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30日の日中より体調に異変。虚脱感、嘔吐感、腹痛、それに頭痛。仕事を早退したかったが、人員の都合で帰られず。夜中までに十数回トイレに通い、翌朝31日は多少持ち直したが今度は39度近い発熱に襲われて又もダウン。 昨今、当八重山見聞録外伝の俎上に載せた方々の恨み辛みなのか。それともバチをかぶったか。バチをかぶるとは本土で言うところの罰が当たるの意である。バチかぶんないように柔らかく書いたつもりだったけどダメだったみたい。ま、仕方ないか。 ということでこの文章も息も絶え絶えで書いておりますので手短に。又来年よりもっとバチをかぶるように書きまくってみたいと決意も新たにして終わりの言葉に代えさせていただきます。読んで下さった皆様ごきげんよう。ろくでもない年2005さようなら。ブログランキングに参加しました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.31
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石垣島ブームである。特に移住地として注目されているらしい。島田紳助さんの一連の発言の影響などもあるだろう。彼が島で店をオープンする際に仕事上のお付き合いがあり、移住へのコメントもお伺いしたが、移住ってわけにも実際問題いかないから。せめても店出しますわ。ってな旨の発言をされていた。 実際問題そうなんだと思う。移住ってわけにも結構いかないのである。つまりテレビや紙面では移住とされているモデルケースの方が実際は移住ではなく長期滞在ぐらいの移動だったりする。もしくは、一応住んでみたものの繰り返しひどい台風は来るは、湿気がすごくてありとあらゆるものにカビは生えるは、石垣島の業者に新築家屋つくらせたら内装も建具も電気関係も素人に毛が生えたみたいな仕事されるは、近所の島人(シマンチュ)が毎晩のように酒飲みに来るは、そんなこんなで移住後半年から一年くらいでギブアップとなり、本土の長男夫婦のところへ非難してしまったりするのである、実際問題。 でもテレビや雑誌では『石垣島への移住やめました』とか『島への移住なんて無理です』みたいな特集はやらないからそういう方々の話をお伺いする機会はあまりない。残念である。ま、それでも最近の特集記事にはネガティブケースが載ることもあり、それなりに実際問題に近づこうとしている努力はメディア側にも認められるが、やはり実際問題の核心には触れたがらない。でも本当はそこんとこに触れてこそ移住の妙だと思うし、そこを思案考察しての移住でなければ後々キツイと思うなぁ、いろんな意味で。どんなふうに色々かはまたおいおい。プログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.29
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本土に士農工商があったように沖縄にもかつて身分制度があったわけで、そこでは『士族』っちゅうのが一番偉かったそうです。士農工商で言うと武士に相当する身分でして、つまり家柄がよく場合によっては財産や権益なども持っていたりするので身分制度が廃止され近代と呼ばれる時代になると然るべくして元士族の周囲には取り巻きと呼ばれる人たちが集まり、元士族を政治の世界に担ぎ出します。「親方、ひとつよろしく頼みますよ。俺ら、一生ついてきますから」と言うわけで、現代の沖縄や八重山の政治家には元士族、士族の家系という方々が多いのであります。「市長選挙に出たらどうかって?何を言ってんだよ、おまえ 達は。市長になれって言うんならなりますよ。ああ、なっ てもいいですよ、オレは。でもな、そう言うのは推されて 成るもんなんだよ。わかるか。どうか市長になってくださ いと、おまえ達がオレを担ぎ出しなさいよ。そうしたらい つでもオレは市長選でも知事選でも出るから。ま、オレは 士族の家柄だからな。推されるのは仕方ないってわかって るから。うん、わかってるから。うん、うん」と酔うたびにまんざらでもない顔で頷く某氏は政治談義が大好きである。酔うたびごとに石垣市の現在と未来を語り、オレに任せればすべてOK、あの問題もこの問題も解決してみせる、その方策はオレの中で十年も前から出来上がっているのだ。ガハハハと笑っては「オレが市長なら…な…」みたいにつぶやくので、前述したように周囲の方が「●●さん、次の市長選挙出たらいいじゃないですか」なんてお愛想を言うわけで、●●さんにはそのお愛想が、取り巻き連中が元士族を政治の世界に担ぎ出そうとしている請願に聞こえてしまうのである。 で、結構楽しく酒を飲み、語り尽くす前にたいていは酔いつぶれて脱線して帰っていくのである。やれやれと思う反面、家柄なんて知らない俺にはそういう●●さんが少し羨ましかったりもするのである。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.29
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規模を問わず何かと宴席の多い時節であり、宴席に着くたび沖縄の方は挨拶が好きであることを思い知らされる。幹事方の挨拶などから始まり、主催側の親方格がすぐに語りを入れ、省みて、期待して、長いこと皆を黙らせ、俺などは料理が冷めてしまうのが気になって気になって『挨拶は三分以内にしろよな。ちくしょうめ』などと毒づいてしまうわけだが、沖縄の方は出身地域(本島界隈、宮古島、八重山など)を問わず、誰しも聞き上手である。 親方格の幾つかの挨拶や乾杯の音頭が済み、やれやれこれで飯を食えると思っていると又すぐに抱負やら個人別のコメントやらパーソナルな挨拶コーナーが設けられ、ゆっくり飯を食う間もないから挨拶の合間や、話が脱線している隙に慌てて料理をかきこむことになる。余興の出番があったりすると、もう何を食べているかもわからなくなり、出された料理の味もメニューも何一つ覚えていなかったりもする。 で、宴もたけなわなのに遅れてきた主賓格がおっつけで挨拶を入れたりしているうちに締めの挨拶が始まり、又も今年を省み、来年に期待し、大いなる希望を語ってしまうから又も俺などは『今夜はいったい何をしに此処に来たのだろうか。うん。もしかしたら挨拶を聞きに来たのかも知れない。うん、そうだ。間違いない。じゃねぇだろ』みたいに毒づいてしまうのが少し悲しくもある。 沖縄の文化は基本的に好きだが、挨拶過多は好きになれない。挨拶や儀礼やキレイ事で何もかもうまくいくなら誰も苦労なんかしないのだ。労を労うとは読んで字の如し、なにがしかの矛盾を含んでいるのである。人気blogランキングへ
2005.12.28
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「おまえ、オレを誰だと思ってんだ、この野郎。その端数 切って三万円ちょうどにしたらいいだろが。あん、どうだ。 三万円になるんだろ。おまえ、オレを誰だと思ってんだ」と の台詞を吐くのは八重山は竹富町の町議会議員・某氏 (50歳代・男性)である。そしてその威嚇調の台詞を誰に 向って吐いているかと言うと、33600円の商品代金のレ ジを打つ若い従業員(20歳代・女性)に対してである。 これが例えば30150円なら端数サービスしろよと言って も問題はないと思う。俺だけの常識ではなく、おそらくは世 間一般的にも特に問題はないだろう。だが、33600円の うちの3600円は端数とは普通呼ばないと思う。俺だけで はなく世間一般的にも33600円のうちの3600円を端数 とは呼び慣わさないだろう。一万以下の位を端数と呼ぶの はおそらくは政治家とヤクザ関係の方々だけかも知れない。 ましてや親子ほども歳の離れた若い子に向って「おまえ、 オレを誰だと思ってんだ、この野郎」は下衆の極みであり、 もしこれがヤクザ関係なら最下級のチンピラぐらいしか吐 かない台詞であり、それも堅気の若い女性に向ってこうい う台詞を吐くなんざチンピラ以前の問題で、もう単なるアホ でしかない。つまりこの町議はヤクザとの相似関係を云々 する前に単なるアホである。 更には、この台詞を商店主(経営者)に向って吐くならま だしも、単なるレジ係の若い子に向ってやると無意味な脅 しに過ぎず、33600円の商品代金を一割以上も値引く権 限をレジ係の若い彼女(アルバイトかも知れない)が持っているはずもなく、それすら想像出来ないとなるとつまりは一般常識も品性も知性もないわけであるからもうアホ以下となり、そこまでくると形容知らずという事態に陥ってしまうわけである。 で、若いレジ係はやっぱり値引きできないわけであるから「すいません。私は勝手に値引きとか出来ないんです…」となり、 町議某氏(しつこいが50歳代)は「この店は二度と利用しねえからな。憶えとけよ。社長によく言っとけ。西表の○○が怒ってたとな。わかったか、この野郎。もう二度と来ねえからな、この野郎。けっ」と最後の最後まで若い彼女を脅し続けてその店をあとにしたので ある。 彼の背後に並んでいた俺は、せめてもレジ係の彼女の為に一矢報いようと、店を出ようとする町議の背中越しにクルクルパーとやったのである。(つづく)ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.28
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彼が例の、バスジャック犯その人である。今になってみると、どことなくビンラディン氏に似てなくもない。ちょっとやさ男である。イラン警察に提出した絵の複製。というか忘れないうちにとその後すぐに改めて描いたもの。ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.27
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八重山に至るまで政治家なる職業に携わる知人等がいなかった旨は前述したが、高校時より札幌はススキノ界隈で職を得ていたせいもあり、又もとより居住地域が社会的底辺の如き場所だったせいもあってヤクザ関係には知人や元同級生などが多数いた。社会的底辺が札幌のどこらへんのことを言うのかは、そこへ住む方々への配慮から公言を差し控えておく。で、八重山に来て今度は多数の政治家の方々にお逢いしていくうちに俺はあることに気付いたのである。ま、前振りからも想像のつくように、政治関係とヤクザ関係には相似関係が成り立っていることに気付いたのだ。 もしかしたらこれは沖縄は八重山に限ったことではなく日本全国、つまり東京や大阪や秋田や高知や鳥取などでも同じ関係性を見出せるのかも知れないが、他の地域に巣食う両者の関係性を考察したことはなく、ものを考える上で知らないことは存在していないことと同義であるからここでは敢えて無視させていただく。 数年前、八重山に住む友人が人身事故を起こした折のこと。ぶつかった爺様は足の骨を折り入院してしまったので爺様の親族が事故処理担当となり、加害者である友人側が謝罪と入院治療費などの負担を申し出たこともあって、初めは話が丸く収まるかに思えた。だが、何回目かの会合の席に突如として地元市議(男性)が被害者側代表として現れたところから話は捻じれまくる。聞けば被害者とは遠い遠い親戚にあたるらしく、言ってみれば石垣島の島民4万人は縁戚を辿ればほとんどすべてが遠い親戚と言えなくもないので市議の主張は嘘ではないのだろうが、愛とか情とか尊とか何か大義みたいなものに突き動かされての被害者代表就任ではなく、市議の主張の99%は金額と支払項目についてであり、氏曰く「爺様に払うのは当然のこと、オレ様にも迷惑料、手数料、中間マージンを払うのは当たり前であろう。ま、オレ様には50万円で勘弁してやる」と、何週間にも渡り、話をこじれさせ続けたのである。遠い親戚の事故処理を何週間にも渡って続けられるほど石垣市の市会議員とは時間的余裕のある仕事なのだろうか。それともやはりヤクザ体質のなせる業なのだろうか。おそらくは後者であると俺には思えるのである。(つづく)ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.27
