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清田区民センターの大ホールで、公開当時から評判の良かった『恋するトマト』(クマインカナバー)を観てきました。すでにDVDになって、レンタルにもある作品です。普段街へ出て劇場で映画を観る機会の少ないだろうご高齢の方も多く、ささやかなシーンで「ほ~」とか「まあ~」とか聞こえてくる感じが楽しかったです。 霞ヶ浦に近い田園地帯に、年老いた両親と暮らしている45歳の独身男性・正男(大地)。農家の長男である彼は、この歳になるまでお見合いでことごとく断られ続けていた。やがて、見かねた農業仲間の紹介でフィリピンパブで働くリバティと、やむなく結婚することになる。しかし、結納金を手にフィリピンへ渡った正男を待っていたのは、結婚詐欺というあまりにも辛い現実だった・・・。構想から10余年という、大地康雄のやむにやまれぬ思いが込められた作品。日本農業の最大の懸案、嫁が来ないことで引き起こされる後継者不足。離農する農家が増え、国内自給率は下がる一方。文化庁のお墨付きを得ているのは、まさに今日本が抱えている深刻な問題だから。 フィリピンで結婚詐欺に合い、心身共にぼろぼろの浮浪者になった正男は、やがてブローカー(女の子たちを買い日本に送る商売)の中田に拾われ、ヤクザな仕事に手を染めていくのでした。ある日、仕事で通りかかったラグーナの村の風景は、捨てたはずの霞ヶ浦周辺に広がる美しい故郷の風景を思い出させます。そして稲刈りに励む人々の中に、何度かレストランで見かけた美しい女性、クリスティナ(アリス・ディクソン)の姿を見つけるのです。借金を背負い、老いた両親を抱え、将来に一握の希望も持てなかった正男が、異国で知った自然に生かされる農業のあり方。大地と共に生きる悦び。そこで出会った最愛の女性との恋を通して、様々な障害を乗り越えて再生していく正男の姿は、リアリティに溢れています。農家を継いだがゆえの苦悩は、描かれたまま真実だと思います。なぜこんな苦労を背負わなければならないのか。その答えは、実際に同じ悩みを抱える農家の人にとって相当に深刻なはずです。正男は大地に根付いた暮らしの魅力を、異国でやっと知ることができました。では、恵みを頂くだけの私には何ができるんだろう。きっとそれは、生産者と食べ物に対する感謝の気持ちを忘れないことだろう。水とお日様と大地に「ありがとう!」「いただきます!」ってしっかり言える心なんだと思います。尊い精神に満ち満ちていて、大地(康雄さんではない)を感じて、原点に戻っていかなければならない思いがしました。生きていくのに必要不可欠なものがなんなのか、見た人それぞれに浮かび上がってくる作品ではないでしょうか。スローモーションだとか、キスシーンのシチュエーションだとか、とにかく多々古臭さがあるのだけれど、ここまで丁寧に思いを込めて作られた作品はあまりない。大地康雄という役者の魅力もさることながら、揺るぎないテーマの立派さにも大満足でした。執念の力作と言うのも過言ではない、良い映画でした。監督 南部英夫 製作総指揮・企画・脚本 大地康雄 原作 小檜山博 『スコール』(集英社刊) 音楽 寺田鉄生 出演 大地康雄 アリス・ティクソン 村田雄浩 ルビー・モレノ アレックス・アルジェンテ アリエル・バルド 藤岡弘、 (カラー/126分)
2008.06.30
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大きなメッセージ性とテーマを持っているオムニバスです。各国の名立たる監督や新鋭を迎えて描く、7つのストーリー。それぞれの国で過酷な生を生きる子供たちの物語は、外面こそ様々だけれど問題は社会全体にあるもの。全体としては力強さが印象的。それは監督から子供たちへのエール。主人公たちは皆、ほとんどが素人の子どもたちでした。演技はたしかに未熟、けれどもその分、瞳の輝きや屈折は本物。素直に受け入れたい7話となっていました。「タンザ」 監督 メディ・カレフ(ルワンダ) アルジェリア生まれの小説家・演出家であるカレフ監督が描くのは、ルワンダのゲリラ部隊の少年たち。機関銃を持ち「自由」を求めて戦う彼らは、その日生きながらえた命を明日へ繋ぐだけ。ある夜、仲間の一人タンザは、時限爆弾を仕掛けろと命令され、標的になる建物に入って行くのですが、そこは憧れの学校。すっかり動揺した彼がとった行動とはーーー。仲間が殺られ、一人欠けた4人で爆撃の標的となる村へと向う道すがら。タンザがある廃屋に入り、ふと壁のレンガを外したシーンが印象的。そこには子供たちが隠したのであろう沢山の宝物がありました。きっとここはタンザの家だった場所なのでしょう。しんみりと憩う一瞬の心の安息は切ないものでした。学校で涙を流した彼の望みは、普通に学校に通えること、ただそれだけなのです。「ブルー・ジプシー」 監督 エミール・クストリッツァ(セルビア・モンテネグロ) 大好きなクストリッツァ。彼の作品では御馴染みのノースモーキング・オーケストラの楽曲にのせて、過酷すぎる少年とその家族の物語を辛辣なユーモアで綴ります。映画と音楽の切れない関係は、ジャームッシュ作品と似ています。映画に流れる音楽が最高に心地良い!それがハッピーばかりじゃなくっても。窃盗団の一家に生まれた15歳のマルヤンは、少年院に収容されている模範生で、間もなく出所を控えていた。塀の中の面々は、近々開かれる送別会の歌の練習に余念がない。本番を迎えた式の最中、盗んだ品物を手土産に、マルヤンにも賑やかな迎えがやってくる。無事家族に引き取られたマルヤンだったが、それは彼に暴力を振るう非情な父との再会と、窃盗を繰り返す日々がやってくることを意味していたーーー。