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死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。最近のものになればなるほど、シビアな観方になってしまう気がする。期待していましたが、語りつくされた感のある、青春ロードムービーでした。いい作品だけれど、死ぬまでに観ておくべきとまではいえない気がします。幼なじみのフリオ(ベルナル)とテノッチ(ルナ)は17歳の高校生。エネルギーを持て余し気味の二人が考えることといえばセックスのことばかり。なのにガールフレンドたちは旅行へ出かけてしまう。暇を持て余していたある日。親戚の結婚式で二人は年上の女性ルイサ(ベルドゥ)と知り合う。彼女をドライブに誘うため、“天国の口”という在りもしないビーチの名を口にする二人だったが・・・。数日後、夫の浮気を知ったルイサは、テノッチの元に電話を掛け、二人と共にビーチを目指して旅に出るのだった。メキシコの裕福な家庭に焦点をあてています。もしかしたら本国ではアイドル映画的なものだったのかもしれませんね。フリオとテノッチが誘ったのは、テノッチの従兄の妻ルイザ。彼女は、病院でなにか深刻な診断を受け、その上、夫の浮気を知り、人知れず傷ついたまま旅は始まります。彼女は病気らしい・・・。けれどもそれは、最後まで明かされることはありません。ルイザが旅先から、電話で夫に別れを告げるのは、なにも浮気を苦にしてのことじゃない。どんなワケにしろ、死期が迫っていることは、自然と彼女の涙が教えてくれます。誰にも何も告げずに、潔く生きている彼女は美しく逞しい。青年たちの青春物語に見えるけれど、実際はルイザが主人公ともとれます。死にそうな人がセックスに悩むことはなく。生命力盛んだからこそ、セックスに悩む。青年たちから、彼女はエネルギーをチャージして精神のバランスを保って、最後まで気丈に過ごせたのでしょうか。痛みがわからない幼さが、救いになることもある。同情されることなくいられたのも、きっと救いだったのでしょう。彼らは単純だけど、未来がある。その未来が、実はすごく冴えなくて、つまらない大人になりかけたときの再会は胸に痛かったけれど・・・。青過ぎる青年たちの性と、大人の女の性。その違いも見所といえるのではないでしょうか。だたひと時の、一瞬の輝きが眩しかった。心に響いてくるものは少なかったけれど、この眩しさだけは、懐かしくそして素敵です。監督 アルフォンソ・キュアロン 脚本 アルフォンソ・キュアロン カルロス・キュアロン 撮影 エマニュエル・ルベツキ 出演 ガエル・ガルシア・ベルナル ディエゴ・ルナ マリベル・ベルドゥ フアン・カルロス・レモリーナ アナ・ロペス・メルカード (カラー/106分/メキシコ/Y TU MAMA TAMBIEN)
2008.04.30
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映画史に残る有名なタイトル、初鑑賞でした。本国出身の監督、ウォルフガング・ペーターゼンは、ハリウッドで大作を撮り続けていますが、本作はTVシリーズとして放送していたドラマが元になっているそうです。この迫力はすごいですね~艦内を無尽に駆け巡るカメラと、ハリウッド大作とはまた一味違った、迫力ある映像の数々が素晴らしかった。死への恐怖、戦争の虚しさを、派手な演出の先にじっくりと感じることができました。密室、水圧、深海・・・潜水艦ものは独特な怖さのあるもの。この手のドキドキに慣れはありません。斬新に思えるカットが多々ありましたが、斬新というよりは懐かしいのかもしれません。最近あまり見慣れない、立派さ。骨太で重厚なドラマでした。当時のドイツ軍がどうであったという批判は、本作には無意味。どの国でも、戦争は理不尽に人を死なせていったことに変わりなく。この虚しさは普遍。地獄のような潜水艦から脱出して、陸へ帰ることを切望しながら、懸命に生き延びた彼らが見たものは・・・。