食べながら遠くの方へ行ってしまった。私たちは、暑さに(さすが砂漠。8時を過ぎると日のあたる場所は暑い)耐えられそうもないし、お尻も痛くラクダに乗らず車で出発することにした。今日は、また砂漠のメルズーガを目指す。(約410km)出発前に車の太陽が当たるほうへ日除けをテープで貼り付ける。gさんはすごい!なんと、銀の耐熱シートを用意していた。日除けをつけるのと付けないのとでは、車内の温度が大きく違う。それほど砂漠は暑い。テントで生活しているベルベル人の男性がザゴラまで行くので一緒に車へ乗り込んできた。テントからマアミドまでは、道のない砂漠を走って行く。車の通る舗装された道に出ると、彼は車を降りた。道で待っていたら通りかかる誰かが拾ってくれるからだそうだ。それと私たちが観光客で、この車は仕事で私たちを乗せていることに遠慮をしたのだと思う。あまりの遠慮深いと言うか、分かっているというかそういう行動にちょっと驚いてしまった。もちろん、私たちはガイドさんにも言ってザゴラまで一緒に行くことに全く問題はないし、こんな暑い所でいつ来るのか分からない車を待つ苦労を思うと一緒に行くことを強く勧めた。やっと、彼も車に乗って5人でまず、ザゴラを目指した。ザゴラまでの道は、昨日も通った見慣れた道で風景にも特別な感動もなかった。町に着くとベルベル人のお兄さんと写真を撮った。かっこ良かった。お礼にボールペンまでプレゼントをしてしまった。お昼を食べたレストランでも、またタジンが出て来た。gさんはダウン状態で食べることが出来ず、私も一口二口で、食欲がない。メルズーガまで、道中運転手さん以外うとうと。途中砂嵐の中も走りメルズーガの天気がちょっと気にかかった。メルズーガに着いたのは、夕方だった。赤い土レンガの塀に囲まれたホテル??だった。中央に小さなプールがありそれを囲うように部屋があった。部屋は、プールのほうに入り口と小さな窓があるだけの昼でも薄暗い、部屋の奥にあるシャワールームには土ぼこりがたまり今までで一番気に入らない部屋だった。gさんも、もちろん気に入らず、牢屋のような部屋で眠る気がしないと夜もプールサイドにあるリゾートチェアで眠ったそうだ。その日、私にはgさんの過去世が浮かんできた。それは、学者だった過去に捕虜として捕まり。一生を牢屋で過ごした過去だった。その時に囚われていた部屋がまさにこんな感じだった。そりゃ、中で眠る気になれないのは当然のことだと思った。プールも砂が底に溜まっているし見るからにきれいとは言えない水だった。しかし、こんなプールでも外国人観光客は泳いでいた。ちょっとビックリ。こんなに暑いのだから、泳がない私たちのほうが変だと思われているのかもしれないが・・・。しかし、夜日が暮れるとこのプールもライトアップされ水色の水がとてもきれいに見えていた。それに朝は、係りの人が時間をかけプールを掃除していた。また、旅行者か住んでいるのかはわからないが、朝からここへ泳ぎに来ている家族ずれや女性もいた。でも、泳ぐ気にはとてもなれないプールだった。このホテルには、ブラッド・ピットも泊まったことがあるそうだし、車のレースで立ち寄る人も多いそうで翌日の朝食を食べたレストランには彼らの写真を見ることが出来た。夕食は、いつも8時とか9時とか結構遅め。お腹がすいたときに食べ物を口に出来ないこと。もちろん、毎日の移動、暑さで疲れていることそうだけれど、食欲と言うものが湧いてこない。しかし、ここでの食事は今までの中で、私たちの口に一番合っていた。思うように食べられないのが残念だった。食事中、北のモロッコ人(黒人)の人たちの演奏と踊りがあった。力強い太鼓と金属のカスタネットそれと簡単な踊り。ヨセフさんが言うには、この踊りや演奏はマラケシュでは、なかなか見られないそうだ。北の地方のこれらの人たちは、身長があり痩せていて白い衣服を纏っていた。昔奴隷としてつれてこられた人らしい。モロッコの人たちは、部族によって衣装の色が違い、その色を見るだけでどの辺りに住んでいるかも分かるそうだ。この白い衣服は、アフジェエリア近い砂漠地方の服らしい。
