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タクシー運転手のフィル(スポール)は、スーパーで働く妻ペニー、老人ホームに勤める娘レイチェル、そして無職の息子ローリーの一家4人で、ロンドンの集合住宅に住み、質素な生活を送っている。家族らしい会話もなく、虚無感を募らせたフィルは、仕事を放ってわずかな逃避行を試みる。が、その間に家族に悲劇が起こっていた―――。 『秘密と嘘』のマイク・リー作品。マイク・リーは今まで『トプシー・ターヴィー』しか観ておらず、それが日本をテーマにした可笑しな感じの作品だっただけに、とても真摯な本作に驚いてしまった。真摯とはいっても、一種突き放したような冷徹な目線があるのも事実。階級社会イギリスの集合住宅を舞台に、独特のリアリティで、低所得者たちの赤裸々な苦悩を描いていく。荒んだ日常にある虚無や侘しさは、観るのもつらくて途中で投げ出したい衝動に駆られる。これはきっとほとんどの人が感じるはずの、辛さだ。親から子へと連鎖する、貧しさやダラしのなさは、もっとも嵌まりたくないものだから。富んでも貧しても、人生における悩みは変わらないはずだけど、貧しいがゆえの苦しさというのは絶対にある。それを目の当たりにして、では何が彼ら一家を救うのか・・・。答えは作品全体で語られているような気がする。愛する気持ち、それ以外にはない。苦しくても生きている意味は、究極には愛する人に必要とされていること、愛それだけ。印象に残るのは、タクシーに乗せた裕福な女性客との会話。高級ホテルへ向う車内で、何不自由ない暮らしでも孤独には苛まれるのだと、フィルは知る。孤独と貧しさは全くの別問題だと。別れ際、女性客がフィルに名を尋ねるシーンが印象的だった。名前を聞くこと=その人の人格を認めること。アイデンティティーのない、名もなきタクシー運転手は、このとき初めて、自分の置かれている危機を乗り越える可能性に気がついたのかもしれない。そのまま無線と携帯の電源を切って、海へ向ったフィルの内心は、沢山の思いが渦巻く。寂れた海の、たとえ静かなシーンでも、すべての思いを吐き出す後半への序章となることがよく表れていた。皺の深く刻まれた妻、肥満した子どもたち、疲れきった顔のフィル。映像からさえ憂鬱さでいっぱい。けどここに、美しい男優も女優もいる必要ない。味のありまくるティモシー・スポールをはじめ、妻を演じたレスリー・マンヴィルなど、マイク・リー作品には欠かせない役者たちが揃っていたそうだ。のめり込ませる自然な演技が好印象だったのは、出来上がった脚本は用意しないという、リー監督のやり方のおかげ。即興の演技はリアルさを倍増させて、激昂したシーンの緊張感は作り物の多くの作品を軽々と凌いでいく。 老人ホ-ムで働くもの静かな娘レイチェルは、わずかな台詞でありながら、家族のドラマにとって大きな存在だった。おじいちゃんほども歳の離れた孤独な同僚に好かれ、情けない父親を優しく見守り、ただ静かに本を読んでいる。壊れた家族の有様を一番よくわかっていたのは彼女。「俺をカス扱いしている・・・・」「してないわ」「でもそう感じるんだ・・・」両親の会話を悲しい気持ちで盗み聞きしていた彼女は、母親に一言告げるのだ。「カス扱い、してるわ」夢も希望も持てなかった家族が、愛の所在を確かめることで再生していく物語。その先に不安を残したことで、リアリティは続く。邦題の「人生は、時々晴れ」そのままに、また雨降りが来て曇り空になる日がくる。でもそこにまた愛があれば、やり直しはきくはず。巨漢の息子ローリーの急病や、裕福な女性客との会話をきっかけとしたように、偶然に出会えれば。現実の世界で、愛を再確認するチャンスに気づけているか、ふと自分の生活を省みたくなる、そんな映画だった。お金なんかなくたって―というのはキレイ事、イヤな世の中だけど、それが真理になってるのだなぁ。監督・脚本 マイク・リー 音楽 アンドリュー・ディクソン 出演 ティモシー・スポール レスリー・マンヴィル アリソン・ガーランド (カラー/128分/イギリス=フランス合作)
2008.07.29
