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昨日はバタバタと帰ってしまった。朝、心配した父からのメールに返事をし、母からのメールにもメッセージを返した。そのときに、母に話したこと・・・15年前、八王子にある大学に進学が決まり、となりの相模原市のマンションを借り、引越し作業は家族だけでした。女の子の一人暮らしだけど、大きな家具や家電は殆どなくて、効率よく手配してもらった。いよいよ入学式目前、相模原のマンションでの生活がスタートすると言う日が来た。細々した生活用品とともに、家族全員で出かけた。あまりの緊張で、朝食を全部吐いてしまった私だった。千葉から片道3時間以上かかる八王子までを、父の仕事の休みの度、何回も行き来してくれた両親でした。一人暮らし開始直後の私のマンションにはTVもなく、ダブルカセット&CDコンポだけだった。冷蔵庫は中古で使いやすいサイズを買ってもらい、洗濯機は全自動の新品を買ってもらった。学費に加え、沢山のお金がかかったので、「ぜいたく品」という考えでTVは急がないでいいと私が申し出たのだった。その頃は、FMラジオとか、好きな音楽をカセットで聴いたりして十分だった。授業が始まればTVなんて見てる暇ないし・・・と、少しでも両親の負担を減らしたくて、カッコつけたのだった。入学式、入学オリエンテーションの日の前のほんのわずかな期間、することもなく、日常生活の必要なものを近所のスーパーで揃えたりして過ごした。まだすることなど殆どなく、暇をもてあますような感じだった。6畳の1DKのマンションが広く感じた。当時、下のきょうだいたちは、まだ小さかったので、母に来てもらうわけにも行かず、強がるしかなかったけれど、寂しがり屋の私には、知らない町はただただ孤独で、小さな本棚くらいしかない部屋で、時々はメソメソ泣いたりもした。自分で決めた進路なのだから。千葉の暮らしに馴染めず、逃げるように進路を決めた。第一志望の学校に合格し、さして反対もされず進学させてもらった。学費に大金を費やしてもらった。授業が始まり、友達も増え、忙しいカリキュラムの中、時間を忘れ楽しく過ごす日々に、寂しさに泣くことなど無くなっていった。TVが無いことを知っている友達が、快く自分の家に招いてくれた。大学のキャンパスがドラマの舞台になったときは、毎週観に泊まりに行ったりもした。楽しかった。その後、TVが私のマンションにも入った。実家で大きなサイズのものを買ったので、小さな14インチのTVがお下がりで来たのだ。もしかしたら、「のんちゃんのために」としてくれたのかもしれない。何不自由なく楽しい学生生活を送っていたのも束の間、腰を傷めた。激痛の日々、起き上がれない、立ち上がれない、歩けない、座っていられない、立っていられない・・・そんな状態だった。手術があまり効果的ではないということで、リハビリの毎日だった。病院に行くために母が来てくれたり、そのために小さなきょうだいたちが協力して留守番してくれた。実は、時を同じくして上の妹が腰の病気で入院したのでした。命に関わる病気かもしれないと、家族に緊張が走りました。その直ぐ後に、私が腰を傷めてしまった。私の場合は『椎間板ヘルニア』だから、痛みさえ和らげば命に別状はない。群馬の病院に入院した妹のところへ行くのにも両親は寸暇を惜しんで動いてくれていた。下の3人の妹弟たちもよく頑張ってくれた。私が、怪我を理由に休学し、実家に戻る事になった時、精神的にも塞ぎ込んでしまった私に家族は暖かかった。何かあれば、家族がいつも一緒に動いてきた。父が疲れたとグチを言わず、子供たちのためにいつでも動いてくれた。15年が過ぎ、あの頃3歳だった弟が大学生になり、先日晴れて正社員に登用された妹が生活の負担をかってでてくれ、弟の大学と妹の勤務先の中間点の町にきょうだいで住むことになった。大学時代から住んでいた小さなアパートを出た妹の引越し、弟の生活用品を運ぶ為の引越し、毎週のように千葉から父が車を走らせた。私も可能な限り協力している。父はすべての子供にできることを同じようにしてくれている。私の頃は、働き盛りの父も、今は65歳。それでも何一つ変わらず、明るく強い父なのだ。それを思い出したら、切なくなった。母に、その頃の話を短い言葉で話したのだった。今も、ダーリンとのことで、心身ともに元気が足りなくなっている私に、ただ「ご飯食べに来なさい」と言う両親。母は、色々と細々としたことを話してくれる。時折、「うるさいな」と思うくらい、思ったことを次々話してくれる。私は、こんだけ思ったことを何でも赤裸々に話しているようだけど、現実、『自分の相談事をする』のが大の苦手だ。母に「いつも黙っている。ただ黙って泣いてたってわからないでしょ?」などと言われてしまう。自分の悩みを聞いてもらうことで、その相手が心痛めることが辛いのだ。辛いと言うより、怖いのかもしれない。嫌われるのが・・・というのではなく、人を苦しめることが怖いのだ。ブログでは十分、弱音とかグチとか吐いてて、読者のみなさんには大きな力を頂いている。励ましのメッセージや、意見、アドバイスも沢山貰う。どれも暖かく、読み終わらないうちに涙が流れてしまうこともある。キツイな~と思っても、「そうか!」と感じ取れるアドバイスもある。どれも私を思って届けてくれるメッセージ、感謝の気持ちでいっぱいなのだ。家族がいつもそばにいて、沢山の愛情に包まれて育ってきたのに、どうして寂しがりなんだろうね。ダーリンは12人きょうだいだ。イランにいた頃から、かなりのやんちゃで不良息子でご両親もそうとう手を焼いたそうだ。お父様が他界し、それでも不良息子は更生せず、持て余したお母様は日本に修行にだしたそうだ。厳しい人柄で不良息子の彼も一目も二目も置いている義兄に託されたそうだ。ダーリンは、『悪い子』のレッテルを貼られていた。現実、違法行為はしないものの、いい加減な性格で、家族にも随分迷惑をかけてきたようだった。私も、6年もいっしょにいたら、それはよくわかった。あげれば色々とある。人から聞くことと、私が実際に感じていたことに共通点があり、愛しているけれど盲目にはならず、しっかりと見てきたことは確か。彼は、裏切り行為を働いた。私を含め、近しい存在を傷つけた。