野口体操教室
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
わたしが、今年の始めに野口体操の下落合教室に通い始めてから、7か月ほどが経ちました。8月7日の下落合教室で、花崎さんは各人に、「自分の好きな動きは何ですか?」と問われました。わたしが答える番になりました。「ぶら下げの動きが好きです。でも、いつも考えているのは苦手な動きのことばかりです」答えながら、これは野口体操の考え方ではないなと思いました。野口三千三先生は、自分の気持ちがいい感覚を追究するようおっしゃっていますので、苦手な動きにとらわれているわたしの感覚はすでに袋小路に入っている気がします。しかし、日常のわたしの生活ぶり、仕事ぶりはやはりそういう苦手なこと、うまくいきそうもないことへの危惧で一杯だということも思い起こされました。野口先生は別のところで、「他人の評価やメジャーによる評価にギリギリに束縛されて生きる生き方は、今すぐ止めたらどうかと思う」ともおっしゃっています。わたしは、この言葉を読んだとき、素晴らしい爽快感を味わったのですが、それは自分が束縛されて生きているせいでもあるのでしょう。わたしはそういうものから解放されて、自分の目で見て、自分の感覚でとらえられるようになりたいと切に思いました。先生は「自分の生身の感じを大事に育てることは『おへそのまたたき』のような簡単な動き一つだけでも充分にできるのだ。いくつもの動きを、何十分もウンウン言ってやらなければならないというものではない。どんな小さな運動、どんな軽い易しいと思われる運動でも、まるごと全体のからだで動くのだ」とおっしゃっています。自分なりにそれを今の自分の言葉で翻訳すると、「マイナスな状況に引きずられるのではなく、あるがままの状態の中で、易しいと思えるような小さな問題にもからだ全体でぶつかっていく」ということになるでしょうか。それぞれ体験した時間によって、感じ方も異なります。しかし、今の自分が感じていることを大事にするしかないのですから。生きていくことと動きの中で、自分自身の感覚を探っていければ、日々その中で自分なりに様々な発見をすることができれば、それにまさる喜びはないでしょう。「才能とは、今、ここで、このことに対して、新鮮な興味を持つことのできる能力である」今日の板書にある野口先生の言葉です。 向笠卓爾
Aug 17, 2018
コメント(0)