海上となんら変わらない、地獄のつづき。おなじく戦場なのでした。娯楽としても、反戦映画としても、とてもいい映画です。(あらすじ)第二次大戦下、基地を出航したドイツの潜水艦U-96の過酷な戦いを描く。余談ですが、当時、潜水艦の中はかなり臭かったでしょうね~体臭や諸々、きっと強烈だったのではないでしょうか。臭いまで感じてきそうな良作に、ふとそんなこと思いました。こちらも死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。監督・脚本 ウォルフガング・ペーターゼン 原作 ロータル=ギュンター・ブーフハイム 撮影 ヨスト・ヴァカーノ 音楽 クラウス・ドルディンガー 出演 ユルゲン・プロフノウ ヘルベルト・グリューネマイヤー クラウス・ヴェンネマン ベルント・タウバー マルチン・ゼメルロッゲ クロード=オリヴィエ・ルドルフ (カラー/135分/西ドイツ/DAS BOOT)
2008.04.28
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アン・リーといえば、昨年、大胆な性描写が論議を醸した『ラスト、コーション』や、沢山の賞を受賞した『ブロークバック・マウンテン』が記憶に新しい方も多いと思います。まだどちらも未見だけれど、両方ぜひ観たいと思っています。本作は、リー監督のデビュー作。 太極拳の師匠、朱老人は、息子夫婦を訪ねてニューヨークへ来るが、息子の嫁マーサはアメリカ人。言葉も通じず、食事も違って気まずくなるばかり。心安らぐのはチャイナタウンで太極拳を教える時だけという朱老人に、息子のアレックスは父の第二の人生を応援しようと、恋のお膳立てをするのだが・・・。『春にして君を想う』に続いて、同じようなテーマを持った作品です。べつに、老後の生活を考えて悩んでいるわけではありませんよ。老後を自分らしく生きる場所がない、場所はあっても居場所がない。そんな主人公の朱老人と息子一家のドラマ。息子の嫁マーサは作家の卵です。家族が出かけた後、家に残された義父とふたり、重苦しい沈黙のなか、執筆ははかどらなくなっていました。生活習慣の違いと、言葉が通じないイライラ。仕事場と繋がった居間で、太極拳をしたり、ビデオを観たり閉じこもり気味の義父へ、苛立ちは募るばかり。マーサの切実な苦悩はありありと感じられるけれど、父親だって居場所がないことやアメリカでの暮らしに合わないことを、静かに悩んでいます。ふたりの間に立っていつも板ばさみの息子は、さらに苦しい立場にいて、どちらの思いも汲みながら愚痴を聞いたり通訳したりで、ついには大爆発する時を迎えてしまうのです―――配偶者の親と暮すこと、私には経験ありませんが、その苦労は想像するにやすいです。誰も正論で、どの苛立ちもごもっともで、まったく我慢をしていないわけじゃないのが、なお辛い。一昔前には、どんな風でも家族みんな一緒に暮すのが当然だったのかもしれませんが、現代は違う。すっかり生き方が変わってしまって、欧米化してきて、民主主義といいながら個人の自由を優先してしまいがちなのかもしれません。自分の生き方を曲げたり変えたりなんて、私もきっとできません。このお話の朱老人だってそう、70歳になってアメリカへ渡ってはきたけれど、ここの暮らしにチェンジすることは不可能なのです。結論は別居するしか方法がなく。可愛い孫とも離れ、中華街のマンションでひとり暮らし始めるのでした。太極拳教室をまた開き、教室を通じて知り合った未亡人・陳夫人と共に、第二の人生を歩み始めようというラストシーンには、希望はあるけど、息子夫婦との歩み寄りはない。父親を受け入れる決意をし、新しく広い家に越した息子は、きっとまだそのことを知らないけれど、どちらにしても、互いに心が楽なのは離れていることだというのが、淋しい。この結論にたどり着くまでに、おじいちゃんは自慢の太極拳で警察沙汰を起こしたり、恋をしたり、散歩に出たまま迷子になったり・・・紆余曲折いろんなエピソードが描かれています。