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今朝のNHKニュースで驚いた。猛暑日しらずの街というので、どこかと思って観ていたら、千葉県勝浦市。観測史上、猛暑日が一日も記録されていないというのだ。勝浦市ホームページも、涼しい街と自慢している。説明によると、沿岸は水深があり水温が低いので夏は涼しく、冬は親潮の影響で寒さは弱い、つまり年中過ごしやすいのだ。それでは、われらが東北ではそんな場所はあるだろうか。気象庁ホームページから、日の最高気温の記録を拾ってみる。地点は、当てずっぽうに。まず青森県内から。(以下、地点の次のカッコ数字は猛暑日=35度以上=が記録された日の数である。次の行の数字は、日最高気温の最も高い記録とその日付。)・大間(ゼロ) 32.9(2023/8/24)・脇野沢(ゼロ) 34.7(2025/8/3)・小田野沢(ゼロ) 34.9(2023/8/4)・大間(1日) 35.3(2023/8/10)・今別(ゼロ) 33.7(2023/8/26)・蟹田(ゼロ) 34.6(2023/8/24)・市浦(7日) 37.2(2023/8/10)・青森(10日以上) 36.7(1994/8/12)・野辺地(1日) 35.6(2023/8/10)・六ケ所(ゼロ) 34.8(2024/8/23)・三沢(10日以上) 37.0(2023/8/5)・鰺ケ沢(4日) 36.9(2023/8/10)・酸ヶ湯(ゼロ) 30.8(1978/8/3)・休屋(ゼロ) 33.7(2021/8/7)青森県内の他の地点は、ゼロではないようだ。次に、他県で猛暑日ゼロの地点を探して、以下に書き出す。(ほかにもあるかも知れないが。)・沢内 34.1(2018/8/23)・湯田 34.9(2018/8/23)・駒ノ湯 33.3(1994/8/14)・江ノ島 34.5(2018/8/1)・猪苗代 34.6(2025/7/29)・桧枝岐 32.5(2015/7/14)・桧原 32.0(1985/8/15)
2026.06.24
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澱橋を渡って尚絅学院前を通り、細いバス通りを上っていくと、北三番丁通りに交差するが、ここはもう20年以上前だろうか、丁字路だったのがスッキリと土橋通りに直通する道になった。その交差点のやや手前左側(道の西側)に、こんな看板があった。「へくり沢散歩道案内板② 下流域2 土橋周辺(八幡1丁目)」 かつて、国見から八幡地区にかけて「へくり沢」又は「蟹子沢」と呼ばれる小川がありました。 国見小学校の北西部から段急傾斜を南東側に下り、広瀬川の澱橋付近に注いでいました。 今は下水道となって水流を見ることはできませんが、深い峡谷状の地形や流れの痕跡を観察しながら散策してみませんか。 へくり沢の名の由来は・・・「へくる」とは、谷の縁(へり)を縫うように通過すること。沢が深く抉(えぐ)られ、ここを越すには坂道をくねくねと下り、上らねばならなかったことからきているといわれます。 へくり沢の下流域は、深い峡谷となっているため、伊達政宗公が仙台を開いた頃から、城下を分断する交通の難所として知られていました。そのため、江戸時代中期までに北三番丁から中島丁方面に渡る土橋が谷底に作られ、交通の便がよくなりました。土橋は土管などで通水路を確保しつつその上部を土盛りした土手状の橋で、水田によく見られます。当初の橋は人が通れるだけの小さなものでしたが、かさ上げされて現在に引き継がれています。北西方向からこの土橋まで至る道が「土橋通」と呼ばれてきました。 へくり沢の峡谷地形は、河口から春日神社付近まで続いていましたが、左図の下流域3から中流域1のあたりまでは戦災復興期に瓦礫などで埋め立てられました。この橋をはさんだ両側だけが、かつての谷の深さを今に伝えています。(手前の石碑は、天然痘除けのため建てられた「疱瘡神碑(ほうそうがみひ)」。道路拡張の際、発見されました。)製作へくり沢散歩道会議八幡地区町内連合会・国見地区連合町内会・八幡小学校・八幡児童館・仙台市柏木市民センター連絡先事務局 柏木市民センター 電話233-8066(平成29年度仙台市地域力創造支援事業)
