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「雌鶏歌えば家滅ぶ」古代中国のことわざです。そもそも、ニワトリのメスが、時を告げるために鳴くことはないという。古代中国では、そのめんどりが、おんどりより先に鳴くようなことは、不吉であるとされたらしい。このことから「女が男を差し置き先に出ることは、自然の摂理に反する」と俗信されてきたとのこと。また、実際にその歴史を紐解いてみても、古代中国においては、「女性が権力者となったが故、国が滅んだ」という事例が、幾度となくあったようですね。このような背景を踏まえ、まあ、現代チックな意味合いとしては、「女が男を差し置き権勢をふるうような家は、やがて滅ぶ」ってことになってるみたいよ・・・。・・・いやはや、古代人、言いたい放題言うとるな、しかし。ほんと、怒られるぞぉぉぉ。「ペンダントライトMATSU」、子供部屋の照明です。・・・てかさあ、めんどりって、鳴かないんだあ。へぇ~。てか、 あれ? 変だなあ?・・・なんかさあ、うち、めんどり、がんがん鳴いてっけどね。夫より先に、コケコッコー、父を差し置き、コケコッコー、鳴きまくり。うちのめんどり連中、コケコッコーなんて、もう飽きちゃってっから。最近は、クックドゥードゥードゥーとか言っちゃうから、洋風に。ココリコぉー(フランス風)とか、キキリキぃー(スペイン風)とか、トゥイートゥイートゥイー(イギリス風)とか、もおお、朝夕かまわず、わめき散らしてっから。てか、何なの、トゥイートゥイートゥイーって。怖えーよ。裸電球がシブいっす。ああ、思えば、女に権勢をふるわれまくりの人生であったよなあ・・・。その昔、僕んちの家族構成は、母、姉、妹、そして僕 & 家に寄り付かない父。だから、ひとつ屋根の下の権勢は、いつも女性陣にあった。んでもって、現在、僕んちの家族構成は、妻、長女、次女、犬(初代も二代目もメス)、そして僕。当然ながら、今だ権勢は女性陣。何の因果か知らないが、僕のまわりは、いつも女だらけなのよね。それも、やたら元気ハツラツな、オロナミンCな女性陣。とほほ。ちなみに僕は両親が離婚した時母方につきましたが、苗字は変えず離婚した父方のままです。どうやら僕は父方の姓を名乗る最後の男となっているようなので、僕が死ねば、僕の父方のハチャメチャな家系は、途絶えます。うちは娘が二人ですからね。すべては天運であり、すべては望みどおりである。うん、これでいーのだ。あらら? なるほど、雌鶏歌えば家滅ぶわけだな、あはは。そう言えば、僕は、小中高と男女共学。そんでもって、小学校の部活は、男女一緒の吹奏楽部。中学校の部活は、隣のコースを泳ぐ女子生徒の水着が見放題という理由で、水泳部。高校も、男女一緒の美術部に籍を置いていた。まあ、ほとんど行ってないけど。意図的にか、たまたまか、男の集団の中に身を置いたってことがねーの、うん、一度もない。だから、野球部的な、軍隊的な、任侠的な、そういう男臭い集団の中にいる自分を、まるで想像出来ない。でさ。このような女だらけの環境で男が育つと、その男は、さぞ女性的に軟弱に仕上がるのではないか?と、お思いになるかもしれませんが、それは大間違いです。逆に、嫌というほど、自分が「男である」ということを日々認識させられ続けるのです。それは、男気だとか、友情だとか、筋道だとか、仁義だとか、時折男同士が苦し紛れに使う、言い訳めいた精神論などではなく、単純に「生物的な男」です。男は、ちんちんが生えている。男は、子供が産めない。男は、重い物が持てる。男は、戦争をする。男は、数が多い。男は、エロい。男は、臭い。このように「ああ、自分は生物的に男なのだなあ」ということを、否が応でも認識させられるのです。どうやら僕にとっての「男」とは「ヒト科のオス」のことであって、それ以上でも以下でもないようです。照度が調整できないのが、ちょいと難点かなあ。