デビュー作とは思えないくらい、巧くまとまった、良質な作品となっていました。もしかしたらこの映画は、台湾からアメリカへやってきた監督の思いも込められているのではないでしょうか。老人が話す台詞「アメリカのアニメは暴力的だ」「バランスのとれた食事が大事だ」「子どもに甘い」・・・などなど。監督自身も、たぶんカルチャーショックで苦労した人なのかも知れませんね。 監督 アン・リー 脚本 アン・リー ジェームズ・シェイマス 撮影 ジョン・リン 音楽 チュイ・シャオソン 出演 ラン・シャン ワン・ボー・チャオ ワン・ライ デブ・スナイダー (カラー/108分/台湾=アメリカ合作/PUSHING HANDS)
2008.04.23
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ほんとうにじんわりと心に染む、いい映画でした。アイスランドの雄大で厳しい自然は神々しく、神はキリストであっても、自然に宿る存在の感覚は、自分の持っているものと同じ。老人が静かに、死へ向かって動き出す物語でした―――。悲壮感でいっぱいでも、幻想と現実を行き来しながら、限りなく天界へと近づいていくような、不思議な死の姿。『ベルリン・天使の詩』のブルーノ・ガンツが登場することで、天使という不可思議なものが、見事に映像となってラストに深い感慨を残していました。農場を捨て、娘のもとへ身を寄せるも断られ、老人ホームへ入所することになるゲイリ。そこには驚く事に幼なじみで恋をしていた女性ステラがいました。故郷で死にたい――そう呟く彼女の望みを叶えようと、ゲイリはステラを連れてホームから脱走するのです。買ったばかりのスニーカーを履いて、盗んだジープに乗って、願いは故郷での死、ただそれだけ。望郷の念に支えられ、アイスランドの幻想的な風景の中を逃避行する二人の老人が、あまりに美しくてハッとさせられました。死を描くぶん、生の輝きも違います。幻想の中に迷い混む時、半分は天国へ足を踏み入れているのかもしれない。不思議な出来事も、国中で目撃される彼らのジープも、現実にたしかにふたりは存在しているけれど、ときに魂は肉体を離れ、故郷を目指していたのかもしれません。海辺の村に辿りつき、懐かしい風景に心身ともに癒されていく二人には、もうなにも望むものはありません。過去を思い出しながら、その人生のすべてを思い出しながら、静かに最期の時を迎えるだけ。人の気配ない国の果てで、彼らが身を寄せた民家も、先に逝ったステラを葬る教会も、異様な真新しさでした。それは、まさに現実とは違う異世界での出来事のようです。ひとりになってしまったゲイリは、最期の力を振り絞り、命尽きるまで村を歩きます。海辺を歩き、死に場所となる廃墟へと辿り着くまでの長回しが、じんと心に染み入りました。高齢化社会、老人をたくさん抱えた国の問題は、これからもっと膨らんでいくのでしょう。ハリウッドでリメイクが決まったという、お気に入りのトルナトーレ監督作品『みんな元気』を思い出しました。まったく違った切り口の作品だけれど、子どもたちにさえ邪魔にされてしまう老人の悲哀が悲しい。90分に満たない小品でしたが、とても素晴らしい作品でした。音楽はなく賛美歌が響いて心を洗ってくれました。アイスランドの大地の魅力ももちろんあるけれど、全体に満ちている気とか魂とか神秘が、胸を揺さぶりました。最後に、印象深かったゲイリの台詞。「どの道を行き来するかは どの人生を選ぶかによる」 監督 フリドリック・トール・フリドリクソン 製作 フリドリック・トール・フリドリクソン ウォルフガング・ブファイファー スクーレ・エリクセン 脚本 フリドリック・トール・フリドリクソン エイナル・マオル・グドゥムンソン 撮影 アリ・クリスティンソン 音楽 ヒルマル・オルン・ヒルマルソン 出演 ギスリ・ハルドルソン シグリドゥル・ハーガリン ルーリク・ハラルドソン ワルゲルドゥル・ダーン・ソウルラウクル ブルーノ・ガンツ (カラー/85分/アイスランド=ドイツ=ノルウェー合作/CHILDREN OF NATURE)