2006年07月12日
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今の季節のマアミドの砂漠地方は、砂嵐が多いそうだ。だから、ガイドのヨセフさんは、私たちに「とても運がいい!」と言った。私からすると、このモロッコとこの砂漠と何千年も前からまたやって来ることを約束していて、その約束を果たす為に何千キロもかけて空を飛んでやって来た私たちに砂嵐なんて!ありえない。一番素敵な砂漠を歓迎を込めて、きっと見せてくれるはずだと信じているのだから・・・。砂漠の真ん中にテントがポツリそんな所で眠れるなんて!贅沢だ~!!(テントの写真はなしです。撮るってことも浮かばず・・・。)だんだんあたりが暗くなると、それまでの暑さが嘘のように。涼しい風も吹いてくる。最初、木星かな?大きな星がぽつんと東南の空に明かりを灯した。今夜は、新月に近く月がでることは無い。どれほどの星空をお布団の中で見ることができるのだろう~?わくわくしてくる。だんだん暗くなるにつれて、星が見えてきたまず北斗七星がはっきり姿を現し、もうあとは、星だらけ!天の川をミルキーウエイと言うのが分かるほど、小さな星の光が白く連なっている。人工衛星も流れ星も見ることができた。星が多すぎて星座の知識にも乏しい私たちにはどの星がどれか?ほとんど分からなかった。これに星の説明があれば言うことなし!ちょっと望みすぎかな~!星は、チベットよりもハワイのキラウエアより(キラウエアは星を見る条件は、そろっているけれど、なにせ3000m以上なもんで寒くて寒くて!)もきれいに心地よく見えることが出来た。だって、寝床の中から見上げれば星、星、星。最高!雪野原に寝転んで見たオーロラも素晴らしかったけれど-40度が辛かった。それを思うと暖かい毛布に包まれ、星が見守る中を眠りにつく。これって最高の贅沢かも!ありがとう!サハラ砂漠よ!翌朝目覚め早く、朝焼けがとても美しかった!だんだ太陽が顔をだしてくる。朝日の素晴らしさ。昨夜の星もそうだけど砂漠の朝日に大自然の美しさと雄大さただただ見とれてしまう。朝の砂漠には、夜に行動したのか?虫や動物の足跡が残っている。この厳しい環境の砂漠の中をどんな生き物がどんな風に生きいるのだろうか?小さな足跡にすごいな~!えらいな~!愛おしさを感じる。私たちのお世話をしてくれるベルベル人のテントの周りには、どこから飛んできたのか沢山のカラスが集まっていた。モロッコに来て初めて見るカラス。カラス好きの私は、ここで出会えるだけでとってもうれしい。昨日のラクダたちは、足を縛られ動かないようにされているものもあった。遠くから見ていたgさんは、足のないラクダがいると心配そうだった。近づいてよ~く見てみると、勝手に動かないようにし前足を縛られていたのだった。私たちは、昨日のわんちゃんや子猫と遊んで出発を待った。ヨセフさんと運転手さんは、車の側で眠ったそうだ。もちろん戸外。写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。
2006年07月11日
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写真はチェレステに掲載中・上の猫の写真をクイック!して下さい~。お昼は、ザゴラに戻ってオアシスの中で食べた。いつものようにモロッコ独特の丸い固めのパンとサラダとタジンとい煮込み料理。モロッコ人はこのタジンを毎日食べているそうだ。ご飯は、サラダの具の一部として食べることはあってもそれだけでは、決して食べないそうだ。元気もりもりだとこのタジンもおいしいと思う。けれど、下痢や吐き気(もう、gさんは吐いていた!)暑さに参っている私たちにはちょっと飽き飽き!それに固めのパンは喉を通りにくいし、同じ味のタジンは正直食べれない。1人前も量が多く、申し訳ないがいつも残していた。日本って!いろんな味のいろんな料理を食べれて、なんてすごいんだろう~!と改めて思った。恋しい~!!海苔やふりかけ・・・・。このオアシスで、砂漠のマアミドへ行ける時間を待つ。