同じ過ちの繰り返しでも、そこに人生の悲喜交々があると、いとおしさを感じてしまう。たとえ悲劇を描いても、クストリッツァ作品にはユーモアと人間らしさがあります。マルヤンが残す苦笑いは、すべてを物語る。マッチを擦っては天井に投げてくっつける悪戯が面白いですね~。この辺ではよくやる悪戯なのかしら。違う映画でもこんなシーン観たような気がしますが、思い出せません。「アメリカのイエスの子ら」 監督 スパイク・リー(アメリカ) ブルックリンに住むブランカは、愛情たっぷりの母と、兵役で負傷し飲んだくれとなった父と三人で暮らしている。そんな彼女の両親は実はHIV感染者で、麻薬常習者、そして自身もHIVに感染していた。最悪の状況にある家族、悩めるブランカ。彼女は、ある保護機関の門を叩くーーー。 リー監督作品は、いつも気持ちが向かず、ほとんど観ていません。本作は良かったです。エイズと真摯に向き合う姿勢が。有名監督になってもまだブルックリンに住んでいるというスパイク・リーは、様々なアメリカの底辺にある暮らしを知っているのでしょう。その上で伝えたいことが、ストレートに描かれています。大きな社会問題となっているエイズ、その父母から生まれたエイズ・ベイビーと呼ばれ、いじめられる子どもたち・・・。計り知れない苦悩と、死の恐怖を、深刻に受け止めた作品でした。演技経験ありというブランカ役のハンナ・ホドソンが、難しい役を好演しています。「ビルーとジョアン」 監督 カティア・ルンド(ブラジル) 『シティ・オブ・ゴッド』のカティア・ルンドによる、貧困街の子供たちの生活。力強く爽快。急速な近代化が進むブラジルの裏側を知っても、湧くのは同情ではありません。逞しさのなかにある無限の可能性。ただその先には、監督が言うように、彼らの生きる手段を駆使しても、成長した社会に参加する手段はないと気づいた時に、彼らはどうなるのだろう・・・そんな真剣な危惧がありました。ビル群が迫り来る貧困街で、どんなに足掻いても、彼らの未来は変わらないのだとしたら。希望や夢はいつか持てなくなってしまうのだろうか。イラン映画などでもそうですが、兄弟姉妹たちが互いに支えあう仲のよさには驚かされます。身につまされる思い。あまりに逞しく、生き生き働く立派な彼らから目が離せませんでした。「ジョナサン」 監督 ジョーダン・スコット、リドリー・スコット(イギリス) リドリー・スコットと、その娘ジョーダンによる共同監督作品。フォトジャーナリストのジョナサンは、戦地に赴いた際に受けたショックで幻覚にうなされ、人生にも仕事にも希望を持てずにいた。ある日、森の中から突然子供たちの声が聞こえてきて、その声を追いかけていくうち、自らも少年の姿に戻っていく。到着したのは戦場と化した森。そこで生きる子供たちと過ごすうち、やがて傷が癒され自ら現実世界へと還っていくーーー。とてもわかりにくく、伝わらない部分が多い。7作の中では一番拍子抜けでした。デヴィッド・シューリスの存在の魅力だけが残って、幻想の世界でいかに救われたのかを感じ取ることができませんでした。経済的にも恵まれた国イギリスの、フォトジャーナリストである主人公から、いったい何を伝えたかったのだろうか。ジャーナリズムの必要性?それだけなら好感は持てない作品でした。「チロ」 監督 ステファノ・ヴィネルッソ(イタリア) 金持ちから高級品を盗んで窃盗団に売って暮らしているチロ。家族に愛されず、日々は荒んで、彼の心は虚無感でいっぱいだーーー。冷めきったはずの少年が、遊園地で戯れる幼さ。使い古されてきたオーソドックスな表現方法だけれど、過去の名作へのオマージュだったのかもしれません。イタリアにもまたある暗部。遊園地に灯る電光が、日の沈んで薄暗くなった情景に美しい。真っ暗闇よりも、それは綺麗に映えていました。影と戯れるチロなど、映像がとてもいい。「桑桑(ソンソン)と子猫(シャオマオ)」 監督 ジョン・ウー(中国) 裕福だが、不仲の両親を持つ寂しい桑桑は、母親に怒られお気に入りのフランス人形を車の窓から捨ててしまう。そこに偶然通りかかった貧しい老人が、一緒に暮らす孤児の小猫のためにその人形を持ち帰った。対照的な二人の少女が、人形をきっかけに運命的な出会いをする物語。 すっかりハリウッド監督となったジョン・ウー。7作あるうちで、一番あざとさが見えるのが本作でしたが、それもらしさなのでしょう。ふたりの少女の全く違う苦悩を、光と影のように対比して描く構成は素晴らしいです。短い時間にも、物語の背景がしっかり描きこまれる。貧富の差が激しい中国の問題がそのまま浮き彫りとなっています。経済的に恵まれた桑桑だけれど、より人になにかを与えるのは子猫の方。この構図、かなり深いと思う。与えて幸せになっていく子猫と、余るほど持っていても足りないものがある桑桑。ふたりの少女を越えて、私たちに投げかけられる問いも大きかった。(カラー/イタリア=フランス合作/130分/LES ENFANTS INVISIBLES)
2008.06.29