家族中に激怒され、総スカン状態のようだ。誰に聞かずとも想像に難くない話だ。私には彼はいつも寂しいのだろうと思えた。一度着いたレッテルはなかなか剥がせない。自暴自棄になったまま、子供のまま、大人になってしまったのかもしれない・・・私には彼がそう見える。私がイランに行く前に、日本に帰ってくるかもしれない。彼とのこれからの人生、私は投げ出さず、私が彼を育てようと思っている。えらそうな話ではなく、彼を『一人前の男』に仕上げることで、私が人間として成長できるような気がするから。離れている間に、愛しているということを強く実感した。信じられないかもしれないけど、実は私は、彼のことを心底愛しているのかわからなくなっていた。例えばイスラーム入信のこととか、イランへ嫁ぐこととか、国際結婚に対してとか、そういうことへの不安ではない。どちらかといえば、そういう事柄への不安は、解決策が総てあって、自身の努力とか工夫で同にでもなると思っているから、大変には違いないけどそんなに深刻じゃない。そうではなくて、「彼を愛していること」が本当の気持ちなのか、色々な理由が重なって、好きだと言い聞かせているだけじゃないのか?なんて考えたりしたのだ。例えば、オーバーステイの彼のために急いで結婚をする・・・現実問題、そういう事態じゃない私にとって、必要性の高さってどうなんだろうとか、言葉にするのが難しい心理が心の壁の底の方にべっとりとこびり付いている。私がそうであるようには彼は私を必要としていないのかもしれない。大好きで大好きでたまらない。1分1秒も離れたくない・・・ラブラブなのんちゃん。愛に溢れ、愛し愛されてきた幸せなのんちゃん。バカップルなのんちゃん。そんなふうに見えてきたかもしれない。ここに綴って来た出来事は総てが事実だけれど、一番肝心な私の心は脚色されていたのではないか?そう考えたりもした。だけれども、色々と、本当にたくさんたくさん考えることが溢れかえっている今、私はあらためて彼を愛しているのだと思った。いい加減にごまかしてきたこと、あいまいにしてきたこと、後回しにしてきたこと、総てに決着をつけ、責任を持って生きていくことを決めた。彼と一緒に。最愛の人たちに、私の気持ちを届けられるように・・・
2007.03.28
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父の車で、末の弟のアパートに洗濯機を届けに行った。その他、本棚など入るだけのものを積んで、父、弟、私の3人で出かけた。私は行く予定ではなかったのだけど、道がしっかり解るのは私(と事故で怪我してまだ動けない上の妹)だけなので、父の強い要望で母の代わりに急遽行くことになった。午前中にシャワーを浴びて、家の片付けを済ませ、お昼頃に実家に向かった。支度をし、母が熱い紅茶をポットに入れてくれたので、おやつと一緒に持って出かけた。父の運転で、私がナビ。弟は後部座席だった。ダーリンのこととか、私の話を父は運転しながら聞いてくれていた。定年退職後少しして始めたアルバイトで忙しく元気に働く父。休みの日は、ここ最近は家族の引越しなどがあったり、また冠婚葬祭が続き、休息なんてとれてない。すべてスケジュールで埋まっている毎日だ。母はペーパードライバーなので、どこかに出かけると言えば父がどこまでも運転している。私がいれば運転を交替したりもするけれど、一緒に出かけることもそうは多くないし。そして今は運転できる上の妹が事故で、運転が出来ないから交替要員がいない。上の弟は教育関連の仕事をしていて、忙しい時期。また、4月から実家を出て一人暮らしを体験することになったのだ(勤務先に近いところ)。下の弟はまだ免許は持っていない。そんな中、父はいつでも明るく動いてくれている。途中お昼ごはんに『幸楽苑』でラーメンを食べた。楽しく食事を済ませ、一路、西東京エリアへ。平日のしかも決算期の都内はどこも道が混んでいた。無事に到着した。2階の部屋へ荷物を運び入れる。あれこれと済ませられることを全て終え、父のことも考え千葉へ帰ることに。このところ毎日残業の妹とを待たないで帰ることになった。帰りは、幕張にある『かっぱ寿司』で夕飯をご馳走になった。父も弟も次々せっせと食べてたのでうれしくなった。私も食いしん坊だけど、弟の食べっぷりには負ける。美味しそうに沢山食べる人が大好き。帰り道、二人の友人(まったくの無関係)から電話があった。私のことを心配してくれている方々からだった。ありがたいね。家に帰ってから用事があったので、実家に車を停めてあったのだけど、寄らずに自宅にむかってしまった。母が心配して、電話とメールをくれた。私はいくつになっても両親に心配ばかりかけているな・・・。そんな両親が愛しい。孝行できずにいる自分が恥ずかしく、悔しい。
2007.03.27
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早朝、母からメールが。本文を読んで、「何も今送ってこなくても・・・」というものだった(笑)。ベッドには入っていたけど、起きていた(眠れなかった)ので、返事はしておいた。今日は、朝から予定があった。車で現場まで行くつもりだったので、早めに出発した。千葉の朝は、通勤ラッシュで道も渋滞する。電車で1時間のところが、車だと2時間かかってしまったり・・・。それでも、足を考えると車の方が助かる(電車代は高いし・・・)。無事に、予定の時間に余裕を持って到着できた。コインパーキングに停め、目的地に向かい、用を済ませた。思っていたより少しだけ時間がかかった。コインパーキングを出て、車を走らせる。家の方とは違う場所に車を走らせた。見たいものがあって、車で探しに行ったのだ。PCで資料を用意したのだけど、詳細はわからず・・・で、でも以前住んでいた場所に近いこともあり、グルグルまわってみたり、知らない道をどんどん進んでしまったりしたけれど、かえって新しい発見もあった。疲れてしまったので、途中で久しぶりに『餃子の王将』で遅めのランチを食べた。食べてる間からにんにくパワーって感じで(笑)、臭いなんて気にしなかった。いつもは通らない道を家の方に向かって走った。どこかショッピングモールとか寄ろうかな?と思ったけど、なんとなく鬱っぽくなってきて、「抑うつ状態」って言うのかな?気分が滅入ってしまい(特に理由はない)、黙って家に向かうことにした。天気がいい。暑いくらいだった。日に焼けてしまいそうな気がした。国道を走ってると『成田空港○○km』という標識があった。行きたいな・・・と思う。遠くに遠くに行きたい。彼のいる場所に行きたい。イランじゃなくてもいい、彼と会えればどこでもいい。弱虫だな。独りでいることにどうして慣れない?意気地なしだな。自立することをどうして拒む?情けないな。ないものねだりだけど、子供がここにいたら、二人なら、頑張れたかな?経済的に苦しくても、不安がたくさんたくさんあっても、二人だったら涙なんて流してないで、強くなれたかな?行くべきところはどこなんだろう。帰る家はある。心の行き先は・・・
