仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2024.01.22
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カテゴリ: 宮城
川村孫兵衛重吉について。
(長谷川ヨシテル『どんマイナー武将伝説』柏書房、2023年 から当ジャーナル要約)

1 日和山の銅像

川村重吉(通称孫兵衛)の銅像は、石巻市の日和山公園山頂の鹿島御児神社(創建時期不明、平安中期には存在)の東側に、右手の人差し指をさしだした姿で立っている。河川工事の現場の人らしく、羽織と裁着袴(たっつけばかま)のスタイルである。

重吉が大工事を行ったのは、銅像の指先が指す北上川(現在の旧北上川)である。重吉の工事によって洪水被害は減少し新田開発が進み、航路も確保されて水運が発展、石巻港が誕生して栄えるなど、現在につながる街づくりを行ったことから、銅像の銘文にも、「港町石巻の基礎を築いた大恩人としての業績を後世に伝えるため」と刻まれている。

重吉は石巻に屋敷を構えたようで、新館、中屋敷、浦屋敷などの地名が伝わる。重吉町もある。1915年(大正4)に正五位の位階が贈られたことを記念して、屋敷跡とされる地に重吉神社が創建された。その東に重吉夫妻の墓が、さらに東に普誓寺がある。

旧北上川沿いの大島神社に1897年(明治30)、地元の町民が重吉を顕彰した川村孫兵衛紀功碑が残されている。

重吉の時代の1611年(慶長16)にも大地震(慶長三陸地震)で津波の被害が出たと言われ、政宗はその復興のために北上川や木曳堀などの大工事を進めたとも考えられる。

2 政宗のヘッドハンティング



『東藩史稿』には、算数水利に精(くわ)し、土功に精しく、とあり、重吉は治水や土木に関する知識を評価されて政宗にスカウトされたようだ。家臣になった詳しい時期は不明だが、慶長中(1596-1615)に仕え始めたとあり、現存する重吉の最古の書状が慶長弐年正月(1597年)なので、家臣になったのは22歳の1596年(慶長1)と考えられる。

『石巻市史』などには、関ケ原の戦いの結果、毛利家が領地を失ったため、重吉は浪人となり近江の蒲生(日野町など)に流寓したが、そこが政宗領地の飛び地だったので、政宗が優秀な重吉を知り、友人の山崎平太左衛門とともに1601年(慶長6)に召し抱えたと記されている。しかし、そのタイミングは最古の書状と合わないので、あくまで伝承となりそうだ。

3 体の特徴

毛利家時代の重吉は不明だが、菩提寺の普誓寺(石巻市)の『普誓寺縁起』などによると、祖父の常吉(『揚美録』では父)は、沈勇(落ち着いてゆうきがある)、清操(言動に汚れがない)とされる。また「異相あり」だったようで、「左脇に龍の鱗」があったという。重吉にも異相があり、「四乳」だったという。実際、皮膚が鱗のようになる症状があり、先天的に乳房が多い(副乳)という人がいるので、常吉や重吉も本当にそうだったかも知れないが、異相は偉人の伝承の描写でよくあるものだ。

4 治水事業に貢献

最古の書状は鉱山に関する内容なので、最初はどうやら鉱山開発に携わったようだ。また、『普誓寺縁起』にも「山の形、土の色を視察し、能く金銀を知る。宜しく之が産する地を知る神の如し」とある。その前文には「巨釜を置き鹽を焼かしむ」ともあるので、伊達家が力を入れ始めた製塩事業も担当したようだ。現在、石巻に釜という地区があるが、重吉が大釜で塩を作ったことが由来ともいわれる。

特に偉業とされるのは、北上川の付け替え工事。政宗は新田開発のため北上川の河川工事を大々的に実施するが、まず慶長10年(1605)から3年をかけて、重臣白石宗直(通称相模)が上流に堤防(相模土手)を築き、北上川の流れを東側に大幅に変更した。続いて、重吉が、元和9年(1623)から寛永3年(1626)にかけて北上川の西を流れる迫川と江合川を北上川に合流させる大工事を行い、今日の旧北上川の流れを完成させた。

その後、明治の治水工事で北上川は途中で東に流れを変えて、今は追波湾に注がれている。

重吉は、三川合流の大工事以外にも、貞山運河(貞山堀)の開発も担当したと考えられている。政宗の時代から明治時代にかけて約49kmの大運河が造られたが、政宗ははじめ木曳堀(阿武隈川の河口から名取川河口)を造り始めたようだが(時期は三川合流工事の前か)、その事業の担当者が重吉や養子の川村元吉と考えられている。

他にも、重吉は、人口増加で水不足になった仙台に広瀬川から水を引く四ツ谷堰(現在の郷六取水場あたり)の築造に関わったという。四ツ谷用水は生活用水として使用し続けられた。また、それとは別に湧き水を利用した用水路も造ったとされ、孫兵衛堀の名で呼ばれている。現在は埋め立てられたが、水源のあった荒町小学校に石碑と案内板が立っている。

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最終更新日  2024.01.22 08:01:44
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