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場末のホテルの一室、フィンチ(スレイター)は彼を捕らえた殺し屋で、無類の映画フリークの毒舌ジム(ティム・アレン)に、窮地を脱する為自身の物語を話し始めるーーー。フィンチは刑務所で知り合ったマイコー(リチャード・ドレイファス)と脱獄し、過去にマイコーが盗んだ大量のダイヤの隠し場所に行こうと計画していた。ところが身を隠すため成りすました死んだタウトという男のせいで、マフィアに命を狙われ始める! 一人娘テスと再会した直後、マイコーはマフィアの銃撃に倒れ・・・残されたフィンチはテスと共に、ダイヤのありかをへと向うのだったがーーー。 夏休み突入してからなかなか更新できず、ご無沙汰しております。小さな家人たちを毎朝ラジオ体操に送り出して、早起きな毎日を過ごしています。久しぶりに映画日記を書こう。今日は最近観た、おすすめ映画の話しを。初めてこの作品を観てから、これほどコンスタントに再見している作品は、私にとって珍しい。ずっとファンだったスレイター主演で、脇を固めるリチャード・ドレイファスもまた大好きな役者。スレイターは悲しいかな、いまでこそ落ちぶれてしまっているけれど、ポツポツと秀作に出演してきた。『薔薇の名前』『忘れられない人』『告発』『トゥルー・ロマンス』。どれも私的に好きな作品だ。1995年『告発』以後、何年間もぱっとしないスレイターの駄作をたくさん観てきて、ようやく待ちに待った良作に巡り会えたのがこちら。内容は上のあらすじどおり、そのまま。何年も前からお付き合いいただいている方は、以前のブログでおすすめしていたのを思い出されるでしょうか。(また)時間軸を入れ替えた、脚本・構成の楽しいサスペンスで、恋愛やコメディも加味される。随所にあるのは、名作ハリウッド映画に関する小ネタに次ぐ小ネタ。引用される台詞、オマージュ、ニュアンス、エッセンス、それらがいつの間にか映画好きな人をホッ~3 と幸せな気分にしている、そんな作品なのだ!監督・脚本のクリス・ヴァー・ヴェルが10年にわたる構想の末に撮りあげたデビュー作。以後、監督した作品はないけれど、今後に期待。少し前の『シルク』を撮ったフランソワ・ジラールという人も『レッド・バイオリン』から9年後にまた撮ったのだ。『クライム&ダイヤモンド』で燃えつきるにはまだ早い。この作品を知らない映画好きな方が、小粋なラストでほんのり心温かくなって、ニヤと笑っていただけたら、嬉しい。そんな映画です。監督・脚本 クリス・ヴァー・ヴェル 音楽 ランディ・エデルマン (カラー/92分)
2008.07.25
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モノクロ映画三連続目。偶然とはといえ、いまの気分が表れているのでしょう。黒澤作品は好きで約半分を観ています。記念すべきデビュー作は、太平洋戦争真っ只中に製作作されました。それなりの尺があったものを、再上映の際に恋愛部分などがカットされ、以後そのフィルムが見つからないという不完全な形でしか、いまではお目にかかれないものとなっています。消えた部分を字幕で補うというのは、映画としてどうなのか。ハテナな面もあるけれど、とりあえず感想を。 明治15年、柔術を志していた三四郎(藤田)は、矢野正五郎(大河内)と出会い柔道の素晴らしさを目の当たりにする。以後、三四郎は矢野を師と仰ぐことに。厳しい修行のおかげでみるみる力をつける三四郎だったが、それはいつしか慢心を生み、やがて宿敵 源之助との決闘へと導かれる運命にあった―――。 柔道といえば、お友達のヤスカイさんから、その奥深さを聞いては感心しているスポーツ。ゆえに興味があるけれど、詳しいルールは知らず生で試合を見たことはありません。それでもオリンピック競技となったJudoとは、まったく別物の柔道が描かれていることは、よく解ります。伝統ある剣術武術は、使い方を間違えば確実に人を死へ追いやる凶器になる。主人公・三四郎もはじめはその扱い方を知らないで、投げ飛ばした相手を殺めてしまいます。(父を殺された娘が三四郎を恨み、復讐を遂げようとするシーンまである。)彼が柔道家としての精神を開眼させるシーンは、かなりのインパクトがありました。がむしゃらに覚えたての技で暴れまわった三四郎は、師匠の逆鱗に触れ、反省を示すため邸の汚い沼に沈み、杭にしがみ付いたまま朝を迎えます。