2007.03.26
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今日は循環器内科の方の定期健診だった。検査はなしで、診察だけ。相変わらずの混みようで、予約時間はあってないようなもんって感じ。10:30の予約時間なのに、病院の受付を通した(機械で受付)のが、10:45位だった。車で行ったのだけど、道が混んでて、病院の目の前で足止めを喰らう感じだった。なので、診察時間が押してたのは、予想済みだったけどありがたかった。受付を済ませ、一応待合室の電子掲示板をチェックしてから売店に飲み物を買いに行った。運転しながら朝食は軽くとった(解凍したベーグルとツナキュウリ)のだけど、小腹が空いたので、カットフルーツ(メロン&イチゴ)とミネラルウォーターを休憩所でとった。循環器内科の待合室に戻り、呼ばれるまで読書。妹に借りた『鈍感力』、やばかった。泣きそうになってしまった。私に必要な言葉が、溢れるようだった。思ったより早く(と言っても、すでに時間は過ぎてます)に、順番が廻ってきた。主治医のS先生と、いくつか話をした。私の場合、オペの緊急性はなく、だけれども最初の診断で、いつかはすると言われている。女性であること、結婚前であること、症状は落ち着いていることから、オペはまだ先の話になっている。胸の音をじっくりと聞き、血圧を測った。低血圧気味の私だけど、最近はいわゆる理想値のような数字が出る。年齢とともに、あがっていくのだろうか?気をつけよう。次は半年後。「何かあったら、直ぐ来なさい」とだけは念を押された。私が遠慮気味なのを感じたのか、S先生には「異常がないわけじゃないんだから」と前にも言われた。「疲れやすくなったとか、息切れがするとかあったら言って」と言われたけど、これ難しい。心臓疾患がわかる前の、子供の頃から息切れが強かったから。階段を上がったり、歩いてるだけで、話が出来ないくらい苦しくなるから・・・。だけれど、生活の一切の制限はなし、何をしてもいいと言って下さった。経過観察だけでいけるだけいけたらいいな。会計を済ませ、病院をお昼に出た。お昼ごはんに、『魚河岸日本一』の秋葉原店(昭和通沿い)に寄った。車だったので、コインパーキングに止めて、食べてきた。立ち食いだけど、安くておいしいので、大好き。都内に住んでいた頃は、アトレ上野店が御用達だったのだけど、千葉県に転居してからはなかなか行けなかった。お寿司は、偏食なのでヒカリモノとか貝類とか苦手なものも多いのだけど、好きなネタは続いてもいいくらい大好き。海苔が好きなので軍艦や巻物も大好き。安上がりなネタが好物なので、助かります(笑)。隣のマックで、マックシェイクのバニラとフライドポテトを買って、車に戻った。運転席で、ふと思い立ち、あるところに向かった。予定外だったんだけど、思い切って立ち寄ってみた。行ってみてよかった。一路、千葉県へ。津田沼に寄り、代謝促進のために、超久しぶりに岩盤浴へ。厳しいお財布事情なので、贅沢かな・・・?と思ったんだけど、病院代が少しですんだので、治療の一環と言い訳して、行ってきた。風邪もほぼ完治なので、そろそろいいかな?とも思った。最近は、乾燥肌が悪化してて、黒いスパッツとか肌着を着て、(お風呂はいる為に)脱ぐと粉を吹いてるの・・・垢?ってドキドキするくらい。角質層が剥がれているのだろうから、問題ないんだろうけど、乾燥肌だとそれがキメを粗くする原因になってしまうと思うと切ない。しっとりと潤いのある素肌にあこがれる。お肌は心の鏡。心がカサ付いてると言うことでもあるのだろうな・・・。心を豊かにして行こう、それが美につながるよね。100分間の岩盤浴で、身体が芯温まって、行って良かったと思った。帰りに、津田沼パルコでウィンドウショッピング。お財布は激やせ中なので、見るだけ。それでも、楽しかった。車はイオンに置いていたので、イオンに戻り、食料品を少し買った。大好きな「はるさめスープ」が特売(3個で¥298)だったので、即ゲット!最近、やっと一人用の買い物に慣れて来た。ダーリンの好きなものをうっかり手に取ることもなくなった。と言っても、ここずっと寝込んでたので大して買い物もしてないんだけどね。以前は、頭の中に彼の食べられるもの(偏食リスト外のもの、ハラルなもの)がリスト化されてたんだけど、一人だとそれを考えなくていいので、ある意味気楽かもしれない。無駄遣いはしないよう、お菓子ばっかり食べぬよう、健康的に、ダイエットも考えて・・・って考えると気楽でもないか。あることのおかげで、心に少しだけ、ほんの少しだけゆとりと言うか、心がやわらかくなった。ふと、気付くと涙が流れてる・・・なんてこともあるし、考えていることとか、独りでいることのさみしさとか、本意ではないことも沢山あるけど、私自身を傷つける必要はないわけで、独りなら、独りなりの幸せの感じ方を遠慮することはないのだと。私の人生において大事なものを、誰の目を気にすることもなく、また何かを犠牲にすることもなく、大事だと言うことに誇りを持ちたいと思った。私の生きてきた道、これから歩む道。
2007.03.23