更に言うと、男が男だけの集団の中で安易に宣う「男論」ほど、女々しいものはない。と、僕は常々思っています。女性に「お前は女々しい」と言って何の意味があろうか、「女々しい」とは男の為の言葉である。男は元来女々しい生き物である。だから「お前は女々しい」「男らしくしろ」と諫めねばならない。と、かつて上岡龍太朗氏がおっしゃっていましたが、まったくその通りだと思う。男が、男だけの閉塞された集団内で見せる「女々しさ」「陰湿さ」を、女性はご存知だろうか?例えば、幕末の新選組が見せたドロッドロの隊内争い、仲間同士の裏切り合い、殺し合い、あれを想像すればいい。やっぱね、男は、女に見られていればこそ、てか、女にモテたい一心で行動してこそ、男の性能を正しく惜しみなく発揮出来るのでなないかと、僕は思いますよ。とにかく女の監視下にいない男の集団は、ダメですね。僕の見たところ、総じて超ぉーー女々しい。真下から見る。 あら、すてき。我が家は今、二階の寝室に家族四人で布団を敷いて寝ています。始めの頃は、僕、部屋の真ん中で寝てたんすけどねえ、次女は、平気で僕の顔の上をまたいで歩くし、長女は、僕に向かって屁をひって笑うし、とにかく、ちょっかいかけられたいり、オモチャにされたりして、うかうか寝てらんねーから、最近は、まるで水槽の端っこにいるザリガニのように、部屋の端っこで、壁にぺったり身を寄せて、息を潜めて寝ています。そんで、妻が階段を駆け上がって来る音が聞こえると、まるでザリガニが牛乳瓶の中に逃げ込むかのように、反射的に布団に潜り込み、気配を消したりしています。あはははは。それでも、やっぱり、僕は、めんどりが、意気揚々と歌っている家がいいな。雌鶏歌えば家滅ぶ???逆じゃね?女性が、元気のない家は、滅びますよ。女性が、男の顔色を伺い、男にこき使われて、女性が、言いたいことも言えず、ため息ばかりついてるような、舌打ちばかりしているような、そんな家庭に、社会に、未来はない。また、そんな環境を強制的につくりあげ、喜々としている男の罪は重い。必ず地獄に落ちるだろう。とにかく女性は、笑っているにかぎるね。女の笑顔は、いい。すべては、これに尽きます。一年後も、十年後も、百年後も、女性が、ころころと笑って暮らせる世の中であるように、これからも、男は、がんばらにゃあ。にほんブログ村
2019.06.30

洗濯機がぶっ壊れちゃいました。10日ほど前のある晩、僕が会社から帰宅するや否や、ちょ、あんた、何か突然、洗濯機に全然お水が入らんでかんがや。ちょ、ちょ、これじゃ洗濯出来~せんでかんがや。何とかしたってちょ~すか。でら。がや。だぎゃ。と、妻が困り果てた表情で、そして呆れ果てるほど濃い口の名古屋弁で申した。僕、さっそく洗濯機を確認。「洗濯機内に水道が正常に給水されていない」というエラー表示が出ている。あれま。先ず僕は、こういった場合に「問題個所を判別する簡単なテスト」を実施した。①洗濯水栓を締めたうえで洗濯機を作動させ、洗濯機の水圧を抜く。②洗濯ホースと洗濯機の接続部を手で緩める。②洗濯ホースの先をバケツで受ける。③洗濯水栓を全開にする。すると、水しぶきが飛び散るほどの良好な水圧、バケツはすぐに水でいっぱいになった。というわけで今回は水道配管の異常ではないと判明。つまり洗濯機本体の故障である。この時、配管からの水圧が弱い場合は、配管のトラブルですよ。僕) これ買って何年?妻) たしか7年とか、そんぐらい。僕) メーカーに修理依頼しときな。微妙な時期だけど恐らく修理で直ると思うよ。我々消費者のなかには、「家電品って、製造打ち切りから10年間は部品保存の義務がメーカーにあるんでしょ?」なんつって、勝手に思い込んでいる人がいるようですが、んなこたぁ~ありません。メーカーによって、商品によって、部品によって、その保存期間は違いますよ。