2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全13件 (13件中 1-13件目)
1
つれづれに感動は年齢と共に増えるのでしょうか、減ってゆくのでしょうか。昔、勤め先の事務所の所長が(先生でもある)四十三、四才の当時「段々と感動が増えてきた」と言っていたのをいまでも覚えています。私は、22歳のころですが。 所長は、「人は年齢と共に感動は減ってゆくのに」と言いながら。果たして、私自身に置き換えると、感動は、関心を持つことと大きく関わるもので、常に新鮮な場面や、出会いが必要だと思います。観察することもそうです。同じことの繰り返しの日々、その中であっても感動を得ながら生きることは、生きがいともなります。感動が歳と共に増えるような人生は素敵なことだと思います。何かを創り出すとき、この感動するという感性は不可欠です。心象風景は、原点の景色とも言えるもので、自分らしさの映像とも言えるかもしれません。その心象風景は枯渇や、濁りなく年齢に左右されず新鮮なものとして、浮かび上がる。
January 31, 2006
コメント(4)
つれづれに、きのう、 たけしの~ピカソなる番組をみました。大江健三郎氏の息子さんの光さんをメインにした構成でした。彼の作曲したメロディーや、無垢なことばと表情に心が揺さぶられました。一言で彼の音楽を言い表すなら、 素直な優しさ だと感じます。また、彼を取り巻く家族も同じように。雑多な出来事や、時々の感情に流されがちな自分の、忘れかけた、心象の風景をしばしイメージさせてくれたのでした。嫁いでからも光さんがお気に入りのアニメ番組が終わるや必ずすぐに電話をくれて、光さんと会話を欠かさず交わすと言う妹さんの話。 冷め勝ちな自分の心まで暖かくするのでした。
January 31, 2006
コメント(2)
今朝方の「朝まで生テレビ」をみていました。それぞれの分野の専門知識を有する方々、もと堀江氏の同僚とか、それぞれの見解を聞いていると、一体本当のところは、誰が確かなのか解らなくなる。見解もいろいろで、ライブドアのみが特化した事件にも思えず、相当、恣意的な思惑が、特捜側にもありそうな気配。マスメディアの対応にも批判があったが、当然だと思う。昔、・リーク・という言葉が頻繁にでできたが、捜査の経緯や情報源の根拠もあいまいな新聞記事では、情報操作を意図的に行っているのではないかとも思える。発言者の名前すら記されない情報を全国的真実のように書き上げる新聞や、余計なことまで、取り上げて個人攻撃のネタをせっせと報道するテレビの製作者の人柄の軽薄さは、どうにかならないのか。いつもの事ながら、販売数ー視聴率ー売り上げー商売の図式を見ると、ライブドアは、一時の悪でしかなく、反省も、顔もはっきりしない、 メディア の質の悪さは大犯罪に加担しているのではないかと思う。自身を語らず、謙虚さもないような記事は最悪と思う。
January 28, 2006
コメント(2)
つれづれに今年の冬は厳冬で経過しています。私自身は、暖房のあるとこで、ほとんど仕事をこなしているのですが、この時期でも外で仕事をなされる方も多くいます。工事現場や、郵便配達の方や、市場での販売や、いろいろ。額に汗して働く などの形容はこうした気候に直接さらされながら働く姿にイメージされやすいと思います。ライブドア問題に限らず、金から金を生み出す仕事のもともとの金は、多くはもともと自然の原料や体を使った労働からではなかと思います。もちろん、頭脳労働も労働でしょうが。マスコミの材料は、事件や、騒動や、ゴシップ、等々・・・マスコミや、株の売買での利ざや稼ぎ、どこか似ているように思えます。投資ならば意味もありましょうが、利ザヤを稼ぐというのはどうなのだろう。自分を取りあげることもなく、他の事象を商売の種にしている、他人の金を運用していっぱい給料をもらう、・・・清貧の政治家などとんと聞いたことがない。ライブドアHPのニュースをみていると自分のことを擁護に奔走するわけでもなさそうで、どこか人の良さもうかがえます。悪徳な人は、弁明に奔走する。又は追求のみに奔走する。もっとたちが悪いのは、知らん振りをする。国会などでよく見かけたりします。ここは楽天のブログでしたっけ?