朝日が昇る頃、彼はふと美しい一輪の蓮の花を見て、そして真理を掴むのでした。あまりに神々しく、清らかな精神を表象した幻想的なシーン。とんでもなく身軽な三四郎の肉体的な稽古を見せないでも、観客に彼の実力を知らしめてしまう手腕は素晴らしいですね。流石としかいいようがない。いつの間にか彼は強く、向うところ敵なしになっているのでした。中盤、村井半助(志村)との真剣試合を前に、半助の娘・小夜(轟)に出会い爽やかな恋をする三四郎。カットされた場面も多そうですが、爽やかな馴れ初めは楽しめました。偶然の出会いを重ね、惹かれあっていく描写は微笑ましいもの。命を懸けた一戦に気を揉む小夜と、対決相手がまさしく眼前の小夜の父であると知った三四郎は、ショックを隠し切れませんが、ふたりの命と運命を懸けた試合は幕を開けるのですーーー。息を呑む試合展開にハラハラ、こちらも見所のひとつですね。この件を経て築かれる村井と小夜と三四郎の関係が、とっても良いです。因縁の相手、凄腕の檜垣源之助(月形)とのラストの決闘はなんとも可笑しかった。首絞をめたりして・・・すでに柔道ではない感あり(笑)これはありなのか?と思ううちに終わってしまいます。このシーンこそ柔道経験者のかたに是非を聞いてみたい場面です。(ヤスカイさん、いかがですか)笑。楽しめたデビュー作でした。柔道に対する見方が新しくなったようだし、世界の黒澤はデビュー作からすでにすごい作品をとっていたとわかっただけでも収穫。男気映画、すでに健在です。 監督・脚本 黒澤明 原作 富田常雄 「姿三四郎」 撮影 三村明 音楽 鈴木静一 出演 藤田進 大河内伝次郎 轟夕起子 月形龍之介 志村喬 (モノクロ/80分)
2008.07.21
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探偵に憧れる映写技師のキートンの奮闘を描く。恋する娘の目の前で泥棒の濡れ衣を着せられたキートン。傷心のままの仕事中、うたた寝をして夢を見た。銀幕のなかに入り込んだ彼は、憧れの探偵となって悪漢相手に大活躍をはじめる―――。完成度はそれほど高くないけれど、現代の映画に引き継がれたのだと思うシーンの数々が、驚きの「アハ!」体験をさせてくれそうな作品だった。夢と幻想に溢れた物語は、時代を考えるとすごく斬新。編集をうまく使って、ちょっぴり不思議なシチュエーションを見せてくれる。サイレント特有の音楽も、ひと際粗い画像も、味わい深くて。あと10年もすれば100年前の映画となるのだ!銀幕の中に入るのは、ウディ・アレンが後に『カイロの紫のバラ』で使うことになるファクター。アレンの方は、銀幕のスターがスクリーンから飛び出して・・・という展開だったけれど。同じく不思議な雰囲気のあるまったりとした作品だった。『カイロ~』がやや古風だったのは、この作品に敬意を表していたからかもしれない。ラストで目が覚めて、名探偵としての活躍がすべて夢だったと知り、がっくり肩を落とすキートン。そこへ娘が飛び込んできて、彼への誤解が解けたことを知る。改めて求婚する彼の目には、映写機から流れるスクリーンのラブシーン。愛する人をどうやって抱きしめたらいいのか、銀幕からヒントをもらう不器用な能面ツラのキートンが微笑ましい。監督 バスター・キートン 製作 ジョセフ・M・シェンク 出演 バスター・キートン キャサリン・マクガイア ジョー・キートン (モノクロ・44分)
2008.07.20
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長男を頼って職を求め南部からミラノに出て来た兄弟と母親。家族の葛藤と挫折を描いた名作。長男は同郷の女(カルディナーレ)に夢中で家を省みない。悪に染まった次男シモーネ(サルバトーリ)と堅実な3男ロッコ(ドロン)はボクサーになるが、女ナディア(ジラルド)をめぐり争う。ロッコがチャンプになった夜、次男は女を殺したと告げる。 田舎で父親を亡くしてから、長男を頼って都会にでてきた母親と残る4人兄弟。若者たちの青春の葛藤と愛と嫉妬を、3時間の長尺で描いた家族のドラマ。はじまりは初期のヴィットリオ・デ・シーカを思い出す、そんな庶民の生活の描写から。