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生産中止となって時が経ったNSX。 後継車が心配されていたが、12月22日発表された。 HSV-010というレース専用車。 量産、市販のスーパースポーツはないのだろうか。 それとも、参戦後認証を取得し市販か。 Honda Racing Press Information 2009年12月22日 2010年SUPER GTシリーズGT500クラスにHSV-010 GTで参戦 Hondaは、2010年のSUPER GTシリーズ(統括・運営:株式会社GTアソシエーション)GT500クラスに、HSV-010 GTで参戦することを発表した。 HSV-010 GTはモータースポーツの原点である「速さ」を徹底的に追求し、お客様に夢と感動を提供していきたいとの想いで開発されたレース専用車である。また JAF(社団法人 日本自動車連盟)が定めた「2010年レギュレーション(排気量3.4リッター、V型8気筒、FRレイアウト等)」に準拠しており、JAF-GT500基本車両資格登録の承認を得ている。 HSV-010 GTは、2010年3月20日(土)、21日(日)のSUPER GT開幕戦(鈴鹿サーキット)でのデビューを予定している。 ※HSV=Honda Sports Velocity:Velocityは速さ、速度の意味。 Hondaは1997年より全日本GT選手権(JGTC)にNSX-GTで参戦して以来、2009年シーズン終了までの13年間で通算106戦に参戦。50回のポールポジションと、37回の優勝を果たしている。
2009年12月29日
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2009年12月11日開催の世界モータースポーツ評議会にて、2010年、F1公式カレンダーが決定された。 F1日本GP決勝は、2010年10月10日、15時スタート。 2010 FIA Formula One World Championship 3月14日 バーレーンGP BHR Bahrain 3月28日 オーストラリアGP AUS Australia 4月 4日 マレーシアGP MYS Malaysia 4月18日 中国GP CHN China 5月 9日 スペインGP ESP Spain 5月16日 モナコGP MCO Monaco 5月30日 トルコGP TUR Turkey 6月13日 カナダGP CAN Canada 6月27日 ヨーロッパGP ESP Europe (Valencia) 7月11日 イギリスGP GBR Great Britain 7月25日 ドイツGP DEU Germany 8月 1日 ハンガリーGP HUN Hungary 8月29日 ベルギーGP BEL Belgium 9月12日 イタリアGP ITA Italy 9月26日 シンガポールGP SGP Singapore 10月10日 日本GP JPN Japan 10月24日 韓国GP KOR Korea* 11月 7日 ブラジルGP BRA Brazil 11月14日 アブ・ダビGP ARE Abu Dhabi 韓国GPはサーキットの公認後、開催決定。 オーストラリアとアブダビは、現地時間の17時、マレーシアは16時、カナダは12時、シンガポールは20時、日本は15時スタート。 FIA公式プレスリリース 世界モータースポーツ評議会 F1日本グランプリ 開催日決定のご案内 2009.12月12日(土) 12月11日(金)に モナコで開催されたFIA世界モータースポーツ評議会にて、2010年のレースカレンダーが決定され、「FIA F1世界選手権第16戦 日本グランプリ」は10月10日(日)決勝日として、本年に引き続き鈴鹿サーキットで開催する旨、発表されました。 鈴鹿サーキットは、1987年の初開催以来21回目の開催となった2009年には、F1日本グランプリを存分にお楽しみいただけるよう、F1マシンが熱い戦いを繰り広げる金曜日から日曜日はもちろん、木曜日のピットウォークやドライバーサイン会に加え、決勝直後に激戦の後を実感いただけるコースウォークや、翌月曜日のトークショー・パドックツアーなどを開催し、ご好評をいただきました。 2010年は決勝翌日がハッピーマンデーの祝日となり、決勝レースを観戦された後もゆっくりお楽しみいただける催し物をご用意して5日間イベントとして開催してまいります。 なお、2010年「F1日本グランプリのチケット」に関しましては、3月初旬に概要を発表し、5月中旬に発売を開始する予定です。 またひとつ歴史を重ねる鈴鹿サーキットのF1日本グランプリにご期待ください。 『ドミニク・ドゥーセのおいしいパン』 ドゥーセ,ドミニク(Doucet,Dominique) 1961年、フランス・リジュー市生まれ。 14歳でパン職人としての道に入る。 1987年、鈴鹿サーキットでのF1初開催に際し、ホンダの招きで同サーキットホテルのパンレストランを任される。 1992年には、鈴鹿市に「ドミニクドゥーセの店」をオープン。 1997年と1999年には、『TVチャンピオン』(テレビ東京系列)のパン職人選手権大会で2連覇を果たした。
2009年12月12日
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男泣きの山科代表の姿が、トヨタF1撤退のの急展開ぶりを想像させる。 アブダビGP後の山科代表の「小林可夢偉、正ドライバー当確」発言は真実だったろう。 たいていの人は嘘つきにはなりたくない。 結果として嘘に見えることになるぐらい、方向転換が急だったということ。 そして、トヨタ経営陣にはスポーツとしてのモータースポーツが根付いていないことも明らかになった。 トヨタ・モータースポーツの欧州拠点は縮小され活動継続。 F1以外のモータースポーツ活動も継続し、とれる範囲の責任は取った、という落としどころ。 トヨタF1は上り調子だっただけに、ルノーのようにエンジン供給の可能性を探るポーズだけでも欲しかった。 ここは絶不調で終わったホンダと違うところ。 エンジンを変更したブラウンGPが勝っても、開発に携わったホンダのエンジニアたちは素直に喜べないはず。 トヨタの業績に与える影響は明日、5日発表。 F1のコストは、企業収支の赤字と黒字のギリギリのところなのかも知れない。 チーム代表、男泣き =トヨタF1撤退 (2009/11/04 時事ドットコム) トヨタ自動車の専務として記者会見に出席したF1チームの山科忠代表が泣いた。 同社のドライバー育成プログラムから巣立った小林可夢偉が初入賞を果たした矢先の撤退。 やはりトヨタ系のスクールで育ち今季限りでウィリアムズを離れる中嶋一貴も次のシートが未定とあって、「ここまで育てた2人なので…」と言って絶句。 「できればどこかのチームで乗せたい」と続けながら、涙をぬぐった。 チームの最高責任者として徹底したコストダウンにも務めてきたが、勝利の美酒を味わうことなく最高峰の晴れ舞台から去る。 「(環境に配慮した)プリウスだけのレースでワクワクするかと言えば、そうでもないと思う。いろいろ考えていきたい」。 モータースポーツ活動への意欲も見せていた。 可夢偉 来季トヨタ正ドライバーに当確 (2009年11月3日 日刊スポーツ) 1日のアブダビGP(ヤスマリーナ・サーキット)で、F1デビュー2戦目で6位に入賞したトヨタの小林可夢偉(23)が、来季の正ドライバー昇格に当確ランプをともした。 12番手から、戦略通り冷静に走り切ったことがチーム首脳に認められた。 小林の起用に慎重だったトヨタ・モータースポーツのハウエット社長は「真の闘争心を見せ、結果を出した。彼は我々の育成プログラム出身で、日本人。他にも強みはたくさんある」と、来季の起用を示唆。 山科忠代表も「決定でしょう」と話した。 (アブダビ=米家峰起通信員) ルノーもF1撤退検討 =パリで緊急会議-英BBC報道 (2009年11月5日 時事通信) 【ロンドン時事】 英BBC放送(電子版)は4日、仏自動車大手のルノーが、自動車レースのF1世界選手権シリーズからの撤退を検討する緊急幹部会をパリで開いたと報じた。 …… 報道によると、ルノーは(1)参戦継続(2)完全撤退(3)エンジン供給のみの活動継続-を選択肢に入れているとしている。 会議にはF1チームのベル代表らも出席したが、討議への参加は認められなかったという。 ルノーは2002年に復帰し、05年、06年にはフェルナンド・アロンソ(スペイン)を擁し、ドライバーズ部門と製造者部門の連続2冠を獲得した。 一方、今夏には、昨年のシンガポール・グランプリでの故意の順位操作が発覚し、2年間の猶予が付いた資格停止処分を受け、当時のブリアトーレ代表は無期限の資格停止処分を受けた。 今季はレッドブルにエンジン供給も行っていた。 クライスラー フィアットの支援で再建へ (2009年11月5日 時事通信) 記者会見に臨むクライスラーのマルキオンネCEO。 フィアットとの車台共通化などにより生産効率の向上を図る一方、低迷する販売のてこ入れを目指し車種を全面的に刷新もしくは段階的に廃止。 (4日、米ミシガン州)
2009年11月05日
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2期連続赤字決算見込のトヨタ。 遂にF1撤退。 アンチトヨタの人々の「それ見たことか」、「やっぱり」との批判が聞こえるようだ。 ブリヂストンもF1タイヤ供給を撤退。 最近のホンダはモータースポーツよりエコに力が入っている。 「鈴鹿サーキットがF1開催継続を断念」…などとならないことを祈りたい。 若い中嶋一貴がF1チャレンジを止めることは気にもならない。 まだまだチャンスはある。 小林可夢偉は「寿司屋」さんになってしまうのだろうか? 将来を感じさせる走りを見せてくれただけに、何とかF1での活躍の場を見つけて欲しいと思う。 開催権料の高さ、運営費の高さから「企業の存続に関わる」としてF1継続開催をFSWは断念した。 2009年鈴鹿で開催されたF1日本GPは鈴鹿で開催されて最低の観客数だったと聞く。 日本企業のF1スポンサーもグッと減った。 鈴鹿サーキットが儲かりもしない(極めて儲かりにくい)F1開催を継続できる保証はない。 2010年、2011年、今後のF1国内開催の継続は日本のF1ファンの動向にかかっている。 <トヨタ> F1今年限り撤退 日本勢ゼロに (2009年11月4日 毎日新聞) トヨタ自動車は、自動車レースの世界最高峰、フォーミュラワン(F1)から今年限りで撤退する方針を固めた。 4日に臨時取締役会を開いて正式決定し、豊田章男社長が東京都内で会見して発表する。 トヨタは02年にF1に参戦。 当初は12年まで継続する方針を示していたが、世界不況により2期連続の赤字となる見通しで、これ以上の費用負担は難しいと判断した。 F1を巡っては、ホンダも昨年限りで撤退しており、日本の自動車メーカーが完全撤退することになる。 F1参戦は、運営費や車両製造費などで年間数百億円かかるとされる。トヨタは国内外の新車販売支援策などで業績は最悪期を脱したとはいえ、依然として膨大な過剰生産能力を抱えており、5日に発表する09年9月中間連結決算も営業赤字となる見通し。 トヨタは7月、傘下の富士スピードウェイ(静岡県小山町)でのF1開催から昨年限りで撤退することを表明したが、9月中間決算で黒字になったホンダなどに比べ大きく出遅れており、F1撤退によるコスト削減を決断した。 今後はF1チームのメンバーらの雇用を守るため、チームの譲渡などを検討する。共同参戦などの形で、運営費を大幅に圧縮し、F1にかかわり続ける可能性もある。 F1=ブリヂストン タイヤ供給から撤退へ (2009年11月2日 ロイター) ブリヂストンは2日、F1世界選手権の公式タイヤサプライヤー契約が2010年に満了するのに伴い、F1用タイヤ供給から撤退すると発表した。 F1向け供給は同社の技術進歩とブランド力の向上に寄与したものの、自動車向け需要が冷え込む厳しい経営環境のなか、他の戦略分野に開発資源を集中させる必要があると判断した。 F1ウィリアムズ・中嶋一貴は今季限り (2009年11月2日 読売新聞) 自動車F1世界選手権シリーズのウィリアムズは2日、チームのホームページで、来季のドライバーにルーベンス・バリケロ(ブラジル)、ニコ・ヒュルケンベルク(独)を起用すると発表した。 今季の獲得ポイントが0に終わった中嶋一貴、ニコ・ロズベルク(独)は、チームを去ることが正式に決まった。 小林可夢偉 F1ドライバーにならなければ実家の寿司屋へ!? (2009年11月3日 ISM) 最終戦アブダビGPで6位入賞と活躍したトヨタの小林可夢偉は、もしF1ドライバーの夢を諦めたら実家の寿司屋で働くことも考えていたことを明かした。 …… 小林は2008-2009年のGP2アジアシリーズではチャンピオンに輝いたが、その後のヨーロッパ開催のメインシリーズでは不本意な成績に終わっていた。 そのため、この2レースのチャンスがなかったら、別の人生を考えていたことも打ち明けた。 小林は報道陣に「僕には予算がない。予算がないんだ。だから、来年GP2では走れない。おそらく日本に帰って、たぶん父と一緒に彼の寿司屋で働いていただろう。2ヶ月前は、本当にそうなりそうだった。16歳のときはそこで働いて、寿司を作っていたんだ」とドライバー活動が危機的状況にあったことを語っていた。
2009年11月04日
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トヨタがF1参戦を止めなかった理由はこんなところにもあったのだろうと思わせる、新車攻勢。 鈴鹿サーキットで開催された日本GPの2位入賞を大喜びしていた豊田章男社長。 新生トヨタが「クルマの楽しみを知る(伝える)」、スポーツ路線によるトヨタブランドの強化、イメージアップを継続していくことが分かる。 豊田社長はFSWより鈴鹿サーキットが好きだとの噂も聞く。 ホンダ系列の鈴鹿サーキットでF1のチームトヨタが優勝なんてもことも「あり」だ。 「スポーツ心」は良い。 ホンダのタイプRの足回りについてコメントするのもよい。 が、モータースポーツファン育成も含め、FSWでのF1GP再開というようなことも考えて欲しい。 F1参戦の負担を負ったから開催の負担はホンダへ、というのはあんまりだ。 日本のモータースポーツファンのためにF1開催を継続したホンダ・鈴鹿サーキット。 F1復活は暫くなさそうだが、V10は止めたと発表したホンダのNSX後継車は開発はすすめられているのだろうか。 ホンダにこそ「スポーツ心」は大事なアイデンティティだと思う。 <トヨタ> 最高速325キロ! レクサスのスーパースポーツ「LFA」世界初公開 (2009年10月21日 毎日新聞) トヨタ自動車は21日、幕張メッセ(千葉市美浜区)で開催されている東京モーターショーに、レクサスブランドのスポーツカー「LFA」を世界初出展した。 豊田章男社長は「走りを鍛え上げたスーパースポーツ」とアピールした。 世界500台限定発売で、21日から購入希望を受け付ける。 伝説のスポーツカー「ハチロク」 復活前に早くも人気沸騰 (2009/10/17 J-CASTニュース) 2009年10月24日に千葉市の幕張メッセで開幕する東京モーターショーで、近年では珍しく注目の高い次世代スポーツカーが登場する。 トヨタ自動車と富士重工業(スバル)が共同開発する小型FR(フロントエンジン・リヤドライブ=後輪駆動)スポーツカー「FT-86Concept」だ。 トヨタが世界で初めて東京モーターショーに参考出品すると発表し、国内外のメディアが速報すると、インターネットには早くもファンの膨大な書き込みが登場。 自動車雑誌の表紙を飾るなど、ちょっとした社会現象となっている。 …… スバルがトヨタ傘下で「日本のポルシェ」になる? …… ホンダも「CR-X」の後継モデルスポーツカー …… 【東京モーターショー09】 豊田トヨタ社長「最近のタイプRは硬いね」 (2009年10月21日 レスポンス) …… 米トヨタ レクサスのリコール見合わせ (2009年10月6日 読売新聞) 【ロサンゼルス=飯田達人】 米国で販売されている高級車「レクサス」などで、運転席のフロアマットがずれてアクセルが戻らなくなり、事故につながる恐れが指摘されていた問題で、米トヨタ自動車販売(本社・カリフォルニア州)は5日、当面、連邦自動車安全法に基づくリコール(回収、無償修理)ではなく、顧客にフロアマットを外すよう求める「安全キャンペーン」を続けることを決め、米道路交通安全局(NHTSA)に文書で報告した。 対象車は「レクサスES350」(2007~10年)、ハイブリッド車「プリウス」(04~09年)など約380万台。 意外に多いレクサスのリコール (2009年10月1日 Day by day) 米トヨタ、380万台リコールへ レクサスなど、マット不具合でアクセル戻らず (2009年9月30日 読売新聞) 【ロサンゼルス=飯田達人】 米国トヨタ自動車販売(本社・カリフォルニア州)は29日、運転席のフロアマットがずれてアクセルペダルの操作を妨げ、ペダルが踏まれたままの状態になって重大事故につながる恐れがあるとして、米国で販売されている高級車「レクサス」など約380万台を対象に、顧客にマットを外すよう求めると発表した。 週明けにもリコール(回収、無償交換)する方針だ。トヨタとしては米国で最大規模のリコールとなる。 対象は「レクサスES350」(2007~10年型)、ハイブリッド車「プリウス」(04~09年型)、主力の「カムリ」(07~10年型)など7車種。 米運輸省などによると、ゴム製などのマットが固定されずにペダルの下に入り込むなどした際、ペダルが引っかかり、戻らなくなる場合がある。 カリフォルニア州サンディエゴ郊外の高速道路で8月、レクサスES350が時速約190キロで壁に激突、乗っていた4人が死亡した事故があり、捜査でその状況に陥った可能性が高いことが分かった。 販売店が貸した代車で、マットはサイズが合わない別車種のものだった。 同乗者が携帯電話で「アクセルが動かない」などと緊急連絡し、衝突までの緊迫したやり取りがメディアで報じられた。 米運輸省は29日、ペダルの形状などが同じプリウスなど他の車種も含めて注意を喚起した。 AP通信によると、04年型以降のトヨタ車でペダルが戻らなくなって起きた事故は、運輸省に102件報告されている。 …… トヨタ&レクサスの21万台超にリコール (2007年11月28日 carviewニュース)