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いろいろと選択することがあり、少しずつ動いている。体調は落ち着きつつあるとは言え、ルーズな生活を送っているために、眠れなかったりしてしまう。次の日のスケジュールを考えると眠れなくなってしまうクセがあり、ダーリンがそばにいた頃は、「また寝てないでしょ」って叱られることも少なくなかった。寝不足でなくても、普段から血行不良のため目の下にクマが出来てて、寝不足だとそれが濃くなり、目の下に皺がよる。ゴルゴ13のようになるのだ(笑)。「寝たよ」と嘘ついても、ひと目でわかるのだ。気持ちが高揚して眠れない・・・ってわけでもないんだけど、あれもこれもしておかなくては・・・という気持ちが、スケジュールが入ってる時こそ強くなってしまうのだ。私は、いい加減だし、怠け者だけど、忙しい方が性に合ってるようで、暇と言うか、何もない時間が多いと体調を崩すことが多い。忙しければ、気が張っているし、人間の防衛本能がフルに活用されるから、免疫力も上がるんだと思う。だから、「疲れた・・・」と一瞬気が緩んだりすると、外出先で風邪のウィルスをお土産に貰ってきてしまう。クタクタなんだけど、「頑張ろう」って張り切ってるときは、その現場に例えば何人も風邪引きさんがいたとしても乗り切れてしまう。だから、休日になると寝込んだりして、損な気分だったりね。そういう人って結構いるんじゃないかな?今、仕事をしていないし、大きな家に独りでいる。無駄だらけの時間を過ごしている。自分の為の時間・・・それとはまた違う。誰かのために忙しく動くとする。でも、それも自分の為の時間な気がする。誰かのために何かをすることもできないということは、自分を大事にできないような気もする。自分を大事にできると言うことは、やはり、誰かのためにうごくということではないか?それが、夫であり、子供であり、家族であり、恋人であり、友達であり・・・そんな身近な存在の誰かに、自分の時間を費やす。それは、幸せと言うのかもしれない。これからの自分のために、いくつかの選択肢を用意した。小さなことばかりだけど、少し前進。
2007.03.22
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Eide shoma Mobaraq !!イランの新年ですね。ダーリンと一緒に迎えられたら良かったのだけど、ここ日本でもNo-Roozeをお祝いする方は沢山いるようで、同じ気持ちで同じときを迎えている人がいること、平穏な時間を迎えられたことに感謝しようと思います。日本では「春分の日」。春はスタートを意味することも多いので、日本とイランの意外な共通点というか、世界の年中行事というのは、ルーツをたどると、起源がおなじだったりすることもあるので、異文化を知るということは、とても素敵なことだと思います。
2007.03.21
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昨日の彼とは別の、また大好きな大好きな古い古~い男友達のメールの返事に、しみじみ。彼もまたとてもやさしい男。きれいなワイフとかわいいふたりの息子君のいいパパじゃなかったら、とっくに押し倒してるんだけど、大事な友情の為、私は彼のことは大好きだけど、だからこそ手を出さないのだ~。彼からの言葉にも、嘘偽りのない、まっすぐな気持ちが乗っていて、心強かった。ありがとう。大好きだよ。おそわないからびびらないでよね、「おいしいお酒」を飲もうね。友達って、すごいね。語らずとも伝わり、泣いて見せなくても、涙をそっと拭ってくれるような、真の繋がりがあるね。沢山の言葉を並べなくても、厳つい鎧を纏わなくてもいい、強くなくていい、弱いままでいい・・・全てを受け止めてくれる。時間の長さでは測れない、25年来の旧友でも、新しいご縁の友達であっても、私を思ってくれる心の重さと言うのは、とてもとても貴重なもので、感謝してもしきれない。いつも気にかけてくれ、いつも励ましてくれ、いつも自分のことのように一喜一憂してくれる。いつでも会える場所にいなくても、私を直ぐ近くで見守ってくれているようで、私は心強い。ありがとう。ありがとう。
2007.03.19
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大好きな古い古い男友達が(昨日)誕生日だったのを思い出し、おめでとうメールした。でも本音は、たぶん、ハナシを聞いて欲しかったのかもしれない。ずるいね、私。メールのやり取りの中で、泣き言を言ってみたり、ヤケになってみたりしたけど、心底優しい彼は、上手に諭してくれた。そして、ひとつのガイドラインを導いてくれた。そうか、そうなのか・・・。そうかもしれない・・・。心の奥底が暖かくなった。ありがとう近いうちに、「おいしいお酒」を飲むのに、つきあってね。大好きだよ~。
2007.03.18
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昨夜は、そのまま実家に泊まった。ものすごく右側の腰が痛くて痛くて・・・あまり深くは眠れなかった。母が留守な上に、娘がダウンしてるのを見てか、父が元気にはつらつと動いてくれている。若く見られがちな父も65歳、過労で倒れはしないかとドキドキしてしまうけど、快く動いてくれている父に感謝の気持ちを送るしか今の私には出来ない。今朝も早くからせっせと洗濯物を干していた。文句を言うことも無く、物音に目を覚ました私に「あ、起きちゃった?」と、明るく言う父に、どうしたら、父を、両親を喜ばせて上げられる娘になれるのだろうか?と胸が痛かった。目は覚めたものの、ボーッとしたまま横になっていた。お昼には父は仕事に出かけてしまった。いつまでも元気でいて欲しい・・・。妹をリハビリに送るために、時間をかけて身体を起こした。昨夜は、慣れない実家で寝た為もあってか、身体が痛くて、そして腰の激痛で、うたた寝の延長のようだった。咳も出てしまって、苦しかった。喘息ではないのだけど、気管が弱いので、風邪じゃなくても苦しくなってしまうことがある。元気になれば、大丈夫なんだけどね。夕方、妹を病院への送り迎えを済ませ、自宅に帰った。妹は、実家に来ていて欲しいみたい(私が心配なのでもある)だけど、住み慣れない実家(私が都内に住んでいる間に同市内で新築した方の家)に居場所を見出せないのと、何も用事が済ませられない(実家のPCは壊れてしまって今はないのだ)ので、居心地が悪い。なので、借りているこの家に戻ってきた。ダーリンがイランに出発して1ヶ月が経った。長かった・・・。あっという間だった・・・。どちらにも感じる。いずれにせよ、私は今、ひとりぼっち。それはかわらない。