これまでも経済産業省他が性能部品の最低保有期間を定めて業界に指導をしてはいるようですが、それにしたって、あくまで「指導」であって「法的規制」ではありません。しかもその指導内容も、けっこーアバウトな、あえて抜け目だらけの内容だったと思う。洗濯機のそれは、たしか6年とか、そんぐらい。さてさて、さしあたっての問題は、その日の洗濯。妻のU子さん、洗濯ドラムの前に座りこみ、ちょろちょろとしか入水されない水道を恨めし気に睨み続け、約30分毎に機器から発せられるエラー警報も何のその、意地んなって、ヤケんなって、スタートボタンを連打し続け、き、き、奇跡的に洗い・すすぎ完了。その所要時間、なんと、4時間。・・・・おい、おい、正気かよ。・・・・・・勘弁してくれよ。・・・・東の空、白んでるよ。僕)これじゃ、らちが明かん。しばらくコインランドリーだな。妻)・・・うん。んで、次の晩。会社から帰った僕は、妻に尋ねた。僕)メーカーに修理依頼した?妻)うん、ちょー最悪、訪問まで一週間待ちだって。ったく、どんだけ待たすんだっつーの! アラスカくんだりから、はるばるやって来んのかっつーの!僕)ははは、で、コインランドリーどうだった?妻)は? 行っとらんよ。僕)・・・え?妻)なんかコインランドリーって不衛生らしいよ。動物の毛とかあるらしい。僕)いやいやいや、そうかも知らんけど、緊急事態だろ、致し方あるまい。妻)血液のついた衣類とか、自宅の洗濯機で洗いたくないものを洗う人がいるらしい。僕)だから何だバカヤロー!妻)嘔吐物のついた衣類とか洗う人がいるらしい。僕)それがどうしたコノヤロー!妻)だぁかぁらぁ、生理的に受け付けねーつってんだよバカヤロー!僕)うう、まさかの逆ギレ。 だ、だったら、洗濯どーすんだコノヤロー!妻)もうP子が風呂場で洗ってるよバカヤロー!僕)・・・は?どゆこと?P子が、風呂場でって、どゆこと?嫌な予感。まさか、手洗い?まさかね、今どき、手洗いってね。まさか、手洗いって。てか、足洗い!気分は、お江戸!大江戸はっぴゃくやちょー!ちなみにその頃、次女は食卓で納豆をねっておりました。いやいや、次女のこたぁどうでもいいってのっ!いやあ、驚いたぁ、この令和の世に、まさかの足ふみふみ大作戦。洗い一回、すすぎ三回の作業工程らしい。ま、マジかよ。始めは妻がやっていたのだが、速攻で腰をグキッたらしい、だはははは。長女のP子ちゃん、妻とのバイト契約をした後、代打として頑張っていました。え、僕?手伝うわけねーじゃん。いやいや、長女が代わってくれないのよ、「自分の小遣い稼ぎの場を奪うな!」つって。結局我が家は、約一週間、この足ふみふみ大作戦にて緊急事態をしのぎました。洗濯機は、給水口付近の内部部品の交換にて訪問当日に修理完了。料金は、一万五千円ぐらいだったらしい。うーん痛い出費。以上、我が家の令和洗濯機騒動の顛末でしたとさ。ちなみに、次女は食卓で納豆をねり続けておりました。とさ。にほんブログ村
2019.06.23

昔々、僕がティーンエイジャーだった頃の、とある時期、僕は、「自由の人」だった。僕は、毎日意気揚々と、完全なる「自由」を謳歌していた。先ず、僕の家には門限が無かった。夜中に何処をほっつき歩いていようが、僕の自由。友人の家で、そこらの路上で、何泊しようが、僕の自由。学校へ行くも行かぬも、僕の自由。行きたくない日は学校へ行かない、ただし行きたくなったら日曜日でも学校へ行く。テストを受けるも受けないも、僕の自由。やる気がない日は家で寝ている、ただしテストで高得点が欲しい時は高得点を取る。人を殴る。すると、殴られた相手や、まわりの大人たちは、「何故殴った?」「腹が立ったのか?」「ムシャクシャしていたのか?」どいつもこいつも「殴った理由」を欲しがった。理由なんてない。僕の自由だ。ただ、何となくだ。物を盗む。すると、同じくどいつもこいつも、「何故盗んだ?」「興味本位か?」「生活に困っているのか?」と、執拗に「盗む意味」を欲しがった。