何しろ砂漠は、とても暑いので夕方に行ってラクダに乗るのが丁度いいとのことで、皆、昼寝をして時間を待つことになった。先ほど食事をした木陰の椅子やテーブルの置いてある場所でごろんと横になったが、暑いのなんの!昨夜のエアコンのホテルが、懐かしい~!汗は、出るしとにかく気温がかなり高そうだ。こんなときせめて、天井のある屋内で時間を過ごしたかった~!ここの暑さが、私たちをさらに弱らせてしまった。いよいよ砂漠のマミアドへ出発する時間がやって来た。その前に今晩飲むビールをホテルで購入した。ビールは、アイスボックスに入れて車で今晩の宿のテントまで運ばれる。禁酒のイスラム教だが、モロッコでは、観光客用??に簡単にアルコール類を手に入れることが出来るそうだ。ちなみにガイドのヨセフさんは、お酒を1滴も飲まない。運転手さんも同じイスラム教徒なのに、O・K。この違いって何で~??個人の意識の差??どちらがいい、悪いはないんだけれど・・・。微妙。。マアミドは、ザゴラから南へ約100km。近づくにつれてだんだん赤茶けた砂地になってくる。ラクダに乗れるんだ~と思うとわくわくしてくる。しかし、gさんは、ダウン。私も疲れて、ついうとうと・・・。マアミドに着いて冷たい物を飲んでしばらく休憩。いよいよ待ちに待ったラクダに乗ると言うのに100%元気で無いのがほんとに残念だ。gさんは、ベルベル人の布をターバンに巻いてもらい、私は日よけに頭からかぶりラクダに乗った。先頭は、ベルベル人の男の子(ターバンをしてるので年が??分からん)2頭目が、gさん。私は、3頭目。あと荷物を積んだラクダが1頭。それともう1頭の全部で5頭で砂漠へと出発した。このとき、フィンランドで乗ったトナカイのことを思い出した。あの時もgさんは、2頭目のトナカイの橇に乗って私の前を進んで行っていた。極寒を生きるフィンランドのサーメ人も砂漠をでラクダを操るベルベル人も彼らの国以外の所へ行こうと思ったことも行ったことも無いのだと思う。(なぜこんな事を思うのかと言うとフィンランドでgさんがサーメ人のおじさんに対してこのような疑問を持っていたから)どちらも厳しい自然のなかで厳しい状態で生活しているのだと思うが、砂漠を生きるベルベル人の方がサーメ人より明るいように思った。サーメ人には、サーメ人専用の教会があった。ベルベル人は、町のモスクがありだれでも自由に礼拝できるし、無ければメッカのほうを目指してお祈りを奉げればいい。明るさの違いには、宗教が影響をしているのだろうか?日本人の私には計り知れない何かがあるのだと思った。ラクダは、象ほどは高くはないが馬より高く、乗り心地は馬よりもず~っといい。でもこぶの前に乗るか後ろか、微妙に違ってくる。最初のラクダは、鞍?の位置が悪いのか前のめりになり、お尻が痛くて、途中で違うラクダに変えてもらった。しかし、妙にうれしい。遠くには、山が見る。赤い砂丘へと進んでいくと影がだんだん長くなってくる。赤い砂の中には、まばらに背の低い潅木や草も生えている。その中をゆっくり、ゆっくりと進んでいく。こんな風にず~っと昔に(多分千年以上は前)ラクダに乗って旅をしていたのかもしれない。乗り始めたときには、まだ、暑かったが太陽がだんだんと沈んでくると風も先ほどに比べ心地よく思えるから不思議だ。テントへ着いたときには、日が沈んでいた。ここには、可愛い子犬がいてちょっとびっくり!とてもよくなついていて私たちの周りをじゃれ走り、心が和んだ。こずるそうな目つきも、ぴょンぴょン飛び跳ねれように走る様子もとても可愛い。その他にお母さんと子猫2匹もいて楽しかった。こんな砂漠のテントの水も無い厳しい生活の中で生き物を飼う優しさがこの人たちには、あるのだと思った。食事は、またパンとスープとタジン(ごめんなさい)。ビール好きの私たちも小瓶1本しか飲めず。食べられず!早く横になりた~い!それほど疲れが・・。私たちの、寝床は星が見えるようにとの配慮からテントの外へと運ばれていた。
2006年07月10日