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その議員がどのくらい上昇志向を持っているかは彼もしくは彼女の公の場への露出度にほぼ比例している。ま、当たり前といえば当たり前の話である。 で、俺が今年2005年に出席した大きな宴席は僅かに三つばかりであるが、その全てで同じ議員先生が同じような祝辞を述べていた。まず宴席のテーマに沿って1分間喋り、次いで昨今の八重山の政治事情に触れつつ自らの貢献度や成果を3分間ほど語り、更に今後の政策展開を開陳して5分、そして各方面からのご支援を賜りますよう軽く頭をさげ、最後にもう一度宴席のテーマに戻って1分間。これで10分間に演説をまとめるのはさすがである。宴席に座るその他大勢の人たちがおとなしく聞いていられるのは精々が10分間という事をちゃんと押さえているのである。勿論、もっと喋りたくて仕方ないのだが、それ以上喋ると聴衆の多くから悪意を抱かれかねず、選挙目前ならそんなことにはなりふり構っていられるはずもないが、選挙から選挙のあいだの期間には露出度は増やしても嫌味のない程度にしておかねば印象度が悪くなってしまい、彼もしく彼女はあくまでも高潔に、庶民の味方として、志しは飽くまで高く、すこしユーモアなんかも解する有能なる議員として振舞わねばならないのである。たいへんだなぁ。 内地出身で地元にたいしてしがらみのない俺だから年間に僅かばかりの宴席に出席すれば済むが、仕事上の立場やら縁故関係やら色々としがらみの多い方々は年に20や30の宴席についているはずで、その度に同じ先生から同じ祝辞兼演説を聞かされ、それはそれでたいへんだなぁと俺は思うのであるが、俺や他の方々がそうして何度も何度も宴席で遭遇する先生はやはり次期市長の椅子を狙っているそうである。ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.25
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本土の社会のかなり低層を泳いでいた俺などは八重山に至るまで政治家なんぞとは縁がなかった。これっぽっちもなかった。政治家を志す同級生もいなかったし、政治家の親戚もいなかったし、ましてや政治家になろうなんて考えたこともなく年を重ねたわけだが、八重山の暮らしてみて驚いたのがこの地の政治家の存在感の大きさだった。 市議だの町議だの県議だの市長だのは何処にでもいる。まさに神出鬼没というか、暮らしに密着してるというのか、ともあれ『他人を見たら政治家と思え』くらいの気持ちでいたほうがいいかも知れない。 例えば俺がこちらに来たばかりの頃、とある足場屋でバイトをしていた。ある日の午後同僚と足場の配達に出た。配達先は牧場であるが、着いてみると現場には誰もおらず、「すいませ~ん」と声をかけてみても、車に搭載してある生命探査装置で調べてみても周囲に高等生物の反応がなかったので同僚と俺は軽トラに積んできた足場セット(小)を、工事中の牛舎のそばへと降ろし、きれいに積み上げておいた。ま、この工事用の足場を牛舎の建築に使うのは間違いなかんべ、という訳だったのであるが、それが大間違いだった。いや、正確にいうとその推測自体は間違いではなかったのだが、降ろした場所が大間違いだったのである。 降ろし終えてやれやれと一服していると、牛舎の影から不意に一人のオヤジが現れるやいなや騒音検査機が壊れそうなくらいのバカでかい声で怒り出したのである。「きさまら、#▼$%~◎#>だろ!そんなことも■*=このV≪¥△▼*Xだろが!おまえら*=3***\◆バカが!」 というわけで殆ど聞き取れなかったのではあるが、足場を置く場所が少々気に入らないだけで五分以上もあいだ延々と俺らを罵倒中傷誹謗非難し続け、まるでその様、何度教えても芸を覚えない猿をしかりつける調教師の如きそのオヤジこそ八重山の某市議の先生であり、牧場のオーナーだったのである。 でもその先生、何期も続けて市議だったのであるがただの一度も質問に立ったことがなかったそうである。いわゆる陳情議員なのであろうが、俺らを怒鳴りつけたあの威勢はなんだったのか。未だに謎であるが、謎は謎のままで終わってしまった。その先生、先日亡くなってしまったのである。あの怒り狂った暴風雨の如き罵倒中傷誹謗非難はもう聞けない。実に残念である。合掌。ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.24
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他の乗客からの意見も求めつつ犯人の顔を描き進めたので随分と時間がかかったが昼前には無事仕上がり、描き上げて皆で喜びあったりもした。そのまま被害者一同で昼飯へ。勿論イラン警察のおごりである。そこでもまた俺の描いた絵で場が盛り上がり、これで犯人が捕まるに違いないと、皆なんだか明るい顔になっていた。 しかし相棒が後から小声で言うのである。「絵のことを知ったら犯人は激怒して、きっとタカシの命を狙う筈です」 結構笑えない冗談だったりしたが、犯人が絵のことを知る頃は国境を越えておるから安心したまえ。きみを一人にはしないからと相棒の肩を叩き、俺たちはその日の夕方イラン-トルコ国境を目指してイラン軍の基地をあとにした。他の乗客ともそこでお別れだった。皆は金もパスポートも取られて旅は仕切りなおしとなってしまったのだ。それなのに俺と相棒は何故旅を続けられたのかというと、イラン警察より外国人旅行者優待を受け、被害の保証をしてもらえたからなのである。イラン警察さん、ありがとうございました。ホント、助かりました。 翌朝、トルコに入る前に国境の町で朝飯を喰おうと小さな食堂の軒先でくつろいでいると、一人のイラン人のお兄ちゃんが声をかけて来る。俺も人のことは言えないが、つたない英語でお兄ちゃんが尋ねる。日本人か?そうだよ。もしかして、あの、あの犯人の顔を、あのバス強盗の、あの絵を描いた日本人かい?そうだよ。でもなんで知ってるの。ワオ!ぼくの顔も描いてくれないか!頼むよ。お願いだよ。ほら、紙と鉛筆なら持ってるから。 というわけで、何故か国境の町で俺は他人から氏素性を知られる存在となっていて少なからず驚いたわけであるが、俺も少々お人好しなのか又も求められるままにお兄ちゃんの顔を描いてしまう。描き上げるのに10分と掛からなかった筈だが、いつの間にやら人垣が出来てしまい、30~40人のペルシャ人が絵を描く俺を取り囲んでいた。極めてラフな絵だったのだが手渡すとお兄ちゃんは随分と喜んでくれて「此処はぼくに奢らせてくれ」というわけで、俺と相棒は又もただ飯にありつくのであった。 ま、でも俺の絵がもてはやされたのはそこまでである。欧州に入ってからは「ふ~ん。まあまあってとこかな、きみの絵」みたいな評価に落ちてしまい、絵だけで特別扱いされたりは間違ってもなかったのである。 芸は旅の身をたすく 【 了 】ブログランキングに参加しました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.24
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ウンコ野郎どもの手口もその外見通りにデインジャラスであり、詳細は別の機会に譲るが、少しでも歯向かう者には容赦なく殴り蹴りそして発砲(威嚇射撃)した。女性も例外ではなく、まさに身包み剥ぎ取り、乗客全員の現金と貴金属と宝石類のほぼ全てを奪ったのである。全てではなく、何故ほぼ全てなのかというと俺と相棒の外国人旅行者コンビの被害が比較的少額で済んだからだ。ウンコ野郎が外国人旅行者の俺たちへ何故手心を加えたのかは未だによくわからないが、連中はバスのタイヤを一本撃ち抜いてから闇の中へと消えて行った。あとに残されたのは殴打された者の発するうめき声と、身に付けていた指輪や宝石まで奪われた女性達の嗚咽だけである。どうにも悲惨だった。 バスは残されたタイヤでもってゆるゆると走り、現場の近くにあったイラン陸軍の基地に保護を求めた。明け方には警察がやって来て現場検証や事情聴取が始まり、バス強盗事件の被害者である俺たちに紙とペンが配られる。犯人の特徴や気がついたことなど箇条書きにしてくれと言うのだ。外国人旅行者コンビは英語で書いてくれて結構と気を使って頂いたのだが、相棒はともかく俺は犯人の特徴を書き出せる英語力などこれっぽっちもないのであるから途方にくれてしまったわけだ。 犯人の特徴かぁ…などと考えつつ、ウンコ野郎はこんな顔だったよなぁとペンを走らせた瞬間、俺は気がついた。そうだ。書けないなら描けばいいんだ。なんだよ、得意分野じゃん。というわけで俺は、主犯と思しきウンコ野郎の顔を手早く描きあげ提出したのだが、それを見たイラン人乗客数名が「おお、これ似てるよ。な、みんな。見てみろ、この絵。似てるよな。な。な、似てるだろ」と騒ぎ出すから、イラン警察もすっかり喜んでくれて「おまえスゴイな。絵、描けるんなら最初からそう言ってくれりゃあいいのに。なんだよ、水臭いなぁ」と言うことで被害者一同と警察の求めを請け、俺は犯人逮捕への道を拓くべく更なる一枚を描くこととなったのである。(つづく)
2005.12.23
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次に絵を描いたのはまったく思いがけない時と場所となり、思い がけない人を描くことになった。 その日、俺はイラン西部の町からトルコ国境へ向う深夜バスに 乗っていた。通路側の席には相棒のフランス人青年ファブリスが 座り、俺は窓側に席をとった。三十名ほどの乗客は俺たちを除い て皆イラン人ばかりだ。走り出してからしばらくは軍の夜間検問が 続き、俺と相棒の外国人コンビは三度ばかりパスポートのチェック を受けたが、他の乗客も誰一人咎められる者もなく無事に検問を抜け、郊外に出てしまうとあとは窓の外に見えるものと言えば点在する僅かな明かりとひたすら続く闇ばかりで、俺はすぐに眠りについてしまった。 バスが止まり、俺は目をあけた。運転席の隣にあるドアが開かれ、 誰かがバスの外に降りていく。ずっと起きているらしき相棒に何事かと尋ねるに、突然の便意を催した男がいるのだと応ずるから、なんだそんなことかと俺は再び目を閉じたのであるが又すぐに叩き起こされた。俺を肘で小突いた相棒が小さく叫ぶ。 「タカシ、タカシ!ベリーデインジャラス!」 半睡の寝ぼけた俺の目に映ったのは覆面をした二人の男だった。 手には拳銃を握り締め、その手を俺らに向って突き出していた。つ まり銃口が向けられていて、拳銃を構えたその覆面コンビの後方か ら真打が登場した。さっきバスを降りていったウンコ野郎だった。 ウンコ野郎のくせに手にはカラシニコフ自動小銃を構えている。 ウンコをしにバスを降りたのではなく、覆面コンビに預けていた自動小銃を取りに行ったらしい。とんでもないペテン野郎だと思ったが、犯罪者としては詐欺師ペテン師の類ではなくどう見ても強盗犯である。間違いなくベリーデインジャラスだった。(つづく)
2005.12.22