やがて気づくとヴィスコンティ節になり、悲劇で幕を閉じる。善良だが無関心な長男、悪人となっていく次男シモーネ、しっかりもので誠実な3男ロッコ、平凡な4男、幼さのこる5男。母親はイタリアのごく一般的な肝っ玉母さん。都会ミラノでの新生活の苦悩を、日常から丁寧に綴り、彼らの変化が引き起こす家族の絆の揺らぎを、冷静な眼差しでじっくり描いていく。次男シモーネがダメになるきっかけとなったのは娼婦ナディアとの恋。遊びだった彼女に一方的にのぼせた彼は、ボクシングに必要な禁欲(酒・煙草・女)を守ることができずに、落ちぶれていくのだ。そんな次男とは裏腹に、誠実な3男ロッコはボクシングの道を一度諦め兵役につく。一年後、兵士として訪れていた町で、前科者となっていたナディアと偶然再会し、ふたりは燃えるような恋に落ちる。ナディアは真っ当に生きると誓い、人生で初めての幸せを味わうのだったが―――。 超美形のアラン・ドロンが演じているのは、純粋ないい男、非の打ち所のない主人公だ。ぐれたシモーネでは決して勝つことのできない相手。兵役を終えて戻ったロッコは、みるみるボクシングの腕も上がり、愛するナディアまで手に入れたと知ったとき、シモーネの怒りは爆発し、ロッコの目の前でナディアを手篭めにする狂気に出てしまう。卑劣な兄に彼女を譲ったかたちで、ボクシングの世界に没頭していくロッコと、家にナディアを置き、働きもせず自堕落な生活を送るシモーネはあまりに対照的。愛する人を奪われたのに、なぜロッコは穀潰しの兄に尽くすことができるのだろう。普通ならただでは済まさないし、殴り返すだろうし、許さない。ましてや彼女を譲るなんてありえない選択だった。この展開からも、一筋縄ではいかない、オーソドックスなドラマでないことが窺える。悲しい結末が、ただただ引き寄せられていくのは神話の世界のよう。このあたりが、後の耽美主義に繋がっているのだろうか。結局は最も辛いのはナディアだった。愛するロッコを諦め、人でなしのシモーネの元に戻り、そこから逃げ出して娼婦に戻り、最後には罵ったシモーネに殺されてしまうのだから・・・。それは奇しくも、ロッコがボクシングチャンピオンになった、その日。ミラノにやってきたばかりの頃には想像すらしていなかった、都会での挫折と悲劇。ずっと感じる郷愁の念が、やりきれない物語を切なく彩る。兄弟たちが末の弟に未来を託すシーンが素晴らしい。いつか郷里へ、オリーブ畑が広がる田舎へ帰ってくれよ、と―――。監督 ルキノ・ヴィスコンティ 製作 ゴッフリード・ロンバルド 原作 ジョヴァンニ・テストーリ 脚本 ルキノ・ヴィスコンティ スーゾ・チェッキ・ダミーコ エンリコ・メディオーリ パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ マッシモ・フランチオーザ 音楽 ニーノ・ロータ 出演 アラン・ドロン アニー・ジラルド レナート・サルヴァトーリ クラウディア・カルディナーレ (モノクロ/181分/イタリア=フランス合作)
2008.07.15
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サラリーマン谷口(田口)は謎の集団に子どもを誘拐される。全身怒りに震えた谷口は、彼らを追い詰めたとき、突然肉体が変化し手が銃器と化すのだった・・・! 前作『鉄男』からパワーアップして、磨きがかけられた第2弾。無機質でメタリックで、肉体の極限を描いた本作が生まれたのは、監督が都会のコンクリートジャングルで育ったことと、無関係ではないはず。筋肉を信じ、鋼鉄の強さを信じても、心や記憶に抗えない登場人物たちは、自らもマッチョな肉体を披露している塚本監督の分身のようだった。メタリックさとは裏腹に、妙に人間くさい、トラウマを持った人物が多いのも特徴的。 9歳以前の記憶がないという谷口は、幼い頃、父親から人間銃器となる訓練を受けていた過去がある。幼い弟とふたり、過酷で恐ろしくて、奇天烈な特訓を強制された彼は、ある事件以後、記憶と家族を失うのだった。謎の組織が、彼の脅威の肉体を真似て人間銃器を大量に製造しつつあるなかで、果たして谷口は過去を克服し組織と自分に打ち勝つことができるのか―――。