2009年10月22日
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車を車として楽しむ。 古くて、愛着のある車を実走して楽しむ文化が日本でも定着しつつある。 単なる移動手段としてのクルマを超える世界。 日本でも西欧や米国のように、自動車が富の象徴、権威の象徴から、文化となりつつある。 ハイブリッドやエコと異なる面もまた事実。 環境対応の進化とともにクラシックカーの生き残る道も探さなければいけない。 無粋とも思うが、他の文化活動、スポーツの支援をするぐらいなら、自動車工業会が音頭をとり、日本の自動車博物館、展示館を建設してくれてもよい。 往年の名車60台「ラリーニッポン」に出発 (読売新聞) 各地の文化遺産を4日間にわたってクラシックカーで巡る「ラリーニッポン」(読売新聞東京・大阪両本社など後援)が17日朝、東京・国立劇場をスタートした。 日本ユネスコ協会連盟の「未来遺産運動」の公式連携事業の一つで、クラシックカーの愛好家らでつくる「ラリーニッポン」が初開催した。 スタート地点に並んだのは、雅楽師の東儀秀樹さん(50)がハンドルを握る赤いスポーツカー「ACエース」(1954年製)や「ブガッティT22」(25年製)など往年の名車約60台。 いずれも独特のエンジン音をとどろかせて皇居周辺を疾走した後、白川郷合掌集落(岐阜)や東大寺(奈良)、ゴールの仁和寺(京都)など各地の文化遺産を巡る旅に出発した。 La Festa Mille Miglia 2009 (公式サイト) ラ・フェスタ・ミッレミリア2009 (成田市) 10月13日 千葉県成田市 通過 La Festa Primavera 2009 (公式サイト)
2009年10月19日
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F1のシリーズチャンピオンがバトンに決まった。 着実にポイントを稼ぐクールな走行。 ブラウンもコンストラクターズタイトルを獲得。 中嶋vs小林の日本人対決は小林の勝。 初出走で10位は立派な成績。 バトンが初のF1王座獲得 ブラジルGP決勝 (2009/10/19 産経新聞) F1世界選手権シリーズ今季第16戦・ブラジルGPは18日、サンパウロ近郊のインテルラゴス・サーキット(1周4.309キロ)で20台が出走して71周の決勝を行い、ブラウン・メルセデスのジェンソン・バトン(英国)が最終戦・アブダビGP(11月1日決勝)を残して初のドライバー王座獲得を決めた。 ポイントランキング首位のバトンは、14番手からスタートし5位でゴール。選手権ポイントを89点とした。 このレースで4位となり、ランク2位に浮上したセバスチャン・フェテル(ドイツ=レッドブル・ルノー)は74点。 フェテルが最終戦で優勝しても84点で、バトンが無得点でも届かない。 レッドブル・ルノーのマーク・ウェバー(豪州)が1時間32分23秒081(平均時速198.675キロ)で、第9戦・ドイツGP以来の通算2勝目。 ロベルト・クビツァ(ポーランド=BMWザウバー)が2位、ルイス・ハミルトン(英国=マクラーレン・メルセデス)が3位。 ポイントランク2位で同僚のバトンを追っていたルーベンス・バリケロ(ブラジル=ブラウン・メルセデス)は8位。ランキングはフェテルに抜かれて3位となった。 参戦初年度のブラウンはコンストラクターズ(製造者部門)ポイントを161点に伸ばし、135.5点で2位のレッドブルに25.5点差をつけて、部門タイトル獲得を決定した。 デビュー戦の小林可夢偉(トヨタ)は10位で完走。 同僚のヤルノ・トゥルーリ(イタリア)は1周目のクラッシュでリタイアした。 ウィリアムズ・トヨタの中嶋一貴は31周目に小林を抜こうとして接触、クラッシュしてリタイアに終わった。 最終戦・アブダビGPは10月30日からアラブ首長国連邦アブダビに新設されたヤス・マリーナ・サーキットで行われる。 印象的なデビューを果たした可夢偉 山科代表も満足 (19/10/09 F1 Live.com)
2009年10月19日
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ブラウンGPがどうなるか、最終戦を前にして、バトン、バリチェロ、ベッテルのドライバー・ランキング争い、チーム・ランキングともに気になるところ。 今回は小林可夢偉と中嶋一貴の順位にも注目。 ブラジルGP 決勝スタート時のマシン重量 (2009年10月18日 ISM) FIA(国際自動車連盟)技術委員は、現地時間(以下、現地時間)17日、ブラジルGP決勝スタート時の全マシンの重量をプレスリリースを通じて発表した。 各マシンの重量は以下の通り。順番は暫定グリッド順、重量の単位はkg。 1 ブラウンGP R.バリチェッロ 650.5 2 レッドブル M.ウェーバー 656.0 3 フォース・インディア A.スーティル 656.5 4 トヨタ J.トゥルーリ 658.5 5 フェラーリ K.ライッコネン 651.5 6 トーロ・ロッソ S.ブエミ 659.0 7 ウィリアムズ N.ロズベルグ 657.0 8 BMWザウバー R.クビサ 656.0 9 ウィリアムズ 中嶋一貴 664.0 10 ルノー F.アロンソ 652.0 11 トヨタ 小林可夢偉 671.6※ 12 トーロ・ロッソ J.アルグエルスアリ 671.5※ 13 ルノー R.グロージャン 677.2※ 14 ブラウンGP J.バトン 672.0※ 15 レッドブル S.ベッテル 683.5※ 16 マクラーレン・メルセデス H.コバライネン 656.5※ 17 マクラーレン・メルセデス L.ハミルトン 661.0※ 18 BMWザウバー N.ハイドフェルド 650.5※ 19 フェラーリ G.フィジケラ 683.5※ 20 フォース・インディア V.リウッツィ 680.0※ ●V.リウッツィはギアボックス交換で5グリッド降格のペナルティを受け、20番グリッドへ移動 ※Q1、Q2不通過のマシン。重量はチームからの申告 ■ブラジルGP公式予選結果はこちら http://sports.yahoo.co.jp/f1/2009/brazil/1017/result05.html
2009年10月18日
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ブラジルGPで小林可夢偉が正式出走することになった。 ホンダが中島悟、佐藤琢磨とともにF1を戦ったように、トヨタも小林とともにシリーズも戦って欲しいと思う。 誇りに思う気持ちは大事だが、数少ないチャンスなので、圧倒的な自信をもって、速さを見せて欲しい。 小林可夢偉、F1デビューへ =「誇りを持って走る」 (2009年10月15日 時事通信) 思いがけない形で大舞台が巡ってきた。自動車レースのF1世界選手権に参戦しているトヨタが、16日に開幕する第16戦ブラジル・グランプリ(GP)に、控えドライバーの小林可夢偉(23)を起用する。 正ドライバーのティモ・グロック(ドイツ)が先の日本GP(三重・鈴鹿サーキット)の予選で負傷し、ブラジルGPを欠場することになったためで、小林は「自分がGPデビューの機会に恵まれるなんて信じられない」と興奮を隠せない。 小林は自らチャンスを引き寄せた一面もある。 日本GP初日のフリー走行では、グロックの体調不良で急きょ代役が回ってきたが、これを無難にこなした。 トヨタ・モータースポーツのジョン・ハウエット社長も「可夢偉の起用は自然な選択で、鈴鹿で役目をしっかり務められることを証明した」と評価する。 兵庫県出身。十代半ばからトヨタの若手ドライバー支援プログラムに支えられ、2005年にはフォーミュラ・ルノーのユーロ、イタリア両選手権で2冠に輝くなど着実に成長してきた。 鈴鹿では雨中の走行だったが「数時間でも運転することができたので、その経験がかなり役立つと思う」と小林。 その上で「厳しい週末になると思うが、チャレンジする準備はできている」。 今回は1戦限定の起用になるかもしれない。 しかし、近い将来のF1シートを狙う若者にとって、18日の決勝レースは絶好の機会。 「誇りを持って走り、ミスをしないで完走したい」と希望は膨らむ。
2009年10月17日
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台風18号は10月8日、三重県を通過。 F1日本GPを終えたばかりの鈴鹿サーキットにも爪あとを残した。 F1開催前なら大事。 F1明けで良かった(少しはまし)とも思う。 鈴鹿サーキットは10月8日、「台風接近に伴う営業中止」。 2004年の土曜日の公式予選中止が思い起こされる。 危機に強い鈴鹿サーキット、がんばってください。 画像はヘアピン立ち上がり。 I席間の斜面の崩落。
2009年10月08日
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予選中のスピン多発で舗装に問題があるのではないかとの噂話もあった、新生鈴鹿サーキット。 ベッテルの速さに追いつけない者たちの焦りがもたらした結果、とも考えられそう。 スタートからフィニッシュまで、安定した磐石の走りだった。 9月30日、鈴鹿市内をF1マシンで走行したベッテル。 「スズカ」が大好きになったことだろう。 チームの様子を見ているとまるでシリーズ優勝したかのようにトヨタが喜んでいた。 モータースポーツ好きの新社長も大満足。 FSWでのF1日本GP開催中止は早まった…とは思ってなさそうだ。 チームトヨタも鈴鹿サーキットの方が好きだったりして!? ベッテル 「鈴鹿は世界最高のサーキット」 (2009年10月1日 レスポンス) 昨年のF1日本GPの舞台は富士スピードウェイだったこともあり、セバスチャン・ベッテル(レッドブル)にとっては今年がF1ドライバーとして初の鈴鹿体験となる。 数字の上ではまだ辛うじてタイトルの可能性を残しているとあって、初めての鈴鹿に意気込む。 「鈴鹿は世界最高のサーキットだと思う。2006年の日本GPのときに2時間だけ金曜日のフリー走行を走ったんだ。そのときはウェットだったから、すごく怖かった印象がある。でも高速コーナーが多い最もチャレンジングなサーキットの一つである鈴鹿だ。ここでレースができることを心から楽しみにしているよ」とベッテルは語っている。 【F1日本GP】 ベッテルが完全優勝 (2009年10月5日(月) レスポンス) 4日、F1日本GP決勝はレッドブルのセバスチャン・ベッテルが完全優勝を飾った。 レースはベッテルがオープニングラップからリードし、2番手に上がったマクラーレンのハミルトンらを序盤からどんどん引き離す展開。 ハミルトンはトップグループで最初にピットストップを行い2位の座を守ったが、これにトヨタのトゥルーリがぴったり追従。 今度は38周目にハミルトンが2回目のピットストップを行ったが、このタイミングにトゥルーリが自己ベストタイムをマークして、その後のピットストップで逆転成功。 その瞬間、鈴鹿の観客は唯一のジャパンワークスチームの活躍に大きく沸いた。 45周目にトーロロッソのアルグエルスアリが130Rで大クラッシュをし、レースはセーフティカー先導となる。 残り3周でセーフティーカーが解除されたが、大きな順位の変動はなかった。 優勝は鈴鹿での初レースだったベッテル、2位はトヨタのトゥルーリ、3位はハミルトン(こちらも鈴鹿初レース)という表彰台メンバーだった。 ウイリアムズ・トヨタの中嶋一貴は初の地元・鈴鹿を15位でフィニッシュするのが精一杯だったのは残念な結果だった。 国内のプリウスの販売は4ヶ月連続トップ。 いいいことばかりはありゃしない…。 フロアマットに足元をすくわれた? <トヨタ> 380万台リコールを届け出 米販売の7車種 (2009年10月6日 毎日新聞) 【ワシントン斉藤信宏】 トヨタ自動車は5日、運転席に敷かれたフロアマットが運転中に外れてアクセルペダルの操作を妨害した問題で、米国で販売した7車種、計380万台のリコール(無償の回収・修理)を米道路交通安全局(NHTSA)に届け出た。 対象は、ハイブリッド車「プリウス」(04~09年型)▽中型乗用車「カムリ」(07~10年型)▽高級車「レクサスES350」(07~10年型)▽ピックアップトラック「タンドラ」(07~10年型)など。 AP通信によると、米国で過去6番目の大規模な届け出という。 トヨタによると、NHTSAは事故など計100件の報告を受けており、うち17件が衝突事故で5人が死亡した。 トヨタ側は「事故原因が車両欠陥によるものとの特定はできていないが、事故防止の観点から回収・修理する方針を決めた」としている。
2009年10月06日
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来期のF1GPのスケジュールが発表になった。 韓国、アブダビでF1GP開催。 韓国でF1が開催されるなら、鈴鹿サーキットは2010年に日本GPを無理してやらなくても良かったのではないだろうか? FSWが存続に関わるとして止めたイベントを鈴鹿が支えられる理由が分からない。 韓国と連続開催だと、カナダのように契約金が安くなるという話も聞かない。 日韓交互開催でも良いと思う。 経済の勢いの差で毎年韓国開催でも鈴鹿サーキットがなくなる(撤退する)よりは良いと思う。 2010年FIAフォーミュラワン・ ワールドチャンピオンシップ 03月14日 バーレーン 03月28日 オーストラリア 04月04日 マレーシア 04月18日 中国 05月09日 スペイン 05月23日 モナコ 05月30日 トルコ 06月13日 カナダ* 06月27日 ヨーロッパ(ヴァレンシア) 07月11日 イギリス 07月25日 ドイツ 08月01日 ハンガリー 08月29日 ベルギー 09月12日 イタリア 09月26日 シンガポール 10月03日 日本 10月17日 韓国 10月31日 アブダビ 11月14日 ブラジル *フォーミュラワン・マネージメント(FOM)との契約交渉が完了した場合。 完了しない場合はトルコGPが6月6日に変更される。 2009F1日本GPイベント詳細 F1 来季のスケジュール発表 韓国GPを初開催 [ 2009年9月22日1 ロイター] 国際自動車連盟(FIA)は21日、自動車レースF1の2010年シーズンのスケジュールを発表し、韓国グランプリ(GP)の初開催が決まった。 来季は2005年シーズン以来の19戦を行う予定で、3月14日のバーレーンGPで開幕し、11月14日のブラジルGPが最終戦となる。 第16戦の日本GPは10月3日、第17戦の韓国GPは同17日に開催される。 F1 ルノー、ベル氏が新チーム代表に就任 [2009年9月24日 ロイター] 自動車レースF1に参戦するルノーは23日、退任したフラビオ・ブリアトーレ前チーム代表の後任として、テクニカルディレクターのボブ・ベル氏が新代表に就任したと発表した。 ベル氏は今季終了まで代表を務める。 ルノーは、昨年のシンガポール・グランプリ(GP)で故意にクラッシュを起こした事件を受けて、ブリアトーレ氏と前エンジニアリング部門責任者であるパット・シモンズ氏が退任。 その後、国際自動車連盟(FIA)がルノーに対し、2011年シーズン終了まで2年間の猶予付きの資格停止処分を下した。 また、ブリアトーレ氏には無期限、シモンズ氏には5年間のF1追放処分が下された。 シンガポール スキャンダルによる風評被害を否定 「特定チームの問題」と大臣 (2009年9月19日 F1-Live.com) モータースポーツ史上最悪の事件になりそうな不正スキャンダルと、その現場となったシンガポールとは、何ら関係がないという見解を政府の大臣が明らかにした。 事件は、昨年シンガポールで初めて開催されたF1ナイトレースの最中、チームメイトのフェルナンド・アロンソがイレギュラーな戦略で勝てるよう、故意にクラッシュを演じたとネルソン・ピケJr.がFIAに密告したことから始まった。 その結果、ルノーの最上層部2人がチームを去ることになった。 …… エンツォ 194,000,000円!