2026.06.16
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きのう(6月14日)は、暑い日だった。広瀬川でクマが発見されたという。テレビの映像だと、赤門自動車学校の教習コースが映っていた。クマが出たという時間帯の約1時間ほどまえ、自分はちょうどその赤門自動車学校の前(建物と教習コースの間の道)を散策していたのだった。じつは以前、花壇自動車大学校との校名の違いを記事にしたことがあり(自動車学校の花壇? そして校名について(2015年8月16日))、確認してみたかった。むろん、確認なら歩く必要もないが、市内ど真ん中なのに歩いたこともない場所だったから一度行ってみたかった。クマも同じ心境だったか。画像その1。トークネットホール(仙台市民会館)のラウンジから望んだもの。このあたりにクマが出たらしい。建物のサインは、「専門学校赤門自動車整備大学校」だ。その右手側に自動車学校がある。建物1階にAKAMONとローマ字のサイン。画像その2。仲の瀬橋の仙台二高側のたもと付近の看板。「専門学校赤門自動車整備大学校、赤門自動車学校(公認・実免)、東北運輸局認証、自動車整備・板金工場、工場名オートハイテクニカルセンター川内(赤門校内)」画像その3。赤門自動車学校の正門から案内図を撮影してみた。■関連する過去の記事 自動車学校の花壇? そして校名について(2015年8月16日) 自動車整備大学校?(2007年6月17日)(花壇自動車整備大学校の呼称について) 仙台藩の牢屋(2007年8月19日) 仙台藩の刑場(2007年9月3日)(花壇にあった) 愛宕下の発電所(2013年11月25日)(花壇対岸の追廻地区から取水)
2026.06.15
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有効得票の推移(投開票日→町選管再点検→県選管採決)・平山幸宏 5,099→5,099→5,104・小山田典之 5,098→5,096→5,106・笠間慎一郎 229→229→229・無効票 140→142→127平山幸宏(ひらやま・ゆきひろ)と小山田典之(こやまだ・のりゆき)の両候補が接戦だったが、特に問題となったのが「平山のりゆき」、「小山田ゆきひろ」と書かれた票。県選管は、名前のひらがな部分に誤記が起きやすかったことを特段の事情として認め、当初無効とされた小山田候補の10票と平山候補の6票を有効とした。ほかに、平山候補について同日の町議補選候補との混記があった1票を有効、「ゆき」を二重線で消して「ひろゆき」と書き直した1票と、他事記載の1票を無効とした。この結果、小山田候補が10票、平山候補が5票増えた。(東京新聞)県選管の裁決では、無効票とされた「小山田ゆきひろ」10票と「平山のりゆき」6票を有効と判断。また、平山氏側では「ひらいでゆきひろ」1票を有効とし、他方で、平山氏の有効票とされたうち2票が欄外に「○」が記載されたなどの理由で無効と判断した。(毎日新聞)栃木県選挙管理委員会HPに裁決書が出ている。6月11日付である。その中では、公選法68条1項は無効とする8項目を列挙するところ、今回の疑義票に関して問題となるのは、2号(別人投票)、6号(他事記載)、8号(混記投票、判読不能)の3項目であるとして、過去の裁判例を引用して、それぞれの判断基準を丁寧に検討している。そのうえで、今回選挙の特別な事情を考察し、類型ごとに個別判断している。非常に興味深いので、主な類型について、以下に紹介したい(当ジャーナルで要約)。