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第3話 「あるクリスマスに関する物語」 ―主の日を心にとどめ、これを聖とせよ― クリスマス・イブの夜、タクシー運転手のヤヌス(オリブリスキ) は、サンタクロースに扮して子どもたちを喜ばせた後、家族とミサへ行き、良き父を演じていた。ところがそこへ昔の恋人エヴァ(パクルニス)が突然訪ねてくる。夫のエドヴァルトが行方不明になったというのだ。妻に嘘をつき、ヤヌスはエヴァと共に彼を探しを始めるのだが―――。 ヤヌスは新しい家庭を持った今でも、エヴァとの突然の再会に翻弄されます。過去の二人は不倫の関係で、時を経た今さえ、幸せにはなれていません。孤独で満たされていない男女の不毛な関係からは何も生まれない。心から愛を注げないなんて、なんて侘しいのだろう。クリスマス・イブ、人気の少ない街にタクシーを走らせ、病院や駅を探し周ります。そうしているうち観客には、すべてがエヴァの狂言であると知らされますが、ヤヌスはなにも知らないまま、彼女の孤独に踊らされる一夜を過ごすのです。ふたりで暮らしているという部屋に通され、過去の恋の回想に沈んだり、家族を思い出して過ちを避けたり・・・。家族を持ったからといって、人は簡単に変わるわけではありません。過去も現在も、父親としても夫としてもヤヌスは失格です。情けない男。そしてエヴァも、居もしない夫探しを偽って、孤独なイブをやり過ごそうとしただけ。どうしようもない、似たもの同士のふたり。きっといつまでも滞ったまま、それぞれの場所で生きていくのでしょう。周りを騙して、人を心から愛することなく生きる、それはひとりで居るのと同じ。この中年の男女の姿は、あまりにも侘しいものでした。第4話 「ある父と娘に関する物語」 ―あなたの父母を敬え― 演劇学校に通う21歳のアンカ(ビエェインスカ)と父のミハウ(ガヨス)は二人暮らし。ある時、父の出張を見送ったアンカは、‘死んだら開けるように’と記された、自分宛ての父の手紙を取り出す。それは15歳の頃からずっとしまってあったもの。出張の時は、父が必ず持って行ったものだった。ついにアンカは封を開いてしまう―――。この4作目は、とても面白かったです。仲の良い父娘に突如訪れる危機。きっかけは一枚の手紙。父の封筒には、アンカが生まれて5日後に息を引取ったという母親からの手紙が入っていました。父が出張から戻ると、娘の様子がおかしい。彼女は封印されていた母親の手紙を、暗唱してみせるのです。「愛するわが娘へ。あなたの父親は他にいます・・・」父は驚き、生まれて初めて娘に手を上げるのでした。その言葉が意味するのは、父が父でなく、娘が娘でない、赤の他人だということ。突如ひとりの男、ひとりの女として、お互いの姿を見る。そして自分の感情におののくのでした。しかし、うすうすと感じ始めていたのです。娘はひょっとしたら自分の子どもではないと。恋人ができるたびなぜか、父親に対して罪悪感を感じる、と。育てた者と育てられた者、その間に男女間の愛が芽生えるのは、敬愛する佐々木丸美さんの『雪の断章』と同じでした。家族の愛は時として近親 相姦という倒錯した形に陥ることもあるけれど、この作品の中の感情は純粋で、時には神秘的ともえるような予感めいたものもある、どうしようもない想い。どこまでが許される嫉妬で、何処までが尋常な愛情なのか、それは本人にさえわかりません。愛している。それが異性としてなのか、家族愛なのか、区別するのは難しい。いままでずっとかみ殺してきた感情が、突然許容されても、戸惑うばかりで上手く心を見せられない父娘の姿がとても切ないです。面白いのは、開封して怒ったはずの父本人が、読まれることを望んでいたということ。いつも手元に置いていた手紙を、意識して持たずに出張に出たのは、すっかり女性となった娘に対して、なんらかの説明しがたい止められない感情が湧いて、無理にでも親子関係を絶ちたかったからでしょう。母親の手紙の中身は知らなくとも、血の繋がりがないことを不思議な予感で感じていたからに他なりません。解決する答えは、きっともう出ているのでしょう。離れることなどできない深い繋がりがある以上、きっと答えは私の希望的観測どおりであると信じたい。実はこれも、娘の狂言で、母親の手紙は開かれてはいないのです。事実は闇に葬られ、親子関係の有無も闇へ―――。娘役のアドリアーナ・ビエジンスカが、感じやすい年頃の瑞々しい美しさで大変好印象でした。監督 クシシュトフ・キエシロフスキ 脚本 クシシュトフ・キエシロフスキ クシシュトフ・ピエシェヴィッチ 音楽 ズビグニエフ・プレイスネル (カラー/567分/DECALOGUE)
2008.06.25
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いやらしい。それに尽きる。が、けしてそれだけじゃない。どうしようもないほど、心は純情。前作とは違った、カラフルで幻想的な、ミュージカル仕立ての恋愛映画。出逢ってすぐに肌を重ねる、今風の恋愛を前にすれば、このプラトニックさは驚異的。体と心は別々の場所に存在できる。カンションの心の清さと、体の不純について思うとき、セイヨクなんて、取るに足りないものだと思えてしまう。極限の水不足が続く台湾。パリから帰国したシャンチーは、時計を買ったカンションと偶然再会した。当たり前のように一緒に歩き出したふたりには、やっと同じ時間が流れる。孤独に沈んだ時、ふと思い出す人だった互いが、今ここにいる。恋は動き出した。肉体など交えないでも居心地の良い場所をみつけて、それでも時に求めては、プラトニックさは守られる。いい関係だった。けれども、AV男優となったカンションの仕事場が、あろうことかシャンチーの住むマンションの一画であったために、彼の罪悪感は静かに募っていく。水不足を補うため、人々は西瓜ジュースを飲んでいる。西瓜は瑞々しくて、フレッシュで、艶かしくて、おそろしくいやらしい小道具だった。日本のAV 女優が出ているのは、台湾にはさすがに演じてくれる人がいなかったからだろうか。上映に際しても物議を醸したというから。台詞がそぎ落とされて、時間が刻々とただ流れていく。心が結ばれるのは簡単でも、体は難しいなんて変わっているけれど、こんな恋愛の有り様があってもいいと思った。やはりポップさが、ウォン・カーウァイの恋愛モノに似ていて、ミュージカルシーンに新しさはなくても、監督と役者の関係という面においては、他に類を見ないと思う。役者がここまでやれるのはミンリャン監督だから、そしてこの役者陣がいなければ、良質な本作はきっとなかった。リー・カンションの魅力はすごい!監督・脚本 ツァイ・ミンリャン 製作 ブリュノ・ペズリー 出演 チェン・シャンチー リー・カンション ルー・イーチン ヤン・クイメイ 夜桜すもも (カラー/112分/台湾)