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八重山見聞録にも書いたことがあるが、『ナイチャー』という表現には侮蔑的意味あいが含まれている。だから単に内地出身者との意味において使う場合はヤマトゥとなる。言うなれば「ナイチャー」は内地野郎」のニュアンスであり、「ヤマトゥ」は「本土の方」のニュアンスである。 内地の人の中にはそれを教えてあげても頑なに認めようとしない方がいて、「いや。ナイチャーにそんな意味はないよ。きみは悪く考えすぎだよ」と抗うのであるが、別に俺の創作でも悪意でもなく、ナイチャーは侮蔑的表現を含んでいるのである。ただし、FA○Kの如き完全なる侮蔑語ではなく、侮蔑を含むというところがポイントなのである。 十年もこちらに住んでいると俺が内地出身者であることを忘却する島の方がたまにいて、「あのフラーナイチャーは」とか「だからナイチャーだ、って言われんだよ。あの馬鹿」みたいな事を俺の前で言うのだ。ちなみにフラーはバカとかアホとかクレイジーみたいな意味であるが、要はナイチャーはネガティブケースで用いられる言葉なのである。本土の人間であることが肯定的文脈に用いられる場合はやはりヤマトゥなのだ。 差別語侮蔑語といってもファジーな要素があるから使う人のセンスによっても意味合いの深さが変わるのであるが、本土の人間が自分らのことを指してナイチャーナイチャー言うのは少々滑稽である。自虐的に使うのなら別だが、そうではなく、又、方言を用いて自らの出自を語りたいのであればやはりヤマトゥを用いるのが妥当であろう。 郷に入っても郷に従わず、本土の価値観が一番なのだと譲らないナイチャーも鼻持ちならないが、あまりにへりくだったり、自虐的だったり、はたまた無知であったり、はしゃぎすぎたりするのも美しくない。ここはひとつフラットに行きましょうか。ね、内地の皆さん。ブログランキングよろしくどうぞ。
2005.12.21
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絵を描いているうちに俺は気が付いた。絵を描いていると多くの人がその周りに集まってくることに。別に人を集めたくて描くわけではないが某(なにがし)かの注目を浴び、多少なりとも賛辞を受けるに至っては描かざるを得ず、気分はもうすっかり山下清(放浪画家)だ。 でもあまり調子に乗ると失敗もある。つぎに行った町でも宿の庭先なんかで絵を描き、他の旅行者や現地の方々など数名の賞賛を受けて良い気分でいると、宿の主人が出てきて言う。「ワシの肖像画を描いてくれんか。頼むよ。描いてくれたら宿代は要らんよ。どうだ。悪い話じゃなかろう。なぁ、頼むよ」みたいに懇願され、宿代なしとの提案に心動かされ、つい承諾してしまい大失敗となったのである。主人を一時間あまりで描き上げたのも束の間、今度は長女(10歳)がアトリエに現れると「なあ日本の友よ、かわいいかわいいワシの娘も描いてくれんか。なぁ頼むよ。もちろん明日もただで泊まってくれてかまわん。なぁ頼むよ。お願いだから娘も描いてくれよ、な」 と言うことで、日が暮れて筆先が見えなくなるまで3時間あまり馬車馬のように描き続け、くたくたになって俺は気が付く。宿代がただなんて言っても二泊分で200円ってとこではなかろうか。と言うことは、つまり時給換算にして70円にも満たないではないか。これまさに骨折り損のなんとかってやつかも知れないと。 お金のために絵を描くようなことを旅のさなかにしてはいけないとの教訓を得た俺は山下清先生の眠る東の地へ向かって手を合わせ、それ以降は時と場所を選んで描くようになった。わけでもないのだが、そこらから先のインド西部やパキスタン、イランと続く酷暑地帯の直中(ただなか)にあっては絵どころではなくなってしまったのである。(つづく)
2005.12.21
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育児は会議室で行われているんじゃない。現場で行われて いるんだ!と言うわけで、石垣島の育児現場とは何処(いずこ) かと言えば保育園もしくは爺婆のおうちである。石垣島でも 本土に遅ればせながら核家族化が進んでいるわけで、大家族 制に背を向け、みごと核家族化を成し遂げた父と母は産んだ 子供の面倒をみようとしない。産んで三ヶ月も経てばそろそろ 良い頃合とばかりに0歳児保育に放り込むか、もしくは爺婆の ところへ丸投げである。結婚をするときに、爺婆とは同居したく ないと背を向けた筈であるのに、面倒見切れない子供は爺婆 のところと言うのがなんとも身勝手というか納得いかないので あるが、そういう我儘な父と母を産んで育てたのもまた他なら ぬ爺婆であるのだから仕方ないのか。 母子家庭や父子家庭で、子供を預けてでも働かねばならない というのはわかるが、石垣島核家族モデルケースの場合はそう ではない。両親は当然共働きであるわけだが、選択肢がなくて の共働きと言うよりは贅沢がしたくて共働きとの気配が大勢を占 めている。ま、贅沢を肯定しないと資本主義社会は成り立たな いので贅沢は善しとしよう。でも毎晩のように飲み歩くのは贅沢 というよりも単にだらしのない生活習慣に過ぎないのではないか。 父も母もお付き合いやら飲み会やらが最優先事項であり、子供 の案件は優先順位の三番目か四番目くらいなのではなかろうか。 保育園や爺婆の家に預けっぱなしで、運動会などのイベントだ け嬉々としてビデオカメラをまわし、イベントが終われば又保育園 か爺婆の家で監禁する。それが石垣島の育児現場である。 島のみなさん、もっと子供の顔みてやってください。よろしくお願 いします。先々、子供らにしっぺ返しされるのはあなたたちだから、 俺個人としては別にどうでもいいんだけどね。
2005.12.20
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英単語を幾つかつなげようとして口ごもり、俺の四本の手足が 怪しく動き始めるやいなや宿のおやじは露骨なまでに、さも迷惑げに顔をしかめ「はいはいはい、はい。私は非常に忙しい身だから。 ね、わかるよね。今はアンタのゼスチャーにつきあってる時間は ないから。ね、ね、わかるよね。じゃ」みたいなことを言って(推測) は俺を遠ざけるのが常日頃であり、その日もコピーマシーンを探 しているというゼスチャーを理解できず、彼は腕組みをしたまま 鬱な眼差しで俺の動きを追っていたからこれはさすがに埒があか ないと悟った俺は描いた絵を掲げて「コピープリーズ」とやったの である。 するとどうだ。おやじの目つきが変わり、二枚の絵を俺の手から 取上げるとおやじは絵にかぶりつきとなったのである。 「すごいじゃないか。うん!グッドピクチャーだよ、これ。すごいよ! 誰が描いたの?うそ!?アンタが描いたの。ワオ!!すごいよ、 まじに!びっくりしちゃうよなぁ。アンタがこんな絵描けるなんてさ」 とにかく褒めちぎり、嬉しそうに絵を抱えると「任しときな」と ばかりに外へ出て行ってしまったので俺は呆気に取られたのであ るが、さすがに悪い気はしなかったし、宿のおやじはそれ以降すっ かり俺の取扱い方を変えてしまった。疎ましい奴から三段階くらい 格上げされ、こいつ英語はからっきしだけど絵描かせるとなかなか どうしてたいした奴なんだよねとなり、そういう評価を得てみて初め てわかったのだが、それ以後も俺の英語力は相変わらず超低空飛行の ままなのに何故か相互理解度が深まってしまったのである。 つまり宿のおやじは俺の意味不明な英語をなんとか聞き取ろうと 努力するようになり、更にはヒアリングにも難がありすぎる俺にも聞き 取れるようゆっくりと優しく喋ってくれるのである。これは大きな変化だった。宿のおやじとのコミニュケーションが容易になることで様々な事が好転しだした。まず、余計なゼスチャーを行わずに済むことによっ て貴重な時間と体力の浪費を防ぎ、英会話を中心とした語学への 取り組み方がより真摯で積極的なものとなり、宿のおやじ以外の外 国人ともコミニュケーションが可能となることで、あかるい顔で毎日を 過ごせるようになったのである。まるでどこぞの自己啓発セミナーの 受講者の如き極めてポジティブな変化ではないか。これで俺もすっかり外向きである。(つづく)
2005.12.20
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中国の件は旅の終盤であり、当時はすっかり打たれ強くなっ てもいたので茶のことぐらいでへこたれはしなかったのである が、旅に出たばかりの頃は精神的にかなり追い込まれもした。 やばい。俺はこのままでは周囲の無理解と無関心の中で旅を続けなければならなくなってしまう。もっと言葉を覚えなくては。ゼス チャーの表現力を更に高めなくては。と焦ったりもしたのである が、焦れば焦るだけ悪循環へと深く深く入らざるを得ないのは 物事の常であり、タイランドから始めた旅もインドの東あたりを うろついていた頃は俺もすっかり内向きである。 内向きになると俺は絵を描いた。現地の方々や他国の旅行者 とのコミュニケーションがうまくいかず旅の中の諸手続きのすべ てが煩わしいものでしかなくなり、対外的な関係の一切が楽しめ ないから独りで過ごすようになり、バッグのなかに紙と鉛筆がある から絵を描いちゃうみたいな流れになる。 はっきり言って別にどうってことない絵である。何か沸き立つよ うなエナジーがほとばしる訳でもなく、独創的なタッチや独特の フレーミングがあるわけでもない。ま、そこそこ上手かな程度の 絵である。確かに美術の成績は常に良かったが、所詮中学や 高校の美術の成績が良くとも、そんな奴は日本国内だけだって 何十万人もいるのであるから自画自賛はしない。 で、最初に描いたのは二等寝台車で一緒になったアーリア系 インド人のおじさん。殆どコミュニケーションできない俺にチャイを 奢ってくれた好い人である。次は、あしげく通ったチベット料理店 のお婆ちゃん。齢八十は越えているように思われたが、いつもお 洒落をしてとてもチャーミングなお婆ちゃんだった。 その絵を日本の友人へ送ろうと思いたち、コピーをとることにし た。だがインドの小さな町で、それも現地語も英語も話せない解 せない奴にコピー機は探せなかった。で、仕方なく宿屋のおやじ に泣きついたのだが、このおやじ(現地インド人)がまた俺のこと を疎ましく思っているようで、毎朝へんてこなゼスチャーを長々と 見せられ、中華のおいしい店は何処にあるだの、インドから日本 へは本当に電話が通じるのかだの、血まみれで喧嘩をしている あの男女は三角関係のもつれが原因なのかだの、喋れないくせ に色々と訊いてくる俺を厄介者扱いしていたのである。(つづく)
2005.12.19