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翌朝、ザゴラのホテルを出てまず訪れたのが小さな砂漠。緑も少しある中に突然小山のようなそこだけが赤茶けた砂丘が現れる。砂漠のあるマアミドやメルズーガへ行けない人たちがここへ来て記念写真だけを撮る言う。夕方、砂漠へ向う私たちも初めて見る赤茶けたこの砂丘にちょっと感動!ベルベル人の運転手さんはベルベル人のブルーの民族衣装に着替えていて砂よけ?のターバンまでしている。すぐに一緒に写真を!するとこの小さな砂漠の入り口のテントからラクダを連れて民族衣装を纏った15~6才の男の子が2頭のラクダを連れてやって来た。ラクダと写真を撮るといくらかを支払うのだと思う。私は、ラクダと共に人生を歩んだ過去生があるので今回ラクダに会いたい!という気持ちがとても強かった。だから、出会ったラクダにお土産として考えに考え「ウサギのクッキー」と日本から用意して行った。ラクダにクッキーをあげてもいいか許可を取ってクッキーをあげると2頭ともとてもおいしそうに食べてくれ、思わずにこにこ。クッキーは、とてもおいしそうな香りがして残りを男の子へラクダのクッキーだからと言って手渡したけれど、彼は食べそうになり、違う違うと伝えた。その時は、まったく知らなかったけれど、この地域はモロッコの中でもとても貧しい地域だそうだ。この後出会った子ども達は、飴を欲しがり「ボンボン。」と言っておねだりをしてくる。ラクダにクッキーだなんて!変なやつ。考えられんわ~!と思っただろうな。このクッキーは、500円ぐらいしたので、その分チップで還元するとか飴を貰ってもらうとか・・・・。ま~ぁしかたないなぁ~!ラクダに会いたい!それがこの旅を選んだ大きな理由の一つなんだから。途中、村のモスクの近くの学校で小さな子ども達を見て、gさんが写真を撮りたいということで、みんなに並んでもらって写真を撮った。お礼は、飴。gさんは、沢山飴を持ってきていた。えらいな~!よく気がつく。ラクダのクッキーより役に立ってるゎ~。大人の女性は、写真を撮られるのを嫌がるのでここの先生達もカメラを出すとすぐに物陰に隠れてしまった。次に訪れたのが、ザゴラから南へ約20kmぐらいの所にあるタムグルート。ここには、シディ・ムハンマド・ベンナサイルという聖人が400年前に建てた図書館がある。彼は、毎年メッカへ巡礼に行き、そこから本を持ち帰ってこの図書館を建てたそうだ。現在この図書館には、約4000冊の蔵書がある。本は触ることは出来ないが、何冊か直接見せてもらえた。パピルスや羊の皮に書かれた何世紀も前のイスラムの聖典を見ていると、昨年アイルランドで見たキリスト教(カトリック)の写本ケルトの書を思い出した。どちらも神の教えを書き記し、聖職者がその教えを学べるように広めようと書き記したこれらの書物。見ているだけで、書き写している人々の真剣さが伝わってくるようだった。両者を比べるとケルトの書のほうが飾り文字とか絵画的に見てもきらびやかだけれど、ここの本もアラーの神を表す文字は金色でそこだけが華やかだった。スラム教が形あるものを信仰することを禁じているから聖典も地味目なのかもしれない。それほど広くはないけれど、聖典を見ることで少しはイスラム教を見ること(知るまでは、とてもいかないから・・。)が出来たように思えた。図書館から出るともう、暑くて暑くてたまらない。建物と建物の間のトンネルのような道を通り抜け窯元を訪れた。この薄暗いトンネルのような道は、日陰で太陽の光はわずかにしか漏れ入ってこず、ちょっと不気味なような早くこの道から抜け出たいように思えるあまり気持ちのいい道ではなかった。窯元では、この地方独特の緑の素朴な焼き物を作っている。ここで私は、2枚のお皿と2つの鉢を購入。gさんも6つほど購入。ここで私たちは、大阪人の意地を見せるかのように値切った!私は後一歩というところで「もう、いいわ。」と諦めてしまう所がある。しかし、gさんは心強い。窯元のおっちゃんが、「あんたは、ベルベル人や。」と言うほど。gさんを尊敬する新たな一面を発見した。
2006年07月09日