2008.06.23
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台北の路上で腕時計を売っているシャオカン。父が急逝し、母は悲しみから立直れず抜け殻のようだ。ある時、シャオカンはまもなくパリに旅立つという女性シャンチーと出会う。彼女はシャオカンの着けていた時計を強引に買い受けて旅立つ。台北とパリ。遠く離れたふたりは互いの場所で、深い孤独と向き合っていた―――。 先に観てしまった続編『西瓜』。ふたりの未来を知りながらの鑑賞となった。想像以上になにも起こらない物語は、印象がかなり違っていたけれど、なかなか良かった。きっと誰もが持っている孤独。それは身近で、主人公たちがいじらしく感じられるのは、自分の中にも同じくあるものだから。ツァイ・ミンリャン監督作品には、いつも同じ役者が配される。彼の分身的な役割リー・カンションは、実に魅力的だ。役者たちが監督に全幅の信頼を置いているのが伝わる。そうでなければできないだろう演技で溢れる。どこにでもいる無力な人物を、泣き笑いしたい気分で見つめる。その先に、愛おしさと切なさがほんのりと残る。映画を通じて“死”を考えて欲しかったーーというこの作品。父親の死から始まる物語は、喪失から立直れない母を描き、その息子の孤独や、シャンチーの異国での孤独にまで描写が及んでいく。面白いのは、シャンチーがなぜパリへ行ったのか不明瞭なまま(旅行とはいえ)、魅力的には描かれないパリで、ジャン=ピエール・レオに出会うところ。『大人は判ってくれない』のシーンを引用して、歳を重ねたレオ本人も出演せている。内容とは繋がりないのは、監督憧れの俳優を起用したかった、ただそれだけなのかもしれない。『楽日』で往年のスターを出演させたように、自分の作品で敬意を込めて。そういう自由さが許される作品だった。ひとつのエピソードを、少ないカットで撮っていく個性的な映像は、やぱり私好みだった。シャオカンがシャンチーを想って、色んな場所のいろんな時計を、7時間遅れのパリTIMEにあわせるシーンは、ウォン・カーウァイの描くこじゃれたユーモアの感覚に似ていて、こちらも好きだった。香港・日本・台湾に共通してあるアジアの恋愛のあり方は、豊かさの象徴のような気がする。それにしても、時計売りのシャオカンは、続編でAV男優になってしまうのだ。最初から知ってて見ると、なんだか妙に納得した、時の流れを感じた。監督 ツァイ・ミンリャン 脚本 ツァイ・ミンリャン ヤン・ピーイン 撮影 ブノワ・ドゥローム 出演 リー・カンション チェン・シャンチー ルー・イーチン ミャオ・ティエン セシリア・イップ ジャン=ピエール・レオ(カラー/116分/台湾=フランス)
2008.06.21
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ハリウッドに拒否され続けたという脚本家のダルトン・トランボによる、たった一度の監督作、そして名作。第一次大戦で手足も感覚器官も失った青年の苦闘を通して、生命の尊厳と反戦を訴えます。瑞々しい回想シーンはカラー、現在はモノクロにして描きます。オーソドックスで、余計なもののない、奇跡のように存在している作品なのかもしれません。実験的に生きながらえさせられたジョニーは、手足もなく言葉さえ発せない自らの状態を知り、病床で絶望に沈みます。自分の意思とは関係なく命は続き、気の遠くなる膨大な時間の中で、できることは過去を回想することと、夢をみること。それはあまりにもツライ現実です。尊厳死について描いた作品は『海を飛ぶ夢』が記憶に新しい。生命に対する深い思いは、作られた年代に関係なく同じく重いです。ただ『海を飛ぶ~』のラモンは、自らの死を自らの決断で、他力を借りてでも執行したけれど、ジョニーの場合はそれさえも許されない地獄の苦しみで幕が下りていきます。「SOS・・・SOS・・・SOS・・・」唯一動く頭をベッドに打ち付けてモールス信号を送り続ける彼の死を渇望する姿に、何も感じないとしたらそれこそ人間失格。このジョニーを観てしまうと『ミリオンダラー・ベイビー』の主人公さえ、自らの舌を噛み切る自由があったのだと思う。それさえ許されない生とは、想像するのでさえ恐ろしいです。 回想シーンに登場するイエス(サザーランド) 戦地へ向う駅で、恋人との別離ジョニーはまるで、民主主義の申し子のように思うのは私だけでしょうか。男手ひとつで育てられた彼は、幼い頃父親から「宝物は琥珀を使ったこの釣竿ただひとつ」と聞かされて育ちました。けして息子を宝物だと言ってはくれないまま、「これからの時代、若者は民主主義のため戦争へ行くべきだ」という言葉を信じて出征するのです。回想のなかで登場する十字架作り職人のイエスは、不思議な存在。見た目もまるきりイエスで、その言葉ひとつひとつが彼の悲劇に理解を示し救いを与えます。その他にも、献身的な新しい看護師が、ジョニーの胸に文字を綴り、会話を試みる件など、素晴らしい場面が数多くありました。一人の人間の究極の救いと絶望を同時に描いたすごい映画だと思います。ちなみに、ダルトン・トランボが脚本を担当した映画には、『ローマの休日』『栄光への脱出 』、キューブリックの『スパルタカス』、『パピヨン』などなど有名な名作がいっぱいあります。原作・監督・脚本 ダルトン・トランボ 製作 ブルース・キャンベル 音楽 ジェリー・フィールディング 出演 ティモシー・ボトムズ キャシー・フィールズ ジェイソン・ロバーズ マーシャ・ハント ドナルド・サザーランド (カラー&モノクロ/112分/アメリカ/JOHNNY GOT HIS GUN)