2008.04.21
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オムニバス映画は、時間が経つと印象が薄れていきがち。サブタイトルと中身が一致しなくなり思い出しにくくなるのが残念ですが好きです。最近観た『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、監督がジャームッシュひとりということもあってか、とても楽しく、残りそうな予感。パリの街をテーマに、世界の名だたる監督たちがパリで撮り上げた本作も、残りそうな予感がします。テーマが明確だからこそ、良いのかもしれない。1編およそ5分、18本の短編集。詳しい内容は、お世話になっているracquoさんが、先日一篇ずつ素晴らしい感想をアップされていたので、勝手ながらリンクさせていただきました。私は手抜きで、好きな作品の順番だけ書いておきます。 すごく大雑把。7.「バスティーユ」 流石、コイシェ監督!語り口も巧い!17.「カルチェラタン」 ジーナ好きの私にはツボでした。カサヴェテス・ファミリーは好みです。15.「ペール・ラシェーズ墓地」 笑える、テンポがいい。内容がすごく好き。1.「モンマルトル」 静かで、シチュエーションもカメラも素敵でした。始まりに相応しい。5.「16区から遠く離れて」 胸が痛くなる、地味だけれど名編だと思います。11.「デ・ザンファン・ルージュ地区」 やっぱり女優さんが素敵だった。その雰囲気だけでも。2.「セーヌ河岸」 これぞ短編という感じで、爽やかで、うわべだけじゃない希望が見えた。16.「フォブール・サ・ドニ」 このスピード感にティクヴァ監督を感じました。文句なしにいい話、上手。4.「チュイルリー」 なんとなく楽しい気分になる。ブシェーミのせい?たしかにどこの地下鉄でもよさそうだ。9.「エッフェル塔」 好きです。道化とはちょっと違うけれど、人の心を和ませる動きができる、その体に。13.「ピガール」 役者さんに圧倒される。爽やかな感じもいい。12.「お祭り広場」ありがちだと思ってしまったけれど、中身はとても良かった18.「14区」 好きでも嫌いでもない。後の下はあまり変わらないくらいなので、この辺に。3.「マレ地区」 雰囲気はいいけれど。ピンとこなかった8.「ヴィクトワール広場」 ありがちだと感じて。ビノシュは素敵なんだけど・・6.「ショワジー門」 カメラや美は流石。でも中身は・・・10.「モンソー公園」 俳優さんが苦手なのと、内容もまた・・14.「マドレーヌ界隈」 短編でこういうのはどうだろう20区、20篇の短編となるはずだったようですが、本編には18篇のみとなっています。残りの2作品、レンタルDVDには収録されていないようです。監督 ブリュノ・ポダリデス 「モンマルトル」 グリンダ・チャーダ 「セーヌ河岸」 ガス・ヴァン・サント 「マレ地区」 ジョエル・コーエン イーサン・コーエン 「チュイルリー」 ウォルター・サレス ダニエラ・トマス「16区から遠く離れて」 クリストファー・ドイル 「ショワジー門」 イザベル・コイシェ 「バスティーユ」 諏訪敦彦 「ヴィクトワール広場」 シルヴァン・ショメ 「エッフェル塔」 アルフォンソ・キュアロン 「モンソー公園」 オリヴィエ・アサイヤス 「デ・ザンファン・ルージュ地区」 オリヴァー・シュミッツ 「お祭り広場」 リチャード・ラグラヴェネーズ 「ピガール」 ヴィンチェンゾ・ナタリ 「マドレーヌ界隈」 ウェス・クレイヴン 「ペール・ラシェーズ墓地」 トム・ティクヴァ 「フォブール・サ・ドニ」 フレデリック・オービュルタン ジェラール・ドパルデュー 「カルチェラタン」 アレクサンダー・ペイン 「14区」 製作 エマニュエル・ベンビイ クローディー・オサール (カラー/120分/フランス=ドイツ=リヒテンシュタイン=スイス合作)
2008.04.20