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ザゴラのホテルへ着いたのは、すでに7時を過ぎていた。時差や睡眠不足、長距離のドライブで私たちはとても疲れていた。すぐにプールサイドでバイキング形式の夕食をとる。そこは、フランス人の団体さんでプールサイドは賑やかだった。料理が、菜食主義??と思うほどサラダ系ばかり。味もモロッコ風??それとも体調のせいか?おいしいと思わなかった。海外へ来て改めて日本の食生活の豊かさがはっきりと分かる。お酒を飲まないイスラムの社会ではあるけれど、モロッコのホテルでは、酒類を飲むことが出来る。ビール好きの私たちは、飲めるときには飲んでおこう!!とビールを注文。そこで、今日1日中付き合ったガイドのヨセフさんのことや運転手さん(名前を聞いたんだけれど、二人ともおぼえられず・・・どうでもよくって結局名前分からず)について感じたことを話し合った。二人の見解がまったく同じで、うん!納得。ヨセフさんは、向上心がすごい。日本語を日本人に習ったのは3ヶ月だけで、あとは自分で勉強して話せるようになったそうだ。私たちと会話をしていて聞きなれない熟語(例えば合理的など)を聞いたときにすぐに「それは、どう書きますか?」と質問し、ひらがなを伝えると電子辞書でそれを調べ意味をしり、自分のノートに書き込んでいた。ほんと頭が下がるほど意欲がある。それと話をしていて家族(まだ未婚)を大切に思っていること。特にお母さんをそう思っているという思いがなんとなく伝わってくる。そして、頭がスマート。などなど。運転手さんは、よく言えば今を生きる人。あまり、物事を深く考えたり、先の見通しを立てたりしない明るい人。これも、リーディングの一種だと思う。gさんと全く同じだったのでうれしくなる。gさんもすごい!ホテルは、アラビヤ風のタイルを使ったロビーや模様の天井以外は他国で泊まるホテルと大差は無かった。エアコンも効いていて外の暑さも全く感じず快適に過ごすことができた。
2006年07月08日
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昨日、叔母が亡くなりました。8人兄弟の母の一番上の姉です。8人の兄弟の一番上のこの叔母と一番下の叔父とは、24才年が離れている。一般的に今の時代には、考えられないような兄弟の年齢さです。その叔母が、何と6月に100歳を向え光の世界へと旅立ったのです。100年は、1世紀です。彼女の人生にも日本の変化にもいろんな目まぐるしい出来事が起こった時代です。ほんとすごいです。夫に早く死に別れた叔母には、いろいろ苦労もありましたが、晩年は、幸せだったと思います。小さいときから、接する機会が多く可愛がってもらった叔母の御通夜から先ほど帰ってきました。明日は、お葬式です。最後のお別れをしてきます。昨年からお葬式続きで見慣れた斎場。ちょっと複雑ですね~。
2006年07月07日
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写真はチェレステに掲載しています~。赤い要塞の村、アイト・ベン・ハッドゥに足を踏み入れたとき、懐かしい~何だかこんな場所に居たようなそんな感覚を覚えた。そう思うとき、そんな感じが浮かんだとき、きっとこんな所に居たのだと今は、確信を持っている。そして、とても暑かったけれど、気分が晴れて行くようなすがすがしい気持ち、ここへこれて良かったな~と素直に思うことが出来た。人の過去生を私が見ることを知っているgさんは、ガイドさんや運転手さんの過去が「何か分かりましたか~?」と聞いてきた。会ってしばらくして、もう、二人の過去生は見えていた。言ってしまうのは、簡単だけれど私が「こんなのが見えた。」と伝えると変な固定観念を植え付け、彼女の持っている感じる力を伸ばせないように思え、ちょっと悪かったかもしれないけれど、適当にごまかすことにした。運転手さんは、カソリックの結構偉いお坊さん。