2009年09月24日
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3年ぶりに鈴鹿で開催されるF1日本GP。 今年まではHondaに参加して欲しかった。 佐藤琢磨選手がHondaエンジンで走る姿が見たかった。 久しぶりに鈴鹿サーキットで佐藤琢磨選手に会えるのはハッピー。 堂本光一氏もF1ファン、モータースポーツファンとして、前夜祭から「SUZUKA」を盛り上げてくれるようだ。 Hondaがシャシー開発に大きく貢献したといわれるブラウンGPのバトンあたりが鈴鹿で優勝を決めてくれると、日本GPらしさ溢れるGPとなれる。 09 F1日本グランプリ F1日本GPに琢磨が来る! イベントに参加 (2009/09/18 産経新聞) 鈴鹿サーキットは18日、来月に開催するF1世界選手権シリーズ今季第15戦「フジテレビ日本GP」(4日決勝)に、スーパーアグリなどで活躍した佐藤琢磨(32)が来場すると発表した。 2日から4日までの期間中に行われるイベントに参加する。 鈴鹿サーキット・レーシングスクール出身の佐藤は2002年にF1デビュー。 昨年途中でスーパーアグリが撤退するまで90戦(決勝)に出場、04年米国GPでは3位となり、日本人史上2人目となる表彰台に上がった。 鈴鹿での日本GPには5度出場し、最高位4位を記録している。 日本GPは1987年から鈴鹿で20年連続で開催された後、07、08年は静岡・富士スピードウェイで行われた。 今年から11年までは鈴鹿で開催される。 *鈴鹿サーキットレーシングスクール 中嶋 一貴選手、山本 左近選手も卒業生 F1日本GPの前夜祭 堂本光一が出演 (2009/09/10 サンスポ) 10月2~4日にF1の「フジテレビ日本GP」を開催する鈴鹿サーキットは、予選の行われる同3日に前夜祭を開催。 モータースポーツのファンとして知られるKinki Kidsの堂本光一がゲスト出演すると発表した。 また今月30日には市内の鈴鹿スポーツガーデンで、レッドブルF1のデモ走行を実施。 詳細はhttp://www.suzukacircuit.jp/f1/
2009年09月24日
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インサイトの投入で一躍名を上げたホンダ。 排ガス規制のCVCCエンジンのときを思い出させる危機に強い体質。 「CR-Z」、「フィット ハイブリッド」の投入は既定路線。 以前はないと言っていた、電気自動車の投入も発表した。 開発費のかかる環境対応に必要といわれた「400万台クラブ」レベルに生産規模は整ってきたが、車種は整理、削減する方向。 メタノール改質型の燃料電池車FCXクラリティを開発。 2008年11月25日には日本国内でFCXクラリティを官公庁や一部の民間企業が対象で、リース販売を開始済み。 新興国を含め、自動車の環境対応の要請は強まる一方。 現時点でホンダからの投入が待たれるのは、アコードやミニバンなどのハイブリッド化。 ファン待望のF1再開は遠そうだ。 ホンダの参戦が遠いということは、佐藤琢磨の復活の可能性も僅かでも減るということ。 佐藤琢磨がF1日本グランプリに来場決定! 特別ゲストとして、10月2日(金)~4日(日)の3日間、各種イベントに参加予定!! ・海外在住の佐藤琢磨氏に会える貴重なチャンス! ホンダ、車種削減へ …社長が方針 (2009年9月15日 読売新聞) ホンダの伊東孝紳社長は14日、読売新聞のインタビューに応じ、販売車種の削減を進める方針を明らかにした。 伊東社長は「環境性能や格好良さなど一つ一つの商品の優位性を高めることが大事だ。出ている商品をもう少し束ねてもいい」と述べた。 ホンダは国内販売だけでも約30の車種がある。 2008年度の世界販売台数約351万台のうち、約7割を小型車「フィット」、セダン「シビック」、「アコード」、スポーツ用多目的車(SUV)「CR-V」の4車種が占めた。 世界で通用する車の開発に注力するため、販売が伸び悩む車種はフルモデルチェンジ(全面改良)の際に継続車の開発を中止するなどして「選択と集中」を進める。 …… フィット、2008年登録車販売台数で第1位を獲得 (2009年1月8日 プレス・インフォメーション) GM、FORD、トヨタの膨大なる車種の削減による選択と集中がすすめられる。 商用車がほとんどなく、もともと車種、組立工場が少ないホンダの車種削減はレベルが異なる。 他メーカーの選択と集中を突き放すような集中度になるはず。 がんばれ中嶋一貴! 中嶋一貴応援席
2009年09月19日
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名門ロータスの名が復活する。 テクニカル・ディレクターはマイク・ガスコイン。 チームの代表はニーノ・ジャッジ。 ロータスグループはマレーシアの自動車メーカー、プロトンに属する。 企業の代表はマレーシアの企業家、トニー・フェルナンデス氏、45歳。 現在はウィリアムズにスポンサーとして関わっている。 「マシンはマレーシア人によって、マレーシアで製造される」と発表。 もちろんコリン・チャップマンもピーター・ウォーもいない。 かつての栄光のロータスとは大分異なるが、ひとまず私の大好きなチーム名「ロータス」の復活を喜んでおこう。 チームロータスは1958年から1994年までF1に参戦。 名門ロータスマレーシア政府の支援を受け復活へ (2009年9月16日 ISM) かつての名門チーム、ロータスがBMWザウバーに代わり、2010年に13番目のチームとしてF1に復活する。現地時間(以下、現地時間)15日、『ロイター』通信が新チームの概要を報じた。 15日にFIA(国際自動車連盟)から、正式に来季の参戦を承認されたロータス。 このチームはマレーシア政府とマレーシアの合弁企業、1Malaysia F1 Team Sdn Bhd社の共同事業として、イギリスを本拠地とし、同時にマレーシアのセパン・サーキットにも諸施設が建設されることになっている。 本拠地が置かれるイギリス東部の元祖ロータス・カーズのファクトリーから数10マイルにあるノーフォークの施設RTNは、かつてトヨタがF1プログラムのために建設し、その後ベントレーのル・マンプログラムのために使われてきた。 将来設計、研究開発、製造および技術センターの各部門は意図的にマレーシアのセパン・インターナショナルサーキットに建設される予定。 …… 2009F1日本GPチケット情報
2009年09月18日
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イギリス・のモータースポーツの故郷、コヴェントリー市にあるウォーリック国立大学でチョコレートやワインの絞りかすで走るレーシングカーが作られた。 エコがテーマ。 燃料は廃棄物の再利用だが、排気ガスの浄化には至っていない。 燃料への転換が簡易で容易であれば、災害地での活用、軍事用には向いているのかもしれない。 チョコレートを燃料にして走るレーシングカー (2009年09月09日 GIGAZINE) 数年前にさとうきびから自動車の燃料を作るといった話題が取り上げられるなど、エネルギー問題が取り出されることもありますが、チョコレートを燃料にして走る車が開発されたそうです。 チョコレートが燃料であるといっても、加速・最大速度はレーシングカーレベルのもので、非常に馬力のあるものになっているとのこと。 …… ツインリンクもてぎで開催された「Joy耐」に新設されたエコクラス(E1)にインサイトが3台出走。 HV車で耐久レースに挑戦 ホンダの社員チーム、きょうツインリンクもてぎで (2009年9月6日 下野新聞「SOON」) 76台フィニッシュしたうち、「チャレンジング・インサイト」は59位、「ツーリングモデューロインサイト」は63位。 記事中の日本NIレディオベリーインサイト」は67位。 プリウスとの対決も見たい。 バイオガソリンTシャツ 以下は先代、初代の話。 “エコカー”レース、本田がトヨタに先勝 (2000年10月11日 nikkei BPネット) 9月下旬、フランスの大手タイヤメーカー、ミシュランが主催した“エコカー”レース、「チャレンジ・ビバンダム」で、トヨタ自動車のプリウスと本田技研工業のインサイトが本格的なレースで初対決。 性能面でまずはインサイトに軍配が上がった。 F1日本GPチケット情報
2009年09月13日
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ハイブリッド車は急速に普及拡大している。 モータースポーツの世界は急速に変化しないと断言できる人はいないだろう。 再生可能エネルギーの利用でも、ドイツは政策を十分活用し、急速な普及拡大をはかった。 環境技術での先進性の確保の重要性にも着目してのことと考えられる。 クルマの世界で同じようなことがおきると考えられる。 記事中の「フォーミュラ・ゼロで使用される部品はすべてフォーミュラワン・アソシエーションによって承認されている」とあるあたりがキモ。 世界最高峰のモータースポーツが最新技術である、ゼロエミッション・フォーミュラカーで展開される日が近くなりつつある。 フォーミュラゼロ :世界初の「グリーン」なレース (2009年8月23日 F1通信) 世界初のゼロエミッション・モーターレーシング・チャンピオンシップが英国で始まった。 サリー州のレーストラックで行われるフォーミュラ・ゼロに出走するカートはすべて水素駆動である。 ……
2009年08月26日
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「カンバン方式」のもと、生産管理はトヨタ方式が一番としてきた世界のトヨタ。 世界のトヨタグループが収支が合わないと投げ出したF1日本GPをホンダグループの鈴鹿サーキットが引き継ぐ。 FSWは200億円かけて施設を改修。 F1GPを2度開催。 赤字の多さ(一説によると20億円以上)を理由に開催を返上した。 日本でのF1は、過去、富士スピードウェイで2回(1976年、77年)、パシフィックGPがTIサーキット英田で2回(1994年、95年)。 今回のFSWも2回(2006年、07年)。 3回連続開催は何となく心強い。 一方、親会社本田技研の業績の十全ではない。 鈴鹿サーキットはF1を連続開催して大丈夫なのだろうか、とも思う。 10年のF1日本GPは 鈴鹿 3年間連続開催へ (2009年8月23日 共同通信) 三重県の鈴鹿サーキットを運営するホンダの子会社「モビリティランド」は23日、自動車F1シリーズの10年日本グランプリ(GP)を同サーキットで開催すると発表した。 すでに実施が決まっていることし10月と11年と合わせて3年連続で日本GPは同サーキットで開催される。 10年の日本GPは当初、静岡県の富士スピードウェイで行われる予定だった。 鈴鹿サーキット 英国応援席を設定 F1 (2009年7月31日 イザ) 10月2~4日にF1フジテレビ日本GPを開催する鈴鹿サーキットは30日、最終コーナーに「英国応援席」(1000席、4万4000円)を設定すると発表した。 駐日英国大使館の企画で、中嶋一貴所属のウィリアムズやバトン(ブラウンGP)ら英国チーム、選手を応援する目的。 「F1富士」開催返上へ どうなる日本GP (2009/07/02 イザ) トヨタ自動車の子会社、富士スピードウェイ(FSW、静岡県小山町)が2010年以降のF1日本グランプリ(GP)を開催しない方向で最終調整に入ったことが7月1日、分かった。 7月中にも結論を出す。 トヨタは10年3月期決算で2年連続の連結最終赤字を見込んでおり、グループ全体でコスト削減を進めている。 ただ、車両開発への貢献が大きいことを考慮し、F1への参戦は続ける方針だ。 …… X JAPAN の復活と鈴鹿サーキットのF1開催復活とかけたのかもしれない。 どちらも無事復活することを願う。 YOSHIKI ヘリで鈴鹿に“降臨” (2009年8月23日 サンケイスポーツ) 先月27日(日本時間28日)に椎間孔切除手術を受けたロックバンド、X JAPANのリーダー、YOSHIKIが22日、三重・鈴鹿サーキット場で行った約6年ぶりのフィルムコンサートで仕事復帰した。ボーカルのTOSHIと登場したが、10月のパリ公演と年内に決定していた大阪公演はドクターストップがかかったため、来年に延期することを発表。 「1日も早くアルバム出してツアーを再開させたい」と熱く誓った。 ……
2009年08月24日
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噂はFSW社長の否定にもかかわらず本当になってしまった。 トヨタ F1開催(富士スピードウェイ)から撤退か (2009年5月29日 F1通信) もともとF1開催はFSWの事業とトヨタは言っていた。 しかし、5年連続開催はトヨタの副社長が失言したし、F1を開催するためにFSWを買い取ったのもトヨタ。 ビッグイベントだからビッグな失敗だってある。 2007年のことがあってもFSWを嫌いにはならなかった。 その後の対応を含め、好きにはなれないが…。 だが、今回の決定はあんまりだと思う。 トヨタはF1参戦を続ける体力があるのなら、FSWでのF1開催も支援すべきだと思う。 モータースポーツを宣伝の一環としか考えずに参入し、中止する。 かつてトヨタがWRCでレギュレーション違反でシリーズから排除された。 それらを踏まえ、モータースポーツ・ジャーナリストのマイク・ローレンス氏は「トヨタはスポーツの何たるかを理解していない」と批判した。 トヨタはモータースポーツの何たるかを理解してない マイク・ローレンス (2006年3月17日 F1通信) 「インサイト」潰しに「プリウス」の大安売りをしたのと、同じなのかもしれない。 お陰で日本の乗用車マーケットはグシャグシャ(辛いことにトヨタ車を含むだが)。 FSWで働く人たちも気の毒だ。 2008年のF1を盛り上げた小山町や御殿場市の人々も残念に思うことだろう。 トヨタは身勝手過ぎる。 カーガイを自称する豊田社長は、トヨタ自動車の業績が回復すればFSWでのF1開催について考え直してくれるのだろうか。 「高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)」を理解しない限りは世界一の自動車メーカーになっても、誰からも尊敬されない。 モータースポーツの最高峰であるF1GP開催は、一度始めた以上、自動車メーカーとしての「義務」にあたると考えて欲しい。 富士スピードウェイ F1日本グランプリ開催中止を発表 (2009年7月8日 富士スピードウェイ株式会社) FSWは「モータースポーツのさらなる発展のためにより一層努力してまいります」としめた。 FSWの気持ちは理解しても良いが、トヨタ自動車については理解できない。 こうなるとホンダが参加しているときも、していないときも、そしてホンダがF1を撤退した今年も、F1日本グランプリを開催する鈴鹿サーキットがとても立派に見えてしまう。 ホンダに三菱自動車との合併話が出ていた時期も鈴鹿サーキットはF1を開催していた。 世界一のトヨタさん、儲からないことは鈴鹿サーキット(あるいはホンダ)に押しつけっ放しかい? トヨタができないことをホンダができるのはナゼ? 鈴鹿サーキット (公式サイト)
2009年07月09日
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バーニーの大岡裁きで決着したとされる、FIAとFOTAの対決。 過去、ジャン・マリ・バレストルFIA元会長との闘争の中で現在の地位を築いたエクレストン氏ならでは。 と言いたいところだが、モズレー氏はそれで納まるとは思えない。 下記の記事の著者も「ひとまず分裂回避」と記載している。 まだまだ、注目のF1場外戦。 早く注目しなくて済むようにして欲しい。 【 今こそモータースポーツ 】 激動のF1業界、ついに決着す。 ~首領エクレストンが渡した引導~ 西山平夫 = 文 コンコルド協定 (Wikipedia)
2009年06月29日