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『ルナシー』に続くヤン・シュヴァンクマイエル監督作品。アニメと実写を組み合わせ、チェコの民話オテサーネクを映画化した異色のダーク・ファンタジー。 子供のできない妻を慰めるため、ホラーク(ハルトゥル)は木の切り株で赤ん坊を作る。妻(ジルコヴァ)はたいそう喜んで、人形を育てはじめた。やがて生命を持ったオテークはみるみる大きくなり、いろいろなものを食べ尽くしていく・・・・。一家の向かいに住んでいる読書好きの少女アルジュビェトカ(アダムコヴァ)だけは、その異変に気づくのだった。『ルナシー』の5年前といえども、まだ不器用さがあり、それでいてかなりのインパクトでした。ともすると、安っぽいホラーに成り下がってしまいそうな、ギリギリのところ。シュヴァンクマイエル作品を観ようという人は限られているはずなので、ファンにはウケが良く、世界観は好まれて高評価となるのでしょう。 アニメーションとコマ撮りと実写を合わせた異色作。チェコに伝わる民謡が下敷きとなっています。昔噺は「怖く、真理があり、現代社会に大切なことを教えてくれる――」と書いていたのは河合隼雄さん。真理はともかく、昔噺の魅力はしっかり伝わる、怖ろしくて可笑しなお話でした。絵本は子どもの読み物だとばかにすることなかれ、です。ホラーク夫妻に、子どもができたと知ったアルジュビェトカは不信感でいっぱい。今まで子宝に恵まれなかった奥さんの不自然な妊娠、ついで早産で生まれた赤ん坊オテークは、なんだか様子がおかしいのです。一向に人前に姿を現さない赤ちゃんと、毎日山のように食料を買い込む奥さん。どうしても絵本『オテサーネク』と重なるのでした。その内容とは、子どものいない夫婦は切株で作った赤ちゃんを育てました。オテサーネクはいろんなものを食べつくし、しまいには夫婦まで食べられてしまいました。というもの。実際に隣家で起こっていることは、まさに絵本のとおり。気の狂いかけた妻が、気休めの切り株人形を本物の赤ん坊として育て始めるのです。命を吹き込まれた切り株はぐんぐん成長していきます。溺愛する彼女の狂気はエスカレートし、切り株オテークの成長もエスカレートし、ついには飼い猫も郵便配達人も、み~んな食べつくしていくのでした・・・・。食べる行為の不快な描写と、御伽噺という子供向けと思われている媒体であるからこその不気味さが相まって、不思議な魅力を放っています。それでもB級ホラーに限りなく近く、独自の哲学や深みがなかったのは残念。(あったけど、気づかなかったのかも)『ルナシー』の見応えには及びませんでしたが面白かった!わざと観客を不快にさせる作品も、キライではないです。 監督・原案・脚本 ヤン・シュヴァンクマイエル 撮影 ユライ・ガルヴァーネク 出演 ヴェロニカ・ジルコヴァ ヤン・ハルトゥル ヤロスラヴァ・クレチュメロヴァ パヴェル・ノーヴィ クリスティーナ・アダムコヴァ ダグマル・ストリブルナ (カラー/132分/チェコ=イギリス合作/OTESANEK)
2008.04.16
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『サテリコン』に続き、フェリーニのローマ三部作のうちの一作。誰もが、決して甘い生活とはいえない、苦くも生き生きとした人生を謳歌している。自殺未遂する女、ジャーナリストの主人公、パパラッチの集団、女優に道化。みんなが生き、そして、奇跡を待っている。ブルジョアであっても、庶民であっても、苦労はどこにだってある。当時のイタリアを知っていれば、より楽しめたのかもしれない作品だった。フェリーニ映画の人々はやはり魅力的。3時間という長尺だけは玉に瑕。ダラリとだらけて、夜が過ぎて行く。出逢って別れて恋をして、青春が過ぎていく。映画解説で見つけた都会のデカダンという言葉、このひと言にすべて集約されているような作品だった。友人スタイナー一家の出来事が印象的。