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言葉は最大のコミュニケーション手段であるからそれが叶わないとなると、つまりは信頼とか信用とか親密などの相互関係を築くのは非常に困難であり、築けないだけならまだしもそれが旅の身であったりすると疎んじられたり、迷惑がられたり、道化者扱いされたり、時には馬鹿だと思われたりされかねない。例えば、独り見知らぬ町や村を歩いている時に激しい空腹感に襲われ『なんだか急にお腹が減っちゃって、どこか食事のできる店はありませんか』みたいなことをゼスチャーだけで表現しようと試みた場合でも『急にお腹が減っちゃって』の部分が他人の目には『急にウンコがしたくなっちゃって』というゼスチャーに映ったり、『どこか食事の出来る店』のところが『若くてキレイどころの女の子がいる風俗店を探しています』と誤解されかねない。ウンコがしたくて風俗店を探しているとは、この人すこし頭ヘンかもなどと思われても仕方ない。冗談に聞こえるかも知れないがあながち冗談でもなかったりするのが大陸の旅の面白いところで、中国は北京の場末の飯屋で『お茶』を注文するのに一苦労したことがあった。 一皿平らげて、食後の茶をもらおうと店のお姉ちゃんに声を掛けた。「お茶、くれる?」みたいな感じを出して中国語の「茶」の発声をやったつもりなのだが、中国人のお姉ちゃんは、あからさまなまでに「???」との顔をしてみせるので、俺もねばった。「ちゃあー」「ちやぁ」「ちゃぁあ」「ちぃやぁ」「ちあぁぁ」「ちぃゃあぁ」とかとにかく三十以上の茶の音を出し続け、お姉ちゃんと格闘したが、「うんうん、ちゃぁ?ね。うんうん、わかったわかった」みたいに頷いたお姉ちゃんが持ってきてくれたのはコップ酒だったりするから格闘は更に長引く。 食事をして、そしてゼスチャー付きで茶を頼み、その発音が多少ヘンだとしても通じそうなもんだろ、などと思ったら大間違いなのである。通じないのである。日本人だから意地悪されているかとも思ったが、四十個目くらいの「茶」」で遂にお姉ちゃんの顔がパッと晴れ、熱いお茶のセットを持ってきてくれたわけであるが、言葉が通じないうえにゼスチャーもイマイチ下手くそだと一事が万事こんな調子となる。(つづく)
2005.12.18
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今夜は所属野球チームの忘年会が石垣市某所にて行われた。4時間近くの宴席となるが半分ぐらいは来期監督人事についての大議論となる。おとーりなんかも回っているから結構みんなヘロヘロなのであるが、激論ついでの喧嘩とならないところが作法の妙だった。 発言者がひと通り喋る終わるまで口をはさめないのだ。無論、エキサイトしてるから反対の意を抱くものは口をはさもうとするわけだが、周囲から強く諌められ口をつぐむしかなくなる。そして又つぎの発言者が意見を述べることになる。誰かしらは議論とまったく関係のないバカ話をしたりするのだが、無論それとて「阿呆!おい!今はちゃんと○○の話を聞け」と他のみんなから怒鳴られたりするから議論は議論として更に熱を帯びていく。 だが所詮は酔っ払いの集団であるから議論はいつの間にやら本筋から逸脱していき、逸脱したテーマで議論が戦わされるから話はてんやわんやである。何を喋っていたのかわからなくなり、今夜のところは監督人事の件持越しとあいなった次第だ。 でも議論の作法ってあるようでなかったのが本土マナーであり、結論はぶっ飛んじゃったけど、作法としてちゃんとした議論が出来る八重山の忘年会は結構貴重です。
2005.12.17
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具合の悪い旅行者もいるもので、英語はまるで駄目、話せる英会話はハローとサンキューだけ。それを英会話と呼ぶかどうかは別として、然るべくして彼は英語表記の施設案内なども一切読解不能なので飛行機から降りても一人で空港の外に出ることも出来ない。誰かの後について行くのみである。後についたその誰かが空港職員かなんかだったら彼は間違いなく部外者立入禁止区域へでも踏み込んだ筈である。勿論そうとは知らずに。 バスポートチェックも税関もちんぷんかんぷん。何を訊かれても何を問われてもフリーズした笑顔を返すばかりだ。宿をとるのもチケットの予約も一苦労どころではなく、ほとんどふざけているとしか見えないゼスチャーや覚えたての英単語を繰り返すばかりでさっぱり埒があかない。つまり彼が海外に出るのは初なのである。それなのに陸路アジアの地を横断しトルコはイスタンブールを目指すという。常識的に考えればかなり無謀であるし、それでもまだ潤沢な旅行資金に支えられているとかならば力押しの旅もできようが、軍資金20万円だというのだから無謀というよりも何処か見知らぬ土地で浮浪者にでもなるつもりなのかと疑われもしよう。 周囲の方々がこぞって反対するのは必然である。「悪いこと言わないからイスタンブールなんて諦めてさ、 インドあたりを1~2ヶ月回ってみたらいいんじゃない。 ね、そうしなさいな。それでも充分に面白いって」そんな親切で心優しい方々の進言も彼の耳には届かない。彼は無謀さを大上段に振りかざしつつ西進したのである。そして無謀にもイスタンブールに着いたのだが勢いのついている彼は止まることなく更に西を目指す。東欧を越え、ドイツでヒッチハイクを繰り返し、フランスはパリにたどり着いたとき残金2000円という具合の悪い旅行者とは俺なのである。 具合の悪い人たち 【了】
2005.12.17
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第三に、金に結構汚かったりする。第二ともかぶるが、数字へのこだわりよりも金に汚いほうがランクが高いので別項目とした次第である。彼を慕ったり敬ったり感服したりする若い旅行者たちを募ると皆から金を集めて飯を喰いに連れて行ったりするのであるが、実際にかかった飯代が集めた金額以下となり釣銭が発生しても返金はしてくれない。ポケットされてしまうのである。ま、日本円に換算すれば一人頭はたいした額でもないので特別問題視されたりはしないのだろうが、わざわざみんなを集め、うまい飯を喰わせてやると仕切屋よろしく会費を集めて食事ツアーを企画するのは、なにやら達人には相応しくない行為であるような気がするのは俺だけだろうか。それでもその連れて行ってくれた飯屋の飯がめちゃめちゃ美味ければ「さすが達人!」となるのだが、これが結構不味かったりするから達人の舌はこの程度であったのかと評価は下がり続ける。その他にも、授業料という名目で若い連中にビールを奢らせたり、用事があるからと先に帰ってしまうが金は払わなかったり、そういうのを我々世間は『せこい奴』『俗物』と呼び慣わす筈だが、そんな旅の達人に心酔した若い旅行者達の目にはどのように映っているのだろう。ちょっと心配である。 第四に、達人は外国人が嫌いなようだ。現地人も旅行者も含めなにせ外国人への悪態が多い。どこそこの町の連中は人間が腐ってるだとか、金に汚いのが多いだとか、あそこの村の連中は暴力的だから近寄らないほうがいいとか、あんな国へはもう二度と行かないとか、アメリカ人は馬鹿ばっかだとか、イスラエル人とは口を利かないだとか、とにかくやたらめったらに批判が多く、俺などは、この人の旅は毎回よほど酷い目に遭っているのだなと憐れみを覚えるくらいだった。勿論、外国人を誉めたり肯定したりする場合もあるが、悪態の多さと比べればフォローにもならない。あまり悪態ばかりだと聞いてるほうがいい加減に具合が悪くなるし、そういう俺も旅の達人への悪態がすっかり多くなってしまったのでこのあたりで仕舞にしよう。 若い人を騙すのは止めましょうね、各地の旅の達人さん。ま、でも、騙し騙されて、それも旅なのかな。(つづく)
2005.12.16
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各国各地には永らく巣食っている日本人がいたりする。仕事やなんらかの活動でその地を訪れたことがきっかけでという方もいるが旅行者のなれの果てと言う方も結構いたりする。で、やっぱりそういう方は『旅の達人』みたいな振る舞いを好むし、周囲にいる一介の旅行者たちも又そういうレッテルを彼に貼ってしまうのだ。永いこと旅をしていれば多くの経験も得るだろうし、思索思慕の深淵を自由に泳ぎまわり賢者の如き風貌と人格を身に纏うものなのかと思っていたが、どうやら事はそう単純ではないようで、旅の達人がこれまた結構下世話な人だったりするのである。 まず女好き。勿論なれの果ての方が男性の場合であるし、なれの果ての方はたいていが男性であるが贔屓目にみても女好きというのは俗物以外の何者でもない。旅してると誰でも多少の肉体的疲労があるがそれを逆手にとり女の子と見るやいなや「疲れているみたいだね。マッサージしてあげるよ。ヨガを極めているからツボは完璧だよ。任せなさい。いいから任せなさいって。ハイ、ほら横になって。あああ、これはかなりきているねぇ。うん、うん」とかなんとか言いながらやたらと女の子の身体に触るのである。 第二に自慢好き。それもかなり数字へのこだわりを持っている。曰く、何十カ国行ったとか何回行ったとか宿代の相場はいくらで、いくら以上なら泊まる価値がないとか細かな端数まできっちり申告することを鑑みるによほど数字にこだわりを持っているようだ。どっぷりと頭の先まで資本主義と唯物主義に漬かり切っていて長旅ぐらいじゃそこから抜けられないのだろう。旅は質(内容)より量(数)なのか。それとも、達人ともなると質をも量で推し量れるようになれるのだろうか。(この項つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.16
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インド北東部に位置するシッキム州は1975年に併合されるまで独立国だった。19世紀後半から欧米列強がアジアへの進出を図り、その煽りを食う形でインドに併合されることになったわけだが、住んでいる方々は大半がネパール系で、チベット族の姿も多々見られる。一部の平野部を除いてほとんどが山岳地帯だから街や村へ行くにも山道を進むよりほかに術はなく、その山道も穴やら轍やらで削れたり盛り上がったりしているから乗り込んだおんぼろのバスはピッチングとローリングを激しく繰り返す。その激しさはこれまで体験したことないものだったので正直驚いたし、バスが横倒しになるのではと何度もびびったくらいだ。更には途中から乗り込んでくる地元の方々は手に手に大荷物を抱え込み、それらすべてを車内に持ち込むからバスの中は人と荷物で溢れ返り、それこそ都心部の朝の通勤電車なみの混雑となる。通勤電車と違うのは積み込まれた荷物の多くは牛乳タンクや穀物類だと言うことであるが、更に更にその混雑ぶりに拍車をかけるのが地元の方々の自由奔放な乗車スタイルだった。人のバッグの上に座り込むは、車体が揺さぶられる度に人の頭や身体にしがみつくは、窓を開け放ちいきなりゲロ吐いちゃうは、手鼻かむは、かんだ手鼻を人のバッグになすりつけるは、もう大変だったのである。途中から俺は二本の巨大な牛乳タンクの上に避難し、多少は混雑の圧力から逃れられたのであるが、一時間半後、目的の村に着きバスを降りるともう歩けなかった。長いこと牛乳タンクの上でしゃがみ込み、前へ後へ横へと揺さぶられようとも婆さまにしがみつかれようとも抗い続けて、そして俺はすっかり具合を悪くしたのである。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.15