心的外傷の秘密が明かされるラストへ向って、疾走あるのみ。息つく暇もなく、焦燥と苦しみの映像はつづく。この疲労感がたまらない。冒頭から登場する谷口の妻が、中途半端に思えたのは、男気映画の女優といった感じだからだろうか。この頃はまだ女優さんがそれほど魅力的に見えないのだった。存在感がものすごく変化していくのは、のちの作品からなのだ。とおしてカタルシス、この一語に尽きるSFアクション。圧倒的な破壊シーンには、グロさばかりでなく美しい。イギリスではビデオ・チャート1位になったとか。カルトムービーではあるけれど、世間の評価は驚くほどいい。ビジュアルに重きを置いた視覚に訴える作品は、この後の『TOKYO FIST』『バレット・バレエ』くらいまで続くのだった。 監督・脚本・撮影・美術・編集/ 塚本晋也 製作/ 小泉洋 塚本晋也 音楽/ 石川忠 出演/ 田口トモロヲ 塚本晋也 叶岡伸 金守珍 (カラー/83分)
2008.07.14
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以前にもここで書いたような気がするけれど、「好きな場所は?」と聞かれたら、いくつかあるうちで、博物館は上位。映画館も美術館も図書館も好きという、館系(笑)旅先で出会った小さな町の郷土資料館みたいなところにも、ついつい入らずにはいられない性質です。それに負けず劣らずなのが緑の中。山の中。それらが、ここ北大には共存しているから大好き。駅から近いのに、敷地いっぱいに繁る木々、流れる小川を見ていると、街だということを忘れます。いつか『ファーブルにまなぶ』で紹介した場所です。 古い、とにかく古い。130年の歴史があるそうなので、往年の味わいは、展示物ばかりでなく、床からも階段からも手すりからも展示棚からも、すべてから放出されてます。ひんやりとする暗いこの場所に、ただ居るだけで恍惚。好きな場所というのはそんなものです。ただ居るだけで。 3階までの順路を行く道すがら、登る階段の味わい。木です。がっしりしてるけど、低い手すりは危ない(笑) 1万点を越すタイプ標本、展示しきれないものを合わせると400万点に及ぶそう。旧理学部本館が博物館になった今も、いろいろに活用されています。この日は考古学会の集まりが開かれていたようです。 展示を見てる間、開いた窓に雨の音。アスファルトじゃなくて緑の匂いがする、天気雨。緑が生き生きしてきた。(そういえば、洗濯物を外に干してきた。どうやって帰ろうか、傘もなく)仕方なくぼんやり待っていたら雨足が弱くなったので、そのあいだに急いで帰路につきました。
2008.07.12
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グルジア移民の左官屋セバスチャンは、ある日、仕事先の家主が大金を手にする方法があると吹聴しているのを耳にする。しかしその男は不運にも急死してしまい、彼宛の手紙をセバスチャンが横取りした。封筒の中には、パリ行きのチケット。意を決して汽車に飛び乗ったセバスチャンは、何者かに導かれるまま、暗い森の奥に佇む不気味な屋敷へと辿り着くーーー。 ザメッティとはグルジア語の13。フランス=グルジア合作で、監督はグルジア人の新鋭ゲラ・バブルアニ。全編モノクロのスタイリッシュな予告編映像に惹かれて、観たいと思っていました。グルジアという国は馴染みが薄いけれど、きっと監督は斬新なカッコいい映画を作りたかったのでしょう。思惑に適った作品でしたが、とりたてた新しさはありません。この手の映画は常に新しさがあってほしい。左官屋のセバンスチャンは、家族と暮らし、仕事にも真面目で真っ当に生きている青年。ただ彼は移民で、そのことが物語りの大事な要素でもあったようでした。新天地で成功する=お金持ちになる、その思いは少なからずあって、真っ当なりにも持っている欲は、やがて冒険心からとんでもない未来を引き寄せてしまいます。計らずも飛び込んだのは、アンダーグランドな組織的ゲーム。賭けロシアンルーレットでした。人の命を弄び、大金が動く。運だけが彼らの生死を決める。 ロシアンルーレットを扱った映画で思い出すのは『ディア・ハンター』。この名作で怪優?クリストファー・ウォーケン演じた緊迫感でいっぱいの名シーンは忘れられません。