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29日母子センター産科&母性内科 30日不妊クリニック 受診してきました。 ●母子センター産科 生理を3回見送ってから、妊娠を考えて。 流産後と同じとのこと。 ※次回妊娠時のお話は、胎児染色体検査の結果が出てから 4/6に改めてお話しすることに。 ●母子センター母性内科 不妊治療再開は、次の治療方針が決まる4/6以降で。 開腹した訳ではないので、1年休むとかは考えなくてよい。 ※胎盤の病理検査では、虚血がみられ、感染は無かった。 虚血が破水の原因かは何とも言えない。 既にバファリンは使用しているので、 胎児染色体検査の結果が出て、産科医と相談のうえ、 次回妊娠時は、感染予防のビオスリー散を服用しながら ヘパリンの使用を検討する。 4/6に次回治療方針の話しあうことに。 ●不妊クリニック 生理を2回見送れば治療再開をしてるが、母子センターの 結果を待って、次の妊娠を考えることに。 治療再開まで、ホルモン値や子宮内膜や卵巣機能が 回復していってるか、2週に1度位の診察でチェックし、 治療方針が決まった時に、すぐに治療が再開できるように 体調を調整することに。 ☆☆☆☆☆ 今回の妊娠は、絨毛羊膜炎は無く胎盤に虚血がみられた とのことで、今までの症例をみる限りでは、 ヘパリン治療までする必要はないらしいのですが、 それ以上に出来る事がなく、ヘパリンを検討して みようとのことでした。 次回妊娠時は、感染と虚血の対策となるので... ・感染対策→週1の膣の消毒 ・虚血対策→ヘパリン ・ビオスリー散、漢方の服用 ・出血傾向等、何かあればすぐに管理入院 でお願いしたいな~と思っていますが、 4/6の産科と母性内科のお話しでよく話しあってみます。 ヘパリンという新しい治療に私の期待も膨らんだのですが、 母性内科の主治医に、 「ヘパリンは、魔法の薬ではないから...」と釘を刺されました。 それでも、胎児の染色体検査に問題がなく、 ヘパリンという新しい治療法を加えて次の妊娠が望みたいです。 いい方向に進める事を願いつつ、4/6がくるのを 待つことにします。
2009年01月31日
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今まで、ネットで“人工死産”を選択された方のお話しを何度か目にしてきたが、まさか自分がこのような選択を迫られる事になろうとは思いませんでした。我が子の死の悲しみは比べられませんが、天音が亡くなってからは辛かったです。次に、不妊治療で妊娠できても、安心して妊娠中の管理をお願いできる病院がなかなか見つからなかったからです。今後の妊娠も母子センターで診て頂けるとのことだし、凍結卵…お空に帰った子達の兄弟…命の種が4個残ってます。だから、もう少しもう少し頑張ろうと思うのです。息をしていない我が子ばかり見ているのですが、我が子を見つめるゴマ夫を見れば見るほど、我が子を抱かせてあげたくなります。ただ、いつもなるべく正直に更新してきたブログが、今回に限っては、更新を躊躇しました。“IVFを繰り返したすえに、人工中絶”生命の禁忌にふれ、命を捨てたような……そして、それでも諦めきれない自分のエゴ…多くの方が、いろいろな考えで見ているブログなので、今までの私達、これからの私達に反感を持たれるかもしれません。しばらくは、5人目のお空の我が子の冥福を祈りつつ、体と心の回復に努めようと思います。
2009年01月09日
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12/24自宅で破水し、父の車で病院へ…。破水検査陽性。感染による破水。12/25午前中、主治医の診察があり、羊水が無くなってしまっている事が判明。高位破水なら安静入院で助かる事もあるが、感染による前期破水と診断される。数日中に陣痛が起き、出産になる可能性が高いと診断される。前回も胎胞脱出した際に、2日後に出産に至ったので、3日以内に陣痛が起こるだろうと覚悟する。12/29不思議と陣痛は起こらず、採血による感染の数値も上がっておらず、このまま感染が起こらなければ、産むことは出来ると。ただ、17週で肺が育っていない時期で、羊水がなくなっているため、今後も肺が育たず、手足を動かす事もできないので、産後、人工呼吸器を一生手放せず、寝たきりになると言われる。それは、可能性でなく、絶対とのこと。夕方、ゴマ夫が見舞いに来た時に相談し、産む方向で考えてみようということになる。12/30~1/1病院の廊下になるインターネットで、肺低形成で調べてみたが、育てているのは、殆どが早産児による肺低形成。17週前後の前期破水では、他院では、多くが患者の意向を聞かず、人工中絶になっている事を知る。“人工呼吸器に繋がれたまま、寝たきりで、恐らく正規産まで持たない可能性が高いので早く産まれただけのリスクも勿論かかえる”↓最悪、人工呼吸器、寝たきり、目が見えず、脳性麻痺、他を覚悟しなければいけないということ。この状態は、ただ生きているだけではないのか。生きている幸せを私達は、教えてあげることができるのか。陣痛が起きないことが恨めしくなった。陣痛が起きればいいのにと思った。このあたりから、人工中絶(人工死産)が頭をよぎるようになった。ただ、不妊治療で命を授かる事に必死になってきたのに、中絶を選択しようとしている事に矛盾を感じ、辛かった。※看護婦さんが体温を測りに来られる度に、話しを聞いてくれる。1/4診察が有る。超音波写真を見ると赤ちゃんがもうとても苦しそうに思えた。夜になって、この写真をゴマ夫にメールし、中絶する事を決める。1/5主治医が来た時に、中絶の以降を伝えた。その日、1泊だけ一時帰宅の許可がおりたので、実家に帰る。1/6夕方病院に戻る。相部屋で妊婦さんに囲まれながら、中絶をするのが辛かった。術後は個室を希望する。17時過ぎ、ラミナリア挿入。1/79時過ぎ、分娩室に移って陣痛促進剤を投与。徐々に陣痛が強くなってゆき、12時02分分娩。赤ちゃんは性別不明、106gでした。分娩室は混みあっていて、隣では数時間の間に2度も赤ちゃんが産まれたような気がした。いつもは悔しくてたまらないのだけど、涙は出なかった。涙は出すと止まらなくなるので、出さないように無心になるのが旨くなったのだと思う。夕方、母性内科の主治医が来てくれて、退院後の診察で、次の妊娠のための対策を考えていこうと言って下さる。看護婦さん達が、赤ちゃんの洋服や折り紙を折ってくださる。ゴマ夫が夜遅くに来て、個室に泊まる。1/8退院。退院前に、看護婦さんや先生達がお焼香をして下さる。1/9火葬。今回の斎場では、お骨をひろうことができた。自宅の骨壷が2個になった。
2009年01月09日
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