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旅の目的は人それぞれだと思うし、俺のようにさして目的と呼べるものを持たずに衝動的旅行を楽しむ方もいるはずである。ならば、ナンパ目的の旅やストーカーまがいの旅もありかも知れない。そういう場合はたいてい男性旅行者であるし、他の地域にも出没するのだろうがヨーロッパあたりで散見される事例が多かった。 女性の側も男性の側もたいていは『地球の歩き方』を携えて旅先を回るので偶然とは呼べない出逢いがやはり続いたりする。ガイドにはていねいに各スポットへのアクセス経路も載っているので同じ電車やバスに乗り合わせることもしばしばだ。するとどういうわけだか彼らはそれを『運命的出逢』と捉える傾向があり、又そういうふうに自分を納得させてしまうのだ。都合のいい話である。 そして、運命的出逢を果たした彼らは俄然行動的になる。彼女らとカフェなどで交わした茶飲み話とガイドブックを解析することによって彼女らの次の宿泊先や立ち回り先を割り出し、先回りまたは追跡することで更なる出逢いを自らの手でプロデュースするのである。ま、女性の側がそれを受け入れるならこの話のテーマは成り立たない。ヨーロッパの古城や、水の都や、静かな湖畔で運命的出逢いをして良かった良かった日本へ帰って結婚しようみたいな話で終わりなのだが、受け入れられない場合が多々あって、そうなると彼らの行動は次第にエスカレートしていく。 彼らは、あと三ヶ月ほどヨーロッパや北アフリカや北欧なんかを巡って巡って巡り尽くすのだと宣言していたのに、それなのに、あああそれなのに彼女らが日本へ帰ろうとすると何故か一緒に帰ろうと画策しだすのである。彼女らが帰国便を教えてくれないと空港で張込みまで敢行する方などもいて、そうなるとまるで外国への逃亡を図る犯人をなんとしても捕まえようとする執念の刑事のようですらあり、すこしばかり具合が悪い。だって彼らは一旅行者のはずなのだ。 さすがに張込みはどうでしょうか。彼女らも可哀想だけど、なにより自分が可哀想かな、やっぱり。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.14
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安宿の定番はドミトリーであり、個室や二人部屋より占有面積の少ないドミトリーの宿泊料金が安くなるのは当然で、旅行経費を切り詰めることに血道をあげるならドミトリー宿泊は避けて通れないかも知れない。俺なんかは他の旅行者の方々と比べても格段に所持金が少なかったので本来ならばドミトリー行きなのだが、出来うる限りの努力を払ってドミトリーを避け続けた。理由は極めて単純だ。ドミトリーに巣食う日本人旅行者グループの勧誘が怖かったからだ。 彼らは、グループといってもパッケージツアーなどの元からの団体旅行者ではない。一人もしくは二人で旅をしつつドミトリーを媒介とし6名から10名程度の集団を為し、半日も経てばまるで十年来の友の如く彼らの座は盛り上がりを見せる。そして近くの廊下を通りかかった新顔を呼びとめると勧誘を始め出す。 独りなの。何処からきた。何処へ行く?どこそこの店でボラれなかった?あそこの町から来たなら誰々のこと知ってるよね。はい、きみもここ座りなよ。 海外の旅先では日本人とは喋らない接しないとの信条を胸に旅をしている日本人の方なんかもしばしばいるが、俺はそんな信条はナンセンスだとしか思わないし、対人恐怖症でもなければ、人と喋るのが嫌いなほうでもない。ただ単に、見知らぬ人たち大勢が輪になって盛り上がっている場に興味が向かないだけだ。だから、おいで、おいで、みたいな勧誘を受けるとつい腰が引けてしまうのである。 旅における情報交換は大切だと思う。そういう場は必要だし、実際そのおかげで随分と助けられたこともあったのは確かだ。そのかわり、出鱈目や私情私怨の絡んだ話と知らずに振り回されることもある。それゆえに俺は自分自身の目で選んだ人からのみ情報を得るように心掛けもしたし、俺がそうやって選ぶ人はたいてい単独もしくは少数での行動を好む人だった。大勢で固まると動きが悪くなるし、おのずと制約も多くなり、見知らぬ誰かの都合や好みに合わせなければならない状況だってある。 俺にとってそれは避けるべき事柄のひとつだった。自由に歩きたい。自由に旅したい。自由でありたいと思って大陸に渡ったのに、地元で仕事しているときと同じような制約を受け入れるのはまさに愚ではないか。 勧誘反対。勧誘されない人をひねくれ者みたいに言うのも反対。すぐ集団になるのもちょっと威圧的だから反対。まるでヤンキーの兄ちゃんたちか、どっかの新興宗教の勧誘と変わらないじゃん、それじゃ。 やっぱり旅でそういうのって具合わるいかな。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.13
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自転車に乗り、北海道から南下して東京で軍資金が尽きた。友人の家に転がり込み日雇いのバイトをすることにした。もとより二万円しか持たずに出たので東京でアルバイトになるのは折り込み済みの旅程だった。人材派遣だ。今日は引越屋、明日は建築現場、明後日は仕事なしみたいな仕事である。 その日は工事現場のガラ撤去に回され、二人でチームを組むことになった。俺よりも幾つか年長だと思われたが実際の歳は訊いていないので知らない。痩せぎすで両の眼(まなこ)は虚ろに濁り、覇気というものがおよそ感じられない男性だった。それでも話しかければ気なさげながらも一応まともに喋れるようで、聞けば出身は沖縄本島であるという。 おお。俺の目指す地の御仁であったか、と思いつつもそれはひとまずおいといて、俺はある確信を持ってひとつ尋ねてみた。インドやネパールなんか旅してたでしょ、それも長いこと。彼は少し笑みなど浮かべつつ頷く。やはり。都合三度の旅で、三度目の旅はネパールの奥地を彷徨い、爬虫類など喰らいつつ各地を放浪し、密教の行者の如き旅だったという。誰も知らないような土地を歩き、誰にも出来ないような旅をしてきたのだと自負する彼だったが、その旅でちょっとばかり体調を崩してしまって、旅はもう終わりにしようと思っているんだと言う。 風貌や雰囲気から予想した通りだった。まじめな話、たいそうな長旅を終えて今に至る彼に感服などしつつ俺は沖縄を目指して旅をしていることを告げた。大陸の話は望むところだが、それ以上にこれから行こうとしている沖縄の話を彼から聞きたかったからだ。 彼は那覇市内や近郊のお奨めスポットなどを教えてくれたのだが、俺の旅の最終目的地が最南端の地-波照間島であると聞くと、途端に表情が曇るから俺はちょっと驚いた。「沖縄本島より南に波照間なんて島なんかないよ。南にあるのは 八重山って島さ。八重山島ならあるけど波照間なんて聞いたこ ともないよ。ハハハ」と笑いさえするから俺も食い下がった。日本地図も見てきたし、何より旅の中で出逢った人たちが波照間の良さをいっぱい語ってくれたんだと。だが、彼は一向に受けつけず、波照間なんてないんだという主張を沖縄出身者として曲げようとしなかったから俺はそれ以上言い争うような真似を善しとしなかった。 彼はインドやネパールの秘境を知りすぎるほどに知っているのに何故か出身地沖縄を知らない。住んでいた那覇やその近郊しか知らないのである。だから八重山島がありで、波照間島が存在しなくなってしまったのだ。無論、八重山島なんてないし、波照間はちゃんと日本の最南端に存在する。俺がユーラシアから戻ってきて日本を縦断しようと思い立ったのは、まさに彼が反面教師であり、大陸を旅してきましたなんて言ってるけど俺は生まれ育った日本を全然知らないんじゃないか。じゃあ行ってみるしかねぇべと。だから彼が那覇しか知らなくとも責めたり腐したりする気は毛頭ない。俺もひとのことは言えないからだ。 でもやっぱり自分の立っている場所のこともろくに知らずに遠くの地を語り尽くそうとするのは一寸具合が悪いかも知れない。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.13
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「オレは狂ってるわけよ。まぁ理解されようなんて思ってはいないし、期待なんて愚かなだけさ。そうだろう。まだ物心もつかないころからずっと英才教育だったからさ、オレの家庭は。姉貴なんかは完全にイカレてるし、ま、姉貴は今ケンブリッジに留学中なんだけど、日本じゃずっと首席できてさ、国内には色んな意味で居場所がなかったわけよ。わかるだろ、そういうの。まぁ、オレは姉貴に比べると成績も劣っていたからいつもお説教だったね。まぁ、オレも一応IQ130なんだけど。まぁ、別にそんなのどうでもいいんだけどね。まぁそれで仕方なく絵の英才教育受けさせられたってことかな。でも芸大なんかくだらないぜ。わかるだろ。周りは馬鹿ばっかでさ。実にくだらなかったよ。連中はオレのこと怖れるのよ。なんでかねぇ。オレが狂ってるからなのな。まぁ今となっては良き思い出ってやつだけどね。ハハハハハハ。凡人は狂人を畏れるしかないんだろうな。まったく、くだらないよ。きみにもわかるだろ、そういうのって」 シニカルな風情などを身に纏いつつくだくだしくもそんな事を語って聞かせてくれた日本人の青年が北インドに居た。陸路、ユーラシア大陸を踏破すべく日本を発って三ヶ月目だと言う。細面の病弱そうな顔立ちと体躯だが、英才教育?を受けてきただけあって語学力のほうは政治経済も論ずれるほどの英語を喋った。ただどうにも具合悪いのが、自分自身を指して『狂人』と語るときの冷めた目付きと、周囲の者をすべてを否定し蔑むような物言いだった。曰く、英語もろくに出来ない奴が旅に出るなんてアンビリーバブルなことだし、最低でもオレ程度の語学力がないと旅をプロデュース出来ないし周囲を利用できないじゃないか。オレは、この旅を誰にも真似できないくらいディープでスペシャルなものにするよ。誰にも真似できないルートで、誰もが羨む旅にしてみせるよと。 共に宿をとったのはほんの数日だったが、俺はそれ以上彼と過ごすのがどうしようもなく居た堪れなくなり、彼と別れ、その町を離れることにした。すると彼は引止めに入る。一緒に旅をしようよ。なぜ行っちゃうんだよと。 そう。彼は寂しかった。独り、見知らぬ大陸を三ヶ月も旅し、もう寂しくて寂しくて仕方なかった。誰かに一緒に居て欲しいのに、誰をも拒絶してみせる幼い子供のようだった。だから俺が宿を出るときも、声を掛けても彼は部屋から出て来ようともしなかった。「あばよ。元気でな」と俺は言い残したのだが、どうも元気ではなかったらしい。その直後の彼の様子を知る女性から後日聞いたところによると、もう日本へ帰りたい帰りたいと涙を流して訴えていたと言う。 帰りたいけど帰りたくない。つまり彼は帰りたくても帰れないのだ。彼が具合の悪い人であることは間違いないが、彼から日本での居場所を奪った人たちこそ本当に具合の悪い人たちかも知れない。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.13
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長旅をしていると誰でも一度か二度、もしくは三、四回は体調を崩す。スポーツ選手じゃないが、誰でも何処かしらに不調不具合を覚えながら旅を続けていると言いかえてもいいかも知れない。なかには、かなり稀だと思うが旅の間ずっと健康を維持しておられる方もいるだろうが、ま、それは例外としてやっぱり大抵はどっか痛かったり痒かったり熱があったり下痢してたりラリってバッドになっちゃったりするのである。「ずっと下痢が続いているんですけど、オレ、やばいっスかねぇ。 なんで治らないんだろう。もしかして赤痢かな。コレラって いう線も疑っておいたほうがいいのかなぁ。どう思いますか? やっぱ、オレ、旅に向いてないのかなぁ。やっぱ、日本に帰っ たほうがいいのかなぁ。やっぱ、ここらが潮時なのかぁ。ねぇ、 どう思いますか?オレ、帰ったほうがいいですかね?」 これを一日に二十回から三十回程度リピートする若い方がインドにいた。全身からは常に倦怠感に満ち満ちたオーラを放出しながら朝、顔を合わせればそうこぼし、飯屋を探していれば道々こぼし、箸を持つ手を止めてはこぼし、物売りにしつこくされてはこぼし、トイレから出てきたあとは続けて五回くらいこぼし、寝るまでこぼし続けるのである。これを書いていてもあまりにしつこくて嫌になるが、実際にこれを聞かされるともっと嫌になる。オマエ、死ね。とか言いたくなったが、そこは三十歳(当時)を目前にした立派な大人の俺であるから優しく言ってあげるのである。「うん。そうだね。もう帰ったほうがいいと思うよ。きみの親も心配してる筈だよ、きっと。わるいこと言わないから帰んなよ、うん、それがいいよ」 俺にそう言われて反駁するのかと思いきや、さにあらず彼は忘れていたはずの笑顔を取り戻した上に瞳など輝かせつつ言うのである。「やっぱ、そうですよね。それがベストな選択ですよね。だって オレ、赤痢かコレラに罹っているかも知れないんだから仕方な いですよね。うん。やっぱそうします、オレ」 翌日、帰国便のチケットを手配しに行くから付き合ってくれと頼まれたが、それは丁重にお断りさせていただいた。この手の具合のわるい方は何故かインドに多い。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.12