戦争映画とサスペンスで趣は違うけれど、ロシアンルーレットという恐ろしく度胸のいるゲームの緊迫感は、描き方はどうあれ映画映えしますね。二人、三人・・・運をなくして死んでいく挑戦者たちの中で、主人公が生き残っていくのは誰しもの予測どおり。目の前の死体は、半時間後のわが身と重なる恐怖。震える手。簡素ながら男たちの見せる極限の演技に目が離せません。確率でいけば、たしかに最後の対決は弾込めすぎ・・・な感もありますが(笑)それゆえうまく決着がついてしまうあたり、もったいない。ラストのオチは早くから読めてしまいますが、最後まで手放しで楽しめる作品ではないでしょうか。導入部にかなり時間を使ったことも、警察の介入も、簡単そうでいて巧いと思う。短く気持ちよく本編をまとめるには、良かったのではないでしょうか。次回作があれば観たい監督になりました。主役を演じたのはその弟さんだそう。監督・製作・脚本 ゲラ・バブルアニ 撮影 タリエル・メリアヴァ 音楽 イースト 出演 ギオルギ・バブルアニ パスカル・ボンガール オーレリアン・ルコワン (モノクロ/93分/フランス=グルジア合作)
2008.07.11
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1993年初版かと思って手に取りましたが、こちらは再刊で、原書は1982年に刊行されたのだそうです。仏教学者・三枝さんと、心理学者・岸田さんの対談集。ふたりの経歴を簡単に眺めてみると、岸田さんはなにかと曰つき?の方のよう。いつか読んだ『ブッダの夢』で、河合隼雄さんと対談した中沢新一さんも同じように我の強い方で、なにかと誤解されそうなイメージを受けた記憶が。お二方とも驚くほど博識なのですが。仏教と精神医学の繋がりは、敬愛する丸美作品のテーマのひとつにもなっています。関連本も多い。精神分析という近年生まれた分野に、仏教が重なるなんてなんとも面白いのです。キリスト教に言及したり、小乗・大乗仏教を、三枝氏に質問するかたちでわかりやすく書いてあったりで面白く読みました。ただ仏教と一言で言ってもあまりに広くて膨大で、関連する書物を読んでみたいと思っても、どこから手をつけたものやら・・・悲しいかな、まったく検討もつきません。そのすべてを達観してらっしゃる三枝氏はじめ仏教学者の方々はなんとすごいのでしょう。朧げに浮かぶ知ってみたい方向は、禅や密教や、どちらかといえば小乗の側なのはわかるけれど、読む行為それだけでさえ難しく、自分のために吸収していける自信がないなァ。それにしても、日本に定着した緩い大乗仏教を知る若者が、仏門に入ろうなんて稀なのじゃないでしょうか。身内が寺を継いでいくほかは、いまや葬式仏教となった日本のそれに魅力を感じることも少ないような気がする。悟りを啓くためなんかじゃなく仕事として僧がいるなら、それこそ空虚な感じ。岸田氏、独自の思想『唯幻論』については、ほんのすこし知りたくなりました。 「人間は本能の壊れた動物である」そうなのかな。わからない。本文中ではなるほどと思うところもあったけど、三枝氏の指摘した一言は離れない。 「(あなたの思想には)“感性”に関する言葉だけが欠けていますね」そうだ。なんだか岸田氏に欠けているように感じるのは感性に関する豊かさとか、そういうものかもしれない。だから中沢新一氏のときみたいに、盲目的に感心を寄せられない人物だったんだろう。知識のなさを補えるのはせめてもの豊かな感性かと思うこの頃。仏教にはユーモアと感性が溢れています。
2008.07.10
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貧しい大学生ミシェルはふとしたきっかけで自分にスリの才能があることを発見する。一度は刑事に捕まったものの、証拠不十分で釈放されると再び悪事に手を染め、やがてその手口は仲間を引き込んだ組織的なものになっていくが―冷淡な大人の映画。淡々として感情やカラーが削がれていて、思わせぶり。若者の疎外感を描きつつも締め付けられはしません。一見しただけではわからない驚くほど凶暴だった『ラルジャン』が、同じく若者の犯罪を描いていて好きだった。あの鋭さを期待すると、ゆるく描かれたこの頃のフランスの犯罪ものは、あまり好みではないかも。