日本に到着した東京オリンピックの聖火は東日本大震災の被災 3 県で巡回展示されているのだが、聖火リレーでは出発地に東日本大震災の被災地である福島県のサッカー施設「 J ヴィレッジ」からで第 1 走者には「なでしこジャパン」が選ばれており、東日本大震災が発生した年のサッカー女子ワールドカップドイツ大会で初優勝した日本代表のメンバーなのだ。国際オリンピック委員会が東京オリンピック・パラリンピックの延期の検討に入ったことを受けて大会組織委員会は聖火リレーについて、ランナーを出走させず聖火をともしたランタンを巡回させる形式で調整していたが、トーチによるリレーでは沿道に人が密集し新型コロナウイルスの感染拡大につながることを懸念した措置だったのだが聖火リレーは一時中止となってしまった。
組織委の森喜朗会長は会見で「世界の状況が大きく変化している。最初の計画通りやるというほど、われわれも愚かではない」と述べており、聖火リレーについても安倍晋三首相が福島県で開かれる出発式参加を見合わせる方向で検討していた。森会長は安倍首相と国際オリンピック委員会のバッハ会長の電話協議で東京五輪を 1 年程度延期する方針で一致。開会式が 7 月 24 日ではなくなったため、新国立競技場へ向けて全 47 都道府県を巡る聖火リレーも取りやめとなった武藤敏郎事務総長も聖火リレーについて大会延期が決まった場合には「慎重に検討し、合理的な結論に持っていきたい」と説明して、組織委では感染拡大を受け出発式を無観客で行うことを決めていたがさらに規模縮小するとしていたのだ。
この聖火リレーの始まりはナチス政権下のベルリンオリンピックで、ドイツのスポーツ当局者でスポーツ科学者のカール・ディームが聖火リレーを発案したそうなのだが、考案した理由を古代との関連を強め各国を通過するので青少年の教育につながるし見た目に美しく芸術的であるというそうなのだ。もっともギリシャで採火した聖火をベルリンまで運ぶという発想はゲルマン民族こそがヨーロッパ文明の源流たるギリシャの後継者であるというヒトラーの思想に適った物でもあったといわれており、ナチスドイツの宣伝も兼ねて行われナチスドイツのシンボルマークである鉤十字の旗と共にドイツ国内で聖火がリレーされたそうなのだ。ナチスアレルギーの欧米がいまだにこの行事に反対しないのも不思議だという意見もあるそうなのだ。
戦後初めてのオリンピックとなる 1948 年ロンドン大会ではギリシャの第一走者はトーチを手にする前に軍服を脱ぎその後にトーチを持って走り戦争が終わり平和になったことを示したそうなのだが、アジアで最初に行われた 1964 年の前回の東京大会の聖火リレーは、アテネからアジアの 11 か国・地域を回る壮大なもので、イスタンブール・ベイルート・テヘラン・ラホール・ニューデリー・ラングーン・ バンコク・クアラルンプール・マニラ・ホンコン・台北・と 11 の国の中継地を経て沖縄に到着し、沖縄はまだ占領下だったが日の丸をふることができたという。ところが北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかったことを受け、今後の五輪開催に伴う聖火リレーは主催国内のみで行い世界規模の聖火リレーを廃止することを決めたという。
この聖火リレーの起源を調べてみると古代ギリシァ人にとって火はプロメーテウスが神々の元から盗んできたものだと考えられていて神聖なものだったそうで、このため聖火はオリンピアにあるヘスティアーの祭壇で燃え続けたとされている。オリンピック開催期間中はゼウスとゼウスの妻ヘーラーの神殿に火がともされゼウスを称えたという。近代オリンピックにおける聖火はかつてヘーラーの神殿が建てられていた場所で採火されている。古代オリンピックが始まる前にまもなくオリピックが始まることと戦争の中止を呼びかける平和の使者であるスポンドフォロイがオリーブの小枝を持ってギリシャ中を回ったことから、今日の聖火リレーはオリンピック精神である平和を伝える意味もあるそうなのだ。
キーワードサーチ
コメント新着