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便所の神様などとタイトルをつけたくせにここに至るまで神様は出てきていない。正直なところ、あしかけ二年に及んだ大陸と日本の旅が終盤に差し掛かるまで便所の神様は現れなかった。各国各地の山岳地帯などの神々しいまでの景色の中に神を見ることはあっても便所なんかはただ臭くて汚い個室に過ぎず、間違っても神が棲む場所ではなかった。便所の神様ってなんだよ。アホなこと言ってんじゃないよってなところだろうか。 そうして訪れた沖縄の最深部(最南端)八重山地方は波照間島(ハテルマ)のとある民家の便所。ここらの古い家屋はどこもそうだが、其のとある便所も母屋の北側に位置する離れ便所で、古い家屋の離れの便所だから勿論便所そのものも同様に古いのは当たり前で、言うまでもなくボットン便所で、朽ち欠けた木戸はどうにもこうにも収まりが悪くてちゃんと閉まらず、便器というものは存在せずに便器を模した四角い穴があるだけで俺は思わず中国の便所を連想してしまったし、おまけに照明設備の一切がなかった。電球が切れているとかではなく最初から存在しないのである。考えるに、電気が島に引かれる以前の建造物であることは間違いないだろうし、電気が通ったあとも家の持主は照明設備の必要性を感じなかったのだろう。 なんで感じなかったのだろう。その理由は便所に入ってみてわかった。 俺がその便所に足を踏み入れたのは深夜だった。昼間それを遠巻きに見たおりに『できることなら使うまい』と心に決めていたのだが、いかに波照間島に身を置こうとも便意は時と場所を選ばない。尻を拭うための紙、いわゆるトイレットペーパーが便所内部に在ることは家人に確認してあった。木戸を開け、母屋の窓から僅かに漏れる灯りで便所内部のつくりを確認し、足を踏み入れる位置や、穴を跨ぐまでの距離感を脳裏にやきつけてから俺は内部へと進み、ゆるりと木戸を閉めて驚愕する。漆黒の闇が俺を覆ったからだ。 自分の手も足も見えなかった。目の前で手を開いても閉じても何も目に映らない。目の前に突然に訪れた完全なる闇は少なからず俺を慌てさせ、思わず木戸に手を掛けたが短い逡巡の後、俺は戸を開けるのを思いとどまった。戸を開けてしまえば母屋から漏れる灯りで多少は視界を確保できるのに、そうすれば少しは安心感を得られるのに俺はそうしなかった。なんでそうしなかったのかは自分でもよくわからないが、とにかく俺は漆黒の闇の中でカタルシスを得たのである。そして俺は知った。目に何も映らない排泄行為が俺の聴覚を研ぎ澄ませることを。 自分の肉体から排泄されゆくモノの形状の変化が音によって感覚され、排泄された後に空気を切って穴の底に落ちていく様までもが聴覚によって捉えられるのである。ひゅーっと落ちていくのだ。ひゅーっと。 聴覚が研ぎ澄まされているからと言っても別に何か吸っていたわけではない。完全なノーマルだ。アルコールすら入っていない。そうして驚愕を覚えながらも俺は次なる行為として尻を拭くための紙を探した。便所に入室する際に紙の位置も脳裏に焼き付けた筈だった。手を伸ばし、闇しか見えないそのあたりを探った。 何もない。いくら探しても紙が指先に触れなかった。 『おかしいな』と俺は思った。たしかにここらあたりにある筈だと改めて闇の中をまさぐった時、誰かが紙を手渡してくれた。 「ほらよ、紙」ってな具合に。 神様だ。俺はそう思った。便所の神様が紙を渡してくれたんだ。そう思った。便所にも神様がいることを初めて知った波照間島の夜の話である。 信じる信じないとか見えた見ないという話ではない。いるか、いないかと言う話であり、便所の漆黒の闇の中に神様がいても見える筈はないのは当然で、闇の中で研ぎ澄まされた俺の感覚が神の存在を覚えたという次第であるから別にオカルティーでもないし、ましてや宗教系では間違ってもない。神をみる(感じる)たびに宗教じみてしまうのは完全なるナンセンスだ。 最近知った話なのだが、沖縄にはちゃんと便所の神様がいるそうである。フルヌカンという名だそうな。それを聞いた時、俺は思った。ほら、俺の話うそじゃなかったでしょ。 便所の神様 【 了 】ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.11
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紹介所なる安宿が中国にある。基本的には中国労働者階級向けの宿だ。日本への帰途、シベリア鉄道で北京に入った俺は中国滞在中の殆どの期間をそこに宿を得た。 紹介所の看板が掲げられたちっぽけなビルの一角から地下に降りていくと受付けがあり、受付の向こうの狭い廊下の両側に飾り気のないドアが並んでいて、廊下を突き進んだ最深部に大部屋の共同シャワー室と便所という配置だ。ま、地下ということもあり水まわりの設備が奥になるのは仕方ないのだろうが、どうにも陰気臭いし薄暗い。できることなら使いたくない。しかし新陳代謝を行っている以上それは叶わぬ話で、やはり使う羽目になった。勿論、噂にたがわぬドアなし仕切りなし黒い穴ばかりが床面に並ぶ、殺伐と言うにこれ以上のものはないのではなかろうかという代物だ。 便所の入り口付近から何気に覗いてみて先客がいたときなどは若干時間をずらして再訪するのだが、その逆の場合は逃げようがない。つまり当方が穴の使用中であっても地元中国人労働者階級の方々は平気でお隣におしゃがみになられるのである。 日本人旅行者の俺としてはやはり気まずい観があるわけで、りきむ際に声を出すのはお隣の方に失礼だろうか、とか、放屁は慎むべきだろうか、とか、お先に失礼しますぐらい言ったほうがいいのだろうか、とか、やっぱり視線を合わせないほうがいいだろうかとか、ともかくも妙な内容の思考が錯綜するのだ。それも然るべきで、これまでの30年近い人生で経験の無い状況下に置かれたが故の混乱なのだろう。 これが小便の10秒か20秒程度の比較的短い時間の不意の出遭いなら感慨も混乱もさして生じないないのだが、穴の上での遭遇は短くとも1分以上、長くなれば5分以上もの間、その距離30cm程度のところで続くのであるから、余計なことなど考え始めてしまった日には、もうこれは止め処ない混沌の渦へと飲み込まれていくしかなくなるのである。 そう言う俺は二度ばかり混沌に足を踏み入れたが無事にそこから帰ってくることが出来た。中国から旅を始めなくてよかった、と感慨を深くしたのは言うまでもない。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.11
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日本国内で日常を送る上ではあまりお目にかかれないが青空排泄を好む方が他国には多いようだ。インドでは俺の前を歩いて爺さまが突然なんの脈絡も予告も前兆もなしに尻をまくりあげるやいなやブリブリっとやってくれてたいそうなショックを受けた。その数分前には俺の元に煙の精霊が舞い降りていて、爺さまに青空公衆面前排泄をやられた時は結構がっちりとSTONEしていたのでその衝撃は余計に大きく、感慨はこれまでになく深いものとなった。「そうか。世の中、こういうのもありなんだな。ふぅ~ん、そうだったんだ…」みたいな感じだろうか。 パキスタン―イランの国境を越える夜には砂漠の闇を照らす幾万の星の下で皆がやり、盛夏の陽光降りそそぐフランスの田園風景の中ではヒマワリ畑で俺がやった。そしてイラン―トルコの国境を越えようというその夜に悪者が現れた。そいつは青空排泄を悪事の為に用いた外道だった。 30名ほどのイラン人と俺を乗せたバスは深夜、トルコの国境に向って走っていた。見える限りに置いて人工の灯りは一つもなく、漆黒というに相応しい闇の中を走っていた。最後部に座っていたそいつは「は、は、腹が痛いんだ。た、頼む。バスを止めてくれ。頼むよ。ウンコをさせてくれよ、車掌さん!」と腹をかかえるようにしてバスを降りると闇の中へと消えた。誰もが、奴が大便をしに行った筈と思っていた。だが奴は大便をしていたのではなく、武装した仲間二人と合流しカラシニコフ・ライフルを携えて戻ってきた。 そう。裏切られたのだ。俺たち皆、つまりバスの乗客らは見事に裏切られたのである。誰もが奴の突然の便意を憂慮し、「もらすんじゃないぞ」ぐらいの気遣いすらした方もいたはずで、それなのに奴はそれらを逆手に取り、ウンコさせてくれという理由をつけてバスを止めさせ、バス強盗を働いたのだ。青空排泄をそのような悪事に用いるとは言語道断であり、実際のところそのバスジャック事件はあまり笑い事では済まされなかったのであるが、それはまた別の機会に。ともあれ使いようによってはバス強盗を首尾よく運べる算段にすらなってしまう排泄という行為が、俺の旅のテーマとして確立した一夜だったのである。ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.10
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西へ西へと流れてヨーロッパへと至る頃には口にするものが馴染みのある食材や味付けになったせいか腹の具合も随分と良くなり、便所の利用回数も減ることになった。加えて欧州の方々が文化的生活というものを送っているからなのか、他人のモノを拝むこともあまりなくなった。だが今度はそのかわりに他人の排泄現場を見てしまうことが多くなる。欧州女性の色香に血迷ってデバガメ行為に走ったわけではない。便所のドアに鍵が掛かっていないからこちらの意志に関係なく見せられてしまうのだ。欧州の街並みも生活も暮らしぶりも確かに文化的であることに間違いないとは思うが、それでもやはり使用中の便所のドアに鍵が掛けられていない場合が多いのは間違いないと思う。多いとは、つまり日本と比べて多いという相対するところの「多い」である。 つまりそれも欧州界隈の文化の一つなのではなかろうか。使用中の便所のドアに鍵を掛けるなんて堅っ苦しいし、なによりもが無粋である。なぜ日本人は小便ひとつするにもご丁寧に鍵を掛けるのか。見られて恥ずかしいモノがおまえたちの身体にはついているのか。そんなことじゃ日本人に欧州文化は未来永劫理解できまいな。と、言われたわけではないのだが、あながち外れてもいないのではなかろうか。三ヶ月に及んだ欧米旅程においてフランスのド田舎と首都パリで居候生活を決め込み、ポルトガルの青年らと真夏のビーチを車で巡り、あちこちほっつき歩いてみて実感として解したのは南欧界隈の文化は『解放』に基軸があるということだった。基本的に解放にスタンスを置いていると便所使用中も出来ることなら個室を密閉しないでいたいというほうに意識が働くのではなかろうかと俺は分析したわけだ。 合っているか外れいるかは知らない。ともあれ他人の使用している便所のドアを開けてしまうたび「わりぃわりぃ」と謝りつつ、これが欧州の旅なのだなと俺は感慨を深くしたのである。ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.09
