仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.02.08
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カテゴリ: 宮城
ある村におみつというめんこい娘がいたと。ある時、おみつはだんだん顔色が悪くなり口数も少なくなった。心配した母親が隣の婆さまに心配事を聞くよう依頼した。婆さまが聞き出すと、おみつは好きな男ができたが、他の村の人間だという。その村では村の者どおしが結婚する決まりだが、婆さまが思い直して更に問うていくと、その男は毎晩来ては未明に帰るのだが、体が冷たいのだという。

驚いた婆さまは、顔には表さずに、今夜アズキを煮て、その汁でその人の足を温めるよう洗ってやれば正体がわかると、おみつに教えてあげたと。

おみつは婆さまの言うとおりアズキの煮汁を用意して男に足を洗わせた。すると男はだんだん元気がなくなり、今日は早く帰るといって出て行った。

明くる朝早く、浜へ行った漁師が、それはそれは大きな鱈が波打ち際で死んでいるのを見つけた。村の人たちは大きさにすっかり肝を抜かれてしまった。一方、婆さまは、やっぱり鱈であったかと独り言を言ったと。

浜の人で切った鱈の肉は馬車に積んだら、5駄分もあった。それでそれから自分の村のことを五駄鱈(ごだんだら)村と呼ぶことにしたと。

おみつは急に腹病みはじめ、まもなく鱈の子を山のように生んで死んでしまった。それはかわいそうなことだったと。

おみつのいた五駄鱈村は、いつの頃からか、ごんだら村とよばれるようになったと。

■「宮城のむかし話」刊行委員会編『読みがたり 宮城のむかし話』日本標準、2005年





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最終更新日  2013.02.11 17:18:40
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