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F1選手権を巡るFIAとFOTAの争いに決着がついたようだ。 「世界最高レベルのモータースポーツではないF1」となることは避けられた。 F1ではない最高峰レース開催の可能性も無くなった。 まずは「めでたし」としよう。 1.現在参戦中のチームはすべて、FIAフォーミュラワン・ワールドチャンピオンシップに参戦する。2.チームは2年以内にチャンピオンシップ参戦コストを1990年代初期のレベルに削減する。3.マニュファクチャラー・チームはさらに、F1を管理運営する組織としてFIAの恒久的かつ継続的役割に同意した。4.2012年までFIAフォーミュラワン・ワールドチャンピオンシップの商業協定を締結し、この期間の終わりに再交渉を行い契約を延長することに同意した。5.全チームは、1998年コンコルド協定における規定の更新版を順守する。6.FIA会長マックス・モズレーは今年10月に再立候補しない決断を発表した。 マイケル・ジャクソンの死の前に、かすんでしまうF1ネタ。 ファラ・フォーセット・メジャースの結婚と死も、別の日なら話題になったことだろう。 2010年F1参戦リスト マックス・モズレー引退: FIA公式プレスリリース (2009年6月24日 F1通信) マックス・モズレーFOTAに激怒! 同意破棄と引退撤回の可能性も (2009年6月26日 F1通信) FIA公式プレスリリース (2009年6月24日 世界モータースポーツ評議会) 2010年、参戦リスト フェラーリ、 マクラーレン・メルセデス、 BMWザウバー ルノー、トヨタ、トロ・ロッソ、レッドブル・レーシング ウィリアムズ・トヨタ、フォース・インディア・メルセデス ブラウンGPフォーミュラワンチーム 新規参戦 カンポス・メタ・チーム / カンポス・コスワース マナー・グランプリ / マナー・コスワース チームUS F1 / チームUS F1・コスワース ロータスフォミュラ・ミニカーコレクション レッドブル・エアレース ワールドシリーズ
2009年06月26日
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FIAは「2010年FIA F1世界選手権のエントリーリストを明日発表する予定」と声明。 分裂は決定的。 「F1は全てのモータースポーツの頂点であって欲しい」というファンの声は、商業主義と権謀術数渦巻くFIAやFOMには届いていない。 FOTAが新シリーズ立ち上げを発表! 「スタードライバー、チームが存在する新しいシリーズ」 (2009年6月19日 F1live.com) ヨーロッパ時間18日(金)の真夜中、8つのF1チームの連合体であるFOTA(フォーミュラ・ワン・チームズ・アソシエーション)がF1世界選手権の分裂を正式に発表した。 チーム側が声明を発表したのはFIAが設定した交渉期限である19日(金)に入って数時間後というタイミングだった。 FOTAは2010年F1世界選手権に条件付きでエントリーしていたが、チームへの分配金、シリーズの運営と統治、そしてレギュレーションにかんしてFIAとFOTAの間で妥協点が見いだせずにいた。 FOTAの声明には「FIAと商業権保有者(FOM/フォーミュラ・ワン・マネジメント)はFOTAを除外する行動に出た。 主要チームの願いは無視されたのだ」と記されている。 さらに「加えて2006年以降の何千万ドルもの分配金が、商業権保有者からチームに支払われることがなされないままとなってきた」とも付け加えられた。 この声明を発表したのはBMWザウバー、ブラウンGP、フェラーリ、マクラーレン・メルセデス、ルノー、トヨタ、レッドブル、トロ・ロッソの8チームだ。 FOTA、新シリーズ立ち上げを宣言 (Autosport.web) フォーミュラワン・チームズ・アソシエーションは、18日、F1から離脱し、自らのシリーズを立ち上げる意向であることを明らかにした。 FOTAのメンバー、BMWザウバー、ブラウンGP、スクーデリア・フェラーリ、マクラーレン・メルセデス、レッドブル・レーシング、ルノー、スクーデリア・トロロッソ、トヨタは、以下のような声明を発表した。 …… FIA、FOTAの離脱表明を受け、声明を発表。 新エントリーリストは20日に発表へ (2009年6月19日 F1live.com) FIAは、フォーミュラワン・チームズ・アソシエーションが自らのシリーズを立ち上げると表明したのを受け、“残念だが意外なことではない”とのコメントを発表した。 FIA会長マックス・モズレーのバジェットキャップ案をめぐり、FIAとFOTAは論争を繰り広げてきたが、両者が和解に至るという希望が、FOTAの声明によって打ち砕かれてしまった。 ……
2009年06月20日
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バジェット・キャップ制の導入により、チーム・ロータスの復活がすすめられているとの報道があった。 かつてのロータスは、ウイングの装着、サイド・ラジエター、インボード・ディスクブレーキ、ベンチュリー・カーなど、数多くの技術革新でF1リードした。 私の気持ちの中ではF1とロータスとフェラーリはセットのままだ。 メカニズムだけでなく、車体をスポンサー・カラーとする、ドライバーをジョイントNo.1とするなど、チーム運営面でもロータスは革新的だった。 現在の制約だらけの規則の下、かつてのロータスの復活は、残念ながら望むべくも無い。 チーム・ロータス 栄光への軌跡 DVD3枚組 ロータスの名がF1に復活? ライトスピードが権利を入手 (2009.06.07 AUTOSPORT web) 2010年からのバジェット・キャップ制導入に伴い、FIAにエントリーを提出したイギリスF3参戦チームのライトスピードが、“チーム・ロータス”の名を使用する権利を入手したことが明らかになった。 ノーフォークに本拠地を置くライトスピードは、ニーノ・ジャッジがチームプリンシパルを務め、スティーブ・ケンチントンがエンジニアリングディレクターを務めるが、ふたりは1994年に財政難により消滅したチーム・ロータスの出身。 ノーフォークはかつてロータスの本拠地があった場所であり、新たライトスピードに加入したマイク・ガスコインもノーフォークの出身だ。 チームは、長年チーム・ロータスの名を管理していたデイビッド・ハントから名称の使用を認められたとしており、FIAが承認すれば、2010年にMGI社とガスコインが制作を進めているF1マシンには“ロータス”の名が冠されることになる。 また、チームはコマーシャル・アンバサダーとして94年までロータスからF1に参戦していたジョニー・ハーバートと契約しており、これらが実現すれば、往年のロータスが復活することになる。 チーム・ロータスは1958年にF1に参戦をはじめ、優勝79回、コンストラクターズタイトル7回を誇る名門で、チームを設立したコーリン・チャップマンのもと、F1界に多くの技術革新をもたらしたチームだ。 しかし、90年代初頭から財政難に苦しみ、1994年を最後にF1から姿を消している。
2009年06月11日
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フェラーリはF1に参戦するための会社。 イメージアップを含め、車を売るためにF1に参戦している会社とは成り立ちが違う。 そのF1で、自社の個性を出せなくなるような規則が施行されれば企業アイデンティティの死活問題。 告訴をしたい状況はよく分かる。 F1とフェラーリは切っても切れない関係にあると思う人は世界のF1ファンにたくさんいる。 フェラーリがいなくてもルールとしてのF1は存在するだろうが、F1の精神を持ったレースではなくなる。 噂されているようにフェラーリなどメーカー(ワークス)が中心となって別のレーシング・リーグを結成するようなことになった場合、話は厄介なことになる。 レースだけでなく、コースの公認もFIAが行っており、FIAに従わないコースは公認しない(他の選手権も開催させない)という手段もあるからだ。 ちなみに私は今は無きロータスのファン。 「ロータスとフェラーリがいればF1だろう」と思う感性をもっている。 フェラーリ、FIAを告訴/F1 (2009年5月17日 サンケイスポーツ) 国際自動車連盟(FIA)のマックス・モズリー会長(69)=英国=は15日、F1世界選手権で来季導入予定の予算削減策を不服とするフェラーリが、フランスの裁判所にFIAを告訴したことを明らかにした。 FIAが年間経費を現在の約5分の1の4000万ポンド(約58億円)以下に抑えたチームに技術的制限を緩和する新規約導入を進めていることについてこの日、FIAと主要チームの代表者がロンドンで会談したが、互いに妥協点を見いだすことはできなかった。 この問題では、FIAが削減策を強行導入した場合、フェラーリとルノーが今季限りでのF1からの撤退を表明。 トヨタやレッドブルなども来季以降の参戦に難色を示している。 19日開始の裁判を前に同会長は「フェラーリが撤退しても、F1はなくならない」と語った。
2009年05月19日
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飛ぶ鳥を落とす勢いだったF1業界も経済危機にしっかりと巻き込まれている。 コストのかかりすぎを理由にエンジンの規格化を進めていたマックス・モズレー氏にとっては、一つのチャンスなのかもしれない。 エンジンの自由度がないF1にはフェラーリもトヨタも参加しない意向を表明していた。 虚虚実実の駆け引きが行われている世界なので、本当のところはどうかよく分からない。 フェラーリのないF1は、興行として想像しがたい。 スポンサーが付かなければドライバー・シートの確保も難しい。 佐藤琢磨のF1不参戦も決定。 レースと直接関係ないのかもしれないが、鈴鹿サーキットとツインリンクもてぎを運営するホンダの子会社、モビリティランドは、遊園地多摩テックの閉鎖を決定。 FIA会長「F1の経済状況は最大の危機」 (2009年2月7日 ISM) FIA(国際自動車連盟)のマックス・モズレー会長は、現在のF1が置かれている経済状況について「1960年代以降、最大の危機」と表現した。現地時間(以下、現地時間)5日、『ロイター』通信が伝えている。 M.モズレー会長は、報道陣からチームやスポンサーが経済危機に苦しんでいる現在の状況は1970年代の石油危機と比較してどのようなものかと問われ「私が1960年代に関わり始めて以降、最大(の危機)だ」と自らの見解を語った。 昨年12月、本田技研がF1からの撤退を発表し、約700人のスタッフを抱える旧Honda F1チームはいまだ売却先を探している状況で、一方スポンサーの一部はすでに撤退を表明している。 こうした中、M.モズレー会長は「2010年までに、FOM(フォーミュラワン・マネージメント)の金(テレビ放映権の分配金と賞金)に適度なスポンサー料を加えたものがレースの費用と等しくなるところまで(チームの)予算が適切に下がることを期待している。私が理解しているように、チームは基本方針には合意しているが、彼らはすぐにそれをやることを望んでいない。 我々はすぐにやならければいけないと思っている」と早急なコスト削減の必要性を訴えた。 Honda F1チームのように昨年は3億ドル(約276億円)もの資金を費やしたチームもあり、F1は数年前から維持不可能になったとM.モズレー会長は分析し、「金融バブル、住宅バブル、ITバブルに匹敵するようなF1バブルがあったし、それを認めるのが嫌だったんだろう」と指摘している。 今季は売却先を探している旧Honda F1チームを含む10チームが参戦の申請を済ませているが、2010年までにはさらに参戦台数が減る恐れがある。 フェラーリの親会社のフィアット、BMW、メルセデス、ルノー、トヨタといったF1に参戦する自動車メーカー5社はチームの株式の全部またはその過半数を所有しているが、すべてのメーカーが不況に苦しみ、工場閉鎖、従業員解雇、一部重要市場での販売不振に追い込まれている。 M.モズレー会長は「彼ら(自動車メーカー)はあらゆるところでのコスト削減を求めている。何人かの(自動車メーカーの)CEOから私が得ている情報は、『我々はF1が立て直したところを見たいが、もし厄介ものになればすぐにやめてしまうだろう』ということだ」と、さらなる自動車メーカー撤退の危険性を訴えている。 しかし、適切な対処がなされれば来年は12チームの参戦も可能だと予測し「我々がやろうとしていることは、独立チームにとって参戦しやすくすることだ。 それがその差を埋めるには効果的な方法だろう。 しかし、それは早くこれ(コスト削減)を成し遂げることにかかっている。 もし我々が動かなければ、何も起こらないんだ」とあらためて主張。 さらに「最悪の事態になった場合、我々はバーニー(・エクレストンFOM会長)と、十分な数のF1マシンがそろえられなければ他カテゴリーからのマシンで(グリッドを)補わなければいけないという契約を結んでいる。 今、我々は独立系チームを迎え入れられるようにルールを調整している段階なので、そうなってしまったらとても不幸だ」とF1が他カテゴリーとの混走になることを危惧している。 F1では過去にその例があり、1952~1953年には主要チームがF2マシンを走らせ、また1969年にはニュルブルクリンクでのドイツGPでF1マシンが13台しかそろわなかったこともあった。 先日FIAは、各チームが約5,000万ユーロ(約60億円)で参戦できるようにコストを削減したいと表明。 この金額は、一部のチームが昨年費やした経費の約4分1以下に相当する。 そして、コスト削減はより多くの共通パーツを使用し、エンジンとギアボックスを長期間使用できるようにし、テストや大規模な空力開発を禁止することで達成されると主張している。 さらにFIAは、現行のランキング上位10チームだけでなく全チームがテレビ放映権などのF1の収入の分配金を受け取るべきだとも提案している。 ブルデーのトロロッソ残留が正式発表! 琢磨、シート争いに敗れる (2009年2月6日 AUTOSPORT web) 乗り物のテーマパーク 「多摩テック」9月末で閉鎖 (2009年2月7日 読売新聞) 東京都日野市にあるテーマパーク「多摩テック」を運営する「モビリティランド」(三重県鈴鹿市)は7日、同施設を9月末で閉鎖すると発表した。 同社はホンダが100%出資する子会社で、ほかに運営する鈴鹿サーキット(鈴鹿市)とツインリンクもてぎ(栃木県茂木町)の営業は続ける。 多摩テックは、自動車・オートバイの普及を目的に1961年にオープンし、遊園地として親しまれてきた。しかし、2007年度の入場者数が前年度比約26%減の約62万人に落ち込んだこともあり、創業からの目的を果たしたとして閉鎖が決まった。 敷地内にある温浴施設「天然温泉クア・ガーデン」も営業を終了する。 正規社員約50人は、鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎに配置転換する。アルバイトやパートなど約100人の非正規従業員のうち、1年以上働いている人は2施設で勤務できるが、1年未満の従業員は営業終了後に契約を打ち切る。
2009年02月07日