2007.03.17
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昨夜、熱がやっと36度台に下がった~とホッとしたのも束の間、体中が熱くなり、痛くなった。またしても37.5℃まで上がってしまった。それでも、今日、鼻水が出たので、「おっ!これは風邪の後期症状では」とうれしくなった。熱が下がらない間は、黄色い鼻水もタンも出なかった。ウィルスとの闘いすら完全じゃなかったのかも?また一日寝て過ごした。夕方、起きて動いたら良いかも?とむりやり動くことにした。ヤフオクで落札者のついた商品で入金確認が済んでいるのに、体調不良で発送を待ってもらっていたものを出す為に、郵便局に行った。本当はもっと早く送るつもりで、落札が決定して連絡が繋がった時には梱包を済ませている私なのだけど、事情をメールし、待ってもらった。相手様が良い方で助かりました。ついでに通帳を記帳してきた。ヤフーの調査謝礼金の振込もあった。チョコチョコアンケートに回答して、抽選に当たるとキャッシュバックされる。ささやかだけど、そうとううれしいね。その足で、ベイシアに行った。閉店間際なので、お惣菜とかお刺身が半額になってることが多いんだけど、遅すぎた~。空っぽだった。父に、かつおのたたきを買って、自分用にはカットフルーツを買った。実家に向かった。一ヶ月ほど前に交通事故に遭って骨折してて休職中の妹と一緒にフルーツを食べた。無理して出てきたので、みるみる体調が悪くなり、横にならせて貰った。母は、妹と弟のところに行ってるので留守。かぞくがなんとなくバラバラになってて、みんな心をしっかりつなぎ合わせて頑張らないといけないときです。ダーリンとのことで、私が心身ボロボロになってるのを黙って見守っている両親の、タフさ、懐の大きさに感謝。インフルエンザだったのか?それとも、この腰の激痛からいったら腎盂炎だったのか?いずれにしても、暖かくして静養が一番。心の風邪に聞くお薬は何かな・・・
2007.03.16
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昨夜は、食欲は充実して、しっかり夕食をとったものの、風邪の状態は悪いままだった。呼吸が苦しくて、ゲップしながら、なかなか寝付けぬ夜を、よくわからないアニメを見ながら過ごした。しばらくして、スーッと眠ってしまった。そして、次に目が覚めた時には15時過ぎ。3/15の15時過ぎです。よく眠れました。電話の音も、おトイレにも起きず、ずっとずっと眠ってました。目が覚めて、おトイレに行こうと身体を起こしたけど、身体が軽く感じた。節々がメキメキと痛かったのも、歩けないほど辛かった腰痛も、落ち着いてくれた。そして、熱を測ってみたら・・・36.50℃♪やった~下がった~。6日ぶりの36度台。熱が下がったことは、身体でも実感できた。兎に角、身体が軽い、痛くない。呼吸も安定してる。咳もほとんど出ない。安心した。あんまり長く患うと、回復がそれだけ遅れてしまうから、それが不安だった。お腹も空いた。オレンジジュースを1杯グビッと飲み干した。夕方、梅干を入れておかゆを作った。おいしかった~。梅干のすっぱさが、身体に染みてたまらなかった。食欲自体は、昨日までよりないかもしれない。でも、風邪の症状が落ち着いてきてくれたことがなによりうれしい。さあ、元気だしていこう。
2007.03.15
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世の中はホワイトディですが、単身の私にはちょっと縁遠く、振り返ってみれば、出発前のダーリンにチョコレートを用意してなかったなと思い出した。最悪の金欠状態と、時間が無かったのと、ダーリンのスケジュールが読めなかったのとで、用意しても無駄になると思って、あきらめたのでした。なので、お返しはもちろんなし。あげてないんだから「お返し」ってのも変だしね。朝、少し熱が下がったかな~?と思っていたのに、測ると37.5℃以上しっかりあって、脇の下や喉(首周り)なんかが熱いのがわかる。食欲はあるといっても、変なものばっかり食べてしまう。お菓子とか、買い置きのアイスとか。100%果汁のオレンジジュースをガブ飲みしたり、普段滅多に食べないアイスを3本も連続して食べたり、やっぱり病人と言うのは「普通じゃない状態」なんだな~と思う。深い咳が立て続けに出るので、肋骨のあたりが痛い。その咳も、水っぽいものじゃないので、喉の腫れが引いたらおさまるタイプかな?でも、処方されてる薬なんだけど、喉が弱い私には甘い内容だったかもしれない。★総合感冒薬(顆粒)・・・顆粒って大嫌い。オエッてなるから。★抗生剤(ピンクのカプセル)・・・これ、前に飲んだ事あるかも、歯の治療かなんかで。★消炎剤(塩化リゾチーム系)・・・こんなの私には効かないよ、もう。抗生物質と消炎剤がもっと強いやつの方が良かったんじゃないか、とずっと思っている。それと、咳止めがなぜ出てない?かかりつけの内科医に行きたかったんだけど、なんせ起き上がれない。よく、年寄りが「○○さんは、今日は具合悪いから病院来れないってよ」って言うとか言わないとか・・・ってジョークとも本当とも取れる話があるけど、私もそうだよ。小さな頃から、「どうしてこんなになるまで来なかったの?」なんて、親が抱きかかえて連れてこれるサイズより大きくなってからは医師に言われることが多かったんだけど、本当に辛いときは『医者に行くのも辛い』んだよね。都内にいた時、歩いて5分もしないところに診療所があったので、そこにはなるべく初期段階のうちに行くようにしてたけど、仕事があれば無理しちゃうし、拗れなければ我慢してしまったりってあるしね。今すんでる千葉のM市は医療過疎地へとどんどん後退して行っているところ。我が家が横浜から転居したばかりの頃は、同様に首都圏からの転住者による人口増加を見越して、医院の誘致などにも力を入れてたみたいだけど、馬鹿市長のせいで、失敗(本当、現市長早く辞めて欲しい)。