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今年もあとわずか。そして、出産という大仕事を控えて、緊張していたはずなのに、一昨日、29日の午後、ひざを打ってしまった。夫の車で中華料理屋さんにいって、座席から降りようとした時の事。ふと、頭をよぎる。だいたい大役の前は怪我をする事が多かった。1992年、初めて「三人姉妹」のイリーナという大役をもらった時も、舞台稽古で装置の車にひざをぶつけて病院に行ったし、1993年、「盟三五大切」のときはコロスだったけれど、骨膜炎になり、ドクターストップ、1995年、一人芝居「おやすみ、母さん」の時は自転車で転んで指ニ本骨折、右手ギブス生活のまま本番突入だった。最近では、2003年の「月と鏡」の本番中に階段で転んで弁慶の泣きどころに肉が見える傷を作り、とまあ、なんでこんな時に!?というタイミングで怪我をする事が多かったのだ。今回も、ぶつけた当日は痛みも強く、「こんな足で出産と子育てをするの?」と、ショックが大きかった。そのわりに回復は早く、二日たった今は傷に物があたった時に思い出す程度の痛みになった。ありがたいこと!本当に良かった!ホント、油断大敵です。さて、書いている間に年を越してしまったようですが、もう油断しません。よくよく気を付けます。無事産まれますように!!旧年中は、特に後半は更新が滞りがちだったにもかかわらず、訪問して下さったみなさまには本当にお世話になりました。新年も、なるべく更新していきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。良い年をお迎え下さい。
2005.12.31
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あっという間に、日記を書かないまま、一ヶ月が過ぎてしまった。書こうと思った事は何度かあったけれど、他に優先する事があったり、パソコンの前に座るには寒すぎる日が続いたりして、そうこうするうちに一ヶ月が過ぎてしまったのだった。とはいっても、「何を書こうか」考えていなかったわけでは無い。この期間に何回か考えたテーマの一つに、「オバサンは妊婦経験の間に作られるかもしれない」というのがある。勿論、「オバサン」の定義もいろいろあるとは思うのですが、例えば「姿勢や歩き方がオバサンくさい」男女問わず幅広い年令層にそういう人は存在すると思うし、「ただ単に中年以上の年齢層の女性」に対して「オバサン」と決めつける人が世の中に存在する事も知っている。そうして、私個人としては、年令や見た目だけで人を「オバサン」と決めつけたく無いと思っているので、ここでとりあげる「オバサン」は、どちらかというと「電車やバスの座席は自分のためにあると思っている、公共意識の欠如」「自分の意見が正しいと言わんばかりに他人に押し付ける」「周りの空気を読まない」などといった、「自己中心型オバサン」に限定して、ちょっと考えてみたい。つまり、妊婦の大部分は、先ず結婚しているということから、いままで社会の「一個人」であった女性が妊娠して仕事をやめた場合などは特に「一国一城」を意識するようになる。人としての自分という人間の完成度に関係なく、親になるということは、「つい、自分を正当化したくなる」のが普通かもしれない、なんて思ったりして、更に、妊婦ともなればバスや電車の座席は「譲ってもらうのが当たり前」と勘違いしてしまう。それは、譲っていただかなければ辛くて大変だという現実に生きている事も事実ではあるけれど、公共の乗り物に乗らなければいけない時は、どこかに「譲り合い」の精神がなければ、自分が辛くなるだけなわけで、そして、周りに大事にされる事に慣れてしまうと、いつの間にかそれが当たり前に感じてしまったり、お昼寝が当たり前になったり、自分を甘やかして食べ過ぎたり、それをまた正当化したり、なんてやってたら、自分で気を付けていなかったら、無自覚にやっていたら、とんでもない「オバサン」が出来上がってしまうんじゃないかと。そして、現在存在している「自己中心型オバサン」の中にはそうして形成された人もいるのじゃ無いかな、なんて想像したりして、とどのつまりは自分を戒めているわけです。そんな大人になってしまったら、産まれてくる子どもにもなめられちゃうでしょう。そんなのはイヤだ!考えれば考える程、身の毛もよだつ、恐ろしい話に思えてくるのでした。歩き方にも、姿勢にも、気を付けて、体型も常に「産まれたら戻す」事を意識して、結局は志しの問題だと思うので、日々工夫と自己反省です。
2005.12.18
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