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以下はホンダの広告費が多いことをして「使途不明金」として批判する記事。 「ホンダのあるべき広告費」というタイトルで広告費の水準を異常と決め付けるおせっかいぶり。 筆者は谷村智康氏。 ホンダの広告費はなぜ多い? 900億円の広告宣伝費のナゾ 著書『マーケティング・リテラシー』が評判の気鋭のマーケティングプランナー谷村智康が考察する「企業と広告」の今。非正規従業員の大リストラを進めるホンダの広告戦略を分析してみると、ナゾの500億円が浮かび上がった......。 ●たにむら・ともやす 広告代理店、コンサルティング会社、コンテンツファンドなどでの業務経験を持つ。 既存のメディアやシステムの枠に依存するマーケティングではなく、広告費の過剰と偏りを消費者の都合に合わせて、それ自体を根底からひっくり返そうとする「マーケティング」プランナー。 著書に、電通の上前をはね、グーグルの先を行く、メディアと広告をめぐるビジネスモデルを説いた『マーケティング・リテラシー~知的消費の技法』(リベルタ出版)などがある。 アメリカを中心とした急激な自動車販売の低下が主因で、ホンダはF1を撤退する。 短期雇用労働者についても契約を更新しない。 しかっし、それを以ってF1の広告費を批判する谷村氏の見解には無理がある。 F1なくしてホンダが自動車産業で今日の位置づけとなれたか不明だからである。 多くのホンダファンは、F1あってのホンダ、F1にチャレンジするからこそホンダらしいと思っている。 アメリカではインディのエンジン供給も同様だと思う。 だからこそ、F1撤退がセンセーショナルに報じられるのだ。 ホンダのF1参戦を他メーカーとの比較での異常値として比較しても説得力を持たない。 少なくとも日欧の自動車に関して意識のある層には、モータースポーツや2輪メーカーであることが、ホンダのDNAとして認知されている。 モータースポーツは一部のファンのものとしてPRや企業活動に活かせなかった日産は没落した。 カルロス・ゴーン氏はフェアレディを存続し、スカイラインをモータースポーツで前面に立て、ニッサンのイメージアップに活用した。 スズキやスバルがWRCに参戦していたのも同様のこと。 媒体を通じての広告のみを広告費として、企業のイメージは創造できない。 トヨタ、ニッサンを超越する先進技術企業としてのホンダのイメージは虚像かもしれない。 が、このイメージはことのほかコストと優秀な人材の投入が必要なF1で作られたことは明白。 数字で示せないものを意味無しとするのでは、消費者に近い産業で勝利はない。 伝統的に財務担当者が力を持つGMの昨今の様子をみればよく分かる。 「投資家向けの上布開示が不十分」との指摘も、十分であったはずの米国企業が不正経理で大型倒産を続けている現実の前に無力な批判といえる。 F1の成績不振とともにコスト負担が増えてきたことも、F1ビジネスをちょっと知るものにはすぐ分かること。 振り子を正常に戻すには、勝てるようになるしかない。 勝てない、負担が増える…しかし簡単に止める訳にいかなかったのが、ホンダにとってのF1。 早く本業を正常化させ、F1に帰ってきて欲しいと願うホンダファンは世界中にいる。 サブプライムローン問題で明らかになったが、アメリカン・スタンダードはグローバル・スタンダードではない。 「業界平均」や「世界標準」という言葉にだまされて企業が自らのよって立つところ(企業DNA)を見失わないことを願う。
2009年01月13日
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今回の撤退は1期、2期の「休止」とは違うとのこと。 ビジネスの観点からの判断は当然として、F1運営コスト削減のためのエンジン開発制限、エンジン統一への動きなど、本田技研工業として改めて参加することが考えにくい情勢を踏まえての判断だろう。 2009年鈴鹿サーキットでのF1再開を前にして衝撃的な発表。 ホンダがF1から撤退へ…11月に入って決めた (2008年12月5日 YOMIURI ONLINE) ホンダの福井威夫社長は5日、東京・青山の同社本社で緊急記者会見を開き、今シーズン限りでF1から撤退することを発表。イギリスに本拠を置くHRF1(ホンダ・レーシングF1チーム/社員約700人)はチーム売却を視野に入れて従業員と協議に入った。 ◇ ◇ ◇ 福井社長は記者団との質疑応答の中で「正式に撤退の決断をしたのは昨日」としながらも「9月頃までは撤退の考えはなかったが、11月に入ってから自動車のみならず2輪・汎用含めた世界中の収支の減速が加速度的に早まっていて、先が見えない状態になった。 これからはクルマの新しい時代に入ったという認識から、違った価値観でクルマ開発をしなければならない。たとえば我が社のフィットよりも小さく、燃費がよく、原材料をなるべく使わないクルマや、小型ディーゼル・エンジンの開発が急務となっている。 いま、栃木研究所にはF1に直接かかわる350~400人の日本人エンジニアがいるが、彼らのパワーを新しいクルマの開発に向かわせ、F1にかかる資金・リソースも新時代の適合商品市販開発に向ける」と、F1撤退の理由はホンダのビジネスの見直しの一環であると述べている。 ◇ ◇ ◇ 同席したモータースポーツ担当の大島裕志常務執行役員は「HRF1のチーム代表であるロス・ブラウンは、撤退は残念だが我われの立場も理解はできると言ってくれた。 HRF1がどのような形になるかは今後の話だが、エンジンだけを供給することはありえない。 ただ今年使ったエンジンがあるので、それがどれだけ使えるか精査しているところだが、来年1年間使えるだけの数はない。 ジェンソン・バトンとはドライバー契約していたが、これも解消する方向で動いている」とコメントしている。 ◇ ◇ ◇ ホンダはこれまで3期のF1活動を行い、一期、二期は「休止」として活動を止めたが、今回は初めて“撤退”という言葉を使っており、福井社長は「ファンの皆様、HRF1の従業員には申し訳なく思っている」と結んだ。 ◇ ◇ ◇ なお、2輪のMOTO・GP参戦、およびアメリカのIRL(インディ・レーシング・リーグ)へのエンジン供給は継続。国内のレース活動に関してはこれから見直しに入るという。 ◇ ◇ ◇ ホンダの第3期F1活動は2000年にB・A・Rチームとジョイントする形で開始され、06年には株式100%取得でホンダ独自のチームとなったが、この間、優勝は06年ハンガリーの1勝(ジェンソン・バトン)だけだった。 (モータースポーツライター 西山平夫) ホンダレーシングF1チームの将来 (F1通信)
2008年12月05日
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ブラジルGPを前にしてFIAは2012年以降、共通エンジン採用を発表。 「クリープを入れないコーヒーなんて」というCFがあったが、そんなものの比ではない。 私は「エンジン仕様が統一されたらF1ではない」という見解に大いに賛成だ。 シャシーとエンジンだけは、統一してはならないと思っている。 F1はドライバー選手権であるとともに、コンストラクター選手権でもあるのだから。 M・モズレーも、B・エクレストンも「コストダウンとイコールコンディションの確保でイベントの魅力アップ」なんてことを目論んでいるような気がする。 もちろん彼らの思いのままにならない自動車メーカーの影響力排除も計算に織り込んでのこと。 F1経済危機の中、運営岐路に (夕刊フジBLOG) FIA(国際自動車連盟)は突如として「2012年以降の共通エンジン採用」を前提としたエンジンメーカーの公開入札を行うと表明した。 エンジン統一なら撤退も=F1フェラーリ (10月28日 時事通信) 【ロンドン27日時事】 自動車レースのF1世界選手権シリーズに参戦しているフェラーリは27日、エンジン仕様が統一化された場合、同シリーズからの撤退を検討する可能性を明らかにした。 AFP通信が伝えた。 国際自動車連盟(FIA)などは、F1のコスト大幅削減のため、2010年から統一仕様のエンジンを導入する構想を持っている。 ただし、実現した場合、エンジンの開発競争がなくなる。 フェラーリは、「全チームが同じエンジンを使うことになった場合、競走原理と技術開発に基づいているF1が存在する理由がなくなる。 その場合、F1に参戦し続けるか、考える権利を留保したい」とコメントした。 ドイツ・メディアによると、トヨタもエンジンが統一化された場合、F1から退くとの考えを示している。 エンジン統一となったら、元来「エンジン屋」のホンダも引くべきと思う。 F1が高度の技術の象徴から、ただのエンターテインメントに転換することをさせるべきではないと思うからだ。 ブラジルGP(インテルラゴス)のポールポジションは地元ブラジルのフェリペ・マッサ。 チャンピオン争いとともにレース展開が楽しみ。 スターティング・グリッド
2008年11月02日
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今年のF1日本グランプリは無事終わったようだ。大会初日 37,000人 前年比71% (2007年 52,000人)予 選 71,000人 前年比79% (2007年 90,000人)決 勝 110,000人ならば 前年比79% (2007年140,000人) 去年FSWで観戦した方々は辛かったのだろうと思う。 現地に居なかった私は、多くの悲惨な情報に接して、いちF1ファンとして、とても悲しいことだと感じた。 今年は天候も含め、昨年のようなことにならなくて本当に良かったと思う。 FSWとトヨタが、威信をかけて最高の観戦環境を準備した成果がでた。 F1ファンが楽しめる、心待ちにするイベントとしてF1日本グランプリが確立されることが、一番良いことだと思っている。 トヨタやホンダの代理戦争みたいなことの優先順位は、そのずっと後の方の話だ。 国内でよりたくさんのF1ファンが観戦できるよう、これからもFSWと鈴鹿サーキットの隔年開催を続けて欲しい。 来年、たぶんFSWより多くの観客を呼ぶ鈴鹿サーキットも、がんばって今までの鈴鹿より良い観戦環境、アクセス環境を提供して欲しい。 レギュレーションの制約が増えてF1は全てのモータースポーツの頂点よりも「世界最大の興行」を目指しているように見える。 F1ファンの一人として、せめて4輪オンロードレースの最高峰であり続けて欲しい。 もっとも「全てのモータースポーツの頂点」であると感じていたのは一F1ファンの夢想だったのかもしれないが。 セナがいなくても、シューマッハが走らなくても、F1はF1であり続ける。 アロンソ選手、2戦連続優勝おめでとう。 2006モデル <F1>トヨタ正念場 トラブル回避に二十数億円…GP開幕 (2008年10月10日 毎日新聞) 日本GP開幕…トヨタに天の恵み 力発揮出来る晴天に (2008年10月11日 夕刊フジ) ハミルトンがPP=中嶋は14番手 -F1日本GP (2008年10月11日 時事通信) 日本GP 決勝結果 (SANSPO.COM) グランプリ・レーシングの将来 (2008年10月11日 F1通信)
2008年10月12日
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今週末はFSWでF1日本GP開催。 F1も「市販車」でも夢の彼方のフェラーリが手に入る。 日本限定仕様で500台のフェラーリ販売。 「フェラーリ1台ください。」 ただし走らない。 Ferrari F-22bid 液晶TV。 フェラーリ公認。 なかなかやってくれるね、日本エイサー。 FSWに行く人はこちらも大事。 携帯電話向け「バス待ち情報共有BBS」もある。 「現地特派員によるサーキット頼み」はF1ムードを静かに盛り上げてくれる。 F1観戦塾
2008年10月09日
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F1初のナイトレースの仕掛け 今年、9月28日決勝開催予定のF1シンガポールグランプリ。 初のナイトレース開催の仕掛けはオランダのフィリップス社が作る。 明るさは約3,000lux。 通常のスタジアムの約4倍の明るさで、日中の状況に近い明るさを確保できるという。 ナイトレースのための投資総額、仮設発電機で対応する使用電力量ともに気になるところではある。 本当にグレアを避けることができる構造の照明システムということなら、今後、一般道、自動車専用道路での利用も想定されるだろう。 夜間レース時に雨が降ったらどうなるのかは道路の輝度とともにもう一つの注目ポイント。 シンガポールのF1が夜間に開催されたからといって、日本でのF1が夜間になることは願い下げだ。 アジアの「はじっこ」といえども、F1は昼間走って欲しい。 オランダPhilips社、 F1初の夜間レースに照明システムが採用される (Automotive Technology 2008年8月19日) オランダRoyal Philips Electronics社は,同社の投光器が伊Valerio Maioli S.p.A.に採用されたと発表した。 F1シンガポールGP サーキットMAP 2009年F1カレンダー (FIAホームページ、暫定版)。 日本GP(鈴鹿)決勝日は10/11。 マックス・モズレー氏の権威に驚嘆! (2008年6月6日blog)
2008年09月22日
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ヨーロッパのタブー、「ナチ」まがいの格好でどのような面からか見ても恥知らずの破廉恥なスキャンダルを公表されたマックス・モズレー氏はFIA会長に再選された。 モズレー氏に人望があったからとは考えにくい。 FIAが「同じ穴のムジナ」の集団なのか、はたまた多くの選挙権を持つものの弱みを一手に握っていたのか? 経済的な便益をともにしていたのか? どうしてこのような奇怪な結果となるのか見当もつかない。 ただ、FIAが恥知らずの人間の集まりだということを明白にしたということは分かる。 また、非常に残念なことであるが、こんな人々にルールを牛耳られているF1が面白くなろうはずもない。 FISAとFOCAが主導権を争っていた70年代がとても牧歌的な時代であったかのように思える。 ザ・ヒストーリー・オブ・モーターレーシング 1970-1979 FIA臨時総会でモズレー会長の続投が決まる (carview.co.jp 2008年6月4日) FIAは、パリで6月3日に臨時総会を行い、スキャンダル問題で組織内外から辞任を迫られていたマックス・モズレー現FIA会長の信任投票を実施し、その結果を発表した。 投票結果は、信任103票、不信任55票、棄権7票、無効4票となり、モズレー会長の続投が決定した。 モズレー続投の結果を報じる世界のメディア (carview.co.jp 2008年6月5日) 「モズレーは投票には勝利したが、ばらばらになったFIAを本当に統率して行けるのか」といぶかるのは、ニューヨークタイムズが運営する国際紙『IHT』。 イギリスの『Times(タイムズ)』紙は、68歳のモズレーはあたかも、サドマゾヒスティックな遊戯が誘発した恥辱を乗り越えたかに見えるが、「いまだにトラブルの渦中を脱して」はいないと主張する。 『Management Today(マネジメント・トゥディ)』誌のオンライン版で、モズレーの権力への執着を「Max(最大限:モズレーの名とかけている)まで自己の立場を温存」と揶揄(やゆ)している。 『time.com』は103票対55票という投票結果を受け、「(破廉恥行為によりニューヨーク知事の地位を追われた)エリオット・スピッツァーを妬(ねた)ませるに十分」であると述べた。 イタリアでは、『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デッロ・スポルト)』が、モズレーを「激しい論争をものともせず」自己保身に成功した「完ぺきなリーダー」と表現。イタリアが他の主要自動車クラブによる多数派の意見に対抗してモズレー信任に投票し、留任を成功させたと明らかにした。 別のイタリアスポーツ紙『Corriere dello Sport(コッリエーレ・デッロ・スポルト)』は、モズレーの政治力の勝利とも指摘したが、結果的には自動車、モータースポーツを統括するFIAは壊滅的崩壊の寸前まで突っ走ってしまったかもしれないとも言い放った。 国際自動車連盟(FIA) (Wikipedia) 「Driver's Eyes F1日本グランプリ 2007 富士」 今年は良い天気での開催になって欲しいFSWのF1GP。 富士スピードウェイ 『FSWの歩き方』をオープン (F1-LIVE.com) ・初来場者への情報提供 ・デジタルブック方式による利便性確保 表紙に「富士のF1をもっと楽しく」とあります。 “早分かり講座”には、「天候がレースの行方を左右する?」なんて記事もあります。 『FSWの歩き方』 創刊準備号 ・「クレインズ」ナビゲーション ・初心者のためのF1 10分間“早分かり”講座 ・知って、知って!FSW・小山町のこと 「ケーターハム&ジネッタ」DVD