私のような人間は住みづらいのだ。婦人科の発作が出ても、循環器系の発作が出ても、かかる医者が無い(つーかかかりたくもないけど)。前々から言ってるけど、それでも昔から細々とやってる町医者の先生には良い先生が割りといて、とても勉強家で先端医療の知識もしっかり持ちつつ、町医者としての役割をしっかり果たして下さっている先生がいる。M市民の多くはそういう医師がいるから、安心して過ごせているのかもしれない。今回も、処方されて飲んでいる薬を持って、相談しに行きたかった。言うだけ無駄なことだけど、ダーリンがいたら、肩を貸してもらって、送り迎えしてもらって・・・とおんぶに抱っこで、診察を受けられたかもしれない。今まで、いかに、ダーリンの優しさに甘えてきたかが、痛いほどわかる。困っている人がいれば当たり前、と言われるかもしれない。でも、私は本当にすぐ、すぐに具合が悪くなる。それを支えてきてくれた。ここで言っても届かないかもしれないけど「ありがとう」だね。夜ご飯に、おろし焼肉を食べた(病人っぽくない!!)。ロースの薄切り肉、しいたけ、じゃがいもをホットプレートに並べて焼き、炊き立てご飯と大根おろしにミツカン味ポンをなみなみ注いで、食べた。疲れた胃に、大根おろしはGOODだった。スッキリと食べられた。熱が下がらなくて、呼吸が乱れてたけど、味覚が鈍ってなかったことは、元気への第一歩。食べられたことはプラスだったけど、その後辛かった~。喉と鼻の奥が腫れてて、(さほど鼻水は出ておらず詰まってなかったのだけど)、呼吸が苦しかった。口呼吸になってしまうので、ゲップが出てしまう。お腹の中は、バランスの悪いガスが溜まってしまってた。横になっても苦しくて、起き上がるとゲップが出て、咳が出た。熱のせいで、体中痛いし、眠れなくなってしまった。おトイレも近くて(もしかして腎盂炎か?←これ、私経験者です)、だけど大しておしっこも出ない。う~ん。眠れない。身体に触るくらい近くでつけてるガスストーブを止めると、熱のせいか寒くてゾクゾクしてしまう。それでも、アイスを食べたり、アイスノンを枕にしたり、解熱に努めた。しばらくしたら、スーッと眠ってた。明日は、元気に目が覚める・・・はず。
2007.03.14
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もらった薬が効いてるのか、いまいちな毎日です。眠れないと嘆いても、気付けば寝てるし、食欲もある。熱が37.5℃を切ってくれないのと咳が止まらないので、体力が・・・まあ、風邪はいつか治るから。
2007.03.13
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昨夜、休日診療当番医にて、受診、お薬を貰ってきた。食欲はまあまああるので、食べられるもの(お菓子とかアイスとか)を気まぐれに食べた。抗生剤による体内戦争が始まったからか、熱が上がってしまった。それでも、37度台後半、インフルエンザじゃないんだろうな~って感じ。(インフルエンザは40度くらいまで簡単に上がるからね)母が梅干のおにぎりを握ってくれ、仕事に向かう途中の父が届けてくれた。ありがたかった。トイレに行くのもやっとの思いで、濃いおしっこに、「あ~体の中で闘ってるんだなあ」なんて他人事のように思ったり。水分はしっかりとろうと、ウーロン茶とファンタグレープ(←たまたまストックしていた)を交互に飲んでいた。母の3個のおにぎりを遅い朝、昼ごはん、夜ご飯に分けて食べた。薬の効果がおだやかなのか、夜になると熱が上がってしまった。それでも38度台。冷えピタを脇の下と、喉とおでこに貼る。「気持ちいい~」悪い癖で、体調が悪くてもお風呂に入りたくなる性質。だけど、さすがにやめておいた。咳も辛くて、家の中でもマスクをしていた。寝ているときも、口元にだけマスクがかかるようにしていた。日中、ウトウト出来るときは眠るようにしていた。夜、いよいよ寝ようと思ったときに、思い出した。ネットオークションの落札者様にメールを入れておいた。せっかくお取引してもらってるのに、音信不通になってしまったらご迷惑をかけるから。それからアイスノンをタオルで巻いて枕にした。節々の痛み、深い咳、(多分熱からくる)頭痛に苦しめられながらも、何とか横になれた。明日は回復しててくれるといいな。
2007.03.12
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嫌な予感は見事に的中・・・昨夜、深い咳が止まらなくなり、胸が痛いほどになってしまった。寝付くまで結構苦しくて、月経痛が落ち着いてきたのと入れ替わりで風邪症状に・・・かかりつけ医は休診なので、市のサイトで休日診療の担当医を調べ、クリニックに行ってきた。熱は37℃台なので、インフルエンザじゃないな、と私も思っていた。ただ胸が痛くなるくらい咳が酷くて、喉が腫れてて息が苦しい。市販の風邪薬では無理だろうと、医者の手を借りた。一度もかかったことのないクリニックで不安もあったんだけど、休日診療だからと割り切ってみた。インフルエンザの検査を打診されたけど、少し前に一度受けたことを言ったら、今回はしないでいいでしょうということに。私の得意技(苦笑)の『急性咽頭炎』ということになりました。抗生剤と、消炎剤、総合感冒薬、トローチを処方してもらいました。微熱のせいか、頭痛もガンガンと酷くて、処方してもらった薬が効いてくれることを祈るように待った。診てくださった先生は私が月経痛で飲んでたイブとボルタレンのせいで熱や関節痛がブロックされてて気づかなかったのかな?などと言っていた。確かに、喉が腫れぼったい以外は、月経痛の痛みの方が辛くてわからなかった。月経後に風邪引くことが多いのは、ホルモンも関係するらしいときいたことがある。なんとも、情けない話です。
2007.03.11