家庭を築き、幸せで知的な暮しを営んでいたはずのスタイナーが、突然、子どもたちを巻き添えに自殺を遂げてしまう・・・。一度は真剣に羨んだ落ち着いた生活さえ、絶望するような未来が待っているだけなのだ。諦めたように狂乱の夜を過ごすマルチェロは、夜明けの海で、カフェで働いていた少女と再会する。その言葉は、波の音にかき消されて聴こえない。言葉の伝わらない、ただ意識だけが、しじまで交差する。都会の孤独、ギラギラ輝いた暮らし、生の謳歌がにわかに希望を灯す。主人公を演じたマストロヤンニは、若かりし頃からずっと、素敵なまま。フェリーニの分身を務め続けたそうだ。純粋でポジティブな生を感じる作品だった。このニーノ・ロータの音楽は本当に素晴らしい! (あらすじ)しがないゴシップ記者のマルチェロは、作家志望の男。同棲相手がいながら、富豪の娘マッダレーナ(A・エーメ)やハリウッドのグラマー女優(A・エクバーグ)とも、次々恋に落ちていく。恋に仕事に狂乱に――。かくして変わらぬ朝が待っているのだった。監督 フェデリコ・フェリーニ 製作 ジュゼッペ・アマト アンジェロ・リッツォーリ 脚本 フェデリコ・フェリーニ エンニオ・フライアーノ トゥリオ・ピネッリ ブルネッロ・ロンディ 撮影 オテッロ・マルテッリ 音楽 ニーノ・ロータ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ アニタ・エクバーグ アヌーク・エーメ バーバラ・スティール ナディア・グレイ ラウラ・ベッティ イヴォンヌ・フルノー (モノクロ/167分/イタリア=フランス/LA DOLCE VITA)
2008.04.11
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フェリーニ作品にはわからないものもあるけれど、全体を考えると好きです。ローマ三部作といわれるの中のひとつ。原作はネロ帝に寵愛されたという、ペトロニウスの『サテュリコン』。 古代ローマ。快楽主義の学生エンコルピオ(ポター)は、親友アシルト(ケラー)と一人の美少年を争って破れる。その後、彼が経験するローマの退廃と堕落の遍歴譚。酒池肉林の宴、男同士の結婚、屍肉を食らえと遺言する老詩人の物語など、異様なキャラクターが登場する。精神世界を描いても、放蕩や狂乱を描いても、純粋さがあるフェリーニ監督。退廃的な中にも、ユーモアや柔らかさがあります。グロテスクで辛辣なところは、同じイタリアのパゾリーニ作品と共通した面を感じましたが、この純粋さだけは、他の監督にもない種類のものではないでしょうか。 ローマの退廃と、芸術と、色彩の饗宴。そこで繰り広げられるおぞましい様さえ、惹かれずにはいられない、好感を持たずにはいられない、そんな映画でした。壮大なセットと美術にかかった労力を思うと、溜め息がでます。どのカットをとってみても既成のものはない、すべて造り上げたもの。それがあまりに素晴らしいので、目が離せません。一つひとつ見事なセットが、言いようのない存在で迫ってきて、堪能する前に、また次の芸術が現れてくるようでした。壮大なセットさえも、フェリーニ作品は壊しまう・・。思い切りの良さは、感嘆したり圧倒されるばかりです。壊すという行為は、きっといろんな意味が含まれているのでしょう。壊すからこそ、ただ落胆させてはおかない、仄かな希望が生まれる。多くのロードムービーが、海に行き着くことで再生を意味するのと似ているように感じます。 主人公エンコルピオが経験することは、あらすじのままに、不健康で壮絶です。このごろ、偶然にか必然にか、内面にも外面にも強烈な映画ばかり観ていますが、シュバンクマイエルの『ルナシー』も、パゾリーニ作品も、異質な世界に抛りこまれて、その先は自分次第だけれど、フェリーニの描く世界には幻想という救いが残されているようです。だから親しみが湧いてくる。 主人公が辿る不可思議な道。途中で彼は、ふたりの詩人と出会います。ひとりは貧しくも、真の詩人。もうひとりは見せかけの詩で、私腹を肥やす偽の詩人。