2008年06月06日
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バーニー・エクレストン氏は当時のバレストルFIA会長との闘争を通じて権威を確立した。 当時はバレストル氏の専横と映るものが目立った。 今、かつてのバレストル氏のように、あるいはそれ以上にF1の世界で専横の限りを尽くしている人がマックス・モズレー氏であろう。 私がマックス・モズレー氏を初めて知ったのは、マーチ・エンジニアリングの創設者の一人としてであった。 「MARCH」は創設メンバーのイニシャルに基づき命名したと、「オートスポーツ」誌で読んだように記憶している。 M マックス・モズレー A アラン・リース R アラン・リース C グレアム・コーカー H ロビン・ハード 当時のスタンダードであるDFVのエンジン、ヒューランドのギアボックスにアルミモノコックのフレームの組合せのF1マシンで登場。 日本のグラン・チャンピオン(GC) レースではマーチのスポーツカー(2座席オープン)、F2000ではマーチのF2シャシーにBMWエンジンの時代がしばらく続いた。 私はローラT212にBDAにHKSターボの組合せで走っていた津々見友彦選手を応援していたが、GCで勝つのはマーチのマシンばかりだった。 そんなマーチもF1の成績は芳しくなかった。 ジャッキー・スチュワートやロニー・ペテルソンがドライブしたにも関らず。 1977年、マーチのF1撤退とともにモズレー氏もマーチを退職。 FOCAでの活躍が始まる。 相手にMI5の夫人を含む集団SMプレイをスクープされるとは、偉大になったモズレー氏もとんでもないところで落とし穴に嵌まったものだ。 6月3日の選挙がどのようになるか楽しみだ。 MI5:イギリス情報局保安部。内務省管轄の国内治安維持担当情報機関。 007の作者イアン・フレミングはMI6所属。 MI6は国外諜報担当の情報機関。 巷では耳にする噂だが、権力(者)とSMプレイは関連があるのだろうか? DVD アドルフ・ヒトラー カルテが語る独裁者の素性 マックス・モズレー (F1通信) 1940年4月13日、イギリス生まれ。 政治家サー・オズワルド・モズレーとダイアナ・ミットフォードの次男。モズレーは子供時代をアイルランドで過ごし、フランスの学校に入学、その後ドイツのシュタイン・アン・デア・トラウンの学校に移る。1958年、オックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに合格した。弁論クラブ、オックスフォード・ユニオンの書記を務め、1961年に物理学の学位を得た。ロンドンのグレイズ・イン法曹学院で法律を学び、1964年に事務弁護士の資格を得た。 モズレー 謝罪するも辞任は拒否 モズレー 新聞社との戦いに敗れる モズレー 「辞任する理由などない」 モズレー 「私が辞めればFIAはF1をコントロールできない」 モズレー暴走 モナコ自動車クラブとFIA、モズレーの欠席を否定 副会長の代理はもともと決まっていたこと モズレーの手紙で戦争になるかもとエクレストン 「これが宣戦布告ではないことを願っている」 米国自動車連盟、モズリー会長続投ならFIA脱退を主張 ヒトラー ~最後の12日間 DVD ARROWSもマーチと同じような命名をしている。 アラン・リースの趣味だろうか。 A アンブロジオ R 〃 R アラン・リース O ジャッキー・オリバー W デイブ・ウォス S トニー・サウスゲート
2008年05月23日
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2007年は「ワークス」であるホンダを上回るラップタイムもあったスーパーアグリ。 チーム運営は相変わらず大変そうだ。 ドライバーの「国産」が関係するのだろうか? スーパーアグリの新車発表会が延期に (AUTOSPORTSweb 2008年2月13日) 【スーパーアグリ】新車発表会を延期 (レスポンス 2008年2月13日) 【F1】佐藤琢磨、スーパーアグリ残留決定も「状況は厳しい」 (SANSPO.com 2008年2月7日) 日本チーム初のF1参戦はもちろん本田技研工業、1964年。 2チーム目はメーカー系ではないプライベートのマキ。 ぐっと歴史はくだる。 1974年、イギリスで行われた記者発表で「マキF1(F101)」が発表された。 謎のF1チームだった。 チームオーナーは小野昌朗。 設計者は三村健治。 ドライバーはホウデン・ギャンレイ。 プライベート(自動車メーカー系ではない)コンストラクターとしては初参戦。 予選落ち(DNQ)の多さもあり、その存在について語られることは少ない。 記者発表時、プロトタイプのマシンはスポーツカーノーズにもかかわらずフロントタイヤ直後に車体と平行にラジエターを置き、上後方に熱気を抜く、非常に珍しいレアアウトだった。 エンジンは、当時のプライベートチームお決まりのDFV。 真っ白いボディーに日の丸を強調したカラーリング(日本のナショナルカラー)だった。 テスト走行にて(予想通り)オーバーヒートしがちなことが判明。 ラジエターは後輪直前(ヒップマウント)にレイアウト変更。 ウイングノーズ、全体にスリム化がはかられ、当時の「普通」のレイアウトになった(F101B)。 1975年はシチズンのスポンサードでカラーリングは青。 ドライバーは鮒子田寛。 マシンはF101C。 シーズン途中でトニー・トリマーにドライバーが変更になる。 1976年のFISCOで開催された日本初のF1にも参戦(マキF102A)。 トニー・トリマーがドライブしたが予選落ち。 この年でマキのF1参戦は終わる。 プライベートコンストラクターの2チーム目は小島エンジニアリング。 1976年、上記のグランプリに参戦したKE007。 日本初のF-1プライベートプロジェクト「マキF-1」 (近藤レーシングガレージの歴史 より) 国産のマキF-1は予選落ち (モーターレーシングあれこれ) マキF101 (懐かしのレーシングカー) 英文ですが、詳しい記述です。 Maki(constructor) (Wikipedia) マキF1がそこまで金に困っていたとは…。 富田氏はコジマエンジニアリングのオーナー、小島松久氏の同級生。 クルマお宝話(26)F1のスポンサーとロールスロイス (富田義一氏ブログ 2008年2月13日) コジマエンジニアリング (Wikipedia) マキF1のこともちょっとだけ記載されています。 鈴鹿サーキット、ツインリンクもてぎメールマガジン 申込アドレス 1963年日本GP優勝車 ロータス23
2008年02月14日
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引退しても実力たっぷりの『赤い皇帝』。 ミハエル・シューマッハーは11月のバルセロナでのテスト走行で、2日間連続でトップタイムをマークした。 引退後もF1マシンを操る腕前は微塵も落ちていないようだ。 【送料無料】1/18 ミハエル・シューマッハー F248 DANKE 06 ホッケンハイム その「皇帝」がさらに話題を提供してくれた。 急ぐ気持ちのあるミハエルが運転したタクシーは、さぞかし速かったことだろう。 クルマはなんだったのだろう。 また、飛行機に乗り遅れそうになったのか否かより、F1のシリーズチャンピオンを7度獲ったミハエルに運転を代わって欲しいと頼まれた、運転手の気持ちの方が気になる。 それに、一体どうしてバレタのだろうか? 内部告発? ミハエル・シューマッハー全記録 シューマッハーのタクシー運転で違反捜査へ=ドイツ警察 【ベルリン16日AFP=時事】 自動車レースの元F1王者、ミヒャエル・シューマッハー氏≪写真≫が旅客機に乗り遅れそうになったために、乗っていたタクシーを自分で運転して間に合った件で、ドイツ・バイエルン州コーブルクの警察当局がシューマッハーさんに違反がなかったか、調べを開始することになった。 報道によると、シューマッハーさんは8日に、家族とともに旅客機に乗り遅れそうになったため、乗っていたタクシーの運転手に頼んで運転を代わってもらい、見事な運転をみせて飛行機に間に合った。この際、シューマッハーさんは運転手に60ユーロの料金のほかに100ユーロのチップを渡したという。 しかし大衆紙ビルトによると、同地の警察がこの件でシューマッハーさんに高速道路法の違反がなかったかの捜査に乗り出し、当該運転手の尋問を予定している。運転を代わった運転手自身も罪に問われる恐れがあるという。 この話を聞いたシューマッハー氏のマネジャーは、「運転手を罰するなんてばかげている。彼は親切にもミヒャエルに協力して助けてくれたんだ。我々は、すべての運転手が彼のようであってほしいと願っている」とコメントした。〔AFP=時事〕 M・シューマッハー 公式ジュエリー F-1レーサーのM.シューマッハーはパレット単位で購入!エピソードがいっぱいのワインです!エディツィオーネ チンクエ アウトークトニNO.07
2007年12月19日
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四輪モータースポーツが嫌いでF1のチャンピオンに上り詰められる者は、いないだろう。 どんなに早くても、どんなにレースが好きでも、それだけではF1のシリーズ戦を戦い抜けないことを、M.シューマッハの言葉は示している。 7度チャンピオンになること、チャンピオンになった後がどれほどたいへんなことかは、彼にしか語れないことだろう。 走ることが好きなだけでは到底続けられないことをよく知っているからこそ、M.シューマッハは引退した。 チームやチームメイトとの関係の良さもシリーズチャンピオン獲得の秘訣の一つであることは、今シーズンのチャンピオンシップの結果がよく示していると思う。 引退後も国籍の異なるチームメイトから招待を受けたことが、それを如実に表している。 シューマッハ、「レースが恋しい」 (11月28日TopNewsレース速報) F1から去って一年と少しが過ぎ、ミハエル・シューマッハはレースでの戦いが恋しいと語っている。 ドイツの『Bild(ビルト)』紙は、シューマッハを“高速の退職者”と表現し、元チームメートであるフェリペ・マッサ(フェラーリ)がブラジルで主催した国際カートレースでのシューマッハの勝利を伝えた。 その以前には、バルセロナテストで2日間に渡り最速タイムをたたき出し、レース界を愕然(がくぜん)とさせたシューマッハ。来週にはヘレステストで再びコックピットに戻ってくることになっている。 また、12月後半には、同じくドイツ出身のセバスチャン・ベッテル(トロ・ロッソ)とチームを組み、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで行われるレース・オブ・チャンピオンズに参戦する予定だ。 「ほんとにレースが恋しいよ。あの戦いがね」とのシューマッハの言葉が、イタリアのスポーツ紙『La Gazzetta dello Sport(ガゼッタ・デロ・スポルト)』に掲載されている。 「そうなってもまったくおかしくないさ。カートでレースしてからでさえ、もう一年は過ぎているんだ。レースにあこがれるよ」 マッサから来年もブラジル・フロリアノポリスでのカートレースに誘われたシューマッハは、既にこの招待を受けたと見られている。 「僕はずっとレースを愛してきた。そして、今でもそうなんだよ」と、シューマッハは『Bild』に語った。 後にチャンピオンになったドライバーは、たいてい若い頃アグレッシブと評される。 先輩との摩擦も多い。 M.シューマッハもWikipediaに下記の記述がある。 1994年には、チャンピオン候補筆頭と目されたセナが、第3戦サンマリノGPにおいて事故死(この時シューマッハはセナのすぐ後ろを走っており、車載カメラにコンクリートウォールに向かうセナの車が映し出されていた。この件でシューマッハは至近距離からの目撃者として、FIAと警察の事情聴取を受けている)した事もあって、シリーズを独走する。しかし、黒旗失格、出場停止などが響きデイモン・ヒル Bの追い上げを許してしまう。結果として最終戦までもつれるが、ヒルとの接触で両者ともリタイアし、レースをフィニッシュする事無く、自身初(ドイツ人初)のドライバーズタイトルを獲得したが、この件は故意か否かといった点で物議を醸した。 1995年は、序盤こそ出遅れたものの第5戦スペインGPの完勝からペースを掴み、17戦中9勝を上げてナイジェル・マンセルが92年に達成した当時のシーズン最多勝記録に並び、2度目のドライバーズチャンピオンを獲得した。この年も、ベルギーGPでのヒルとの接触で執行猶予付き出場停止処分を受けるなど、スポーツマンシップに欠けるとみなされる行動が見られた。 Wikipedia「ミハエル・シューマッハ」より 中嶋一貴について、ベテランF1ドライバーであるD.クルサードの「F1正ドライバーは時期尚早」とのコメントがあるが、本当にそうなのだろうか?と思ってしまう。 チャレンジャーに厳しいのはどこの世界も同じ。 F1の「イス取りゲーム」も厳しくなっている。 また、走行マナーの点では走路妨害についての判定が過去に比べ厳しくなっている。 中嶋選手は様々なプレッシャーに負けずに頑張って欲しい。 2008年の日本GPでお立ち台に立つべく! 中嶋のF1昇格は時期尚早、とクルサード (11月28日 TopNewsレース速報) 中嶋一貴のウィリアムズF1デビューはタイミングが早すぎるのでは、そう警鐘を鳴らしているのはデビッド・クルサード(レッドブル)。 1994年に同チームからF1に上がって以来、229回のグランプリをこなした歴戦の雄といえるクルサードだが、10月のブラジルGPで中嶋が見せた走りには批判的だ。 中嶋は現在22歳。今年フルシーズン戦ったGP2を卒業し、2008年はモータースポーツの最高峰に打って出る。 イギリスのTV局、『ITV』のウェブサイトにコラムを持つクルサードは、次のように記している。「ブラジルGPで僕は、第1コーナーのアウト側から彼に抜かれたんだ。まあそれは良しとしよう。でもその後、僕の鼻先に無理やりマシンをねじ込んできたんだ。あんなの、まったく必要のない行為だよ」 中嶋と接触したクルサードはスピンを喫し、その結果、サスペンションにダメージを負ったままレース残りを戦わなくてはならなかった。 1回目のピットインでメカニックを跳ね飛ばした中嶋は、クルサードとの接触についてこう話している。「僕が前にいたんだから、責任が僕にあるとは思いません」 クルサードによると、ルーキー批判は何も“年寄りの愚痴”というわけではないという。 「GP2のドライビングスタイルは、総じて荒っぽいんだ。チームメートのマーク・ウェバーも言っていたよ、“F1は卒検講習じゃないんだ”ってね。僕もその意見に賛成だ」
2007年11月30日
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「世界一の」自動車メーカーTOYOTAが主催し、 「世界一の」旅行会社JTBが交通輸送を担当する 「世界一の」イベントF1 トヨタF1 「世界一の」ホスピタリティにならなかったのは「合成の誤謬」だろうか。 「世界最大」を「世界一」と勘違いしたことから生じた事態だろうか。 パドックの中の住人や周辺住民に迷惑をかけなかったので、「世界一」の受入は実現されたとするのか。 ヒトの噂も七十五日。 75日を過ぎても、まだまだ投げ出さず「のま」さんは頑張ってます。 その日にあった事実を伝えることで、みんなが楽しめる「F1日本グランプリ」を実現するために。 「のま」さんは逃げも隠れもしないで頑張ってますが、相手はそうでもないようです。 今後、FSWも、F1再開が決まった鈴鹿サーキットも、観客のために進歩、進化して欲しいと思います。 トヨタの得意技の「改善」で課題が解消できるなら、それでもよいです。 FSW全額払い戻し者85人のうちの一人の告白。 [の]のまのしわざ 地獄のF1富士:決勝スタートに間に合わなかった85人のうちの一人の告白 (2007年11月23日) 『トヨタの闇』 『ハリウッドスターはなぜプリウスに乗るのか』 [の]のまのしわざ f1アーカイブ フェラーリ ライコネン