2008.06.20
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ジュリーこと沢田研ニ世代ではありませんが、人気アイドルだったという過去が信じられないほど、はじけた演技でした。沢田研ニといえば、目立たないちょっといい映画『eiko[エイコ]』にも出演していましたね。敬愛する塚本監督の代表作『鉄男 TETSUO』の次に撮ったのがこの作品。原作は諸星大二郎の『妖怪ハンター』。 (あらすじ) 教師をしている義兄・八部(竹中)から「重大な発見をした」と手紙を受け取った考古学者・稗田(沢田)は東京にやってくるが、八部は女生徒・月島令子(上野)と共に行方不明になっていた。八部の息子・まさお(工藤)と一緒に二人を探す稗田だが、校内で謎の生物に襲われるのだった―――。 すべてに時代を感じるも、笑いながら観てOKな壮絶な映像は、すでに塚本監督ありきという感じで、キャラが立っている。唯一音楽だけが塚本作品らしくありません。一言で言えばエキセントリック! 化け物ヒルコがキモ怖く、原作どおりの造形なのかはわかりませんがインパクト大です。そんな外見の奇矯さはさておき、物語の筋道は実にきちんとしています。お決まりの焦燥による汗は健在で、懐かしい感じの作品でした。ふと『HOUSE ハウス』を思い出しながら、エキセントリックさでいえば、いい勝負です。 八部が発見したのは、古代人が悪霊を静めるために造った古墳とその入り口。危険を顧みず中へと進入した彼が失踪し、残されたメモを手がかりに、稗田とまさおは妖怪退治にのり込みます。まさおの背には火傷の痕のような人面相が浮かび、次々と死人が出て、稗田お手製の武器は使い物にならない。絶体絶命のピンチに、ただひとつ有効な武器はキンチョール・・・シュールです。そう、妖怪ヒルコはまるで蜘蛛のように走り、ハエのように飛ぶ人面虫。齧られればゾンビ状態で増殖する、恐怖の妖怪なのでした。そのヒルコにたった二人で挑みながら古墳の謎に迫っていく―――結末は映画でご覧くださいませ。VFX(CG?その違いがよくわかりません)が多用されますが、手作り感もかなり残っていました。私的にはお金かけてると思いましたが、目にした感想の多くは「低予算だ」というものばかりでした。よっぽど酷い覚悟をしていた私でした。でもこういう作品がレンタル店に生き残っているというのは、コアな塚本ファンが多いからでもあるのでしょう。そんな方にだけ、おすすめしたい映画でした監督・脚本 塚本晋也 音楽 梅垣達志 出演 沢田研二 竹中直人 上野めぐみ 工藤正貴 室田日出男 余貴美子 (カラー/90分)
2008.06.16
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(あらすじ) スランプに陥り体調を崩した作家・春名礼子(中谷)は、編集者・木島(西島)の勧めで郊外の洋館に引っ越す。ある日、向かいのある大学が所有する研究室に、何か運び込む男の姿を目撃する。男は吉岡誠(豊川)という大学教授。やがて礼子は、そこに1000年前の女のミイラが極秘に保管されていることを知る。ある日、吉岡からそのミイラを2,3日預かってほしいと頼まれるのだが―。端的にいえば、ミイラの呪い=愛の呪縛を描いたホラーですが、冒頭ではわからない深いメタファーが込められていました。それがいったいなんなのか、真夜中、眠くなり遠のく意識を覚醒させながら観ましたが、いま時間が経ってもはっきりとわかりません。現代人が囚われているもの、たくさんの呪縛は本作のテーマである愛だけではありません。呪縛をテーマに敷きながら、そういった広い意味での囚われの身となっている現代人を描いていたようでした。ミイラを媒体にして、引き合わされていく男と女。「なにもかも捨てる」そういってひしと抱き合ったあの森でのシーン。突然単なるホラーではなくなる感じが面白かった。礼子も吉岡も、千年前のミイラによって呪いをかけられていたにすぎないのかもしれないけれど、ふたりの奇妙な結びつきに、あまり触れたことのないような雰囲気がありました。60年前(?)一度沼から引き上げられ、再び沈められたミイラの謎。越して来た洋館で起こった殺人事件の謎。礼子が引っ越す以前から吐いていたドロの謎・・・様々にわからない箇所がありました。けれどもそれを意に介さず、怖いシーンに怯えながら、観念の積み重ねを静かに見つめていると、鑑賞後意外にも心の深いところに辿り着いているのでした。監督・脚本 黒沢清音楽 ゲイリー芦屋 出演 中谷美紀 豊川悦司 西島秀俊 安達祐実 (カラー/115分)
2008.06.09