●類型1=氏が正確に記載され、名が逆順に記載されたもの、39票・町選管の判断は有効 → 県選管もほぼ同様だが、1票だけ無効とした(「ゆき」を訂正し「ひろゆき」としたもの)・「平山ひろゆき」の33票は、実在する副町長平山浩之の別人投票として無効とすべきか。しかし、同士は大田原市に居住し、県職員から副町長に就任し、過去に選挙に出ていないことから、平山候補の名を逆順にしたものと解する●類型2=候補の氏が正確に記載され名の部分に相手候補の名が正確に記載されたもの15票(平山のりゆき6票、小山田ゆきひろ9票)、これに準じるもの(小山田ゆきひき)1票・町選管は無効 → 県選管は有効・町選管は、特段の事情が認められず完全混記票として無効としたが、語感音感の類似性、投票所記載台の氏名掲示に両者が並記され見間違いがおきやすい状況、県北で平山は多い氏で小山田な少ないが疑義票全体で氏の誤記はすくなく名の誤記や誤記訂正が多いのは選挙人が氏を重視したこと、などの特段の事情が十分に認められる・従って、有効票と判断●類型3=両候補の氏と名の前半2文字が正確で後半文字が相手の文字のもの6票(平山ゆきのり4票、小山田のりひろ2票)・町選管は有効 → 県選管は有効・選挙人に意思は明確で有効●類型6=同日の町議補選候補者の氏や名との混記、3票・そのうち、「ひらいでゆきひろ」について、町選管は無効 → 県選管は有効・補選候補者の平出文宏の誤記または混記かが問題になるが、平山候補の氏名をひらがなで記載しようとした誤記とみるのが相当●類型7=他事記載、2票・平山候補関係では、注意事項欄の頭柱数字「一」にマルを付したものについて、 町選管は有効 → 県選管は無効・小山田候補関係では、氏名記載欄の脇に「少しましかな」と記載のものについて、 町選管や無効 → 県選管は無効そして、これら疑義票のすべての実際の候補者氏名欄の記載状況(手書きの文字)の画像が添付されている。類型7の他事記載もちゃんと出ている。この裁決書は、多くの人に納得される判断を示そうとする「労作」だと思う。■関連する過去の記事 那須町長選挙でも当落逆転の県選管裁決(2026年06月12日) 神栖市長選に関連して過去の裁判所の判断(2026年05月11日) 神栖市長選を考える(何度目か)(2026年05月01日) 神栖市長選挙のその後、また、投票をめぐる問題を考える(2026年04月29日) 得票同数の神栖市長選等について(2026年04月21日) 那須町長選挙 その後(2026年04月06日) 那須町長選「1票差」事態の行方を考える(2026年04月05日) またも1票差の選挙結果(2026年03月26日)=那須町長選挙 得票同数の場合のくじを考える(神栖市長選挙)(2025年11月12日) 僅差の西目屋村長選挙(2025年02月12日) 下呂市長選挙ふたたび(2016年4月12日) 大鰐町長選挙は得票同数で抽選(10年6月30日)(くじによる決定の制度) 激戦の登米市議選 同姓同名の立候補も(09年4月14日) 再選挙は超僅差の決戦(07年6月18日) 加美町長選はついに再選挙(07年4月22日)■関連する過去の記事(大郷町住民投票について。公職選挙法の制度として関連) 大郷町の住民投票問題(続き)(2026年03月16日) 大郷町の住民投票は白紙に(2026年02月26日) 大郷町長選挙の結果(2025年09月01日) 大郷町SSP問題について(再び)(2025年04月18日) 大郷町問題(続)-直接請求と争訟について(2025年04月16日) 大郷町の議会解散騒動を考える(2025年04月12日)
2026.06.13