(赤い帽子をかぶり、白い衣装、胸には十字架を下げている姿)ガイドのヨセフさんは、中世の黒っぽい鎧を着た人と日本の戦国時代の武士の姿が見えた。アイト・ベン・ハッドゥの大きな門を出ると川原を数頭を連れて歩く人が見えた。モロッコへ来て初めて目にするラクダだ!うれし~い!写真、写真!とあわてて撮った写真は、満足できるものが無かった。(ちょっとしょんぼり)再び車に乗り込みザゴラを目指す。途中水の流れている川では洗濯をする女性を見かけたりしたが、だんだん川に水が無くなってきた。水があるところは、ナツメヤシが生えてオアシスを作っていて遠くからでもそこが川になっていることが分かった。ドアラ渓谷は、緑の山ではなく岩山というか地面が大きく裂け、隆起して侵食されてはっきりくっきりとした地層がうねり大地の雄大さ、地球の姿の一面のすごさに思わず息を呑むほどだった。大きくて力強くい、こんな場所に立つとくよくよ悩んでいることなんかどうでもいいさ~!ここで大声で叫んだら、全ての嫌なことが吹っ飛んで行って、大地がそれを受け入れ許してくれる。どんな悩みだって、ちっぽけなことのようにきっと思えると思う。谷から吹き上がってくるやさしい風は、大地の優しさのように感じた。
2006年07月05日
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途中立ち寄ったアイト・ベン・ハッドゥは、赤い日干し煉瓦で造られたカスバ化した村で、モロッコで一番美しいといわれる。1987年にユネスコの世界遺産に登録され、私たちが訪れた今も修復作業が行われているそうだ。ここは、「アラビアのロレンス」、「ナイルの石」、「ハムナプトラ2」等多くの映画のロケ地として使われことでも有名だ。川沿いにある丘の斜面に沿って建てられた村は、立体的で模型のような作り物のような不思議な雰囲気を持っている。この風景を見て、思い出したのはチベットの西の果てにあるグゲ遺跡のことだった。色は違うが同じ土レンガで建てられ、時の流れの中に朽ちているところの多かったその遺跡にも不思議な感覚を持ったことを覚えている。気候や風習、文化の全く違った場所なのに権力を守る為に作る砦を持った村は本当によく似ているように思えた。大きな門をくぐりぬけ中に入るとここで生活している家族がまだいるという。牛や馬が飼われ、モスクだったと思われる高い塔の上には、なんとコウノトリが巣を作っていた。野生のコウノトリを見るのは始めてだ!つがいの2羽が巣を守るように遠くを見つめていた。坂道をどんどん登って小高い見張りのような場所へ来ると眼下にアイト・ベン・ハッドゥを見下ろせる。ここが大きな砦で沢山の人が暮らしていたことがよく分かる。また、かつてここで暮らしていた人々が今暮らしている対岸の新しい村もよく見える。写真を撮り景色を眺め道を下っていくと、登るときには気付かなかった細い路地が目に付く。かつてこの道も人々が行き来したのだろう。
2006年07月04日
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写真はチェレステに掲載しています~。翌日マラケシュから砂漠の砂漠を目指す人の拠点となるザコラを目指す。(走行約410km、約8時間)マラケシュをでてしばらく走ると市場が開かれていた。火曜日だけ開かれるそうだ。ここには、日本で売っているのと同じような種類の野菜や果物、羊や山羊や日用品まで様々なものが売られていた。明らかに人種が違う私たちが、うろうろしても皆、じろじろ見るわけでもなく、結構楽しく市場を見学できた。ガイドのヨセフさんは、果物などを買っていた。ドラブ中に食べたやや小ぶりで色の白いイチジクは日本で買うものよりもはるかに甘くおいしかった!残念なことにもう、浄化の下痢が始まっていたgさんはそのおいしいイチジクを食べることが出来なかった。ちょっとびろうだけれど、旅をすると浄化の下痢が起こる場合がある。エネルギーの強いハワイでは、一緒に旅する人の多くが下痢を起こしていた。だから、私たちは下痢が起こってもそれほど心配はしない。