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人気シリーズ12年ぶりの続編!アメリカ独立記念日の前夜。全米のインフラを監視するシステムにハッキングが仕掛けられ、ワシントンDCのFBI本部は、ブラックリストのハッカーたちを一斉捜査する。一方その頃、ニューヨーク市警のジョン・マクレーン警部補は、久しぶりに娘ルーシー(ウィンステッド)に会うためニュージャージー州にいた。歳頃の娘に冷たくあしらわれ気落ちしている矢先、上司から、近くに住むマット(ロング)というハッカーを本部まで連行せよとの命令を受ける。不承不承マットのアパートへと向かうマクレーンだったが、それは、またもや不運の始まりとなるのだった―――。 ハリウッド映画もたまには観たい! 大好きだったこのシリーズ、大好きだったブルース・ウィリス、そして名キャラクタージョン・マクレーンの復活と聞いて、公開当時からすごく楽しみにしていました。(劇場へは行かなかったけれど)記念すべき第一作目が作られたのは1988年。小学生だったあの時分、ビデオに撮って何べん観たか知れません。こんなハチャめちゃなアクション映画は新しく、なによりジョン・マクレーンの魅力がブルース・ウィリスによって最大限に引き出されてこその大人気でした。相も変わらずバッドタイミングで不運なマクレーンは、今度も国家的な犯罪へと巻き込まれてしまいます。スケールを大きくしようと思ったら、このごろ犯罪はどうしても核かハッキングになりますね。そこはありきたりですが、戦闘機の上に乗っちゃう(マッハで飛んではいないけど)なんていうとんでもないシーンも満載で、完全な娯楽嗜好を追求している本作は、観ていて気分がいいです。映画を好きになったのはハリウッドの、こんな大作のおかげだったことを懐かしみながら。犯人役にはティモシー・オリファントが熱演。マクレーンと共に事件に巻き込まれるマット役にはジャスティン・ロング。不死身男の大活劇が終わったあと、ゆっくりヒートダウンさせるユーモアの効いたラストシーンは、どの監督が撮ってもお決まりの味があります。ハッカーのマットと父親に似て凶暴なルーシーに恋が芽生えている・・な~んていうのもありきたりでいて面白いです。R指定のない、血の無駄に流れない、優秀なシリーズもの。『こちらブルームーン探偵社』からずっと観てるブルース・ウィリスは20年経った今もまだ、お腹ひとつ出ていません。いいおじいちゃんになるに違いない。 1作目のとき。さすがに若いけれど、今のほうがもっとカッコいいかも監督 レン・ワイズマン 製作 ジョン・マクティアナン 脚本 マーク・ボンバック 撮影 サイモン・ダガン 音楽 マルコ・ベルトラミ 出演 ブルース・ウィリス ジャスティン・ロング ティモシー・オリファント クリフ・カーティス マギー・Q(カラー/129分/LIVE FREE OR DIE HARD)
2008.06.08
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フランス、田舎の古城に住む友ロラン(トランティニャン)の元に身を寄せた、ユダヤ人一家。父シモン(ピッコリ)、母サラ(ファビアン)、息子サロモン(ベルショー)、娘サロメ(ブイックス)は、サロモンの奏でるピアノに励まされ身を潜め暮らしていた。しかしある時、何者かに密告された家族はゲシュタポに捕らえられてしまう。終戦後、ひとり生き残ったサロメはあの古城へ戻り密告者を探すのだった―――。 ルルーシュ『愛と哀しみのボレロ』から4年後の本作も、雰囲気の似た、クラシックの名曲の上に紡がれる物語でした。選曲はラフマニノフ、ピアノ協奏曲第2番。複数の家族を巡る幾多のドラマ、時代に翻弄されるという点でも『愛と哀しみのボレロ』に類似しています。違っているのは、淡さ。つかみ所のない詩的な雰囲気は、情感たっぷりで、豊かです。淡いがゆえに構成のわかりにくさが増したのか、美点としてとれるのか、微妙なところですが、頭で整理しながら観れば理解できるので、後者といって良いのでしょう。物語は、サロメが女流作家となり、自伝的小説についてのインタビューを受けている場面から始まります。彼女はフランスで話題の天才ピアニストに兄サロモンの面影を抱き、郷愁の念からこの小説を書いたのでした。兄のよく弾いたラフマニノフを聴きながら、歳を重ねたサロメは過去を回想していくのです――。シモンが輪廻を信じているなど、底辺には神秘主義を感じます。地味でも内的な魅力があって、とても情緒豊か。辛い時代、それでも若者たちは恋をしています。兄の恋人に嫉妬するサロメ、ロランの息子ヴァンサン(アンコニナ)はそんな彼女に恋している。変わらず同じように、シモン夫婦もロラン夫婦も若い頃は恋をしてきたのです。恋愛と嫉妬。この不滅の連鎖が、なかなか明かされない密告者の真実であることを知る頃、やるせないエピローグをむかえます。構成はわかりにくいけれど、よい映画でした。登場人物それぞれに抱く思いがしっかり感じ取れて、ピエロのようなヴァンサンの不思議な存在が後へいくほど大きくなってゆくのもいい。Viva Piano.監督・脚本 クロード・ルルーシュ 製作 タニア・ザジュランスキー 撮影 ベルナール・リュティック 音楽 ミシェル・ルグラン 出演 エヴリーヌ・ブイックス ジャン=ルイ・トランティニャン アニー・ジラルド ミシェル・ピッコリ モニク・ランジェ (カラー/114分/フランス/PARTIR REVENIR)
2008.06.07
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オーストラリアへの移住に憧れる一家の3年間を追った絶望の物語。“一家心中”という破滅へ向かう家族を、淡々と独特の色彩で描き出す―――。 生きることは行為の積み重ねでしかないと、ハネケさんは言います。その通りに、家族は毎日、日々の行為を重ねていく。朝起きて朝食を食べ、歯を磨き、娘を学校へ送り、妻を職場に送り、夫は会社へ行く。こうして描かれた2年間の断片に、闇はさほど見えません。オーストラリアを憧憬する思いは確かにあったのかもしれないけれど、家族が求めた救いの地が存在しないことだけは、わかる。家族はいったいどうして一家心中という悲劇を選んだのか、監督でさえ答えをしらない。 実際にあった事件を基にした、重く苦しい物語でした。