2007年11月26日
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確かに、用もないのに芝を刈りたくなると思う。 コンバインで戦車を自作している方がおられるが、こちらも並々ならぬ「こだわり」を感じさせる一品。 コンバインを改造した自作戦車 故ロニー・ペテルソンのファンである私は、迷わずJPSカラーのモデルを選ぶ。 世にあまねくいるフェラーリ・ファンはもちろん、「赤」だ。 マルボロ・マクラーレン・カラーも是非欲しい。 数台揃えて芝刈りグランプリもよいだろう。 おっと、芝刈りをする庭が家には無かった! F1にインスパイアされた芝刈り機 (2007年11月16日 Gizmodo Japan) 用もないのに芝を刈るお父さん続出? F1レーサーのように華麗に芝生が刈れる仏・Kadeg Boucherのコンセプトモデルです。単調な庭仕事がグンとセクシーになりますね。 ハンドルはLCDディスプレイ付き。フロントにはF1風のウィングも付いてますよ? レース用サスペンションはフル装備で、バックミラー、スパークプラグにはレース用ヘルメットがちょこんと乗ってます。 スタイルはシュマッハー&フェラーリレッド、ホワイト、ジョンプレイヤー・ロータスのブラックの計3モデル。 JPS LOTUS 栄光の軌跡 =BLACK BEATY 1973season= 3,675円 ザ・ヒストリー・オブ・モーターレーシング 1970-1979 3,675円 【楽天市場】おもちゃ・ホビー・ゲーム http://event.rakuten.co.jp/hobby/item/ 【戦車】UNIMAX1/16 タイガーI 1944年 222号車ミハエル・ビットマン ヴィレル・ボカージュの戦い塗装済み完成品イリサワ限定 世界限定2000台(お取り寄せ) マイクロアーマー第18弾 タイガーI 全7種フルコンプセット
2007年11月18日
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今年は最後? R383の公開走行 R383は昨年レストアされ、筑波サーキットでのシェイクダウンテストを行った。 12月の「ニスモフェスティバル」でRシリーズ揃い踏みでデモンストレーション走行。 「幻のR383がついに富士を初走行!」 (2006年12月6日 NISMOフェスティバルレポート) そのR383が2007年10月8日、鈴鹿サーキットで開催された「2007 2&4@グッド オールデイズ WEST」で走った。 ドライバーはオオモノ使いの巧者、長谷見昌弘氏。 ドロドロと重いV12の咆哮がノスタルジーを呼び覚ます。 NISSAN R383 1970 エブロ 1/43 R383を見ると往年のモータースポーツファンの多くはこう思う。 TOYOYAのトヨタ7ターボとともに1970年の幻のGPを演じてくれる日がきて欲しい。 トヨタ7 エブロ 1/43 1969 日本GP タキ・レーシングは無理でも、残存するローラT70や、ポルシェ917、910、908あたりが並走してくれたら、いうことはない。 TNT対決の再現なら、さらに満足度アップ。 ホンダはS800だけでなく、RA301とRA302で参加! ポルシェ917ショートテイル エブロ 1/43 日本GP 1969 【グッドウッド】『トヨタ7ターボ』走る…トヨタが何をなすべきか (2003年7月14日 レスポンス) 今、「トヨタが何をなすべきか」よっく考えていただいたこう。 まずはトヨタに富士スピードウェイでの開催をすすめて欲しい。 6kmコース、30度バンクの復活は…我慢しよう?! その後は国内各サーキットで展開。 主催者、参加社、参加者のイメージアップは間違いない。 ドライブ ユア ドリーム! <ニッサンR383とは> (2006年11月16日 NISSAN PRESS RELEASEより) R382で1969年日本GPを制した日産は、’70日本GPに備えて新たなマシンの開発に着手した。 それが700馬力、ともいわれた同車。 しかし、昭和45年の’70日本GPは中止となり、R383はそのモンスターぶりを発揮することなく幻のマシンとなった。 (以下のスペックは、日産自動車が所有するレプリカモデルのもの。) 全長/全幅/全高:4,115/2,030/1,088mm ホイールベース:2,400mm トレッド(前/後):1,280mm/1,260mm 車両重量:740kg エンジン:GRX-3(V12 DOHC) 総排気量 :5,954cc エンジン最高出力:515kW(700ps)以上 最大トルク :647N・m(66kgm)以上 トランスミッション:ヒューランド5速 ブレーキ:4輪アウトボードディスク
2007年10月09日
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1987年 『フジテレビジョン 日本グランプリ』 3回連続開催ときいていた、F1の国内開催が2回目で終わったショックは大きかった。 再び国内でF1は見ることができないのでは、と感じる程のだった。 僅かに期待できる要素は、ホンダの参戦と子会社のホンダランド(当時)が運営している鈴鹿サーキットの動き。 実はホンダランドはF1開催を発表する前から、大規模なレーシングコースの改修工事を行っていた。 あいまいな記憶だが、F1を開催する年にはコントロールタワーとピットも建て替えた。 社名も鈴鹿サーキットランドに変わっていた。 多分それから20年、大規模なパドック周辺の改修工事は行われていない 予選でF1の全開走行を見たときと決勝スタートの瞬間の感動は、今も忘れることが出来ない。 一度見た「夢」を取り戻した感じだ。 レースと直接関係ないが、予選と決勝でスタートラインが変更になっていたことにはビックリした。 「クリスマスツリー」と呼んでいたスタート灯の位置も変更になっていた。 一夜にして工事を実施した、関係者の苦労がしのばれる。 8耐とは種類が違う、未知のビッグイベントの受入に様々な苦労があったことだろう。 決勝終了後、F1関連グッズはほとんど売切れ。 これはおそらく観戦する側の期待の大きさを示していた。 現地観戦でF1を自分の目で見たいという気持ちの累積(何年分だろう)の在庫一掃セール。 見たい気持ちがF1グッズ購買意欲に転換した。 入場は抽選なので「一掃」とはならいないのだが。 周辺交通の混乱はF1初回より、8耐の方が大きかったのではなかろうか。 どちらも、帰りはそこらじゅう、人とクルマだらけだったのでよく分からないが。 隔年開催決定でF1ファン、モータースポーツファンの「すその」が広がることを願うばかりである。 FOM、FOAから様々な要求が課されているのだろうが、FSWも鈴鹿サーキットも、観客のためにも頑張って欲しい。 フジテレビF1 放送20周年記念企画 「F1日本グランプリ1987-2005 ~思い出は鈴鹿とともに~」 F1開催20周年記念誌 鈴鹿F1日本グランプリ 1987-2006 8耐開催30回記念DVD BOX 8耐30回記念DVDボックス
2007年10月08日
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1976年 『F1世界選手権・イン・ジャパン』 実はそんなに昔ではないと感じている。 ただの思い出話です。 インターネット時代とは縁の無い、ゆったりとした時間が流れていた時代のこと。 日ごろ富士グラン・チャンピオン・レース(グラチャン)で親しんでいた富士スピードウェイ(FISCO)でF1開催決定。 主催、後援はスポーツ・ニッポン新聞(スポニチ)、毎日新聞、TBS。 『富士スピードウェイ 最初の40年』 (林 信次 著) 74年のグラチャンの死亡事故で国内モータースポーツ界が意気消沈していた頃だ。 学校ではモータースポーツ・ファンの先輩、後輩・友人と、顔を合わせるたび自分たちのF1を「どうするか」の話ばかりしていた。 76年、1回目の日本グランプリ。 決勝当日、早朝、最寄の駅まで父に車で送ってもらった。 小田急線の新宿駅からレース好きの友人といっしょに、男二人で御殿場行きのロマンスカーに乗る。 新宿発の「あさぎり」はまだ無い。 天気は今回同様雨。 霧の濃い富士スピードウェイで傘をさして、じ~っとスタートを待ち続けた。 暴れることも騒ぐことも無く。 コースコンディションを確認するため、時折、コースを走る車があった。 その度に期待しては、落胆した。 同じ学校の別の友人グループは、もうスタートしないだろうと早々に引上げたことを後で聞いた。 それぐらい、希望の持てない、濃い霧だった。 その日パドックで何がどうなっていたかは、後日「オートスポーツ」誌で知った。 ぎりぎりの時間になってF1はスタートした。 フィニッシュはフォーミュラのレースとは思えないぐらいの暗い時間。 『富士スピードウェイ物語』 (ジョー・ホンダ 著) 帰りは無事帰れたはず。 というより、幸せなことに往復の交通について、特に印象に残ることは無かった。 バス、タクシーと多分関係者用の専用道(車が走ることができる林道レベル)を通ったはず。 自家用車の人々はたいへんだったのかも知れない。 行き帰りの電車、バスの中でずっとF1とモータースポーツの話をしていた。 帰りはいつもの電車観戦仲間とも合流できた。 海外旅行がそれほど一般的では無かった時代。 自分の目で直接見ることはないだろうと考えていた、本物のF1を見ることができた感動で一杯だった。 国内モータースポーツ・カレンダー決定後、急遽開催された「F1世界選手権・イン・ジャパン」のDVDの販売はない。 当時、日本のモータースポーツの中心位置を占めていたグラン・チャンピオン・レースのまとまった映像もなさそうだ。 『今、蘇るスカイラインGT-R~49連勝の軌跡~』 1987年、鈴鹿でのF1開催まで、日本のレーシングコースの中心は富士(FISCO)だった。
2007年10月07日
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ギズモードのライター、F1日本グランプリ in 富士スピードウェイで地獄に遭遇する (動画) 小鳥ピヨピヨの方にも少し書きましたが、ギズモードのライターの野間さんが、F1日本グランプリ in 富士スピードウェイで、奥様とお子様と一緒に、大渋滞地獄を体験してしまったようです。 (中略) 野間さんは三洋Xactiでこの様子を撮影し、YouTubeにアップしたところ、世界第4位のアクセスを獲得し、転んでもタダでは起きないブロガー魂を見せつけてくれました。ありがとうございます。 F1 日本グランプリ in 富士スピードウェイ 2日目:地獄絵図 [のまのしわざ] 見事のレポートは、記事掲載以前に読むチャンスを得ていた。 整った記述は、さすがプロのライター。 最前線で働く富士のスタッフへの思いやりの心を含め、周りへの幅広い観察とともに、きっちりと理不尽な状況に巻き込まれた怒りが伝わる。 決勝日の方針転換も見事。 たくさんの部品扱いされた観戦客の叫びはエクレストン氏にも伝わっているのだろうか? 観戦環境改善に向けての働きかけを期待したい。 彼の動機はF1ブランドの価値の向上であるが。 <トヨタ自動車>副社長が謝罪 F1日本GPのトラブルで (2007年10月4日 毎日新聞) <トヨタ自動車>レクサスにスポーツセダン「IS F」追加 (2007年10月5日 毎日新聞) Fは富士スピードウェイのF。 世界のトヨタは何を考えているのだろうか? レース観戦に必要な準備品はこちらだったのかもしれない 来年も同じような時期に開催されるなら、磯釣り用のファッションも良いだろう。 もちろん、竿はいらない。 クーラーボックスは生き延びるために必要かもしれないが。
2007年10月05日
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「どこまでも美しく、 いつまでも感動を! F1日本グランプリ in 富士」 富士スピードウェイ(FSW)のF1サイトは美しいフレーズで始まる。 9月30日、午後の時点でFSWのF1サイトの「NEWS」、「チケット&ライド」、「場内情報」のどこにも9月29日に起こったことは何一つ掲載されていなかった。 例えば 「C席仮設スタンドにてご観戦のお客様へ」という案内。 決勝を観戦するにあたって必要な情報なので、とりうる手段を出来るだけ使って、該当者向けに告知すべきだと思う。 3億5千万円払い戻し「レースがよく見えない」…日本GP (2007年9月30日 読売新聞) 28~30日、静岡県富士スピードウェイで開かれているF1世界選手権第15戦日本GPで、第1コーナー寄りの指定席からレースがよく見えないというクレームがあり、富士スピードウェイは30日午前、問題のあった指定席の観客に指定席料金分5万円を払い戻すことを決め、来場者に案内のパンフレットを配った。 払い戻し対象者は約7000人で、総額は3億5000万円。 記事は30日付けだが前日から問題になっていたことで、F1観戦にかかわることである。 700人の指定席で観戦するつもりだった人々が新たに観戦場所の確保をするという事態は、現地観戦者の情報として重要だと思う。 <F1>道路陥没で大渋滞 一部観客4時間足止め 日本GP (2007年9月29日 毎日新聞) 静岡県小山町の富士スピードウェイで30年ぶりに開催中のF1日本GPで29日、終了後、会場と場外駐車場などを結ぶシャトルバスが雨のため陥没した会場内の道路の影響で渋滞し、一部の観客が会場内に4時間以上取り残された。 渋滞解消のため乗用車の乗り入れを禁止され、シャトルバスで往復することになっている。 こちらについては復旧状況を告知するべきだと思う。 往復についての不安を減少させるべきだ。 『F1の秘密』 10万人以上の観客がいるので、すべてのトラブルを告知・報告する必要があるとは思わない。 例えば今回でも、「フリー走行のキャンセル」等は現地で観戦している人々に重要な情報ではあるが、事前に知らせる必要があるとは考えない。 現地観戦時の行動に必要な情報については、最低限告知するべき。 マスコミのニュース、blogで分かればよいということではない。 鈴鹿サーキットで開催されたF1GPでも、FSW関係者がたくさんの項目について調査していたと聞いた。 調査した結果はどのように反映されたのだろう。 その努力は観客の多くの不満の声に埋もれた。 10万人を超える大動員時のイベント主催者へののアゲアシ取りに終わったのだろうか? 自分達ならもっと上手く出来るという根拠のない自信につながってないか疑いたくなる。 巷間予想された課題(特に会場へのアクセスと会場内外のアメニティー展開)は全く解決されていないのではないかと思われる、現地からの報告を数多く目にする。 2008年のF1日本グランプリでは「雨絡みの問題点」以外の主な課題は、可能な限り解消して欲しい。 今回のグランプリで主な課題と思われるのは、 ・アクセス ・場内通行路 ・観戦環境(仮設スタンドなど) ・滞在環境整備 など。 世界のTOYOTA(グループ)として、得意の「なぜなぜ」の手法を徹底していただいて、世界に誇れるオペレーションを展開することを望んでやまない。 TOYOTAが「こころ」のある企業集団であることをF1開催の場で示して欲しい。 いつまでも国内では「三河のイナカ大名」で済ます気はないだろう。 世界有数の企業として、利益の数字だけでなくノブレスオブリージュについて、より強く思いをいたして欲しい。 鈴鹿サーキットも運営上の課題は多かったと感じるが、耳にした観客の反応から、20年開催を続けていたノウハウが随所に活かされていたことが証明されたと感じる。 鈴鹿ファンが増えることはうれしいことだが、アンチ・トヨタが増える反面としてではあまりに寂しい。 荒天にもかかわらずコース上で大事故が無かったことは幸いだった。 F1文化の拡大を踏まえて、富士スピードウェイもF1ファンがレースを楽しめるための基本をしっかり押さえ、隔年開催に相応しい運営をして欲しい。 その努力がトヨタ(グループ)の企業価値(ブランド・イメージ)に与える「カイゼン」効果は大きいだろう。 現地観戦された皆さんが「無事」帰宅されることを、 心からお祈りします。