だからぁ~、意味なんてないっての。自由、自由。ただ、そうしたかったから。嘘をつく。ただ、そうしたかったから。物を壊す。ただ、そうしたかったから。人を傷つける。ただ、そうしたかったから。遊ぶ、喰う、寝る、やりたい事を、やりたい時に、やりたいようにやる。理由も意味もありはしない。ただ、ただ、そうしたかったから。「君、大丈夫か?」「君、ヤバいんじゃないか?」「君、いい病院を紹介してやろうか?」どいつもこいつも、深刻な表情で僕を心配した。心配ご無用、ほっといて下さい。僕は自由。ただ、自由に生きているだけ。そんな毎日を続けるうちに、僕は、自分が日増しに「けだもの」に成り果てて行くのを感じていた。喰いたい時に喰い、眠りたい時に眠り、犯したい時に犯し、糞尿は、垂れ流したい時に、垂れ流したい場所で垂れ流す。森や草原で生きる、野生動物って感じ? いやいや、それは「けだもの」に失礼だな。彼らは、厳しい「自然の掟」のなかで必死で生きている。僕は、「けだもの」以下だった。おそらく「地獄の餓鬼」って呼び名が、最もふさわしい。そんなこんなで、当然の報いであるが、おのずと僕のまわりには、誰もいなくなった。僕は、孤立した。実に奇妙な感覚だった。群衆の中にいながら、無人島生活をしているような・・・。やったぞ! どいつもこいつも見ろ!オンリーワンだ!俺様は自由だ! 僕は、虚空に向かって自慢した。叫べども、叫べども、返事はない。だってそこは、群衆の海に浮かぶ、無人島。・・・で、いつの頃からだったろうか?僕は、自ら望んで手に入れた「自由」を、嫌というほど吟味した「自由」を、豚のように過食した「自由」を、ゲロゲロと嘔吐したい衝動に駆られている自分に気づいた。僕が手にした自由の正体とは、利己的で、醜悪で、卑猥で、狂気で、そして、だたもう孤独なだけの代物だった。もう、「自由」なんて、うんざりだった。自由だ!自由だ!自由だ!自由だ!夜中に悪夢で目が覚める。こ、怖い。枕元からガバッと身を起こし、汗だくになって、いつか読んだ、寺山修司の散文の一節を叫ぶ。自由だ!助けてくれ!・・・時は流れ、・・・頭は禿げ、肉は垂れ、腰は傷み。間もなく四十五歳になろうとする今日の僕に、「自由」なんてない。今日の僕は、家庭で、会社で、社会で、自ら進んで、自分が守るべき「大切なもの」を守り、自分が背負うべき「荷物」を背負い、自分が引きずるべき「足かせ」を引きずりながら、毎日を過ごしている。大変だけれど、あの頃に比べ、僕はとても充実している。あの頃に比べ、僕は何百倍も幸せだ。僕は、もう自由なんていらない。でさ、なんか、最近「不登校の自由」だの「自由な生き方」だの「自由業」だのと、やたら「自由」という言葉を、特にインターネット界隈で見聞きするじゃんか。僕なんか、全て過去の自業自得ながら、「自由」ってのがすっかりトラウマになっちゃってるからさ。今この時代に、じゆー、じゆー、なんつっておっしゃられている「地獄の住人」が気になるわけです。最近の「地獄の餓鬼」ってのは、どんな姿で、何を喰い、何を考えているのだろうかと思うわけです。んで、ざっと拝聴、拝読。んで、まあ、逆に安心しましたよ。彼等のおっしゃっている「自由」と、かつて僕が手にした「自由」とは全く別物ですね。彼等のそれは、言ってみりゃ「自由風」。心配する必要はありません、とても安全な代物です。例えば、不登校の少年革命家。僕は彼のことを知った時「今時こんな不自由な子供がいるのかしら」と、とりあえず彼に同情しました。思想を刷り込まれ、演じることを強いられ、「親の保護下で革命」という理不尽な活動を行い、有名人に仕立て上げられ、あげく世間からバッシングされ、もう後には引けない立場にいる。まったく嘆かわしい。宿題しないのは確かに子供の自由。であるならば、ある日突然何の脈絡もなく宿題をしたくなった時、これまでの自分の発言を全てチャラにして、アホみたいに宿題を始めちゃうのも子供の自由。