固定カメラで行為だけを淡々と描写し、狂っていく歯車を感じさせながら、具体的ななにかは一切語られることはありません。3年目のある日、突然その死への行為が始まります。家具という家具を、想い出の品を、家の中全部を破壊しつくして、順番に薬を服用して死んでいく家族。あまりのことに、ただただ怖ろしいのだけれど、その行為の意味さえ分からずにあっけにとられました。とにかく怖かった。斧と鋸で生きた証すべてを無に返すなんて信じられない行為でした。実際にあったこととはにわかに信じがたい。徹底したハネケ節は不快さばかりを残して、一方的に物語りは終るだけ。 一家は死を選んだ。そこへ至る心理的なプロセスなど意に介さず、一方的に死んでいくこの映画は、形而上のものだと思う。個人が発する形も色も匂いもありません。説明はないから、そして答えもないから、当然のように鑑賞後、考えさせられてしまいます。なぜ?と・・・。本作はハネケ監督のデビュー作。元気のない方にはおすすめできない作品でした。鋭利で、冷たい。この悲劇に同情さえ起きない、それは不要なものなのでしょう。監督・脚本 ミヒャエル・ハネケ 製作 ファイト・ハイドゥシュカ 出演 ビルギッド・ドール ディーター・ベルナー ウド・ザメル ゲオルク・フリードリヒ (カラー/104分/オーストリア/DER SIEBENTE KONTINENT)
2008.06.06
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映画館へ行きました。『運命じゃない人』がなかなか良かった内田けんじ監督の『アフター・スクール』を選んだのですが、満席で入れず。シネコンには他に観たいものが見つからなくて、駅から近くのミニシアター蠍座で『ヴィーナス』を観ました。主演は『アラビアのロレンス』のピーター・オトゥール。(あらすじ) 70代の英国人俳優モーリス(オトゥール)。若い頃は数々の浮き名を流した人気スターも、いまや回ってくるのは端役ばかり。私生活でも妻と別居し独りで暮らす日々。そんなある日、モーリスは俳優仲間のイアン(フィリップス)のもとにやって来た彼の姪の娘ジェシー(ウィッテカー)と出会う。乱暴な口を利き、無作法きわまりないジェシーだったか、モーリスは若くて美しい彼女に年甲斐もなく心ときめかせてしまう。そして、ジェシーに手を焼くイアンに乞われて、何かとジェシーの相手をするモーリスだったが・・・。 なんとも微妙な映画でした。すっかりおじいちゃんとなったオトゥールが、50歳も年下の若き女性に最後の恋をする物語。娘ジェシーがまたバカっぽくて(いやほんとに)、そんな娘に惚れたモーリスの気持ちも魅力もわからず、なんだかノレない。下心みえみえのおじいさんに感情移入できるわけもなく、騙されたり、色仕掛けに負けたり、コピーの男って、いくつになっても…。が溜め息となってそのまま残ります。死ぬ前に、もう一度トキメク恋がしたいと願う元人気スター。老俳優とはオトゥールの地でいける設定です。しかし今生で最後の恋がこんなんでいいのだろうか・・・。せめて主人公が魅力的でないと。観る側は蚊帳の外状態で、なんかやってるわ~としかならないではないですか。老いらくの恋だっていい、歳の差があったっていい。でもそこに惚れるわけがないとね。若けりゃいいのか?ということになってしまいます。田舎からイアンの身の回りの世話をするという理由で、都会に出てきたジェシーは、後から明かされる苦い過去を持っています。雑誌モデルの仕事を探していますが、実際には努力ひとつしないままダラケタ日々を送るだけで、イアンとは犬猿の仲。そんなジェシーにモーリスが紹介したのは、美術学校の裸婦のモデル。戸惑う彼女を連れて観にいったヴィーナスの絵画と、彼女をこの愛称で呼んだことが、タイトルの由来となっています。老人がたくさん持っている知識を与えたい、若者を成長させたいと願う気持ちはとてもわかります。でも美でも本でも生き方でも、中身のないシーンばかりで表面だけで通り過ぎていくのが気になります。全体としていろんなところが中途半端。親友の俳優仲間イアンとの関係は後半にきて突然釈然としないものとなり、モーリスの病を受けてジェシーが変わっていく様子も、過去の傷にもまた心動きません。死を前にした逃避行の行き先は、やはり海。定石どおりなのはいいとしても、脚本がいまいちな感は否めません。せめて主演ふたりを素敵に描いて欲しかった。魅力ある人物に!そこに尽きます。老体に関するギャグは、たいがい面白いはずなのに微妙に笑えず。イギリス人はギャグがお下手なのかしら。『スペース・カウボーイ』なんか今でも思い出すほど面白かったのにー。わざわざ劇場で観ただけに残念な作品でした。余談に、オトゥールの魅力について。『アラビアのロレンス』で見せてくれたグリーンの美しい瞳は、あまり面影がないようでした。そういえば、彼より首長を演じたオーマ・シャリフの方が好きだったので、たんんに好みの問題でもあるのかもしれませんね。ただこの年アカデミー主演男優賞にノミネートしたそうですが、狙えるほどの演技だったとは思えませんでした。めずらしく酷評を書いている気がする・・。監督 ロジャー・ミッシェル 製作 ケヴィン・ローダー 脚本 ハニフ・クレイシ 撮影 ハリス・ザンバーラウコス 音楽 コリーヌ・ベイリー・レイ 出演 ピーター・オトゥール レスリー・フィリップス ジョディ・ウィッテカー ブロンソン・ウェッブ リチャード・グリフィス ヴァネッサ・レッドグレーヴ (カラー/95分/イギリス/VENUS)
2008.06.04