スリに手を染めたミシェルは成功するたびクセになっていきます。簡単に金品が手に入り、スリルが病み付きとなり、犯罪者の生活へとずれていく。それを止めようとする友人にも、目をつけた刑事にも構うことなく、根暗な主人公はプロのスリになります。自分の存在は特別だ、秀でた才能を持つものは盗みをしていい、そんな自惚れた自説を持つミシェルは、仲間から技の手ほどきを受けて、見る間に上達した手口で見事なスリを繰り広げていくのですが・・・。当のミシェルは一向に満たされる気配がありません。この無気力、当時のパリの潮流でしょうか。病床の母さえ顧みることなく、無味乾燥とした描き方です。実家の隣りに住む女性と知り合うけれど、孤独で寂しげな二人は似たもの同士で、惹かれても未来は描けず、恋心は凍結したまま。再会を経て、改心して、幸せの在り処を知った瞬間にもそこに体温はないのでした。犯罪哲学を謳う独白形式も単なるジェスチャー。この荒んだ生活に魅力はありません。どこを見て楽しむべきかわからないままのTHE END。ただスリの手口を、大胆なアップとカット割で、流れるように演出した多くのシーンは印象に残ります。そこが見所といえばいえる。監督・脚本 ロベール・ブレッソン 撮影 レオンス=アンリ・ビュレル 音楽 ジャン・バディスト・リュリ 出演 ピエール・レマリ マルタン・ラサール マリカ・グリーン ピエール・エテックス (モノクロ/76分)
2008.07.09
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先週の土曜に、毎年7月札幌を中心に開催されるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)へ行ってきました。札幌芸術の森・野外ステージにて。去年は、フェスの後半にあるピクニックコンサートの日記を書きました。今年は開会式からまず足を向けてみましたよ例の如く遅刻で、オープニングのファンファーレ、開会宣言、アーティストの挨拶紹介などには間に合わず。PMFウィーンの演奏の途中で会場に到着。芝生の最後列近くに場所をとって、ほんの少しの木の日陰にすがりつくように、晴天30℃の野外で演奏を聴きました。曲目はPMFオーケストラによる グリンカ:歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲 チャイコフスキー:『白鳥の湖』ワルツ マルケス:『ダンツォン』第2番 J・ウィリアムズ『スター・ウォーズ・エピソード4』 ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』第4楽章マルケスの『ダンツォン』が良かったんだけど、著名な作曲家ではないみたい。曲が気に入ってもCDは手には入らないかな。『スター・ウォーズ』はオケでは初めて生で聴きました。ただこの曲が一番アブなっかしく、わかりやすいだけにミスも目だってしまう感じ。弦楽器は多少誤魔化せても、金管はそうはいかないもんね。5000人の超満員で賑やかな一日でした。ちょうどサミット時期というのもありますね。海外からの観光客もとても多い。PMFメンバーの親族や友だちだったりするのかな。ちなみに私のすぐ後ろで聴いていた家族は中国の方。芝生で寝転んだりビール飲んだりしながら自由に聴くので、子どもたちもけっこう自由にしています。一家の幼い少年が、はしゃいで転んで私に激突してきましたよ(笑)次はなにを聴きにいこう。ピクニック・コンサートは絶対行きたいです
2008.07.05