万に一つ、あの子にそんな心境の変化が訪れたとして、あの子、自由に宿題するかねえ? てか、まわりがそれを許すかねえ?革命やーめたぁぁ!ちょー宿題してえ!ちょー学校行きてえ!ちょーロボットになりてえ!とか、ある日突然言い出したら、うわぁ~この子めっちゃ自由じゃん、なんて僕は心から思うのだが・・・。僕には、あの子が「自由風」な何かに捕らわれ、がんじがらめになっているようにしか見えない。例えば、フリーランス。(もちろん一部の可哀想な)幼き頃から、保護者のしつけに従順で、保護者の指示に忠実で、保護者の選んだ書物を読み、保護者の許可する食品を食べ、保護者の望む塾へ行き、保護者が喜ぶ進路を選び、保護者が安心する会社に就職する。そんな「保護者の作品」としての役割から、やっと解放された人間が、入社2・3年を過ぎた頃、はたと思う。「あれ? 自分って何? 自分、このままでいーの?」思春期。遅い遅い思春期を迎える。んで、夜な夜な自分探しの手慰みにSNSで自分を発信していたら、思いのほか人気が出た。収益もあった。んで、中坊が家出するみたいに、会社を辞めた。んで、中坊がバンド始めるみたいに、独立した。フリーランスは、サラリーマンと違って、時間に制約がない、だから自由。フリーランスは、サラリーマンと違って、組織に抑圧されない、だから自由。フリーランスは、サラリーマンと違って、自己責任だけ取ってりゃいい、だから自由。彼等の自由の定義には、いつも「サラリーマンと違って」が漏れなくついてくる。他者と比べることでかろうじて成立する、ほんのり「自由風」なメッセージを、サラリーマンが管理する電力会社のコンセントに、サラリーマンが開発したPCやモバイルを差し込み、サラリーマンが運営するインターネット網を駆使して、全世界に向けに発信している。近頃は、ああいった「いい歳こいた大人の遅い思春期」のことを「自由業」と言うらしい。繰り返し言いますが、僕は過去の経験から「自由」とは、「利己的で、醜悪で、卑猥で、狂気で、孤独」であると考えています。だから僕は、簡単に、じゆー、じゆー、と謳う人が大嫌いだし、何より、一瞬怖いのです。この文章を読んで、「あなたは自由をはき違えている」「あなたの自由観は間違っている」と言ってくれる方々は、逆に安心です。だって「自由を論ずる」という行為ほど、不自由な行為はないでしょう?そういう人は元来「自由の人」ではない、だから安心、というか・・・。自由の真っ只中にいる人は、「自由とは何か?」なんて考えてませんからねえ。とにかく「自由」は取扱いに注意しないと、人を「くるくるぱー」にすると僕は思いますよ。さて、今回こんな記事を長々と書いたのには、実は個人的な理由がありまして。僕、今年でサラリーマン生活20年目に突入するんですけどね、僕としては、今の水道設備業を70歳まで現役バリバリで続けるつもりなので、残りの25年、このままサラリーマンを全うするのも良いのだけれど、仮に独立開業を考えるのなら、この四十五歳から向こう一・二年がリミットかなと。どちらに転んでも、ものすごく自信があるので、どうしたもんかなと。現在、僕は、社畜です。自己を会社で教育され、自己を会社で管理され、自己の意思と良心を会社に捧げ、自己の人生を会社に託し、自己をすっかり会社に飼いならされている、筋金入りの誇り高き社畜。まあ、そんな僕が社畜を辞めて、仮に独立したところで、自分が「自由」になったなんて、勘違いはしませんよ。独立したら「会社」が「自己」にすり替わるだけのことです。自己を自己で教育し、自己を自己で管理し、自己の意思と良心を自己に捧げ、自己の人生を自己に託し、自己をすっかり自己で飼いならす。そうなったら僕は、自分のことを、「自己の家畜」とでも呼ぼうかな、なんて。にほんブログ村
2019.06.01
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