貧しい詩人は主人公に知を与え、真実の言葉(詩)を遺して逝きますが、見せかけの詩人は享楽に溺れ放蕩三昧。突然死んだフリを決め込む件は、『ルナシー』の侯爵と重なりました。神の真似事なのか、不謹慎な行い。人でなしを地でいく者たちがたくさん登場します。その真似事の葬儀で聴こえてくるのは、なんと仏教のお経でした。全体に様々な要素が詰め込まれた、猥雑でありグローバルな面白さ。若者たちの彫刻のような肉体美は見所。驚くほど強烈なインパクトある作品。こちらも死ぬまでに観たい映画1001本に選ばれています。イタリア語、ギリシャ語、その他の言語も使用されているようですが、字幕がつくのはイタリア語のみ。自然と謎めいた印象も残りました。監督 フェデリコ・フェリーニ Federico Fellini 製作 アルベルト・グリマルディ 脚本 フェデリコ・フェリーニ ベルナルディーノ・ザッポーニ 撮影 ジュゼッペ・ロトゥンノ 音楽 ニーノ・ロータ 出演 マーティン・ポッター ハイラム・ケラー サルヴォ・ランドーネ キャプシーヌ (カラー/125分/FELLINI-SATYRICON)
2008.04.09
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やっと観ることができたヤン・シュヴァンクマイエル作品。エドガー・アラン・ポーに敬意を払いつつ、マルキ・ド・サドを取り入れたという、哲学ホラー。 とある精神病院を舞台に、真の自由と抑圧の相克の中で、主人公が体験する狂気の世界を、実写とアニメを駆使して描く―――。冒頭から、これはホラーであり、ホラーならではの落胆を届ける――という監督自身の解説があります。ギリシャ神話のナルキッソスを持ち出し、芸術性はないと説く。自己満足で、広告的な部分だけが残った、と。そこまで言うけれど、それは謙遜のしすぎではないでしょうか。確かに物語性はないけれど、視覚に訴えるものは大きい。監督が作品を通して挑戦しているのは触覚の芸術だそうですが、匂いも手触りもわからない映画は、それとは反対の媒体のはずです。でもあえてそれを選ぶのは、やはり挑戦なのかもしれないし、絵や作品をアニメーションとして動かしたい・命を吹き込みたいという衝動なのかもしれません。 精神病院で母親を亡くしたベルロ(リシュカ)は、その夜から、拘束服を持って襲ってくる看守の悪夢にうなされます。翌日、病院から自宅に戻る途中で知り合った侯爵(トジースカ)に気に入られたベルロは、彼の城へと招待され一夜を過ごすのですが・・・。奇妙な城で夜ごと行われている、自由主義を唱える禁断の儀式。神への冒涜。慌てて逃げ出そうとするベルロは、これが犯罪であるとしてなにが問題か! そう怒鳴る侯爵に抗うことができません。 神をキエラ(幻想)と呼び、イエス像に釘を無数に打ち込む侯爵の姿は、監督自らの投影なのかもしれません。神は不完全な人間を作り、苦悩する姿を見て楽しんでいる・・・云々。延々続くこれらの暴言は、キリスト教文化圏ではどう取られるのでしょう。チェコでは、58%の人が無宗教であるそうなので、自分と変わらない程度の捉え方、影響力と思って差し支えないのでしょうか。散々怒鳴り散らした後、突然息を引き取る侯爵。ベルロは執事とともに、地下へ遺体を埋葬しました。そうして迎えた、疲労しきった朝。彼の前に現れたのは、ピンピンとした侯爵の姿!じつは死んだフリをしていただけで、何もかも精神病院でのセラピーであるというのです。毎夜の悪夢を治すという名目で、ベルロはその精神病院へと、連れて行かれるのでした。病院での出来事はなにもかもが倒錯しています。医者も患者も侯爵も三つ巴になって狂気と化した世界。そんな中で、美しい看護婦シャルロット(ガイスレロヴァー)だけは正気を保っている(ように見える)。放蕩の道具にされる彼女を救おうと、一人奮闘するベルロ・・・・。しかし実際は、病院は侯爵と偽院長に占拠されていて、本物の医者や看守は地下に監禁され、それを教えた当のシャルロットさえ、純情を演じているだけの、まさに全てが狂気、乱気。