January 27, 2006
コメント(0)
つれづれに、今年もあっという間に、ひと月が過ぎようとしています。歳と逆比例してときの長さの感じ方は速まるようです。人の寿命はせいぜい百年ですが、ひとところに根を張り一生を送る樹木の多くは数百年も生きる。なんと根気のよい命だろう。・あて・になるならないの・あて・は木にとっては、大きな力であり、その踏ん張りなくしては、木は空に向かって葉を茂らすこともむずかしい。まして、逆境というべき、北側斜面の樹木にとっては、生命そのものが・あて・にかかっている。あてにならない・あて・であっては・あてはずれで、生き残れない。しばし、逆境には、透徹した力が育つ。また、その・あて・は逆境こそ働き場所である。家屋の屋根の重みに耐える梁には、その・あて・の性質があるほど丈夫である。支える、守る、耐える、活かす、これらは・あて・にすべて具わるものです。雪国にも、おのづから、その下地の感性があるのだと思う。・・・・
January 26, 2006
コメント(0)
引き続いて、部分補強について。ドアなどの出入り口はせいぜい80センチほどですが、和室などでは、2枚~4枚の引き違いの建具が使われて大きく開放されています。通常、補強の仕方は、天井裏の 梁と柱と土台とをしっかりとつないで、横揺れなどに対抗する壁体となるよにします。それらを建物の壁の中にバランスよく仕組んであればよいのですが、開放されているところは、補強しにくいのが普通でしょう。そこで、建具の一枚部分を固定し、(出入りや物の移動に支障ない範囲で)その建具を壁となるような強固なものに作り変えて敷居(建具の下の所)鴨居(建具の上のところ)と固定します。 また敷居の下に土台がある場合が多いので、土台ともボルトや、金物で隙間なくつなぎます。建具の上も天井裏に梁があればそこまで一体となるように補強します。その際、壁に代用する建具を金属製や、板材を張り合わせた厚い材料で作れば、明かりが入るような窓も少しは取れるでしょう。大きく開放された部分を一部完全に壁にする方法もありますが、あまり、雰囲気を壊さずに補強するには、このような工夫も考えられます。つづく
January 25, 2006
コメント(0)
ブログのデザインが変わり気分よく。さて、住宅の部分を耐震構造にするために。よく、テレビなどで スジカイ を入れて補強金物を交差部分にしっかり取り付けることが取り上げられています。確かに有効な方法です。また、収納ダンスなどの顛倒防止や落下物の固定など・・・・。重要なことです。もっと効率的に考えると、 収納棚自体を補強壁 にしてしまうことも可能です。壁を補強する方法としては、壁を壊さなくても、柱と柱の間をつなぐようなやり方であれば、補強したと同じ働きを持たせることができます。壊さずに、しかも倒れてこなくてなおかつ収納を増やすやりかたです。つづく
January 25, 2006
コメント(0)
引きつづき。耐震補強について、ランダムな書き込み。余談ですが、建築物には、それぞれに性格や感情や、表情があり、見えない心も宿るものです。それは、子育てや、人に対する心遣いと同じに作り手の意識の反映でもあるのです。それ故に、住む人や利用するだろうそれぞれの人にどのような表情と感情と心持で接しようとするのかによって、その建物は生まれ育ちます。生み育てる側の考え方、あるいは生き方までがその形の中に外に現れてきます。経済性は、大切な要件でもありますが、貧しい家に育つ子供が立派に育つように、経済性とは、二次的に考えるべきであり、もっとも大切なことは人・周り・未来を思いやる優しさが込められていることです。自分がかかわれる分野の中でできる限りそうあろうと心から思います。
January 24, 2006
コメント(0)
ライブドア、堀江氏が逮捕されました。IT産業とは、何のことか今もよくわからない私ですが、経済界・政界も社会もこぞってインターネット社会を勧めて、進めて、景気が悪ければ、株価が下がり、株価が上がる、下がるで、マスコミも記事に書きたてる。情報の発信は自在に可能な時代は、情報に左右される時代でもある。こうしたときは、自己の反省に意識が薄く、世間の風評に自己の判断もゆだねられてしまい勝ちなのは、だれしもにあてはまる。相場も、占いも、コメンテーターの言動も、・・・メディアに流れる情報の質こそ自由であっても品格と、確かさが、いよいよ必要な時代と思います。相反する思惑は、表裏で情報に顕れてくるのは世の常ですが、マスメディアの品性は誰が維持するのだろうか。メディアは、大きな力でもあり、武器ともなり、手法でもあり、その使い手の品性にかかっている。経済優先で煽っておきながら、あまりにもそっけない、メディアの情報にこそもう少し注意深く警戒を要すると感じます。相場は、人気と同質ではないか、人気も実力であるのは政治も会社も芸能界も、個人の間でも同じ。顔のない風評のみ論じるのは自己の反省や、内省を促す事を忘れさせる働きがあるように思います。建築界の分野も私自身も同様です。