2007年09月30日
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今日の天気は1976年のF1日本GP(F1世界選手権・イン・ジャパン)を思い出させる。 その年、グランプリの名称は鈴鹿で開催されるJAF GPで登録済みだった。 憧れのF1のシリーズ戦開催の重みを考えて「鈴鹿がGPのタイトルを譲ればよいのに」と仲間と憤っていた。 主催はスポーツニッポン新聞社(スポニチ)。 決勝日、雨の中、最終コーナーの自由席でレースのスタートをじっと待ち続けた。 2007年9月30日。 初めて現地観戦という人々もいることだろう。 明日、せめてレースが出来る程度までには天気が回復して欲しい。 〈ちょっとだけ昔語り〉 フォード・コスワースエンジン搭載のティレルvsロータスの対決時代が懐かしい。 大好きなドライバーは故ロニー・ペテルソンだったりする。 マシンではJPSカラーのロータス72が一番好きだ。 コスワースにそれなりのフレームを用意するればF1マシンを作ることが出来た。 マーチでF1に参加していた、新進気鋭(=新参者)のマックス・モズレーは、ハード面で当時のような参戦環境を取り戻そうと、レギュレーションをいじり倒しているようだ。 ムチャだ。 1970年代、シーズン中のF1のレース結果は、スポニチ新聞が速報だった。 私はモータースポーツ好きの仲間ともに、月2回発行のオートスポーツでビル・大友の観戦記を待っていた。 詳細をしるためである。 学校が近くだったので、書店より1日早く手に入れることが出来る、オートスポーツの発行元の三栄書房に買いに行くこともしばしばあった。 ビル大友のF1見聞録 パソコンも携帯電話もない時代。 時は今より遥かにゆっくりと流れていた。 船橋サーキットから始まる下記のblogの内容とは張り合うべくもない。 『旧車の可能性をSHIFTするぺログ』 こちらの昔語りに全然かなわない。 わたしにはこの方のようなルサンチマンはない。 レゴ レーサー フェラーリF1 1/18 8674 F1ビジネス-もう一つの自動車戦争 (田中詔一 著) 【 F1観戦blogの紹介 】 自動車に関する幅広いお話。 今はF1。 F1日本GPのチケット販売についても論及がある。 『自動車部的自動車論』 ニュース・レポート風の記事 『しなぷす』 こまめに更新してらっしゃる。 『hiro日記(仮)』 キャンギャル画像がたくさん。 『1日の終わりに…~freedam from care~』 レースレポートです。 『ネットでお小遣い』
2007年09月29日
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今日からFSWで30年ぶりのF1日本グランプリ。 ネット上もF1のニュースだらけ。 第1回のF1日本GP(F1GP in JAPAN)のとき、世間がどんな雰囲気だったか全く思い出せない。 F1をはじめて見る期待感だけが心に残っている。 FISCOがFSWになっても富士スピードウェイは、私のモータースポーツ魂の故郷。 御殿場の駅からタクシーに相乗りして行った「グランチャンピオン レース」が懐かしい。 「日本カンナム」なんてのもあった。 残念ながらマスコミネタの「TOYOTA vs Honda」 はレースの話では無く、ビジネスの話。 レースで対抗しても、今シーズンの両者の成績では話題にはならない。 セントレア(中部国際空港)4Fイベントプラザでは「日本GPフェスタ2007 in セントレア」が開催されている。 チームグッズの販売もある。 セントレアはトヨタの肝いりで開港した空港だが、グッズを売っているのは鈴鹿サーキット。 世界のトヨタは懐が深い。 FSWでのF1日本GPが成功裡に終わり、再びF1ブームになって欲しいと思っている。 一方、日ごろFSWを利用するモータースポーツ関係者は、受入態勢について一様に悲観的観測。 TOYOTA、Honda、SAの活躍に期待しよう。 Infoseeku楽天ニュース F1 Yahoo!ニュースカーレース BIGLOBEニュースFI日本グランプリ特集 GP Update.net
2007年09月28日
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F1日本GP 隔年開催に関する報道の誤り の続き 「F1を東京・お台場で」 ホンダと協力するトヨタの思惑 (J-CAST) 1/12 R/C お台場(東京)でF1GPが開催されれば、国際的にもF1の商品価値(スポンサーと観戦者)があがり、FOMも喜ぶはず。 2010年から中国でもタバコ広告が禁止される。 インドやロシアにはインフラ面などのリスクが大きく感じられる。 アメリカがあまりF1に乗り気ではないこともあり、日本のスポンサーは大事だろう。 ファンの人気が巡りめぐって放映権料を含むスポンサー・マネーとなり、F1の屋台骨を支えている。 マネーの直接の出所はスポンサーである。 「F1方式」なるビジネス・モデルは他のビジネス・モデル同様、継続して最大の利益を得る手法である。 といった観点で考察しないと、F1ビジネスのトップの動き(エクレストン氏やモズレー氏の動き)は理解できない。 現場であるチームや選手の動き、発言はそれらとは当然、別である。 『F1ビジネス』 過去、市街地コースでのレース開催構想がいくつか発表された。 残念ながら、一つとして実施例がない。 最大のネックは、警察が「道路専有許可を出すかどうか」にあるようだ。 自治体の首長(東京都であれば都知事)や商工会議所が開催したいといっても、全国組織の管轄下の警察は簡単には「ハイ」とは言わない。 まず、前例がない。 一民間が企画した長時間かつ事故発生の危険性が大きいイベントに許可を出し、万一事故があったら、当然、官職に携わるものにとって致命的なことになる。 クラッシクカーがのんびり走るのとはわけが違う。 ラリージャパンの開催でも多くのモータースポーツファンはその意外性にビックリしたはずである。 どのような手法をとれば市街地レースが開催できるのかの手法の見当がつかない。 F1特区の指定を受け、各種の法令整備(法律は無理だろうが)を行えば可能なのであろうか? 石原都知事ならやってくれるか。 過去の市街地レース(F1に限らない)開催構想 (聞いたことがある分) 青森県むつ市 神奈川県横浜市 大分県別府市 東京都 もう一つ、別の記事もご覧いただきたい。 F1日本グランプリ 隔年開催の舞台裏 (2007年9月12日 ゲンダイネット) 「F1開催権料は10億円をはるかに超えるというが、「お金の話はご法度」ゆえ、真相は闇の中。 ただ、エクレストン氏がトヨタとホンダを、シッカリ手玉に取ったことだけは間違いなさそうだ。」 トヨタの副社長が5年継続開催の談話を出した後、FSWの社長は5年継続開催を公式に否定した。 こちらの記事中にも色々と疑問点はある。 しかしながら、 「F1方式」と呼ばれるビジネスモデルを生み出したエクレストン氏の「勝(=手玉に取った)」は当たっているはず。 20年連続開催した鈴鹿サーキットも大したものだが、F1日本GPは鈴鹿の専売品ではない。 プロスポーツなのだからアッチもコッチもビジネスベースで考える方がすっきりする。 F1ファンの端くれとして、FSWで開催される日本GPが成功に終わることを心から祈念する。 今蘇る日本グランプリ ~栄光への熱き戦い~
2007年09月23日
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2007年9月30日、FSWでF1日本グランプリの決勝開催。 国内初のF1選手権を富士(FISCO)で見た私としては、富士でのF1再開である。 F1の隔年開催が決定したようだが、思い入れの強い記事が多い。 TOYOTAとHondaの代理戦争的なとらえ方だが、明らかにおかしな点があるので、以下に指摘し見解を記す。 「F1を東京・お台場で」 ホンダと協力するトヨタの思惑 (J-CAST) 「2008年から富士スピードウェイ(静岡県)と鈴鹿サーキット(三重県)の交互開催となったフォーミュラー・ワン世界選手権(F1)日本グランプリ。 F1は1カ国1開催が原則であり、2007年から2011年まで5年間はトヨタ自動車側の富士スピードウェイで開催される予定となっていた。 F1開催の早期復活を望むホンダ側の鈴鹿サーキットに対し、悪役となることを恐れたトヨタ側が開催権の一部を譲った形だ。 だがトヨタの思惑はそれだけではない。 ホンダに恩を売って協力を取り付け、東京・お台場でのF1開催を実現させる狙いもあるようだ。」 リンク先の記事をご覧いただいてから、下記を読んでいただくとよい。 ポイントは「ホンダに恩を売って協力を取り付け」というあたりである。 F1開催が「そんなにおいしい話だろうか」とバブル華やかなりし頃、幾多の国際レーシングコース計画が発表される中、雑誌「ダイム」が疑問を呈していた。 恐らく、HondaとTOYOTAの綱引きで、開催権料は高騰したことだろう。 過去、TIサーキット英田はF1を2回(1994年、95年)開催後、F1開催を止めている。 海外のサーキットもFIAやFOAの過酷な設備改修要求に音を上げている報道を数多く耳にしている。 F1開催は、10数年前より遥かに「おいしくなくなった」はずである。 富士スピードウェイ(FSW)は「恩」ではなく「損」を売った(負担を軽くした)のではなかろうか? 「Hondaさん、いっしょに背負いましょう」。 その方がFSWの非常にあっさりとしたコメントも理解できる。 F1チームキャップ2007 「トヨタとしては、閉鎖に向かっていた富士スピードウェイを立て直して日本のモータースポーツ文化を守っただけでなく、今回は鈴鹿サーキットの窮地も救ってホンダに恩を売ったことになるのだ。」 確かに「富士スピードウェイ」はトヨタがてこ入れする前、閉鎖の危機だった。 が、F1を開催しなくなった「鈴鹿サーキットが窮地に陥ったとか、閉鎖の危機とかの話は聞いたことがない。 また、FSWを立て直してトヨタが「日本のモータースポーツ文化を守った」という評価は一般的ではないと思う。 レース関係者の多くが、「トヨタはいつ富士を止めるのだろうか」という話はよく聞いた。 F1開催前の大改修から、鈴鹿サーキットは20年間、基本的に同じピット、パドックでやってきた。 鈴鹿が将来のF1開催について何らかの根拠をもとに考えているのであれば、コース改修の好機とするのは、むしろ当然。 逆に再開が前提でなければ、F1開催を前提に建設し破綻した他のサーキット同様の「放漫経営」である。 破綻した他のサーキット(死屍累々) 岡山国際サーキット(岡山) :旧称TIサーキット英田。 F1を2回開催後、2004年4月更正計画認可。 2004年5月名称変更。 MINEサーキット(山口) :2006年2月閉鎖。 2006年1月マツダが買収しテストコースとして活用。 オートポリス(大分) :1992年運営会社倒産。 2005年3月、川崎重工が買収。、 日本海間瀬サーキット(新潟) :1978年閉鎖、1987年営業再開。 (市街地レース開催構想については、続きに記載) F1隔年開催に関する報道の誤り(ミスリード)2 2007 フェラーリ Tシャツ
2007年09月23日
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F1 09年から鈴鹿と富士で交互開催 (2007年9月9日 毎日新聞) 「鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)と富士スピードウェイ(静岡県小山町)は8日、世界最高峰の自動車レース・F1の日本グランプリ(GP)を09年から隔年で交互に開催することで、開催権を持つフォーミュラ・ワン・アドミニストレーション(FOA)と合意したと発表した。 これにより、今年(9月28~30日)と来年は富士で、09年からは鈴鹿、富士の順で交互に開催される。」 F1再開に向け鈴鹿をリノベーション (2006年12月19日 レスポンス) 「ホンダは、2007年に鈴鹿サーキットをリノベーションすると発表した。 同社の福井威夫社長は「ピット、パドックを全面改修して再びスズカでF1を開催する」と宣言。」 ということで福井社長の約束は果たされたと言える。 話の筋と全く関係ないが、福井社長は大日本帝国海軍の建艦史を語るときに欠かせない人物、福井静夫海軍技術少佐(造船大尉の階級の方が有名?)の三男。 これぞまさしく技術のDNAの継承! 再開の内容は発信元を尋ねるのが一番良いだろう。 2009年にF1日本グランプリを鈴鹿サーキットで再開 (2007年9月8日 株式会社モビリティランド鈴鹿サーキット 広報発表) 「鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市株式会社モビリティランド 社長:土橋 哲)はF1の開催権利を持つFOA(FORMULA ONE ADMINISTRATION LIMITED 代表:バーニー・エクレストン氏)と2009年シーズンから「FIA F1世界選手権 日本グランプリ」を隔年で開催することに合意致しました。」 2年間(2007、2008)は富士スピードウェイで開催。 富士スピードウェイ 2007年 F1日本グランプリの開催概要を発表 (2006年11月9日 富士スピードウェイ株式会社広報発表) 国内2ヶ所での開催がF1を現地観戦するファンに心地よいものとなるよう、FISCOには巷間で話題になっているアクセス路の確保について頑張って欲しい。
2007年09月09日
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タバコ広告が全面禁止!中国でも禁煙活動が本格化―中国 (8月28日11時47分Record China) 2007年8月27日、広州市で、中国タバコ規制協会の許桂華(シュー・グイホア)会長は、中国国内におけるタバコ広告・販売促進活動を2011年7月1日より全面的に禁止することを明らかにした。 この規制はWTOの「タバコ規制枠組条約」の発効に伴う措置となる。 許会長は中国の禁煙への取り組みについて、公共の場所での禁煙が法律に明記されていないなど、対策が十分でないとの考えを示し、今後は法律の整備や取り締まりの管轄機関を決定するなどの調整が必要だと指摘した。中国といえば、「喫煙大国」と言われるほど喫煙率の高さで有名だ。さらに、歩きタバコや公共の場所での喫煙など、マナー面でも多くの問題を抱えていると言われる。 (翻訳・編集/KT) 東京でF1、脳内で走ると意外と難コース (8/31日経Automotive Technology) FIA副会長バーニー・エクレストン氏の発言を受けての記事。 日経系らしくない(失礼!)、Editorの柔らか頭ぶりをみせてくれる。 足で検証しているところなど涙モノ。 桜田門と宮内庁が「やりましょう!」といってくれたらな。 車好きの秋篠宮様は賛成してくれそう。 「2010年まではF-1上海グランプリを開催する(できる)可能性が高い」ということ。 その後は…。 タバコ資本はどこを目指す。 F1資本は東京かい? フェラーリF248 F1 1/10 ラジコン
2007年09月06日
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琢磨のトークライブが鈴鹿サーキットで行われたが特別な発表はなかった。Hondaのレギュラードライバーとして活躍して欲しい。近所のファミマでスーパーH20を4本まとめて買った。おまけが目的。"H2O"4本でBARホンダ1台分になる。今年最後になるだろうBARのプラモデルでも組立てるか。
2005年10月10日
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