間に、動物の肉や目玉や舌が動き回るシーンを幾度も挟み、人間を精肉として描写する手法は、コミカルかつシニカルで、おかしくも恐ろしい世界でした。内的な世界で戯れたことのある人にしか作れない、その世界は、ドップリと浸かってしまえば、自分の精神にまで侵食してきそうな危なさを感じずにいれません。抜け出せなくなりそう。ニーチェの本を読んだときに、ぐらぐらと心のバランスが崩れるのを感じたみたいに、入るな危険的な匂いがプンプンとしていました。結局は、唯一まともに見えてきた主人公さえ精神を病んでいる・・・という定石どおりの筋書きで落ち着く物語。びちゃびちゃという肉の音、食べるシーンの多さ、くちゃくちゃと噛む音、汚さすべて、嫌悪を催さずにいれない断片の寄せ集めとなっています。2005年に製作された本作。この年、妻であり、美術・衣装を担当していたシュヴァンクマイエル氏の良き伴侶エヴァが亡くなり、彼女にとっては遺作となった作品でもあります。・・・・・・・・・・・・・ 監督・原案・脚本/ ヤン・シュヴァンクマイエル 製作/ ヤロミール・カリスタ 撮影/ ユライ・ガルヴァーネク 美術・衣装/ エヴァ・シュヴァンクマイエロヴァー 出演/ パヴェル・リシュカ ヤン・トジースカ アンナ・ガイスレロヴァー ヤロスラフ・ドゥシェク パヴェル・ノーヴィ (カラー/123分/SILENI)
2008.04.07
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ヤン・シュヴァンクマイエルを知ったのは、映画『オテサーネク』でした。気になりながらも劇場へ行けず、ただ今レンタル予約中です。チェコスロヴァキア、プラハ生まれの芸術家。シュルレアリスト、アニメーション作家・映像作家、映画監督でもあります。人形劇が好きだということも、惹かれる理由のひとつかもしれませんが、こちらで紹介されている初期~近年、どの作品も面白いものでした。表現手段は多様に変化していき、ドローイング、フロッタージュ、コラージュ、錯覚主義のオブジェから人形など様々。グロテスクだったりエロティックだったり、一種独特な作品群は、真新しいようで、何処かで観たようでもあり。イタリアのアルチンボルドや、マックス・エルンストが模範となったことを隠しません。 「思いがけない性交」(1997) Jan Svankmajer(1934.9.4~)メディウムドローイングという手法に興味がわきます。メディウムとは霊媒的という意味だそうで、とり憑かれた様に浮かんだイメージを描くことだそう。自分が描きたいと思うときも同じで、わけのわからないものを思うままに描いていることが多いです。そして時にグロテスク。私の頭に浮かんでくるぐちゃぐちゃしたイメージと、シュヴァンクマイエル氏が描いたものとが、なにか共通しているような気がして、勝手に身近に感じた部分もありました。 「アルチンボルド風の頭」(1975) エヴァと共同の絵画=オブジェ(1991)「人形遣いはシャーマンのようなものである」とか、ディズニー批判とか、妙にしっくりときてしまう言葉が多くありました。どこにそれほど惹かれるのか、シュヴァンクマイエル氏の存在は世間的にはいかなるものなのか、今時なぜシュルレアリスト?という疑問は、芸大准教授の布施英利氏の論評が、目から鱗並みにわかりやすく教えてくれていて大助かりでした。こういう解説、私には本当に嬉しいです。布施氏の文章の中で、「シュヴァンクマイエル作品はウンチ」という表現があります。生き物で一番古い歴史をもつのは、食べて排泄する、臓器である。ゆえに臓器の描写も多い。生き物の原点には宇宙があり、その宇宙を、観る者の体内に感じさせることができる人だと、というのです。この人の映画は観る価値がありそうだと、ひしと感じた一冊。まずは2005年製作の『ルナシー』から鑑賞してみます。
2008.04.01
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