January 24, 2006
コメント(0)
耐震構造を部分に行う。ランダムな書き込みになりますが。テレビの報道番組の中でも、一人暮らしの御老人が、大掛かりな補強が困難なので一部屋だけ補強することになりました。といった、要所の補強ならば最低限の予算でも可能でしょう。避難するか、それとも待機するか、少なくともある程度の時間を確保するための補強であるなら、決まりきったやり方でなくとも良いかと思います。睡眠時は無防備になる時間帯ですから、寝室は特に大事です。また、その位置は、できる限り、外部に面する所を選ぶことからはじめて、その周辺を補強する事を重点的に行う。これは、全体的にバランスさせる耐震判定より部分ならばより強度を増すことも可能となります。その方法も、壁を壊すとかせずに室内側で組み立てる方法も考えられます。つづく
January 19, 2006
コメント(0)
引き続きで、建物の安全確保の方法として。今、また今後、一人暮らしのお年寄り世帯は多くなります。緊急時の避難や、防災対策は重要になります。しかし、十分な、耐震、や防災システムを完備するのが困難な方は多い筈です。経済的なことや、十分な情報すらも行き渡っていないとか、緊急時は、ただおさまることを待つ他なしといった方々はきっと多いはずだと思います。どうしたらこうした、いわゆる弱者を少しでも安全な状況下に置くことができるか。 これは専門知識を有する私たちの命題とも思います。そうしたことの為に、持ち合わせる知識や方法をこれからおいおいに示して行こうと思います。
January 19, 2006
コメント(0)
しばらくぶりに。昨日、ふと思ったのですが、昨今の、地震にかんする情報番組や、地震予知についての話題は、年々、確信めいて、大きな地震がいつ来てもおかしくないといった内容です。そして、この計算書偽造の事件によって、不安感は、増して、既設の建築物を検査して、耐震補強を行うことが加速されていることは、ある意味で、多くの人命を将来的に助けることに繋がるのか・・・・・といった、皮肉めいた思いつきでした。少々、不謹慎かと思いますが。さて、建築設計分野の者として、気になることがあります。 それは、地震に強い、耐震構造を駆使して、何故高層ビルを造るのか・・・・ いまどきに。地価の問題や敷地の効率的な利用目的故は、周知としてもしかもガラス張りの建物とか。デザイン性は、私も拘るところですが、果たしてどうなんだろうか・・・安全性とデザイン性と、住みよさと、経済性と・・・・と求めることは良いのだけれども地べたに 安全に立つのは結局 人 なのであり、地震のときも障害物のないところでならば、 地に伏せて振動が収まるのを待つ。程度の地震ではある。昔の人が恐れたのは、 天変地変という ケ の出来事そのものを愁いて、畏怖したのであり、度(節度や、循環の落ち着き方)が失われて、生活の循環が狂うことそのことだったのではないかと。
January 18, 2006
コメント(0)
今年も、よろしくお願いいたします。新年を迎えて早、一週間が過ぎました。今年初の書き込みです。充実した一年としたいと思います。 今年は、雪がとても多いのですが、昨年来の『構造問題』もさることながら、積雪地帯の住宅は、経験的に木造家屋の柱は、こうした積雪に耐えるように雪の少ない地方より、太めになっています。当然地震にも効果的なものだと言えます。 歴史的な経験や、勘から培われた知識には有用なものが確かに多くあります。 計算は、データーとして何をどのように組み込んだのかで決定されますが、予測外のことは、多くは除かれます。台風のとき、大きな地震が同時に起ったら、どうなるのか・・・・自然の力に対抗するのではなく、対応すること。さて普段からどう自然と向き合うのかによってそのあり様もかわるのだと思ったりします。人間も自然界の一部の存在である以上は、自然の動きと相互に関連しつながっているのだと思う。 穏やかな社会であれば、自然界の動きも急変はしないのかもしれない。・・・そんな気がします。
January 7, 2006
コメント(0)
全13件 (13件中 1-13件目)
1


![]()