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痛くて目が覚めた。痛くて動けなかった。おトイレに行きたくても、起き上がれなかった。鎮痛剤を飲む為に、動けるように、身体に向けて暖房の電源を入れて暖める。低温(じゃないかも?)ヤケドするんじゃないかというくらいガンガンと暖房の熱風を当てないと、瞬間の冷えでも激痛が走るので、汗ばむくらいに暖める。少しは動けるかな・・・?と思えたところで、鎮痛剤とお茶をもうろうとしながら必死で手を伸ばして飲む。勿論、直ぐには効かないので、効いてくれるまで、唸りながら悶絶。だんだんおしっこがしたくなってきたりするんだけど、痛くてトイレに立つことはできない。トイレを我慢しつつ、鎮痛剤が効くのを祈るように待ち、無理やり二度寝(気絶でもいい)して、その間に薬が効いてくれれば・・・などを痛みで勝手に流れてくる涙でぐしゃぐしゃになってる顔のまま、身体をくの字に曲げる。少しだけ痛みが和らいだかな・・・?といった瞬間にトイレに起きる。月経過多の私に、低容量ピルの効果で確実だったのは、経血量の減少だけだったのかもしれない。リアルな話をすれば、今までは月経1~2日は、タンポン(多い日用)と多い日用のナプキン(25~30cmクラスのもの)を併用しても、2~3時間でアップアップになる。下着や、アウターを汚してしまうトラブルは何度も経験してる。一度、瞬時に大出血を起こして、スカートが真っ赤に染まったこともあった。そんな生活を初潮を迎えてから20年も過ごして来たのだから、異常がないはずがないんだよ。心臓への負担も考えたら、私の身体って、精神より相当頑張ってきてくれてたんだな~って思う。精神的にはすぐポッキリ折れてしまう、軟弱ヤロウだから、私。そんな中、担当医も驚くのは、それでも貧血にならなかったこと。最近は、痛みこそ減ってないものの、血量の違いははっきりわかる。だけど、それだけじゃあ、困るんだよな・・・。痛いって、生活に支障が出るんだよね。社会人としての生活に対して不安ばっかり。ボルタレンを2時間おきに飲み、暖房に身体をくっつけるようにしてうずくまってた。ずっとずっと、泣いていた。いつもは、それを受け止めてくれる存在があった。依存し過ぎていたんだろうな・・・。むくみでパンパンに腫れ上がった醜い顔と身体で、唸るように、狂ったように「いたいいたい」と泣き叫び、転げ回る。薬が効いてくれるまでそれが続く。それが毎月のように黙って、お腹と腰をさすってくれ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔を拭ってくれ、その醜い顔にキスしてくれた・・・当たり前のように思っていたのかもしれない感謝の心がぜんぜん足りなかったのかもしれない私は何度も言ったことがあった・・・健康で丈夫な人と結婚したらいいよ。誰が好き好んで、欠陥だらけのオンナと一緒になりたいかな?ツライのは自分だけじゃないし、病気なのも私だけじゃないでも、痛いよ・・・痛いんだよ・・・ねえダーリン、痛いんだ・・・
2007.03.10
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祖母の3回忌の為に、アメリカから伯母が来日している。お土産にと、みなにパウンドケーキを作って(冷凍して)持ってきてくれたらしい。母が、引きこもってる私をどうにか元気付けたくて、色々とコネタを持ってくる。と言っても、運転できないので私が実家に出向かないとならない。伯母の料理などを食べる機会は今までなくて、初めてだったのだけど、とても美味しい。すでにアメリカが故郷になっている伯母らしい「おふくろの味」とでも言おうか。痛みと闘って消耗しきってる私にはケーキとか草もちとかがおいしかった。草もちは昨日巣鴨で塩豆大福と一緒に買ってきたものだ。ホッとする。あぁ・・・痛くなければもっとおいしいのに・・・。病院に電話してみたけど、対応してくれた看護師さんからは、確たる収穫も得られず、結局、次回の腹腔鏡外来で医師に相談してください・・・と言われてしまった。今日の痛みはどうしたらいいの?イブプロフェンが2時間持たない・・・ボルタレンも・・・再手術か、子宮摘出しちゃおうかな?もう、子供もいらないよ・・・なんて、グチグチ言ってるけど、少し落ち着いてきました。ひとり鍋を作って大好きな『ミツカン味ぽん』で食べたら、ちょっと元気が出ました。食べられるっていいことです。でも、独りで食べると、おいしくないです。
2007.03.09
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子宮内膜症治療の為に服み始めた、『オーソM(1相性低容量ピル)』も5シート目が終わった。おそらく、期待できる効果は少しずつ現れてきていたんだと思う。だけれども・・・人間の、とくに女性の体は、感情に素直だ。精神的ストレスがもろ、身体に出てしまっている。21日目のピル服用最終日を迎える前から始まる出血、腹痛、頭痛、腰痛、吐き気、めまい。通常、21日間のピル服用期を終えて、7日間の休薬期間(もしくはプラセボ(偽薬)服用期)に入って2~3日で月経が訪れることが多い(とは言え、それはあくまで目安)。私の場合、ここのところ、ピル1シートで考えると、19日目辺りから月経様症状が始まってしまう。頻発月経・・・?と不安にもなるけど、偽妊娠状態で、排卵はしてないはずだから、あまり神経質になる必要もないのかな?少なくとも20日間は不快症状は静まっていてくれるのだしね。そして、月経(ピル服用中だけど、便宜上そう言うことにします)も、おとなしめになってくれることが最大の期待なんだけど・・・今回、酷くなってる・・・。確かに、元々月経過多で、出血との闘いだったのはオーソMの効果によって減ってる。だけれども、『金属のスプーンでお腹の中をえぐられるような痛み』と『骨盤から腰、右脚に走るものすごい激痛』が、容赦なく襲ってきてくれた。そして、やっかいなことに鎮痛剤が効かない・・・。私は、持病の程度に対して主治医も疑うくらい簡単な鎮痛剤が効いてくれてた。馬鹿みたいに規定量をオーバーして飲んだりしなくても、イブプロフェン製剤がとりあえずは規定量で効いてくれていた。だけど、酷いときは効果が2時間持続しなくて、粘りに粘って我慢して3時間空けて再度薬を服用することは時々あるんだけどね・・・。主治医から、ボルタレンの錠剤を貰ってあるんだけど、あんまり芳しくないので、気が向いた時に飲んでみたりしてる。兎に角、今回は一番の精神安定剤がそばに無い状態の初めての月経期・・・。ダーリンの抱っこがないことが、こんなにも身体にダメージを与えてるんだな・・・と痛感。これから、どうやって乗り越えていけばいいんだろう・・・。痛みと共存してきた人生だけど、それに加えて孤独か・・・弱い私には厳しすぎるよ・・・。