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今日のニュースだが、3月の那須町長選挙に関して、栃木県選挙管理委員会は、今日(12日)、次点候補の有効得票が2票上回ると判断し、1票差で上回ったとされていた現職の当選を無効とする裁決を行った。(朝日新聞による)3月の町長選の開票結果は、・平山幸宏氏 5,099・小山田典之氏 5,098・笠間慎一郎氏 229・無効票 140であった。4月、町選管による再点検により、小山田氏が2票減らして、5096票とされた(無効票が142に)。これは、小山田氏側の異議申し立てによるものだったが、票差が3票に広がった形だ。棄却された小山田氏側は、こんどは5月、県選管に対して審査申し立てをしていた。そして、県選管による(町選管に次いで)2度目の全票点検が5月に行われ、絞り込まれた疑問票790票の効力を審議していたものである。小山田氏側の指摘は、平山氏の得票のなかに名を「ひろゆき」と(逆に)記したものがあるというものである。5月16日の読売新聞の記事(県選管の全票再点検の報道)では、次のように記している。小山田氏の陣営は、「平山ひろゆき」と書かれた票が平山氏の有効票となっているのに、「小山田ゆきのり」は無効となっているなどと主張。町選管は4月、再点検を実施し、票差が拡大。小山田氏の陣営は県選管に審査を申し立てていた。より詳しい解説が今後でてくるだろう。県選管の裁決書もみてみたい。■関連する過去の記事 神栖市長選に関連して過去の裁判所の判断(2026年05月11日) 神栖市長選を考える(何度目か)(2026年05月01日) 神栖市長選挙のその後、また、投票をめぐる問題を考える(2026年04月29日) 得票同数の神栖市長選等について(2026年04月21日) 那須町長選挙 その後(2026年04月06日) 那須町長選「1票差」事態の行方を考える(2026年04月05日) またも1票差の選挙結果(2026年03月26日)=那須町長選挙 得票同数の場合のくじを考える(神栖市長選挙)(2025年11月12日) 僅差の西目屋村長選挙(2025年02月12日) 下呂市長選挙ふたたび(2016年4月12日) 大鰐町長選挙は得票同数で抽選(10年6月30日)(くじによる決定の制度) 激戦の登米市議選 同姓同名の立候補も(09年4月14日) 再選挙は超僅差の決戦(07年6月18日) 加美町長選はついに再選挙(07年4月22日)■関連する過去の記事(大郷町住民投票について。公職選挙法の制度として関連) 大郷町の住民投票問題(続き)(2026年03月16日) 大郷町の住民投票は白紙に(2026年02月26日) 大郷町長選挙の結果(2025年09月01日) 大郷町SSP問題について(再び)(2025年04月18日) 大郷町問題(続)-直接請求と争訟について(2025年04月16日) 大郷町の議会解散騒動を考える(2025年04月12日)
2026.06.12
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新聞記事で驚いた件。青森県板柳町議会で、定例会最終日の10日に、副町長の現行の定数1人をゼロとする議員発議の条例改正案を賛成多数(賛成6、反対5、議長除く)で可決したというのだ(11日の河北新報朝刊記事)。記事によると、野党系議員3人が連名で提出。提案理由は行財政改革の一環で、サービス残業している職員の処遇改善費に充てるべきとのこと。現在の副町長は2023年6月に選任されている。閉会後に町長は、再議に付したいと語った。そして、今日(12日)の報道(河北新報朝刊)では、11日の町議会臨時会で再議に付し、賛成少数で否決された(賛成6、反対6)。再議に必要な出席議員の3分の2以上の賛成がなかった。地方自治法は、市町村に副市長村長を置くが、条例で置かないことができ、またその定数は条例で定めると規定する(161条)。従って、通常の自治体は、定数条例を有していて、例えば仙台市だと、「本市の副市長の定数は、3人とする。」という1条文だけの「仙台市副市長定数条例」がある。制度的には条例事項なので議会の判断になることではあるが、地方自治法は、副市長村長が市町村長を補佐し職員を監督すること(167条)や、市町村長に事故あるときは職務を代理すること(152条)などを定めており、副市長村長が設定されることを原則としていると解されるので、廃止するのであれば説得的な理由が必要になろう。