体の中から今、ここでこの場で清算しなければならない不要なものが出て行っているんだ!と思う。何度もこんなことを体験しているからそう思えるのだと思うが・・。下痢が浄化と一番顕著に分かったのは、インドを旅したときだった。下痢をするのは、ホテルに居るときだけで、観光中はまったくお腹が痛くなったり、ぐるぐるなったりすることが無かった。不思議な下痢だった。車はだんだんくねくねの山道を進んでいく。車で酔うことのない私もちょっと気分が悪くなるほどの道だった。だんだん高くなって景色もよくなって見下ろすと崖って所もあったり。そしてだんだん空気がひんやりとしてきた。途中の山村では麦を収穫している所もあり、山にへばりつくように建っている村を見るとチベットでカイラスを目指したときの風景と重なってくる。そこでも農耕には、牛や馬が使われていた。ここでも、はるか下のほうの畑では、牛を使って耕している女性の姿が見られる。道の途中には、行きかう車の埃をかぶったセレナイトやクリスタルをただ並べただけの簡単にな陳列が何箇所も見られた。水晶等の石が好きな私たちは、途中で石屋さんへ寄ってもらう事にした。オート・アトラスのテシュカ峠(標高2260m)の所にお土産物やをかねた石屋さんが何件かあった。こんな所にもちゃんと土産物屋がある!ちょっとビックリ!ここには、標高を示す大きな看板があり、それを背景にして写真と撮る為に止まる車があるからに違いない。標高が2000m以上あるだけ風も吹いていてにさすがにここでは半袖のTシャツは、肌寒かった。ガイドさんの知り合い?の石屋の叔父さんはセーターを着ていた。車で1時間ほど走っただけなのこんなに気温が違う!すごい!まだ旅が始まったばかりで元気な私たちは、ここで1時間以上も過ごしたと思う。モロッコで有名な砂漠の薔薇、アンモナイト、オウムガイ、水晶なが~いセレナイト。いくら見ていても飽きることがなかった。峠を越えると道は下りになって行き、だんだんと気温が高くなってくる。開けた窓から入って来る風も生ぬるくなってきた。
2006年07月03日
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カサブランカから今日の宿泊地のマラケシュまでは車で3時間強。モロッコの主な産業は農業。道の両側に小麦畑やとうもろこしの畑などが広がっている。途中の道には、ロバや馬を使って荷物を運んだり農作業をする人々も目に付く。最初は、この風景がとても珍しく写真を撮ろうと揺れる車から努力したものだが、帰るころには当たり前の風景になってしまって、すれ違っても元気で頑張ってるんだな~!ロバは、大変だな~!大切にしてもらってるのかな~?と思うだけになってしまった。でも、このロバや畑のほっとする風景をみていると旅の疲れも少しは減っていくように思えた。マラケシュは、モロッコで3,4番目に大きな町。私たちが泊まるのは塀に囲まれたメディナ(旧市街)のリヤド。リヤドという中庭のある邸宅を改造したもので、部屋の様子、広さはまちまち。gさんは1階。私は3階。私のほうが階が上だけに明るかった。シャワーやベッドの大きさも部屋の調度品や内装の様子もそれぞれに違っていてそれが、まるで個人のお家のようで、そこもよかった。中庭はブルー系の綺麗なタイル張りで模様がすばらしかった。大きな植木と大きな鉢植えがあり、噴水もある。朝になると小鳥が木々にとまり歌を歌ってとてもすがすがしかっった。そこから見上げる四角い空が青くて、また良かった。私達が泊まったリヤドには、コカというおとなしく人によく慣れた大きな犬がいてそれも、心が和んだ。この後の旅で見かけたほとんどの犬は、痩せていて、ここのコカが一番太っていた。この、こじんまりしたリヤドでの宿泊は、他のホテルには無いモロッコらしさを体験することが出来てとてもよかった。私たちは、とても気に入って、最終日の予定をカサブランカからマラケシュのリヤド泊へ変更してしまったほどだ。
2006年07月01日
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