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友人との共同経営の事業が上手くいっていないキートンは、ある時、祖父の遺産の700万ドルを受け取ることに。喜ぶ彼らでしたが、しかしそれには条件がひとつ。27回目の誕生日、午後7時までに伴侶を得ていなければならないというのです!遺産を逃すまいと、一年間想いを告げられずにいた娘にプロポーズするキートンですがーーー。 冒頭からどこかで観たことあるシチュエーションだと思ったら、‘99年のラブコメ『プロポーズ』はこちらをリメイクしたものだったのですね。オチは同じでも、俄然オリジナルは見応えたっぷりです。笑わない、体を張った演技は神業映像の連続。仕事運に恵まれず、チャップリンより遥かに無名なキートンですが、彼のモノクロに映える顔立ちと、体当たりな作品が大好きです。CGもなにもない時代、撮影風景を想像すると笑いに対する執念がわかります。すべては努力の賜物。 愛する女性になかなか思いを打ち明けられないで一年を過ごしたキートンが、思わぬ遺産をきっかけに一念発起プロポーズするのですが・・・「誰でもいいから早く!」そんな空気匂わす言葉が癪で、彼女は首を縦に振りません。本当は嬉しかったのに。仕方なく、手当たり次第、目くらめっぽうにプロポーズを始めるキートン。思い余った友人と弁護士は「結婚してくれたら700万ドル。花嫁衣裳で教会へ」そんな新聞広告をうってしまうのでした。大勢の花嫁があちらこちらから湧いてきて、驚き逃げ出す彼を結婚詐欺だ!と追いかけて、大鬼ごっこが始まります。彼女との誤解も解けて、7時までに教会で式を挙げたいのだけれど、野を越え山越え山駆け下り、花嫁たちから逃げる羽目となったキートンは痛快な逃走劇を繰り広げるのでした。これはもう観て楽しむだけ大岩がごろごろ転がるシーンはじめ、どうやって撮影したものかびっくりしてしまうスケールです。無事教会で結ばれるHappy Endingも微笑ましく 時代を超えて残る名編でした。監督 バスター・キートン 原作 ロイ・クーパー・メグルー 脚本 ジーン・ハーベッツ クライド・ブラックマン ジョゼフ・ミッチェル 出演 バスター・キートン ロイ・バーンズ ルス・ドワイヤー
2008.07.02
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『ダ・ヴンチ・コード』を読んでから、作品に宗教的なメッセージや象徴を混ぜ込んでいると知ったディズニー系の作品には、ささやかに抵抗を感じます。最近のアニメーションやディズニーランドには興味なく、1937年の『白雪姫』が一番の傑作だと思っています。本作はもう70年近く前の作品。『ファンタジア2000』として近年リメイクされています。8つの古典音楽にのせて描かれる8つの世界。ミッキー・マウスは魔術師として、デュカスの曲に登場します。収録曲はバッハの『トッカータとフーガ』、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』、デュカスの『魔法使いの弟子』、ストラビンスキーの『春の祭典』、ベートーベンの『交響曲/田園』、ポンキエルリの『ショコンダ』、ムソルグスキーの『はげ山の一夜』、シューベルトの『アヴェ・マリア』。元来ディズニーは楽曲が素晴らしいので、この名曲も含め、子どもたちがクラシックを聴く機会としても使えそうです。後の『メリー・ポピンズ』『ロジャー・ラビット』など、アニメーションと実写の共演する映画が実はあまり好きではないのですが、1940年というこんな昔にすでに、指揮者レオポルド・ストコフスキーとミッキーが共演していたのには驚きでした。影絵を駆使したとはいえ見事な演出。こういった面には脱帽です。たしかに映像は単調で、感激もつかの間、良いものと飽きが来るものと入り混じった2時間でした。好きな楽曲には心踊りますが、睡眠導入剤になりそうな映像もあり、感じ方は人それぞれでしょう。一曲ずつ幕間と解説が入り、オーケストラが映るとき、楽器には原色の照明が当てられ演奏者の顔は闇の中。独特な演出も時代を感じさせつつ、面白いです。私的にはすっかり気に入った「春の祭典」が一等でした。春に湧く大地ではなく、地球の創世記をテーマにした映像もなかなかで、楽しませてもらいました。本作も死ぬまでに観たい1001本いりしています。アニメーション監督 ベン・シャープスティーン 動画監督 ウォード・キンボール 製作 ウォルト・ディズニー 脚本 ジョー・グラント ディック・ヒューマー 音楽 レオポルド・ストコフスキー指揮/フィラデルフィア交響楽団 音楽監督 エドワード・H・プラム (カラー/120分)
2008.07.01
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