また、通常の自治体経営のあり方論から考えれば、人口数百人の自治体ならともかく、役場の各部門の全体を統率しつつ首長との間を取り持つ役割、あるいは議会と柔軟な調整をする役割などは重視されるだろう。板柳町の件は、おそらく、町長と議会の対立構造やなんらかの政治的な姿勢の違いが決定的な局面となり、はずみで飛び出した議員提案で、まさかの可決に至ってしまったハプニング、だったのではないだろうか。それとも副町長の言動を問題視した、副町長に対する攻撃だったのか。現に副町長が空席であったのならまだしも(それでも条例はポストとしての副町長を置くかどうかの定めだから、実際にいるいないの問題ではないと理論的には言える)、現任者の任期終了後の適用とするなどの現実的配慮もなく(おそらくそういう議員提案だったのだろう)、副町長を失職させるのだから、異例中の異例だ。事情や経緯がわからないが、仮に、副町長個人の資質を問題視して更迭すべきと考えるのであれば、首長に対して可能な不信任の議決は、副町長に対しては地方自治法上の制度としてはない。ただし、決議を行うなど議会としての意思表明をすることはできるし、住民による副町長の解職請求(地方自治法86条)を誘導することもできる。そのような、「資質問題論」を正面から論じるのなら住民に対して説明もつくのかも知れないが、行財政改革だという論理で組織を踏みつぶそうというような論法は、住民に理解されると思っての行動なのだろうか。そうとう乱暴な議会の動き、と評されるべきだ。賛成派の議員にどれだけ信念があったのだろうか。
2026.06.12
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明日(6月12日)で宮城県沖地震から48年である。昭和53年(1978)のことだった。宮城県内の死者27人、ブロック塀の倒壊や、苦竹のビルの押しつぶされた姿などが印象に強い。河北新報オンラインで、当時の写真マップが公開されている(記事)。その画像を、いくつか眺めてみて、その「地点」を記しておきたい。●日乃出興業ビル 屋上の給水塔が損傷して水が路上に注ぎだしている。左手奥(仙台駅より)には、仙台ホテルの建物がある。●丸光デパート 倒壊した排煙塔が、小道(政岡通りでないか)をはさんで隣接の建物(一ノ蔵、などの看板がみえる)に、もたれかかっている。丸光は、その後、ビブレ、さくら野百貨店だ。●東宝仙台ビル 外壁が粉砕されて落ちている。壁にある次回ロードショーの案内は、スターウォーズ。ちょうど、第1作公開の時期だろう。青葉通りの向こう側には、漢字で十字屋と書かれている建物がみえる。●東二番丁と広瀬通の交差点 停電で信号が消えて渋滞が発生している状況。●宮城学院女子大学 赤レンガ塀が崩れている。中央四丁目にあった頃だ。現在の国際ホテルの場所だろう。●東北学院中高 同様に、赤レンガ塀の崩落。一番町一丁目、とある。●北根黒松 地盤崩落と共に木造アパートが倒壊。破裂した水道管から水が浸透したことが原因という。この画像は、新聞紙面(紙の)にも出ているもの。●苦竹 一階部分が押しつぶされたビル。パロマガス炊飯器の看板がある。奥に見える建物は、とんかつとん亭だ。三角屋根で、妻の部分の壁に、一文字づつ丸で囲まれて店舗名が書かれているのが、なつかしい。■関連する過去の記事(とん亭について)・七北田川を考える(07年10月3日)=寛文の流路変更と舟曳堀。「とん亭」が出てきます・舟曳堀(鶴巻-苦竹)を探して(06年3月12日)●苦竹三丁目 上記のビルよりやや東。これは有名な画像で、きょうの紙面(紙の)の一面にでている写真だ。三階建てで、一階部分がすっかり潰されて、2階3階も変形している。マルに「は」の赤い文字のおおきな看板が屋上に見える。●若林区卸町二丁目 一階部分が倒壊してビル全体が大きく傾いた状態。会社名だろうか、「オビサン」と書かれている。●若林区新寺 石材店で石灯篭が倒壊。写真に写っている小型フォークリフトに、「●(一文字読めない)平石材店」と書かれている。