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ウィーン国立音楽院でピアノの教授をしているエリカ。幼い頃から母親に厳しく育てられた彼女は、40歳を過ぎた今も母と二人暮らしをしていた。ある日、エリカは演奏会の席で青年ワルターに出会う。ワルターは一目でエリカを愛し、執拗につきまとい、音楽院試験をパスして彼女の生徒になるのだった。そんな彼のピアノに特別な感情を抱くようになるエリカだったが・・・。 青年の純粋な愛と、エリカの倒錯した愛。妙な関係が始まり終わっていく、その精神のありようは、時に可笑しく滑稽で切なくて、絶妙なバランス感覚で過ぎていく。カンヌ映画祭グランプリ受賞。それが頷ける、隙のない凄みのある作品でした。ハネケ監督の巧さは、たった二本の映画を観ただけでわかります。機微をうがち、心は監督の予測どおりに動いてしまう。人は欠点を見つけて安心するというけれど、映画に関してはどうだろう。きっと同じ。物語の展開に限りなく違和を感じない監督の映画は好きだけど、完璧すぎる監督は大好きになれない。この『ピアニスト』は、違和や欠点というものを越えた完璧さがあるように思います。ハネケ監督によって、観る者の反応が予測され撮られているから、ラストで許される反応がごく限られてくるような、そんな感じがします。素晴らしい。けれど、心からは楽しめない。愛すべき作品はない。そういう映画を撮る方ではないでしょうか。こういったタイプの作品が好きな方は、きっととことん好きだと思う。 厳しく美しく、才能あるエリカには、しかし性倒錯者であるという秘密がありました。彼女はマゾヒスト。夜な夜な厳格な母を欺いては街を徘徊して、異常性欲を持て余しているのです。そこに訪れる運命の出会い。ピアノの才能あるワルター青年は、一目でオールドミスのエリカに惹かれ、彼女もまた、固執するシューベルトを見事に弾きこなす彼に心奪われてゆくのでした。純粋と倒錯。ふたつの愛。狂おしいほどに求め合っていながらも歪んだ関係は、エリカのマゾヒズムに関する願望の告白で、脆くも無残に崩れ落ちていってしまうのでした。純粋だった青年には未来が残されているというのに・・・。エリカにはどん底のうちの悲壮が残るばかり。ああしていれば、とか、こうしていたならとか、ありがちな後悔では語れない、なるべくして破局していく関係が見事です。イザベル・ユペールの熟練した熟女の演技は異彩を放ち、それに負けていないワルター役のブノワ・マジメルの存在がまた素晴らしい! 当時26歳くらいでしょうか。若くみえて、適役。しかもいい男。困惑したり焦ったり憤ったり、エリカに振り回されながらも、彼女を虜にするだけの魅力ある青年役を、とても好演していたと思います。父親は精神を病み、ずっと昔に亡くなって、以来母親は、異常な愛情をエリカに注いできました。常に監視の目を光らせ、そんな中で生きてきたエリカの心の歪みは、当然のことのよう。彼女の痛めつけられたい願望は、精神の未熟さからでしょうか。監視する母を嫌いながら、逃げ出そうとしない。ぬくぬくと守られてしか生きられず、自分を傷つけながらでないと生を謳歌できない。性器を傷つけるシーンなど『叫びとささやき』を思い出しましたが、女性の性の悲しさを感じる場面でもあります。中年女性への青年の一途な愛。大好きな『愛に関する短いフィルム』にもありました。滑稽でいてとびきり純粋なこの感情、もしかしたら監督たちの経験したものなのかもしれませんね。監督・脚本 ミヒャエル・ハネケ 製作 ファイト・ハイドゥシュカ 原作 エルフリーデ・イェリネク 出演 イザベル・ユペール ブノワ・マジメル アニー・ジラルド アンナ・シガレヴィッチ スザンヌ・ロタール ウド・ザメル (カラー/132分/フランス=オーストリア/LA PIANISTE)
2008.06.02
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読みながら、メル・ギブソン監督作品『パッション』を思い出していました。史的イエスを意識する機会は、他にも『ダ・ヴィンチ・コード』(本)などでもあって、そこにこの一冊。これほど聖書の中身に近づいたことはありません。ナザレのイエスという人物が、身近に、血の通った人間として、感じられる素晴らしい本でした。受難物語の場面までよむ頃には、頭の中に描いた聖書物語の景色が変わってしまっているような感覚。聖書は読む気になれないという人にも、最適な本だと思います。『パッション』を観る前に、ぜひ先に触れておきたかった一冊です。作家の立場から読み解く、聖書物語、イエスの生涯。ナザレのイエスが十字架に架けられ、その後、なぜ弟子たちによって神格化されていったのか・・・。その謎を深い洞察で見つめた和製キリシタンの言葉は、キリスト教への理解にも繋がっていくよう。エルサレムを見て、ゴルゴダの丘を歩いて、著者が受け止めた真実をストレートに記した本書は、感動的。イエス=神その考えは消えうせて、イエスの生涯にはブッダとも共通する崇高な精神を感じることができる。宗教という垣根が消えていきました。紀元前後とはいえ、ローマ史などは遥かに詳細に史実が残っているわけで、イエスという人物に関しても、知ろうと思えばできたはず。なのにいままでそれをしてこなかったのですよね。映画好きな方には、『パッション』に対する理解も増えるかもしれません。「受難物語」に基づいて描かれたらこそ、ただ‘痛みに耐えたイエス’ばかりを感じたのだと。もちろん誤りもあるのでしょうが、ひたすらに無力だったイエスの最期の姿に、今ならきっと別の思いも湧いてくるような気がします。『深い河』を読んだ時のような感慨に再び浸かりつつ。つぎは『沈黙』『死海のほとり』が読みたいです。
2008.06.01
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