2007.03.08
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ダーリン、お誕生日おめでとう。ただその言葉を言いたいだけなのにすぐそばにいないこんなにくるしいなんてこんなにさみしいなんて今すぐ飛んでいけるなら彼の胸に飛び込みたい
2007.03.05
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家族以外の人にこの胸の重く錆付いた鎖を、話す機会があった。私はずるい。私に都合のいいようにしか話せなかった。誰かを悪者扱いすることはないけど、自分を擁護していた。前向きなことを言ってのけた。嘘ばっかりだった。やる気なんかない。気力なんて、かけらもない。何もしたくない。何もできない。注意力も散漫で、普段ならしないようなことをしてしまう。話している相手を見ている振りをしていた。思いを切々と語っている振りをしていた。口先だけだった。公衆の面前で、ゴロリと寝転び、鼻水を垂らしながら、大声で泣きたかった。赤ん坊のように、泣いていたかった。体に深く深く刻まれている体温の記憶を呼び戻したくて、わがままの限りを通したかった。それすらできない。道端に転がる空き缶のように、いつの間にか踏み潰されてしまえばいい。それでも、空き缶なら資源になる。私は・・・
2007.03.04
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世の中は『桃の節句』で、なんとなく、心も和む一日のようだ。私も、”おんなのこ”のはしくれ、長女だから『名前入りの七段飾り』を持っている。何不自由なく、育ててもらった。成人し、大人として自分の足で歩いていくようになってからの私は、砂利道だったり、急勾配の坂道だったり、そんな辺鄙な道ばかりを自ら選んで歩いてきたような気もする。楽な道を進むことは、悪いことじゃない。そこへ辿り着くには、楽してばかりではいられないことを誰もがわかっているから。また、他人から見たら、どんなにかご苦労だったか・・・と思えるようなことも、楽しく明るくこなしてしまう、精神力の強い人、苦労を楽しむ才能がある人は、いる。私は、どちらかと言えば・・・というか、はっきり言って不器用なので、人と違う方向に進みがち、選びがちだ。そういう性分なのだから、「誰かにそうさせられた」とかは思わない。けれど、じぶんひとりが頑張りさえすれば何とかなることばかりではないということもあるということ、また、人の言うがまま、為すがままに、半ば自分を殺して従わなければならないことも人生において、そういうシーンは時として必要だと、思い知らされたような気がする。私の心の葛藤は、『私の思い通りにならないこと』に対してなのかもしれない。ようは、私の単なるわがまま。心にポッカリと開いた大きな穴は、どうやったら埋まるだろうか・・・。例えば、お箸。一本なくなってしまったら、ゴミとして捨てられるのだろうか?喪失感。もっともっと、あれもこれも、欲しい、欲しい、欲しい・・・・・そうじゃなく、あったものがなくなってしまった。それを追いかけることは愚かなのだろうか?そのまた答えを追いかけることは、もっと愚かなのだろうか?誰に笑われてもいい、暗闇の中、電気のスイッチの場所を探す姿は、ひとからみればおかしな姿なんだろう。こわいのは嘲笑でもなんでもない。明けない夜・・・。そして、独りの朝。
2007.03.03
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身近からのいいニュースを聞いても、メールで答えるのが精一杯。家族の頼まれごとを少しこなしただけで、息切れ・・・。ちょっと意味は違うかもしれないけど、四面楚歌とか八方塞りって言えばいいのだろうか?掴まろうと思って手を伸ばしたけど、届かない。もう少し、もう少しと思ってもがいたけど、結局その手綱は絵に描いたものだった。もともと、バイタリティ溢れるほうではないけど、何か目標に向かって前進することには手を抜かない性質だった。不器用なのかもしれない。要領が悪いのかもしれない。キレイゴトに聞こえるだろうけど、自分以外の誰かが苦労するぐらいなら自分が苦労する方がマシだと思う性格だった。自分以外が喜ぶ姿を見るのが、自分の喜びだったりもした。こう言えばカッコイイけど、本当だった。エエカッコシイなだけかもしれない。だから、苦しくても、それを伝える相手がいない。それを聞いた相手が心を痛めることがつらいから・・・。何をするにも臆病になってしまった。私は非力だ。ひとりでは何もできない。お日様を探すこともできないのだ。根っこがくさってしまったら、どんなに水をやっても、どんなに肥料をまいても、花は咲かない。花が咲かないということは、実を結ばないのだ。干からびた私は、土に紛れて誰にも気づかれないところへ行ってしまえばいい。それがお似合い。
2007.03.02
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3月になった。暖冬の今年、春は駆け足で訪れているというのに、私の心は氷の海中に浸けられているかのようだ。誰かと一緒にいればいるほど、孤独感に苛まれる。誰でもいいわけじゃないのだと、痛感する。独りでいる方が、心が解放されるような気もするけど、寂しさは癒えない。声が聴きたい。抱きしめて欲しい。どうしたらいいのだろうか?何をしたらいいのだろうか?朝が来るのがつらい。一人ぼっちの一日は余りに長く、生きる意味を失ってしまった今、平凡な日常ほど、残酷なものはなく、何もなく過ぎる時間はまるで地獄。消えて無くなってしまいたい・・・月が変わったら、何か前向きな気持ちが生まれるかもしれない、苦しみも癒えるかもしれない、そう思ったけど、ムズカシイ。
2007.03.01
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