●太白区郡山 4号バイパス沿いのガソリンスタンド。日本石油とのサインがある大屋根が倒壊している。仙台バイパス給油所、と建物に書かれている。●長町一丁目 完全につぶれた商店。佐藤文雄商店、と読める。隣は、板隆洋服店。●太白区緑が丘 大きく斜面崩壊している。●東北石油 港5丁目。タンクから漏れた油が製油所敷地内に広がっている。また、港内にオイルフェンスを張って流出を防いでいる。■関連する過去の記事 地すべり、宅地災害、土砂災害などの基礎知識(2024年05月28日) 宅地災害フロンティアの東北(2024年05月28日) 宮城県沖地震の体験記(2016年6月29日) 宮城県沖地震の前ぶれか(08年12月7日) 宮城県沖地震から30年(08年6月7日) 宮城県沖の地震(08年6月2日)
2026.06.11
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富谷市が自走式の都市型ロープウエーの導入を検討している話題が、きのうも報道された。市長が南相馬市の実験線を試乗したからだ。ところで、今は、全国にも少ない「駅なし」「鉄道なし」の市だが、かつては駅があった。富谷駅が大和町小野地区に、また、志戸田駅が、富谷市志戸田(国道4号高田橋の南)にあった。後者が現在の富谷市域にあった駅である。富谷駅の痕跡を探訪しようと、二年前に撮った写真があった。最初の写真は、大和町小野地区ののどかな道。パークタウンや東京エレクトロンあたりから新しい道が北に伸びていくが、宮床地区に入らずに右折すると、竹林川に沿った町道に出る。フェンスにしっかり汽車のイラスト。この画像だと右手に、かつて仙台鉄道が走っていたはずだ。次の写真は、軌道跡と思われる(自分の見解ですが)、路盤のあと。最後の写真は、前の地点から西成田宮床線(山下橋より少し東側、富谷寄り)に戻って歩いている眺望。路線跡ではないかと私見です。■関連する過去の記事 新生富谷市はなぜ「駅なし鉄道なし」なのか(2016年10月10日) 駅なし市 いまむかし(09年11月7日)■フリーページをご覧ください 近現代の仙台・宮城(鉄道敷設史含む)(ページの下の方に、鉄道敷設史があります。)
2026.06.02
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先日、石巻に行った際に石巻日日新聞を読んだ。温故知新聞というコーナーがあって、過去の記事を紹介しているのだ。(2026年5月27日石巻日日新聞)昭和の石巻/英吉作「羅漢像」を寄贈 高橋英吉が昭和13年に桂の板に彫ったレリーフ「羅漢像」が19日、石巻市に寄贈された。 贈ったのは同市中央で理髪業を営む磯田義男さん(80)。かつて英吉の実家の水産加工会社に勤めていた兄が、「潮音」の文展表彰式で着用する礼装を英吉に貸したお礼でもらった作品の一つという。当時、東京に住んでいた磯田さんは、戦災にあい「天平人形」などを焼失したが、防空壕に持ち込んだ羅漢像だけが無事だった。 市役所を訪れ、青木市長に作品を手渡した磯田さんは「自分の家のタンスにしまっておいてはもったいない。市に寄付して、大勢の人に見てほしい」と作品が市の宝となることを願った。(昭和56年5月20日)(写真があり、「羅漢像」を青木市長に送る磯田さん)磯田さんの兄が大切にしたこの羅漢像は、どこにあるのだろう。平成になって石巻文化センターに収蔵されたとしたら、津波で被害を受けたのだろうか。石巻博物館収蔵品データベースでは、羅漢像が2つあるが、材質がそれぞれ檜、欅とある。記事には桂の板とあるので、違うのかもしれない。■関連する過去の記事 高橋英吉の名作(2012年11月27日) 高橋英吉と幸子さんの父娘展(10年3月12日) 悲劇の天才彫刻家 高橋英吉(10年1月24日)
2026.06.01
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