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旅に出て一ヶ月あまりが過ぎた頃、便所に入ってはあることに気がつくようになった。ところはインドである。 旅に出てからこっち、俺は他人の大便ばかり見ているのではなかろうかと。使用するのは宿の便所が多いが、やはり出掛けた先で入ることもあるし、腹をくだしがちということもあって平均すると日に二度は便所に入るのだが、ま、三回に二回はそこに他人の大便がうずくまっている。そことは、つまり便器のその中である。三回に二回とは、つまり毎日欠かさず他人の大便を拝んでいるということであり、最初の頃はいちいち「おい!ウンコちゃんぐらいちゃんと流せよな!くそ!」などと息巻いていたのであるが、西へと流れインドも半ばに差し掛かる頃には他人の大便など路傍の石の如くほとんど気にならない存在と化していた。 しかし俺は又ある特徴にも気がついていた。ある特徴とは、つまり他人の大便の特徴である。太く巨大なモノがないのである。見る者を圧倒するような、あの、どうやったらこれが尻から出るんでしょうか。サイズ的に無理がありませんか~みたいな巨大な物体には一度もお目にかからないのだ。便所に残されているモノは何故か決まって細く貧弱なのである。 これにはいささか首をかしげた。ちっぽけな島国日本から来たこの俺のモノより大陸に生きる連中のモノのほうがちっぽけとはこれいかに、という訳だが、野グソ等もたくさん見たがやはり一様に小さい。少々興ざめであるなぁなどと思っていたある日、ついに俺は息をのんだ。意外な場所に在ったので少々不意を突かれたということもあったが、駅のホームで列車を待つ俺の眼下でそれはうず高くとぐろを巻き、辺りを通る者すべての目を釘付けにするくらい巨大な物体だった。何故ホームから見えるところにそれはあるのか。どうしてこんな巨大なモノをここでしなくてはならなかったのか。それほどまでに切羽詰っていたのか。やはり俺は考え込む。そして又、これが旅なのだなと思ったのである。ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.08
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生まれて初めて足を踏み入れた海外の地はタイランドはバンコックであるが、そのバンコックの宿で初めて足を踏み入れた便所には腰掛けのない洋式便器が置かれていた。あのU字型をした例のあれである。誰もがそれに腰掛けて用を足している筈だ。ま、世間は広いから中にはあのU字型の腰掛を使わずに大便をされる方々も存在するやも知れないが少なくとも俺も、俺の親も、俺の兄弟も、俺の友達もU字型腰掛けを利用することで快適な便所時間を過ごしてきた。 それなのにバンコックの糞忌々しく、薄汚く、数多くの欧米人バックパッカ-が巣食う安宿の便所にはU字型腰掛がないではないか。その事実を目の当たりにした時、俺は束の間パニックに陥った。勿論時間にすれば数秒のことだが、29年間も生きてきて便所の使用方法に戸惑うなんて思ってもみなかったし、その短いフリーズを経たのちに打ち出した幾つかの対応策は我ながら納得のいかないものばかりだった。 例えば便器の中にそのまま腰をおろしてしまうという案。これは完全にボツだった。これじゃ下半身が大腸菌まみれだ。次の案は、便器の縁に腰掛けるようにして使用するというもの。これでもイマひとつ大腸菌にまみれてしまう。では完全に便器をまたぎ、立ったまま、もしくは中腰姿勢で用を足すという案はどうか。これなら他人の大腸菌にまみれる不安感から逃れられるではないか。しかし実際にはかなり高い位置から排泄された大便をうまく便器内に落下させられるかどうか技術的に難しいものがある上に、仮に便器内に落下させた場合には便器内に溜まった水の撥ねかえりが大きくなるのは不可避であり、その水飛沫を下半身に浴びてしまうことによってやはり結果的には大腸菌にまみれてしまうのだ。 結局採用されたのは、便器の縁に足をかけ和式便所のようにしゃがんでするという案だった。しかし事が済んでもどうにも釈然としない。何故だ。何故便器の腰掛けがないのだ。無論俺はその宿のすべての便所を確認した。みっつある便所の便器すべてに腰掛けがなかったから疑念は膨らむばかりで、そのあとの食事のときも、インドのヴィザなどを取得しに大使館に行った時も、片時も頭から離れず俺を悩ませた。他の宿泊客は、みんなどうやってしてるんだ。誰も悩まないのか。悩んでるのは俺だけなのか。宿のオーナーは便器の腰掛ぐらいなんで修理しないんだ。それとも修理の必要がないからしないのか。腰掛が必要なのは俺だけなのか。いくら考えても答は出なかった。俺はその夜、旅とはこういうものなのかと思った。(つづく)ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.08
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「きみは疲れているんだ。そうだ。マッサージをしてあげよう」と彼の手が背中で這いまわる。そう。それはマッサージと呼べる治癒行為からはほど遠く、言うなればエロさ丸見えのボディタッチだった。当然のことながら彼の手は背中からはずれてやがて臀部界隈をまさぐり始める。「さぁ、僕の部屋に行こうよ。僕のベッドに行こうよ。ね」彼の声も、その仕草もあくまで優しかった。 万事休すか。病床に伏せる身では不意の諦観に抗いようがなかった。勿論、我が身を起こすことさえ叶わないのだから抵抗の真似事をしたところで俺よりも体躯の一回り大きな彼に勝てる見込みはなかった。 そうこうしているうちに彼の手は臀部も通り抜け、内股あたりを彷徨い始める。やばい。もうダメだ。三十を目前にして俺は遂に貞操を失うのだ。女性のみに捧げてきたこの身体を、遂に、遂にと思ったとき、部屋のドアが開いたのである。 フランス人の相棒が市場の物色から戻ったのだ。パキスタン人の彼の手は素早く内股から抜かれ、日本人の俺は安堵した。相棒と挨拶を交わすとパキスタンの彼はすぐに部屋から出て行った。 「どうですか。体調は」フランスの彼は少しニヤニヤしながら訊いてきた。「だめ。全然ダメだよ。って言うか、今、俺、危なかったんだ」「そう。彼は男色家(ホモ)です」相棒はこともなげに言う。「宿に着いた時からあなたのことを色っぽい目で見ていたからね」 脱水症状で意識が朦朧としていた俺には気付かなかったが、相棒は彼の見掛けからちゃんとわかっていたというのだ。俺とて判断を誤ったわけではないが、『見掛けの判断すら出来ないほどに体調を崩すことなかれという教訓を得たことで善しするか』と自らを慰めるしかなかった。 ことほど左様に人の見掛けは大事である。見掛けにはその人の個人情報満載だ。それに気付くか否かの差が人生や旅を左右する。七ヶ月間に及んだ大陸の旅は、未熟者の身には教訓多き旅だったのである。 人は見掛けによるのか 【了】ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.07
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砂塵と熱風が容赦なく吹き込むオンボロ列車で丸一日をかけて砂漠を越え、パキスタン西部の町クエッタに辿り着いたのは夕刻だった。暑さ対策の甘さから俺は完全に脱水症状おこしていた。意識が朦朧とし、激しい頭痛と嘔吐、それに下痢。自力歩行は30mが限界という有様で、宿のチェックインも相棒のフランス人のお兄ちゃんに任せ、俺は部屋に入るなりベッドに倒れ込む。しばらくは身を起こすことはおろか頭を持ち上げることすら叶わなかった。 相棒は、市場を物色してくると言い残してすぐに外出してしまい、俺は独りうなり続けた。死ぬぅ。もうダメだぁ。死ぬぅ。とやっているうちにいつの間にか寝ていた。 次に目をあけたとき、ベッドの傍に男が立っていた。パキスタン人だ。俺と同年代か、もしくは少し若いくらいだろうか。だが朦朧とする頭では状況がなかなかつかめない。誰?なんで?どうやって入ったの?だって相棒が部屋を出る時に外から鍵をかけた筈じゃなかったか。 「きみは病気なんだね」と男が言う。とても優しげな抑揚だった。「安心してくれ給え。ぼくはこのホテルのオーナーの息子なんだ」 そう言われて朦朧としつつも合点がいった。宿の経営者の家族だから合鍵を持っているわけか。ああ、そうかそうか。だから部屋に入ってこられたんだ。なんだぁ。いや、待てよ。それでも無断で入ってくるのはまずいだろ、やっぱり。そうは思ったが、彼の立居振舞はとても上品で、顔つきはあくまで優しげなんであり、どうやっても悪い人間には見えなかったので俺は殊更に抗議するでもなく彼の闖入を容認したのである。 だがそれは完全に甘かった。脱水で朦朧となっているとは言え、脇が甘いとのそしりを免れない行為だったのだ。宿の息子氏は俺のベッドに腰掛け俺の耳元で囁く。 「きみは病気なんだ。この部屋は暗くて湿っていて病気がよけいに悪くなってしまうよ。そうだ。僕の部屋に来るといいよ。僕のベッドで寝ればいいよ。ね、そうしようよ。ね」ベッドに突っ伏している俺の耳に彼の熱い息がかかる。やばい事になったと思った。(つづく)ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.06
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逆に言えば好餌となる旅行者の見掛けもまた好例となるやも知れない。彼らは表情は一様に陰影に欠け、いわゆる温室育ちであることを容易に連想させるのである。ま、はっきり言ってしまえば三流ペテン師に騙されるなんて騙されるほうも騙されるほうだよね、となるわけだが、高い授業料を払った彼らの見掛けも騙される前とはまた変わっているはずだ。 詐欺師以外のところでは理屈の通じないバイオレンス派なども多かった。問題の解決を合理的かつ知的に図る気は寸毫とてなく、とにかく問題が起きたら面白くないからブッ殺すみたいな感じか、もしくは端っから暴力を振るうのが目的みたいなタイプであるが、後者に多いのが各国の警官やアーミーだ。これみよがしに警棒の頭を撫で回しながら往来の真ん中を肩で風を切って歩く、まさにチンピラ同然の輩や、薄笑いを浮かべながら無抵抗の人を蹴り続けるポリスを幾つかの都市で目にした。連中の見掛けにインテリジェンスの欠片も見当たらないのは言うまでもなく、映画などに登場する知能知識レベルが非常に高いチンピラや暴力警官などは現実には存在し得ないのではなかろうか。少なくとも旅のさなか俺が目の当たりにした現実世界ではチンピラはチンピラの顔をし、暴力警官は暴力警官らしい顔で存在していた。なればこそ俺は、明らかに損失をもたらすであろう人間たちとの係わりを必要最低限で済ませたり、彼らのせいで窮地に陥っても打開策をなんとか得ることが出来たのだと思う。ハイソで知的な雰囲気を身にまとったドチンピラがバンコック・パッポンストリートを闊歩していたり、柔和な顔つきで腰の低い暴力警官がカルカッタ・サダルストリート界隈を縄張りにしていたり、どう見ても優しげで生真面目なタイプにしか見えないのに実はたかり専門の腐れイミグレーションポリスだったりしたら俺は旅半ばで日本へ戻る羽目になった筈で、そうならなかったのはやはり皆それぞれの性質に相応しい見掛けを有していてくれたおかげだろう。 そうは言うものの俺も見掛けの判断を誤り、少々紋切り調であるが絶体絶命のピンチに陥ったことがあった。パキスタンはクエッタという町でのことだった。(つづく)ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.05
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大陸の旅で出遭った人々の中にも見掛けが性質を表している好例は多かった。例えばタイランドやインドの都市部周辺に巣食っている商売人か詐欺師かよくわからないタイプの連中。商売人か詐欺師かの線引きは難しいのだが、彼らの見掛けからその性質や企みを見抜くのは実に容易だった。まず非常によく喋る。べらべらべらべらべらべらべらべらと実によく喋るのである。こちらに考えさせる猶予を与えまいとしているのか、それとも隠したいことがあるから目くらましに喋るのか、理由は様々かも知れないがとにかく喋る。曰くジャパニーズフレンドだのマイフレンドだのマイブラザーだの顔を合わせて10分間や15分間で誰がどうしたら友達や兄弟になれるのか詳細不明の呼びかけをしきりと繰り返し、そして売り込む。ひたすら売り込む。友達や兄弟なのに売りまくる。友達や兄弟だから特別に安くさせてもらうと法外な値段を何度も何度も提示する。そして笑う。へらへらへらへらへらへらへらとよく笑う。笑っては握手。また笑っては肩に手を回す。そして又笑う。 だが、ノーサンキューだと言うこちらの返事を聞くなり表情が失せ、顔面がこわばり、先ほどまで柔らかで滑らかだった舌先は硬直する。これ、誰がどう考えても詐欺師然としていないだろうか。あまりにも類型に過ぎる見掛け通りの、それもペテン師としては二流三流の部類である。これ、まさに『人は見掛けによる』の好例なのだが、これら粗悪なペテン師らの好餌となる日本人旅行者があとを絶たないのも又事実だ。(つづく)ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.05
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しかしながら恒常的および日常的な女装趣味が俺にあるのではない。あくまでも切符を容易に入手せんが為に状況に即応した判断をしたまでである。そして俺は駅までの道すがら、このスーパーミッションの仕上げとなる女性専用窓口で出すべき可憐な裏声の発声練習などを行ったのだが、駅に着くなり俺の密やかなる欺瞞は早々と打ち破られることとなった。 たどり着いた朝の駅で俺が目にしたものは、信じ難いまでに空いている切符販売窓口の光景だった。女の列も男の列も誰一人並んでいない。がらがらだ。窓口はちゃんと開いていて係員の姿もちゃんとあるのに切符を求めようとする者がいないのだ。じゃあ、女装までした俺の立場は!えっ!いったいどうしてくれるんだ!誰が責任とってくれるって言うんだ!そんな心の叫びが無人の駅構内に響いたのは言うまでもない。 『なんぴとも長く仮面をかぶりえず』とは帝政ローマの哲学者セネカの言であるが、やはり虚飾なんぞは大抵が無為な結果におわるものなのだ。虚飾はさておき、見掛けが大事であると改めて気付かされたのは女装を敢行したまさにその旅においてであり、今では『人は見掛けによるもの』というのが持論である。 『人は見掛けによらぬもの』なる言説が世間一般ではまかり通っているが本当にそうだろうか。近所の人でも親戚でも同僚でもいい。誰かの見掛けを思い出してみるに見掛けが本人の性質を表してはいないだろうか。例えば昨今世間を騒がした連中はどうだろう。姉歯一級建築士はまさに偽造書類を作るに相応しい見掛けではないだろうか。まずあのおどおどした目つきに、しまりない口元。極めつけがヅラばればれの頭髪だ。偽造野郎を体現してあまりある好例だ。(つづく)
2005.12.04
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前日にその駅で列車の切符を買い求めようとしたところ販売用窓口の前には数十人のインド人がずらりと並び、熱帯モンスーン気候のイカレた暑さと空腹のせいで気力の萎えていた俺は切符入手を早々に諦め、肩を落として夕暮れの町に彷徨い出るしかなかった。 その夜、俺は考えた。なんとか楽に切符を入手する方策はないものか。駅の様子を思い返しては落胆し、やはりあの長い長い列の最後尾について二時間か三時間かわからぬが唯ひたすらに自分の番がくるまで待つしかないのかと溜息ばかりをついたわけだが、その長い長い列の隣には女性専用窓口があってそこは随分と空いていたのになぁ、あそこで買えれば楽なのになぁ、と思った瞬間に閃いた。 そうだ。女になりすませばいいじゃないか。どうせ女と間違えられるなら、そう思わせておけばいいんだ。最高の名案だ。スーパーだ。エクセレントだ。切符を買うために女に成りすまそうなんて天才的な思いつきだ。そうだ。そうだ。という次第ですっかり気を良くした俺は翌朝ただちに念入りな女装を自らに施す。元から薄い髭は入念に丁寧に剃り上げ、髪はインド産の香油で撫でつけ光り輝く黒き長髪に仕上げる。更には宿の窓枠にこびりついた真っ黒い煤を香油で練ったものをアイシャドー代わりに用いて艶やかな目元を作りあげたのである。 完璧に近かった。鏡に映った女装の自分は、インド人でなくとも女と見間違える筈だ。日本人の阿呆な男の旅行者がナンパでもしてきたらちょっと困ったことになるかと心配しつつも俺は勇んで、いや、あまり勇むと女に見えなくなってしまうから少し歩幅などを狭くしたぐらいにして、内股気味になよなよと駅に向ったのである。(つづく)ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.04
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見掛けは大事である。 そもそもそう考えるようになったのは中学時代の担任の言葉がきっかけだった。『子供の顔は親の責任だが、大人の顔は自分の責任だ』との一節であり、咀嚼するに実に含蓄ある言説である。端的に言うに、顔という見掛けの象徴とも言うべき外観が形成される過程において本人の行動や考え方、趣味趣向嗜好性癖等々が重要なファクターとなることを示唆しており、そのようにして造られていく人の見掛けをどう捉えるかは、日頃の生活や仕事を行う上で重要な意味を持つが、武器も鎧も家も何ひとつ身を守るものを持たぬ一人旅をする上では殊更に大きな意味があった。 やっぱり見掛けは大事である。大事ではあるが、だからといって外見を飾り立てればよいわけではない。見る人が見れば粉飾虚飾の類は容易に見破られてしまうからだ。無論、粉飾虚飾の外見もその人の人格や精神性の具現であるのだから、その人が何を隠そうとして粉飾虚飾しているか考えることが大事なのであり、装飾に惑わされるべきではない。そして、旅の最中、装飾によって惑わそうとして失敗したのは他の誰でもなく俺である。当時、長髪で色白で髭をきれいに剃っていた俺はインドや中近東あたりではしばしば女と間違えられ、閉口したり弁明したり困惑したりと何かと大変だったのだが、あろうことか俺は、女と間違えられるその外見を逆手にとるべくインド都市部の駅においてある企みを実行にうつしたのである。(つづく)ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.03
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島の方々は島の外から来た連中にある種の差別意識を抱いていて、しばしばこのような表現が島民同士の会話に出てくる。「あの台湾人(中国人全般の意)は使えんさぁ」とか「だからフラーナイチャ-(頭のいかれた内地野郎)だ って 言われるわけさ」とか「宮古(宮古島)の方は野蛮だから」などなどであるが、日本国内何処の土地でもよそ者を蔑むような表現を好んで用いる方は少なくないし、たいていは偏狭な差別意識が肥大しまくっちゃって差別対象者と疎遠になってしまうようだが、石垣島の場合はちょっと違う。使えん呼ばわりした台湾人と組んで仕事をし、頭のいかれてる筈の本土出身者に一目を置き、野蛮で凶暴だと決めつけた宮古島の方と酒を酌み交わすのである。 そのように振舞ったからといっておそらく差別意識そのものが消えてなくなるわけではないだろう。ただ島の方はいわゆるテーゲー(いい加減)な生活習慣を身に付け、テーゲ-な身のこなしを信条とするなかで、通常はやっかいきわまりない筈の差別意識ともテーゲーにつきあう方法すら見出したのだ。 俺としては羨ましいかぎりで、叶うものならテーゲーなる島の魂を我が胸に深く打込み、そして人を差別せんと欲する業に討ち勝ちたい。 って、こういうこと言ってるからもうひとつテーゲーになれないんだろうな、俺。ブログランキングに参加してみました。時間と気持ちの余裕ある方、クリックどうぞ人気blogランキングへ
2005.12.03
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石垣に住む者として観光客から尋ねられることトップ2は美味しい食事ができる店と風俗店の所在地である。前者は御希望に沿った店を幾つか紹介することが可能であるが、後者の質問には基本的に存在しないと答えることにしている。別段きれいごとを言うわけではない。実際にないからないと答えるのだが絶対に信じない御仁が多い。あり得ない。そんなわけない。うそだ、隠しているだろ。とくるから仕方なく内容を問わないならないわけでもないと場所を教えてあげると皆一様に勇んで出掛けていく。 地元の方なら誰でも知っているエリアだし、失礼だがよほど女に困っている方か、身を持ち崩した方しか訪れない場所であるからその内容は推して知るべし。小一時間もして戻ってきた御仁たちは一様に青ざめている。何を尋ねても無言になってしまった若い衆も数人いましたなぁ。日本人の売春ツアーがアジアなどの国々から批判されて久しいが今だって誰も懲りてなんかいない。石垣に来て、皆少しは懲りるのだ。ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.02
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ダブついたGパンの裾は完全にスニーカーの踵で踏みつけている。いわゆる腰履きなのだろうが腰を超えて臀部下部あたりでなんとか脱げずに踏み止まっている。半年前まではキムタク風にセットされていたと思われる頭髪は今や伸び過ぎて60年代ヒッピーの如くある。そのヒッピーの頭に載る白×赤のメッシュキャップは当然の如く斜にかぶられている。目つきは悪いし、今にも倒れそうなほどの極度の猫背の彼はポケットを手に突っ込んだままぶっきらぼうな声で八重山そばを二つ注文する。待つあいだも彼の手はポケットに入ったままだった。 やがてそばが運ばれてきて、彼の両手は店員からそばを受け取るためにポケットから出てくる。顔同様に真っ黒に日焼けした両手がそばを受け取り、彼はそれを向かいに座る連れの女性の前にゆっくりと置いた。そばを一口、二口と食べてから女性は彼に話しかけた。「いつ食べても此処のそばは美味しいねぇ」 そう言われて彼は相好をくずす。「うん。そうだね、おばあちゃん」友達がやってる食堂を手伝った折りに見た孫と婆ちゃんの食事風景である。ブログランキング登録してみました。時間と気持ちに余裕のある方、クリックどうぞ。人気blogランキングへ
2005.12.01
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